2020年02月02日

われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。

最果タヒ「商業主義」

暗闇の中で流れていく川の水は掌のよう。

怒りがすべて声に昇華されていく乾燥した冬の、私たちが履いているブーツが春の代わりに足音を立てている。

こきまま誰もいないまま、この街が廃れてくれたなら私たちは永遠にここに暮らすつもりだったんだ。

約束できないまま、笑っている、持ってきた商品はどれも売れやしなかったけれど、あなたはどうして幸福なのかって、精神論を持ち出さないで答えてほしい。私の心に、銀細工の湧く泉を見つけたからって、答えてほしかった。

美しく磨かれた美術品、貧乏になった美術館から火事になる。

潔癖な人が言ったおとぎ話を信じて早死にしたあの子は、天国などないのに天国で笑っていて、要するに迷子になってしまった。

あなたが見ている美しい夕焼けは、241円の価値があるの。わあ、値段が素数だね!美しいって言えよ。

(「 現代詩手帖」2020年02月号)


NHKノーナレ「謎の詩人 最果タヒ」が2020年2月3日(月)22時50分から放送される。


2/10、22時からのNHK「グレーテルのかまど」は、「最果タヒのチョコレートパフェ」です。チョコレートパフェ、昨日食べたばっかだわ……。吉岡里帆さんが詩を朗読してくださるそうなのです、うれしいな……。

http://tahi.jp/



「最果タヒ展 われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。」

2020年6月17日(水)〜7月5日(日) 京都文化博物館 別館ホール


最果 タヒ(さいはて たひ、1986年 - )

日本の詩人、小説家。女性。兵庫県神戸市生まれ。

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2020年02月01日

憎しみの連鎖を描く絵本「終わりの無い物語」

憎しみの連鎖を断ち切るために

世界各地で起きる戦争と止むことのない殺戮。 

アメリカは対テロ戦争の一環としてイラク戦争へ烽火を上げた。テロリストを殲滅するために、多くの犠牲者を出してイラクを攻撃した。

国家にとって自国の領土拡大、イデオロギーや宗教、経済的覇権を握るために戦争という方法が取られている。 


しかし「戦争をしない」という意志を個人も国家も持たない限り、憎しみの連鎖は止められないだろう。 

どんな非人間的なことをされようと、恨みや憎しみ悲しみをはらすための報復は行わないことだ。 

それらを一切破棄しないかぎり、憎しみの無限連鎖はとまらない。 

人が新たな精神構造をつくり上げない限り、戦争は無くならないだろう。


絵本「終わりの無い物語」

https://www.j15.org/Picturebook-Endlessstory/index.html


リンクしていただきました記事は、訳があって消えてしまいました。再び記事を逆コーピーして掲載させていただきました。

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2020年01月25日

荘子「大きな瓢箪の使いかた」

 恵子がこんな話をして荘子を皮肉った。

「以前、魏王から大きな瓢箪の種をもらったことがある。それを蒔いて実が成ったんだが、なるほど馬鹿でかい実で、中に五石も入るほどだ。ところが水を入れると、重くてとても持ち上げられない。二つに割って、柄杓にしてみたんだが、大きすぎて水瓶の中に入らない。大きい事は大きいが何の役にも立たないから、叩き割ってしまったよ」


 荘子はやり返した。

「君は全く、大きなものの使い方が下手だな。こんな話があるよ。宋の国に代々麻を水に晒して生活している男がいた。商売柄その男の家にはアカギレの妙薬の秘伝が伝わっていた。ある旅人がそれを聞きつけて、薬の製法を百両で買いたいと申し出た。そこで男は一族を集めて相談した。

『俺たちは代々、麻を晒してきたが、儲けときたら、年に五六両がいいとこだ。今このアカギレの薬がなんと百両に売れるんだ。どうだ、ひとつ話に乗ろうじゃないか』

一方薬の製法を手に入れた旅人は呉の国に赴いて呉王に薬の効用を説いた。

越が呉に攻め入ったとき、呉王はその男を将軍に起用し、冬の最中、わざと水上に越軍を迎え撃った。アカギレの妙薬のおかげで呉は越に大勝した。呉王は褒美として男に封地を与えた。


いいかね。薬の効能は同じでも、一人は封地を与えられ、一人は相変わらずしがない稼業。物は使いよう一つなのだ。

五石も入る瓢箪を持っていたのなら、なぜそれを舟にしたてて揚子江や洞庭湖に気ままに浮かぶことを思いつかないのだ?  大きすぎて水瓶に入らないなどとぼやくようでは、自分が常識にとらわれている人間だということを白状しているようなものではないか」


岸 陽子『中国の思想 荘子』(徳間書店)より

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荘子【明鏡止水】

【徳充符篇】

語られる人物二人とも五体満足ではないが、徳の充ちたる者で為政者たちは教えに感動して心惹かれてしまう。徳の充ちたる者とは?


《これらの例によっても明らかなように、徳が長ずるにしたがってかえって、人は形を忘れてゆく。逆に、形を忘れない者は徳を忘れる。これこそ真の忘失というものだ。


 従って全き徳を抱く聖人は何ものにもとらわれぬ。かれは知をひこばえ[樹木の切り株や根元から生えてくる若芽]のことのようなものと見る。規範を膠のようなものと見る。世俗の道徳を補足と見る。作為を商取引と見る。聖人にとって、これらは無用の長物だ。


 何ひとつ意図しない人間は必要としない。いっさいを分別しない人間は規範を必要としない。本性を損なわない人間は補足を必要としない。自己を売り物にしない人間は取引を必要としない。この「意図しない、分別しない、本性を損なわない、自己を売りものにしない」の四つを「天鬻(てんいく)」という。つまり、天に養われることである。天に養われるからには、あらためて人為によって養う必要がどこにあろう。


 聖人とは、人間の形を持ちながら人間の情を持たぬ存在だ。かれは人間の形を持つがゆえに、人間社会に生きる。しかし、人間の情を持たぬから是非にとらわれない。聖人といえども、一個の人間としては微々たる存在にすぎない。だがかれのみが自然と一体化して、その限りない偉大さをわがものとなし得るのである。》

出典:岸陽子『中国の思想 荘子』

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 途中から「道」の体得者の話になって、徳の充ちたる者=聖人という。そして『荘子』のいうところの聖人は、儒家の聖人である孔子ですら感服して教えを請いたいと思わせる魅力を持っている。


【明鏡止水】

《「荘子」徳充符から》曇りのない鏡と静かな水。なんのわだかまりもなく、澄みきって静かな心の状態。

「明鏡」と「止水」に分かれる。

『鏡に曇りなく澄んでいれば、塵垢は付かず、塵垢がつけば鏡は曇る。』というが、長らく賢人と一緒にいて、鏡の曇りを拭い去ってもらうと、塵垢のような過ちもなくなるもの。


原文は《『鑑明則塵垢不止,止則不明也。久與賢人處則無過。』》。

曇りなき鏡のように澄んでいる賢人(=聖人)は彼と接している人々の塵垢(過ち)も無くすことができる。


「止水」とは。

人は誰しも、流れ動く水に顔を映して見ようとはせず、静止した水に顔を映そうとする。このように、ただ静かな心だけが、静けさを求める多くの人々に静けさを与えて、彼らを引きつけることができる。


原文は《人莫鑑於流水而鑑於止水,唯止能止衆止》


 聖人は止まっている水のような静かな心を持つのだが、そういった心を持つ者は静けさを求める多くの人々を惹き付ける。大辞泉では明鏡止水の意味《なんのわだかまりもなく、澄みきって静かな心の状態をいう》は「道」を体得した者の心理状態である。

徳の枯れた者とは濁った愚痴スープの沼へと、ずぶずぶと溺れるのだった〔笑〕。

荘子の視点は現代社会では忘れがちなことだらけだ。

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2020年01月24日

『ペスト』(La Peste)アルベール・カミュ

アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。

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【本文冒頭より】

この記録の主題をなす奇異な事件は、一九四*年、オラン(訳注 アルジェリアの要港)に起った。通常というには少々けたはずれの事件なのに、起った場所がそれにふさわしくないというのが一般の意見である。最初見た眼には、オランはなるほど通常の町であり、アルジェリア海岸におけるフランスの一県庁所在地以上の何ものでもない。 

町それ自身、なんとしても、みすぼらしい町といわねばならぬ。見たところただ平穏な町であり、地球上どこにでもある他の多くの商業都市と違っている点に気づくためには、多少の時日を要する。 

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【あらすじ】

死者が出はじめて、新聞やラジオが報じると町はパニックになる。やがて死者の数は増えてゆくと、楽観視してた市当局も対応に追われる。

そして町は外部と完全に遮断された。脱出不可能の状況で、市民の精神状態も困憊してしまう。

新聞記者ランベールが妻の待つパリに脱出したいと、密輸業者を紹介する逃亡者コルタールは町を出る気はなかった。パヌルー神父は、ペストの発生は人々の罪のせいで悔い改めよと説教していた。一方、リウー、タルー、グランは必死に患者の治療を続ける。タルーは志願の保険隊を組織した。

ランベールは脱出計画をリウー、タルーに打ち明けるが、彼らは町を離れる気はない。やらねばならない仕事が残っているからだ。リウーの妻も町の外にいて、病気療養中だと聞かされる。ランベールは考えを改めて、リウーたちに手伝いを申し出るのだった。

少年が苦しみながら死んだ。それは罪のせいと語るパヌルーに、リウーは抗議する。罪なき者はこの世にはいないのかも知れない。パヌルーもまたペストで死んでしまうのだから。


災厄は突然潮が退いたように終息する。人々は元の生活に戻ってゆく。ランベールは妻と再会して、コタールは警察に逮捕される。流行は過ぎたはずなのに、タルーは病気で死んでしまう。そして、リウーは療養中の妻が死んだと知らされるのだった。


カミュ(1913-1960) 

アルジェリア生れ。フランス人入植者の父が幼時に戦死、不自由な子供時代を送る。高等中学(リセ)の師の影響で文学に目覚める。アルジェ大学卒業後、新聞記者となり、第2次大戦時は反戦記事を書き活躍。またアマチュア劇団の活動に情熱を注ぐ。1942年『異邦人』が絶賛され、『ペスト』『カリギュラ』等で地位を固めるが、1951年『反抗的人間』を巡りサルトルと論争し、次第に孤立。以後、持病の肺病と闘いつつ、『転落』等を発表。1957年ノーベル文学賞受賞。19601月パリ近郊において交通事故で死亡。 


【ニュース】

新型コロナウィルスの感染拡大を食い止めるべく、中国の当局が発生源とされる武漢市の実質的な「封鎖」に踏み切った。しかし、すでに武漢市外のみならず日本や米国を含む海外へも感染が広がりつつあるなか、専門家らは今回の施策の実効性に疑問を呈している。それどころか、隔離された武漢市内での感染拡大によって事態が悪化する可能性すらあるかもしれない。


中華街や南京町を舞台にした、感染ドラマがノートに描かれている。

物語の骨格はノーベル文学賞を受賞したカミュの代表作。1947年刊行された作者40歳代の圧倒的な感染小説作品は、現代にも生きている。

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2020年01月19日

アープレーイユス『黄金の驢馬』呉 茂一, 国原 吉之助翻訳 (岩波文庫)

 唯一完全な形で伝わるローマ時代のラテン語小説。梟に化けるつもりが驢馬になってしまい、おかげで浮世の辛酸をしこたま嘗める主人公。作者の皮肉な視点や批評意識も感じられ、社会の裏面が容赦なく描き出されており、2世紀の作品ながら読んでいて飽きさせない。挿話「クピードーとプシューケーの物語」はとりわけ名高い。

 テッサリアで或る屋敷に泊まることになった青年ルキウス。館主の妻は魔法使いで、梟に化けて空を飛び回わる。侍女となじみになって、ルキウスは変身を企てた。だが、になるはずが驢馬(ロバ)になってしまった。そこへ押し入り強盗がやってきて、驢馬の姿になったままルキウスは連れて行かれて長いヘンテコな冒険の旅となるのだった。


 魔法の窓を開けられない間抜けな愚者として、面白可笑しく描かれるロバの様は現代ドラマと寸分変わらないか、それ以上に滑稽である。


 ソークラテースの首を外側に向けかえ、左のあぎとへ剣をずっぷりと柄までも突っ込むと、噴き出る血潮をていねいに小さい水袋をあてがって、ひとしずくも外へ洩れないように受けとりましたが、これを私は自分の眼で見ていたのです。…御親切なメロエーは、右の手を奥深く傷口から内臓までさし込み、私の哀れな部屋友達の心臓を探りまわして引きずりだした。(23ページ)


 こう頼み込まれて、予言者は一つの小さな薬草をとって死骸の口にあてがい、もう一つをその胸に置きました。それから…。するとそのうち胸がふくれてもちあがる、今度は脈が生き生きと打ちめぐり出す、見る見る死んだむくろに生気がみちわたってくる。とうとう屍は起き上がって…。(83ページ)

(岩波文庫)2013年刊行


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 寓話の要素が巧みに織りなされるエピソードが、予想外の結末に満ちている。愚者の行為をネタにした機智ある語り部。それらの伏線が見事にに回収される展開は、爽快な切れ味を感じる推理ドラマの王道を想う。


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2020年01月18日

『サイレント映画の黄金時代』ケヴィン・ブラウンロウ

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46章まで目を通してたら、アベル・ガンス監督へ本書を捧げている。4時間を超えるサイレン映画『鉄路の白薔薇 - La Roue (1923)』は、観る方も「カラマゾフの兄弟」を読破するエネルギーがいるけれど、どちらも娯楽作品として創作されている。映画メディアの進化を想うと、モノクロの無声映画には煌めく宝石のように埋没したもの、現在の映画製作では叶わない作品がザクザクとあるのが愛情たっぷり探究されている。

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ケヴィン・ブラウンロウと『サイレント映画の黄金時代』岡島尚志

1 はじめに 

2章 草創期

3章 初期のヴァイタグラフ社 

4章 実験者たち 

5章 ハリウッドのあけぼの 

6 『国民の創生』から『イントレランス』へ 

7章 監督 

8章 D・W・グリフィス 

9章 アラン・ドワン 

10章 ヘンリー・キング 

11章 メリー・ピックフォード 

12章 クラレンス・ブラウン 

13章 エドワード・スローマンの失われた仕事 

14章 ウィリアム・ウェルマン 

15章 セシル・B・デミル 

16章 ジョゼフ・フォン・スタンバーグ 

17章 キャメラマン 

18章 チャールズ・ロシャー 

19章 映画美術 

20章 『ロビン・フッド』のダグラス・フェアバンクス 

21章 映画の王道、あるいはメロドラマの呪い 

22章 シナリオ 

23章 編集――隠れた力 

24章 染色と字幕――サイレントならではの二つの技術  

25章 マーガレット・ブース 

26章 ウィリアム・ホーンベック

27章 サイレント映画のスタントマン 

28章 彼らなしでは映画は作れない 

29章 過酷な仕事 

30章 サイレント映画はサイレントにあらず 

31章 演技

32章 スター 

33章 ジェラルディン・ファラー 

34章 グロリア・スワンソン 

35章 ベティ・ブライス 

36章 壮大なる大混乱――『ベン・ハー』 

37章 製作者 

38章 ルイ・B・メイヤーとアーヴィング・タルバーグ 

39章 デイヴィッド・O・セルズニック

40章 去年の笑いいまいずこ  

41章 レジナルド・デニー 

42章 ハロルド・ロイド 

43章 バスター・キートン 

44章 チャップリン 

45章 ヨーロッパのサイレント映画 

46章 アベル・ガンス 

47章 トーキー

謝辞  


附録 サイレント期アメリカ映画人名事典


訳者あとがき  

索引(人名・映画題名)


https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336065377/


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2020年01月16日

Blanqui の夢 芥川龍之介

 悲劇とはみずから羞ずる所業を敢えてしなければならぬことである。この故に万人に共通する悲劇は排泄作用を行うことである。


 火星の住民の有無を問うことは我我の五感に感ずることの出来る住民の有無を問うことである。しかし生命は必ずしも我我の五感に感ずることの出来る条件を具えるとは限っていない。もし火星の住民も我我の五感を超越した存在を保っているとすれば、彼等の一群は今夜も亦篠懸を黄ばませる秋風と共に銀座へ来ているかも知れないのである。



   Blanqui の夢

 宇宙の大は無限である。が、宇宙を造るものは六十幾つかの元素である。是等これらの元素の結合は如何に多数を極めたとしても、畢竟有限を脱することは出来ない。すると是等の元素から無限大の宇宙を造る為には、あらゆる結合を試みる外にも、その又あらゆる結合を無限に反覆して行かなければならぬ。して見れば我我の棲息する地球も、――是等の結合の一つたる地球も太陽系中の一惑星に限らず、無限に存在している筈はずである。この地球上のナポレオンはマレンゴオの戦に大勝を博した。が、茫々たる大虚に浮んだ他の地球上のナポレオンは同じマレンゴオの戦に大敗を蒙むっているかも知れない。……

 これは六十七歳のブランキの夢みた宇宙観である。議論の是非は問う所ではない。唯ただブランキは牢獄の中にこう云う夢をペンにした時、あらゆる革命に絶望していた。このことだけは今日もなお何か我我の心の底へ滲しみ渡る寂しさを蓄えている。夢は既に地上から去った。我我も慰めを求める為には何万億哩マイルの天上へ、――宇宙の夜に懸った第二の地球へ輝かしい夢を移さなければならぬ。


岩波書店刊「芥川龍之介全集」1977年〜1978年より



《青空文庫》では有難いことに、過去の作家さんの文章が公開されている。これは文化遺産であると思う。

しかしTPPに加入すると、著作権が延期になって公開がされないまま忘れて去られてしまう可能性がある。

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2020年01月09日

谷崎潤一郎 『猫と庄造と二人のおんな』

1936年(昭和11年)雑誌『改造』1月号と7月号掲載。単行本は1937年(昭和12年)7月創元社より刊行。


あらすじ【Wikipedia】より

庄造の前妻・品子は現在の妻・福子に対し、雌猫のリリーを譲って欲しいという手紙を出した。福子は夫の庄造に「譲ってあげなさい」と言うが、彼にはそういう意志は無い。福子は自分以上にリリーが夫に大事にされている状況に耐えられなかったのだ。夫婦喧嘩の末に庄造は猫を品子に譲る事に同意する。


リリーは以前にも他人に譲られた事があったが、その時も自らの意志で庄造のもとに戻って来たので、彼は今回もそうなるだろうと期待していた。リリーが品子の所に移って、庄造は雌猫を思い出しては懐かしんだ。品子のもとに到着したばかりのリリーは品子になつかず、彼女の思った通りに動いてくれない。猫の面倒を診る事がこんなに大変だとは彼女にしてみれば予想外だった。しかし次第に両者ともに打ち解け合い、品子は猫とはこんなにもかわいいものかと思い始める。庄造はリリーが恋しくてたまらず品子の留守中にこっそりと家を訪ねる。虐められていやしないかと心配していたが、意外にもリリーが大切に飼われている痕跡を見つけ安堵する。リリーと久しぶりに会ったのもつかの間、品子が帰宅し、庄造は見つからないよう慌てて家を後にする。【Wikipedia】


谷崎潤一郎 『猫と庄造と二人のおんな』青空文庫

https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/card59232.html


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映画『猫と庄造と二人のをんな』 1956(昭和31)東宝

1956 (昭31)年キネマ旬報ベストテン第4位)/第7回ブルーリボン賞作品賞2位・撮影賞(三浦光雄)


<監督>豊田四郎

<製作>滝村和男・佐藤一郎 

<脚本>八住利雄

<撮影>三浦光雄

<音楽>芥川也寸志 

<美術>伊藤熹朔

<録音>藤好昌生

<照明>猪原一郎 

<出演>森繁久彌・山田五十鈴・香川京子・浪花千栄子・林田十郎・南 悠子・•山茶花究 ・芦乃家雁玉・都家かつえ・春江ふかみ・桂 美保・横山エンタツ・平尾隆弘・谷 晃・森利川佳子・万代峰子・田中春男・環美千世・三木のり平・三好栄子・宮田芳子・リリー(猫)


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主演である森繁久彌・山田五十鈴・香川京子たちの、関西人演技が八切れている素晴らしい映画作品です。
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2020年01月07日

「地上楽園」芥川龍之介

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 地上楽園の光景は屡しばしば詩歌にもうたわれている。が、わたしはまだ残念ながら、そう云う詩人の地上楽園に住みたいと思った覚えはない。基督教徒キリストきょうとの地上楽園は畢竟ひっきょう退屈なるパノラマである。黄老の学者の地上楽園もつまりは索漠とした支那料理屋に過ぎない。況んや近代のユウトピアなどは――ウイルヤム・ジェエムスの戦慄せんりつしたことは何びとの記憶にも残っているであろう。

 わたしの夢みている地上楽園はそう云う天然の温室ではない。同時に又そう云う学校を兼ねた食糧や衣服の配給所でもない。唯此処に住んでいれば、両親は子供の成人と共に必ず息を引取るのである。それから男女の兄弟はたとい悪人に生まれるにもしろ、莫迦には決して生まれない結果、少しも迷惑をかけ合わないのである。それから女は妻となるや否や、家畜の魂を宿す為に従順そのものに変るのである。それから子供は男女を問わず、両親の意志や感情通りに、一日のうちに何回でも聾と唖と腰ぬけと盲目とになることが出来るのである。それから甲の友人は乙の友人よりも貧乏にならず、同時に又乙の友人は甲の友人よりも金持ちにならず、互いに相手を褒め合うことに無上の満足を感ずるのである。それから――ざっとこう云う処を思えば好い。

 これは何もわたし一人の地上楽園たるばかりではない。同時に又天下に充満した善男善女の地上楽園である。唯古来の詩人や学者はその金色の瞑想めいそうの中にこう云う光景を夢みなかった。夢みなかったのは別に不思議ではない。こう云う光景は夢みるにさえ、余りに真実の幸福に溢れすぎているからである。

 附記 わたしの甥はレムブラントの肖像画を買うことを夢みている。しかし彼の小遣いを十円貰うことは夢みていない。これも十円の小遣いは余りに真実の幸福に溢れすぎているからである。


【青空文庫】

岩波書店刊「芥川龍之介全集」1977年〜1978年より

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斉藤茂吉の短歌

・かりがねも既にわたらずあまの原かぎりも知らに雪ふりみだる

・最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも

・人皆のなげく時代に生きのこりわが眉の毛も白くなりにき

・オリーヴのあぶらの如き悲しみを彼の使徒もつねに持ちてゐたりや

・歌ひとつ作りて涙ぐむことあり世の現身よ面をな見そ

・道のべにヒマの花咲きたりしこと何か罪ふかき感じのごとく

・くらがりの中におちいる罪ふかき世紀にゐたる吾もひとりぞ


・朝あけて 船より鳴れるふとぶえの

・こだまは長し なみよろう山

・遠田のかわず 天に聞こゆる

・空海の まだ若かりし像を見て

・われ去りかねき 今のうつつに

・のど赤き 玄鳥ふたつ屋梁にゐて

・最上川の 上空にして残れるは

・いまだうつくしき 虹の断片

・ふぶくゆふべと なりにけるかも



斉藤茂吉(1882‐1953)

近代短歌の第一人者で、日本の近代精神を体現した文学者。40年にわたる作歌活動から生まれた全短歌。初期の生命感の躍動するなまの表現から、次第に複雑な人生の味わいをたたえる沈静へと移ってゆく。

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2020年01月05日

芥川龍之介「神秘主義」

 神秘主義は文明の為に衰退し去るものではない。寧ろ文明は神秘主義に長足の進歩を与えるものである。

 古人は我々人間の先祖はアダムであると信じていた。と云う意味は創世記を信じていたと云うことである。今人は既に中学生さえ、猿であると信じている。と云う意味はダアウインの著書を信じていると云うことである。つまり書物を信ずることは今人も古人も変りはない。その上古人は少くとも創世記に目を曝さらしていた。今人は少数の専門家を除き、ダアウインの著書も読まぬ癖に、恬然とその説を信じている。猿を先祖とすることはエホバの息吹きのかかった土、――アダムを先祖とすることよりも、光彩に富んだ信念ではない。しかも今人は悉くこう云う信念に安んじている。

 これは進化論ばかりではない。地球は円いと云うことさえ、ほんとうに知っているものは少数である。大多数は何時か教えられたように、円いと一図に信じているのに過ぎない。なぜ円いかと問いつめて見れば、上愚は総理大臣から下愚は腰弁に至る迄、説明の出来ないことは事実である。

 次ぎにもう一つ例を挙げれば、今人は誰も古人のように幽霊の実在を信ずるものはない。しかし幽霊を見たと云う話は未いまだに時々伝えられる。ではなぜその話を信じないのか? 幽霊などを見る者は迷信に囚とらわれて居るからである。ではなぜ迷信に捉われているのか? 幽霊などを見るからである。こう云う今人の論法は勿論もちろん所謂いわゆる循環論法に過ぎない。

 況んや更にこみ入った問題は全然信念の上に立脚している。我々は理性に耳を借さない。いや、理性を超越した何物かのみに耳を借すのである。何物かに、――わたしは「何物か」と云う以前に、ふさわしい名前さえ発見出来ない。もし強いて名づけるとすれば、薔薇とか魚とか蝋燭とか、象徴を用うるばかりである。たとえば我々の帽子でも好い。我々は羽根のついた帽子をかぶらず、ソフトや中折をかぶるように、祖先の猿だったことを信じ、幽霊の実在しないことを信じ、地球の円いことを信じている。もし嘘うそと思う人は日本に於けるアインシュタイン博士、或はその相対性原理の歓迎されたことを考えるが好い。あれは神秘主義の祭である。不可解なる荘厳の儀式である。何の為に熱狂したのかは「改造」社主の山本氏さえ知らない。

 すると偉大なる神秘主義者はスウエデンボルグだのベエメだのではない。実は我々文明の民である。同時に又我々の信念も三越の飾り窓と選ぶところはない。我々の信念を支配するものは常に捉え難い流行である。或は神意に似た好悪である。実際又西施せいしや竜陽君の祖先もやはり猿だったと考えることは多少の満足を与えないでもない。



【青空文庫】「神秘主義」

岩波書店刊「芥川龍之介全集」1977(昭和52)年〜1978(昭和53)年より

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『エピクロスの園』アナトール・フランス・大塚幸男訳(岩波文庫)

LE Jardin d'Épicure ,Anatole France 


わたくしが前提としているのは、歴史家は確実な証言を眼の前にしているが、実際には欺かれるものであるということ、そして歴史家がある証人を信用したり、他の証人を信用しなかったりするのは、感情上の諸理由によってにすぎないということである。

歴史は科学ではない。藝術である。

歴史においては想像力によってしか成功できない。(97P)断章 歴史



「皮肉」と「憐れみ」とはふたりのよき助言者である。前者は、ほほえみながら、人生を愛すべきものにしてくれ、後者は、泣いて、人生を聖なるものにしてくれる。わたくしがその加護を祈る「皮肉」は残酷なものではない。それは愛をも美をもあざけりはしない。それはやさしく、親切である。 

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『エピクロスの園』アナトール・フランス・大塚幸男訳(岩波文庫)


【目次】

断章

女子修道院について

昨晩、アルファベットの起原について幽霊と交わした対話

女子教育について

奇蹟について

カルタの城

エリュシオンの野にて

アリストとポリフィル―形而上学的言葉づかい

小修道院にて


作家アナトール・フランスは思想的には懐疑主義の流れを継ぐ自由思想家といわれる.本書はその随想集.宇宙全体がはしばみの実くらいに縮んだとしても,人類はそれに気づくことはないだろうという「星」をはじめ,さまざまな題材を用いて洒脱にその人生観を述べている.芥川はこの書の影響を受けて『侏儒の言葉』を書いた.


試煉は万人にとってひとしくはない。

生まれたかと思うとすぐ死ぬ子供や、白痴や、狂人にとって、人生の試煉とは何であるか?

これらの反対意見にはすぐ答えられてきた。

今も常に答がなされているが、あれほどたびたび答を繰り返さなければならないところを見ると、答は非常に立派なものではないと思わなければならない。

人生は試験場のようなものではない。人生は、むしろ広大な陶器製作所に似ている。


ここでは何のためだかわからない用途のためにあらゆる種類の器が造られているが、それらの器のいくつかは、鋳型の中でこわれて、一度も使用されることなく、価値のない破片として投げ捨てられる。


そしてそれ以外の器は馬鹿げたことや嫌悪を催させるようなことにしか用いられない。こうした壺が、われわれである。



アナトール・フランス 

1844年4月16日 - 1924年10月12日

フランスの詩人・小説家・批評家。本名はジャック・アナトール・フランソワ・ティボー(フランス語: Jacques Anatole François Thibault)。パリ出身。アカデミー・フランセーズの会員を務め、ノーベル文学賞を受賞した。代表作は『シルヴェストル・ボナールの罪。【ウィキペディア】

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『侏儒の言葉』芥川龍之介

   弁護


 他人を弁護するよりも自己を弁護するのは困難である。疑うものは弁護士を見よ。


   女人


 健全なる理性は命令している。――「爾なんじ、女人を近づくる勿なかれ。」

 しかし健全なる本能は全然反対に命令している。――「爾、女人を避くる勿れ。」


 女人は我我男子には正に人生そのものである。即ち諸悪の根源である。


   理性


 わたしはヴォルテェルを軽蔑している。若し理性に終始するとすれば、我我は我我の存在に満腔まんこうの呪咀を加えなければならぬ。しかし世界の賞讃に酔った Candide の作者の幸福さは!


   自然


 我我の自然を愛する所以は、――少くともその所以の一つは自然は我我人間のように妬んだり欺いたりしないからである。


   処世術


 最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。


   女人崇拝


「永遠に女性なるもの」を崇拝したゲエテは確かに仕合せものの一人だった。が、Yahoo の牝を軽蔑したスウィフトは狂死せずにはいなかったのである。これは女性の呪のろいであろうか? 或は又理性の呪いであろうか?


   理性


 理性のわたしに教えたものは畢竟理性の無力だった。


   運命


 運命は偶然よりも必然である。「運命は性格の中にある」と云う言葉は決して等閑に生まれたものではない。


   教授


 若し医家の用語を借りれば、苟しも文芸を講ずるには臨床的でなければならぬ筈である。しかも彼等は未だ嘗かつて人生の脈搏に触れたことはない。殊に彼等の或るものは英仏の文芸には通じても彼等を生んだ祖国の文芸には通じていないと称している。



   宿命


 宿命は後悔の子かも知れない。――或は後悔は宿命の子かも知れない。


   彼の幸福


 彼の幸福は彼自身の教養のないことに存している。同時に又彼の不幸も、――ああ、何と云う退屈さ加減!


   小説家


 最も善い小説家は「世故せこに通じた詩人」である。


   言葉


 あらゆる言葉は銭のように必ず両面を具そなえている。例えば「敏感な」と云う言葉の一面は畢竟ひっきょう「臆病おくびょうな」と云うことに過ぎない。


   或物質主義者の信条


「わたしは神を信じていない。しかし神経を信じている。」


   阿呆


 阿呆はいつも彼以外の人人を悉ごとく阿呆と考えている。


   処世的才能


 何と言っても「憎悪する」ことは処世的才能の一つである。


   懺悔


 古人は神の前に懺悔した。今人は社会の前に懺悔している。すると阿呆や悪党を除けば、何びとも何かに懺悔せずには娑婆苦に堪えることは出来ないのかも知れない。



   或理想主義者


 彼は彼自身の現実主義者であることに少しも疑惑を抱いたことはなかった。しかしこう云う彼自身は畢竟理想化した彼自身だった。


   恐怖


 我我に武器を執とらしめるものはいつも敵に対する恐怖である。しかも屡しばしば実在しない架空の敵に対する恐怖である。



   恋愛


 恋愛は唯ただ性慾の詩的表現を受けたものである。少くとも詩的表現を受けない性慾は恋愛と呼ぶに価いしない。


   革命


 革命の上に革命を加えよ。然しからば我等は今日よりも合理的に娑婆苦を嘗なむることを得べし。


   死


 マインレンデルは頗すこぶる正確に死の魅力を記述している。実際我我は何かの拍子に死の魅力を感じたが最後、容易にその圏外に逃れることは出来ない。のみならず同心円をめぐるようにじりじり死の前へ歩み寄るのである。


   「いろは」短歌


 我我の生活に欠くべからざる思想は或は「いろは」短歌に尽きているかも知れない。


   運命


 遺伝、境遇、偶然、――我我の運命を司るものは畢竟ひっきょうこの三者である。自ら喜ぶものは喜んでも善い。しかし他を云々するのは僣越せんえつである。


   嘲けるもの


 他を嘲けるものは同時に又他に嘲られることを恐れるものである。


   或才子


 彼は悪党になることは出来ても、阿呆になることは出来ないと信じていた。が、何年かたって見ると、少しも悪党になれなかったばかりか、いつも唯ただ阿呆に終始していた。


   希臘人


 復讐の神をジュピタアの上に置いたギリシア人よ。君たちは何も彼も知り悉くしていた。

 しかしこれは同時に又如何に我我人間の進歩の遅いかと云うことを示すものである。



   無意識


 我我の性格上の特色は、――少くとも最も著しい特色は我我の意識を超越している。


   矜誇


 我我の最も誇りたいのは我我の持っていないものだけである。実例。――Tは独逸語に堪能たんのうだった。が、彼の机上にあるのはいつも英語の本ばかりだった。


   偶像


 何びとも偶像を破壊することに異存を持っているものはない。同時に又彼自身を偶像にすることに異存を持っているものもない。

 しかし又泰然と偶像になり了おおせることは何びとにも出来ることではない。勿論天運を除外例としても。


   天国の民


 天国の民は何よりも先に胃袋や生殖器を持っていない筈はずである。


   或仕合せ者


 彼は誰よりも単純だった。


   人生


 革命に革命を重ねたとしても、我我人間の生活は「選ばれたる少数」を除きさえすれば、いつも暗澹あんたんとしている筈である。しかも「選ばれたる少数」とは「阿呆と悪党と」の異名に過ぎない。


   民衆


 シェクスピイアも、ゲエテも、李太白も、近松門左衛門も滅びるであろう。しかし芸術は民衆の中に必ず種子を残している。わたしは大正十二年に「たとい玉は砕けても、瓦は砕けない」と云うことを書いた。この確信は今日でも未だに少しも揺がずにいる。

 打ち下ろすハンマアのリズムを聞け。あのリズムの存する限り、芸術は永遠に滅びないであろう。(昭和改元の第一日)


 わたしは勿論失敗だった。が、わたしを造り出したものは必ず又誰かを作り出すであろう。一本の木の枯れることは極めて区々たる問題に過ぎない。無数の種子を宿している、大きい地面が存在する限りは。 (同上)


   或夜の感想


 眠りは死よりも愉快である。少くとも容易には違いあるまい。 (昭和改元の第二日)



【青空文庫】

岩波書店刊「芥川龍之介全集」1977年〜1978年より

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2020年01月02日

風神の袋宇野浩二

「宇野浩二さんは風神のやうに大きくふくらんだ袋を抱へてゐた。その袋はひとの目には見えない。のぞきこんだとしても、そこには風が吹きすさんでゐただけだらう。ただこの荒ぶる風は文學の風であつた。風のなかにきらきら光るものは、決して俗物がありがたる金銀財宝なんぞではなくて、たれもふりむきもしない人生の廃品にちがひない。それが廃品ゆゑに、宇野さんが人生に見つけた価値観は今日におよんで崩れない。風神の姿はすなはち途方もなくガラクタをぶちまけた空間であった。」

石川淳「風神の袋ーー宇野浩二」より


ユリイカ1988年7月号 特集:石川淳 あるいは文体の魔術 青土社


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「日本幻想文学集成・宇野浩二」

 堀切直人の解説より

《思うに、作者はここで一つのそれなりのベースを設定したといえるのではあるまいか。世間への埋没でも完全な出世間でもない中間的な空間、現実を取り入(ママ)みながら「ドリーマー」を少しずつユーモリストへと成熟させていくための実験的な場を曲がりなりにもつくり上げたのではないか。大正の三十がらみの「ドリーマー」は、いかにも軟弱に見えながら、その実、思いのほか堅固な土俵を築き上げた。そして、こういう土俵がすでに設えられていたからこそ、昭和初期の墜ちた「ドリーマー」たちは、『ゼーロン』の牧野信一にせよ、『弥勒』の稲垣足穂にせよ、『陰獣』の江戸川乱歩にせよ、『貧窮問答』の石川淳にせよ、『木枯の酒倉から』の坂口安吾にせよ、同時代の烈風吹きすさぶ荒寥とした廃墟的世界のなかで、空無に耐え得るような夢を紡ぎつづけることができたのではないか。また、彼らの作品にしきりと出てくる望楼や、下宿部屋や、密室や、酒倉などは、いずれも「夢見る部屋」の後身、あるいは昭和初期におけるそのヴァリエーションといえるのではあるまいか。》

「日本幻想文学集成27 宇野浩二」307P


【宇野浩二の小説】作品解題

屋根裏の法学士(1918年)

大学卒業後5年経っても定職を持たない法学士乙骨三作が主人公で、彼は小説家となることが夢であるが、自負心ばかりが強くて根気や常識に欠け、毎日毎日無為な生活を過ごしているのである。


蔵の中(1918年)

近松秋江の挿話(女好きのうえに着物好きで新しく着物を作っては質屋に持って行くという話)をヒントに構成された小説である。主人公は質入れした着物が気がかりで着物の虫干しをしに自ら質屋に出向き同様に質入れした高級布団にくるまりながら質入れした着物と過去の女性との経緯を回想するという全体構成になっている。全体構成以外の細部は浩二自身の姿を髣髴とさせる描写が多い。例えば、主人公が蒲団に金をかけ蒲団の中で執筆すること、他人の妾となっている女性(加代子がモデル)や女優(渡瀬淳子がモデル)との交渉、ヒステリーで離縁した女(伊沢きみ子がモデル)などである。


苦の世界(1918年〜1921年)

画家住友をめぐる女と金をめぐる苦の世界がテーマ。住友がよし子(伊沢きみ子がモデル)とともに前借を踏み倒して横須賀の芸者屋から駆け落ちして東京渋谷の竹屋の離れに変名で隠れ住んだ時のことから物語が始まる。その時から女のヒステリーに苦しむ「苦の世界」となる。他に本屋の主人山本の母親、よし子の母親と姉、周旋業者里見の妻、半田の妻などのヒステリー女が登場するが、やがてよし子のヒステリーから逃れるため再度よし子を芸者屋に身売りさせ住友は行方をくらましてしまう。それからは芸者屋に支払う損害金や下宿の勘定などなど金に苦しむ「苦の世界」となる。そこに登場するのが、自分の愛人だった芸者を父親に奪い取られた法科大学生鶴丸や千葉県津田沼に芸者あがりの女房と暮らす半田六郎という虚言癖の詐欺師めいた人物、売れない翻訳をして糊口を凌ぎながら困窮した住友に寝場所と食事を提供してくれる文学者志望の木戸参三という友人である。


長い恋仲(1918年)

年中女性問題で苦労している主人公土屋精一郎の初恋の相手澤井千江子は神戸で芸者となり旦那に引かされたり別れたりで男出入りが多い。土屋も何度か金を工面し神戸まで会いに行くがやがて間遠くなり、久しぶりに大阪で再会する。そして彼女が旦那と暮す妾宅に連れて行かれるがなぜか以前のように胸が躍らないのであった。


人心(1920年)

1918年(大正7年)にヒステリーの彼女(伊沢きみ子がモデル)が横浜の芸者屋に身売りした頃から話が始まる。母を赤坂の田丸家(本多家がモデル)に預け浅草の仲戸丈助(中川嘉蔵がモデル)方に下宿し小説執筆に努めようとしたこと、友人と横須賀に行き以前に横須賀の芸者屋からヒステリーの彼女と手に手をとって駆け落ちしたときのことを回想しそのまま潮来に行って『苦の世界』(月夜がらすにふと目をさまし、あひたさ、じれったさに無理なこと言うて、わしや神いのり、あひたいが病か、癇しやうの癖か、ささでしのがんせ苦の世界」という小唄の文句から題名をつけた)を執筆したこと、下諏訪に旅行し子持ちで芸者屋を営んでいる芸者ゆめ子(鮎子がモデル)と出会ったこと、ヒステリーの彼女が突然鼠のだんごを食べて自殺したこと、作家として売れ出したらヒステリーの彼女を必ず芸者屋から請け出すと約束したことなどが描かれている。


美女(1920年)

商家に仕える堅物の奉公人が銀行で千円の金を下ろした後、帰りの巡航船の中で吃驚するほどの美人に出会う。どこに住む女性か知りたくなり、女性が下船した後も跡をつけまわすが、女性も何かしらこちらを気にしているように見える。松島の遊郭に関係があるのか、はたまた洋妾か、あるいは美人が多いという穢多かと想像を逞しくするが、突然、その女が立ち止まり、「しつこい」と叫びながら奉公人が持っていたはずの千円入りの財布を投げて寄こしたのである。


化物(1920年)

友人の小説家島木島吉は大阪の或るカフェで知り合った女性に見復(みかえる)仙助という人物を紹介され、見世物で熊の皮をかぶって虎と対決するという職にありついた。島吉が隣の檻にいる虎を見て怯えていると、その虎も人間(実は島吉の友人)が皮をかぶっていたのであった。落語「動物園の虎(虎の見世物)」と同様の話である。


甘き世の話(1920年)

作家の半子半四郎(浩二がモデル)が大正8年(1919年)に下諏訪の子持ち芸者ゆめ子(鮎子がモデル)と出会いプラトニックラブに落ちてから同じ芸者であるくれ葉・喜扇や旅館の女中・泊り客などとの交流を描いている。数回下諏訪を訪ねているうちにやがて芸者小瀧(小竹がモデル)と知り合い、ひょんなことで(浦島太郎のように)彼女と夫婦になってしまうのである。


橋の上(1920年)

夏の大阪の風物詩として橋の上の氷店の回想からその橋の橋詰にあった電燈広告へと回想がひろがる。そしてその橋の近くにあった十軒露地の生活で初恋の相手おもよ(宮本八重子がモデル)と出会い、やがて彼女は芸者となっていくが、そんな或る日二人で密かに住吉公園の料亭で逢引したことなどが描かれている。


遊女(1921年)

難波新川(幼少の頃、宗右衛門町の芸者小さんに可愛がられ、彼女が信仰する金神様にお参りするため難波新川によく連れて行かれた。やがて彼女が金神様の宣教師と駆け落ちして姿を消してしまった後も難波新川に行き、そこで病気の遊女を難波病院に運ぶ船を見かけたのであった。)難波病院(友人の医者に難波病院を案内してもらう。肺結核や梅毒の遊女が多数入院しており、そこで歌われている病院唄を聞いたり、遊女の身投げした井戸を見たのである。)友菊と千鳥の話(病室の障子に小指を切った血で病院唄を書き井戸に身投げした遊女友菊、井戸にお百度詣でをすると病気が治ると信じたが結局井戸に身投げしてしまったハルピン帰りの遊女千鳥。)雪景色(カフェに居候していた頃にそこの常連客可児才三と松島の遊郭に行き、そこで遊女の身の上話を聞き、川の雪景色に月の光が射しているのを見て感激した。)


滅びる家(1921年)

父の死後、母はなけなしの財産を父の姉の婚家(伯父)入江家(作中では原一家)に預けたが、その家が破産してしまった。その頃、母と二人で入江家を訪ねた際に旧家の格式をもちながらも荒廃した家の様子や帰りがけに伯父から一本の槍を土産に貰ったことなどが描かれている。


夏の夜の夢(1921年)

下諏訪の同じ芸者屋で働いていたゆめ子(鮎子がモデル)・小瀧(小竹がモデル)・半子をめぐる話である。ゆめ子が最も心を許していた半子は同棲していた男から子供を産めば女房にしてやるといわれたが子供はできず、小瀧も作者の妻となるが子供には恵まれない。ゆめ子だけが子供を産み、ある深夜、作者は諏訪大社境内でゆめ子の子供をあやす老女(ゆめ子の叔母で養母)に偶然出くわすのである。



屋根裏の恋人(1922年)

貧しい独身の新聞記者山村広吉の下宿には赤野という無口な隣人がいたが、やがて赤野の妹と称する常子という女性が寄宿するようになった。山村は自らの侘しい生活から脱け出すために「恋を恋する」ような気持ちで常子と深い関係になったが、ある日常子が赤野の妹ではないことがわかってしまう。常子は「穢多」の身分で、その境涯から逃げるために関係のできていた赤野を頼って町に出てきていたのであった。それを知った山村は常子との関係を続けるか否か動揺するのであった。


夢見る部屋(1922年)

借家に家族と住む私は家人には不用意に立ち入らせない自分の部屋(挿絵入り)があったが、愛人となっていた煙草屋の娘との逢瀬のためや思うさま読書と空想(夢のようなかつての恋と山の写真)に耽るため東台館という下宿屋の1室を借りた。しかし実際に借りてみると愛人にも部屋の存在を知らせずに一人で思うさま空想に耽るのであった。


鯛焼屋騒動(1923年)

鉄次郎は職を転々とした後、兄佐太郎の援助で鯛焼屋を開いた。先妻お今に病死された鉄次郎は後妻にぽっちゃりしたおみのをもらったが、間もなく鉄次郎は先妻の肺病に感染していたらしく寝ついてしまった。鯛焼屋の人手が足りないので赤井という髪を七三に分け口髭をはやした男を雇ったが、その直後から鉄次郎は妻と赤井が関係を持っているのではないかという妄想に苦しめられるようになり、ついに赤井を解雇してしまった。しかし鉄次郎の妄想はなくならず、赤井の手紙を偽造して妻に見せることで妻の本心を探るようになり、妻は鉄次郎が偽造した手紙に同封した毒薬(実はメリケン粉)を鉄次郎に飲ませてしまうのであった。これで騒動が持ち上がるが、結局妻は鉄次郎とともに生活することとなった。


昔がたり(1924年)

K湖の旅館湖畔亭の主人が私に昔がたりした話。主人が日露戦争に従軍したときに日本橋の紙問屋の息子で楠谷という優男が部下にいた。将校斥候で出動し敵方の貴族将校を打ち倒す際に楠谷は負傷し病院に収容された。半年後、敵方の貴族将校が何とか大公の息子ということがわかり、その何とか大公が楠谷(貴族将校が相討ちにした日本将校と大公に誤解された)に名誉の弔慰金を送るということになった。戦後、窮乏した主人が楠谷に金の無心に行くと、楠谷は紙問屋の立派な若主人になっており、ついに金の無心は出来ずじまいに終わった。


古風な人情家(1924年)

外出好きで金使いの派手な母と芸者上がりで家から出ない妻、この二人から離れて私は家とは別に下宿部屋を借りていた。そして母や妻には内緒でかつて恋心を燃やした上諏訪の芸者(妻とも知り合いだった)さよ子(鮎子がモデル)に会うため旅に出たが、結局会うことはかなわなかった。母や妻は私の下宿借りや旅行に不審の思いをもっているが表立って問い詰めることはなかった。


晴れたり君よ(1924年)

晴れた日の銀座を散歩していると、当時恋愛関係にあった芸者が旦那連れでいるのに偶然会う。その出来事を機に彼女の旦那や恐い伯母のこと、名古屋で待ち合わせ二人で京都・大阪・奈良を旅行したこと、私の下宿に様々な道具類・家具を買い込んできたこと、私との関係が旦那にばれ問題になったことなどが思い出された。


四方山(1924年)

中学通学のために一時同居した従兄弟の公吉と彼に悪い気性を伝えたその母のこと、カフェの女給つた(玉子がモデル)との馴れ初めや彼女とのわずか2回の情交で(弁慶のしくじり)で子を成したこと、玉子とその祖母の住む家の猥雑さなどから玉子にもその子にも情愛がわかないこと、玉子以外にも新たに別懇にしている芸者(八重がモデル)とも関係をもつようになったこと、作者の不行跡に母が頭を悩ましていたことなどが描かれている。作者の借りている下宿屋(菊富士ホテル)の3階の上にある塔の部屋で作者と母親が四方に見える山々を見晴らす場面で終わる。


鼻提灯(1924年)

みすずはしとやかで女らしい柳橋きっての芸者で、日本橋の紙問屋の息子と深い馴染みとなっていたが、彼女には時折、ハンカチで鼻の下を蔽い、右手を口の端に持って行くという奇妙な癖があった。やがて紙問屋の息子は親のすすめに従いみすずに無断で妻をめとり、ぱったり姿を見せなくなった。数ヵ月後紙問屋の息子が侘びを言うためみすずに会ったが、彼女は「ふん」というなり奇妙な癖をまたして、そこから唐突に立ち去った。後で聞くと立ち去ったわけは、「ふん」と言った瞬間に鼻提灯が出て恥ずかしかったからだという。


さ迷へる蝋燭(1924年)

10年余り前、大阪でどういう経緯で知り合ったか記憶が定かでない三木田幹夫という男は、豊太閤時代からの纏屋の息子で5尺8寸余りの大男であるうえ独特な歩き方をし風采も特異であった。彼は自分に芸術的才能があるかのように装う模倣の才能や虚言癖があるうえ、プライドが高くて少しの侮辱にも耐えられず、しかもなかなかの女好きであった。やがて彼はダヴィンチ研究を標榜するようになり、ヨーロッパを巡遊しゴッホの妹に会ったと友人に触れ回ったが、彼から聞いた話は、「London Life」という書物に書いてあった「さ迷へる蝋燭」の受け売りに過ぎなかった。


人癲癇(1925年)

赤坂の近く清--町の借家の左隣には学者とその美しい妻が住んでいた。ある日、隣の妻の経歴などを暴露した匿名の手紙が届いたが、これは隣の妻自らが出したものと思われた。右隣には始終夫婦喧嘩の絶えない画家夫婦が住んでいた。その画家は半年ほど前に電車の車中でふとしたことで自分に腕力をふるった男で、ある日二階の屋根伝いにやってきて彼の絵を見てくれるよう自分に頼むのであった。やがて彼は妻子を連れて漂泊の旅に出てしまった。左隣の学者とはともに酒を飲む機会があったが、彼は書斎に閉じこもりきりだというのに町内の人々の消息に驚くほど精通していた。その後、画家とも再会する機会があった、震災のときに、学者は避難先の寺で人嫌いな人が人中でおこす人癲癇の発作をおこしたのであった。


千萬老人(1925年)

芸者八重の慕っている待合「千萬」のおかみの旦那の話である。この頃このおかみには新しい恋人ができたので病気がちだった老いた旦那は彼の娘が営んでいた料理旅館「いなか」に預けられていた。この老人は以前は鶴亀屋千萬という太鼓持で梅毒で鼻も欠けていた。作者はしばしば原稿執筆のため「いなか」に行きこの千萬老人と話し合ったことが印象的に描かれている。


人に問はれる(1925年)

かつて大阪で知り合った加山五策は豊太閤時代からの纏屋の息子で5尺8寸余りの大男であるうえ独特な歩き方をし風采も特異であった。彼は自分に芸術的才能があるかのように装う模倣の才能や虚言癖があるうえ、プライドが高くて少しの侮辱にも耐えられず、しかもなかなかの女好きであった。不二館(菊富士ホテルがモデル?)に下宿していた頃、洋行中という噂のあった加山と再会した。不二館には哲学者肌の天文学者赤川十蔵、友人で小説家の水本久一郎、友人で画家の曽我部太市郎などがいたが、小人6人を含んだ外国人一行がここに滞在しているときに加山が訪ねてきて、彼の大足を小人に見させて彼を侮辱したと思い込み、加山は憤慨して帰ってしまった。


「木から下りて来い」(1926年)

「私」は「彼女」とつかず離れずの付き合いが続いている。彼女は青島や神戸に芸者として数年行ってしまったり、誰かと密かに結婚したりしている。ある日、「私」は「彼女」にせがまれて、彼女を悪童に見立てて「badboy,badboy,come down from tree」と書いたことから、昔近所の芸者のもとに出入りしていた俄の役者・団十郎の弟子団子をからかって同じ言葉を叫んだことを思い出した。そして現在、「彼女」と付き合っている役者・不二の家十三郎が昔の団子その人なのであった。


軍港行進曲(1927年)

1916年(大正5年)に浩二が伊沢きみ子と出会ってから、きみ子の足抜けの手伝いや彼女との別れ、そして1919年(大正8年)にきみ子が自殺するまでを描いている。きみ子が芸者に身売りした横須賀が主な舞台で、当時軍港だった横須賀の情景やそこで出会う海軍軍人(浩二の中学時代の同級生ら)との交流が印象的である。


日曜日あるいは小説の鬼(1927年)

普通の勤め人は1日定時間労働で日曜休日であるが、小説家である「おれ」は休み無く小説の鬼に追われ執筆し心が休まることがない。日曜日に百貨店の前に立っていた2人の女は情人を待っている風情で、そうした日曜日の人々を見ていると、「おれ」自身の生活が嘘のように思えてきた。


恋の体(1927年)

カッフェの女将である私(葉山龍子。渡瀬淳子がモデル)には音楽家・画家・小説家・俳優など多くの芸術関係のご贔屓がいた。東京の下宿時代に世話になり哲学の話をしてくれた小谷(浩二がモデル)、オペラ俳優の草分け的存在だった山根三太郎(清水金太郎がモデル)、2人の子をなしたがその子らを連れ去ってしまった俳優の川原(沢田正二郎がモデル)などなどであった。


枯木のある風景(1933年)

画家・島木新吉が写生旅行で奈良に行き、そこで画家・古泉桂造(小出楢重がモデル)との交友を回想する。二十数年前の美術学校入学の頃から付き合いが始まり、去年は古泉の健康状態を気遣い芦屋の家を訪ねた。古泉の画室には多くの絵が制作されており、彼の妻が商才を発揮してそれらを売り捌いているのであったが、そのなかに「裸婦写生図」と「郊外の風景」という作品があった。写生旅行の途上で古泉急死の連絡を受け、彼の家を訪れると、「郊外の風景」と一対というべき彼の鬼気迫る遺作「枯木のある風景」が画架にかけられていた。


枯野の夢(1933年)

古泉健三が極寒のなか祖母とともに母の住む大和高天村(天満村根成柿がモデル)に向かいそこで祖母が急死したことから物語は始まり、中学卒業後進路の決まらない時期に高天村に一時住んだことがあり、その時料理屋を経営していた中戸竹蔵(中川政蔵がモデル)・中戸丈助(中川嘉蔵がモデル)兄弟と知り合った頃のことを思い出す。健三が東京の大学に進学した3年後に嘉蔵も上京し健三の進言で子供靴屋をはじめたこと、子供靴屋が行き詰まったなかで丈助の女房が亡くなったこと、丈助が健三の進言で布切れ屋に転業して成功した頃に健三が小説執筆のため丈助の家に居候したこと、丈助が後妻をもらった後も商売は発展し一財産を成したが丈助は財産分与に頭を悩ますようになったこと、健三と天満村に旅行してから丈助が病の床につき死に至るまで、その30年に余る交流を描写している。


異聞(「女人不信」と改題。1934年)

日本からイギリスにやってきた青年ヘンミは高名な社会運動家だったタダヲ・タカマに出会った。かつてヘンミは日本にいた頃、偶然タカマ夫人の営む下宿に住んだことがあり、その娘アキと恋仲になった。しかしタカマ夫人は娘を裕福な商人のもとへ嫁にやってしまい、2人の仲は裂かれてしまったという過去があったのである。やがてイギリスの地でタダヲ・タカマが病死し、ヘンミが彼の遺稿を読んでみると、そこには男遍歴を繰り返した(運動の同志たちだけではなく、運動を破壊するために潜入したスパイまでもがその相手であった)タカマ夫人に対する不信の思いが綿々と綴ってあったのである。


文学の鬼(1934年)

牧新市は友人の小説家山添国道の紹介でオンドリ書房の折口鶏一と知り合い、牧の小説「子の来る迄」(浩二の小説「子の来歴」を出版したアルルカン書房がオンドリ書房のモデルと思われる)を出版することになったが、出版の段取りは遅々として進まず、牧が業を煮やしてオンドリ書房を訪ねると折口が妻に「酒と本の鬼が憑いている」と罵られていた。その頃同人雑誌「文学時代」(「文学界」がモデル)の経営を任せた文明社社長川中芳朗(勝負事が好きで雑誌「オール勝負」を経営)、それを受け継いだ文芸書院社長俵藤桂造(女好きで女に貢ぐために出版業を始めた)とも知り合った。折口は酒と文学、川中は勝負事と文学、俵藤は女と文学、それぞれ文学の鬼であった。


夢の跡(1935年)

深見文三は15、6年前の思い出を辿りながら東京から大阪に向かうのに中央線に乗った。それはかつて諏訪で出会い片恋の相手となった芸者鮎子が夢三という名でまた芸者に出たということを聞き会いたいと思ったからである。病死してしまった市木(直木三十五がモデル)とかつて2度諏訪に旅行したこと、自殺してしまった有川(芥川がモデル)と一緒に夢三を伴って上諏訪で炬燵にあたり映画をみたことなどを思い出すのであった。再会した夢三は15歳になっていた自分の子を最近亡くしたために再度芸者に出たこと、有川からもらった手紙をまだ取って置いてあることを深見に語るのであった。


旅路の芭蕉(1935年)

門弟千里と旅した野ざらし紀行、門弟路通との出会い、笈の小文、奥の細道、嵯峨日記など旅路での芭蕉を描写している。


終の栖(1935年)

妻子を捨て愛人みちよ(嘉村磯多の愛人ちとせがモデル)と東京に駆け落ちした哲太(嘉村礒多がモデル)が病死した後、哲太の父秀松(嘉村磯多の父若松がモデル)はみちよを郷里山口に迎え入れ、哲太の子勉吉(嘉村礒多の子松美がモデル)の養育を依頼した。みちよは徐々に勉吉と心を通わせるようになるが、やがて勉吉は実母の実家に引き取られて間もなく急性肺炎で急死してしまい、あとにはみちよと哲太の父母が残されたのであった。


風変りな一族(1936年)

十軒路地に住んでいた周旋屋の子岩木伊三郎(宮本卯三郎がモデル)の家族をモデルにした小説で、父母の直左衛門となみ、芸者から顕官の愛妾となって一家を支えた長姉・たま、軍艦の水兵(コック?)で朝鮮で発狂し溺死した長男・勇吉、要塞砲兵で片腕を失い放蕩の末病死した次男・新左衛門、芸者となったヒステリックな次女・しげと激しい癇癖のある三女・あさ(卯三郎の姉八重子がモデル。浩二の初恋の相手か?)が登場する。どこか精神病質であった家族の中で長姉・たまとともに常識人だった伊三郎は後にカッフェ・サンパウロ商会で成功し名古屋に屋敷を構えた。


夢の通ひ路(1937年)

片野一進(牧野信一がモデル)が友人安東次郎と浅草公園辺りを散策し過去を回想する。片野は自ら尊敬する作家として栗須土岐雄(浩二がモデル)と新地蓮太郎をあげ、「文学が非常に恋しくなると栗須さんに会いたくなる」と言う。栗須が大病後の静養で箱根に来たとき小田原にいた片野と頻繁に行き来したが、その時の片野とその母との軋轢・葛藤、また片野が栗須の母に対して恋情に似た親しみを持ったことなどが描かれている。そして片野は現実と夢が綯い交ぜになった様々な身の上話を栗須にするのであった。やがて神経衰弱に陥った片野は縊死を遂げてしまう。


鬼子と好敵手(1938年)

石村市造は隣家の若い男女や婆やにどこか見覚えがあると思っていたら、それは石村のかつての友人で好敵手であった俳優・朝木柳一郎(沢田正二郎がモデル)とその内妻・阿由葉蘭子(渡瀬淳子がモデル)の子供たちであった。蘭子は柳一郎と別居してからは子供たちのことでしばしば石村に相談をもちかけることもあった。成長した子供たちはいずれも柳一郎に似つかない芝居嫌いで息子の朝木新作は画家志望、娘の朝木鯉子は作家志望であった。


母の形見の貯金箱(1938年)

最初は少年雑誌の付録だった将棋の形をしたボール紙貯金箱に、その後は母がくれた金庫の形をしたニッケル貯金箱に毎日小銭を入れ、その貯金を老母の71歳の贈り物にした。その直後に老母が急死した後も貯金を続け、大阪・一心寺の骨仏にしてもらう法要の費用などを捻出し、いずれは母の墓も造ろうと思うのであった。


楽世家等(1938年)

深見章作と中学の同窓で建築業で成功した竹木林次郎(天王寺中学の同窓である坂口常三郎がモデル)が主人公である。竹木は大兵肥満の体形でしばしば豪傑笑いをするのが癖で学生の頃から天麩羅・鮨・鳥・鰻の食道楽に憂き身を窶し学業を怠る程であった。社会に出て芸者上がりの妻と結婚して3女をもうけて以後も女道楽は続き、第二夫人(芸者愛子)には1女、第三夫人(女事務員上がり)には2男を産ませ、しかもいずれの女にも不満を持たせないよう八方丸くおさめる術に長けていた。この竹木をモデルに小説(『歴問』)を発表したことで竹木の怒りを買い、一時不仲になるが、友人たちの斡旋でまた交際を始めるのであった。


器用貧乏(1938年〜1939年)

妻の異母妹鈴木コウ(作中ではお仙)をモデルにした小説である。新聞記者との同棲と破綻、魚屋丈三郎との出会いと結婚。石炭運搬・豚の毛洗い・塩物販売・玉子の卸売り・浅蜊売りなどに手を出すが生活力のない夫に代わり、お仙は仕立物・袋物屋の縫い潰し・空気下駄の下請け・西洋人形製作・玉子の性見・泥鰌の販売・髪結い・写真機の蛇腹張りなど身を粉にして働く。関東大震災を経て、やがて丈三郎が脳溢血で倒れ廃人同様となり施療病院を転々とした果てに生活に窮したお仙は、異母妹で幼い頃九州に攫われこの頃上京し料理屋の女中などをしていたお半のもとに身を寄せる。しかし当時お半も生活に窮していた。やがてお半は病気になり亡くなり、夫丈三郎も亡くなる。


木と金の間(1939年)

市原石造の家は祖父の代から新潟で材木仲買商をやってきた。材木仲買という仕事は投機性が強く相場師より危険性が高かったため一家の浮沈は激しかった。石造が尋常小学校を出た頃は一家は貧窮のどん底にあったので、親戚の金物屋に奉公に行き高等小学校を卒業させてもらった。16歳で家に戻った石造は困窮した一家を支えるために材木仲買に乗り出した。その後も第一次世界大戦や関東大震災、昭和恐慌などで家運は浮沈を続けた挙句、山師の詐欺にあって財産をすっかり失ってしまった。ちょうどその頃、金属食器製造工場をやっていた弟が死んだために、経営が悪化していたその工場を引き継ぎ、何とかささやかな利益が出るまでに立て直した。石造はこの工場の後継者が育ったら、隠居仕事でもいいからまた材木仲買をしてみたいと思うのであった。


善き鬼・悪き鬼(1939年)

由比は学生時代に新劇運動に熱中し、大阪で友人の紹介で知り合った高根瀧子(渡瀬淳子がモデル)は上京後由比の下宿に転がり込んできたが不思議なことに一切男女の関係がなかった。やがて朝木柳一郎(沢田正二郎がモデル)と夫婦になった波川珊子(作品の冒頭では高根瀧子という名であった)の家のある西片町の借家に越した後は一層生活に窮迫し売文の傍ら質屋通いを続けた。翻訳の仕事を斡旋してくれた高部辰夫(広津和郎がモデル)の女性問題(下宿の娘との過ち)、井石市造(三上於菟吉がモデル)の芸者との荒んだ生活や高根瀧子への異常な執着ぶりなど数々の女性との関わり、角田勘助(葛西善蔵がモデル)の飲酒・金銭問題が描かれている。そして、由比の木沢きみ子(伊沢きみ子がモデル)との出会いや横須賀での芸者暮らし、横須賀の芸者屋からの逃亡などがあった。


思ひ川(あるいは夢みるやうな恋)(1948年)

浩二(作中では牧新市)が関東大震災直前に芸者村上八重(作中では三重次・三重)と出会ってから1946年(昭和21年)に戦災を生き延びた八重と再会するまでを描いている。直木三十五(作中では仲木直吉)のなじみの待合で八重と出会ったこと、仕事場にしていた菊富士ホテル(作中では高台ホテル)に八重がしばしば訪れやがてその部屋に道具類を買い集め始めたこと、震災後に名古屋で八重と待ち合わせ京都・大阪・奈良を旅行したこと、浩二が原因で八重が旦那(作中では月給さん)と揉め事をおこし千萬のお上に仲裁してもらったこと、1924年(大正13年)から1926年(大正15年)にかけて八重と各地を旅行したこと、千萬のお上が千萬老人と別れ森井門造と同棲するようになったこと、浩二が八重とのことを妻キヌ(作中では良子)に告白してしまうこと、妻への遠慮から八重に距離を置くようになったこと、母と箱根・熱海を旅行し帰途母と別れて鵠沼の芥川龍之介(作中では有川)を訪ねたこと、浩二の神経衰弱が悪化した頃芥川が自殺したこと、八重の芸者屋の経営が悪化してきたため余儀なく新しい旦那をもったこと、浩二が八重との別れを決意したこと、2年後に直木三十五の家で八重に再会し交際が復活したこと、八重が千萬の名義を受け継いで待合を始めたこと、戦中の混乱で徐々に八重との行き来が途絶えるようになったことなどが書かれている。


富士見高原(1949年)

詩人萩原朔太郎に惹かれている雑誌編集者深江文吉に誘われ、由比祐吉(宇野浩二がモデル)は長野県の富士見高原を訪れたが、そこには伊藤左千夫の歌碑や小川平吉・尾崎行雄の別荘などがあった。また新聞で正木不如丘の結核療養所で画家竹久夢二が病死したことを知り、ありし日の彼を深江とともに回想したが、その数日後帰京した由比は突然深江の訃報に接した。暫く経ってから島木赤彦の歌碑を富士見に建てることになり、斎藤茂吉・土屋文明らアララギ派の人々ともに由比はまた富士見を訪れるのであった。


秋の心(1949年)

戦後のA級戦犯処刑があった頃、由比祐吉(宇野浩二がモデル)は小説の題材とした富士見調査のために同行を約した岡井と上諏訪で会った。この時の宿みづうみ館はかつての片恋の相手鯉子(原とみがモデル)との思い出があり、大正10年に友人の仲木直吉(直木三十五がモデル)と、さらにその前年には有川(芥川龍之介がモデル)と滞在した宿でもあった。昭和9年に由比一人で来たこともあり、その時鯉子が一人息子を亡くしたことを知らされたのである。今回も岡井とともに鯉子の住まいを訪ねあて、様々な心尽くしのもてなしをうけ、駅での別れ際に鯉子は亡くした息子の戒名が高嶽院秀麗居士 であることを由比に告げるのであった。


うつりかはり(1949年)

浩二(作中では芳郎)と妻キヌ(作中では元子)が長野県松本に疎開するところから筆をおこし、息子の守道(作中では道也)の結婚や就職問題、妻キヌの病状悪化と妻の異母妹鈴木コウ(作中ではお徳)による介護、守道の妻富子(作中では君子)の出産と守道との不和、浩二の上京とコウとの不和などが描かれている。


大阪人間(1951年)

深見章作と天王寺中学の同窓で、海軍の職業軍人になった志村や建築資材販売を生業とした竹木林次郎(天王寺中学の同窓である坂口常三郎がモデル)との断続的な交友を描写した作品である。志村は学校では深見とほぼ同等の上位の成績をとり海軍兵学校に入学、横須賀(深見も女とのいきさつがいろいろあった場所)・佐世保などを転任し順調に出世していったが敗戦で落魄の身となった。竹木は大兵肥満の体形でしばしば豪傑笑いをするのが癖で深見や志村に比して学校成績は及第ぎりぎりであったが、社会に出てからは芸者上がりの妻と結婚して3女をもうけて以後も女道楽は続き、第二夫人(芸者小金)には1女、第三夫人(女事務員上がり)には2男を産ませ、しかもいずれの女にも不満を持たせないよう八方丸くおさめる術に長けていた。戦後は経済的に行き詰るがステンレス加工などで何とか生活の道を切り開いていくのであった。


寂しがり屋(1952年)

宇野浩二と同じ明治24年(兎の一白)生まれの久米正雄について愛惜を込めて描写した小説である。戯曲・俳句・小説と十分な才能をもち文学の世界では「名士」として扱われながらも自ら納得できるような作品を残し得なかったのはなぜか?それは久米の気の弱さなのか?宴会の余興で久米が「枯れ薄」を唄い踊る姿と戦後の落魄した姿が印象的に描写される。


友垣(1953年)

ある出版社から久米正雄などとともに直木三十五選集の編纂を依頼されたことを回想するところからこの小説は始まる。やがて在りし日の久米正雄、さらには直木三十五の姿が宇野の眼を通していきいきと叙述されていく。直木は次々と出版社を作っては失敗し借財の山をつくり、その一方で大衆小説の分野で高い評価を得るようになった。また、茶屋遊びが好きで芸者香西織恵を愛人とした生活や京都で牧野省三と映画製作に取り組んだ様子なども描かれている。文芸春秋社の主宰した直木の盛大な葬儀に強い違和感をもつ一方で、戦後になって宇野が参列した加能作次郎文学碑除幕式は村人が主催した小規模なものであったが、それが故郷に題材をとった加能の作風を良く反映しているようであった。

【Wikipedia】より


作品解題(童話)

揺籃の唄の思ひ出(1915年)

台湾に住んでいた日本人の娘千代が3歳のときに生蕃(山地原住民)に拉致誘拐され行方不明となった。15年後に生蕃の女隊長として両親の前に姿を現わした千代は幼少時のことを何も記憶していないように見えたが、母親が揺籃の唄を口ずさむとにわかに思い出が蘇り、涙ぐむのであった。


海の夢山の夢(1918年)

父のいない良夫は学校の休み時間や日曜日が嫌いであった。日曜は母親を助けるために煮豆や小楊枝を売らなければならなかったし、学校の休み時間には級友が煮豆や小楊枝を商う良夫をからかうからであった。夏休みには日記の宿題がでたが、家族旅行もしない良夫には書くこともなかった。ところが8月31日の夜に亡くなった父とともに家族が自動車で鎌倉・京都・奈良・松島・江ノ島・天橋立・箱根・華厳の瀧を旅する夢を見て、それを日記に書いたのであった。

【Wikipedia】より

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2019年12月31日

『むかしむかしあるところに、死体がありました。』青柳 碧人(双葉社)

昔ばなし、な・の・に、新しい! 

鬼退治。桃太郎って……え、そうなの? 

大きくなあれ。一寸法師が……ヤバすぎる!

ここ掘れワンワン。埋まっているのは……ええ! ? 

「浦島太郎」や「鶴の恩返し」といった皆さんご存じの 《日本昔ばなし》を、密室やアリバイ、ダイイングメッセージといった ミステリのテーマで読み解く全く新しいミステリ! 


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「一寸法師の不在証明」「花咲か死者伝言」 

「つるの倒叙がえし」「密室龍宮城」「絶海の鬼ヶ島」の全5編収録。読めば必ず誰かに話したくなる、驚き連続の作品集。


青柳碧人 

1980年千葉県生まれ。2009年『浜村渚の計算ノート』で第三回「講談社Birth」小説部門を受賞してデビュー。同書はシリーズ化されロングセラーとなる。 他、「ブタカン! 」「西川麻子」など人気シリーズ多数。


「浦島太郎」は「密室龍宮城」というタイトルになっている。

「むかしむかしあるところに、浦島太郎という、たいそう気立てのいい漁師の若者がおりました」

太郎が亀を助け、海に入るところまでは、わたしたちが知る浦島太郎の物語と同じだが、太郎は龍宮城で乙姫様のもてなしを受けた夜、眠ろうと客間に入ったころからきな臭くなってくる。

龍宮城はそれまでと変わらず、絵にも描けない楽園のような美しさでそこにある。だが内部では、不穏な変化が起こっていた。突如豹変して暴れ出す蛸、場違いな闖入者、そして死体となって発見された伊勢海老──。

 伊勢海老の死体発見現場は、完全な密室だった。太郎が助けた亀はヒト形になったときは美女で、黒目がちな瞳を潤ませて言う。「私たち海の生き物には知恵が足りませぬ。人の知恵を使って、どうか、おいせ姉さま(伊勢海老)の無念を晴らしてやってくださいまし」。

かくして太郎は、探偵役として、この龍宮城で起こった不可解な密室殺人の解決を目指すことになったのだが……!?


【関連記事】

http://koinu2005.seesaa.net/article/468933002.html

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2019年12月30日

「知」はいつも「情」に

知はいつも情に一杯食わされる。

─ラ・ロシュフコー(仏 思想家)


 人がなす推論や判断は、期待や恐怖、自愛や憎悪といった感情に知らぬまにバイアスをかけられ、あらぬ方向に向かう。希望的観測というのはその典型だ。知性は撓(たわ)みやすいものなのだ。だからだろう、知性はみずからに明確な根拠や厳密な方法を課してきた。

 推論や判断は、性急にではなく丹念に、そして注意深くと。17世紀フランスの公爵の『箴言』(内藤濯)から。



☆計算どおり行動しようとしても、感情が邪魔してうまくいかない。他人の感情も自分の感情も、無視することはありません。

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2019年12月21日

『戯曲 榎本武揚』安部公房

伝説によれば、脱走した三百人の囚人たちははてしない雪原をどこまでも越えて行き、阿寒の山麓あたりに彼等だけの共和国をつくり上げたと言われる。しかし、その後の消息は杳として知られない…。


百年をへだてて彼等とその背後にあった榎本武揚を執拗に追う元憲兵、昨日の忠誠と今日の転向のにがい苦しみの中で唯一の救いである榎本は、はたして時代を先どりした先駆者なのか、裏切者なのか。


《思想と行動との関係を、その具体的な内容に即してとらえようとはせず、もっぱら忠誠は善、転向は悪と割り切ってしまう、明治以来の伝統的美徳だけは、どうやら左右を問わず、いまだに健在のままで生きのびているらしいのである。忠誠でもなく、裏切りでもない、第三の道というものはありえないのだろうか。》安部公房「幕末・維新の人々」


戯曲『榎本武揚』プロローグと3幕

 安部公房・戯曲『中央公論』1967年2月号

刊行『戯曲 友達・榎本武揚』 河出書房新社 1967年11月30日 装幀:安部真知

初演 劇団雲 日経ホール 1967年9月20日

第22回芸術祭・文部大臣賞


〔某君からは、榎本批判の形をかりた、榎本擁護の説であるとののしられ、別の某君からは、榎本擁護と見せかけた、榎本批判がねらいだと腹を立てられ、まったく相反する立場から、しかしきわめて似通った情緒反応を示された。

批評家の一部が、こうまで登場人物化してくれたことを、黙って見のがしておく手もあるまいと思い、これらの批評家諸君に、せめて地獄(舞台)で榎本武揚と直接対面してもらうことにしたわけである。〕安部公房「『榎本武揚』について」

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2019年12月20日

茶碗の中 IN A CUP OF TEA 小泉八雲


 読者はどこか古い塔の階段を上って、真黒の中をまったてに上って行って、さてその真黒の真中に、蜘蛛の巣のかかった処が終りで外には何もないことを見出したことがありませんか。あるいは絶壁に沿うて切り開いてある海ぞいの道をたどって行って、結局一つ曲るとすぐごつごつした断崖になっていることを見出したことはありませんか。こういう経験の感情的価値は――文学上から見れば――その時起された感覚の強さと、その感覚の記憶の鮮かさによってきまる。
 ところで日本の古い話し本に、今云った事とほとんど同じ感情的経験を起させる小説の断片が、不思議にも残っている。……多分、作者は無精だったのであろう、あるいは出版書肆と喧嘩したのであろう、いや事によれば作者はその小さな机から不意に呼ばれて、かえって来なかったのであろう、あるいはまたその文章の丁度真中で死の神が筆を止めさせたのであろう。とにかく何故この話が結末をつけないで、そのままになっているのか、誰にも分らない。……私は一つ代表的なのを選ぶ。

      *

 天和四年一月一日――即ち今から二百二十年前――中川佐渡守が年始の※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)礼に出かけて、江戸本郷、白山の茶店に一行とともに立寄った。一同休んでいる間に、家来の一人――關内と云う若党が余りに渇きを覚えたので、自分で大きな茶碗に茶を汲んだ。飲もうとする時、不意にその透明な黄色の茶のうちに、自分のでない顔の映っているのを認めた。びっくりしてあたりを見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)したが誰もいない。茶の中に映じた顔は髪恰好から見ると若い侍の顔らしかった、不思議にはっきりして、中々の好男子で、女の顔のようにやさしかった。それからそれが生きている人の顔である証拠には眼や唇は動いていた。この不思議なものが現れたのに当惑して、關内は茶を捨てて仔細に茶碗を改めてみた。それは何の模様もない安物の茶碗であった。關内は別の茶碗を取ってまた茶を汲んだ、また顔が映った。關内は新しい茶を命じて茶碗に入れると、――今度は嘲りの微笑をたたえて――もう一度、不思議な顔が現れた。しかし關内は驚かなかった。『何者だか知らないが、もうそんなものに迷わされはしない』とつぶやきながら――彼は顔も何も一呑みに茶を飲んで出かけた。自分ではなんだか幽霊を一つ呑み込んだような気もしないではなかった。

 同じ日の夕方おそく佐渡守の邸内で当番をしている時、その部屋へ見知らぬ人が、音もさせずに入って来たので、關内は驚いた。この見知らぬ人は立派な身装みなりの侍であったが、關内の真正面に坐って、この若党に軽く一礼をして、云った。
『式部平内でござる――今日始めてお会い申した……貴殿は某を見覚えならぬようでござるな』
 はなはだ低いが、鋭い声で云った。關内は茶碗の中で見て、呑み込んでしまった気味の悪い、美しい顔、――例の妖怪を今眼の前に見て驚いた。あの怪異が微笑した通り、この顔も微笑している、しかし微笑している唇の上の眼の不動の凝視は挑戦であり、同時にまた侮辱でもあった。
『いや見覚え申さぬ』關内は怒って、しかし冷やかに答えた、――『それにしても、どうしてこの邸へ御入りになったかお聞かせを願いたい』
〔封建時代には、諸侯の屋敷は夜昼ともに厳重にまもられていた、それで、警護の武士の方に赦すべからざる怠慢でもない以上、無案内で入る事はできなかった〕
『ああ、某に見覚えなしと仰せられるのですな』その客は皮肉な調子で、少し近よりながら、叫んだ。『いや某を見覚えがないとは聞えぬ。今朝某に非道な害を御加えになったではござらぬか……』
 關内は帯の短刀を取ってその男の喉を烈しくついた。しかし少しも手答がない。同時に音もさせずその闖入者は壁の方へ横に飛んで、そこをぬけて行った。……壁には退出の何の跡をも残さなかった。丁度蝋燭の光が行燈の紙を透るようにそこを通り過ぎた。

 關内がこの事件を報告した時、その話は侍達を驚かし、また当惑させた。その時刻には邸内では入ったものも出たものも見られなかった、それから佐渡守に仕えているもので『式部平内』の名を聞いているものもなかった。

 その翌晩、關内は非番であったので、両親とともに家にいた。余程おそくなってから、暫時の面談をもとめる来客のある事を、取次がれた。刀を取って玄関に出た、そこには三人の武装した人々――明かに侍達――が式台の前に立っていた。三人は恭しく關内に敬礼してから、そのうちの一人が云った。
『某等は松岡文吾、土橋久藏、岡村平六と申す式部平内殿の侍でござる。主人が昨夜御訪問いたした節、貴殿は刀で主人をお打ちになった。怪我が重いから疵の養生に湯治に行かねばならぬ。しかし来月十六日にはお帰りになる、その時にはこの恨みを必ず晴らし申す……』
 それ以上聞くまでもなく、關内は刀をとってとび出し、客を目がけて前後左右に斬りまくった。しかし三人は隣りの建物の壁の方へとび、影のようにその上へ飛び去って、それから……

       *

 ここで古い物語は切れている、話のあとは何人かの頭の中に存在していたのだが、それは百年このかた塵に帰している。
 私は色々それらしい結末を想像することができるが、西洋の読者の想像に満足を与えるようなのは一つもない。魂を飲んだあとの、もっともらしい結果は、自分で考えてみられるままに任せておく。





底本:「小泉八雲全集第八卷 家庭版」第一書房
   1937(昭和12)年1月15日発行
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2019年12月19日

早坂類の歌

ジャンパーの人が追い越していくときジャンパーの背中の字を見てる

元カノの姉が停めてる原付で元カノの父が自転車出せない

スチュワーデスさんがつぎつぎ現れて人数分の理由で怒る

お釣りで募金したときの二回目の「ありがとうございました」が嫌

たたかれているのはわかるはじまりとおわりはわからないせなかの手


早坂類さんの短歌には、ストリート・ロックのような切れ味がある。見慣れた景色から、現象を切り取る鋭く深い眼差し。一つの追跡が次なる推理を生み出す面白さを伴っている歌となる。

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