2021年07月05日

「虎の娘 (序)トラウマ」宮谷一彦

YKアワーズ8月号発売中

特別読み切り

「虎の娘 ()トラウマ」宮谷一彦

執念と美意識から生まれる圧倒的筆致。

見る者すべてを魅了した『虎の娘』未発表作が40年の時を超え復活


「虎の娘 ()トラウマ」電子フルカラー版 

銃声飛び交う狂騒の時代を生き抜く男がいた。娘と国、そして己の未来の為、闘う男が行き着く先はー・・・。執念と美意識から生まれる圧倒的筆致。見る者すべてを魅了した『虎の娘』未発表作が電子版フルカラーにて復活!  

「孔雀風琴《第一部》」電子版75日同時配

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2021年07月03日

FMシアター『山のあなたに住むものは』

NHK徳島放送局制作のラジオドラマ。今城文恵が脚本をして、“妖怪村”こと徳島県三好市山城町を舞台とした物語が展開。
現実逃避してばかりのフリーター・糟中駿は、山城町で妖怪を作る不思議な能力を持った五木咲と出会う。
咲やコナキジジイら妖怪たちと現実離れしたひと時を楽しむ駿だったが、ひょんなことから駿の逃げ癖が見抜かれてしまう、方言が活かされたラジオドラマとなってる。

■ NHK-FM「FMシアター『山のあなたに住むものは』」今夜10時放送。
らじる⭐︎らじる音源公開中

作:今城文恵
出演:武田航平、清水くるみ、斉木しげる / 有馬自由、谷川清美、村上航 / 西岡未央、千田美智子、平松來馬
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2021年07月01日

渋柿のころがなつかしい世界

「干し柿」長嶋南子


渋柿をもらった

皮をむいてベランダに干す

いっしょに

わたしもベランダに干す


しわしわになって食べごろ

こんなに甘くなるんだったら

もっと前に干せばよかった


ベランダで

陽をあびて風にふかれ

水分が抜けていく

張りがなくなったこのからだ

いまさら甘くなったって


つやつやの渋柿のころがなつかしい

誰にもかじられず

ふくれっ面でななめ向いて

タバコふかしてエラそうにしていたあのころ 



長嶋南子 茨城県常総市生まれ。

詩集

『あんぱん日記』1997年 夢人館 第31回小熊秀雄賞

『ちょっと食べすぎ』2000年 夢人館

『シャカシャカ』2003年 夢人館

『猫笑う』 2009年 思潮社

『はじめに闇があった』2014年 思潮社

『海馬に乗って』2020年 空とぶキリン社)

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2021年06月30日

『K』三木卓(講談社文芸文庫)

詩人として出発し、小説、児童文学など幅広く活躍してきた著者が、詩への志を同じくする配偶者との出会いから末期癌による辛い闘病生活の末の最期までを愛惜とともに描いた私小説。貧しい暮らしをものともしない生き方、自我のぶつかり合いによって築き上げられた特異な夫婦生活、常軌を逸した子供との結びつき、詩と学問への執着、どこか平静な病気との向き合い方などを通して浮かび上がる「K」の孤高の魂が感動を呼ぶ長篇小説。


Kのことを書く。Kとは、ぼくの死んだ配偶者で、本名を桂子といった。」詩への志を抱く仲間として出会い、結婚したKとの暮らしは苦労の連続ながら子供にも恵まれ落ち着くかに見えたが、「ぼく」が小説を書くようになると家庭から遠ざけられる。幼い娘と繭のなかのように暮らし、詩作や学問に傾注していった彼女の孤高の魂を、最期まで寄り添った同志として丁寧に描き出した純真無垢の私小説。逝きし妻への切なる鎮魂の書。


三木卓 1935513~。小説家。東京生まれ。幼少より何度も病魔に襲われる。1959年、早稲田大学卒業。57年ころより、詩を書き始める。67年『東京午前三時』でH氏賞受賞。73年「鶸」で第69回芥川賞受賞。84年『ぽたぽた』で野間児童文芸賞受賞。86年『馭者の秋』で平林たい子文学賞受賞。89年『小噺集』で芸術選奨文部大臣賞受賞。97年『路地』で谷崎潤一郎賞受賞。99年紫綬褒章受章。2000年『裸足と貝殻』で読売文学賞受賞。『北原白秋』で05年に藤村記念歴程賞、蓮如賞、06年に毎日芸術賞受賞。07年日本芸術院・恩賜賞を受賞し、日本芸術院会員となる。11年春の叙勲で旭日中綬章受賞。13年『K』で伊藤整文学賞受賞。

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2021年06月29日

ヴェネツィア 水の迷宮の夢

現在と過去、生と死、光と闇。冬のヴェネツィァを舞台に繰り広げられるいくつもの印象深いエピソードを、ロシアの亡命作家が詩的に綴る。ノーベル文学賞受賞作家の小説を初公開した話題作。

本書は、アメリカ亡命後の72年から17年の間、ほとんど毎年のようにヴェネツィアを訪れた詩人の、ヴェネツィア滞在の印象記。彫琢された、美しい文章の、散文詩のような51の断章からなる。ヴェネツィアの水と光をモチーフに、多くの隠喩やアフォリズムを織り込んだフーガのような作品。ノーベル賞受賞作家の小説、本邦初紹介。

ブロツキーが、彫琢された文章の美しさでヴェネツィア滞在の印象を綴る。ヴェネツィアの水と光をモチーフに、多くの隠喩やアフォリズムを織り込んだ遁走曲のような作品。小説としても充分楽しめる一冊。 


ヨシフ・ブロツキー

Иосиф Александрович БродскийIosif Aleksandrovich Brodskiy

19401996

詩人。レニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)生まれのユダヤ系ロシア人。15歳で学校を中退、以後独学でいくつかの外国語を学び、1958年から詩を書き始めた。作品のほとんどは地下出版の形で流布されていたが、64年「社会的寄食者」として逮捕され、一時アルハンゲリスク地方に追放された。72年出国を強制され、ウィーン、ロンドンに滞在後、アメリカに渡り、77年市民権を取得。ジョン・ダン、エリオットなどに傾倒し、野卑な口語の要素を取り入れながらも、それが「形而上学的」なものにまで高められている。題材を古典古代、聖書などにとりながらも、つねにそれは現在と重ね合わされた。詩集に『長詩と短詩』(1965)、『美しい時期の終り』(1977)など。87年ノーベル文学賞受賞、91年アメリカの桂冠(けいかん)詩人に叙せられた。

『ブロツキー著、沼野充義訳『大理石』(1991・白水社)』『ブロツキー著、金関寿夫訳『ヴェネツィア・水の迷宮の夢』(1996・集英社)』『ブロツキー著、沼野充義訳『私人――ノーベル賞受賞講演』(1996・群像社)』『ブロツキー著、たなかあきみつ訳『ローマ悲歌』(1999・群像社)』

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2021年06月26日

「蒸発皿」 寺田寅彦

「蒸発皿」寺田寅彦


   一 亀井戸まで


 久しぶりで上京した友人と東京会館で晩餐ばんさんをとりながら愉快な一夕を過ごした。向こうの食卓には、どうやら見合いらしい老若男女の一団がいた。きょうは日がよいと見える。近ごろの見合いでは、たいてい婿殿のほうがかえって少しきまりが悪そうで、嫁様のほうが堂々としている。卓上の花瓶かびんに生けた紫色のスウィートピーが美しく見えた。

 会館前で友人と別れて、人通りの少ない仲通りを歩いていると、向こうから子供をおぶった男が来かかって、「ちょっと伺いますが亀井戸かめいどへはどう行ったらいいでしょう。……玉たまの井いという所へ行くのですが」と言う。「それなら、あしこから電車に乗って車掌によく教えてもらったほうがいいでしょう、」というと「いや、歩いて行くのです」とせき込んだ口調で言うのである。「それはたいへんだが、……それならとにかく向こうの濠端ほりばたを右へまっすぐに神田橋かんだばしまで行って、そのへんでまたもう一ぺんよく聞いたほうがいいでしょう」と言って別れた。

 かなり夜風が寒い晩だのに、男は羽織も着ず帽もなしで、いかにも身すぼらしいふうをしていた。三十格好と思われる病身そうな青白い顔に、あごひげをまばらにはやしているのが夜目にもわかった。そうしてその熱病患者に特有なような目つきが何かしら押え難い心の興奮を物語っているように見えた。男の背中には五六歳ぐらいの男の子が、さもくたびれ果てたような格好でぐったりとして眠っていた。雨も降らぬのに足駄あしだをはいている、その足音が人通りのまれな舗道に高く寒そうに響いて行くのであった。

 しばらく行き過ぎてから、あれは電車切符をやればよかったと気がついた。引っ返して追い駆けてやったら、とは思いながら自分の両足はやはり惰性的に歩行を続けて行った。

 女房にでも逃げられた不幸な肺病患者を想像してみた。それが人づてに、その不貞の妻が玉たまの井いへんにいると聞いて、今それを捜しに出かけるのだと仮定してみる。帽子も羽織も質に入れたくらいなら電車賃がないという事も可能である。あの男の顔つき目つきはこの仮説を支持するに充分なもののように思われた。そうだとすれば実にかわいそうな父子おやこである。円タクでも呼んで乗せて送ってやってもしかるべきであったという気がした。

 しかし、また考えてみると、近ごろ新聞などでよく、電車切符を人からねだっては他の人に売りつける商売があるという記事を見ることがある。この男は別に切符をくれともなんとも言いはしなかったが、しかし、あの咄嗟とっさの場合に、自分が、もう少し血のめぐりの早い人間であったら、何も考えないで即座に電車切符をやらないではおかないであったろうと思われるほどに実に気の毒な思いをそそる何物かがあの父子の身辺につきまとっていたではないか。

 しかし、また考えてみると、切符をくれと言わずに切符をもらうという巧妙な手段を考えてそれを遂行するとすれば、だれが見てもいかにも切符をやりたくなるというだけの何物かを用意しなければならぬのは明らかなことである。それには寒空に無帽の着流し、足駄ばき、あごの不精ひげに背の子等は必要で有効な道具立てでなければならない。

 そう考えて来ると、第一この男が丸まるの内うち仲通なかどおりを歩いていて、しかもそこで亀井戸かめいどへの道を聞くということが少し解しにくいことに思われて来る。こういう男がこの界隈かいわいのビルディング街の住民であろうとは思われない。いずれ芝しばか麻布あざぶへんから来たものとすれば、たとえば日比谷ひびやへんで多数の人のいる所で道を聞いてもよさそうなものである。それがこのさびしい夜の仲通りを、しかも東から西へ向かって歩きながら、たまたま出会った自分に亀井戸かめいどへの道を聞くのは少しおかしいようにも思われる。

 そうは言うものの、やはり初めの仮説に基づいてもう一ぺん考え直してみると、異常な興奮に駆られ家を飛び出した男が、夜風に吹かれて少し気が静まると同時に、自分の身すぼらしい風体ふうていに気がついておのずから人目を避けるような心持ちになり、また一方では内心の苦悩の圧迫に追われて自然に暗い静かな所を求めるような心持ちから、平生通ったこともないこの区域に入り込んだと仮定する。見慣れぬビルディング街の夜の催眠術にかかって、いつのまにか方角がわからなくなってしまう、ということは、きわめて有りそうなことである。それが、たださえ暗い胸の闇路やみじを夢のようにたどっている人間だとすれば、これはむしろ当然すぎるほど当然なことである。それで急に道を失ったと気がついて、はっとした時に、ちょうど来かかった人にいきなり道を聞くのになんの不思議もないことである。

 しかし、こんなことを考えている元のおこりはと言えば、ただかの男が自分に亀井戸への道を聞いたというきわめて簡単なただそれだけの事実に過ぎない。たったそれだけの実証的与件では何事も実証的に推論できるはずはない。小説はできても実話はできないのである。

 こんなことを考えながら歩いているうちに、いつのまにか数寄屋橋すきやばしに出た。明るい銀座ぎんざの灯ひが暗い空想を消散させた。

 紫色のスウィートピーを囲んだ見合いらしいはなやかな晩餐ばんさんの一団と、亀井戸かめいどへの道を聞いた寒そうな父子おやことの偶然な対照的な取り合わせが、こんな空想を生む機縁になったのかもしれない。丸まるの内うちの夜霧がさらにその空想を助長したのでもあろう。

 それにしても、あれはやはり電車切符ぐらいをやったほうがよかったような気がする。もしだまされるならだまされても少しも惜しくはなかったであろう。そんな芝居をしてまでも、たった一枚の切符を詐取しなければならない人がかりにあるとすれば、それほどに不幸な哀れな人がそうざらにたくさんこの世にあるであろうとは思われない。これに反して、こんな些細ささいな事実を元にしてこんな無用な空想をたくましゅうしていられるような果報な人間もいるのである。やはり切符をやればよかったのである。



   二 エレベーター


 百貨店のひどく込み合う時刻に、第一階の昇降機入り口におおぜい詰めかけて待っている。昇降箱が到着して扉とびらが開くと先を争って押し合いへし合いながら乗り込む。そうしてそれが二階へ来ると、もうさっさと出てしまう人が時々ある。出るときにはやはりすしづめの人々を押し分けて出なければならないのである。わずかに一階を上がるだけならば、何もわざわざ満員の昇降機によらなくても、各自持ち合わせの二本の足で上がったらよさそうにも思われる。自分の窮屈は自分で我慢すればそれでいいとしても、他の乗客の窮屈さに少しでも貢献することを遠慮したほうがよさそうにも思われる。

 それほど満員でない時に、たとえば三階四階間の上下にわざわざ昇降機を呼び止めて利用する人もある。この場合には自分のわずかな時間と労力の節約のために他の同乗者のおのおのから数十秒ずつの時間を強要し消費することになるのである。これも遠慮したほうがよさそうに思われる。

 しかし、昇降機のほうから言えば何階で止まるも止まらぬのもたいした動力のちがいはないであろうし、それが違ったところで百貨店の損益にも電力会社の経営にも格別重大な影響を及ぼす気づかいはないであろう。また運転嬢の労力にしたところで二階で出る人のために扉とびらを開閉するのも二階ではいる人のために扉を開閉するのも同じであるからこれも別に問題にはならない。

 同乗客の側から言っても、他の便利のために少しの窮屈や時間の消費を我慢するくらいなことは当然な相互扶助の義務であろうから、なんの遠慮もいらないわけである。押し込まれるだけ押し込んでただ一階でも半階でも好きな所で乗って好きな所でおりればいいのである。また押し合いへし合うことのきらいな人間は遠慮なく昇降機を割愛して階段を昇降すればよい。それで問題はないのである。

 ただ問題になるのはこの昇降機というもののメンタルテストの前に人間が二色に区別されることである。

 何事でも人の寄る所へは押し寄せて行って群集を押し分けて先を争わないと気の済まない人と、そういう所はなるべく避けて少々の便宜は犠牲にしても人をわずらわさず人にわずらわされない自由の境地を愛する人とがある。この甲型の人の目から見ると乙型の人間は消極的退嬰的たいえいてきな利己主義者に見える。しかし乙はその自由のためにかえって甲の先をくぐって積極的に進出する事もあるし、自分の自由を尊重すると同時に人の自由を尊重するという意味では利他的である。反対に乙型の人間から見れば甲型の人々は積極的なようではあるが、また無用な勢力の浪費者であり、人の迷惑を顧みない我利我利亡者がりがりもうじゃのように見える。しかし甲はまたある場合に臨んで利害を打算せず自他の区別を立てないためにたのもしくあたたかい人間味の持ち主であることもありうるであろう。それはとにかくこの二つの型が満員昇降機のテストによってふるい分けられるように見えるところに興味がある。

 それとはまた別のことであるが昇降機の二つ三つ並んでいる前に立って、扉とびらの上にあるダイアルに示された各機の時々刻々の位置の分布を注意して見ていると一つの顕著な事実に気がつく。それは、多くの場合に二つか三つの昇降機がほとんど並んで相あい角逐かくちくしながら動いている場合が多いということである。理想的には、たとえば三つの内の一つが一階にいるときに他の二つはそれぞれ八階と四階のへんにいるほうがよさそうに思われる。換言すれば週期的運動の位相がほぼ等分にちがっているほうが乗客の待ち合わせる時間を均等にし従って乗客の数を均等に分布する点で便利であろうと思われる。しかし実際には三つがほぼ同時に同じ階を同じ方向に通過する場合が多いように思われる。もっともそういう場合だけに注意を引かれ、そうでない場合は特に注意しないために、匆卒そうそつな結論をしてはいけないと思って、ある日試みに某百貨店で半時間ぐらい実地の観測を行なってみた。観測の方法は、鉛筆と手帳をもって、数秒ごとに四つの昇降機のダイアルの示す数字を書き取るだけである。この観測の結果を調べた結果はやはり実際に予想どおりの傾向を示している。

 こういう現象の起こる原因は割合に簡単であって、ちょうど電車が幾台もつながってあるくようになるのとほぼ同様な原因によるらしい。すなわち、偶然二つが接近して同方向に動くようになるとそれからは、いつでも先へ立つほうが乗客の多いために時間をとってあとのを待ち合わせるような結果になるからである。これも結局は、多くの人間がただ眼前のことだけを見てその一つ先に来るものを見ようとしないことを示す一例に過ぎないであろう。これと似たことが人生行路にもありはしないかと思う。

 それはとにかく、先を争うて押し合う心理も昇降機の場合にはたいした恐ろしい結果は生じない。定員人数の制限を守りさえすれば墜落の恐れはめったにない。しかしこの同じ心理が恐るべき惨害をかもす直接原因となりうるのは劇場や百貨店などの火事の場合である。その場合に前述の甲型の人間が多いと、階段や非常口が一時に押し寄せる人波のために閉塞へいそくして、大量的殺人現象が発生するのである。

 しかし、また一方、この同じ心理がたとえば戦時における祖国愛と敵愾心てきがいしんとによって善導されればそれによって国難を救い戦勝の栄冠を獲得せしめることにもなるであろう。

 しかしまた、同じような考え方からすれば、結局ナポレオンも、レーニンも、ムソリニも、ヒトラーも、やはり一種のエレベーターのようなものかもしれないのである。 


     

  三 げじげじとしらみ


 父は満五十歳で官職を辞して郷里に退隠した。自分の九歳の春であったと思う。その九歳の自分が「おとうさんはげじげじだよ、げじげじだよ」と言って出入りの人々をつかまえては得意らしく宣伝したものだそうである。当時の陸軍では非職のことを「げじげじ」という俗称が行なわれていた。「非」の字の形がげじげじの形態と似通にかよっているためである。その当時だれかから聞きかじったこのげじげじという名称が、子供心になんとなく強く深い印象を与えたものと思われる。

 中六番町なかろくばんちょうの家を引き払おうという二三日ぐらい前の夜半に盗賊がはいって、玄関わきの書生部屋しょせいべやの格子窓こうしまどを切り破って侵入した。ちょうど引っ越し前であったから一つ所に取りまとめてあった現金や貴重品をそっくりそのままきれいにさらって行った。かなり勝手を知った盗賊であろうという事であったが、結局犯人は見いだされなかった。この、姿を見せないで大きな結果だけを残して行った「盗賊」と、形は見えないがわが家の生活に大きな変化をもたらした「げじげじ」とが幼時の記憶の中で親密に握手をしている。

 家を引き払ってからしばらくの間、鍛冶橋外かじばしそとの「あけぼの」という旅館に泊まっていた。現在鍛冶橋ホテルというのがあるが、ほぼあれと同位置にあったと思われる。

「あけぼの」の二階の窓から見おろすと、橋のたもとがすぐ目の下にあった。そこに乞食こじきが一人、いつ見ても同じ所で陽春の日光に浴しながらしらみをとっていた。言葉どおりにぼろぼろの着物をきて、頬ほおかぶりをした手ぬぐいの穴から一束の蓬髪ほうはつが飛び出していたように思う。

 しらみを取っているのだということはもちろんはじめは知らなかった。だれかから教わって始めて覚えたことである。きたない着物を引っぱっては何かしら指の先でつまみ取り、そうして口へ運んではかみつぶしている光景が、ひどく珍しく不思議なものに思われた。それがいつのぞいて見ても根気よく同じことを繰り返しているのである。ほかには何もすることがなくて、ただしらみを取るだけがこの男の一日じゅうの仕事であるかのように思われた。

 このしらみ取りの光景がよほど気に入ったものと見える。当時自分のいたずら書きをした手帳が近年まで郷里の家に保存されていたが、その手帳にこの鍛冶橋外かじばしそとの乞食こじきがしらみを取っている絵がいくつとなくかいてあった。この稚拙なグロテスクのスケッチはけだし傑作であったと思う。その当時まだしらみの実物を手にしたことはなかったはずであるが、しかしその絵にはこの虫がだいたい紡錘形をした体躯たいくの両側に数本の足の並んだものとして、写実的にはとにかく、少なくも概念的に正しく描かれているのである。

 いよいよ東京を立って横浜よこはままでは汽車で行ったが、当時それから西はもう鉄道はなかったので、汽船で神戸こうべまで行くか人力じんりきで京都まで行くほかはなかった。われわれの家族は東海道見物かたがた人力のほうを選んで長い陸路の旅をつづけたのであった。第一夜は小田原おだわらの「本陣」で泊まったが、その夜の宿の浴場で九歳の子供の自分に驚異の目をみはらせるようなグロテスクな現象に出くわした。それは、全身にいろいろの刺青いれずみを施した数名の壮漢が大きな浴室の中に言葉どおりに異彩を放っていたという生来初めて見た光景に遭遇したのであった。いわゆる倶梨伽羅紋々くりからもんもんふうのものもあったが、そのほかにまたたとえば天狗てんぐの面やおかめの面やさいころや、それから最も怪奇をきわめたのはシヴァ神の象徴たるリンガのはなはだしく誇張された描写であった。

 げじげじから泥坊どろぼう、泥坊からしらみを取って食う鍛冶橋見付の乞食、それから小田原の倶梨伽羅紋々と、自分の幼時の「グロテスク教育」はこういう順序で進捗しんちょくして行ったのであった。この教程は今考えてみると偶然とは言いながら実によくできていたと思う。この教程の内容を今ここで分析するとすれば、おそらく数十枚の原稿紙を要するであろう。

 それはとにかく、子供の時代に受けたいろいろの有益な「美的教育」のかたわらにこうした「グロテスク教育」もあったということは、つい近ごろまで意識しないでいたことである。それを意識した今日から翻ってよくよく考えてみると、こういう一見はなはだいかがわしいグロテスク教育も、美的教育と相並んで、少なくも自分の場合においてはかなり大切なものであったように思われて来るのである。

 子供を育てる親たちの参考になれば幸いである。


     

四 宇宙線


 理化学が進めば世の中に不思議はなくなるであろうと言う人がある。しかし科学が進めばかえって今まで知られなかった新しい不思議なものも出て来るのである。現在物理学者の問題となっている宇宙線などもその一例である。

 宇宙のどこの果てからとも知れず、肉眼にも顕微鏡にも見えない微粒子のようなものが飛んで来て、それが地球上のあらゆるものを射撃し貫通しているのに、われわれ愚かなる人間は近ごろまでそういうものの存在を夢にも知らないでいたのである。その存在を認める唯一の手段としては、この放射線のために空気その他のガスの分子が衝撃されて電離し、そのためにそのガスの電導度にわずかながら影響し、従って特別な装置の鋭敏な電気計に感ずるという、そういう一種特別の作用を利用するほかはない。もっとも地上に存する放射性物質から発射されるいろいろの放射線もやはりこれと同様な性質をもっているのではあるが、それらのものが物質を貫通する能力に比べて比較にならぬくらい強大な貫通能力を宇宙線が享有しているために、地上の諸放射線とはおのずから区別されるのである。すなわち、数尺の鉛板あるいは百尺の水層を貫徹して後にも、なお機械に感じるのであるから、ビルディングの中の金庫の中にだいじにしまってある品物でもこの天外から飛来する弾丸の射撃を免れることはできないわけである。従ってわれわれのだいじな五体も不断にこの弾丸のために縦横無尽に射通されつつあるのは事実で、しかも一平方センチメートルごとに大約毎分一個ぐらいの割合であるから、たとえば頭蓋骨ずがいこつだけでも毎分二三百発、一昼夜にすれば数十万発の微小な弾丸で射通されている。それだのに、おかしいことには、われわれはそんなことは全く夢にも知らずに平気ですましていられるのである。針一本でも突き刺されば助からぬ脳髄を、これだけの弾丸が貫通して平気でいられるのは、その弾丸が微小であるためというよりはむしろあまりに貫通力が絶大であるためであるとも考えられる。

 それはとにかく、こういう弾丸が脳を貫通していて、それが絶対になんらの影響をも人間に与えないかという疑問に対しては現代の科学では遺憾ながら確定的な返答ができない。従ってそれがなんらの影響もないと断言する根拠ももちろんないのである。

 宇宙線が脳を通過する間に脳を組成するいろいろな複雑な炭素化合物の分子あるいは原子の若干のものに擾乱じょうらんを与えてそれを電離しあるいは破壊するのは当然の事であるが、その電離または破壊が脳の精神機能の中枢としての作用になんらかの影響を及ぼすことがあるかもしれないと想像することは、決して科学的に全く不合理のことではないように思われる。

 脳髄の中にある原子の数はたぶん十の二十何乗という莫大ばくだいな数であろう。その中の二つ三つがどうにかなったとしてもたいした事はなさそうにも思われるが、しかしまた脳髄によって営まれていると考えられる精神現象の複雑さは想像のできないほど多様なものである。たとえば、一万種の語彙ごいがあるとしてその中からたった七語の錯列パーミュテーションを作るとすると約十の二十八乗だけの組み合わせができるが、われわれの脳髄はきわめて楽にその組み合わせのおのおのの区別を判別する能力をもっている。それどころか、昔でさえもたとえば論語を全部暗唱する人は珍しくなかった。それだけのきわめて卑近な簡単な一例から考えても、人間の脳の機能に関係する原子分子の一つ一つの役目が、それほど閑散な、あってもなくても済むようなものではないであろうということが想像される。そうだとすると、約二三百の宇宙線が、ある一時間に、ある人の脳髄の中にいかなる弾道を描いたかが、その脳の持ち主に何がしかの影響を及ぼすことになってもよさそうに思われて来る。たとえば「紅茶にしようか、コーヒーにしようか」というような場合に、「そのどっちか」にきめさせるという程度の影響がないとも限らない。

 ある一つのスペルマトゾーンの運動径路がきわめてわずか右するか左するかでナポレオンが生まれるか生まれぬかが決定し、従って欧州の歴史が決定したと言った人があるが、ある人間のある瞬間に宇宙線が脳のどの部分をどう通過するかによって、その人の一生の運命が決定することもありはしないか。

 人間の自由意志と称するものは、有限少数な要素の決定的古典的な物理的機巧では説明される見込みのないものであるが、非常に多数な要素から成り立つ統計的偶然的体系によって説明される可能性はあるであろう。そういう説明が可能となった暁には、この宇宙線のごときもその自由意志の物理的機巧の一つの重要な役目をもつものとして幅をきかすようにならないとも限らない。

 のどかな春日の縁側に猫ねこが二匹並んですわっている。庭の木々のこずえには小鳥の影がちらちらする。二匹の猫があちらこちらに首を曲げたり耳を動かしたりするのが、まるで申し合わせたようにほとんど同時に同一の挙動をする。ちょうど時計じかけで拍子を合わせた二つの器械のように見える。それが、どうかした拍子で、ふいと二つの猫ねこの個性だか自由意志だかが現われて二つがちがった挙動をするようになる。これは二つの猫の位置のわずかな差のために生ずる些細ささいな音や光の刺激の差でも説明されるかもしれないが、しかしまた猫の「自由意志」にも支配されると考えられよう。その自由意志が秋毫しゅうごうも宇宙線に影響されないとは保証できないような気がする。

 以上は言わばたわいもない春宵しゅんしょうの空想に過ぎないのであるが、しかし、ともかくもわれわれが金城鉄壁と頼みにしている頭蓋骨ずがいこつを日常不断に貫通する弾丸があって、しかもほんの近ごろまではだれ一人夢にもそれを知らずにいたというだけは確かな事実なのである。しかもその弾丸の本性はまだだれにもわからないのである。

 科学はやはり不思議を殺すものでなくて、不思議を生み出すものである。


(昭和八年六月、中央公論)



底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店 

1948(昭和23)年515日第1刷発行

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2021年06月25日

天声人語 ファイアマン出動『華氏451度』

天声人語 ファイアマン出動           20190622()

 英語でファイアマンは消防士だが、SF作家ブラッドベリの『華氏451度』に出てくるファイアマンたちは、本を焼き払うのが仕事だ。読書してあれこれ考えるのは有害無益だと、本の所有が禁じられた未来社会である

本を隠している家に踏み込み、火炎放射器を向ける。任務を遂行しながら、彼らは考えてしまうことがある。本にはいったい何が書いてあるのだろう? その一人が何冊かをひそかに持ち帰ったことで物語が動き出す

話は、金融庁審議会の報告書である。麻生財務・金融相が受け取りを拒否し、なかったことにした。完全な焼却処分はできなかったようで、ネットで検索すると原案が見つかる。拍子抜けする内容だ

年金水準の低下が「中長期的に見込まれる」と書かれたのが問題にされたが、今の年金制度を直視したにすぎない。全体は資産形成の勧めをやさしく書いた印象だ。年金の額に見合った暮らしを、という発想が全くないところに金融業界臭さを感じるが

などとあれこれ考える材料とするには悪くない。にもかかわらず「民は知らしむべからず」とでも思ったか。かえって視線が集まったのは皮肉であろう。同じことは財務省の審議会の意見書から「年金水準低下」が削除された件でも言える

先の小説では本の害悪がこう語られる。「いかにばかげたものか、いかに人を落ち着かない気分にさせるか」。そういえば我が首相は、「金融庁は大バカ者だな。こんなことを書いて」と漏らしたそうな。

【天声人語 20190622()

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2021年06月24日

「ストレスの多い人 七か条」について

「ストレスの多い人 七か条」

1.早口である、

2.速く歩く、

3.仕事を断らない、

4.休みをとらない、

5.決定権を握りたがる、

6.好き嫌いが多い、

7.趣味をもたない、


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『人をつくる言葉』(大村智著)に寄せられた感想で、最も多いのが「ストレスの多い人 七か条」の項目についてらしい。思いあたる方々は次の言葉について、深く掘り下げたいですね。


「井戸を掘るなら水の湧くまで掘れ」

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「書いた物を読むときと違い人に会い話をすると心が動く」 大村 智『人をつくる言葉』毎日新聞社

型やぶりが世の中を進歩させる

科学は観念的な色形空間をもって創作する芸術である

研究を忘れた金もうけは罪悪である

金もうけを忘れた研究は寝言である


「一水四見」

「人間にとっての水は、天人にとっては宝の池、餓鬼にとっては燃え盛る血の膿、魚にとっては棲家であるように、見るものの心が違えば対象も違って見える」という意味です。大乗仏教の見解の一つである、唯識のものの見方です。


「不可能の対義語は可能ではなく挑戦です」

「井戸を掘るなら水の湧くまで掘れ」 


「人のためになることを考えてやりなさい」

子供時代、祖母から繰り返し教えられた言葉です。私は、研究の分かれ道が来るたびに、この言葉を思い出して判断を下してきました。何か一つでも人のためになることができないものかを考えて、微生物がもっている能力をなんとか引き出す方法を求め続けてきたのです。

《本書より》


「言葉は人をつくる」―2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した日本を代表する化学者・大村智北里大学特別栄誉教授の待望の箴言集。 数々の偉業をなしとげるまでの人生の道のりを鼓舞した偉人の言葉、家族や恩師からの言葉、そして自身で発した言葉を集める。 自分を、そして他者を励ましてきた名言の数々をピックアップ。 

人生」 II 仕事」 III 教育」の三部構成とし、 「朝は希望に起き 昼は努力に生き 夜は感謝に眠る」 「今を重ねて、生ききる」 「一期一会」 「将(おく)らず、迎えず、応じて蔵(おさ)めず」 「思いやりには想像力が必要である美術の基本である想像力は思いやりの心を持ち続けることで養われる」「一人で出来ることは限られている されど 良い仲間を探すことはむずかしい」 「書いた物を読むときと違い 人に会い話をすると心が動く」 「形あるものは壊れる 生あるものは死す 高徳は人の心にのこり生きつづける」 「願望は求めつづけるために あるのです」 「至誠(しせい)天に通ず」など、老若男女問わず幅広い世代の心に響くメッセージを収録。いつも手元に置きたくなること間違いなし心の糧、生きる希望となる1冊です。

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自己完成の十か条

一、仕事をかならず自分のものにせよ

二、仕事を自分の学問にせよ

三、仕事を自分の趣味にせよ

四、卒業証書はなきものと思え

五、月給の額を忘れよ

六、仕事に使われても人には使われるな

七、ときどき必ず大息を抜け

八、先輩の言行を学べ

九、新しい発明発見に努めよ

十、仕事の報酬は仕事である

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損得ぬきで何かをやり「自分でもバカなことをやっているものだ」と思うような人間でなければ一流になれない

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人の言うことは半分聞け

あとは自分で考えて行動に移せ

おそらくうまく行かない

しかしそこに独創性が生まれる


人間は一度教わるとその教わったことしかできなくなる


大村智(おおむら・さとし化学者。1935(昭和10)712日、山梨県韮崎市生まれ。北里大学特別栄誉教授、学校法人女子美術大学名誉理事長、韮崎大村美術館館長。微生物の生産する天然有機化合物の研究を専門とし、50年以上の研究生活を通して約500種類の新規化合物を発見。うち26種類が医薬、動物薬、研究用試薬として実用化され、感染症などの予防や撲滅、さらに生命現象の解明などに貢献している。そのうちの一つであるイベルメクチンは、オンコセルカ症(河川盲目症)やリンパ系フィラリア症、糞線虫症、疥癬といった寄生虫感染症の多くを予防・治療する特効薬となった。その業績が評価され、2015年、イベルメクチンを共同で開発した米国メルク社のウィリアム・キャンベル博士と共にノーベル生理学・医学賞を受賞。著書に『人生に美を添えて』などがある。

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2021年06月22日

「寝ころんでみる」佐伯裕子の短歌

子を真似て寝ころんでみる胸のうえ過ぎゆく風にふと覚えあり


寝ころべば見えわたる空きらきらと今日この窓は空の中心


四囲は草 とり残される子とわれの頭上にぽかっと雲の浮きおり


雑草の騒立ちやまぬ戸のめぐり何処にでも在る不幸が匂う


郵便配達研修に行く子の背中 世間は恐くてただ懐かしい


(角川「短歌」201511月号)より


佐伯裕子 1947年〜東京生まれ。歌人。歌誌「未来」選者。歌人の近藤芳美に師事。家族の記憶を探りながら、自らの感受性で心の深淵を歌い、戦後に生きる自己の意味を問うた作品で知られる。歌集に『春の旋律』『未完の手紙』『あした、また』 エッセイ集に『影たちの棲む国』、評論集 に『斎藤史の歌』など。


次第なくふりし降伏の手と思えば幾千の手に生かされて来ぬ 『未完の手紙』より


涙吸うレンズをつるんと眼に入れる 泣かなくなったわたくしの眼に (佐伯裕子)

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2021年06月21日

親鸞聖人の言葉で、生き方、人生を見つめ直す

『歎異抄をひらく』高森顕徹(著)

なぜ、善人よりも悪人なのか。

なぜ、この世に、まことは一つもないと断言できるのか。

『歎異抄』には、親鸞聖人の衝撃的な言葉が、数多く記されています。それは、世界の哲学者、文学者にも多大な影響を与えたものばかりです。

『歎異抄』の謎が解けた時、私たちの幸せ観、人間観、仏教観は、一変するでしょう。


『歎異抄』とは……

大災害、戦乱の中から、何度も立ち上がってきた日本人の心の支えは、『歎異抄』にありました。

地震、洪水、飢饉、戦乱、大火……

親鸞聖人の800年前は、生きる不安の絶えない時代でした。

人間とは? 命とは? 幸せとは?

苦しみ悩む人々へ、親鸞聖人の答えが記された書、それが『歎異抄』です。

「人類みな兄弟であり、上下などまったくない」

「善人でさえ浄土へ往生できる、まして悪人は、なおさらだ」

「この世のことすべては、そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない」、

親鸞聖人の言葉は、衝撃的です。

そして、絶望的な状況にあっても、「冷酷な運命に甘んじて従うのではなく、自ら未来の幸せの種をまくことができる」と強く押し出すメッセージが、日本人の精神的な支えとなり、幾多の災害、戦乱の中から、立ち上がらせてきたのです。

平成23年、日本は、未曾有の大震災に襲われました。今も、混乱のただ中にあります。たとえ建物のガレキを取り除くことができても、心の不安はなくなりません。

そんな今だからこそ、日本人に生きる力を与えてきた『歎異抄』を開いて、人生を見つめ直してみませんか。

『歎異抄』解説書の中でも、「分かりやすい」と人気を呼んでいるのが『歎異抄をひらく』です。仏教書としては異例の大ベストセラーとなっています。 


『歎異抄』に魅了された人たちの声

哲学者・西田幾多郎

一切の書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる。

哲学者・三木清

万巻の書の中から、たった1冊を選ぶとしたら、『歎異抄』をとる。

小説家・倉田百三

『歎異抄』よりも求心的な書物は、おそらく世界にあるまい。文章も日本文として実に名文だ。国宝と言っていい。


【歎異抄 たんにしょう】解説

鎌倉時代の仏書。一巻。作者名を欠くが、一般には親鸞(しんらん)面授の弟子唯円(ゆいえん)の作とされ、親鸞の死後230年ころの成立か。親鸞没後に信徒たちの間に行われていた異端を歎(なげ)き、親鸞の伝えた真信に返そうとしてつくられたもの。

18条からなり、第10条以下が本抄のポイントであるが、さらにそれが異端であるか真信であるかを見分ける鏡として、親鸞の法語を第1条から第9条までに収めている。本抄に取り上げられている異端は八つで、そのうち二つ(第11条、第12条)はすでに親鸞在世中にあり、第13条以下の六つが親鸞滅後の段階で前面に出てきたものであろう。すなわち、〔1〕本願誇りは往生(おうじょう)できぬ、〔21回の念仏に八十億劫(おくこう)の重罪が滅す、〔3〕煩悩具足(ぼんのうぐそく)の身でありながら現世で成仏(じょうぶつ)する、〔4〕回心(えしん)ということが幾度でもある、〔5〕辺地往生は堕地獄、〔6〕お布施(ふせ)の多少に従って大小仏になる、という異端である。「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の語はよく知られており、引用されている親鸞の法語には親鸞の核心をつくものがあるが、一方、非親鸞的なものもあり、この点厳密な吟味を要する。

『妙音院了祥著『歎異鈔聞記』(『新編真宗大系 第12巻』所収・1972・法蔵館)』『多屋頼俊著『歎異抄新註』(1970・法蔵館)』『曽我量深著『歎異抄聴記』(1967・東本願寺出版部)』『安良岡康作訳注『歎異抄』(旺文社文庫)』


日本大百科全書(ニッポニカ)より

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2021年06月20日

ガラス玉を星のかけらとする感受性

そのかわり私は、詩人になった。そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝めし前でなければならないな、と思った。

「シベールの日曜日」は、現代に生きるためには、無垢な心がどのような報復をうけねばならないかということを物語る残酷な映画であった。ガラス玉を星のかけらと思いこめる感受性は、その星のかけらの鋭い刃先でみずからの心を傷つける。
 
『ポケットに名言を』寺山修司(角川文庫)より

想像力と数百円の世界もある。
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2021年06月16日

『2011.3.11大地震大津波を語り継ぐために』声なきものの声を聴き形なきものの形を刻む (みやぎ民話の会叢書)

今までの叢書は語り手から聴いた民話を集めた「民話集」の形をとっていますが、第十三集は「記録集」として刊行。

2011821-22日に開かれた「第七回みやぎ民話の学校」の記録。今回の「民話の学校」では、六人の方が、津波に遭った体験を語ってくださいました。地震の前のおだやかなひととき、突然襲った大津波、大切なものを奪われてしまった悲しみ、その後の避難所での生活。そして大きく変わってしまった暮らしのなかで、何を支えに生きていこうとしておられるのかを語りました。全国から参加した二百数十名の方が、ひとりひとりの語りを全身で受け止めて聴いていました。

津波の体験を「語る」、深い共感をもって「聴く」、まさに「語る」「聴く」という民話の原点が、そこにはあったと思います。

この一冊は「民話の学校」で大地震と大津波を「語る」「聴く」ことが、どのように行われたのか、そして参加者が感じたことは何かを記録して編んだ。わたしたちは「第七回みやぎ民話の学校」のこの記録集が、より多くの方に読んでいただけることを願っております。

(編著者「はじめに」より)


◎「みやぎ民話の会」とは

宮城県を中心に東北地方の民話採訪・民話集編纂に従事してきた小野和子氏によって、1975年に設立されたサークルです。同県内を中心に山の村や海辺の町を歩き、そこで聞いた民話を記録し、その一部は『みやぎ民話の会叢書』としてまとめています。また、語り手と膝を交え、地域の伝承の語りに直に触れながら勉強をする「みやぎ民話の学校」の企画運営を行っています。

電子書籍 Kindleにて発売中。

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2021年06月15日

小野和子『あいたくて ききたくて 旅にでる』(パンプクエイクス刊)

「この言葉には、どんな思いが託されていたのだろうか。わたしにはわからなかった。」「しかし、このわからないという思いが、東北の地の人々に話を聞かせてもらうために歩くようになった、わたしの出発点なのかもしれない。」(本書17ページ)


『あいたくて ききたくて 旅にでる』目次 

第1部(オシンコウ二皿ください石のようになった人わたしの「友だち」かのさんのカロはるさんのクロカゲひと山越えても鹿おらんエゾと呼ばれた人たちみはるさんの『冬の夜ばなし』)

第2部(寂寞ということ「捨てる」ということ母なるもの、子なるもの「現代の民話」について一粒の豆を握る・一粒の豆を見失う「ふしぎ」の根をさがす山の民について―猿鉄砲のむかし浜で出会った人たちゆめのゆめのサーカス)


津波に流された町の地面の下に、静かに、しかし厳然として、かつての町が横たわっているのだと語る瀬尾さんの文章に、わたしは灯される明かりを見る思いがしたのでした。

──小野和子(民話採訪者「あいたくてききたくて旅にでる」)


「この人は苦労がひどかったから、もう口きかなくなったのよ」

「お茶っこ飲みに誘えば、こうして出てくるけど、黙って座っているだけだ」

「んだ、んだ、なんにもいわねぇ。石みだぐなってしまった」

「ほんとう、石みだぐなってしまった……」(本書29ページ)


3.11以降になっていっそう心に沁みる言葉と話。コロナウイルス対策が敷かれる世間となって、より伝えられた民話の力を感じる。


小野和子 民話採訪者。1934年岐阜県生まれ。1969年から宮城県を中心に東北の村々へ民話を求めて訪ね歩く民話採訪を一人で始める。1975年に「みやぎ民話の会」を設立して、現在は同会顧問。

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「音はしぐれか(種田山頭火)」

「おとはしぐれか」


この俳句の作者は山頭火。山頭火に時雨を題材にした俳句が多い。 


 しぐるるや死なないでいる

 しぐるるやしぐるる山へ歩み入る

 うしろすがたのしぐれてゆくか

 などある。が、この句は、

 「おとはしぐれか」

 という七字である。


「わずか七字という短律であるが、これには他の一字も加えることは出来ない。この句は昭和七年十月二十一日、山口県小郡の其中庵での作である。日記(山頭火の)を見ると、

《曇、それから晴、いよいよ秋が深い。朝、厠にしゃがんでいると、ぽとぽと、ぽとぽとという音、しぐれだ、草屋根をしたたるしぐれの音だ。

  おとはしぐれか 

という一句が突発した。》


私もしばしば庵を訪ねてその厠にしゃがんだことがあるが窓のない暗いところ。秋深む天地のささやきが、孤独な山頭火の体を竪に通って地に落ちる、そうしたしぐれではあるまいか。」

(『別冊新評』山頭火の世界「俳僧山頭火の句」大山澄太)より


山頭火は確立した型を意識してたか、季語もリズムも無く、「心のおもむくまま、魂の底に眠る静かなる声」を俳句に込める。 


まっすぐな道でさみしい

笠へぽっとり椿だった

なんとなく歩いて墓と墓の間


曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ

月がのぼって何をまつまでもなく

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2021年06月11日

第165回芥川賞と直木賞の候補10作品発表

芥川賞の候補には石沢麻依さん、くどうれいんさん、高瀬隼子さん、千葉雅也さん、李琴峰さんの5人の作品が選ばれた。千葉さんは去年1月の第162回に次いで2回目になる。

直木賞の候補には一穂ミチさん、呉勝浩さん、佐藤究さん、澤田瞳子さん、砂原浩太朗さんの5作品がノミネートされた。

芥川・直木賞候補作 <芥川賞>  石沢麻依(41)「貝に続く場所にて」群像6月号…初  くどうれいん(26)「氷柱(つらら)の声」群像4月号…初  高瀬隼子(33)「水たまりで息をする」すばる3月号…初  千葉雅也(42)「オーバーヒート」新潮6月号…2  李琴峰(31)「彼岸花が咲く島」文学界3月号…2 <直木賞>  一穂ミチ(43)「スモールワールズ」講談社…初  呉勝浩(39)「おれたちの歌をうたえ」文芸春秋…2  佐藤究(43)「テスカトリポカ」KADOKAWA…初  澤田瞳子(43)「星落ちて、なお」文芸春秋…5  砂原浩太朗(52)「高瀬庄左衛門御留書」講談社…初

澤田さんは1年ぶり5回目の選出となります。芥川賞と直木賞の選考は来月14日に行われる。
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『ゴールデン・フライヤーズ奇談』J・S・レ・ファニュ(福武文庫) 原題:Chronicles of Golden Friars(1871)

近世イギリスの山に囲まれた湖畔の町フライヤーズでの怪事件。

居酒屋「ジョージと竜」の常連たちは、名門マーダイクス家の噂をしていた。長らく外国へ行っていたペイル准男爵が、近々戻って来る。准男爵の帰還によって、人々は90年ほど前の忌まわしい事件を思い出していた。

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90年前に当主ジャスパー・マーダイクス准男爵は、親しくしていたフェルトラム家から、20歳以上年下の娘メアリーを娶った。

そしてメアリーは邸を逃げ出さざるを得なくなった。上の子は「ジョージと竜」に預けられたが、メアリーと下の子は行方知れず。その後に湖へ赤子を抱えた女の幽霊が出るようになった。

やがてフェルトラムの財産はすべてマーダイクス家のものとなった。


「ジョージと竜」に預けられた上の子の曾孫が、現在の准男爵ベイルの秘書フィリップ・フェルトラムだった。仕えさせられているフィリップには、行き場がなくお金もなかった。本来ならフィリップが受け取るはずの信託財産を、ベイル准男爵が押さえていた。

折りしもベイル准男爵の100ポンドが紛失して、ベイルはフィリップが犯人だと決めつけた。心やさしいフィリップは理不尽な仕打ちに傷つき、嵐の夜に邸を出て行った。紛失した100ボンドはベイル准男爵が別の場所に置いて忘れてたが、フィリップに打ち明けて謝罪しようとはしなかった。

意外な姿で戻って来てフィリップは人が変わり、冷酷で慇懃になっていた。

言葉巧みにベイル准男爵をも森へ誘い出す。フィリップの案内で、湖を渡り森の奥でベイル准男爵が出会ったのは、スチュアート朝の末期、アン女王の御代に流行した煌びやかで豪奢だが時代遅れの服装をした老人と、仮面を付けた黒衣の若き貴婦人だった。老人と貴婦人は何者なのか。フィリップの企みとは?


訳:室谷洋三(福武文庫1990年7月)

原題:Chronicles of Golden Friars1871

J・S・レ・ファニュの幻想文学は底知れない想像から醸される世界観が魅力だと思う。

映画『血とバラ』の原作となった「吸血鬼カーミラ」も、幻想短編集も物語として味わい深い要素に満たされている。改行だらけのライトノベルとは隔絶たる小説空間。


ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュ(Joseph Sheridan Le Fanu, 1814828 - 187327日)

【作品】

白い手の怪、墓掘りクルックの死、シャルケン画伯、大地主トビーの遺言

仇魔 (The Watcher)、判事ハーボットル氏、吸血鬼カーミラ(「吸血鬼カーミラ」創元推理文庫 1981年)


アイルランドのある伯爵夫人の秘めたる体験、タイローン州のある名家の物語、夢(「レ・ファニュ傑作集」国書刊行会 1983年)


ドラゴン・ヴォランの部屋、ロバート・アーダ卿の運命ほか全5篇(「ドラゴン・ヴォランの部屋」創元推理文庫 2017年) 


以下アンソロジー収録

緑茶(「怪奇小説傑作集英米編」創元推理文庫 1969年、「イギリス幻想小説傑作集」白水社 1985年)

クロウル奥方の幽霊(「こわい話・気味のわるい話 1輯」牧神社出版 1974年、「恐怖の愉しみ(上)」東京創元社 1985年)

白い猫(「猫に関する恐怖小説」徳間書店 1980年)

ロッホ・ギア物語(「イギリス怪談集」河出書房新社 1990年)

妖精にさらわれた子供(「怪奇小説の世紀 第2巻」国書刊行会 1993年)

絵画師シャルケン (『夜のささやき、闇のざわめき 〜英米古典怪奇談集〜』BOOKS桜鈴堂 2013年)

オンジエ通りの怪(『ヴィクトリア朝幽霊物語』アティーナ・プレス 2013年)

女吸血鬼カーミラ (亜紀書房 2015年)

カーミラ (BOOKS桜鈴堂 2015年)

緑茶 (BOOKS桜鈴堂 2017年)

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2021年06月10日

『いろは』短歌に尽きている

芥川龍之介は、『侏儒の言葉 』に次のように記した。


「我我の生活に欠くべからざる思想は、或は『いろは』短歌に尽きているかも知れない」


色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず


「文章の中にある言葉は

 辞書の中にある時よりも
美しさを加えていなければならない」


諸行無常(諸行は無常なり)
是生滅法(これ、生滅の法なり)
生滅滅已(生滅滅し已わりて)
寂滅為楽(寂滅を楽と為す)

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2021年06月06日

『空が青いから白をえらんだのです』奈良少年刑務所詩集 (新潮文庫)

奇跡の詩集! 受刑者たちの言葉、切実さに、誰もが胸を打たれる――。朝日新聞、毎日新聞、など各紙誌で話題。


受刑者たちが、そっと心の奥にしまっていた葛藤、悔恨、優しさ……。童話作家に導かれ、彼らの閉ざされた思いが「言葉」となって溢れ出た時、奇跡のような詩が生まれた。美しい煉瓦建築の奈良少年刑務所の中で、受刑者が魔法にかかったように変わって行く。彼らは、一度も耕されたことのない荒地だった──「刑務所の教室」で受刑者に寄り添い続ける作家が選んだ、感動の57編。


奈良少年刑務所詩集【目次】

はじめに

くも

金色

銀色

すきな色

ぼくのすきな色

夏の防波堤

ゆめ

夢と希望と挫折

朝だ 仕事だ

ソフトボール大会

衛生夫

好きな仕事

青バッジ

言い訳にするな

強がり

生きる

言葉

時間

暑い

消えた赤い糸

生きること

妄想

ありがとう

まほうの消しゴム

つぐない

恥曝しの末路

メール

今感じること

あたりまえ

青いイルカの物語

雨と青空

お母さん

バカ息子からおかんへ

誕生日

もうしません

ごめんなさい

いつからだろう

おかあさん?

誓い

一直線

いつも いつでも やさしくて

おかん

期待

拝啓オカンへ

空白

クリスマス・プレゼント

一恵

二倍のありがとう

ぼくのママ

母の日

二人のお母さん

こんなボク

戦士交代

あなたのこども


詩の力 場の力 寮美千子

文庫版あとがき

https://ryomichico.net/


〈矯正教育の一環としての改善指導。その一つに、奈良少刑は、「社会性涵養プログラム」として、童話作家の寮美千子さんに詩を通じての指導をお願いしました。寮先生は、詩作を「生徒(受刑者)」にさせます。そこで生まれた詩を、矯正展でパネル展示したことが、多くの人に衝撃を与えます。パネルの前で立ち止まり、息を呑んで詩をみつめる人、涙ぐむ人、写真を撮る人。それらの人が口々に「詩集はないのですか?」と尋ねます。教育統括始め、授業に立ち会い感激していた教育係の教官たちが思いを持って出版にふみきったのがこの詩集です。(教官が共感したのです)〉


「ぼくのすきな色は青色です つぎにすきな色は赤色です」


何も書くことがなかったら好きな色について書くように言われた子の詩。

これに対して他の受刑者が「好きな色を二つも聞けてよかったです」と感想を述べたらしいです。


寮美千子 東京生まれ、千葉育ち。外務省勤務、コピーライターを経て1986年、毎日童話新人賞を受賞。2005年、『楽園の鳥』で泉鏡花文学賞を受賞。翌年、古都に憧れ、首都圏より奈良に移住。絵本、詩、小説、自作朗読と幅広く活躍中。主な著書に『星兎』『夢見る水の王国』『ラジオスターレストラン 千億の星の記憶』など。

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2021年06月04日

ハンガリー貴族の詩集出版記念

ヨーゼフ・キス「出版記念」

 ハンガリーの貴族だったある詩人が詩集をだした。その出版記念に、友人たちが集まって、彼がかつて暮らしに困っていった先祖の土地を、買いもどしてやった。

 それを聞いたユダヤの詩人ヨーゼフ・キスは、友人たちに言った、

「きみたちは、ぼくの出版記念のときには、ずっと安くあげられるよ。ぼくが親からもらったのは、ステッキ一本だし、それだってまだ持ってるんだからね。」

『ユダヤ笑話集』三浦靭郎訳編(現代教養文庫)より


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『世界のむかし話集』山室静訳編(現代教養文庫)


山室静 やまむろしず(19062000

文芸評論家。鳥取市に生まれ、長野県佐久で育ち、野沢中学(現野沢北高校)を卒業。山室家は信州・岩村田藩の家臣。父は大沼枕山の系統を引く漢詩人。初め郷里で代用教員、上京後岩波書店などに勤め、ついでプロレタリア科学研究所に入り本多秋五、平野謙を知る。彼らを誘い『批評』(1936)を創刊。30歳を過ぎて東北帝大法文学部に入り阿部次郎や岡崎義恵に学ぶ。公式的なマルクス主義を脱し評論集『現在の文学の立場』(1939)を刊行。『構想』『現代文学』同人を経て、第二次世界大戦後は『近代文学』同人。同時に信州の農村の青少年を対象にユニークな「高原学舎」の建設に力を入れ、さらに季刊文芸誌『高原』をも発行。北欧の童話・民話にも深い関心をもち、『北欧文学の世界』(1969)などを刊行。現場の文芸評論家というよりも、それと一歩の距離をつねに保持、後衛としての内部の声を表現した。詩人、エッセイストでもあり、『アンデルセンの生涯』(1975)で毎日出版文化賞を受賞した。

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