2019年07月26日

古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉抄

日本の喜劇俳優の古川ロッパ(1903年 - 1961年)が記した日記。放送作家、滝大作の監修で1987年に晶文社発行。


世の中が中々むづかしいのは、
悧巧者が居過ぎるからなら有がたいが、
実は馬鹿が多く居過ぎるためだからやりきれない。
八月二十日ふと思ふ

昭和十五年一月

一月二十二日(月曜)

 三時半から内幸町高千穂ビルのユニヴァーサル試写室で、腹話術のチャーリー・マッカシイの映画「あきれたサーカス」、まことにつまらない。たゞ腹話術の人形がよく出来てゐることだけ感心した。近くの有喜村天ぷら屋へ堀井と行く。座へ。大入満員、補助出切り。「新婚」の第一声で、すっかり鼻声なのでクサった。徳山来る。ハネると車へ乗せ、送り、まっすぐ帰宅。今夜エノケン夫妻が見物してゐた由。(井上正夫も見物してたと。)



一月二十三日(火曜)

 十二時に日本橋の偕楽園へ、川口・上森・菊田と僕の、例会。川口・上森は一時間もおくれて来る。偕楽園の料理が、今日のはパッとしなかった。座へ出る。大満員。鼻声だが昨日より楽だ。三月東宝劇場へ出ないかと本社から言って来る。一考も二考も要するので保留する。ハネると赤坂まへ川へ。今夜は、曽我廼家五郎・エノケンと僕三人の親子会。榎本と僕、五郎氏の来る迄飲まずに待つ、十一時近く迄おあづけ。その長かったこと。都から写真班来り撮る。五郎の話、僕の話の間に酔ったエノケンは対抗上体術を見せてたが、しまひに泣き出してしまった。(後記エノケン近頃泣き上戸の由)

 エノケンは、酔った揚句に、僕は映画専門にやる、もうじきに舞台はやめる、と言って泣き出した。五郎氏がヅバリと、「脚本が無いからだろ」と言ふと、うなづいてゐた。昨夜僕の芝居を見て、「兵隊では泣いたよ」と言った後で、此うなったのだから、何だか偶然でないやうな気がして、可哀さうな姿に見えた。エノケン、中々苦しんでゐる。



一月二十四日(水曜)

 十一時起き、三時に出て、下二番町へ寄る、成之兄が拓務参与官になったので、祝に商品切手持参する。それから東宝映画本社へ。森岩雄氏を訪れ、富士屋ホテル行きをすゝめる。三月東宝進出のことは、那波支配人も積極説ではないので止してスケジュール通りに運ぶことゝする。清月で天ぷら、胸やける、油がいけないのだ。座へ出る、大満員である。長尾克大尉元気な顔で来楽、佐藤邦夫も来た。小林一三氏見物で、「兵隊」熱演、げっそりくたびれる、ハネるとまっすぐ帰宅。美川きよの「女流作家」を読み上げて、不愉快。佐藤八郎の「公園三人衆」読みつゝ寝る。

 二月の映画は、もう間に合はないが、その次作品からは、今迄のやうにアチラ任せでなく、大いにこっちも註文を出し、映画のロッパも、一俳優に甘んずることなく、プロデューサーとしても、責任を持ちたいと思ふのである。



一月二十五日(木曜)

 十二時半に女房と武蔵野館へ行き、ロナルド・コールマンの「放浪の王者」を見る、西洋阪妻剣劇。暖房が無いから寒いこと/\。出ると、中村屋へ寄りコーヒーを飲む。それからもとB・Rの紅白亭の家庭料理てのを試みに行く。不味くはないが、二円半とるのは如何だらう。座へ出る、大満員である。吉屋信子女史見物来訪。「兵隊」陸軍省へ頼み、推薦して貰ふやう、小笠原章二郎が骨を折って呉れてゐる。ハネ後、吉屋・門馬両女史に、築地金楽へ招かれ、御馳走になる。キング・オブ・キングあり、快し。どうも酔っても近頃理屈ばかり言ってゝいけない。

 エノケンの酒が泣上戸、近頃の僕は、理屈上戸になり、肩のはる思ひで飲んでゐる傾向だ。これでは、ます/\労れるばかりだ。もっと、朗かな、ノンセンスな飲みが必要だ。



一月三十一日(水曜)

 箱根へ。

 十時頃眼がさめる。昨夜はディムプルを痛飲したが、流石に一流の酒である、今朝の気分快適である。二時半に迎へ来り、家を出る。行き当りバッタリの汽車に乗るつもり。丸ビルの伊東屋で原稿用紙をしこたま買ひ込む。四時二十五分の熱海行きに乗ると、増田叔母上が熱海行きで同車、小田原迄退屈しないで済む。小田原よりハイヤで、宮ノ下富士屋ホテルへ。七時を待ちかねて食堂へ。オルドヴルからとてもうまし。白葡萄酒小壜一本とり飲む。ビフテキプディングてものがうまかった。

 箱根と来れば、先づじっくりと湯に浸るのが当然だが、ホテルと来ては、そのたのしみは、まるで無い、部屋のバスか、パノラマみたいな馬鹿気た風呂か。それに、畳の無いかなしさ、ハランバヒになれない、此の辛さ。たゞ、ひとへに食ひものゝいゝことだけに、すがりついてゐるわけ。いや全く、二ついゝことは無い/\。


 箱根富士屋ホテルにて。

 富士屋ホテル――部屋の感じよろし。食事は満点。だがさて、ホテルのバスくらい悲しいものはあるまい、シャボンを使って濁った湯へドブリと浸る気持の悪さ。西洋人に迎合して、日本特有の温泉浴場を設備しない富士屋ホテルも嘲はれてあれ。(西洋行水と書いてルビ、バス)アンマが来た。ギシ/″\、ギチン/″\、寝台は鳴り通し、圧せばヘコむスプリングのおかげで、アンマの快感はゼロ。床ユカの上へ蒲団をおろし、その上で揉ませる。アンマ曰く、「安いお方じゃありませんな、金がかゝってる。」そのうち揉まれてる鼻先へプーンとアンマの屁だ。心の中で僕、「これは辛い。」

 



昭和十五年二月


二月一日(木曜)

 箱根富士屋ホテル。

 朝食の時間を逸しては大変と、八時半に起きる。食堂へ、オレンヂ・ジュース、オートミール、スクラムブルエグ、コーヒー。美味い。部屋へ帰って、窓をあけると、もう閉め方が分らない。女中呼んで閉めて貰ふ、ホテル生活は格子なき牢獄であるといふユーモア小説が書ける。又、アンマを一時間やらせ、金魚の湯てのへ入った、バスよりましだ。内田百間の「冥途」を読んでると、コン/\カーンと食事を報せる音が響いた、オルドヴル、ポタジュ、車海老フライ、鶏とヌードル、うまい、たゞこれだけで来てゐるのだからな。二時間ほど昼寝、人魚の湯へ入り、「冥途」を読み上げ、「あさくさの子供」にかゝる。夜食八時近く。ローストビーフうまし。「あさくさの子供」とてもいゝ、大感激。

 一日中、しゃべることから脱け切れない生活をしてゐる僕である。それが今日一日中に何言喋ったらうか。のど休めだ、全く。あんまり喋らないと、ひとり言を言ひたくなる気持が分った。



二月二日(金曜)

 箱根富士屋ホテル。

 寝台に入ると、何うしても眠れない。アダリンを飲む、そして漸っと眠る。これでは保養にならん。八時すぎ起きる。入浴、食堂へ、スクラムブルエグとコンビーフハッシュ。又ベッドに入り、眠った。一時迄。すぐ又食堂へ。マカロニ・メキシカン、プローンのライスカレー。理髪店に行く。剃って、シャンプーして、ついでに前のビューティパーラーでマニキュアをしてみる。やすりでゴシ/\、湯に手を浸けたり、アマ皮をこさいで除って、一円。馬鹿々々しい。窓外は雪になった。谷川徹三の「私は思ふ」にかゝり、八時近く食堂へ、トマトクリームとプラム・プディングうまし。又、ソータン小壜を三分の二ほど飲み、ほろ酔ふ。眼に悪いと思ひつゝ、「私は思ふ」をアゲると「実業人の気持」を読み始め、一時すぎた。

 どうもホテル生活はやりきれない、くゝり枕一つを畳の上へ置いて、アゴをのせて腹ん這ふ心地は、あゝ何とよきかな。洋食はうまし。されど、オミヨツケも食ひたし。



二月三日(土曜)

 箱根。

 九時に起きた、もっと寝てゐようか、いや/\食ひたい。食堂へ、オートミールとスクラムブルエグ。又ベッドへ入り、眠った。滝村から電話、森岩雄都合悪く滝村だけ来る由。金魚の湯へ入り、読書。雪、時々降る。昼食、ポタアジュうまし、ボイル・ディナーとポークソーセージ。午後は、手紙数本と葉書数枚書いた。昼寝一二時間、これじゃあ夜寝られないわけ。四時半、滝村未だ来ず、もうホテル生活は嫌だ/″\。八時近く、滝村来る。食堂へ、ソータン小壜、一本あけ、色々食べる。うまいが、もう日本食恋し。喋り喋って、夜を更かす、一時すぎ、アダリンをのむ。滝村お先へグーグー。

 葉書の一つに曰く、ひとり居て、しゃべるすべがない、腹話術の人形を持って来ればよかった。



二月四日(日曜)

 箱根――熱海。

 九時半眼がさめる。食堂へ。味噌汁と卵で飯を食ひたいなアと思ふ。とか何とか言ひつゝコンフレークス、オムレツ、チキン等平げる。「浪曲忠臣蔵」といふ企画を話す。勘定、百二十七円何銭、チップ帳場へ二十円。腹は空らないし、もう/\洋食はイヤだが、午食二時十五分頃ホテルを去り、ハイヤ。小田原で滝村と別れ、三時半頃熱海着。海岸のつるや旅館へ。待望の畳の上へ。つるや旅館すべて安っぽいが、新しいので我慢出来さう。温泉行火の設備もあり、先づ落ちついた。久々、清の顔見る。女房・おばあさん・乳母も先着、何だか嬉しい。夕食、白い刺身と玉子やきでうんと食ひ、待望のアンマ、榎本といふのがゐて、それの荒療治、清と一緒に入浴、浪の音、すべてよろし。「都」に、浜村米蔵が「五郎とロッパの名文」と題し、僕が「東宝」正月号に書いた「楽屋用いろはかるた」に及んで賞めてゐる。浜村米蔵、よほどのファンとなったらしい。



二月五日(月曜)

 熱海。

 よく寝て、十時半迄何も知らず、すぐ入湯、朝食――サービスはスロウで昼食になってしまったが、待望の味噌汁、カマボコ、肉が一皿、うまい/\。食後、宿のコーヒーをとる、わりに美味い。あゝこれこそ保養じゃ哩。アンマ榎本来り揉む、痛いがうまい、皮膚がピリ/\するよと言へば、「そいつはすみません、皮むきアンマは下の下です」と言ふ。読書「奇・珍・怪」、中々面白し。女房と海岸に出来た竹葉で食事、川口・三益が聚楽へ来てることを、小沢陸蔵にきく。小沢の経営、しるこやぼたんでしるこを食ひ、宿へ帰ってみると、東久雄が来てた、隣の隣り、そこで話し込み、ねたのは一時半。



二月六日(火曜)

 熱海。

 九時半に起きる、入浴して食事、生卵と味噌汁がうまい。脚本のことは気になるが、まだ今日はよからう。聚楽へ来てゐる川口・三益が子供―男四ツ―を連れて遊びに来た。東久雄の浅草ピン行き話から、ドサ廻りの話などきゝ皆で大笑ひする。川口、清を見て「これあ出来がいゝ/\」。緑風閣へ皆で出かける、ビール飲みながら天ぷらをウンと食ふ。美味くないが空腹なのでよろし。こっちは清を抱き、川口は男の子を抱き、二人とも平凡極まるパパの姿だった。川口が帰って、さて、床へ腹ん這って煙草、いゝ心持、あゝ休まるわいと思ふ。又清と遊ぶ、何と子供はよく親を遊ばせて呉れるものかな。

 何を好んで、富士屋ホテルなどで、不自由を忍んで何日間か居たものであらうか、成程食ひものは美味かった、が、あとは何一ついゝことは無かった、「人間食ふがためのみに生くるものにあらず」である。



二月十九日(月曜)

 今日も八時起き、東発へ行く。三国周三、沢村貞子、渡辺篤とからむ、古岡の家のセット、昼食になる、ポークチャップを食ふ。午後は、子役とからむこと二三あって、セット代り。その間、牛島通貴が、福岡の神保栄と一緒に来た、五月に九州へ来て呉れといふ話、平野に任せることゝし、夜又会ふことにして帰って貰ふ。藤田房子の父親来る、藤田が軍慰問がてらの旅をする件、許可する。赤帽の溜りのセット、九時近く迄。でも、仕事は早い、もう僕の出るとこの半分位も進んだやうな気がする。終ると銀座の新世界てふカフェーへ。平野を連れて行って、牛島・神保に紹介する。スペ・ロヤルってウイスキを持って来て呉れた。



二月二十五日(日曜)

 これだから映画は嫌ひだ、といふ日が撮影中に一日か二日は、あるものだ。今日がそれだった。九時すぎに砧へ着いたが、メイコちゃんが来てゐない、準備もまだらしい。そろ/\支度にかゝると、曇って来て、ポツ/\と雨。で、オープンはやめて、東発のセットへ入ることゝなった、その移動で手間どる。東発の部屋で、スチーム無くとても寒い中、無為に待ち、待ち、待つ。結局、七時頃から一時間半ばかりでアガリ。九時から十時間待たされてこれだけ。馬鹿々々しくて話にならん。東発は風呂も無し、クサリつゝ顔を落し、服部良一と銀座へ出て、ルパンからハイデルベルヒへ廻り、コロムビア入りの具体的な話をする。



二月二十七日(火曜)

「ロッパの駄々ッ子父ちゃん」撮影終了。

 今日で僕の出るとこはオールチョンの筈、いゝ塩梅にピーカンの好晴だ。オープンの古岡の庭の三カット、食堂で、うどんのカレー南蛮てのを食べる、熱くてうまい。入江プロの部屋へ行き、コーヒーと風月の菓子を馳走になる。永年の映画生活、此の連中はちゃーんとスタヂオの中で楽しめるやうに色々用意してゐる。四時すぎ砧はアガリ。俳優部の星野を誘って渋谷迄出て、北京亭といふ支那料理屋を教はり、夕食する。すぐ又引返して東発へ。七時半セット入り、森林をさまよふ。雨の中、コードを身体につけて提灯の電気入りを持たされビク/″\ものである、感電しさうで恐い。大難行苦行と相成り、十一時近く迄かゝって、帰宅、旅の支度とゝのへて寝る。

 とてもアガるまいと思ってた映画だったが案外や、アガっちまった。してみると、じっくり組むものは別として、此ういふ気軽なものは、十五日あれば大丈夫アガると定った。



三月一日(金曜)

 北野劇場初日。

 十時にきちんと眼がさめる、食事、まことにアッサリしてゝいゝが、もう果ない気がする、早すぎるが。興亜奉公日で、コーヒーも休み、宿の紅茶を飲む。那波氏宛、大阪の打ち日を二十五日迄として貰ひたき旨書き送る。十二時から検閲あり、座へ出る。ヴァライエティー式のものに限り、検閲官出張し、一と通り本式にやらせて検閲するのだ、馬鹿にしてる。歌や踊はいゝが、腹話術なんか馬鹿々々しくて出来やしない。今日は三時開演、序の「春風吹いて」はこゝの封切、二の「新婚」は、よく笑ふ。「兵隊」大阪でも大丈夫と定った、又新に涙を流して演った。幕切の手は東京より盛大。入り大満員。ハネが何と八時。早いから有がたいが一日のことゝて手は無し、竹川へ行き、あひ鴨のすきで食事して、雀を始めた。これが徹宵です。

 道頓堀の近くの文具屋で、カーターを二本買った。大分万年筆は、いゝのが揃ったが、此の日記をつけてゐるウォターマンは、実に得がたいもの、随分永年使ってゐるが、まだよく書ける、お代りが手に入らないと思ふと、ます/\大切だ。


三月二十日(水曜)

 今日も亦貸切マチネーで、せいが無い。座へ出る。貸切ショップガイドの客、又々皆クサる。瀬良営業係長来り、千秋楽に又貸切マチネーをたのまれる、特賞を出すことを約束させて、承認する。くたびれることだわい。昼の終りに、地下のスエヒロでビフカツとライスカレー食って、阪急百貨店へ。女房の土産ハンドバックを買ふ。特選売場で又オーストリア物のタイ一本。今日から「駄々ッ子父ちゃん」梅田映画で封切なので入ってみる、よく入ってゐた。夜の部、大満員。今夜はもう飲むのも面倒、フロントクラブへ行き、食事して、十二時に宿へ帰り、すぐねる。



三月二十四日(日曜)

 荷造りをしようと思ってるのでキチンと起きる。昨日神戸で買った靴の中へ、土産物をつめ込む。昨夜、サムボア他でマッチを何百個と貰って来た、これは受けるであらう。座へ出る。昼、大満員。李香蘭が見物してる。千恵蔵が「兵隊」を見たいと来る。昼終り、四月の宣伝写真撮影があり、「ロッパと将軍」の二役を、数枚撮る。親爺の方支那将軍の姿、如何にもグロで嫌だった。夜も大満員、「大統領!」「ロッパ」等のかけ声あり、それが間のびしてるのでクサる。ハネて、今夜は特別出演連の小笠原・稲葉と、悦ちゃんのお父さんをよぶ、新町吉田屋。あひ鴨のすきは、うまかったが、芸妓ひどいウンスヰばかりなのでクサリ、一時前帰る。


三月二十六日(火曜)

 大阪――神戸――帰京。

 清が太い声で大人みたいなので弱ったと思ってたら夢、でよかった。大阪を去る朝、九時半起き、阪急で神戸へ。アルプス・グリルといふのへ行く、安くてうまい定食。トア・ロードへ出て、清の玩具と小さなベレエを買ひ、元町のサノヘで又ネクタイを一つ買っちまった。時間があるので阪急会館で「駄々ッ子父ちゃん」を一と通り見た、受けてはゐるが、入りは大したことはなかった。五時半に、海岸通りのオリエンタル・ホテルへ。オリエンタルクラブの家庭会の余興である。漫談と腹話術と二度出て、間に久米等のダンス。ひどい客、子供ばかりでビー/″\言はれ、大クサリ。終って九時五分、三ノ宮発の一・二等特急で帰京の途につく。吉岡社長、隣の寝台。 


 

四月一日(月曜)

 有楽座初日。

 初日、興亜奉公日の三時開き。座へ着くと、満員で客止め。序の「春風百貨店」は三十分でアガり、次「東京温泉」何せ長い、二時間以上かゝった。プロムプターが不馴れなので、随分穴も明いた。菊田が荒れ出して、どなるやら高杉を一つ喰はすやら。でも、これはよく受けた。「芝浜」は、相手の三益のセリフが、まるで入ってゐないので、やりにくゝ、幕切れに緞帳が下りないで暗転といふ醜態を演じたり、山野が脱線して、馬鹿なこと言ったりしたが、これも先ず受けてはゐる。こゝ迄はよかったが、稽古不足の欠点を完全にバクロしたのは「ロッパと将軍」だ、エラー続出で、すっかりしょげてしまった。十時に終らせるため、ラストのヴァラは抜き。明日二時に稽古のやり直しといふことに定めて帰宅。

 エイプリルフールなんてものが、まるでピンと来ない時世になった。そんなことしても可笑しくもない、中々此ういふ時世の喜劇は、むづかしい。



四月十三日(土曜)

 覆面して、股間にはふんどしを二つ、一つ股に一つ宛締めて、薬をつけて寝る。一時に寝て、十時迄。鏡を見るとがっかりする、まだよくならない。気持が悪いが、ヒゲ剃もやめる。皮がつっぱって痛いので食事も美味くない。左の眼蓋にトビゝして、これが痛むので気が重い。病気てものをしたことのない僕、とても参ってしまふ。四時すぎ、すしなど食って、出かける。入りは、今夜は土曜のことゝて大満員なり。人に顔見られるのが嫌だ、顔を撫でゝザラ/″\する触感は、ゾッとする。芝居が何うしても身が入らない。「東京温泉」のみ、いくらかよし。ハネると今夜もまっすぐ帰宅、元気なし、又、女房に薬を塗って貰ひ、覆面して寝る。



四月二十九日(月曜)

 有楽座千秋楽。

 九時頃眼がさめる、入浴、顔はすっかりいゝ。十二時家を出て座へ。小笠原兄弟・悦ちゃん・稲葉に林寛・斉藤紫香等今日は色々な人の来る日。エノケンに脚本書いてやる話をしたのが、実現しさうになって来た、此の休み中に書いてやらうか。屋井が、喜多村緑郎筆の「ロッパと兵隊を見てうまいと思ひながらあるく冬の夜の街」といふのを表装させて呉れて持参。夜の「東京温泉」終ると、照明室から「ロッパと将軍」を見物、渡辺篤の大熱演面白し。ハネて、服部哲雄、ジョン・ヘイグ一本持参、九段へ行く。

四月興行技芸賞

○屋井賞

杉山彪(四の兵卒)

○H賞

原秀子(二の小女)

吉岡勇(四の番兵)

○ロッパ賞

高杉妙子(二の春子) 技芸進境著し

竹村千左子(二の仕出し) 此ウイフ役ヲ生カシタコトハ賞メラレテイゝ

藤リエ子(二の夕刊売) 毎度変ラヌ努力ヲ



四月三十日(火曜)

 熱海へ。

 十一時に出ると、順天堂へ。眼科へ寄る、「ホースヰ蒸気を」と言ふので何かと思ったら眼へ吸入をかけるのだった。皮膚科へ寄り、いろ/\薬を貰って、こゝで京極と会ひ、東拓ビルのコロムビア本社へ、入社の話を定める、五月八日に正式調印することにした。それからプレイガイドへ行って、七日の切符三枚買ふ。風月堂迄戻り、食事して、四時四十分の豊橋行で熱海へ向った。二等は空いてたが三等の客があふれ込んでクサった。田中栄三著「映画俳優読本」読みつゝ。七時頃熱海着。つるやへ。女房・清・荒井と、橘弘一路夫妻が先着。いゝ塩梅に別館三階のいゝ室あり。夜食牛鍋。それから二夫婦で一荘、珍しく大三元を荘家でやる。




五月六日(月曜)

 十時に家を出て、海上ビルの東和商事へ、「フロウ氏の犯罪」といふフランス物を座員のために試写して貰ふ。まあ見てゝ倦きさせない。終って、東京会館でポタアジュと二皿食って、一時に稽古場へ入る、帝劇三階。「蛇姫様」を立つ。義太夫の人も来て、劇中劇野崎村、こいつ中々の難物、団福郎が師匠役で、一々立って演って貰ふ。五時半頃出て、明治座へかけつけたら、何とお目当の湯島が終るところだ、クサった。今回は「婦系図」の通しだが、中幕に「団欒」なんてヘンなのをやるので大走りらしいのだ。その中幕の間は、楽屋へ、喜多村氏のとこと、梅島のとこへ行ってた。同行の橘夫妻を送って帰宅。



七月二十八日(日曜)

 十一時に出かけ、四谷の綱島眼鏡屋へ寄る、京極の紹介でクルックスA2といふ前掛の眼鏡を注文。中泉眼科へ寄り十二時すぎ座へ出る。今日はマチネー、ところが惨タンたる光景、入り六分強位で、空席沢山、がっかりする。昼終り、古賀氏に誘はれ、京橋近くの花家てふうちへ、白米を食はせるといふので行ったが、時間がなく、ろくに食へず、座へ帰る、夜も七分弱位の入り、クサる。滝村より電報で、渡辺篤を借りること断念す、藤原釜足はロケ延引して駄目とのこと、京都は、すっかり藤原で宣伝してゐるので、これ又クサリ。ハネて、古賀政男と赤坂へ。西条氏の詩未着。



九月十四日(土曜)

 朝食して、神保町へ。東京堂書店で山田伸吉と待ち合せ、文房堂へ寄り、水彩絵具を一式揃へて呉れと註文しといて、二人で上野の二科展を見に行く。中々面白いのもあるが、ひどいのもある。阿部金剛、藤田嗣治のはよかった。此ういふものを見るのも何年振りだらう。車を浅草へ飛ばし、浅草楽天地を一寸のぞき、浩養軒で夕食三皿ばかり食べて、四時に文房堂へ引返し、水彩用具一式三十七円ばかりで買って丸の内へ。今日も渡辺休演。土曜のことゝて補助の出る満員だが、どうも客が力が無い、しめってる。時世のためであらう、気の毒だ。「歌へば」日ベンをサトウが代るので気分めちゃ/\だ。ハネてまっすぐ帰宅、夜食。絵具箱を拡げて喜ぶ。


十月二十三日(水曜)

(ノートをたよりに逆に日記の整理をして来たが〔十一月二日〕記憶がぼけてゐるのと、ノートも、わけの分らぬことが書いてあったりして、頼りない。明二十四日の頁に、上森が来て呉れ、そして即日帰京したやうに書いたが、実は二十三日に、大阪の林正之助と来り、一日泊りて翌日帰ったものらしい。以下、二十三日のノートのみそのまゝうつして置く。)

 ノート一、

 此うしてゐると不思議なことは、腹が立たぬことだ、兎に角のんびりしてることだ。

 ノート二、

 いけません、まだうまいものは一切いかんです、と夢声が言ってるやうだ。

 ノート三、

 ふと「おしゃく」の時「見えた/\よ松原ごしに」と、軍人が小原節を踊るところで、眼の上へたゞ手をかざしたが、これは望遠鏡で見る形をすればよかったのにな。

 午前九時七度九分。千葉吉造氏来る、新聞見ない方がいゝと言った。上森が大阪の林と来た。夜、京極高鋭現はる。自分の手相が、ガラリと変ってるのに驚く。


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 十一月五日

上森子鉄 橘弘一路

 六日

加藤成之 京極鋭五 加藤常子 友田純一郎 菊田一夫 屋井宏之 坪内士行 森岩雄 山田伸吉 増田七郎 近藤光之 上沼健衛 中村メイコ 長谷川一夫



十一月七日(木曜)

 何となく疲れてゐる。昨日手紙を書き過ぎたのと外出が応へたか。何とヤワな身体となったものだ。嘉納健治氏令嬢見舞、先生より見舞金百円。手紙七通書く。九日退院だ、九日の中座の新派の切符、十日の文楽と買はせる。入浴。「夢ありし日」を読み上げ「レベッカ」にかゝる、翻訳物は「少女シリア」でこりたが、これは少し面白さうだ。ビクターの青砥道雄、高橋兄貴来る。夕食は久しぶりで飯が出た、鯛のさしみとしたし等、飯を丼に一杯食った。夜、加藤弘三夫妻、近藤泰来る。泰は銀行づとめの愚痴をこぼして十時頃迄居た。さて寝よう。今日の回診、京大の真下先生といふ人の診察だった。夜、目方計ると、十九貫一寸に復活してゐた。

 発信控

沢田由己 水の江滝子 阿部玉枝 山根寿子 寺木定芳 月野宮子 斎藤豊吉


十一月八日(金曜)

 午前中は「レベッカ」を読み、又手紙を数通書いた。昼頃平野が来た、昨日京都の今井さんの払ひをして来て貰った、二百七十円ばかり、それから此の病院の先生方に百円宛二人礼をする、その他中々ものいりである。此の患ひで二千円ばかり飛ぶ。命拾ひをしたのなら安いものだ。一時半にタクシーをよび、礼廻りに平野と。松竹本社の千葉吉造氏のとこ、これが朝鮮出張中、吉本の林正之助氏へ行くと上京中、ガスビルの永田氏のとこへ行ったら留守、三ヶ所ともフラれた。病院へ戻ると入浴、「レベッカ」上巻読了、「少女シリア」よりよほど面白かった。夕食、パン、空腹にまづいものなし。夜、女房使ひに出る、手紙数通書く。小穴隆一の「鯨のお詣り」読み出す、新大阪の近藤が一寸酔って来り、ごちさうを置いて帰った。さあ明日は退院なり。

 僕の入院した時の顔色、目の具合が看護婦連の目から、「やれお気の毒な、もうあの人も駄目だな」と見えたさうだ。大てい此の予感は当るのださうで、意外に早く治ったので皆驚いてゐるのださうだ。

 発信控

小国英雄 滝村和男 三益愛子 川村秀治 伊藤松雄 正岡容 太田一平 山野一郎 上山雅輔 中野実 渡辺篤 サトウロクロー 大庭六郎 石村宇三郎


十一月二十七日(水曜)

「都」の日色・写真の寺岡二人も起き出でゝ、一緒に朝食。食後、「都」の写真、清を抱いてるとこ、絵を描いてるとこなど撮す。明日熱海俵別荘へ引越の筈だが、そっちから電話で温泉が節電のため時間制となったとのことで、大がっかり。女房と清は寺岡写真君と海岸へ下りて盛に撮して貰ふ。十二時すぎ、日色・寺岡とでワニ園へ行き撮影し、町の方へ、箱根グリルの二階で、お定食、三時近く両名帰京、一人で熱海宝塚劇場へ「燃ゆる大空」二時間近く見てると眼が疲れたので出る。電話で打合せ、熱海ホテルで母上・女房・清と落合ひ、寒々としたホールで六時迄待ち、食事。貧弱なメニューだが、デザートの甘いスフレがとても美味かった。食後すぐ帰宿。清、大いに歩く。今日より大分寒いので蠅が全くゐない。久しぶりで湯滝に当る。

 母上が清の守をして下さる、ふと口づさまれる歌が面白かった。


おけらの虫は

うじゃこい虫で

雨さへふれば

もぢゃ/″\/″\

といふのである。



十二月二十四日(火曜)

 十一時に東映本社。白井鉄造と李香蘭に逢ふ。森氏に京極のこと話す。平野迎へに来り、ニットー紅茶へ寄って話さうとするが満員、ホテ・グリが又満員、此ういふところの満員さ加減、未曽有である。世間の景気、よっぽどいゝのか。一時稽古場へ。五時半に、清水荘平が迎への車をよこすといふので、待つ。葭町の百尺へ。清水盛に吹くので中々話がむづかしい。料理は量が不足だし、うまくない。昨夜の志保原がよっぽどよかった。芸妓も料理屋も馬鹿な急しさで、てんで落ち着かない。十時頃か、切り上げて帰宅。稽古場へ南部僑一郎・鈴木桂介来る、お歳暮やる。


https://www.aozora.gr.jp/cards/001558/files/52688_54755.html


「古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉新装版」

晶文社。1934年1月1日から死の直前の1960年12月25日までの記述が収載。内容は自身の日常生活、美食の記録、映画や演劇、読書の感想、時勢に対する批判など多くの事柄を細かく記して、昭和戦前期から戦後にかけての時代風俗を知る貴重な記録。

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2019年07月24日

『「カッコいい」とは何か』平野啓一郎(講談社現代新書)

「カッコいい」は1960年代に生まれた。民主主義と資本主義の世界で定着し、ポジティヴな活動を促す巨大な力となる。「しびれる」ような強烈な生理的興奮。非日常的快感──自分の趣味を顧みながら、書いた。「カッコいい」を考えることは、「いかに生きるべきか」を考えることだ。あなたの理想とする「カッコいい」に置換して読んでほしい。

詳細はこちら→ https://kcx.jp/kakkoii


◎「カッコいい」という日本語の諸説

◎生理的興奮として「しびれる」

◎表面的な評価、実質的な評価

◎Cool, Hip, Atlantic Crossing!

◎三島由紀夫、ボードレールとダンディズム

◎カッコ悪い、ダサいとは何か? ほか


本書は、「カッコいい」男、「カッコいい」女になるための具体的な指南書ではない。そうではなく、「カッコいい」という概念は、そもそも何なのかを知ることを目的としている。 

「カッコいい」は、民主主義と資本主義とが組み合わされた世界で、動員と消費に巨大な力を発揮してきた。端的に言って、「カッコいい」とは何かがわからなければ、私たちは、20世紀後半の文化現象を理解することが出来ないのである。 

誰もが、「カッコいい」とはどういうことなのかを、自明なほどによく知っている。 
ところが、複数の人間で、それじゃあ何が、また誰が「カッコいい」のかと議論し出すと、容易には合意に至らず、時にはケンカにさえなってしまう。 

一体、「カッコいい」とは、何なのか? 

私は子供の頃から、いつ誰に教えられたというわけでもなく、「カッコいい」存在に憧れてきたし、その体験は、私の人格形成に多大な影響を及ぼしている。にも拘らず、このそもそもの問いに真正面から答えてくれる本には、残念ながら、これまで出会ったことがない。 

そのことが、「私とは何か?」というアイデンティティを巡る問いに、一つの大きな穴を空けている。 

更に、自分の問題として気になるというだけでなく、21世紀を迎えた私たちの社会は、この「カッコいい」という20世紀後半を支配した価値を明確に言語化できておらず、その可能性と問題が見極められていないが故に、一種の混乱と停滞に陥っているように見えるのである。 

そんなわけで、私は、一見単純で、わかりきったことのようでありながら、極めて複雑なこの概念のために、本書を執筆することにした。これは、現代という時代を生きる人間を考える上でも、不可避の仕事と思われた。なぜなら、凡そ、「カッコいい」という価値観と無関係に生きている人間は、今日、一人もいないからである。 

「カッコいい」について考えることは、即ち、いかに生きるべきかを考えることである。 
――「はじめに」より 


【目次】 
第1章 「カッコいい」という日本語 
第2章 趣味は人それぞれか? 
第3章 「しびれる」という体感 
第4章 「カッコ悪い」ことの不安 
第5章 表面的か、実質的か 
第6章 アトランティック・クロッシング! 
第7章 ダンディズム 
第8章 「キリストに倣いて」以降 
第9章 それは「男の美学」なのか? 
第10章 「カッコいい」のこれから 

「カッコいい」を考えることは、いかに生きるべきかを考えることだ!「カッコいい」は、民主主義と資本主義とが組み合わされた世界で、動員と消費に巨大な力を発揮してきた。「カッコいい」とは何かがわからなければ、20世紀後半の文化現象を理解することは出来ない。それは、人間にポジティヴな活動を促す大きな力!

平野 啓一郎 
ひらの・けいいちろう/1975年、愛知県蒲郡市生まれ。北九州市出身。小説家。京都大学法学部卒業。1999年、在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。著書に、小説『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)『ある男』(読売文学賞受賞)、エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』などがある。 

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井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室 (新潮文庫)

本書は平成8年11月に岩手県一関市で開催された井上ひさし氏の「作文教室」の記録である。
「わたしも書く時間が残り少なくなってきました。あと十年も書ければと考えたり、できたら、十三年、あと十四年は、と考えたりしますが、十五年は持たないと思っています。」
この偉大な作家に触発されて紡がれた珠玉の「作文」が並んでいる。朱筆を介した作家と受講者との交感は、圧巻。至福の交流。作家が素晴らしい教育者でもあったことが熱を伴って伝わってくる。

一時間目・・・作文の基礎基本
二時間目・・・日本語の急所をざっくりと講義
三時間目・・・良い書き手、良い読み手への架け橋
四時間目・・・代表生徒二十六人の四百字作文を発表と添削

・作文の秘訣は自分にしか書けないことを、分かりやすく書くこと。
・文章を曖昧にするのが「〜か」
・題名を付けることで1/3以上終わっている。いい題名とは情報が豊かである。
・なるべく短くする。
・いきなり核心にはいることが大切。
・日本語は主語を削ると良くなる。
・日本語には関係代名詞がないので、文をちょっと複雑にすると短期記憶に入らない。
・外国語では丁寧さを表すのに人称を変える。
・先触れの副詞を使うと効果的(さぞ、かならずしも、けっして、ちっとも)
・長期記憶の中からとんでもない物が、ひゅっと出てくる。
・わたしたちは民族として長期記憶が少ない。
・全体のテーマからそう外れずに脱線する。
・子供には観察文とか報告文を書かせる。感想文では駄目。
・人に伝えるには言葉が必要。

何かと目立つ、リアルな脱線。
学生時代に先生が担当科目とは違う話題を引っ張り出して、それが妙に面白くて記憶に残ってる、そんな経験が何方にもあると思います。
「わたしたちは民族としての長期記憶が少ないんです。貧しいんです。」という。
アメリカと比べると、日本では身体の部位についての名詞と成句が曖昧、言語と国民性の相関。

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井上ひさし 
1934(昭和9)年、山形県生れ。上智大学文学部卒業。浅草フランス座で文芸部進行係を務めた後に放送作家としてスタートする。以後『道元の冒険』(岸田戯曲賞、芸術選奨新人賞)、『手鎖心中』(直木賞)、『吉里吉里人』(読売文学賞、日本SF大賞)、『東京セブンローズ』など戯曲、小説、エッセイ等に幅広く活躍している。’84年に劇団「こまつ座」を結成し、座付き作者として自作の上演活動を行っている。
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2019年07月19日

「腹のへった話」 梅崎春生


 申すまでもなく、食物をうまく食うには、腹をすかして食うのが一番である。満腹時には何を食べてもうまくない。
 今私の記憶のなかで、あんなにうまい弁当を食ったことがない、という弁当の話を書こうと思う。弁当と言っても、重箱入りの上等弁当でなく、ごくお粗末な田舎駅の汽車弁当である。
 中学校二年の夏休み、私は台湾に遊びに行った。花蓮かれん港に私の伯父がいて、私を招いてくれたのである。うまい汽車弁当とは、その帰路の話だ。
 花蓮港というのは東海岸にあり、東海岸は切り立った断崖になっている関係上、その頃まだ道路が通じてなく、蘇澳そおうから船便による他はなかった。その船も二、三百屯トン級の小さな汽船で、花蓮港に碇泊ていはくしてハシケで上陸するのである。
 で、八月末のある日の夕方、私はハシケで花蓮港岸を離れ、汽船に乗り込んだ。この汽船がひどく揺れることは、往路においてわかったから、夕飯は抜きにした。私は今でも船には弱い。
 そして案の定、船は大揺れに揺れ、私は吐くものがないから胃液などを吐き、翌朝蘇澳に着いた。船酔いというものは、陸地に上がったとたんにけろりとなおるという説もあるが、実際はそうでもない。上陸しても、まだ陸地がゆらゆら揺れているような感じで、三十分や一時間は気分の悪いものである。だから少し時間はあったが、何も食べないで、汽車に乗り込んだ。そのことが私のその日の大空腹の原因となったのである。
 蘇澳から台北まで、その頃、やはり十二時間近くかかったのではないかと思う。ローカル線だから、車も小さいし、速度も遅い。第一に困ったのは、弁当を売っているような駅がほとんどないのだ。
 汽車に乗り込んで一時間も経った頃から、私はだんだん空腹に悩まされ始めてきた。それはそうだろう。前の日の昼飯(それも船酔いをおもんぱかって少量)を食っただけで、あとは何も食べていないし、それに中学二年というと食い盛りの頃だ。その上汽車の振動という腹へらしに絶好の条件がそなわっている。おなかがすかないわけがない。蘇澳で弁当を買って乗ればよかったと、気がついてももう遅い。
 昼頃になって、私は眼がくらくらし始めた。停車するたびに、車窓から首を出すのだが、弁当売りの姿はどこにも見当らぬ。もう何を見ても、それが食い物に見えて、食いつきたくなってきた。海岸沿いを通る時、沖に亀山島という亀にそっくりの形の島があって、私はその島に対しても食慾を感じた。あの首をちょんとちょん切って、甲羅をはぎ、中の肉を食べたらうまかろうという具合にだ。
 艱難かんなんの数時間が過ぎ、やっと汽車弁当にありついたのは、午後の四時頃で、何と言う駅だったかもう忘れた。どんなおかずだったかも覚えていない。べらぼうにうまかったということだけ(いや、うまいという程度を通り越していた)が残っているだけだ。一箇の汽車弁当を、私はまたたく間に、ぺらぺらと平らげてしまったと思う。
 そんなに腹がへっていたなら、二箇三箇と買って食えばいいだろうと、あるいは人は思うだろう。そこはそれ中学二年という年頃は、たいへん自意識の多い年頃で、あいつは大食いだと周囲から思われるのが辛さに、一箇で我慢したのである。一箇だったからこそ、なおのことうまく感じられたのだろう。あの頃のような旺盛な食慾を、私はいま一度でいいから持ちたいと思うが、もうそれはムリであろう。
(うめざき はるお、三二・四)

初出:「あまカラ 4月号 第六十八号」甘辛社
   1957(昭和32)年4月5日発行
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2019年07月18日

H・L・ボルヘス他,『ラテン アメリカ怪談集』鼓直ほか訳 (河出文庫)

『伝奇集』や『幻獣辞典』で有名な二十世紀ラテンアメリカ文学の巨匠ボルヘスをはじめ、コルタサル、パスなど、錚々たる作家たちが贈る恐ろしい十五の短篇小説集。ラテンアメリカ特有の「幻想小説」を底流に、怪奇、魔術、宗教、伝承、驚異などの強烈なテーマがそれぞれ色濃く滲むユニークな作品集。
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【収録作品】

「火の雨」ルゴネス(アルゼンチン)

「彼方で」キローガ(ウルグアイ)

「円環の廃墟」ボルヘス(アルゼンチン)

「リダ・サルの鏡」アストゥリアス(グアテマラ)

「ポルフィリア・ベルナルの日記」オカンポ(アルゼンチン)

「吸血鬼」ライネス(アルゼンチン)

「魔法の書」アンデルソン=インベル(アルゼンチン)

「断頭遊戯」レサマ=リマ(キューバ)

 「奪われた屋敷」コルタサル(アルゼンチン)

「波と暮らして」パス(メキシコ)

「大空の陰謀」ビオイ=カサレス(アルゼンチン)

「ミスター・テイラー」モンテローソ(グアテマラ)

「騎兵大佐」ムレーナ(アルゼンチン)

「トラクトカツィネ」フエンテス(メキシコ)

「ジャカランダ」リベイロ(ペルー)


あとがき  作家たちの冥府対談(鼓直)



「彼方で」付き合いを許されなかった恋人たちが心中を図って、幽霊になってデートを重ねた。彼方で幽霊二人を待ち受けるのは一体何なのだろうか?

「リダ・サルの鏡」咒で好きな人と結婚できる噂が実しやかに流れる街。そこで青年一人を巡って起きた事件が展開される。アストゥリアスは『大統領閣下』を長らく積んだままで、さっさと読もうと決心した。

「ベルナルの日記」ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』にインスパイアされた短編。似通っている導入から、背筋も凍るような展開が待っている。家庭教師と娘が衝突する、天使のように見える娘の綴る日記は恐怖を呼ぶ。

「吸血鬼」映画を撮影に古い城を訪れたスタックを待ち構えていたのは、まるでドラキュラ映画から抜け出してきたような老男爵。愉快なパロディ映画『ポランスキーの吸血鬼』を彷彿させる。

「魔法の書」夏休みに古本屋でとても不思議な書物を見つける。読めない文字で書かれた本は、最初から休まず読む時のみ解読可能になる。「読む」作業にとりかかるのに、食料を買い込んで頭痛に備えてアスピリンと目薬と眠気覚しを購入する。ひたすら読むのに熱中するのだった。

「波と暮らして」波が人間の男に恋をして、家に付いてきてしまう。この波の美しいカーブは人間の娘のように描かれる。蜜月から狂うような場面へ、突然に訪れる別れ。魅惑的なマジックリアリズム作品。

「ジャカランダ」妻を亡くしてしまった大学教授が陥る永遠のぐるぐるループ。何度読んでも様々な解釈を与えられる。

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2019年07月11日

『日本人の笑い』 宇井無愁

 笑いが武器だった時代には、人は敵を作るか憎まれるかする危険を冒さずには、うかつに笑えなかった。だが、笑いが労働エネルギーの再生産に役立つことがわかり出すと、笑わずにはいられなくなる。そこで百方手をつくして、あたりさわりのない笑いの対象を物色した。

 笑ったために敵にまわす気づかいのない相手に動物があった。動物笑話がそうして生まれた。それでも足りなくて、笑うべき架空の人物をさがし求めた。そのヤリ玉にあがったのが、昔話の人物である。


そこで死や困難や苦痛や失敗や悲嘆に直面した日本人は、笑うべからざる時に笑顔をつくる/理由がわかってくる。死や困難や苦痛や失敗や悲嘆は、いずれも目にみえない「敵」である。

古代人の感覚では、悪霊や死霊の襲撃にほかならない。この「敵」に対して現代の日本人も、無/意識に「防禦の武器」を面上に用意して、本能的に抵抗の姿勢を示すのである。

『日本人の笑い』 宇井無愁(角川選書)より

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2019年07月08日

「女の顔」寺田虎彦

 夏目先生が洋行から帰ったときに、あちらの画廊の有名な絵の写真を見せられた。

 そうして、この中で二、三枚好きなのを取れ、と言われた。

 その中に、ギドー・レニの「マグダレナのマリア」があった。

 それからまたサー・ジョシュア・レーノルズの童女や天使などがあった。

 先生の好きな美女の顔のタイプ、といったようなものが、おぼろげに感ぜられるような気がしたのである。

 そのマグダレナのマリアをもらって、神代杉じんだいすぎの安額縁に収めて、下宿の間びかんに掲げてあったら、美人の写真なんかかけてけしからん、と言った友人もあった。

 千駄木時代に、よくターナーの水彩など見せられたころ、ロゼチの描く腺病質の美女の絵も示された記憶がある。ああいうタイプもきらいではなかったように思う。それからまたグリューズの「破瓶」の娘の顔も好きらしかった。ヴォラプチュアスだと評しておられた。先生の「虞美人草」の中に出て来るヴォラプチュアスな顔のモデルがすなわちこれであるかと思われる。

 いつか上野の音楽会へ、先生と二人で出かけた時に、われわれのすぐ前の席に、二十三、四の婦人がいた。きわめて地味な服装で、頭髪も油気のない、なんの技巧もない束髪であった。色も少し浅黒いくらいで、おまけに眼鏡をかけていた。しかし後ろから斜めに見た横顔が実に美しいと思った。インテリジェントで、しかも優雅で温良な人柄が、全身から放散しているような気がした。

 音楽会が果てて帰路に、先生にその婦人のことを話すと、先生も注意して見ていたとみえて、あれはいい、君あれをぜひ細君にもらえ、と言われた。もちろんどこのだれだかわかるはずもないのである。

 その後しばらくたってのはがきに、このあいだの人にどこかで会ったという報告をよこされた。全集にある「水底の感」という変わった詩はそのころのものであったような気がする。

「趣味の遺伝」もなんだかこれに聯関したところがあるような気がするが、これも覚えちがいかもしれない。

 それはとにかく、この問題の婦人の顔がどこかレニのマリアにも、レーノルズの天使や童女にも、ロゼチの細君や妹にも少しずつ似ていたような気がするのである。

 しかし、一方ではまた、先生が好きであったと称せらるる某女史の顔は、これらとは全くタイプのちがった純日本式の顔であった。また「鰹節屋のおかみさん」というのも、下町式のタイプだったそうである。

 先生はある時、西洋のある作者のかいたものの話をして「往来で会う女の七十プロセントに恋するというやつがいるぜ」と言って笑われた。

 しかし、今日になって考えてみると、先生自身もやはりその男の中に、一つのプロトタイプを認められたのではなかったかという気もするのである。



(寺田寅彦「柿の種」岩波文庫)より

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2019年07月07日

この声は私を不幸にする

あたりが静かになると妙な音が聞こえる。

 非常に調子の高い、ニイニイ蝉ぜみの声のような連続的な音が一つ、それから、油蝉の声のような断続する音と、もう一つ、チッチッと一秒に二回ぐらいずつ繰り返される鋭い音と、この三つの音が重なり合って絶え間なく聞こえる。

 頸を左右にねじ向けても同じように聞こえ、耳をふさいでも同じように聞こえる。

 これは「耳の中の声」である。

 平生は、この声に対して無感覚になっているが、どうかして、これが聞こえだすと、聞くまいと思うほど、かえって高く聞こえて来る。

 この声は、何を私に物語っているのか、考えてもそれは永久にわかりそうもない。

 しかし、この声は私を不幸にする。

 もし、幾日も続けてこの声を聞いていたら、私はおしまいには気が狂ってしまって、自分で自分の両耳をえぐり取ってしまいたくなるかもしれない。

 しあわせなことには、わずらわしい生活の日課が、この悲運から私を救い出してくれる。

 同じようなことが私の「心の中の声」についても言われるようである。


(寺田寅彦「柿の種」岩波文庫)より

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2019年07月06日

『新聞記社』望月 衣塑子(角川新書)

空気を読まず、出すぎる杭になる。私にできるのはわかるまで質問すること 


第23回 平和・協同ジャーナリスト基金賞 奨励賞受賞


【目次】 

第1章 記者への憧れ 


演劇に夢中になったころ 

小劇場へ、母と 

人生を方向付ける一冊の本との出会い 

記者の仕事をしていた父からの言葉 

吉田ルイ子さんのあとを追って 

TOEFLの得点に愕然 

留学先での大けが 

大学のゼミで感じた核抑止論ありきのマッチョさ 

入社試験は筆記が軒並み不合格…… 

新人研修で新聞を配達 

記者になり、いきなり後悔 

ヒールにスカートの新聞記者 

県警幹部との早朝マラソン 

「今すぐ車から降りろ!」 


第2章 ほとばしる思いをぶつけて 


鬼気迫る形相で警察に挑む先輩記者 

情熱をもって本気で考えるかどうか 

贈収賄事件で警察からの探り 

県版からはみ出せ! 

読売新聞からの誘い 

極秘に手に入れた不正献金リスト 

他紙との抜きつ抜かれつ 

くやしさで検察庁幹部に怒りの電話 

抜かれたら抜き返せ 

特捜部からの出頭命令、2日間の取り調べ 

「東京新聞は書きすぎた」 

内勤部署への異動 

整理部が教えてくれたもう一つの新聞 

転職に初めて意見を言った父 

武器輸出に焦点を定める 

相次ぐ門前払いのなかで 


第3章 傍観者でいいのか? 


編集局長への直訴 

菅野完さんが持っていた受領証 

母に何かが起きている 

「ありがとう、ありがとう」 

新聞記者になったのは 

朝日新聞「政府のご意向」スクープ 

眞子さま報道の裏側で 

尊敬している読売新聞が…… 

「貧困調査」には納得できない 

事実と推測を分ける真摯さ 

和泉補佐官との浅からぬ縁 

教育基本法の改正と安倍晋三記念小学校 

自分が出るしかない 

「東京新聞、望月です」 


第4章 自分にできることはなにか 


抑えきれない思い 

男性特有の理解? 

社内での協力者と共に 

見えない権力との対峙 

興奮して迎えた会見当日 

「質問は手短にお願いします」 

「きちんとした回答をいただけていると思わないので」 

記者たちからのクレーム 

想像を超えた広がり 

声援を受けて募ったやるせなさ 


第5章 スクープ主義を超えて 


突然の激痛 

あの手この手、官邸の対応 

記者クラブ制度の限界? 

不審な警告と身元照会 

産経新聞からの取材 

もっとも印象深い事件 

冤罪事件に國井検事が登場 

日歯連事件からの因縁 

隠したいことを暴いたその先で 

スクープ主義からの脱却 

心強い2人の記者 

目を合わせない記者たち 

輪を広げるために


内容(「BOOK」データベースより)


官房長官会見に彗星のごとく現れ、次々と質問を繰り出す著者。脚光を浴び、声援を受ける一方で、心ないバッシングや脅迫、圧力を一身に受けてきた。演劇に夢中だった幼少期、矜持ある先輩記者の教え、スクープの連発、そして母との突然の別れ…。歩みをひもときながら、劇的に変わった日々、そして記者としての思いを明かす。


著者について

●望月 衣塑子:1975年、東京都生まれ。東京・中日新聞社会部記者。慶応義塾大学法学部卒業後、東京新聞に入社。千葉、神奈川、埼玉の各県警、東京地検特捜部などで事件を中心に取材する。2004年、日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑の一連の報道をスクープし、自民党と医療業界の利権構造の闇を暴く。経済部記者などを経て、現在は社会部遊軍記者。防衛省の武器輸出政策、軍学共同などをメインに取材。

著書に『武器輸出と日本企業』(角川新書)、『武器輸出大国ニッポンでいいのか』(共著、あけび書房)。二児の母。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9B%E6%9C%88%E8%A1%A3%E5%A1%91%E5%AD%90

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ふくろうが鳴く?

 根津権現の境内のある旗亭で大学生が数人会していた。

 夜がふけて、あたりが静かになったころに、どこかでふくろうの鳴くのが聞こえた。

「ふくろうが鳴くね」と一人が言った。

 するともう一人が

「なに、ありゃあふくろうじゃない、すっぽんだろう」と言った。

 彼の顔のどこにも戯れの影は見えなかった。

 しばらく顔を見合わせていた仲間の一人が

「だって、君、すっぽんが鳴くのかい」

と聞くと

「でもなんだか鳴きそうな顔をしているじゃないか」と答えた。

 皆が声を放って笑ったが、その男だけは笑わなかった。

 彼はそう信じているのであった。

 その席に居合わせた学生の一人から、この話を聞かされた時には、自分も大いに笑ったのではあったが、あとでまたよくよく考えてみると、どうもその時にはやはりすっぽんが鳴いたのだろうと思われる。

 ……過去と未来を通じて、すっぽんがふくろうのように鳴くことはないという事が科学的に立証されたとしても、少なくも、その日のその晩の根津権現境内では、たしかにすっぽんが鳴いたのである。


(寺田寅彦「柿の種」岩波文庫)より

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2019年07月05日

『危険なビジョン』完全版2

〔ヒューゴー賞/ネビュラ受賞〕

いまあなたの手にあるのは、単なる本ではない、それは革命だ――奇才ハーラン・エリスンが、英米SF界の変革を試みた、原書で全23万9000語におよぶ書き下ろしアンソロジー。本書はヒューゴー&ネビュラ両賞受賞のライバー「骨のダイスを転がそう」をはじめ、ロドマン、ディック、ニーヴン、ヘンズリー、アンダースン、バンチ、クロス、エムシュウィラー、ナイトによる計10人11篇を収録した3分冊の第2巻。
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◎第2巻収録作品 
月へ二度行った男 
ハワード・ロドマン 
中村融訳 

父祖の信仰 
フィリップ・K・ディック 
浅倉久志訳 

ジグソー・マン 
ラリイ・ニーヴン 
小隅黎訳 

骨のダイスを転がそう 
フリッツ・ライバー 
中村融訳 

わが子、主(しゅ)ランディ 
ジョー・L・ヘンズリー 
山田和子訳 

理想郷 
ポール・アンダースン 
酒井昭伸訳 

モデランでのできごと 
逃亡 
デイヴィッド・R・バンチ 
山形浩生訳 

ドールハウス 
ジェイムズ・クロス 
酒井昭伸訳 

セックスおよび/またはモリソン氏 
キャロル・エムシュウィラー 
酒井昭伸訳 

最後の審判 
デーモン・ナイト 
中村融訳 

解説:若島正 


編者・ハーラン・エリスン
1934年、オハイオ州生まれ。10代後半からSFに興味をもつ。1956年インフィニティ誌に短篇が掲載されたのを皮切りに多数の作品を発表、全作書き下ろしの巨大アンソロジーである『危険なヴィジョン』(1967)を編纂して、アメリカSF界を代表する存在となった。
作家としてばかりでなく、批評家・TV番組のシナリオライターとしても活躍。独特のスピード感あふれる文体でアメリカSF界きっての鬼才と称されるエリスンの作品は、数多くのヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞を受賞している。2018年没。

本書の翻訳刊行は一巻で中断しており、半世紀ぶりに二巻目が続刊となった。古さを感じないアンソロジーで、地球の中心から叫んでるようなエリスンの声が聞こえる。
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2019年07月04日

明恵上人伝記

「梅尾明恵上人伝記 巻上」より


「十三歳の時、心に思はく、今は早十三に成りぬ。既に年老いたり。死なん事近づきぬらん。老少不定(ふぢやう)の習ひに、今まで生きたるこそ不思議なれ。

自ら鞭を打ちて、昼夜不退に道行を励ます。或る時は後の山の、木の空に木の葉深く積れる上に常に行きて座し、或る時は見解おこる様、かゝる五蘊の身の有ればこそ、若干の煩ひ苦しみも有れ。帰寂したらんには如かずと思ひて、何なる狗狼(くらう)・野干(やかん)にも食はれんと思ひ、三昧原へ行きて臥したるに、夜深けて犬共多く来りて、傍なる死人なんどを食ふ音してからめけども、我をば能々嗅ぎて見て、食ひもせずして、犬共帰りぬ。恐ろしさは限り無し。此の様を見るに、さては何に身を捨てんと思ふとも、定業ならずは死すまじき事にて有りけりと知りて、其の後は思ひ止まりぬ。」


「或る時、行法の最中に侍者を召して、「手水桶に虫の落ち入りたると覚えぬ。取り上げて放て」と仰せあり。仍りて出でて見るに、蜂落ち入りて死なんとす。急ぎ取り上げて放ちけり。

 又、坐禅の中に侍者を召して云はく、「後の竹原の中に、小鳥物にけらるゝと覚ゆる。行きて取りさへよ」と仰せられけり。急ぎ行きて見れば、小鷹に雀のけらるゝを追ひ放ちけり。此の如きの琴、連々也。

 或る時、夜深けて炉辺に眠るが如くして坐し給へるが、俄に、「あら無慙や。遅く見付けて、はや食ひつるぞや。火を燃して、急ぎ行きて追ひ放て」と驚き仰せられけるに、前なる僧、「何事候ぞ」と申せば、「大湯屋の軒にある雀の巣に、蛇(くちなは)の入りたるぞ」と仰せらる。深の闇にて有るに、怪しからずやと思へども、蠟燭急ぎ燃して行きて見れば、はや鎧毛に生ひて、羽なんども生ひてある雀の子を、大蛇飲みかけて、巣に纏ひ付きたり。急ぎ取り放ちにけり。」


「又、或る夜の夢に見給ふ、大海の中に五十二位の石とて、其の間一丈許(ばか)り隔てて、大海の興に向きて、次第に是を双べ置けり。我が踏みて行くべき石と思ひて、其の所に至る。信位の石の処には、僧俗等数多の人あり。然るに、信の石を躍りて初住の石に至るよりは、人なし、只一人初住の石に至る。又躍りて第二住の石に至る。此の如く次第に躍り著きて、十住の石を躍りて、又初行の石に至る。一々に踏みて、乃至第十地・等覚・妙覚の石と云ふまで至りて、彼の妙覚の石の上に立ちて見れば、大海辺畔なし。十方世界悉く礙(さはり)無く見ゆ。来れる方も遙かに遠く成りぬれば、此の所をば、人是を知らず。今は帰りて語らんと思ひ、又逆次に次第に踏みて、信位の石の処に至りて、諸人に語ると見る。」


「凡そこの上人、蟻・螻(けら)・犬・鳥・野人に至るまで、皆是、仏性を備へて甚深の法を行ずる者也、賤しみ思ふべからずとて、犬の臥したる傍にても、馬・牛の前を過ぎ給ふとても、さるべき人に向へるが如く問訊し、腰を屈めなどしてぞ通り給ひける。」




「梅尾明恵上人伝記 巻下」より


「上人常に語り給いひしは、「幼少の時より貴き僧に成らん事を恋願ひしかば、一生不犯(ふぼん)にて清浄ならん事を思ひき。然るに、何なる魔の託するにか有りけん、度々に既に婬事を犯さんとする便り有りしに、不思議の妨げありて、打ちさまし打ちさましして終に志を遂げざりき」と云々。

 上人禅定をのみ好み給ひて、一両年は少さき桶を一つ用意して、二三日、四五日の食を請ひ入れて肱にかけ、後の山に入り、木の下、石の上、木の空(うつほ)、巌窟(いはあな)などに、終日(ひねもす)終夜(よもすがら)坐し給へり。「すべて此の山の中に、面の一尺ともある石に我が坐せぬはよもあらじ」とぞ仰せられける。」


「或る時、又人の許より糖桶を進せたりけるを、後日に「其れこなたへ」とて前へ取り寄せ給ひけるを、結構の由に上に巻きたる藤の皮をむきて指出したりければ、やがて泣き給うひて、「糖桶は上を巻きたるこそ糖桶のあるべき様にて有るに、あるべき様を背きたる」とて、又いひ出してぞ泣き給ひける。此の如き事常に有りけり。」


「「譬へば、一日の中に行き著くべき所あるに、一人は、苦しく足痛けれども、杖にすがり兎角して暫くも止まらず、悩みながら其の処へ日の中行き著けり。一人は、余りに苦しく足の痛きまゝに、こらへずして有る石の上に休めり。心閑かに身安くして、歓喜極り無くして、此の石の上に仰のきに臥して空を見るに、浮雲(ふうん)風に随ひて西に行くこと速かなり。是をつくづくと守る程に、我が臥したる石東へ行く心地す。


歩は甚だ苦しく足の痛きに、此の石、船の如くして行く事速かなりと大いに悦び思へり。風吹き立ちて雲の早き時は、此の石はやく走る心地する時、独りごとに石に云ふ様、『目のまはるに、あまりはやくな行きそ、静かに行くべし。何となくとも、かくてはとく行き付くべきぞ』と云ふ。」」


(岩波文庫)より

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2019年07月03日

明恵上人集 (改版2009年)岩波文庫

「明恵上人歌集」より


「夢の世のうつゝなりせばいかゞせむ さめゆくほどを待てばこそあれ」


「山のはにわれも入りなむ月も入れ よなよなごとにまた友とせむ」


「あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月」



「明恵上人夢記」より


「夢に云はく、石崎入道之家の前に海有り。海中に大きなる魚有り。人云はく、「是鰐也。」一つの角生ひたり。其の長一丈許り也。頭を貫きて之を繋ぐ。心に思はく、此の魚、死ぬべきこと近しと云々。」


「正義房之魂とて、たこの如き躰の物の生類なるあり。家の中に動き行く。義林房、之を取りて、刀を以てこそげ、なやして池中に投ぐ。其の形、亀に似て、向ひの岸へ行くべしと思ふに、底に沈み了んぬ。」


「夢に、自らの手より二分許り之虫、〔ふと虫の如し〕懇ろに之を出せりと云々。即ち懺悔の間也。」


「初夜の行法の時、水加持作法の間に眠り入る。夢に、我が身一尺許りの小さき竜と成ると云々。」


「大磐石有り。其の石に小さき穴有り。成弁、其の中に入りて思はく、出づるに猶称はず。義林房・縁智房、先づ此の石の上面かを過ぎたり。成弁、中に在りて義林房に告げて言はく、「いかゞして出づべき。」即ち、誦文を教へて成弁に誦せしむ。其の誦文、連歌の如し。いさなきのと云々。成、之を受け之を誦するに、大きなる□氷の日に尽くるが如く、誦するに随ひ次第に消ゆ。消え畢りて頭面漸く出づ。出で已りて又消えて腰に到る。今少し残れるを、とかくなして、抜きて之を出づ。磐石の残れるはぬけがらの様にて軽薄にして捨て畢んぬ。今は皆消えなむと思ふ。


明恵上人集 (改版2009年)岩波文庫 

「今は勝れて能き人もなく、勝れて悪き人もなし。何れも同じ様にて、善悪も見えわかず。是末代の故也。」

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2019年07月01日

「死んだ男」 鮎川信夫

たとえば霧や 

あらゆる階段の跫音のなかから、 

遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。 

−−これがすべての始まりである。

遠い昨日…… 

ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、 

ゆがんだ顔をもてあましたり 

手紙の封筒を裏返すようなことがあった。 

「実際は、影も、形もない?」 

−−死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった

Mよ、昨日のひややかな青空が 

剃刀の刃にいつまでも残っているね。 

だがぼくは、何時何処で 

きみを見失ったのか忘れてしまったよ。 

短かかった黄金時代−− 

活字の置き換えや神様ごっこ−− 

「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、 

「淋しさの中に落葉がふる」 

その声は人影へ、そして街へ、 

黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

埋葬の日は、言葉もなく 

立会う者もなかった、 

憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。 

空にむかって眼をあげ 

きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。 

「さよなら。太陽も海も信ずるに足りない」 

Mよ、地下に眠るMよ、 

きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 

(『鮎川信夫全詩集』1965・荒地出版社刊より)


昨日掲載した幽霊船長が若い頃に、同人誌に書いた詩である。Mという人物が昭和に読んだ時と、令和の今においては意味すること存在感が変わって受け留められるポエム作品。

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2019年06月30日

『大都会隠居術』荒俣宏編 隠居名人たちの隠居小説、エッセイを多数収録。

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第1ステップ 都会隠居術事始め世の煩わしさから逃れる
大岡昇平、永井荷風、谷崎潤一郎、水木しげるほか

第2ステップ 都会に潜む悦楽女子供に分らぬ世界へ 江戸川乱歩、内田百間、幸田露伴、岡本かの子ほか

第3ステップ それぞれの隠居たち心朽ちた聖者の伝記を読む宇野浩二、古今亭今輔、千早柊一郎ほか

第4ステップ 骨董、味道の悦楽 平成あこがれのご隠居たち 宇野千代、青山二郎、北大路魯山人ほか

第5ステップ そして、死との対面 都会での死に方を知る 稲垣足穂、ピーター・S・ビーグル、ボリス・ヴィアン

永井荷風「短夜」(みじかよ)「短夜」は現世の波にもまれるばかりで、真の男女の情交を味わえずにいる男たちへの、最大の慰めといえる。編者はこれを読み返すたびに全身がわななく。涙があふれてくる。都会隠居にぜひとも必要なのは、肉体の交わりを忘れさせるほど心打つ物語を、果てしなく語ってくれる伴侶なのである。

「繊細な然し鋭いお前の爪先で弛んでしまった私の心の絲を弾け。」

「幽霊船長」こと鮎川信夫は私生活について完全な秘密主義を貫いて、連絡先は母の家、晩年は甥の家と徹底していた。1986年10月17日に世田谷区成城の甥・上村佑の家に郵便物を受け取りに行って、甥家族とスーパーマリオブラザーズしている時に、脳出血で倒れて搬送先の病院で死去した。焼かれて骨になってから、幽霊船長の晩年日録には次旨の言葉を知らされた。

「人生(ライフ)は単純なものである。人がおそれるのは、畢竟一切が徒労に帰するのではないかということであるが、人生においては、あらゆる出来事が偶発的(インシデンタル)な贈与(ギフト)にすぎない。そのおかえしに書くのである。正確に、心をこめて、書く。――それがための言葉の修練である」

人生における一切は「偶発的な贈与にすぎない」、更に「そのおかえしに書くのである」という驚くべき信念を秘めていた鮎川信夫。詩人の残した言葉に絶句するのだった。


 荒俣 宏編『大都会隠居術 』 序文

老人になるとは、要するに心朽ちることであります。


世のありさまの裏おもてをすべて知りつくし、もはやいかなる対象に対しても青春の活きいきとした夢を託さぬことであります。現世のあらゆる部分で実行されている厳密なルールをもった人生ゲームから、あっさり降りてしまうことであります。


そして、そのあとにようやく心静かな自由が訪れる。生きながら死んでいることの喜ばしさよ。まるで、浮世のわずらいから解き放たれた幸福な魂のように。

いやそれどころか、わが日本では、自らすすんで心朽ちた老いの境地に至るための習俗があったのであります。何を隠そう、これすなわち、隠居であります。


隠居なることばの意味は、伝統的には、家督を子孫に譲って自ら第一線をしりぞくことと解されるようであります。世に隠れて暮らすのですから、社会的には、文字どおり「生きている死者」となるわけです。しかし封建社会にあっては、むしろ、老境に達したから身を引くというのではなく、次世代の成長をもって自らは現世を脱し、「次の人生」にはいることを意味していたのです。つまり、「定年」による隠居ではなく、あとの憂いがなくなったところで次の人生にチャレンジしていく、というような積極的姿勢に立つ引退であります。その意味では、かつての隠居は、子育てが終わり、さてこれからが人生本番と、キラキラ輝いている中年婦人たちの姿に近かったわけであります。換言すれば、社会生活を営むよりも上に、もう一つ別の「生きざま」があったことになります。中国風にいえば、仙人になる道、企業でいえば、相談役か顧問、アカデミズムでいえば名誉教授。名称は何でもよろしいが、隠居は文字どおり解放を意味していたのです。(荒俣 宏)


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光文社の叢書刊行はアンソロジーシリーズ“文学の森”に企画も続いている印象で全10冊の構成になっていた。

(1)筒井康隆編『夢探偵』

(2)種村季弘編『放浪旅読本』

(3)山田詠美編『せつない話』

(4)青木雨彦編『会社万葉集』

(5)荒俣宏編『大都会隠居術』

(6)立松和平編『わたしの海彦山彦』

(7)池田満寿夫編『私の大学』

(8)加藤幸子編『子どもの発見』

(9)佐佐木幸綱編『肉親に書かずにいられなかった手紙』

(10)田辺聖子編『わがひそかなる楽しみ』


山田詠美さんの(3)は文庫化され第二集も編まれた。読書好きであれば興味を惹かれるのは、(1)(2)(5)だろうか。

posted by koinu at 14:00| 東京 ☔| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

種村季弘 編『放浪旅読本』(光文社)

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1989「〔光る話〕の花束」というシリーズの第2巻は絶品である。アンソロジーは書物をたくさん読みこなさないと不可能な編集作業。対談でも次々と繰り出される文学作品の数々に、選者としての眼差しが感じられる。ともすれば「放浪旅」という凡庸なテーマに、次のように六段階での旅への構成と好奇心を齎らす内容は流石ですね。



【収録内容】

T    旅への誘い

旅上(萩原朔太郎)/放浪への誘い(森敦)/港の感傷(結城昌治)/仙台屋台誌(村上善男)/リュックの中味(高田宏)/旅枕(向田邦子)/勉強記(坂口安吾)/

U   芸能道中

浅草花屋敷(武田百合子)/夕焼けと山師(辻まこと)/売り絵師の話(池内紀)/たのしいドサまわり(駒田信二)/学校といふ浮浪者(長谷川伸)/ニューヨークは今日も大変だ!-抜粋(篠原有司男)/

V   逃避行

陽は西へ-抜粋(色川武大)/摩天楼(島尾敏雄)/百人斬りの守神健次(森川哲郎)/日光円蔵の墓(子母沢寛)/追剥団(野尻抱影)/

W   無銭道中

世界放浪記-マレーの巻(金子光晴)/宗不旱の白骨(高木護)/いろは長屋(添田唖蝉坊)/突貫紀行(幸田露伴)/なめとこ(高橋新吉)/

X   冒険

海ゆかば(宮本常一)/チベット滞在記-抜粋(多田等観)/森(土方久功)/木曽より五箇山へ(柳田国男)/

Y   コスモポリタン

大連ふたたび(清岡卓行)/異沢とダダ大泉黒石・辻潤(大谷利彦)/ブラジル生活の早取写真(堀口九万一)/遅れてはきたけれど(細川周平)/履歴書-抜粋(南方熊楠)


アンソロジーとして抜群な内容で、これは文庫本にならないのだろうか。種村季弘さんは『東京百話』(ちくま文庫)などに代表される稀代アンソロジストで、多岐に渡るジャンルの広さが特徴である。


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ヘボな詩集や音楽を聴いているより、豊かな魂を感じる憩い。
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筒井康隆【夢アンソロジー】2冊

筒井康隆編『夢探偵』光文社


夢を見ることは人間であることの条件。現代日本の傑作小説と貴重な日記17編とで夢のふしぎな力を探る。文学の前衛に立つ編者によるアンソロジー。「夢」を復権する傑作小説、日記17編。


【収録作品】

 お爺さんの玩具  内田百

 音楽論  清岡卓行 

 夢、覚え書  武田百合子 

 願望  星新一 

 阿波環状線の夢  安部公房 

 夢  澁澤龍彦 

 夢飛行  小泉八雲 

 法子と雲界  筒井康隆 

 鞄の中身  吉行淳之介 

 孤島夢  島尾敏雄 

 夢の殺人  石川淳 

 夢三態  八木義徳 

 夢の底から来た男  半村良 

 雀  色川武大 

 私の夢日記  横尾忠則 

 夢日記  正木ひろし 

 夢の検閲官  筒井康隆


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1989年に光文社から刊行された夢テーマのアンソロジーで、「〔光る話〕の花束」シリーズの第1巻。

編者の筒井康隆さんが「おれの大好きな作品である」という「夢の底から来た男」は、以前アンソロジーに入れることが出来なかったらしく全編掲載されている。創作だったり夢への考察であつたり、夢日記であったりするが、夢は抑圧された欲求や過去への憧憬など、精神の丸裸だったりするので、バラエティ過ぎてばらばらな書物になってしまう可能性がある。しかし「夢」への解剖と構成は「夢の検閲官」で試みられるように、手ばさき見事な俎板に乗せられて読者の席に運んで来られる。



光文社から1980年11月刊行されたこの前編となる、傑作というべきアンソロジーもあった。


『いかにして眠るか』筒井康隆・編


本書を、眠れぬ人、眠りたい人、睡眠に興味を持つ人、夢に興味を持つ人、寝ること(横たわる意味の)が好きな人に捧げる。編者自身も、なろうことなら一日中寝ていたい怠け者である。サラリーマン時代には、朝、起きることができず困った経験がある。さらに大学時代の卒業論文のテーマは夢であった。本書を編集する資格のある人間ではないかと思うがいかがであろうか。

さらにまた、眠れなくて困った経験も数多く持っている。ところで最近、その不眠症に対するこのような発言にしばしばお目にかかる。

「眠れなくて困る、などという人がいるが、人間は眠らずにいられるものではない。眠れなければ起きていればよろしい。そのうちに必ず眠くなる。無理に眠ろうとしなくてもよい」不眠に対する、なんたる無理解であろうか。この人はどのような生活をしているのであろう。もちろんぼくも含め、われわれが眠れなくて困る時は、翌朝に重大事をひかえているときである。だからこそ心配で眠れないのであって、無理に眠らなくてもいいのんびりした状態の時には、そもそも眠くなるなどという事態に遭遇したりはしない。
筒井康隆・編「いかにして眠るか」序文)


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【収録内容】

ベンチリー(訳:浅倉久志)「HOW TO SLEEP」

北畠美代「堀たゑ子様へ」

安部公房「睡眠誘導術」

星 新一「不眠症」

三木 卓「ねむる」

ヒルティ(訳:小池辰雄)「眠られぬ夜のために(序言)」

山口 瞳「睡眠」

筒井康隆「寝る方法」

モンテーニュ(訳:関根秀雄)「睡眠について(『随想録』より)」

島崎敏樹「意識のたそがれ」

井上光晴「木曽宿にて」

金子光晴「冬眠」

チェスタトン(訳:別宮貞徳)「ごろ寝の楽しみ」

サヴァラン(訳:関根秀雄・戸部松実)「眠りについて 食飼の休息睡眠および夢に及ぼす影響」

チェーホフ(訳:神西 清)「ねむい」

堀 辰雄「眠れる人」

生島治郎「ゆたかな眠りを」

デメント(訳:大熊輝雄)「夜明かしする人、眠る人〈第2章〉」


◆1988年/光文社文庫

図版収録された「HOW TO SLEEP」はDVD『マルクス兄弟・オペラは踊る』映像特典になって「眠る方法」という邦題で収録されて、映像を観ることができる。

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2019年06月25日

『折りたたみ北京』 現代中国SFアンソロジー (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

中国に史上初のヒューゴー賞をもたらした「円」など7作家の13作品を、『紙の動物園』著者のケン・リュウが選び収録。いま一番SFが熱い国・中国の粋を集めたアンソロジー。
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 ”交替”が始まった。これが二十四時間ごとに繰り返されているプロセスだ。世界が回転し始める。鋼鉄とコンクリートが折りたたまれ、きしみ、ぶつかる音が、工場の組立ラインがきしみを上げて止まるときのように、あたりに響き渡る。街の高層ビルが集まって巨大なブロックとなり、ネオンサインや入口の日よけやバルコニーなど外に突き出した設備は建物のなかに引っこむか、平らになって壁に皮膚のように薄く張りつく。あらゆる空間を利用して、建物は最小限の空間に収まっていく。「折りたたみ北京」より。

【収録作品】

鼠年(陳楸帆)/麗江の魚(陳楸帆)/沙嘴の花(陳楸帆)/百鬼夜行街(夏笳)/童童の夏(夏笳)/龍馬夜行(夏笳)/沈黙都市(馬伯庸)/見えない惑星(郝景芳)/折りたたみ北京(郝景芳)/コールガール(糖匪)/蛍火の墓(程 婧波)/円(劉慈欣)/神様の介護係(劉慈欣)/エッセイ

ケン・リュウ   KEN LIU
1976年、中国・甘粛省生まれ。8歳のときに米国に移り、以降カリフォルニア州、コネチカット州で育つ。ハーヴァード大学にて英文学、コンピューターサイエンスを学ぶ。プログラマーを経て、ロースクールにて法律を勉強したのち、弁護士として働く。2002年、作家デビュー。2011年に発表した短編『紙の動物園』で、ヒューゴー賞・ネビュラ賞・世界幻想文学大賞の短編部門を制する史上初の3冠に輝く。2015年には初の長編となる『蒲公英王朝記』を刊行。中国SFの翻訳も積極的に行っている。
https://wired.jp/2017/05/20/ken-liu/
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2019年06月24日

『壊れやすいもの』ニール・ゲイマン/ 金原 瑞人, 野沢 佳織 訳(角川文庫)

ニール・ゲイマンの短篇集。既訳短篇ほとんどと詩篇も収録。電子書籍も発売。
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 収録作品
・「翠色の習作」
・「妖精のリール」
・「十月の集まり」
・「秘密の部屋」
・「顔なき奴隷の禁断の花嫁が、恐ろしい欲望の夜の秘密の館で」
・「メモリー・レーンの燧石」
・「閉店時間」
・「森人ウードゥになる」
・「苦いコーヒー」
・「他人」
・「形見と宝」
・「よい子にはごほうびを」
・「ミス・フィンチ失踪事件の真相」
・「ストレンジ・リトル・ガールズ」
・「ハーレクインのヴァレンタイン」
・「髪と鍵」
・「スーザンの問題」
・「指示」
・「どんな気持ちかわかる?」
・「おれの人生」
・「ヴァンパイア・タロットの十五枚の絵入りカード」
・「食う者、食わせる者」
・「疾病考案者性喉頭炎」
・「最後に」
・「ゴリアテ」
・「オクラホマ州タルサとケンタッキー州ルイヴィルのあいだのどこかで、グレイハウンド・バスに置き忘れられた靴箱の中の、日記の数ページ」
・「パーティで女の子に話しかけるには」
・「円盤がきた日」
・「サンバード」
・「アラディン創造」
・「谷間の王者――『アメリカン・ゴッズ』後日譚」

「考えうる最も正確な地図とは土地そのもので、完璧に正確だが、地図としてはまったく用をなさない。物語とは、原寸大の地図のことだ」
「髪と鍵」「おれの人生」「指示」などの詩に作風エッセンスが凝縮されている。
ヒューゴー賞受賞作「翠色の習作」「顔なき奴隷の禁断の花嫁が、恐ろしい欲望の夜の秘密の館で」「メモリー・レーンの燧石」「閉店時間」「形見と宝」「ミス・フィンチ失踪事件の真相」「疾病考案者性喉頭炎」「ゴリアテ」など代表短編はあらゆるジャンルを超えて物語る。

ニール ゲイマンNeil Gaiman

ファンタジー作家

英国 1960年ポートチェスター生まれ

ジャーナリストとして修業を積んだ後、児童書を皮切りに、アメリカン・コミック「サンドマン」の原作を手がけ一躍注目される。〈サンドマン〉シリーズとして多くの国で翻訳されベストセラーとなる。小説では「グッド・オーメンズ」など一連の独創的な作品でストーリーテラーの第一人者となった。世界幻想文学大賞、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ブラム・ストーカー賞など、SF・幻想・怪奇・ファンタジー系の文学賞を総なめにする。邦訳された著書に、コミック「サンドマン」(1〜5巻)、「デス ハイ・コスト・オブ・リビング」「愛の狩人」、長中編小説に「ネバーウェア」「コララインとボタンの魔女」「アナンシの血脈〈上・下〉」「グッド・オーメンズ〈上・下〉」「アメリカン・ゴッズ」などがある。1999年「もののけ姫」海外公開時の英語版脚本を担当し話題となる。2007年、1999年に発表したコミック「スターダスト」が英国のマシュー・ボーン監督によって映像化され同年来日。

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2019年06月23日

木山捷平ユーモア詩篇

『白いシヤツ』木山捷平
旅でよごれた私のシヤツを
朝早く あのひとは洗つてくれて
あのひとの家の軒につるした。
山から朝日がさして来て
「何かうれしい。」
あのひとは一言さう言つた。
木山捷平
2904年、岡山県笠岡市に生まれ。地主の実家農業を継がずに文学を志して二十代で上京。平明な言葉遣い、独特のユーモアとエロスで郷里の風物を描いた詩集『野』(1929)、『メクラとチンバ』(1931)で詩人デビュー。やがて散文へと進み、文学の夢に破れて家業を継がざるをえなかった父親との軋轢、太平洋戦争時に満州で嘗めた辛酸、戦後の貧窮生活を糧に、急がず騒がず、時流に乗らないのではなく、乗りたくても乗れない生理を苦々しく楽しく、持てあましながら忘れがたい佳品を残す。

「濡縁におき忘れた下駄に雨がふつてゐるやうな/どうせ濡れだしたものならもつと濡らしておいてやれと言ふやうな/そんな具合にして僕の五十年も暮れようとしてゐた。」
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