2020年01月07日

「地上楽園」芥川龍之介

155A89B0-1795-480B-8DB5-AE4ADD3887FC.jpeg
 地上楽園の光景は屡しばしば詩歌にもうたわれている。が、わたしはまだ残念ながら、そう云う詩人の地上楽園に住みたいと思った覚えはない。基督教徒キリストきょうとの地上楽園は畢竟ひっきょう退屈なるパノラマである。黄老の学者の地上楽園もつまりは索漠とした支那料理屋に過ぎない。況んや近代のユウトピアなどは――ウイルヤム・ジェエムスの戦慄せんりつしたことは何びとの記憶にも残っているであろう。

 わたしの夢みている地上楽園はそう云う天然の温室ではない。同時に又そう云う学校を兼ねた食糧や衣服の配給所でもない。唯此処に住んでいれば、両親は子供の成人と共に必ず息を引取るのである。それから男女の兄弟はたとい悪人に生まれるにもしろ、莫迦には決して生まれない結果、少しも迷惑をかけ合わないのである。それから女は妻となるや否や、家畜の魂を宿す為に従順そのものに変るのである。それから子供は男女を問わず、両親の意志や感情通りに、一日のうちに何回でも聾と唖と腰ぬけと盲目とになることが出来るのである。それから甲の友人は乙の友人よりも貧乏にならず、同時に又乙の友人は甲の友人よりも金持ちにならず、互いに相手を褒め合うことに無上の満足を感ずるのである。それから――ざっとこう云う処を思えば好い。

 これは何もわたし一人の地上楽園たるばかりではない。同時に又天下に充満した善男善女の地上楽園である。唯古来の詩人や学者はその金色の瞑想めいそうの中にこう云う光景を夢みなかった。夢みなかったのは別に不思議ではない。こう云う光景は夢みるにさえ、余りに真実の幸福に溢れすぎているからである。

 附記 わたしの甥はレムブラントの肖像画を買うことを夢みている。しかし彼の小遣いを十円貰うことは夢みていない。これも十円の小遣いは余りに真実の幸福に溢れすぎているからである。


【青空文庫】

岩波書店刊「芥川龍之介全集」1977年〜1978年より

posted by koinu at 16:30| 東京 ☁| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

斉藤茂吉の短歌

・かりがねも既にわたらずあまの原かぎりも知らに雪ふりみだる

・最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも

・人皆のなげく時代に生きのこりわが眉の毛も白くなりにき

・オリーヴのあぶらの如き悲しみを彼の使徒もつねに持ちてゐたりや

・歌ひとつ作りて涙ぐむことあり世の現身よ面をな見そ

・道のべにヒマの花咲きたりしこと何か罪ふかき感じのごとく

・くらがりの中におちいる罪ふかき世紀にゐたる吾もひとりぞ


・朝あけて 船より鳴れるふとぶえの

・こだまは長し なみよろう山

・遠田のかわず 天に聞こゆる

・空海の まだ若かりし像を見て

・われ去りかねき 今のうつつに

・のど赤き 玄鳥ふたつ屋梁にゐて

・最上川の 上空にして残れるは

・いまだうつくしき 虹の断片

・ふぶくゆふべと なりにけるかも



斉藤茂吉(1882‐1953)

近代短歌の第一人者で、日本の近代精神を体現した文学者。40年にわたる作歌活動から生まれた全短歌。初期の生命感の躍動するなまの表現から、次第に複雑な人生の味わいをたたえる沈静へと移ってゆく。

posted by koinu at 10:50| 東京 ☁| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月06日

色彩あふれている空間

1BE57003-7884-40C3-AD0E-BD91C1267AC4.jpeg
色調を見ていただきました。
posted by koinu at 14:00| 東京 ☀| 観測 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神秘な世界

5A209A55-EB1C-4D84-8682-E12115D1D180.jpeg
posted by koinu at 07:27| 東京 ☀| 観測 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月05日

芥川龍之介「神秘主義」

 神秘主義は文明の為に衰退し去るものではない。寧ろ文明は神秘主義に長足の進歩を与えるものである。

 古人は我々人間の先祖はアダムであると信じていた。と云う意味は創世記を信じていたと云うことである。今人は既に中学生さえ、猿であると信じている。と云う意味はダアウインの著書を信じていると云うことである。つまり書物を信ずることは今人も古人も変りはない。その上古人は少くとも創世記に目を曝さらしていた。今人は少数の専門家を除き、ダアウインの著書も読まぬ癖に、恬然とその説を信じている。猿を先祖とすることはエホバの息吹きのかかった土、――アダムを先祖とすることよりも、光彩に富んだ信念ではない。しかも今人は悉くこう云う信念に安んじている。

 これは進化論ばかりではない。地球は円いと云うことさえ、ほんとうに知っているものは少数である。大多数は何時か教えられたように、円いと一図に信じているのに過ぎない。なぜ円いかと問いつめて見れば、上愚は総理大臣から下愚は腰弁に至る迄、説明の出来ないことは事実である。

 次ぎにもう一つ例を挙げれば、今人は誰も古人のように幽霊の実在を信ずるものはない。しかし幽霊を見たと云う話は未いまだに時々伝えられる。ではなぜその話を信じないのか? 幽霊などを見る者は迷信に囚とらわれて居るからである。ではなぜ迷信に捉われているのか? 幽霊などを見るからである。こう云う今人の論法は勿論もちろん所謂いわゆる循環論法に過ぎない。

 況んや更にこみ入った問題は全然信念の上に立脚している。我々は理性に耳を借さない。いや、理性を超越した何物かのみに耳を借すのである。何物かに、――わたしは「何物か」と云う以前に、ふさわしい名前さえ発見出来ない。もし強いて名づけるとすれば、薔薇とか魚とか蝋燭とか、象徴を用うるばかりである。たとえば我々の帽子でも好い。我々は羽根のついた帽子をかぶらず、ソフトや中折をかぶるように、祖先の猿だったことを信じ、幽霊の実在しないことを信じ、地球の円いことを信じている。もし嘘うそと思う人は日本に於けるアインシュタイン博士、或はその相対性原理の歓迎されたことを考えるが好い。あれは神秘主義の祭である。不可解なる荘厳の儀式である。何の為に熱狂したのかは「改造」社主の山本氏さえ知らない。

 すると偉大なる神秘主義者はスウエデンボルグだのベエメだのではない。実は我々文明の民である。同時に又我々の信念も三越の飾り窓と選ぶところはない。我々の信念を支配するものは常に捉え難い流行である。或は神意に似た好悪である。実際又西施せいしや竜陽君の祖先もやはり猿だったと考えることは多少の満足を与えないでもない。



【青空文庫】「神秘主義」

岩波書店刊「芥川龍之介全集」1977(昭和52)年〜1978(昭和53)年より

posted by koinu at 19:00| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『エピクロスの園』アナトール・フランス・大塚幸男訳(岩波文庫)

LE Jardin d'Épicure ,Anatole France 


わたくしが前提としているのは、歴史家は確実な証言を眼の前にしているが、実際には欺かれるものであるということ、そして歴史家がある証人を信用したり、他の証人を信用しなかったりするのは、感情上の諸理由によってにすぎないということである。

歴史は科学ではない。藝術である。

歴史においては想像力によってしか成功できない。(97P)断章 歴史



「皮肉」と「憐れみ」とはふたりのよき助言者である。前者は、ほほえみながら、人生を愛すべきものにしてくれ、後者は、泣いて、人生を聖なるものにしてくれる。わたくしがその加護を祈る「皮肉」は残酷なものではない。それは愛をも美をもあざけりはしない。それはやさしく、親切である。 

B2BA1A22-CD67-4A79-BCCF-7CE5E0444854.jpeg
『エピクロスの園』アナトール・フランス・大塚幸男訳(岩波文庫)


【目次】

断章

女子修道院について

昨晩、アルファベットの起原について幽霊と交わした対話

女子教育について

奇蹟について

カルタの城

エリュシオンの野にて

アリストとポリフィル―形而上学的言葉づかい

小修道院にて


作家アナトール・フランスは思想的には懐疑主義の流れを継ぐ自由思想家といわれる.本書はその随想集.宇宙全体がはしばみの実くらいに縮んだとしても,人類はそれに気づくことはないだろうという「星」をはじめ,さまざまな題材を用いて洒脱にその人生観を述べている.芥川はこの書の影響を受けて『侏儒の言葉』を書いた.


試煉は万人にとってひとしくはない。

生まれたかと思うとすぐ死ぬ子供や、白痴や、狂人にとって、人生の試煉とは何であるか?

これらの反対意見にはすぐ答えられてきた。

今も常に答がなされているが、あれほどたびたび答を繰り返さなければならないところを見ると、答は非常に立派なものではないと思わなければならない。

人生は試験場のようなものではない。人生は、むしろ広大な陶器製作所に似ている。


ここでは何のためだかわからない用途のためにあらゆる種類の器が造られているが、それらの器のいくつかは、鋳型の中でこわれて、一度も使用されることなく、価値のない破片として投げ捨てられる。


そしてそれ以外の器は馬鹿げたことや嫌悪を催させるようなことにしか用いられない。こうした壺が、われわれである。



アナトール・フランス 

1844年4月16日 - 1924年10月12日

フランスの詩人・小説家・批評家。本名はジャック・アナトール・フランソワ・ティボー(フランス語: Jacques Anatole François Thibault)。パリ出身。アカデミー・フランセーズの会員を務め、ノーベル文学賞を受賞した。代表作は『シルヴェストル・ボナールの罪。【ウィキペディア】

posted by koinu at 13:00| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『侏儒の言葉』芥川龍之介

   弁護


 他人を弁護するよりも自己を弁護するのは困難である。疑うものは弁護士を見よ。


   女人


 健全なる理性は命令している。――「爾なんじ、女人を近づくる勿なかれ。」

 しかし健全なる本能は全然反対に命令している。――「爾、女人を避くる勿れ。」


 女人は我我男子には正に人生そのものである。即ち諸悪の根源である。


   理性


 わたしはヴォルテェルを軽蔑している。若し理性に終始するとすれば、我我は我我の存在に満腔まんこうの呪咀を加えなければならぬ。しかし世界の賞讃に酔った Candide の作者の幸福さは!


   自然


 我我の自然を愛する所以は、――少くともその所以の一つは自然は我我人間のように妬んだり欺いたりしないからである。


   処世術


 最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。


   女人崇拝


「永遠に女性なるもの」を崇拝したゲエテは確かに仕合せものの一人だった。が、Yahoo の牝を軽蔑したスウィフトは狂死せずにはいなかったのである。これは女性の呪のろいであろうか? 或は又理性の呪いであろうか?


   理性


 理性のわたしに教えたものは畢竟理性の無力だった。


   運命


 運命は偶然よりも必然である。「運命は性格の中にある」と云う言葉は決して等閑に生まれたものではない。


   教授


 若し医家の用語を借りれば、苟しも文芸を講ずるには臨床的でなければならぬ筈である。しかも彼等は未だ嘗かつて人生の脈搏に触れたことはない。殊に彼等の或るものは英仏の文芸には通じても彼等を生んだ祖国の文芸には通じていないと称している。



   宿命


 宿命は後悔の子かも知れない。――或は後悔は宿命の子かも知れない。


   彼の幸福


 彼の幸福は彼自身の教養のないことに存している。同時に又彼の不幸も、――ああ、何と云う退屈さ加減!


   小説家


 最も善い小説家は「世故せこに通じた詩人」である。


   言葉


 あらゆる言葉は銭のように必ず両面を具そなえている。例えば「敏感な」と云う言葉の一面は畢竟ひっきょう「臆病おくびょうな」と云うことに過ぎない。


   或物質主義者の信条


「わたしは神を信じていない。しかし神経を信じている。」


   阿呆


 阿呆はいつも彼以外の人人を悉ごとく阿呆と考えている。


   処世的才能


 何と言っても「憎悪する」ことは処世的才能の一つである。


   懺悔


 古人は神の前に懺悔した。今人は社会の前に懺悔している。すると阿呆や悪党を除けば、何びとも何かに懺悔せずには娑婆苦に堪えることは出来ないのかも知れない。



   或理想主義者


 彼は彼自身の現実主義者であることに少しも疑惑を抱いたことはなかった。しかしこう云う彼自身は畢竟理想化した彼自身だった。


   恐怖


 我我に武器を執とらしめるものはいつも敵に対する恐怖である。しかも屡しばしば実在しない架空の敵に対する恐怖である。



   恋愛


 恋愛は唯ただ性慾の詩的表現を受けたものである。少くとも詩的表現を受けない性慾は恋愛と呼ぶに価いしない。


   革命


 革命の上に革命を加えよ。然しからば我等は今日よりも合理的に娑婆苦を嘗なむることを得べし。


   死


 マインレンデルは頗すこぶる正確に死の魅力を記述している。実際我我は何かの拍子に死の魅力を感じたが最後、容易にその圏外に逃れることは出来ない。のみならず同心円をめぐるようにじりじり死の前へ歩み寄るのである。


   「いろは」短歌


 我我の生活に欠くべからざる思想は或は「いろは」短歌に尽きているかも知れない。


   運命


 遺伝、境遇、偶然、――我我の運命を司るものは畢竟ひっきょうこの三者である。自ら喜ぶものは喜んでも善い。しかし他を云々するのは僣越せんえつである。


   嘲けるもの


 他を嘲けるものは同時に又他に嘲られることを恐れるものである。


   或才子


 彼は悪党になることは出来ても、阿呆になることは出来ないと信じていた。が、何年かたって見ると、少しも悪党になれなかったばかりか、いつも唯ただ阿呆に終始していた。


   希臘人


 復讐の神をジュピタアの上に置いたギリシア人よ。君たちは何も彼も知り悉くしていた。

 しかしこれは同時に又如何に我我人間の進歩の遅いかと云うことを示すものである。



   無意識


 我我の性格上の特色は、――少くとも最も著しい特色は我我の意識を超越している。


   矜誇


 我我の最も誇りたいのは我我の持っていないものだけである。実例。――Tは独逸語に堪能たんのうだった。が、彼の机上にあるのはいつも英語の本ばかりだった。


   偶像


 何びとも偶像を破壊することに異存を持っているものはない。同時に又彼自身を偶像にすることに異存を持っているものもない。

 しかし又泰然と偶像になり了おおせることは何びとにも出来ることではない。勿論天運を除外例としても。


   天国の民


 天国の民は何よりも先に胃袋や生殖器を持っていない筈はずである。


   或仕合せ者


 彼は誰よりも単純だった。


   人生


 革命に革命を重ねたとしても、我我人間の生活は「選ばれたる少数」を除きさえすれば、いつも暗澹あんたんとしている筈である。しかも「選ばれたる少数」とは「阿呆と悪党と」の異名に過ぎない。


   民衆


 シェクスピイアも、ゲエテも、李太白も、近松門左衛門も滅びるであろう。しかし芸術は民衆の中に必ず種子を残している。わたしは大正十二年に「たとい玉は砕けても、瓦は砕けない」と云うことを書いた。この確信は今日でも未だに少しも揺がずにいる。

 打ち下ろすハンマアのリズムを聞け。あのリズムの存する限り、芸術は永遠に滅びないであろう。(昭和改元の第一日)


 わたしは勿論失敗だった。が、わたしを造り出したものは必ず又誰かを作り出すであろう。一本の木の枯れることは極めて区々たる問題に過ぎない。無数の種子を宿している、大きい地面が存在する限りは。 (同上)


   或夜の感想


 眠りは死よりも愉快である。少くとも容易には違いあるまい。 (昭和改元の第二日)



【青空文庫】

岩波書店刊「芥川龍之介全集」1977年〜1978年より

posted by koinu at 09:29| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月04日

走る白いイヌ

51C13445-DE0A-40FC-B9BB-22A42B364A08.jpeg
観た雲が、
それ以上の意味を持つ可能性。
454E34B9-0794-4B53-9C82-F9C9A3CEA708.jpeg
posted by koinu at 07:32| 東京 ☀| 観測 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月03日

白鷺が佇む川辺

8CC9179B-956D-4132-BF39-673C4F2D1138.jpeg
水流などを観察している様子である。
posted by koinu at 15:00| 東京 ☀| 観測 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大地に豊かな恵みあれ

大地に豊かな恵みあれ。

水を吸い上げた植物が果実や種を産み、

鳥たちは世界に種子を運ぶだろう。

繁栄と安定こそ我の望み」


27245278-68BE-41A6-93AD-57290BB331BC.jpeg


3次元の大地を支配するのは、女帝であった。

「地」の女性原理を実体化させ、生産→拡散→回帰という△サイクルを示している。

物質世界を安定させた三角形の原理の立体化はピラミッドである。

不変的な安定する形には、地球のプログラムが記されているといわれる。

posted by koinu at 10:00| 東京 ☀| 観測 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする