2020年05月05日

美術曲芸しん粉細工 阿部徳蔵

 

 しん粉細工に就いては、今更説明の必要もあるまい。たゞ、しん粉をねつて、それに着色をほどこし、花だの鳥だのゝ形を造るといふまでゞある。
 が、時には奇術師が、これを奇術に応用する場合がある。しかしその眼目とするところは、やはり、如何に手早く三味線に合せてしん粉でものゝ形を造り上げるかといふ点にある。だから、正しい意味では、しん粉細工応用の奇術ではなくて、奇術応用のしん粉細工といふべきであらう。
 さてそのやり方であるが、まづ術者は、十枚あるひは十数枚(この数まつたく任意)の、細長く切つた紙片を一枚づゝ観客に渡し、それへ好みの花の名を一つづゝ書いて貰ふ。書いてしまつたら、受けとる時にそこの文字が見えないために、ぎゆつとしごいて貰ふ。
 そこで術者は、客席へ出て花の名を書いた紙を集める。しかし、客が籤へ書いた全部の花を造るのは容易ではない、といふので、そのうちから一本だけを客に選んで貰ふ。が、もうその時には、全部に同一の花の名を書いた籤とすり替へられてある。
 これで奇術の方の準備がとゝのつたので、術者はしん粉細工にとりかゝる。まづ術者は、白や赤や青や紫やの色々のしん粉を見物に見せ、
『持出しましたるしん粉は、お目の前におきましてこと/″\く験めます。』
 といふ。勿論、しん粉になんの仕掛があるわけではないが一応はかういつて験めて見せる。
『さて只今より、これなるしん粉をもちまして、正面そなへつけの植木鉢に花を咲かせるので御座います。もし造上げましたる鉢の花が、お客様お抜取りの籤の花と相応いたしてをりましたら、お手拍子御唱采の程をお願ひいたします。』
 かういつて、しん粉細工をはじめるのである。普通、植木鉢に数本の枝を差しておき、それへ、楽屋の三味線に合せてしん粉で造つた花や葉をべた/\くつゝけて行くのである。が、これが又、非常な速さで、大概の花は五分以内で仕上げてしまふ。
 かうして花が出来上ると、客の抜いた籤と照合せる。が、勿論前に記したやうな仕組になつてゐるのだから、籤に書かれた花の名と、造上げた舞台の花とが一致することはいふまでもない。これが、奇術応用の『曲芸しん粉細工』である。
 稲荷魔術の発明者として有名な、神道斎狐光師は、このしん粉細工にも非常に妙を得てをり、各所で大唱采を博してゐた。狐光師の、このしん粉細工に就いて愉快な話がある。
 話は、大分昔のことだが、一時狐光老が奇術師をやめて遊んでゐた時代があつた。勿論、何をしなければならないといふ身の上ではなかつたが、ねが働きものゝ彼としては、遊んで暮すといふことの方が辛かつた。その時、ふと思ひついたのはしん粉細工だつた。
『面白い、暇つぶしにひとつ、大道でしん粉細工をはじめてやれ。』
 一度考へると、決断も早いがすぐ右から左へやつてしまふ気性である。で彼は、早速小さい車を註文した。そしてその車の上へ三段、段をつくつてその上へ梅だの桃だの水仙だのゝしん粉細工の花を、鉢植にして並べることにした。
 道楽が半分暇つぶしが半分といふ、至極のんきな商売で、狐光老はぶら/\、雨さへ降らなければ、毎日その車をひいて家を出かけて行つた。
 五月の、よく晴れたある日であつた。
 横浜は野毛通りの、とある橋の袂へ車をおいて、狐光老はしん粉で花を造つてゐた。
 麗かな春の光が、もの優しくしん粉の花壇にそゝいでゐた。
『こりやあきれいだ。』
『うまく出来るもんだねえ。』
 ちよいちよい、通りすがりの人達が立止つては、花壇の花をほめて行つた。もと/\、算盤を弾いてかゝつた仕事でないのだから、かうした讚辞を耳にしただけでも、もう狐光老の気持は充分に報いられてゐた。そして、『何しろこりや、美術しん粉細工なんだから……。』と、ひとり悦に入つてゐたのであつた。
 と、そこへ、学校からの戻りと見える女生徒が三人通りかゝつた。そしてしん粉の花を眺めると、
『まあきれいだ!』
 と立止つた。そして三人共車のそばへ寄つて来た。女生徒達は、しばらくしん粉を造る狐光老の手先に見とれてゐたが、『ねえ小父さん、小父さんにはどんな花でも出来るの?』
 ときいた。
『あゝ出来るとも、小父さんに出来ない花なんてものは、たゞの一つだつてありはしない。』
『さう、ぢやああたしチユウリツプがほしいの。小父さん拵へてくれない?』
 と一人がいつた。
『あたしもチユウリツプよ。』
『あたしも……。』
 と、他の二人もチユウリツプの註文をした。然し此時、俄然よわつたのは狐光老だつた。何を隠さう、彼はチユウリツプの花を知らなかつた。『チユウリツプ、チユウリツプ、きいたやうな名だが……。』と二三度口の中で繰返したが、てんで、どんな花だか見当さえつかなかつた。
 といつて今更、なんでも出来ると豪語した手前、それは知らぬとは到底いへないところである。
『ようし、勇敢にやつちまへ。』
 と決心がつくと、やをらしん粉に手をかけて、またゝく暇に植木鉢に三杯、チユウリツプ ? の花を造り上げた。が、それは、むろん狐光老とつさに創作したところのチユウリツプで、桃の花とも桜の花ともつかない、実にへんてこな花であつた。
『さあ出来上つた。どうみてもほんものゝのチユウリツプそつくりだらう。』
 と、狐光老は、それを女生徒達の前にさし出した。女生徒達は、あつけにとられた顔つきでそれを受けとると、
『うふゝ。』
『うふゝ。』
 と、顔見合せて笑ひながら、おとなしく鉢を手にして帰つて行つた。が、後に残った狐光老はどうにも落付けなかつた。『チユウリツプ……一体どんな花だらう?』と、そのことばかり考へてゐた。
 そのうち夕方になつた。で、店をたゝんで狐光老は、ぶら/\車をひいて野毛通りを歩いて行つた。ふと気がつくと、すぐ目の前に大きな花屋があつた。彼は急いで車を止めると、つか/\店の中へはいつて行つた。そして、
『チユウリツプはあるかい?』
 ときいた。
『ございます。』と、すぐ店の者がチユウリツプを持つて来た。見ると、さつき自分の造つたものとは、似ても似つかぬ花であつた。
『いけねえ、とんでもないものを拵へちまつた。』
 と、狐光老は、その花を買つて家に帰つた。そしてその晩、彼はチユウリツプの花の造り方に就いておそくまで研究した。
 さて翌日、狐光老は、また昨日の場所へ店を出した。そして十杯あまり、大鉢のチユウリツプを造つて、屋台の上段へ、ずらり、人目をひくやうに並べておいた。
 三時頃、また昨日の女生徒が三人並んで通りかゝつた。と、彼女達は、早くも棚のチユウリツプに目をつけて、
『あら、チユウリツプがあるわ。』
 と、急いで店の前へ寄つて来た。
『小父さん、これチユウリツプつていふのよ。』
 と、そのうちの一人が、花を指さしながらいつた。狐光老は、『勿論、勿論!』といふ顔つきで、『あゝチユウリツプといふんだよ。』
 とすましてゐた。女生徒達はけげんさうに、
『でも小父さん、昨日あたし達に拵へてくれたチユウリツプ、とても変な花だつたわ。あたし今日みたいのがほしかつたの。』といつた。
『さうかい、そりやあ気の毒なことをしたね。このチユウリツプでよけりやあ、みんなで沢山持つておいで。』
 狐光老は嬉しさうに微笑してゐた。
『でもわるいわ……。』
『何がお前、遠慮なんかすることがあるものかね。いゝだけ持つて行くがいゝ。が、嬢ちやん方は、昨日みたいなチユウリツプをまだ学校でならはなかつたかね。』ときいた。
『あらいやだ! あんなチユウリツプつて……。』
 女生徒達は一斉に笑ひ出した。が、狐光老は、
『ありやあお前、あつちのチユウリツプなんだよ。』と、けろりとしてゐた。
 その後間もなく、狐光老は奇術師に立戻つた。そして、この『美術曲芸しん粉細工』を演出する場合には、いつもいつもチユウリツプといふ、あのあちら的な花が一輪、二輪、三輪、あまた花々の中にまじつて咲いてゐた。





「奇術随筆」人文書院 1936(昭和11)年5月
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比喩ではない詩

「ノン・レトリック T」新川和江

 

たとえばわたしは 水をのむ

ゴクンゴクンと のどを鳴らす

たとえばわたしは 指を切る

切ったところが 一文字にいたむ

たとえばわたしは 布を縫う

ふくろが出来て ものがはいる

たとえばわたしは へんじを書く

やっぱりわたしもあなたが好き と

それから そうして こどもを生む

ほかほか湯気のたつ赤んぼを!

 

ひときれのレモン

丸のままの林檎

野っ原のなかの槻の大樹

橋をながす奔流

1本のマッチ

光るメス

土間のすみにころがっている泥いも

はだか馬

 

わたしもほしい

それだけで詩となるような

1行の

あざやかな行為もしくは存在が

 

(現代詩文庫「新川和江詩集」より)


比喩でなく詩とは何かと問う、答えを解明する詩である。この詩が普遍的で切実なテーマを追っている。ランプ点灯された詩は、明かりを燈す。また逆のように消灯したままで、堂々巡り解明されないこともある。

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正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。

I was born」吉野弘


確か 英語を習い始めて間もない頃だ。


或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。



 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。


 女はゆき過ぎた。


 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。



----やっぱり I was born なんだね----

父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。

---- I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね----

 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。

僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。


 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。

----蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね----

 僕は父を見た。父は続けた。

----友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは----。


 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。

----ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体----


(作者註:「淋しい 光りの粒々だったね」は詩集「幻・方法」に再録のとき、「つめたい光の粒々だったね」に改めました)


吉野弘『現代詩文庫』思潮社より



今の時期になって、心に染みる言葉です。

詩人からのメッセージは童心に近いものがあります。それは能動的なものなのか、受動的なことになるのか。

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2020年05月04日

『ピノッキオの冒険』カルロ・コッローディ

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『ピノッキオの冒険』カルロ・コッローディ

一本の棒っきれから作られた少年ピノッキオは、誘惑に屈してばかりで騒動に次ぐ騒動を巻き起こす。

父ジェッペットさんをはじめ周囲の大人たちを裏切り続ける悪たれ小僧の運命は? 

19世紀後半イタリア統一の時代、子供に対する切ない願いを込めて書かれた児童文学の傑作。


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Le Avventure di Pinocchio

カルロ・コッローディ [1826-1890]

イタリアの小説家、ジャーナリスト、評論家。フィレンツェに生まれる。ピーエ校で哲学と修辞学を学ぶかたわら書店でアルバイトを始めて、知識人や作家、ジャーナリストらと交わったことで政治への関心が芽生え、その後日刊紙を創刊したり評論、戯曲、小説などを手がけ執筆活動に入る。

1881年、『ピノッキオの冒険』の原型となる作品を週刊「子供新聞」に連載として発表。その後中断を挟むが子供たちの要望で再開され、1883年に完結する。著書はほかに『蒸気機関車のロマンス』『ジャンネッティーノ 子供のための本』『ミヌッツォロ』など。


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2020年05月02日

「生きる理由」新川和江


「生きる理由」


  数えつくせない

  この春ひらくつぼみの一りん一りんを

  若いうぐいすの胸毛のいっぽんいっぽんを

     だからわたしは 今日も生きている

     そうして明日も


  歌いつくせない 

  喜びの歌 悲しみの歌 そのひとふしひとふしを

  世界じゅうの子供たち ひとりひとりのための子守歌を

     だからわたしは 今日も生きている

     そうして明日も


  歩きつくせない

  人類未踏の秘境どころか いま住んでいる

  この小さな町のいくつかの路地裏さえも

     だからわたしは 今日も生きている

     そうして明日も


  汲みつくせない

  底のない桶をあてがわれているわけでもないのに

  他人の涙 私の涙 この世にあふれる水のすべてを

     だからわたしは 今日も生きている

     そうして明日も


  愛しつくせない

  昨日も愛した 一昨日も愛した けれどもまだ

  口いっぱいにはしてあげられない あのひとを

     だからわたしは 今日も生きている

     そうして明日も


新川和江詩集「それから光がきた」より

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2020年05月01日

【若山三郎 春陽文庫】

【若山三郎 春陽文庫】
お嬢さんと腕力学生 お嬢さんは意地っぱり お嬢さんは喧嘩好き 
お嬢さんの冒険 お嬢さんはお目が高い
お嬢さんは恋愛主義者 青春会議  大空に乾杯 若社長
ドンと一発!  店求愛作戦 おこりんぼ大将
お嬢さんと等社員  天国は青春にあり 男ならやってみろ
お嬢きんごめんあそばせ お嬢さんは婚約中 お嬢さんは江戸っ子娘 
お嬢さんの恋愛修業 お嬢さんとドラむすこ 青春へまっしぐら 
お嬢さんはガンコ者 青春バンザーイ! おてんばお嬢さん
青春をやりぬこう お嬢さん社長 お嬢さんとちゃめ紳士
お嬢え延線智 お嬢さんに乾杯 青春に賭けろ 恋人おてんば娘 青春大作戦 
けんか青春記者 お嬢さん待ってます 台風お嬢さん ちぢかりお嬢さん
けとばした青春 パーフェクト青春 お嬢さんは適齢期 青春をふっ飛ばせ
結婚への招待状 湯けむり大将 それゆけ青春
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若山三郎 わかやま・さぶろう

1931年、新潟県生まれ。明治大学中退。日本製鋼嘱託通訳、西松建設嘱託通訳を経て、約10年間、在日米軍特殊通訳を務めた。

その体験を元に31歳で書いた本作品は「ユーモア文学新人賞」佳作入選作。

それ以前の1956(昭和31)年には「第九回講談倶楽部賞林房雄奨励賞」を小説『国際仲人』で受賞。

在日米軍の特殊通訳を辞した後は作家活動に専念。著作数は優に200を超える。

春陽堂から文庫化されたお嬢さんシリーズ”“青春シリーズは広く知られ、貸本時代からのファンも多い。


初期の代表作としては『青雲の門』『大望の塔』『開運の橋』の三部作(のちに『ドカンと一発!』と改題され春陽文庫に収録)、吉永小百合主演で映画化された『大空に乾杯!』など。


後期代表作は故郷新潟県新発田出身で大倉財閥の祖、大倉喜八郎の生涯を描いた力作『政商〜大倉財閥を創った男〜』(学研文庫)があるほか、近年は企業の創業者に材を得た創業者列伝等に健筆を振るっている。

(社)日本文芸家協会会員。日本作家クラブ副理事長。 

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『はりきりスピード娘』城戸禮

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雑誌「女学生の友」に連載された物語の単行本化。護身術にたけて、オートバイを乗りまわす鮎子が主役の活発女子もの。爽快なスピード感は、のちに三四郎シリーズに開花される。

〔浪速書房〕昭和34 刊行320

〔春陽文庫〕昭和39刊行240頁二段組


『はりきりスピード娘』

      1

「おはよう、パパ。ジミー号の調子はどうなの?」
 朝日のようやく当たりはじめた縁例から、庭先でバラの手入れをしている、父の藤井庄兵衛に鮎子が声をかけた。
 「ああ、おはよう。そうだな、ジミー号よりひばり号のほうがいいと思うが、松吉に聞いてごらん。掃除してるはずだからね」
 ふり向いて父がいう。この庄兵衛はとても早起きで、午前四時少し過ぎると、さっさと寝床を離れ、工場を見まわって、それから趣味のバラの手入れをはじめるのだった。
 「あら、チビ松がもう起きてるの。危ないもんね。そうじしながら居眠りしてるんじゃないん」
 「おお、そうだっけな、それでオートバイがいるんだね」
 鮎子は1日おきに、鹿島道場に早朝稽古に行く。そこは星道の道場だが、道場主の鹿島先生が護身術の名人で、それを習いに通うのである。
 
「そうよ。パパご自慢の自家用車がないと、学校に間に合わないんですもんね」
 道場には午前六時に着き、それから二時間ほど汗みずくで稽古をして、学校に飛んでいくので、自家用車、つまりオートバイでないと、遅刻してしまうからであった。
 「熱心だね、ずいぶん。だが夢中になると、勉強にさしつかえるから、いいかげんにするんだよ」
 「ダイジョービよ。いくら上手くなっても、パパを投げたりしないわ。ホッホホ」
 「べソを抱えて、さながらリスのようにかかしら」
 鮎子がいたずらっぽく笑った。
 年齢は15で、ここから7、8キロ離れた桜が丘中学の三年生だが、すらりとした背に、かわいい顔だちをしていて、その名のとおり、まるでアユのように元気がよく、学校じゅうの人気者であった。
 「わからんぞ。松吉はまったくよく寝る。黙っていたら、2日ぐらい平気だからね。ハッハッハ」
 鮎子の母は三年まえになくなり、現在は父親と少年工の松吉と、それに家事手伝いのおキンばあさんの四人で、父親の経営するオートバイ製作工場の裏てにある、六部屋ほどの家に住んでいるのだった。

 「冗談じゃないぞ、あの子に投げられたら、わしは壊れてしまう。わしが作るオートバイほど、頑丈じゃないからな。」
 庄兵衛は苦笑した。生まれっき体が弱かったのを心配して、小学校一年のときから、鮎子に一回身術を習わせはじめたら、不思議にメキメキ丈夫になり、背もだんだんと伸び、いまや学校の女生徒たちの中ではいちばん大きい。技のほうも驚くほど上達して、鮎子がやるつもりなら、父親など軽く投げ飛ばされてしまう。いや父親だけでなく、100人近くいる工場の人たちの中の、力自慢の若者たちでも、うっかりすると逆手、逆手ととられて降参するほどであったからだった。
(豪快アルバイト学生より)

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『はりきりスピード娘』 
   目  次
豪快アルバイト学生
すごい離れわざ
悪者のだくらみ
美少女の怒り
たいへん小僧
怪力の用心棒
娘てんぐと小てんぐ
ね ら う 大 男
びっくり早わざ
快男児の逆襲
怪物ゴリラ男の出現
乗りこむオオカミの巣 
電光早わざ娘
あやうし正義のふたり
さっそう! 美少女と快男児

城戸きどれい 1909東京都生まれ。貸本小説のベストセラー作家。昭和30年の「大学三四郎」を皮切りに、快男児三四郎を主人公とした人気シリーズを数々発表。貸本小説の「明朗」ものといわれるジャンルのベースができあがる。

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城戸禮の春陽文庫シリーズ

三四郎シリーズのタイトルと、その目次を見ただけで内容が一望できる。

『よしきた三四郎』城戸禮
【目次】
オオカミはおれに任せろ
美女への借金
けんか好き張り手娘          
麻薬団への挑戦
不敵、げんこつ快男児 
悪狼群への逆襲
必殺無鉄腕
なぐり込み山ネコ娘 
暗黒街を駆ける男 
悪狼群への挑戦
あばれ鉄腕快男児 

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貸本文化の発祥地が大阪か神戸か、調べていたら、『貸本小説』末永昭二(アスペクト2001年)という本に、貸本ベストセラー作家「城戸禮」が詳しく紹介されていた。日活映画の脚本やアクション小説を、月産700枚も書いてた売れっ子作家だった。今では貸本小説も作家名も知る人は少ない。インターネットで検索しても、数年前まで殆どかかるサイトがなかった。

それで資料として数冊Amazonで購入した。150円くらいで古本販売されてたのだけど、急に高騰していたので、調べてたら昔のファンや、なんじゃそら人気が高まっているようだ。

春陽文庫の版元である春陽堂書店へ、復活を要望する声もあるらしい。どうも在庫の整理もあやしいとファンが残念そうにしてる。


{城戸禮の春陽文庫シリーズ}
かけだし三四郎  いなずま三四郎 旋風三四郎 猛襲快男児 大学の快男児 
はりきりスピード娘 タックル社員愕命は 地獄へ賭けた竜巻三四郎
流星一二四郎 拳豪三四郎 無鉄砲三四郎 よしきた三四郎
地獄への弾丸 熱血爆弾児 十字火撃ちの男 拳銃街を行く男 夕陽を背にして立つ男 
大暴れ快男児 大学の人気者 大学のっむじ風 爆発喧嘩社員 三代目社員 つむじ風社員
鉄拳風来坊 つむじ風男一匹 超特急三四郎 ぶつ飛ばし三四郎 はやぶさ三四郎 つむじ風鉄腕三四郎
痛快三四郎げんこつ市長伝  向こう見ず三四郎 拳銃右手に流れ者 
地下鉄三四郎 嵐を呼ぶ男三四郎 若旦那三四郎 無敵男性三四郎 
のんびり三四郎 不敵三四郎 抜き撃ち三四郎 早わざ三四郎
〔城戸禮 春陽文庫〕

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2020年04月30日

『ラプンツェル』(Rapunzel)グリム童話より

『ラプンツェル』(Rapunzel)グリム童話より


ある夫婦には長年子供がいなかったが、やっと子供を授かる。妊娠した妻は隣に住む魔法使いの庭のラプンツェルを食べたくなる。やつれた妻に「ラプンツェルが食べられなければ死んでしまう」といわれた夫は、妻と子のために魔法使いの敷地に忍び込んだ。ラプンツェルを摘み取りすると、魔法使いに見つかってしまう。だが事情を聞いた魔法使いは、好きなだけラプンツェルを摘んでもいいが、子供が生まれたら渡せという。


やがて生まれた女の子は、魔女に連れて行かれる。ラプンツェルという娘は、森の中にある入口のない高い塔に閉じ込められた。魔法使いはラプンツェルの見事な長い金髪をはしご代わりに、窓から出入りする。ある日、森の中を歩いていた王子が美しい歌声に引かれ、塔に閉じこめられたラプンツェルを見つけて、塔に登る。初めて男性との性交渉を知ったラプンツェルは驚くが、やがて愛し合い、魔法使いに隠れて、夜ごと王子を部屋に招き入れて頻繁に性交を行う。そしてラプンツェルは妊娠する。(初版)


それを知って激怒した魔法使いはラプンツェルの髪を切り落として、荒野へ放逐する。何も知らずラプンツェルを訪ねてきた王子は、魔法使いから罵られて、全ての顛末を知って絶望して、塔から身を投げて失明するのだった。


7年後に盲目のまま森をさまよっていた王子は、双子の男女と暮らしているラプンツェルとめぐり会う。うれし泣きする彼女の涙が王子の目に落ちて、王子は視力を回復する。王子はラプンツェルと子供たちを伴って国に帰り、幸せに暮らした。


グリム童話

(Kinder- undHausmärchen)

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2020年04月29日

電話のベルは 鳴りっぱなし

「記事にならない事件」新川和江


見ましたか? とある森かげ

しなやかに伸ばした少女の腕から

枝がのび 葉が生えて

みるまに いっぽんの木になってしまったのを

見ましたか? 青年がその木のそばで

紺の上着を脱ぎ捨てた

とみるまに鳩になったのを


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(電話のベルは 鳴りっぱなし 鳴りっぱなし

誰も出ない 誰もいない 今日は日曜日)


郊外電車にあかりがつくと

人たちはそそくさとまた 人間を着て

ビジネスの街に帰ってくるが

聞きませんか? この頃近くの牧場では

休日のあと 見馴れぬ馬が

一頭や二頭 きまってふえているという話を


(電話のベルは 鳴りっぱなし 鳴りっぱなし

誰も出ない 誰もいない 月曜日が来ても)


新川和江 詩人。1929年、茨城県結城生。高等女学校在学中より西條八十に師事。

1983年から1993年まで吉原幸子とともに「現代詩ラ・メール」誌を主宰、女性詩人の活動を支援した。

詩集に『ローマの秋・その他』(室生犀星詩人賞)、『ひきわり麦抄』(現代詩人賞)、『はたはたと頁がめくれ』(藤村記念歴程賞)、『記憶する水』(現代詩花椿賞、丸山薫賞)など。『千度呼べば』に収められた「ひといろ足りない虹のように」など多くの詩に曲が作られて愛唱されている。


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2020年04月26日

詩集『道の途中で』青木景子

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「春」青木景子

君のガラスの心に 

あたたかい水を汲みにいこう


てのひらでそっと

すくうのがいい


今までずっと

さみしかったね


でも春だから。

今日からは


詩集『道の途中で』(サンリオ)より


青木景子早坂類(改名)

1992 詩集『犬は遥かな風を知る』(サンリオ出版)

1991 詩画集『逆光に透かしたゼリーを』(イラスト・中田真澄/サンリオ出版)

1990 詩によるストーリー『ガールズ』(サンリオ出版)

1990 詩集『青いコスモス』(サンリオ出版)

1989 詩画集『道の途中で』(イラスト・内田新哉/サンリオ出版)

1988 詩画集『風の中の少年たち』(イラスト・きたのじゅんこ/サンリオ出版)

1987 詩画集『プラチナ色の海』(イラスト・高田美苗/サンリオ出版)

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文字「五・七・五・七・七」のリズム。

○ 穂村弘さん短歌カレンダー


停止中のエスカレーター降りるたび声たててふたり笑う一月   


九官鳥しゃべらぬ朝にダイレクトメール凍って届く二月 


フーガさえぎってうしろより抱けば黒鍵に指紋光る三月 


郵便配達夫(メイルマン)の髪整えるくし使いドアのレンズにふくらむ四月


「あなたがたの心はとても邪悪です」と牧師の瞳も素敵な五月


泣きながら試験管振れば紫の水透明に変わる六月


限りなく音よ狂えと朝凪の光に音叉投げる七月


プードルの首根っ子押さえてトリミング種痘の痕なき肩よ八月


にされた眼鏡が砂浜で光の束をみている九月


錆びてゆく廃車の山のミラーたちいっせいに空映せ十月


水薬の表面張力ゆれやまず空に電線鳴る十一月


風の夜初めて火をみる猫の目の君がかぶりを振る十二月


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学生時代に図書館で現代短歌を読んだ、穂村さんが何んか書けそうだと一年カレンダーを記したもの。『短歌という爆弾』という伝説の入門書に、出会いが詳しく書いてあります。

文字「五・七・五・七・七」のリズム。外出規制の中で、これを読んだ人がまた「短歌」やれそうだ、と思ったりするのかも知れない。

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2020年04月25日

『三島由紀夫を巡る旅 悼友紀行 』徳岡孝夫/ドナルド・キーン(新潮文庫)

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「矛盾が多ければ多いほど、その人物は面白いと言うことができます」(キーン氏


──三島は、矛盾に富む人だった。 

文学を愛し古典の教養溢れる一方で、日本の自然や食文化には無頓着。 

国内より海外で評価されることを切望し、貴族の存在を嫌いながらも度々作品に登場させた。 


長年にわたる文通で親交を深めたドナルド・キーン氏と、 取材者として三島に信頼され、割腹自殺の直前に檄文を託された徳岡孝夫氏。 

作家・三島由紀夫の知られざる素顔と葛藤を目撃していた両著者が、亡き友を偲び語り合い、貴重な証言録となった追善紀行。 『悼友紀行』改題。 

https://www.shinchosha.co.jp/book/131356/

目次

まえがき 徳岡孝夫

『天人五衰』の尼寺

回想の三輪明神

旧志賀直哉邸

あの人の「仮面」とは

アジャンタの合歓

落魄のニューヨークで

垣間見た痛々しさ

むしろ鏡花に

美作へ吹き抜ける風

くらい手紙

津和野ストイシズム

松江瞥見

与兵衛の殺意

あとがき ドナルド・キーン

文庫版あとがき 徳岡孝夫 ドナルド・キーン

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2020年04月22日

コーベブックス「南柯叢書」

昭和三十八年に設立されたコーベブックスは、神戸さんちかタウンのオープン時に大規模書店を開業した。
《現在では考えられないが、当時ワンフロア63坪という書店は画期的なことで、全国的に話題になったというから、ひょっとすると、「コーべブックス」が大規模書店の「魁」だったのかもしれない。》(海文堂の平野義昌さん)
ここには伝説の出版部門「南柯書局」があり、都内古書店でも以下のタイトルが販売されてたのを記憶している。以下は国会図書館に蔵書保存されている 「南柯叢書」リストであるが、都内の大手出版社はもちろん、編集企画できるシンクタンクは小出版社にも現存しないと考えられる刮目内容である。
「コーべブックス」出版リスト
1. 微句抄 / 加藤郁乎 南柯書局, 1974[発売コーベブックス]
2. 金色鈔 / 永田耕衣 南柯書局, 1974[発売コーベブックス]
3. 画家と音楽家たちの肖像 / マルセル・プルースト[他] 1974  (南柯叢書)
4. 運命の書 / 岡田夏彦 1974
5. 冷位 / 永田耕衣 1975
6. 払 / 村上鬼愁 1975
7. 天使 / 須永朝彦 1975
8. レア / バルベ・ドルヴィイ[他]  1975  (南柯叢書)
9. ファントマ / スーヴェストル,アラン[他] 1975 (南阿叢書)
10. 汽車の詩 / 上川庄二郎  1975
11. 水烟 / 多田智満子  1975
12. 黄金仮面の王 / マルセル・シュウオップ[他].  1975  (南柯叢書)
13. 一休存在のエロチシズム / 永田耕衣 1976
14. 冷明集 / 吉田一穂 1976
15. 後方見聞録 / 加藤郁乎 1976
16. 滅紫篇 / 須永朝彦  1976
17. 耕衣百句 / 永田耕衣[他] 1976
18. 罰せられざる悪徳・読書 / ヴァレリー・ラルボー[他] 1976
19. 荷風別れ / 郡司正勝 1976.9  (南柯叢書 ; 巻1)
20. 天狗洞食客記 / 池内紀 1976.11 (南柯叢書 ; 巻5)
21. 土手の大浪 / 篠田知和基. 1976.11 (南柯叢書 ; 巻6)
22. 朱絡 / 岸田典子 1976.6
23. 鬼貫のすすき / 永田耕衣  1976.9
24. 花狩 / 中村苑子  1976.10
25. しゃがむとまがり / 永田耕衣  1976.10  (南柯叢書 ; 巻4)
26. 夢一筋 / 加藤郁乎 1976.10 (南柯叢書 ; 巻3)
27. カファルド / ボナ・ド・マンディアルグ[他] 1976
28. 詩人泡鳴 / 窪田般弥 1976.9 (南柯叢書 ; 巻2)
29. アントナン・アルトー論 / スーザン・ソンタグ[他] 1976.8
30. 旗の台管見 / 加藤郁乎 1977.3
31. 魂と舞踊 / 丹羽正 1977.1
32. わが春夫像 / 須永朝彦 1977.3 (南柯叢書 ; 巻7)
33. 硝子の繭 / 須永朝彦 1977.7
34. 青の中 / 三橋敏雄 1977.3
35. 佳気颪 / 加藤郁乎 1977.2
36. アダム・ミロワール / ジャン・ジュネ[他] 1977.1
37. 黄冠の歌人 / 岸田典子 1977.3  (南柯叢書)

この南柯叢書の名称となっている南柯書院は上森健一郎、宮本良、西谷操らによって、昭和三年に設立されて『世界デカメロン全集』を出版予告して未刊のまま一年後に消えてしまった。そんな幻の出版社から血脈を受け継いでいくコーベブックスの方針が伺える。
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2020年04月18日

短歌という爆弾、怖い平仮名

穂村弘第一詩集より

「卵産む海亀の背に飛び乗って手榴弾のピン抜けば朝焼け」

「宇宙船のマザーコンピュータが告げるごきぶりホイホイの最適配置」


『短歌という爆弾』穂村弘(小学館文庫)

31文字で意識が遠のく破壊的な言葉たち、成る程これは爆弾である!

定型詩の持つ真剣な迫力である!


「善意や好意や明るさの領域だけで書かれた歌には、本当の力は宿らない」「世界には明らかにもう半分があって、そこには不吉な暗いものが満ちているんだっていうことを感じさせる詩がやはり本物」

〈共感と驚異〉〈ホームランとファールチップ〉などの構造概論や、葛原妙子・奥村晃作・早坂類・水原紫苑らの歌人論なども深い探究となっている。


「読者より先にまず歌の作者が自分で自分に共感してしまっているために、他人と共有できる感動を生み出すには至っていないのである。」


「この歌は、愛情や善意や暖かさを肯定的に描いていて確かにいいものなんだけれども、でもそれは世界の半分に過ぎないわけです。世界には明らかにもう半分があって、そこには不吉な暗いものが満ちているんだっていうことを同時に感じさせる詩がやはり本物だと思います。」


穂村弘 HIROSHI HOMURA

歌人。1962年、北海道生まれ。85年から短歌の創作へ。90年、第一歌集『シンジケート』刊行。2008年、『短歌の友人』で伊藤整文学賞、「楽しい一日」で短歌研究賞を受賞。同年、石井陽子とのコラボレーションであるメディアアート作品『火よ、さわれるの』でアルス・エレクトロニカインタラクティブ部門栄誉賞を獲得。17年『鳥肌が』で講談社エッセイ賞、翌年『水中翼船炎上中』で若山牧水賞に輝く。歌集、エッセイ、絵本、翻訳など多数。


最近「こわいひらがな」というエッセイを書いたんです。子どものころに街で見かけた「ほねつぎ」「かけはぎ」「ぢ」という看板の表現についてのエッセイなんですが、たとえば「ほねつぎ」と書いてある接骨院には柔道整復師の先生がいて、医学とはまったく違った体系がそこにある。「かけはぎ」も、服に穴が空いたなら、いまでは量販店で買い替えちゃうでしょう。要するにマイノリティなんです。「ぢ」なんて、薬品名も効能も書かず、「ち」に濁点で一文字の表現なんてマイノリティそのものだけど、われわれをぎょっとさせるでしょう。


こわいひらがなたちは、世界が合理性や資本主義や整備された法律によって一元化される前の別世界の匂いを放っている。

PR誌「ちくま」6月号より掲載

http://www.webchikuma.jp/articles/-/1825

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町田康オダサクと無頼派を語る

インタビュー「町田康」(聞き手=千野帽子)

「後ろめたさと共に書くー粗いプリセットをすりぬける言葉ー」

ユリイカ20089月号 特集=太宰治/坂口安吾 無頼派たちの戦後”より


町田康のインタビュー記事

・スーパーマーケットで、ジャガイモ、人参、牛肉などを買い、

 そしてカレールーも買った。

 そのとき、レジの店員に

 「は〜ん、こいつカレー作るんだな」と思われるのを嫌がるのが太宰やね。

・織田作(織田作之助)はやっぱり弱者に対するまなざしが一番冷たいですね。弱者というか、たとえば無学な人なんかも出てきますけど、無学であることの残酷さというのをすごくクールに書いている。

・たとえば堕落できるかできないかって問題があって、現代では堕落すらできないというところはありますよね。

 堕落するというのは堕落する自意識があるから堕落できるのであって、未亡人がもう違うひとを好きになってるというのも後ろめたさがあるかないかという話ですよね。

平野謙と坂口安吾と織田作と太宰治の四人の座談会の話。

平野謙が志賀直哉とかああいう正統的なものに比べて、ここにいる四人の人たちっていうのはデフォルメされた小説じゃないですかっていったら、

 太宰が「デフォルメっすか〜!」「デフォルメはないでしょう!こっちが正当な文学ですよ」って(笑)。

平野謙が「でも、みんなそう思ってるわけや」とかいって、坂口安吾も「そうそう」って行ってるのに太宰だけがひとりでずっと「デフォルメかぁ〜」って言ってるんですね。

(千野氏)それが活字で残ってるのがすごい(笑)。

不思議な感じの座談会なんですけど、その太宰の気持ちはわかりますね。「デフォルメっていわれた・・・もう帰りたい」みたいな(笑)。


町田康は座談会まで読んでるのかあ。恐れ入る。

このあと太宰の小説が「デフォルメされた小説」かどうか?、

そもそも「デフォルメされた小説」なんてあるのか?

と町田康は語っていくのだが、これまた深いんだな。

小説らしい小説=小説から揮発する小説っぽいにおいやオーラだけ。

本当の小説=そういうにおいやオーラではなく、ちゃんとした実体がある。

そりゃ太宰も「デフォルメ」なんて言われたら、自分はちゃんと本当の小説を書いてるのにとむきになる。


町田:斎藤斉藤という歌人と話をしたら、大教大附属池田小学校で事件を起こした宅間守の気持ちがよくわかるというんです。すごい世代の断絶を感じましたね。斉藤くんは72年生まれなので、ちょうど僕とは10歳違うわけですけど、彼は「宅間の気持ちはよくわかる。自分も同じことをしてたかもしれない」

付録「馬地獄」織田作之助


織田作之助/青空文庫

https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person40.html

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女性小説セレクション『織田作之助 怖るべき女』尾崎名津子編(春陽堂書店)

オダサクが描いた女たち― 

女たちのコミュニティや、不幸な婚姻生活に明るく立ち向かう女性、阿部定を思わさる妖婦、 そして代表作「夫婦善哉」にも描かれるダメ男を支える妻… オダサクが描いた様々な女性像から、作家が求めた「理想」の変遷を追う。

 全集に未収録の映画シナリオ、初稿発表の原稿収録されている。

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【収録作品】 

 

婚期はずれ 

秋深き 

天衣無縫 

婦人 

 

あのひと 

表彰 

女の橋 

船場の娘 

大阪の女 

妖婦 

眼鏡 

実感 

好奇心 

冴子の外泊 

二十番館の女 

怖るべき女 

解説:尾崎名津子  


対談=尾崎名津子×朝吹真理子

オダサクが描く女性の一生

https://dokushojin.com/article.html?i=6206


織田作之助・著 

191310月、大阪市生まれ。1933年から創作活動を開始し、1938年に小説「雨」を発表。 

1940年に「俗臭」が第10回芥川賞候補となる。 

同年に発表した「夫婦善哉」が改造社の第1回文藝推薦作品となり,以降、本格的に作家活動を開始。 

19464月に発表した「世相」が評判を呼び、作品発表の機会が劇的に増えるも、 

19471月、肺結核のため東京にて死去。その直前に評論「可能性の文学」を発表し、作風の転換を図っていた矢先のことだった。 

太宰治、坂口安吾らと共に「新戯作派」「無頼派」と呼ばれ「オダサク」の愛称で親しまれた。 


尾崎名津子・編集

1981年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科国文学専攻修了。博士(文学) 

弘前大学人文社会科学部専任講師。専門は日本近現代文学、内務省検閲を中心とする検閲研究。 主な著作に、『織田作之助論――〈大阪〉表象という戦略』(和泉書院、2016)などがある

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2020年04月17日

『木にたずねよ』和合亮一

力強い温度を感じる言葉がある。

福島から配信された詩人のフレーズです。CORONAウィルスは放射能漏れのように、全国的に各地へ拡散感染している。今こそ扉を開けて紐ときたい詩集。


胸のなかで 火が燃えている

何が正しいのか 間違っているのか

それが分かってくるといい

正しさは煙をあげないと見えないものだから


言葉のなかで 火が燃えている

傷をつけてはいけない人に

出来るだけ やさしく話しかけたい

話したいことをあぶりなおしている

「情熱の木」和合亮一より


東日本大震災によって生活の根幹を揺さぶられ今なお呻吟する人々が多くいる。

詩人は福島市の通りにあると言われる74本の街路樹の11本に、これからのたしかな生活のありかとは何なのかとたずねる。

すると言葉が心の中で根を生やし、こぶを作り、幹を太くして枝を張って、葉を繁らせてくるのだった。


『木にたずねよ』和合亮一(明石書店


T たずねる木

  はじまりの木

  凍れる木

  旅する木

  求める木

  ふたりの木

  言葉の木

  よるの木

  どこの木

  音楽の木

  命の木

  黙す木

  はだかの木

  孤独の木

  運命の木

  星空の木


U ゆるがない木

  存在の木

  奇跡の木

  成長の木

  生命の木

  風になる木

  微笑む木

  不屈の木

  頬の木

  想う木

  あたりまえの木

  めぐる木

  きおくの木

  実りの木

  はるかな木

  運ぶ木

  木陰の木

  朝の木

  読む木

  一本の木


V ささやく木

  交感の木

  笑う木

  さえずりの木

  支える木

  涙の木

  祈りの木

  であいの木

  家族の木

  ごほうびの木

  友だちの木

  見上げる木

  時間の木

  待つ木

  無限の木

  眠る木

  永遠の木

  寄り添う木

  対話の木

  記憶の木

  やさしさの木

  光の木


W 立ちあがる木

  まっすぐな木

  予感の木

  大きな木

  息子の木

  空になる木

  目覚めの木

  さえずる木

  深呼吸する木

  生きる木

  まばたく木

  木漏れ日の木

  立ち止まらない木

  草原の木

  つぶやく木

  さよならの木

  燃える木

  情熱の木

  明日の木

 あとがき


和合亮一 1968年福島生まれ。福島市在住。詩人。高校の国語教師。『AFTER』(思潮社)で中原中也賞受賞。『地球頭脳詩篇』(思潮社)で晩翠賞受賞。2011311日、伊達市にある学校で被災。避難所で数日過ごした後、自宅からツイッターで詩を発信し続け大反響を呼ぶ。近著に、『詩の礫』(徳間書店)、『詩の邂逅』(朝日新聞出版)、『詩ノ黙礼』(新潮社)など。

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2020年04月15日

『六白金星』織田作之助

『六白金星』織田作之助

 楢雄ならをは生れつき頭が悪く、近眼で、何をさせても鈍臭さい子供だつたが、ただ一つ蠅を獲るのが巧くて、心の寂しい時は蠅を獲つた。蠅といふ奴は横と上は見えるが、正面は見えぬ故、真つ直ぐ手を持つて行けばいいのだと言ひながら、あつといふ間に掌の中へ一匹入れてしまふと、それで心が慰まるらしく、またその鮮かさをひそかに自慢にしてゐるらしく、それが一層楢雄を頭の悪いしよんぼりした子供に見せてゐた。ふと哀れで、だから人がつい名人だと乗せてやると、もうわれを忘れて日が暮れても蠅獲りをやめようともせず、夕闇の中でしきりに眼鏡の位置を直しながらそこら中睨み廻し、その根気の良さはふと狂気めいてゐた。
 そんな楢雄を父親の圭介はいぢらしいと思ふ前に、苦々しい感じがイライラと奥歯に来て、ギリギリと鳴つた。圭介は年中土曜の夜宅へ帰つて来て、日曜の朝にはもう見えず、いはばたまにしか顔を見せぬ代り、来るたびの小言だつた。
「莫迦な真似をせずに修一を見習へ。」
 そんな時、兄の修一はわざとらしい読本の朗読で、学校では級長であつた。見れば兄は頭の大きなところ、眉毛が毛虫のやうに太いところ、口を歪ゆがめてものを言ふところなど、父親にそつくりで、その点でも父親の気に入りらしかつた。
 が、それにくらべると、楢雄はだいいち眉毛からしてフハフハと薄くて、顔全体がノツペリし、だから自分は父親に嫌はれてゐるのだと、次第にひがみ根性が出た。そして、この根性で向ふと、なほ嫌はれてゐるやうな気がして、いつそサバサバしたが、けれどもやはり子供心に悲しく、嫌はれてゐるのは頭が悪くて学校の出来ないせゐだと、せつせと勉強してみても、しかし兄には追ひ付けず、兄の後うしろでこが異様に飛び出てゐるのを見て、何か溜息つき、溜息つきながら寝るときまつて空を飛ぶ夢、そして明け方には牛に頭を齧かじられる夢を見てゐるうちに、やがて十三になつた。
 ある夜、何にうなされたのか、覚えはなかつたが、はつと眼をさますと、蒲団も畳もなくなつてゐて、板の上に寝てゐると思つた、いきなり飛び起きて、
「泥棒や、泥棒や。畳がない。」
 乾いた声でおろおろ叫びながら、階下の両親の寝室へはいつて行くと、スタンドがまだついてゐて、
「え、泥棒……?」
 と、父親の驚いた手が母の首から離れた。
 母も父親の胸から自分の胸を離して、
「畳がどうしたのです。楢雄、しつかりしなさい。」
 くるりと床の間の方を向いて、達磨だるまの絵にむかつて泥棒や泥棒やと叫びながら、ヒーヒーと青い声を絞りだしてゐる楢雄の変な素振りを、さすがに母親の寿枝はをかしいと思つたのだ。
「二階の畳が一枚もない。眼鏡もとられた。」
 そして楢雄はつと出て行くと、便所にはいり、
「津波が来た。大津波が来て蒲団も畳もさらはれた。猿股の紐が流れてくる。」
 あらぬことを口走りながらジヤージヤーと板の間の上へ放尿したのち、ふらふらと二階へ上ると、けろりとした顔で元の蒲団の中へもぐり込み、グウグウ鼾いびきをかいた。隣の蒲団では、中学二年生の修一が亀の子のやうに首をひつこめて、こつそり煙草を吸ひながら謄写刷りの怪しげな本に読み耽り、楢雄の方は見向きもしなかつた。
 それから一月許ばかりたつた雪の朝、まだ夜の明けぬうちから突然玄関の呼鈴が乱暴に鳴つたので、驚いた寿枝が出てみると、楢雄が真青な顔で突つ立つてゐた。二階で寝てゐた筈だのにいつの間に着変へたのか、黒ズボンをはき、メリヤスのシャツ一枚で、びしよ濡れに雪が掛つてゐた。雪の道をさまよひ歩いて来たことが一眼に判り、どうしたのかと肩を掴んだが答へず、栓抜きへうたんのやうなフハフハした足取りで二階へ上つてしまつた。すぐ随ついて上り、見れば枕元には本棚から抜きだした本が堆高うづたかく積み重ねられてあり、おまけにその頂上にきちんと畳んだ寝巻をのせ、その寝巻の上へ床の間の菊の花と鉛筆と蜜柑みかんが置かれてあつた。
「楢雄、これは何の真似です。」
 しかし、楢雄は答へやうがなかつた。寝てゐると、急に得体の知れぬ力が自分に迫つて来たのだが、それを防がうとする自分の力が迫つて来る力に較べて弱すぎ、均衡が破れたといふ感じがたまらなく怖くなり、何とかして均衡を保たうとして、本を積み重ねてみたり、その上ヘゴチヤゴチヤと置いてみたりしたが、それでも防げず、たまりかねて飛び出したのだといふ事情は、自分でもうまく言へなかつたし、言つても判つて貰へないと思つたのだ。
 その晩、圭介は寿枝から話をきいて、早発性痴呆症だと苦り切つた。
 中学校へはいつた年の夏、兄の修一がなに思つたのか楢雄を家の近くの香櫨園の海岸へ連れ出して、お前ももう中学生だから教へてやるがと、ジロリと楢雄の顔を覗き込みながら、いきなり、
「俺たちは妾めかけの子やぞ。」
 と、言つた。ふと声がかすれ、しかしそのためかへつて凄すごんで聴えた筈だがと、修一は思つたが、楢雄はぼそんとして、
「妾て何やねん?」
 効果をねらつて、わざと黄昏刻たそがれどきの海岸を選んだ修一は、すつかり拍子抜ひやうしぬけしてしまつた。
 修一は物心つき、次第に勘付いてゐるのだ。型を押したやうな父の週末の帰宅は、蘆屋で病院を経営するかたはら、大阪の大学病院へも出て忙しいためだとの母親の言葉は、尤もつともらしかつたが、修一は欺されなかつた。香櫨園の自宅から蘆屋まで歩いて一時間も掛らぬのに、つひぞ父の病院とやらを見せて貰つたこともなく、おまけに蘆屋中を調べてみても自分と同じ村瀬の姓の病院はない。しかも父の帰宅中は仔細ありげなひそひそ話、時には母の泣声、父の呶声が聴かれるなど、思ひ合はせてみると蘆屋の方が本宅で香櫨園のわが家は妾宅だと、はつきり嗅ぎつけた途端、まづ生理的に不愉快になり、前途が真つ暗になつたやうな気持に悩まされたが、わづかに弟の楢雄を掴へて、寝耳に水の話を知らせてやるといふ残酷めいた期待に心慰まつてゐたのだつた。
 それだけに楢雄のそんな態度は修一を失望させた。そのため修一の話は一層誇張された。さすがの楢雄も急に顔色が青白んで来た。うなだれてゐる楢雄の顔をひよいと覗くと、眼鏡の奥が光つて、効果はやはりテキ面だつた。やがて眼鏡を外して上衣のポケットに入れ、するする落ちる涙を短い指の先でこすり、こするのだつた。ふと修一は不憫になつて、
「泣くな。妾の子らしう生きて行かう。」
 これは半分自分にも言ひ聴かせて、楢雄の肩に手を置くと、楢雄は汗くさい兄の体臭にふと女心めいた頼もしさを感じ、見上げると兄の眉毛はむくむく頼もしげに見え、しかし何だか随分父親に似てゐると思つた。
 その夏の休暇が済み、二学期の始業式に大阪の市内にある中学校へ行くと、兄弟二人とも村瀬の姓が突然中那尾に変つてゐた。楢雄はわけが判らず、けつたいな名になりやがつたと、ケツケツと笑つてゐたが、修一はさては籍がはいつたのかと苦笑し、友達の手前は養子に行つたのだと言ひつくらはうと咄嗟とつさの智慧をめぐらした。しかし、兄弟二人そろつて養子に行くといふのも変な話だと、さすがにうろたへもしてゐた。帰ると、赤飯と鯛の焼物が出て、母は泣いてゐた。
 寿枝は岡山の病院で看護婦をしてゐた頃、同じ病院で医員をしてゐた圭介のために女医になる一生の希望をいきなり失つた。妊娠させられたのだ。圭介には月並みに妻子があつた。生れた子は修学第一の意味で圭介が修一と名をつけた。圭介はそんな親心を示したことは示したが、狭い土地ですぐ噂が立つてみると、折柄大阪の病院から招聘されるのは寿枝を置き去りにする好機会であつた。その通りにした。寿枝は修一を背負つてあとを追ひ、詰め寄ると、圭介もいやとはいへず、香櫨園に一戸を構へてやつた。そして十何年間、その間に楢雄も生れて、今日まで続いて来たが、圭介はなぜか二人の子を入籍しなかつた。本妻が承知しないからと、半分本当のことを言つて、寿枝の要求を突つ放して来たのだ。しかし、寿枝は諦めず、圭介を責めぬいて、そして今日のこの喜びだつた。
 と、そんな事情は無論きかされなかつた故自分は長女、父上は長男、だから今日まで戸籍のことが巧く行かなかつたのだと、寿技はこんな嘘を考へた。
「へえ? さうですか。」
 話半分で、修一は大きな頭を二三度右に振り左に振り、二階へ上つてしまつた。あとに楢雄が残り、かねがねお前は食事の時間が永すぎると父の小言の通り、もぐもぐ口を動かせてゐた最中ゆゑ、母の喜びを一身に背負つた。しかしそれも当然だと、寿枝は、
「兄さんは別として、お前はよくよく父上に感謝しなければいけませんよ。」
 その証拠に、最初圭介は楢雄の入籍は反対だつたのだと、うかうか本当のことを言つた。
「御馳走さん。」
 それだけは言つて、楢雄はバタバタと二階へ上ると蠅たたきでそこら中はたき廻つた。翌日、一年F組の教室で、楢雄は教科書のかげで実におびただしい数の蠅を弄てあそんでゐたといふかどで、廊下に立たされてゐた。三年B組の教室では、修一は教科書のかげで羽太鋭治の「性の研究」を読んでゐた。
 楢雄が羽太鋭治のその本や、国木田独歩の「正直者」、モーパッサンの「女の一生」、森田草平の「輪廻」などを、修一から読んでみろと貸して貰つたのは、三年生の時だつた。伏字の多いそれらの本が、楢雄の大人を眼覚し、女の体への好奇心がにはかにふくれ上つたある夜、修一が、
「おい、お前にもメッチェンを世話してやらうか。」
 さう言つて楢雄を香櫨園の浜へ連れ出す途々言ふのには、実は俺はある女学生と知り合ひになつたのだが、そいつにはいつも女中(メイド)がついてゐる、今夜も浜で会ふ約束をしてゐるのだが、女中がついて来るから邪魔だ、だからお前はその女中の方を巧く捌さばいてくれ、その間に俺はメッチェンの方を云々。
「巧いことやれよ。なに相手はたかが女中や。喜んでお前の言ひなりになりよるやろ。デカダンで行け。」
 デカダンとはどんな意味か知らなかつたが、何となくその言葉のどぎつい響きが気に入つて、かねがね楢雄は、俺はデカダンやと言ひふらしてゐたのだつた。
「よつしや。デカダンでやる。」
「煙草飲め!」
 一本の煙草を飲み終らぬうちに、セルの着物を着た十七八の女が、兵児帯へこおびの結び目を気にするのか、しきりに尻へ手を当てながら、女中と一緒に、ものも言はず、すつと近づいて来た。どこか隙の多さうな醜い女ぢやないかと、少し斜視掛つたその女の眼を見てゐたが、しかし女中の方は外そツ歯ぱで鼻の頭がまるく、おまけに色が黒かつた。楢雄はがつかりしたが、やがてノツポの修一が身体を折り曲げるやうにして女に寄り掛りながら歩きだすと、楢雄もあわてて女中に並び、君いくつになつたの。われながら嫌気がさすくらゐ優しい声になつたが、しかし心の中では、何となくその外ツ歯の女中が可哀想になつてゐたのだ。松林の所で修一はちらと振り向いた。途端に楢雄は女中のザラザラした手を握つた。手は瞬間ひつ込められたが、すぐ握り返され、兄の言ふ通りであつた。顔を覗くと、女中はきよとんとした眼で空を見上げてゐた。
「こつちへ行かう。」
 修一と反対の方向へ折れて行き、半町ほど黙つてゐたが、やがて軽い声で、
「おい!」
 ぐいと手を引つ張つてもたれ掛けさせると、いきなり抱き寄せて、口に触れた。
 歯がカチカチと鳴り、女中はガタガタと醜悪にふるへてゐた。生臭い口臭をかぎながら、ぺたりとその場に坐らせて、
「君、寒いのンか。」
 さう言つたまでは覚えてゐたが、あとは無我夢中になつて、好奇心と動物的な感覚が体をしびらしてしまつたが、女中は足を固くして、
「それだけは堪忍して、なツ、坊つちやん、それだけは堪忍して。あゝ。」
 身もだえしながら、キンキンした声で叫び、ふと瞠みひらいた眼が白かつた。楢雄ははつと我に帰り、草の上へついた手の力ではね起きると、物も言はず、うしろも向かず、あぶない所だつた、俺はもう少しで罪を犯すところだつたと、心の中で叫びながら、真青になつて逃げ去つた。それだけは堪忍して、あツ、坊つちやんそれだけは堪忍して。あゝ。あゝといふその声は逃げて行く楢雄の耳の奥にいつまでも残り、身もだえしてゐた女の固い肢態は瞼まぶたに焼きつき、追はれるやうに走つたが、松林を抜けて海岸の砂の上へ出た途端、妾になるといふことはあの辛さを辛抱することだつたのかといふ考へが、元来が極端に走り易い楢雄の、走つてゐる頭をだしぬけにかすめた。楢雄は家へ駈け戻ると、
「母さん、なんぜ妾なんかになつたんです。」
「…………」
 棒立ちになつた寿枝の顔をぢつと睨みつけると、
「僕に二十円下さい。」
 そして無理矢理母の手から受取ると、眼鏡の隙間からポタポタ涙を落しながら、家を飛び出したが、どこへ行くといふ当てもないと判ると、急に気の抜けた歩き方になり、家出の決心がふと鈍つた。
 ところが、阪神の香櫨園の駅まで来ると、海岸の方から仮面めんのやうに表情を硬張こはばらせて歩いて来る修一とぱつたり出会つた。楢雄はぷいと顔をそむけ、丁度駅へ大阪行の電車がはいつて来たのを幸ひ、おい楢雄とあわてて呼び掛けた修一の声をあとに、いきなりその電車に乗つてしまつた。修一は間抜けた顔でぽかんと見送つてゐた。楢雄はそんな兄をますます驚かせるためにも、家出をする必要があると思つた。そして家出した以上、自分はもう思ひ切り堕落するか、野たれ死にするか、二つのうちの一つだと思ひ、少年らしいこの極端な思ひつきにソハソハと揺れてゐるうちに、電車は梅田に着いた。
 市電で心斎橋まで行き、アオキ洋服店でジャンパーを買ひ、着てゐた制服と制帽を脱いで預けた。堕落するにも、中学生の制服では面白くないと思つたのだ。茶色のジャンパーに黒ズボン、ズボンに両手を突つ込んで、一かどの不良になつた積りで、戎橋えびすばしの上まで来ると、アオキから尾行して来たテンプラらしい大学生の男が、おい、坊つちやん、一寸来てくれと、法善寺の境内へ連れ込んで、俺の見てゐる前で制服制帽を脱いだり、あんまり洒落しやれた真似をするなと、十円とられて、鮮かなヒンブルであつた。簡単に自尊心を傷つけられたが、文句があるならいつでもアオキで待つてゐると立去つたそのテンプラの後姿を見送つてゐるうちに、家出の第一歩にこんな眼に会はされては俺はもうおしまひだ。堕落するにも野たれ死にするにもまづあの男を撲なぐつてからだと、キツとした眼になつた。法善寺を抜けると、坂町の角のひやし飴屋あめやでひやし飴をラッパ飲みし、それでもまだ乾きが収らぬので、松林寺の前の共同便所の横で胸スカシを飲んだが、こんなチヤチなものを飲んでゐるからだめなのだと、千日前の停留所前のビヤホールにはいつた。大ジョッキとフライビンズを註文し、息の根の停りさうな苦しさを我慢しながら、三分の一ばかり飲んで、ゲエーとおくびを出して、フーフー赧あかい顔で唸うなつてゐると、いきなり耳を引つ張られた。振り向いて、あツドラ猫だ。宮城といふ受持の教師だつたが、咄嗟にその名は想ひ出せず、思はず、綽名を口走つた。ドラ猫もまたそのビヤホールで一杯やつてゐたらしく、顔を真赤にして、息が酒くさかつた。耳を引つ張られたまま表へ連れ出されて、生徒の分際でこんな場所へ出入する奴があるかと、撲られた。すかさず、教師の分際でこんな場所へ出入する奴があるかと言ひ返してやれば面白いと思つたが、あゝこれで家出も失敗に終つたのかといふ情けない気持が先立つて、口も利けなかつた。
 翌日、母親と一緒に校長室へ呼びつけられた。ドラ猫は校長の前で、戎橋の上から尾行してビヤホールにはいつた所をつかまへたのだと言ひ、自分がさきにビヤホールで一杯やつてゐたことは隠すのだつた。楢雄は途端にドラ猫を軽蔑した。嘘をつくと承知しないぞ言はれたので、今までしたこと、あることないことを洒唖洒唖と言つた。理科教室の顕微鏡に胡椒こせうをぬりつけたこと、授業中に回転焼をいくつ食へるか実験してみたところ、相手の教師によつて違ふが、まづ八個は大丈夫だ云々、バスの切符をわざと渡さなかつたところ、女車掌が金切り声をあげて半町も追ひ駈けて来たこと、感ずる所あつて昼食のパンを五日食べずに、校長官舎の犬が痩せて栄養不良らしかつたのでその犬に呉れてやつたこと、その犬の尻尾には今も猫イラズを塗りつけてある筈だなどすらすら喋しやべり立てたが、しかし香櫨園の女中のことはさすがに言へなかつた。
 寿枝の順番が来ると、寿枝はなぜか急にいそいそとして、まず楢雄の夜尿症を癒なほした苦心を言ひ、そして今は癒つたが、しきりに爪を噛んだり、指の節をボキボキ折る癖があつて、先生、父もどんなにみつともないと気を揉んだことでせう。それから、今も暇さへあれば蠅ばかり獲つたり、ぶつぶつひとり言を言ふ癖がありまして、この頃は易えきの本を読み耽つてゐるやうでございます……と、寿枝はここで泣き、部屋の中はもう暗かつた。
「ひとり言を言ふのは、心に不平がある証拠だが、易の本といふのは、君どういふ意味かね。」
 と、校長は、ドラ猫の方を向いた。ドラ猫は、
「はあ、皆私が到らぬからであります。」
 と、ハンカチで眼鏡を突き上げたかと思ふと、いきなり楢雄の腕をつかんで、
「君は、君は、何といふことを……。」
 泣きだしたので、さすがに楢雄もしみじみして、情けなく窓外の暮色を見たが、しかしなぜドラ猫が泣いたのか判らなかつた。
 説教が済み、校門を出ようとすると、そこでずつと待つてゐたらしく、修一が青い顔で寄つて来て、何ぞ俺の話出なかつたかと、声をひそめた。大丈夫だと言つてやると、修一はほつとした顔で、お前も要領よくやれよ。途端に修一は楢雄の軽蔑を買つた。帰りの阪神電車は混んでゐた。寿枝は白足袋を踏みよごされた拍子に、蘆屋の本妻の顔を想ひだした。すると香櫨園の駅から家まで三町の道は自然修一と並んで歩くやうになつた。そして、うしろからボソボソと随ついて来る楢雄の足音を聴きながら、明日は圭介の知り合ひの精神科医の許もとへ楢雄を連れて行かうと思つた。
 若森といふその医者は精神科医のくせにひどくせつかちの早のみ込みで、おまけに早口であつた。若森は寿枝の話を聴くなり、あ、そりや、エ、エ、エディプス・コンプレックス的傾向だね、お袋を愛する余り父親を憎むんだねと言ふと、寿枝は何だかよく判らぬままにニコニコしてうなづいた。楢雄はむつとして、若森が、
「君一つこの紙に、君の頭に泛うかんだ単語を二十個正直に書いてみ給へ。」
 と言ふとあつといふ間にその紙を破つて、
「あんたには僕の心を調べる権利はない筈や。人間が人間を実験するのは侮辱や。」
「これ、楢雄、何を言ふのです。」
「お母さんもお母さんです。あんたは自分の子供が蛙みたいに実験されてゐるのを見るのンが、そんなに面白いのですか。だいいち、こんな所イ連れて来るのが間違ひです。」
 キツと寿枝を睨みつけた眼の白さを見て、若森はお袋を愛する余り云々と言つた自分の言葉が、ふと頼りなくなつて来た。
 楢雄はその後何といはれても若森の所へ行かなかつたが、寿枝はひそかにそこへ行つていろいろ指図を受けて来るらしく、木の枕や瀬戸物の枕を当てがつたり冷水摩擦を薦すすめたりした。また、知らぬ間に蒲団の綿が何か固いものに変つてゐた。日記やノート、教科書などもひそかにひらかれた形跡があり、仔細ありげな母の眼付きがいそいそと自分の身辺を取り囲んでゐるやうな気がして、楢雄はそんな母が次第にうとましくなつて来た。
 翌年、楢雄は進級試験に落第した。寿枝の奔走も空しかつたわけである。その代り修一は京都の高等学校の入学試験に合格した。圭介は修一の入学宣誓式に京都まで出向いて、上機嫌で帰つて来たが、土産物の聖護院八ツ橋をガツガツ食べてゐる楢雄を見ると、にはかに渋い顔になり、改めて楢雄の落第について小言を言つた。楢雄は折柄口が一杯になつてゐたので、暫らくもぐもぐと黙つてゐたが、やがて呑み込んでしまふと、頭の悪いのは言はれなくても自覚してゐます、自覚してゐればこそ頑張るだけは頑張つてゐるんです、しかし頭の点は先天的のものでどうにもなりません、考へてみれば、同じ親から生れて兄さんは頭が良くて、僕は悪いといふのは遺伝の法則からいつてどういふことになるんでせう、やはり僕を頭の悪い子供に生れさせた原因がほかに介在してゐるんでせうか、さういへば、僕の眉毛がレプラのやうに薄いといふ事実も何だか不思議ですね。ベラベラと喋り立てると、圭介は、莫迦野郎、生意気を言ふな、遺伝とは何だ、原因とは何だ、不思議とは何だ、といきなり楢雄の胸を掴んで庭へ引きずり下すと、松の枝をボキリと折つて、圭介の掌と楢雄の顔が両方からボトボトと血が落ちるまで、打つて打つて打ち続け、停めようとした寿枝まで突き飛ばされ、圭介の折檻せつかんはふと狂気じみてゐた。楢雄は鼻の穴へ紙を詰めると、すぐ家出を考へたが、これは寿枝が停めたので、二階へ上り、ひそかに隠してあつた「運勢早見書」を開き、自分の星の六白金星と父の九紫火星とが相性あひしやう大凶であることを確め何か納得した。ついでに母の四緑木星も六白金星とは合はぬと判つた。六白金星一代の運気は、「この年生れの人は、表面は気永のやうに見えて、その実至つて短気にて些細なことにも腹立ち易く、何かと口小言多い故、交際上円満を欠くことがある。親兄弟との縁薄く、早くより他人の中にて苦労する者が多い。また因循いんじゆんの質にてテキパキ物事の捗はかどらぬ所があるが、生来忍耐力に富み、辛抱強く、一端かうと思ひ込んだことはどこまでもやり通し、大器晩成するものなり……」
 一字一句が思ひ当り、この文章がわづかに楢雄を慰めた。そして一晩掛つてこの文句を覚えることで、父に撲られた口惜しさがまぎれるのだつた。
 翌日から楢雄は何思つたのか「将棋の定跡」といふ本を読み耽つた。著者の八段は「運勢早見書」によれば、六白金星で中年を過ぎてから三段になつて大器晩成の棋師だといふことだ。楢雄はその本を学校で読み、電車の中で読み、家で読み、覚えにくい定跡はカードを作つて覚えた。三月掛つてやつと覚えた頃、暑中休暇になり、修一が頭髪を伸ばして帰つて来ると、楢雄は早速将棋盤を持ち出したが、王手もせぬうちに簡単に負けてしまひ、あゝ俺はやはりだめだと青くなつた。
 修一は毎日海岸へ出て、相変らず女を物色してゐるらしかつたが、楢雄は海水着を着た女は猥わいせつだから見るのもいやだと言つて、一日中部屋に閉ぢこもり、いよいよ人間嫌ひになつたのかと寿枝をやきもきさせた。部屋に閉ぢこもつて何をしてゐるのかと、こつそり伺ふと、修一が持つて帰つた「カラマゾフ兄弟」を耽読してゐるらしかつた。楢雄にはその本はばかに難解だつたが、しかし楢雄はミーチャやインの父親に対する気持が判つたと思ひ込み、夜更けに鏡を覗いてみると、表情が何となく凄すごみを帯びて見えた。眉毛の薄いせゐかも知れなかつた。それで一層深刻な顔になつてやらうと、眼をむき下唇を突き出すと、こんどは実に奇妙な顔になつた。しかし別にをかしいとも思はなかつた。インを真似たのつそりした態度がやがて表面うはべに現はれて来て、そしてある夜楢雄は砒素を飲んだ。
 うめき声で眼を覚した寿枝が二階へ上つて見ると、楢雄は土色の顔へ泡を噴きだしてのた打ちまはつてゐた。修一は夕方家を出て行つたきり、まだ帰つてゐなかつた。寿枝は楢雄の口ヘ手を差し込んで吐かせるとあわてて飛びだして近所の医者へかけつけて行つたが、途中でふと気が変り、よその医者に頼めば外聞の悪い結果になると、公衆電話へ飛び込んで、蘆屋の圭介の病院へ電話した。蘆屋と香櫨園はすぐ近くなのに市外通話になつてゐて、なかなか掛らず、もどかしかつた。圭介はダットサンを自分で運転して来た。それで助かつた。吐かせようとして抱きかかへると、ぷんと腋臭わきがめくにほひがしたが、それは永年忘れてゐたわが子のにほひだつた。注射を済ませると、寿枝が絆創膏を貼つた。圭介はふと寿枝の顔を見た。寿枝も見た。お互ひふと岡山の病院でのことが頭をかすめ、想ひ出すべき歳月があつた。圭介は手を洗ひながら、しみじみと楢雄の寝顔を覗きこんだ。眼鏡のない眉毛の薄い顔は、まるでデスマスクのやうだつたが、しかし生命は取り止めたとしみじみ思つた。ところが、机の上にこれ見よと置いてある遺書を開いて読み終つた途端、圭介は思はず莫迦者と呶鳴どなつた。
 その遺書は右肩下りの下手な字で、おまけに鉛筆で、片仮名を使つて書かれてあり、それが文面の効果を一層どぎつくさせてゐた。

「恋愛ハ神聖ナリ。神ハ実在スルヤ否ヤ。俺ハ結核菌ノ所有者デアルガ、現在ノ父ニモ母ニモ結核菌ハナイ。スルト俺ハ現在ノ父母ノ子デナイトイフ理論ガ成リ立ツ。マタ、俺ノ眉毛ヤ俺ノ皮膚ハレプラニナル可能ガアル。シカルニ現在ノ父母ハレプラデハナイ。俺ハ誰ノ子デアルカ教ヘテクレ。俺ハコノ疑問ヲ抱イテ死ヌノダ!!
 俺ハ北畠ノ霊媒研究所ヘ行ツテ、十円出シテ霊媒シテ貰ツタ。ソノ結果、俺ハ双生児ノ片割レデアルトイフコトガ判明シタ。モウ一ツノ片割レハ今樺太カラフトノ炭坑ニヰルハズダ。
 嘘ノ世ノ中ニハアキアキシタ。俺ハイ、ンノ如ク永遠ノ謎ヲ抱キナガラ死ヌ。誰モ俺ガ死ンデモ泣クマイ。俺ハ無垢ムクノ女ヲ凌辱リヨウジヨクシヨウトシタノダ!!

 圭介は近頃興奮するとくらくらと眩暈めまひがし、頭の中がじーんと鳴るので、なるべく物事に臨んで冷静に構へる必要があつた。だから、こんな莫迦げた妄想まうさうを起す奴を相手に興奮してはつまらぬと、煙草を吸ひかけたが、手がふるへた。寿枝はおろおろして燐寸マツチをつけた。その瞬間、二人ははつと顔をそむけた。寿枝の眉間みけんには深い皺しわが出来、母性を疑はれた不快さがぐつと来たのだつた。そして何といふことなしに修一のことが頼もしく想ひ出されたが、しかし修一はどこをうろついてゐるのか、夜が更けてゐるといふのに、まだ帰つてゐなかつた。
 二年がたつた。楢雄はむくむくと体が大きくなり、自殺を図つた男には見えなかつた。高等学校の入学試験にすべり、高槻たかつきの高医へ入学した時も、体格検査は最優良の成績だつた。
 圭介は家へ帰ると、薄暗い階下の部屋で灯もつけさせず、壁を睨んだままぺたりと坐り込んで何時間も動かなかつた。寿枝が呼んでも返辞せず、一所を見つめた眼を動かしもしなかつた。さすがの楢雄もあつけに取られて、圭介のうしろに突つ立つてゐると、
「何をしてゐるのか。」
 うしろ向きの姿勢で呶鳴られた。寿枝はそんな圭介の素振りを見て、何か心に覚悟を決めたらしく一分の隙もないきつとした顔(頭)を見せてゐた。
 圭介はやがてみるみる狂気じみて、蘆屋の病院で死んだ。危篤の知らせで駈けつけたのは修一ひとり、無論本妻の計らひであつた。死に目に会ふことも許されない寿枝と楢雄は香櫨園の家でソハソハしながら、不安な気持のまま何か殺気立つてゐた。何時間かたち、楢雄は急に、
「さア、お母さん、こんなことしてても仕方がありません。活動でも見に行こやありませんか。」
 と、言つて起ち上つた。まあと寿枝は呆あきれたが、しかし瞬間母子の情が通つたと思ひ、だから叱らうとはしなかつた。
 修一は葬式を済ませて帰つて来ると、臨終の模様を語つた。圭介は息を引き取る前不思議にも一瞬正気になり、枕元に集つてゐる中で修一だけをわざと一歩進ませて、母の面倒はお前が見るんだぞと言ひ、その時窓に映つてゐた西日が落ちたさうである。
「それでお前は何と答へたんですか。」寿枝はわれながらもぢもぢ訊くと、
「はあと言ひましたよ」
 と修一は冷ひややかに答へ、そして、ちらつと寿枝の頭を見ると、
「蘆屋の奥さんから遺言書を見せて貰ひましたよ。お母さんは貰ふべきものはちやんと貰つてあるんですね。」
 寿枝ははつと虚をつかれた気持だつた。貰ふべき財産の分け前は、圭介の素振りがをかしくなつた時、寿枝は取つて置いたのである。寿枝、修一、楢雄の順で、修一、楢雄の分は学資用として無論修一の方が多かつたが、しかし寿枝の額は修一よりもはるかに多いのだ。田辺に嫁いでゐる妹が、姉さんは子供に頼つて行くといつても、子供とは籍が違ふのだからと入智慧いれぢゑし、子供といつても今に母親は妾だといつて邪魔にするかも知れないからねとまで言つたので、寿枝はその忠告に従つてさうしたのだつたが、修一の冷かな眼を見ると、やはりさうして置いてよかつたといふ気持が、心細く湧いて来て、最近修一の所へ来た女の手紙がふと想ひ出された。
「――この手紙を読んで何にも感じないやうでしたらあなたは精神のどこかに欠陥があるのです。」
 といふ恨みの籠つた手紙だつた。ひと様の娘御むすめごを何といふことだと、その時修一に見た冷酷さが今はわが身に振り掛るかと、寿枝は思つた。
 香櫨園の家は経費が掛るので、やがて寿枝は大阪市内の小宮町にこぢんまりした借家を探して移ることになつたが、果して修一は阪大医学部の卒業試験の勉強で忙しいと口実を設けて、一人で夙川の下宿へ移つた。寿枝はなぜかそれを停めることが出来なかつた。楢雄は、兄貴には香櫨園の界隈かいわいを離れがたいわけがあるのだと見抜いてゐた。修一が現在交際してゐる北井伊都子は浜甲子園の邸宅に母と二人住み、係累もなく、その代り父の遺産は三十万を超えてゐるのだと、修一はかつて楢雄に話したことがあつたのだ。
 修一のゐない家庭は寿枝には寂しかつた。だから、三月許ばかりたつて、修一が小宮町へ顔を見せると、いそいそとして迎へたが、修一はお茶も飲まぬうちに、いきなり、
「僕、養子に行きますよ。何れ先方からこちらへ話がありますから、その時は良い返辞頼みますよ。」
 と、言つた。先方とは無論北井家のことだつた。北井伊都子は長女で嫁には行けず、だから修一が婿養子にはいるのだと、もう伊都子の母親にも会うて話を決めてゐたのだつた。
「学校を出ても、親父のくれた金では開業できませんからね。結局安月給の病院の助手になるよりほかに仕方ないとすれば、まアわれわれの身分では養子に行くのが出世の近道ですよ。木山さんの例もありますからね。」
 木山博士は圭介の友人で、大学を卒業するまでに二回養子に行き、卒業してから一回、博士になつてからも一回、都合四回養子先と女房を変へて出世した男であつた。
「ぢや、お前は木山さんのやうになりたいんですか。」
「木山さんには私淑してゐます。時々会うて世渡りの秘訣を拝聴してゐますよ。」
「お母さんのことはどう成つても構はぬのですか。」
「いや、もし何でしたら、お母さんも一緒に北井の家へ来て貰つても構ひませんよ。」
 太い眉毛は今こそ兄の顔になくてかなはぬものだと、楢雄は傍で聴きながらふと思つたが、しかし口をはさまうとはせず、寿枝が哀願めく眼を向けても、素知らぬ顔で新聞の将棋欄を見てゐた。
 半月許りたつて、五十前後の男が手土産らしいものを持つてやつて来た。浜甲子園の北井の使ひだといふので、寿枝はさつと青ざめた。ところが、その使ひは意外にも今後北井家では修一さんとの交際を打ち切ることにしたから悪しからずといふ縁談の断りに来たのだつた。使ひの男は寿枝の饗応に恐縮して帰つた。
 修一は夙川の下宿を引き揚げて来て、妾の子だと知れたための破談だと、寿枝に八つ当つた。日頃の行状を北井家に調べ上げられたことは棚に上げてゐたのである。すつかり自信を無くしてしまつたらしい修一の容子ようすを見て、楢雄は将棋を挑んだが、やはり修一には勝てなかつた。
 楢雄は高槻の学校の近くにある将棋指南所へ毎日通つた。毎朝京阪電車を降りると学校へ行く足を指南所へ向け、朝寝の松井三段を閉口させた。楢雄は松井三段を相手に専門棋師のやうな長考をした。松井三段は腐つて、何を考へてゐるのかと訊くと、楢雄はにこりともせず、
「人間は一つのことをどれ位辛抱して考へられるか、その実験をしてゐるんだ。」
 と、答へた。楢雄は進級試験の日にも指南所へ出掛け、落第した。
「お前の金はあと二年分しかないのに、今落第されては困りますよ。」
 寿枝の小言に金のことがまじると、楢雄はかつとした。修一は口を出せば自分の金が減るといふ顔で黙つてゐた。楢雄はその顔をみると、もうわれを忘れて叫んでゐた。
「ぢや僕は下宿します。下宿して二年分の金で三年間やつて行きます。お母さんの世話にも兄さんの世話にもなりません。」
 言ひだしたらあとへ引かなかつた。その頑固な気性を口実に、寿枝は楢雄に言はれる通りの金を渡した。
「しかし、千円だけはお前の結婚の費用に預つて置きますよ。」
「そんな金は兄さんにあげて下さい。」
 千円減つたことで、自活の決心が一層固くなつた。
「ぢや、お母さんはお前に月々十円宛づつ、お母さんの金を上げます。」
「要りません。食へなかつたら家庭教師します。」
 さう言ふと、修一ははじめて口を利いて、
「お前みたいな頭の悪い奴に家庭教師がつとまるか。」
 と、嗤わらつた。嗤はれたことも楢雄はこの際の勘定に入れた。そして学校の近くの下宿に移つた。寿枝は、下宿をしても洗濯物を持つて週に一回だけはぜひ帰るやうにと言ひ聴かせながら、自分は不幸だと思つた。
 修一は学校を出ると、附属病院の産婦人科の助手になつた。報酬は月に一円足らずで、日給の間違ひではないかとはじめ思つたくらゐだつたが、それでも毎日浮かぬ顔をして通つてゐた。学生服よりは高くついたが、着てみれば背広も安洋服だつた。患者の中には良家の者らしい若い女性もゐたが、産婦人科へ生娘が来る例もすくなかつた。時々出稼ぎにあちこちの病院へ出張したが、その報酬は全部自分で使ひ、寿枝には一銭も渡さず、しかも家の費用はすべて寿枝が自分の金で賄まかなつてゐた。だから修一の金は少しも減らないと寿枝はひそかに田辺の妹に愚痴つてゐたが、それでも修一が家にをらないとやはり寂しかつた。修一は宿直と出張の口実を設けて月の半分は家をあけ、どうやら看護婦を相手にしてゐるらしかつた。寿枝は修一の留守中泊りに来てくれるやうにと、楢雄に手紙を出した。楢雄はやつて来て、寿枝の顔に、薄く白粉の粉が吹きだしてゐることよりも、髪の毛がバサバサと乾いてゐることの方を見て寿枝を千日前へ連れて行つて映画を見せたりした。下宿で随分切り詰めた暮しをしてゐるらしく、げつそりと青く痩せてゐる楢雄の横顔を見て、寿枝はそつと涙を拭いたが、しかし何日か泊つて下宿へ帰る日が来ると、楢雄はその何日分かの飯代を寿枝に渡した。何といふ水臭いやり方かと寿枝は泣けもせず、こんな風にされる自分は一体これまでどんな落度があつたのかと、振りかへつてみたが、べつに見当らなかつた。
 楢雄は煙草は刻みを吸ひ、無駄な金は一銭も使ふまいと決めてゐたが、ただ小宮町へ行つた帰りにはいつも天満てんまの京阪マーケットでオランダといふ駄菓子を一袋買つてゐた。子供の時から何か口に入れてゐないと、勉強出来なかつたのである。京阪マーケットの駄菓子はよそで買ふより安く、専らそこに決めてゐたのだが、一つにはそこの売子の雪江といふ女に心を惹ひかれてゐたのだ。栄養不良らしい青い顔をして、そりの強い眼鏡を掛けてゐてオドオドした娘だつたが、楢雄が行くたび首筋まで赧あかくして、にこつと笑ふと、笑窪(ゑくぼ)があつた。ある日、楢雄が行くと、雪江は朋輩に背中を突かれて、真赤になつてゐた。おや、俺に気があるのかと思ひ、修一の顔をちらりと想ひだしながら、
「君、今度の休みはいつなの?」
 その休みの日、道頓堀でボートに乗りながらきくと、雪江の父は今宮で錻力ブリキの職人をしてゐるが、十八の歳、親孝行だから飛田の遊廓へ行けと酒を飲みながら言はれたので、家を飛び出して女工をしたり喫茶店に勤めたりした挙句あげく、今のマーケットへ勤めるやうになつた。しかし、月給の半分は博奕ばくち狂ひの父の許もとへ送つてゐると、正直に答へた。父の家を逃げ出し、それでも送金してゐるといふ点と正直な所が楢雄の気に入り、また、他の店員のやうにケバケバした身なりもせず、よれよれの人絹を着てゐるのも何か哀れで、高槻の下宿へ遊びに来させてゐたところ、ある夜ありきたりの関係に陥つた。女の体の濡れた感覚の生々しさは、楢雄にもう俺はこの女と一生暮して行くより外はないと決心させた。しかし、香櫨園の女中のことも一寸頭をかすめた。
 間もなくビリの成績で学校を出たのをしほに、楢雄は萩ノ茶屋のアパートに移り、母に内緒で雪江と同棲した。そして学校の紹介で桃山の伝染病院に勤めた。母から受取つた金は無論卒業までにきちきち一杯に使つてゐたので、病院でくれる五十円の月給がうれしくて、毎日怠けず通つた。一つには人もいやがる伝染病院とはいかにもデカダンの俺らしいと、気に入つてゐたからである。もつとも病院の方では、楢雄が気に入つてゐるといふわけではなかつた。背広を作る金がなかつたので、ボロボロの学生服で通勤すると、実習生と間違へられ、科長から皮肉な注意を受けた。それでも、服装で病気を癒すわけではありませんからと、平気な顔をしてその服で通してゐると偏屈男だと見たのか、その後注意もなかつたが、しかし寿枝の方へはいつの間にかこつそり注意があつた。
 寿枝は驚いて萩ノ茶屋のアパートへ来た。管理人が気を利かせて、応接間へ通したので同棲してゐるところは知られずに済んだと、楢雄はほつとした。寿枝は洋服代にしろと言つて何枚かの紙幣を渡さうとしたが、楢雄は受け取らうとしなかつた。
「僕にはもういただく金はない筈です。」
「いいえ、お前の金はまだ千円だけ預つてあります。」
「あれは兄さんにあげたお金です。」
「ぢや、これはお母さんがお前にあげます。」
 それならいいだらうと、無理に握らせると、やはりふと寿枝を見た眼が渋々嬉しさうだつた。しかし、帰りしなに寿枝が、
「お前もいつまでも頑固なことを言はずに、少しは世間態といふことも考へなさい。お母さんもお前に背広も着せない母親だと言はれたら、どんなに肩身が狭いか判りませんよ。」
 と言つたので、楢雄の喜びは途端に消えてしまつた。それでも雪江には、
「おい背広作れるぞ。」
 と、喜ばせてやる気になつた。が、雪江は何だが不安さうだつた。
 果して、管理人にきいてみると、寿枝は楢雄と雪江の暮しを根掘り聴いて行つたといふことだつた。楢雄は恥しさと、そして二人のことを聴きながら素知らぬ顔で帰つて行つた母親への怒りとで、真赤になつた。翌日、阿倍野橋のアパートヘ移つた。
 移転先は内緒にしてあつたが、病院で聴いたのか、移つて五日目の夜寿枝はやつて来た。楢雄は丁度病院の宿直で留守だつたが、わざと留守の時をえらんで来たらしく、その証拠に寿枝は雪江を掴へて、どうか楢雄と別れてくれとくどくど頼んだといふことだつた。寿枝も寿枝だが雪江も雪江で、寿枝の涙を見ると、自分も一緒に泣いて、楢雄さんの幸福のために身を引きますと約束したといふ。
「莫迦ばか野郎! 俺に黙つてそんな約束をする奴があるか。」
 と楢雄は呶鳴りつけて、「運勢早見書」の六白金星のくだりを見せ、
「俺は一旦かうと思ひ込んだら、どこまでもやり通す男やぞ。別れるものか。お前も覚悟せえ。」
 翌日、岸ノ里のアパートへ移つた。移転先は病院へも秘密にし、そして「俺ハ考ヘル所ガアツテ好キ勝手ナ生活ヲスル。干渉スルナ。居所ヲ調ベルト承知センゾ。昭和十二年九月十日午前二時誌シルス」といふ端書はがきを母と兄宛あてに書き送つた。
 ところが、それから三日目に田辺の叔母が病院へやつて来た。
「あんたの同棲してゐる女は今宮の錻力ブリキ職人の娘で、喫茶店にゐた女やいふさうやが、あんたは親戚中の面よごしや。それも器量のええ女やつたら、まだましやが……。」
 さう言つて叔母は、一ぺんこの写真の娘はんと較べてみなはれと見せたのは見合用の見知らぬ娘の写真だつた。楢雄は廊下に人が集つて来るほどの大きな声を出して、叔母を追ひかへした。そして三日目に病院をやめてしまつた。無論、叔母の再度の来訪を怖れてのことだつたが、雪江には、
「いくら伝染病院だといつても、あんなに死亡率が高くては、恥しくて勤めてゐられない。」
 と言ひ、しかしこれは半分本音であつた。
 病院をやめるとたちまち暮しに困つたので、やはり学校の紹介で豊中の町医者へ代診に雇はれた。夜六時から九時まで三時間の勤務で月給六十円だから、待遇は悪くはなかつたが、その代り内科、小児科、皮膚科、産婦人科の四つも持たされ、経験のない楢雄では誤診のないのが不思議なくらゐだつた。紹介する方も無責任だが、雇ふ方も無茶だと思つた。しかし、それよりもしたりげな顔をして患者に向つて居る自分には愛想がつきた。院長は金の取れる注射一点張りで、楢雄にもそれを命じ、注射だけで病気が癒なほると考へてゐるらしいのには驚いたが、しかしそんな嫌悪はすぐわが身に戻つて来て、えらさうな批判をする前にまづ研究だと、夜の勤務で昼の時間が暇なのを幸ひ、毎日高医の細菌学研究室へ通つた。
 そこでも、研究生の物知り振つた顔があつた。楢雄は俺は何も知らぬから、知つてゐることだけをすると言つて、毎日試験管洗ひばかししてゐた。試験管洗ひは誰もいやがる仕事で、普通小使がしてゐたのだ。それを研究費を出して毎日試験管洗ひとは妙な男だと重宝ちようはうがられ、また軽蔑された。しかし楢雄は、磨き砂と石鹸で見た眼に綺麗に洗ふのは易しいが、培養試験に使用できるやうに洗ふのは、なかなかの根気と技術の要る仕事だと、帰つて雪江に聴かせた。
 ある夏の日、二つ井戸へ医学書の古本を漁あさりに行つた帰り、道頓堀を歩いてゐると喫茶店の勘定場で金を払つてゐる修一を見つけた。ちらりとこちらを見た眼が弱々しい微笑を泛うかべてゐるので、ふとなつかしい気持がこみ上げたが、しかし、その微笑は喫茶店の前で修一の出て来るのを待つてゐる若い女に向けられたものだと、すぐ判つた。女はずんぐり肩がいかつて美人ではなかつたが、服装は良家の娘らしく立派であつた。相変らずだなと苦笑しながら、物も言はず通り過ぎたが、しかしさすがに修一も楢雄には気づき、帰ると、
「今日楢雄を見ましたよ。この暑いのに合服を着て、ボロ靴をはいて、失業者みたいなみすぼらしい恰好かつかうでしたよ。」
 と、寿枝に語つた。合服といふことがまず寿枝の胸をチクリと刺し、なぜ立ち話にでもあの子の居所をきいてくれなかつたのかと、修一の冷淡さを責めた。
 寿枝は私立探偵を雇つて、京阪マーケットに勤めてゐる雪江を尾行して貰ひ、楢雄のアパートをつきとめた。早速出掛けたが、二人は留守で、管理人や隣室の人にきいてみると、月給は雪江の分と合はせて九十五円はいるのだが、そのうち二十円は雪江の親元へ送金するほか、研究費とむやみやたらに買ふ医学書の本代に相当要るので、部屋代と交通費を引くといくらも残らず、予想以上にひどい暮しらしかつた。昼飯を抜く日も多いといふ。寿枝は帰ると為替かはせを組んで、夏服代だと百円送つたが、その金はすぐ送り返されて来た。
「ヒトノ後ヲ尾行シタリ隣室ヘハイツテ散々俺ノ悪口ヲ言ツタリ、俺ノ生活ヲ覗イタリスルコトハ、今後絶対ニヤメテクレ。コノ俺ノ精神ハ金銭デハ堕落シナイゾ。」
 といふ手紙が添へてあつた。寿枝はその手紙を持つて田辺へかけつけ、妹の前で泣いた。そして一緒にアパートに行くと、もう楢雄は引つ越したあとだつた。
 寿枝は楢雄の手紙を持つて親戚や知己を訪れ、手紙を見せて泣くのだつた。修一はそんな恥さらしはやめてくれと呶鳴り、そんな暇があつたら、僕の細君でも探してくれ、細君がないと僕は出世が出来んと、赧あかい顔もせずに言つた。寿枝は圭介の友人にたのんで、やつと修一の結婚の相手を見つけたが、見合では修一は断られた。妾の子はやはり駄目だと、修一は寿枝に毒づき、その夜外泊したのを切つ掛けに、殆んど家へ帰らず、たまに帰つても口を利かず、寿枝は老い込んだ。
 ある夜、楢雄が豊中からの帰り途、阪急の梅田の改札口を出ようとすると、老眼鏡を掛けてしよんぼり佇たたずんでゐる寿枝の姿を見つけた。待ち伏せされてゐるのだと、すぐ判つて、楢雄はいきなり駈けだして近くの喫茶店へ飛び込み、茶碗へ顔を突つ込むやうにして珈琲コーヒーを啜すすりながら、俺は母を憎んでゐるのではないと自分に言ひきかせた。ちらつと見ただけだつたが、母の頭は随分白くなつてゐた。もう白粉も塗つてゐなかつた。寿枝は楢雄のうしろ姿を見て、靴のカカトの減り方まで眼に残り、預つてゐる千円を送つてやらうと思つたが、いや、あの金はあの子がまともな結婚をする時まで預つて置かう、でなければ蘆屋の本妻に合はす顔がないと気を変へて、夜更けのガラあきの市電に乗つてしよんぼり小宮町へ帰つて行つた。すると、翌日の夜、楢雄から速達が来て「俺ハ世間カラキラハレタ人間ダカラ、世間カラキラハレタレプラ療養所デ働ク決心ヲシタ。世間ト絶縁スルノガ俺ノ生キル道ダ。妻モ連レテ行ク。モウ誰モ俺ニ構フコトハ出来ナイゾ。」とあつた。寿枝は修一をかき口説くどいた。修一も楢雄がレプラ療養所などへ行けば、自分の世間もせまくなると、本気に心配したのか、一日中かけずり廻つてやつと楢雄のアパートをつきとめると、電話を掛けた。
「おい、強情はやめて、女と別れて小宮町へ帰れ。」
 楢雄の声をきくなりさう言ふと、
「無駄な電話を掛けるな。あんたらしくない。」
 電話のせゐか、ふだんより癇高かんだかい声だつた。
「とにかく一度会はう。」
「その必要はない。時間の無駄だ。」
「ぢや、一度将棋をやらう。俺はお前に二回貸しがあるぞ!」
 と、ちくりと自尊心を刺してやると、効果はあつた。
「将棋ならやらう。しかし、言つて置くが将棋以外のことは一言も口をきかんぞ。あんたも口を利くな。それを誓ふなら、やる。」
 約束の日、修一が千日前の大阪劇場の前で待つてゐると、楢雄は濡雑巾のやうな薄汚い浴衣を着て、のそつとやつて来た。黝(あをぐろ)くやつれた顔に髭がばうばうと生えてゐたが、しかし眉毛は相変らず薄かつた。さすがに不憫になつて、飯でも食はうといふと、
「将棋以外の口を利くな。」
 と呶鳴るやうに言ひ、さつさと大阪劇場の地下室の将棋倶楽部クラブへはいつて行つた。
 そして盤の前に坐ると、楢雄は、
「俺は電話が掛つてから今日まで、毎晩寝ずに定跡の研究をしてたんやぞ、あんたとは意気込みが違ふんだ。」
 と言ひ、そしていきなり、これを見てくれ、とコンクリートの上へ下駄を脱いだ。見れば、その下駄は将棋の駒の形に削つてあり、表にはそれぞれ「角」と「竜」の駒の字が彫りつけられてゐるのだつた。修一はあつと声をのんで、暫らく楢雄の顔を見つめてゐたが、やがてこの男にはもう何を言つても無駄だと諦めながら、さア来いと駒を並べはじめた。 

(昭和二十一年三月)
三島書房刊。昭和21年9月30日発行


織田作之助(1913-1947) 

大阪市の仕出し屋の家に生れる。三高時代から文学に傾倒し、1937(昭和12)年に青山光二らと同人誌『海風』を創刊。自伝的小説「雨」を発表して注目される。1939年「俗臭」が芥川賞候補、翌年「夫婦善哉」が『文芸』推薦作となるが、次作「青春の逆説」は奔放さゆえに発禁処分となった。戦後は「それでも私は行く」をいち早く夕刊に連載、1946年には当時の世俗を活写した短編「世相」で売れっ子となった。12月ヒロポンを打ちつつ「土曜夫人」を執筆中喀血し、翌年1月死去。 

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2020年04月13日

『宇宙・肉体・悪魔―理性的精神の敵について』ジョン・バナール

『宇宙・肉体・悪魔―理性的精神の敵について』ジョン・バナール


科学という力を手に入れた人類が宇宙の未来にとって重要な役割を果たすとの前提に立ち、人類の行く先を想像力豊かに予測する。

スペースコロニー、人間のサイボーグ化や集合頭脳、進歩主義者と人間主義者の対立など、多くのSF的アイデアにも踏みこんでいる。特にサイボーグの概念はこの本で初めて示された。人類が自らの肉体とともにその精神までも変えてゆく時、一体なにを望むようになるのだろうか。


JD・バナールは物理学者、1929年、27歳の時の著作。

http://www.marxists.org/archive/bernal/works/1920s/soul/で原文を閲覧できる。 


『宇宙・肉体・悪魔―理性的精神の敵について』目次


第一章 未来(The Future)…p. 1

 二つの未来──願望と宿命/未来を扱う科学/幻想の排除と既成概念からの脱出/科学的予測の指針/

 偶然と必然性/本書で試みる予測の方針/合理的精神に対する三つの敵


第二章 宇宙(The World)…p. 12

 物性物理学の応用/産業と生活の近代化/宇宙への進出/宇宙基地の効用/宇宙植民島の建設/

 球殻植民島の外殻/植民島の内部/無重力下の生活/一種の生物としての宇宙島/宇宙島の乗務員と住民/

 宇宙島の未来──太陽系からの脱出/大宇宙への生命の挑戦


第三章 肉体(The Flesh)…p. 34

 自然の進化に頼っていた段階/道具の採用/既成器官の転用/人体諸器官の非能率さ/不死を求めて/

 ホールデンの改造人間/サイボーグ人間へ向かって/脳のカン詰への進化/感覚器と運動器の延長/

 複合頭脳の形成/進化の終極


第四章 悪魔(The Devil)…p. 58

 内なる悪魔/専門分野の克服/自然界の複雑さ/科学への幻滅/天才と大衆/政治的要因と歴史の循環/

 田園牧歌か、知的進化か/科学と芸術と宗教の新しい総合へ向かって/進歩に抵抗する諸力/

 人類の二形分裂の可能性


第五章 総合(Synthesis)…p. 75

 宇宙へ進出する機械化人間/脱肉体人の心理的発展/セックスの昇華を超えて/感情の意識的制御/

 無限の闘い──生命の本質


第六章 可能性(Possibility)…p. 85

 人類の目的は?──人間社会と昆虫社会のちがい/生物の進化との類比/

 科学者が人類を置き去りにする可能性/科学者の分離を抑えている要因/

 宇宙の科学人と地上の人間動物園の共存/われわれはどんな道を選ぶだろうか?


訳者あとがき…p. 101

JD・バナール略歴…p. 107



『宇宙・肉体・悪魔 理性的精神の敵について』(JD・バナール著/鎮目恭夫訳)の復刊リクエスト受付をしている。人類の想像力について謳歌するために、検索を!

posted by koinu at 09:02| 東京 ☔| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする