2021年09月01日

レオ・レオーニ 「6わのからす」

原題「Six Crows」邦訳版は谷川俊太郎さんの訳で、佑学社の改訂版。


敵だと思いこんでいた相手とだって、ちゃんと話せば、きっとわかりあえる!大切なことをやさしく教えてくれる、レオ・レオーニの名作絵本。

農民たちはカラスに麦を食べられるので困っています。いろいろ防御してもカラスはそれに対抗手段する。

疲れ果てて農民は農作業を放棄すると、麦ができないのでカラスは困まる。両者困ったところで、フクロウが知恵を出してくる。

A52CF2C9-B0E2-4FD5-9934-5A173AF1D200.jpeg

【本書より】

 バルバドゥールの おかの ふもとの しずかな たにま。

 むぎを めぐって、6わの からすと ひとりの のうふが あらそいます。

 たがいに ちえくらべを している あいだに、むぎは ほったらかされ しおれていきます。

 そんなようすを みていた 1わの ふくろうが・・・

AEBB3E8F-C069-41A7-A48E-3BCC623032C7.jpeg

 不毛な争いを続ける農夫とカラスたち。ただ相手に勝つことだけに夢中になって、現実的な解決や改善からはどんどん遠ざかります。

 そんな農夫とカラスの知恵比べを見て、ふくろうは、「のうふと からすと、ばかなのは どっちかね」と思います。

 

ふくろうは静かに語る。

「はなしあいに ておくれは ないよ」

「ことばには まほうの ちからが ある」

F974D90C-5803-4BB0-9A7C-0D7366A149E9.jpeg

作者:レオ・レオーニ(Leo Lionni

19101999年)

1910年、オランダのアムステルダムに生まれる。

イタリアで広告関係の仕事をした後、1939年に渡米。

絵本作家として、また国際的なデザイナーとして活躍。

主な絵本に『あおくんときいろちゃん』(至光社)、『スイミー』『フレデリック』(好学社)、『いろいろ1ねん』 『どうするティリー?』 『チコときんいろのつばさ』(あすなろ書房)など。

posted by koinu at 20:19| 東京 🌁| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月27日

『ジュラシック・コード―あなたの脳に潜む「爬虫類脳」の不思議』(詳伝社〕

41CC44F6-F7FC-4F4E-9C32-8F0F25B0E242.jpeg

人間はなぜ、かくも「争う」のか?

答えは「脳」の仕組みにあった!

脳進化の驚くべき秘密を知れば、あなたの疑問が一気に解決する。


EE2ED73E-3221-4C4E-85F3-53A6B88E4F92.jpeg

アメーバーから人類に進化する過程で、脳がどう発達して人間の生体に影響しているか、爬虫類時代の名残がある。

爬虫類脳=脳幹という不自然さをなぜ人類が克服できなかったのか。その成り立ちが老舗旅館の建増し状態の脳の三層構造にあった。大脳辺縁系の中にある、扁桃体と海馬がはっきり役割してる図解も楽しいです。

9157FA3B-5558-4F95-8C26-E0860720456A.jpeg

3つの脳のハンドルがキレイに揃って完璧に同方向に向かって操作されている時、予想だにしないパフォーマンスが出せたり、この上ない幸福感を味わえたりする。

ジュラ紀の刻印=ジュラシック・コード。恐竜時代からの記憶が刻まれている人類たちの脳へ馳せる想い。


A2A88342-41F8-4C68-AAC1-916042F19351.jpeg


【目次】

序章 人類はなぜ悩むのか、その答えは「脳進化」にあった

第1章 イケメンも美人も、「魚のエラ」なのだ―進化の基本法則「マイナーチェンジ」

第2章 老舗旅館の奥座敷には、恐竜が住んでいた!―脳の3層構造と「建て増しの原理」

第3章 ひとつの国に住むワガママな3人の王様―「本能・情動・理性」の脳内領域と機能

第4章 ハンドルが3つあるスーパーカー―脳構造からわかった「幸福のしくみ」

第5章 ワインの香りが、やさしく包む場所―脳の原型「嗅脳」からみる、脳進化の系譜

第6章 人類は本当に月に行ったのか?―脳の機能局在と「ミラーニューロン」

終章 この気持ち、言葉にできない「ジュラシック・コード」の刻印


渡邊 健一【著】/テレビ朝日【原案】

祥伝社(2005/12発売)

895843E5-8BB5-4804-8E0F-1324C2AF1371.jpeg
56973952-BC90-4CBA-A3DF-1A7FE21AC040.jpeg

渡邊健一[ワタナベケンイチ]

放送作家。1957年、東京信濃町生まれ。桐朋音楽高校作曲科をへて、慶応大学文学部哲学科卒。テレビの放送作家としてレギュラー番組を企画構成している。中京女子大学伊達コミュニケーション研究所客員教授でもある。

posted by koinu at 22:33| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月26日

兎と亀 ロオド・ダンセイニ


 うさぎかめと、どっちが早いかということは、長い間、動物仲間のうちで問題になっていました。
 あるものは、もちろん兎の方が早いさと言います。兎はあんなに長い耳を持っている。あの耳で風を切って走ったら、ずいぶん早く走れるに違いないと。
 しかしまた、あるものは言うのです。いいや、亀の方が早いさ。なぜって、亀の甲良こうらはおそろしくしっかりしているじゃアないか。あの甲良のようにしっかりと、どこまでも走って行くことが出来るよと。
 そう言って、議論しているばかりで、この問題はいつまでたっても、けりがつきそうもありませんでした。
 そして、とうとう動物たちの間には、その議論から一戦争ひとせんそうはじまりそうなさわぎになったので、いよいよふたりは決勝戦をすることになりました。兎と亀とは、五百ヤードの競走をって、どっちが早いかを、みんなの動物たちに見せるということになりました。
「そんな馬鹿々々ばかばかしいことはいやですよ。」
と、兎は言いました。が、彼の味方たちは一生懸命兎を説きふせて、ともかくも競走に出ることを承知させました。
「この競走は大丈夫、私のかちですよ。私は兎みたいにしりごみなどはしませんよ。」
と、亀は言いました。
 亀の味方は、どんなにそれを喝采かっさいしたことでしょう。

 競走の日は、まもなくやって来ました。敵も味方も、いよいよ勝敗の決する時が近づいたので、口々に大声でどなり立てました。
「私は大丈夫勝ってみせますよ。」
と、亀はまた言いました。
 が、兎は何にも言いませんでした。彼はうんざりして、ふきげんだったのです。そのために、兎の味方の幾人いくにんかは彼を見すてて、亀の方につきました。そして、亀の大威張おおいばりな言葉を、大声で喝采しました。
 が、兎の味方は、まだだいぶたくさんありました。
「おれたちは、兎がまけるようなことは、どうしたってないと思う。あんなに長い耳を持っているんだから、勝つに違いないよ。」
 彼等[#「彼等」は底本では「彼」]は、口々にそう言っていました。
「しっかり走ってくれ。」
と、亀の味方は言いました。
 そして「しっかり走れ」という言葉を、きま文句もんくのように、みなは口々にくりかえしました。
「しっかりした甲良を持って、しっかり生きている――それは国のためにもなることだ。しっかり走れ。」
 彼等は叫びました。こんな言葉は、動物たちが心から亀を喝采するのでなければ、どうして言うことが出来ましょう。
 いよいよ、二人は出発しました。敵も、味方も、一時いちじにしんとなりました。
 兎は一息ひといきに、百ヤードばかり走りぬきました。そして、自分のまわりを見廻みまわしてみると、そこには、亀の姿すがたも形も見えないではありませんか。
なんて馬鹿々々しいことだい。亀と競走をするなんて。」
 兎はそう言って、そこへすわんで、競走をやめてしまいました。
「しっかり走れ、しっかり走れ。」
と、誰やらが叫んでいるのがきこえます。
「やめてしまえ。やめてしまえ。」
と、ほかの声が言っています。「やめてしまえ」も、どうやら定り文句になってしまいました。
 が、しばらくしますと、亀は兎のそばへ近づいてまいりました。
「やって来たな。この亀の野郎。」
と、兎は言いました。そして、彼はあがって、せい一杯いっぱいの早さで走り出しました。亀がどんなにせいを出しても追いつけないような早さで。
「耳の長い方がやっぱり勝つだろう。耳の長い方がやっぱり勝つだろう。おれたちの言ったことは、いよいよ文句なしに正しいということになるぞ。」
と、兎の味方は言いました。そして、あるものは、亀の味方の方をふり返って言いました。
「どうしたい。お前の方の大将たいしょうは。」
「しっかり走れ。しっかり走れ。」
と、亀方かめがたは言いました。
 兎は、三百ヤードばかり走りつづけて、もう少しで決勝点というところへつきました。が、その時彼は、うしろの方に姿さえ見えない亀と、一生懸命競走している自分は、何と馬鹿げてみえることだろうと、考えました。そう思うと、もう競走するのが、すっかりいやになって、またそこへ坐りこんでしまいました。
「しっかり走れ。しっかり走れ。」
「いや、やめさせてしまえ。」
と、大勢おおぜいは叫んでいます。
「どんな用があったって、もういやなことだ。」
 兎はそう言って、今度はゆっくり腰をすえてしまいました。ある人は、彼は眠ってしまったのだと申します。
 それから、一二いちに時間ばかり、亀は死にものぐるいで走りつづけたのです。そしてついに競走は亀が勝ってしまいました。
「しっかり走ること、しっかりした甲良を持っていること――それが、亀の何よりのたからだよ。」
と、味方のものは言いました。
 そして、それから彼等は亀のところに行って、「競走に勝った時の気持きもちをおらし下さい」と言いました。亀は自分ではうまい返答が出来ないので、海亀のところへ聞きに行きました。
 すると、海亀は、
「やっぱり、お前の足が早いから、名誉めいよの勝利を得たのさ。」
と言いました。
 そこで、彼は帰って来て、友だちにその言葉をくりかえしました。動物たちは、「なるほどそうかなア」と思って聞きました。
 そこで、今日こんにちまで「足が早いから名誉の勝利を得たのだ」という言葉を、亀や、かたつむり類は、そのままに信用しています。
 が、実際はもとより兎の方が亀より早かったのです。ただ、この競走を実際に見た動物たちが、そののちまもなくおこった大きな森の火事で、すっかり死んでしまったため、本当のことが伝わらなかったのです。
 森の火事は、大風のある晩に突然起りました。兎だの、亀だの、そのほか五六ごろく匹の動物は、その時ちょうど森のはずれの小高い禿山はげやまの上にいたので、すぐ火事を見つけることが出来ました。彼等は、大いそぎで、この火事を森の中の動物に知らせに行くには誰が一番いいだろうかと、相談しました。その結果、ついにこの間の競走で勝った亀が、その役目をひきうけることになったのです。
 もちろん、亀が「しっかり走って」行くうちに、森の中の動物たちは、残らず火事にやかれてしまったのであります。(イギリス)





底本:「小學生全集第十八卷 外國文藝童話集(下)」興文社、文藝春秋社
   1929(昭和4)年4月20日発行
posted by koinu at 11:22| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月25日

『挑戦する脳』茂木健一郎(集英社新書)

「未知の領域に挑戦してきたからこそ、人類は文明を築き上げてきた。

挑戦することをやめてしまったら、人間は人間以外の何ものかになってしまうことだろう。」


脳の働きを一言で表せば、「学習」することで、決して完成することなく、その学習プロセスはオープン・エンド」な「旅」だと述べている。

そして挑戦は私たちが気付かないうちに、日常に忍び込んでいると指摘。


〈まえがき〉

「挑戦」とは、文脈を乗り越えていくことである。「大学入試」や「語学検定」といった特定の「文脈」の中で学習し、次第に正答率を上げていくことも、確かに一つの挑戦ではある。しかし、それは生という現場が私たちに提供する「挑戦」の本来の大らかさからは遠い。文脈にとどまっていては、生の本来の挑戦はできない。文脈を乗り越えること、あるいは、そもそも文脈さえもがないような状況に身をさらし、その中で踊り続けることが、生の本来の挑戦である。


 誰も見ていないところで、誰も見ていないからこそ、踊り続けるのだ。

 私たちは、困難な時代に生きている。グローバル化に伴うさまざまな混乱は、世界各地に共通のことではあるが、私たち日本人は、そのことを、より一層、骨身にしみて感じているのではないか。


日常生活においては、自分がある部分を注視しているということが、相手に対する心理的なメッセージともなる。「見る」「見られる」という関係性が、注視点のやりとりを通してダイナミックに変貌していく。そのような「晴眼者」どうしのコミュニケーションに慣らされている身からは、こちらがどこを見ているのか、全く気にしないかのようなその子の態度は、いかにも大らかでゆったりしたものに感じられた。


 最初にあった構えが、いつの間にか嘘のように消えていた。急速なこだわりの消滅は、今振り返れば、彼が私の視点の行く先を全く気にかけていなかったことによるとしか思えない。


 今振り返っても素晴らしいと思うのは、その子が、自分が視覚において「不自由」であるということにこだわっていなかったこと。そんあことは気にせずに、自分の人生を楽しむということに、全身全霊をかけているように見えたこと。

 とりわけ、「耳を澄ます」という態度の純度が心を動かした。私たちも、目に見えないものに耳を傾けるということはある。しかし、私たちはあまりにも視覚に依存し、それに左右されているがために、目に見えないものの気配を懸命に探るという態度が、人生の中で時々しか訪れない。

『挑戦する脳』第1 より


 そもそも、ある人間が存在すること自体が、必然的なことではない。たとえば、「茂木健一郎」この宇宙にいるのは偶然の結果であって、存在しないことも有り得た。この世界の中にいること自体が、さまざまな事象の作用が重なり合った、いわば「ボーナス」のようなもの。その存在には、本来何の保証もなかったのである。


 起源においては「偶然」であったにもかかわらず、いったんそのように存在してしまった以上、それが最初からの「必然」だったかのように作用し始める。このように、「偶然」から「必然」への命がけの跳躍が介在すること、すなわち「偶有性」こそが人間本来の本質である。

『挑戦する脳』第6 より 


このような「偶有性」の時代に求められているのは、ある決まった知識を身に付けることではない。むしろ、大量の情報に接し、取捨選択し、自らの行動を決定していく能力である。異なる文化的バックグラウンドの人たちと行き交い、コミュニケーションしていく能力である。

 そのような時代に、日本の教育現場の実態は「偶有性」から逃げてばかりいる。初等教育から高等教育まで、「標準化」と「管理」が支配的なモチーフであり、子どもたちが偶有性に適応するための能力が磨かれていない。旧態依然の教育観、学力観によって、時代遅れの教育が行われているのである。それでは「挑戦する脳」は育たない。

『挑戦する脳』第11 より 


 私たちの命は、そして意識は、何という奇跡に満ちていることだろう。確かに、この世は時に凄まじい。何も保証されているわけではない。大切なものも、奪われいってしまうこともある。すべてはつながっている。自然法則は、生きているものと死んでいるものを区別しない。悪意や、邪念があるわけではない。いつかは衰える。破壊される。死ぬ。しかし、その凄まじい世界の中で、私たちは生きている。震える意識を持っている。美しい、夕日が沈むその光景を目にして、涙することもある。

 踊ろう、と思った。この世は、畢竟、無意味かもしれない。やがては、全ては熱的死に飲み込まれてしまうかもしれない。永遠などない。やがてはもろもろが失われる。しかし、だからこそ、私たちは、「今、ここ」にあることの軌跡を、打ち震える魂の中でつかむことができる。

 目の前のことをしっかりやろうと思った。いつか、また、「その時」が来るかもしれない。それまでの、つかの間の日だまりのような日常。たとえ、それが、神様から与えられた執行猶予に過ぎないとしても、私は、「今、ここ」があたかも宇宙の万有であるかのように、踊り続けたいと思う。

 意味を問うな。踊れ。人生のさまざまことに悩みを深化させていた高校生のときに、フリードリヒ・ニーチェに教えてもらったこと。踊ることが、生きることの偶有性に対する、最も「強靭な」答えであり得ること。

 意味は、重力の魔である。負けてはいけない。踊れ。目の前の人を救え。生活を、立て直せ。エネルギーの将来を、必死になって考えよ。恋せよ。酒を呑め。花を見よ。愛せ。走れ。微睡め。空を見上げろ。「今、ここ」に没入せよ。耳に聞こえない音楽に合わせて、内側に耳を傾けて、踊れ。

 日本は必ず立ち直る。いつかまた、日だまりの中で、花を眺めて、みんなで笑えるときが来る。そのときまで、みんなで踊れ。

『挑戦する脳』第18 より 


あとがき

「人はなぜ挑戦するのか?」それは「新しい風景」を見るためだ。新生児の話や盲目の方の話。決断に際して怖さや迷いを感じても、「新しい風景」を見るために、あえて困難な、新しいことに挑戦しよう。それが脳の本質だから。


『挑戦する脳』茂木健一郎(集英社新書)より


AEE121CB-1A6A-438D-9C37-1D25A1139FB8.jpeg

「人間の価値は、何よりもその人がどれくらい自分自身から解放されているかということで決まる。」アインシュタイン

posted by koinu at 10:25| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月19日

「茶屋の娘」洪邁『夷堅志』より

「茶屋の娘」

 都には石という姓の平民が茶屋を開き、幼い娘に客のお茶を注がせた。

ある時に乞食が来て、気がふれたように衣服は垢だらけのまま茶を飲もうする。石家の娘は礼儀正しく乞食をもてなし、御茶代を要求しなかった。

一カ月余りが過ぎると、石家の娘は毎日好いお茶を選んで、乞食をねんごろにもてなした。娘の父親はこれを見ると怒って、乞食を追い払い娘を叩いた。この娘は大して気にすることもなく、却って乞食に対して忠実に仕えた。数日後に乞食はまた来ると、娘に対していった。

「あなたは私が飲み残したお茶を飲む勇気がありますか?」

 娘はお茶が不潔なのを嫌がり、少しばかり地べたに零した。すると思いがけずとてもよい香りが漂った。それで娘はすぐに残りのお茶を飲むと、気分が爽やかになり、力が湧いた。

「私は呂翁と申します。あなたは私が差し上げたお茶を全部飲み干すことはできなかった。だがあなたの願いを満足させるでしょう。富貴或いは長寿はどちらか叶うでしょう」

貧しい家の娘であったので、富貴がどんな意味か分からなかったが、ただ長寿を願うだけで、財物は足りていた。乞食が去った後、娘は状況を彼女の父母に教えた。彼女の父母は驚き喜んで、再び乞食を探しに行ったが、乞食の行方はすでに見当たらなかった。

それから娘が大きくなって、ある管営指揮使の所へ嫁ぐと、呉国の燕王の孫娘の乳母になり、称号を授かった。彼女の母乳で育った燕王の孫娘は、高遵約に嫁いで康国サマルカンドの大奥様となった。石家の娘の寿命は百二十歳だった。

 (洪邁『夷堅志』第十四話より)

posted by koinu at 09:00| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月17日

阪田寛夫『土の器』より「伊藤君のマーマ」

詩人の阪田寛夫さんの芥川龍之介賞の授賞作品『土の器』という小説。


この犬はそばに来ただけで息が臭い。一寸様子が違うので名前を呼んだら、横向きに両脚を突き出した。目がすわって伸ばしたきりの脚が曲がらない。誰もかまう者がいないので、てんかんを起したらしかった。

私の「祈り」はそれで終ってしまったが、その日犬を見ながら短い童話を書いているうちに雨が降り出して気持が落ち着き、嬉しいことがあるから早く病院へ行きたいという気分になった。その時書いた童話のあらましを箇条書きにしておく。

題は「伊藤君のマーマ」である。


小学校のクラスで両親のことをパパ・ママと呼んでいたのは伊藤君と私だけだった。

伊藤君はマーマと呼ぶ。私はママ。伊藤君は素直だから誰の前でもマーマ! 私は友達の前ではママと呼べぬ。

そのくせ支那事変(一九三七)の始まる少し前、松田文部大臣から「日本の国柄にふさわしくないからパパ・ママという呼称をやめるよう」通達が出ると、私は大いに困る。「ママ」はただの呼びかけの言葉ではなく、そばかすのある、背の高くない、いつも着物の裾を蹴とばすように歩く、おそろしくて、時々やさしい、世界に一人しかいない「そのひと」だから。

伊藤君は、「うちはマーマだ。マーマはママとちがうから構わないんだ」と言う。そして死ぬまでマーマと呼び通した。中学一年の時腎臓病で危篤となり、「マーマ、僕を東の方に向けて」と頼んで、天皇陛下万歳を三唱して亡くなった。

私の方は相変らず家の中だけでこっそりママと呼んでいたが、そのうち何となく呼べなくなってしまった。その代わりに「お母さん」の呼称を使ったわけでもなく、母を呼ぶということを一切しなくなった。

文部大臣のせいにもできないし、それはいったい何故だろう? 「ママ」と呼ばれなくなったママは、どんな気持ちだったろう?

(阪田寛夫『土の器』より)


[肩の骨を折りながらも礼拝のオルガンを弾き通した八十歳の母を支えていたのは何か。その魂のありかをたどる芥川賞受賞作と、心温かに家族を描く四つの作品。](庄野潤三)

posted by koinu at 10:59| 東京 🌁| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月15日

「馬の耳に念仏」解説

馬を相手にありがたい念仏をいくら唱えてもむだである。いくらよいことを言い聞かせても、まるで理解できなかったり、まともに耳をかたむける気がなく、何の効果もないことのたとえ。

[使用例] 「これはみんな個人の蔵書なのかい?」〈略〉「個人ときたね」浦辺は鼻の先で笑った。「当館の特色は、個人と公の境界が無限にファジーなところにある。〈略〉要するに学長の私物を図書館の予算から購入するための隠れ蓑なんだよ。さすがに理事会から改善を勧告されているんだが、学長には馬の耳に念仏さ」
[紀田順一郎*第三閲覧室|2003]

[使用例] 約束を守らぬ国、条約を無視する国なのだ、その国に対して条約論をやっても、馬の耳に念仏じゃないか[吉田茂*大磯随想|1962]

[解説] 「馬」は、もちろん比喩で、批評の対象となるのは聞く耳をもたない人間です。ことわざは、本人に聞く気がなければ馬と同じことで、いくら道理を説いてもむだなことを強調しています。ほかにも、「牛に経文」や「犬に論語」、「猫に経」など、動物とありがたい教えを組み合わせた類例がありましたが、今日では、「馬の耳に念仏」が最もよく使われています。
 古くは「馬に念仏」といわれていたものが、江戸中期に、当時よく知られていた「馬の耳に風」(これは漢語の「馬耳東風」に由来します)と一体化して日本独自の印象的な表現となり、しだいに広まったものと推定されます。

〔英語〕There's none so deaf as those who will not hear.(聞こうとしない者ほど聞こえぬ者はない)

〔中国〕対牛弾琴(牛に向かって琴をひく)

〔朝鮮〕쇠귀에 경읽기(牛に読経)

225379FC-5B5A-49B1-8F6A-9E79FBEC0883.jpeg

『馬の耳に念仏』
作詞:ダイアモンド☆ユカイ
作曲:織田哲郎

馬鹿は死んでも治らない
お前を泣かせてばかり
どこまでも続くブルースカイ
果てなき夢 追いかける fool to cry
馬鹿は死んでも治らない
いい加減に学びなよ
夜の空照らすムーンライト
手を伸ばして掴もうとしても
隙間からこぼれてく 愛の破片飛び散って
シャンパンの泡のように
儚き夢 抱いて眠る
そんな男の song for you
馬鹿は死んでも治らない
お前を困らせてばかり
光と影 彷徨うスポットライト
刹那の旅 繰り返す fool to cry
愚かな世界だと お前はそう思うかい?
シャンパンの泡のように
儚き夢 抱いて眠る
そんな男の song for you
これが俺のすべて
そんな男の song for you
posted by koinu at 15:49| 東京 ☔| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

水木しげる戦記漫画

水木しげる先生本人が責任編集を務め、全身全霊を捧げて作り上げた貸本『少年戦記』がある。

「終戦記念日」には心して読みたいシリーズです。


太平洋戦争を舞台にリアルな人間像が描かれた戦記漫画に加えて、一度も復刻されていない、軍艦イラストや自ら取材に赴いたインタビュー記事、エッセイに至るまで、水木先生が手がけた全ページ収録。


『水木しげる漫画大全集』(1958-1961

貸本戦記漫画集

第一巻収録作品

「戦場の誓い」「暁の突入」「空中爆雷」「必勝雷撃隊」

解説「水木さんは現実の怖さと重さ、それに人間の可笑しさを知っている」かわぐちかいじ(漫画家)

付録「茂鐵新報」通巻1-24


第二巻収録作品

0号作戦」「壮絶! 特攻」「駆逐艦魂」「零戦総攻撃」

解説「全員が『犠牲者』、それが戦争です」ちばてつや(漫画家)

付録「茂鐵新報」2-16号(通巻49号)

posted by koinu at 11:00| 東京 ☔| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月08日

『失蝶記』山本周五郎



 紺野かず子さま。
 この手記はあなたに読んでもらうために書きます。こういう騒がしい時勢であり、私は追われる身の一所不住というありさまですから、あるいはお手に届かないかもしれません。また、終りまで書くことができるかどうかもわかりませんが、もしお手許てもとに届いたばあいには、どうか平静な気持で読んで下さるよう、はじめにお願いしておきます。
 いま私のいるところは、城下町から一里ほどはなれた山の中で、かなり近く宇多川の流れを見ることができます。西山での不幸な出来事、あの取返しようのない出来事があってから約十日、私はつぎつぎと隠れがを求めてさまよい歩き、三日まえからこの家の世話になっていますが、おそらく、またすぐに出てゆかなければならなくなるでしょう。いどころも、人の名もそのままは書きません。どういうことで迷惑をかけるかもしれないからです。しかしあなたにはおよそ推察ができるようにしるすつもりです。
 季候はすっかり夏めいてきました。今朝はやく歩きに出たら、山の林の中で石楠花しゃくなげつぼみが赤くふくらんでいるのをみつけ、胸の奥がせつなく、熱くなるように感じながら、暫く立停って眺めていました。聴力を失ってから、考えることが心の内部へ向くようになっていたためでしょうか、子供っぽい云いかたかもしれないが、赤くふくらんだ石楠花の蕾を見たとき、しんじつ胸の奥に火でも燃えだすような感じがしたのです。――ちょうど五年まえ、上町にあるあなたのお屋敷の裏を、私は杉永幹三郎と話しながら歩いていました。ご存じのように、私とは少年時代からの親友で、ものごころのつくじぶんから、片時もはなれたことがないといってもいいでしょう。年は同じで、生れ月は彼のほうが半年ほど早かったが、彼は私を兄のように扱ってくれました。二人だけのときはもちろん、他人のいるところでも。そして、それを言葉にも態度にもはっきりあらわすのです。思い返してみると、育英館の塾で三年いっしょでしたが、そのころから始まったようで、たぶん彼の人柄のためでしょう、いかにもしぜんなものですから、私のほうでも知らぬまにそれを受入れる習慣が付いてしまったようです。癸亥みずのといの年の密勅の件からはじまったこんどの事でも、杉永がつねに私の意見を支持したため、われわれ同志の者の行動はよく一致し、離反者などは一人も出さずに済みました。これは彼の人に愛される性格と、すぐれた統率力によるものと云うほかはありません。――上町のお屋敷の裏を歩いていたとき、私と彼は十九歳になっていました。私たちは法隆和尚おしょうのことを話しながら歩いていたのです。ご存じのように和尚は、井桁いげた西郡にしごりら重職の懇請によって招かれた藩の賓客であり、経典はもとより儒学、政治、経済にもくわしく、なかなか非凡な人物なのですが、時勢に対する見識には合点がてんのいかないところがあるのです。一例だけあげますと、そしてこの問題こそ重要なのですが、さきごろ一派の若侍たちが攘夷じょうい論を誤って解釈し、横浜港にある外人商館を襲撃しようとはかりました。幸い事前に発覚したので無事におさまったが、そのとき和尚はかれらを煽動せんどうし、「斬夷ざんい」の趣意を書いて与えたのです。この事情についてはあとで記すつもりですが、私は杉永に向って、法隆和尚を藩から遠ざけるがよい、ということを話していました。
 二人はどこを歩いているかも忘れていたのですが、紺野家の裏へ来たとき、杉永がふと立停ってあなたに呼びかけたのです。そこは朝顔の絡まった四つ目がきで、その垣の向うにあなたが立っていた。白地になにかの花を染めた単衣ひとえと、朱と青の縞のある帯をしめ、素足に草履をはいて、洗ったばかりの髪を背に垂れておられた。すぐ脇に石楠花の若木があり、ちょうど咲きはじめたところだったが、私はその花を見るようによそおいながら、杉永と話しているあなたの姿をぬすみ見て、云いようもなく深い心のときめきを感じました。――あなたは十四歳で、背丈こそ高いほうだが、まだほんの少女にすぎないということは、杉永と話している言葉つきにも、身振りや表情にもよくあらわれていました。色のくろい子だな、と私は思いました。あなたが笑うとき、鼻筋にしわをよせるのを認めて、ちんのような顔だなと思い、いまにのっぽな娘になるぞ、などとも思いました。もちろんこれは、生れて初めて感じた心のときめきに反抗するためだったでしょう。そんなふうにあなたの欠点を拾いながら、一方ではまた、この人のことは一生忘れられなくなるぞ、とも思っていたものです。
 あなたに別れて歩きだすと、私が黙っていたことを不審そうに、どうして知らぬ顔をしていたのか、ときました。
「知らないからさ」と私は答えました。
「紺野のかず子だよ」と彼が云いました、「おれの家で二度か三度会っているだろう」
「覚えがないな」と私は首を振りました。
 本当に記憶がなかったのです。
 それから五年めの秋、明神の滝でおめにかかるまで、私はいつかあなたのことを忘れていました。変動の激しい、緊迫した時勢の中で、心のゆとりを失っていたためもあるが、うちあけて云えば、杉永とあなたのあいだに婚約がある、と聞いたからでしょう。明神の滝でおめにかかったときも、私の心は少しも騒がず、自分の耳がだめになったことなど、おちついて話すことができました。
 それがいまはこんなに変ってしまった。私は今朝、歩きに出た山の林の中で、咲きかかっている石楠花の蕾を眺めながら、六年まえのあなたの姿をまざまざと思いだしたのです。滝で会ったあなたではなく、六年まえの、まだほんの少女だったあなたの姿をです。そうして、心の奥にひそんでいた胸のときめきが、燃える痛みのようによみがえるのを感じ、しかしなにもかも取返しがたく失われた、ということを改めて思い知ったのです。
 私は杉永幹三郎を斬りました。たった一人の友、少年時代から誰よりも親しく、血のかよった兄弟よりも深く信じあっていた友を、この手にかけて斬ったのです。私がこの手記を書くのは、どうしてそんなことになったか、という理由を知ってもらいたいためです。ここにはいささかの弁解も歪曲わいきょくもありません、現実にあったことをあったままに書きますから、どうかそのおつもりで読んで下さい。


「おすえ」と治兵衛がささやいた、「ちょっと起きろ、おすえ
 揺り起こされておすえは眼をさました。いつもついている行燈が消えて、家の中はまっ暗であり、枕許にいるらしい父の姿も見えなかった。
「声を立てるな」と治兵衛が云った。
「どうしたの」おすえは囁き返した、「どうかしたの、おっさま」
「外に人がいるようだ」
 おすえは急に眼がさめ、寝衣ねまきの帯をしめ直そうとしたが、手がふるえて思うようにゆかなかった。
「本当に誰か来たの」おすえが訊いた、「谷川さまを捜しに来たのかしら」
「わからない」と治兵衛が答えた、「だがこんなよるの夜中に来るとすれば、ほかに考えようはないだろう」
「どうしたらいいの」
「おちつけ」と治兵衛が云った、「着替える暇はないかもしれない、そのままで釜戸かまどの蔭に隠れていろ、もし人が来たらおれが応対をするから、隙をみて隠居所へ知らせにゆくんだ、わかったか」
「それからどうするの」
「こっちを押えているあいだに、谷川さまを案内して逃げるんだ、忘れたのか」
 おすえが答えようとすると、治兵衛の手がさぐるように肩を押えた。おすえは黙り、戸の外で人の声がするのを聞いた。
「おちつけよ」と治兵衛が囁いた、「釜戸の蔭で待つんだぞ、慌てるな」
 おすえは息が詰りそうになった。
「ちょっと起きてくれ」と、表の戸の外で男が云った、「坂下の茂七だ、人しらべに城下からお役人がみえている、ここをあけてくれ」
 おすえは釜戸の蔭へ身をひそめてから、父がなぜそこに隠れろと云ったか、という理由に気がついた。戸外の人は表だけでなく、裏のほうにもいるらしい。裏の洗い場のところで物の倒れる音がし、「しっ」と制止する声が聞えたのである。――治兵衛は行燈に火を入れてから、土間へおりてくぐり戸をあけた。すると提灯ちょうちんを持った茂七を先に、侍が一人はいって来た。茂七は、この村の名代名主であるが、家の中をひとわたり見まわしてから、土間をぬけて裏戸をあけ、提灯を振ってなにか云ったが、おすえにはよく聞きとれなかった。
「変った事はない」と外で答える声がした、「出て来た者もない」
 そしてすぐに、茂七のあとから若い娘と、下僕とみえる男がはいって来た。裏戸はあけたままであった。
「どうしたことです名主さん」と治兵衛が云った、「なんのおしらべです、盗賊でも逃げこんだのですか」
「かみさんや娘がいないようだな」と茂七が訊いた、「二人はどこにいるのかい」
「女房はさとへゆきました、おすえもいっしょですが、あいつらを御詮議ごせんぎですか」
「捜しているのは侍だ」と茂七のうしろにいた若侍が初めて云った、「谷川主計かずえという者だが、知っているだろうな」
「大手先の谷川さまなら知っております」治兵衛はおちついて答えた、「私が若いじぶん下男奉公にあがっていましたから」
「その谷川がいる筈だ」と若侍が云った、「訴人する者があったし証拠もたしかめて来た、隠さずに云え、谷川はどこにいる」
「治兵衛さん」と茂七が云った、「へたに隠しだてをしないほうがいいよ、おまえの家の裏に北寄貝の殻がたくさん捨ててあるし、毎日米のめしを炊くこともわかっている、そんな贅沢ぜいたくをするおまえさんじゃあない、誰かよっぽどの人が来ているに相違ないんだ」
「ええ客はありました」と治兵衛が答えた、「女房のおふくろさんが十日ばかりまえに来て、今日帰ってゆきました、女房とおすえはそれを送って姥沢うばざわまでいったのです」
 おすえはそこまで聞いて、裏の戸口からぬけ出した。
 かれらは治兵衛の前に集まり、提灯をつきつけて、問答が激しく、互いに声も高くなっていた。おすえは釜戸の蔭から、土間をって戸口までゆき、外へ出てから立ちあがった。家の中で父が「家捜しをして下さい」と云うのが聞え、おすえは闇の中を走りだした。洗い場の池をまわって、柿畑の脇から、いまは使っていないうまやのうしろへ出、一段ほど高い台地を登って、かこい小屋の戸口へ近よった。春から秋までは蚕をい、そのあとは甘露柿をかこうのに使うのだが、今年は蚕をやらないのでいていた。おすえは潜り戸をあけてはいると、泥足のまま階段を登った。
 谷川主計は眠っていた。暗くしてある行燈の光りが、蚊屋の中にある小机と、薄い夜具を掛けて仰臥ぎょうがしている彼の寝姿を、ぼんやりとうつし出していた。おすえは蚊屋をくぐり、ひざですり寄って彼を揺り起こした。主計はすぐに眼をさまし、おすえを見て起きあがった。
「お侍が来ました、逃げて下さい」
 そう云ってから、おすえは急に口を手でふさぎ、ゆっくりした身振りで、その意味を伝えた。その動作を二度やってみせると、「わかった」と云いながら立ちあがった。
「来たのは大勢か」
「いいえ」とおすえは首を振り、二本指を出してから、ちょっと考えて自分を指さした。娘が一人と云うつもりだったが、主計にはわからない。彼は手早く着替えながら、不審そうな眼をした、「おまえがどうした」
「いいえ」とおすえは手を振り、こんどは指を三本立ててみせた。
「三人か」と主計が訊いた。
 おすえうなずいた。主計ははかまをはきながら、机の上の物をまとめてくれと云った。おすえは云われたとおりにし、書き物や、筆などを片づけて包み、脇にあった旅嚢りょのうへ入れた。そして、主計が刀を取るのを見て蚊屋を出、階段をおりて、そっと戸外のようすをうかがった。虫の音が聞えるだけで、風のない夏の夜気は、露を含んでひっそりと重たげに眠っていた。
 ――はだしでは山道は歩けない。
 おすえはそう気がつき、暗い土間をさぐって草履をみつけた。主計の草鞋わらじは板壁のくぎに掛けてある。二階で行燈が消え、主計がおりて来た。おすえが草鞋をはかせようとしたが、彼は自分で取ってすばやく結いつけた。
「外は大丈夫か」
「大丈夫です」おすえは主計の手を取り、自分の顔へ当てて頷くのを触らせた、「いそぎましょう、あたしがご案内します」
 おすえは手を引くことでその意味を知らせた。主計は旅嚢を背に結びつけて立ち、戸口から外へ出た。すると急に左と右に提灯があらわれた。かれらはうまくやったのだ、かこい小屋のことは茂七が知っていたであろう、しかしそこへ踏み込むより、外へおびきだすほうが安全だ。かれらは治兵衛が知らせに来るのを待っていたのだろうか、それともおすえがぬけ出したのを知っていたのかもしれない。
 ――突然くら闇の中からあらわれた提灯を見て、おすえは悲鳴をあげ、主計は一歩うしろへさがった。左には茂七と若侍、右にはあの娘と下僕らしい男がいた。提灯は茂七と下僕が持っていた。
吉川きっかわだな」主計は若侍を見て云い、娘を見て吃驚びっくりしたように云った、――「紺野、かず子さん」
 吉川と呼ばれた侍は、ふところから折りたたんだ紙を出し、それをひろげて、提灯の光りにかざしてみせた。美濃みの紙を二枚り合せたものに、大きな字でなにか書いてあり、吉川はそこからこれを読め、という手まねをした。主計は娘のほうを見、それから二歩ばかり進んで、紙に書いてある文字を読んだ。
 ――そのもとは杉永幹三郎を闇討ちにした。紺野かず子どのは祝言こそあげていないが、杉永とかねてから婚約の仲であり、そのもとを良人おっとかたきとして討つ覚悟でおられる。自分は紺野どのの介添かいぞえとして来たが、ばあいによっては助太刀すけだちをすると思ってもらいたい、吉川十兵衛。
 およそこういう意味の文言であった。読み終った主計は振返って紺野かず子を見た。かず子は塵除ちりよけの被布をぬいで下僕に渡した。下は白装束しろしょうぞくで、手甲てっこう脚絆きゃはん、草鞋をはき、たすきを掛けていた。
「待って下さい、紺野さん」と主計は呼びかけた、「これは間違いだ、杉永を斬ったのは事実だがそれには仔細しさいがある、私はいま」
 かず子はさやごとかいこんでいた脇差を、ゆっくりと抜いた。提灯の火をうけてその刀身が冷たい光りを放ち、かず子は鞘を下僕に渡した。
「私はいまその仔細を書いている」と主計は続けていた、「書きあげたらあなたに読んでもらいましょう、そのうえでなお私をかたきと思うならいさぎよく討たれます」
「吉川」と主計はこちらへ振向いた、「杉永とおれのことはおまえもよく知っている筈だ、なにか事情があるくらいのことは想像がつくだろう」
「谷川さんは耳が聞えないから、なにを云ってもむだだろうが」と吉川が云った、「家中かちゅうの情勢がこう混沌こんとんとしていては、釈明も弁解も役には立ちません、事実あったことで是非の判断をするほかはないでしょう、残念だが死んだ杉永さんのためにも、私は紺野さんに助勢をする、さあ、抜いて下さい」
 そう云って吉川も刀を抜いた。
「だめか、私の云うことは、聞けないのか」主計は吉川を見、かず子を見た、「どうしてもだめなのか、どうしても」
 紺野かず子が前へ出た。
「お父っさん」とおすえが絶叫した。
「動くな」と吉川がおすえに刀を向けた。
 そのとき主計が吉川へ抜き打ちをかけた。かず子が踏みこんで来、吉川は大きくうしろへとびしさった。主計はかこい小屋の戸口へ引くとみえたが、そのまま板壁を背中でこするようにして、小屋のうしろへ廻りこんだ。
「こっちは引受けた」と吉川が喚いた、「そっちを塞げ、紺野さん」
 喚きながら、吉川は小屋の反対側へまわり、かず子は主計のあとを追った。茂七と下僕も、提灯をかざして走ってゆき、おすえは家のほうへではなく、小屋の背後にある丘の松林の中へ駆け登っていった。


 紺野かず子さま。
 あの夜からちょうど十二日経ち、どうやら気持もしずまってきました。あの夜のことはまったく思いがけなかったし、心外で、くちおしくてならなかった。吉川十兵衛は杉永や私たちの同志です、あなたが誤解されるのはやむを得ないとしても、彼が事情を察しようとしないのはなさけなかった。あのとき私は、いっそ十兵衛も、斬ってくれようか、とさえ思ったくらいです。しかしいまはそうは思いません、私はここへおちつくまでに、いろいろな世評を聞きました。私があなたにおもいをかけていて、恋の恨みで杉永を闇討ちにした、というのです。ばかげたうわさだが、情痴の話となると人は信じやすい。おそらく、あなたも十兵衛もその噂を信じ、そのため私を杉永の仇と思いこんだのであろう、だとすれば、あなたや十兵衛を責めるわけにはいかない。そう考えてから、ようやく私は気持がおちつきました。
 私はいま山の中にいます。治兵衛の娘のおすえが付いていて、身のまわりの世話をしてくれますから、べつに不自由なことはありません。おすえには家へ帰れと云うのですが、どうしてもはなれようとはしません。うちへ帰ってもお父っさんが、どうなっているかわからない、と云うのです。私にもそれがなにより気懸りです、治兵衛は昔の恩義のために私をかくまってくれただけで、彼には些かもとがめられる筋はない。もしも治兵衛や妻子が罰せられたりするようなら、あなたからとりなしていただきたい、あなたならそうして下さると思うので、折入って私からお願いしておきます。
 手記を続けるに当って、密勅をめぐる家中の論争は省略します。そこにこんどの出来事の原因があるのですが、要約すれば勤王か佐幕かということで、あらましのことはあなたにもわかっていると思うからです。
 私と杉永とは初めから王政復古、開国の方向に動いていました。そうして吉川十兵衛、あずさ久也、田上安之助らのほか、二十余人の同志を集め、上方かみがたと連絡をとって、全藩の意見をまとめるために、手分けをして裏面工作をやっていたのです。――なぜ裏面工作をしなければならなかったかというと、仙台藩がつねに警戒の眼をそらさず、重職がたに絶えず圧力をかけていましたし、同時にまた、法隆和尚に煽動された佐幕派の者たちにも、よほど用心しなければならなかったからです。――こういう大事なときに、私は奇禍のため聴力を失い、同志の人たちから脱落してしまいました。たぶんご存じでしょう、一昨年の二月、磯部いそべの砂浜で大砲の試射をしました。それまで藩には張抜きの砲しかなかったのだが、常陸ひたちの某公から初めて鋳鉄の大砲を譲り受けた。これはわれわれ同志の奔走によるもので、譲り受けたことは極秘であり、試射もまた極秘に行われました。重職がたの一部は、もちろん承知だったが、これも直接にはかかわりを持たず、見て見ぬふりをしていたのですが、これも仙台藩の耳目をおそれたからで、わが藩がいかに左右の勢力の中でもがいていたかという、例証の一つだと思うのです。
 その日、磯部へゆくまえに、私は杉永とこんな話をしました。
「どうしてあの人と祝言をしないんだ」と私が訊きました、「婚約してからもうあしかけ三年くらいになるじゃないか」
 彼は口笛でも吹くように唇をまるくしました。なにか云いよどむときの、少年時代からの癖で、そうするとひどく子供っぽい顔になるのです。
「親たちにもそれを云われるんだが」と彼は答えました、「いまはそういう気持になれないんだ」
「なにか故障でもあるのか」
「故障というわけじゃない」こう云って暫く口をつぐみ、それから私の眼を避けるようにしながら続けました、「――こんな時代だし、結婚をいそいで、かず子に不幸なをみせたくないんだ」
 私は黙って杉永を見返しました。
「このあいだから考えていたことなんだが」と彼はゆっくり云いました、「おれはいっそ京へのぼろうかと思う」
「京へいってなにをする」
「王政復古は開国を伴わなければならない、これはかねてから谷川が主張していたし、おれもそのとおりだと思う、だが現に尊王をとなえている者の大部分は、攘夷問題を親柱のように信じこんでいる」
 下田条約がむすばれて以来、すでに欧米諸国の多くと通商関係をもつようになった。現実にはもう開国しているのだし、これは国家と国家との公約である。にもかかわらず、王政復古の中に攘夷論が強い軸となっていることは危険だ。井伊大老を斬り、安藤閣老を斬ったような暴力が、王政復古の勢いに乗って攘夷を実行するとすれば、国家の信義を失うばかりでなく、欧米諸国の同盟によって、日本ぜんたいの存亡にかかわるような、非常な事態を招くかもしれない。
 もっとも重大なことは、朝廷において攘夷親征が議せられたという点で、それがもし事実だとすると容易ならぬことになる。
「おれは自分でその実否が慥かめたい」と杉永は云いました、「はいって来る情報はそのたびに変転し、どれが真実かどれが虚妄きょもうか、だんだん区別がつかなくなるばかりだ、そうは思わないか」
「話をはじめに戻すが」と私は云いました、「杉永はひとり息子だ、もし上方へゆくとしたらなおさら、祝言を早くするほうがいいじゃないか、杉永にもしものことがあれば家名が絶えてしまうぞ」
「万一のことを思うから祝言をする気になれないんだ、おれは家名のためにかず子の一生を奪おうとは思わない」
「祝言をしろよ」と私は云いました、「上方へゆくことは賛成できない」
「どうしてだ」杉永は眼を細めました。
「攘夷論は民心を統一する手段の一つだ、これはまえにも繰り返し云ってある、攘夷という名目は、それに対立するこの国、日本と日本人ぜんたいの存在をはっきりさせる、これまでかつて持ったことのない、共通の国民意識というものがそこから初めて生れるだろうし、すでに生れていると云ってもいいだろう、したがって王政復古が実現すれば攘夷論は撤回されなければ、杉永の云うとおりこの国は亡びるかもしれない、そのくらいの見識を持たない人間はないと思う」
 われわれにとって当面の問題は、藩論を王政復古へ纒めることだ。というようなことを話しあいました。話の内容はともかく、こんなにくどく記したのは、それが杉永と話しあい、彼の声を聞いた最後だったからです。私たちはそれから磯部へでかけました。


 その場所は磯部から北へ、十町ばかりいった砂丘の下で、集まった者は十一人。私と杉永、吉川、梓、田上らはご存じでしょう。他の六人の名はその必要もなし、まえに述べた理由から、ここでもやはり省略します。大砲は一貫目玉のモルチールというもので、急造の砲架の上に据えてありました。砲手は二人。一人が火薬をめ、砲玉を入れ、他の一人が射手の位置につきました。
 私たちは五間ばかりはなれたところに立ち、仕様書に注意してあるとおり、両手で耳を押える用意をして見ていました。私の右に梓久也、左に杉永、次に吉川がいたようです。少し風のある日で、長いなぎさには寄せ返す波が白く泡立あわだち、はるかな沖に漁をする舟が幾つか見えていました。
「大丈夫かな」とうしろで誰かが云いました、「あの舟に当りゃあしないかな」
 すると二人ばかり笑うのが聞えました。それはその冗談が可笑おかしかったからではなく、あまりに緊張していたための反作用だということが、あからさまにわかる笑いかたでした。
 射手は火繩を火口に移し、撃鉄うちがねをおとしました。詳しい説明は書きません、モルチール砲はその二つの操作で発射するのです。私たちは両手で耳を押えました。――だが砲は発射しません、二人の砲手は狼狽ろうばいしたようすで、火口や撃鉄をしらべていましたが、突然、なにか云いあったとみると、耳を塞ぎながらこちらへ逃げて来ました。
 私は大砲の火口から煙が立っているのを見、こちらへ走って来る二人の、灰色にひきつった顔を見ました。失敗したのだ、このままでは砲身が破裂してしまう、と思いました。
 ――あの砲を失うことはできない。
 そう思いながら、私はもう走りだしていたのです。それを手に入れるまでの苦心と、再び手に入れることの困難さとが私をそうさせたのでしょう。
「よせ、谷川」と杉永の叫ぶのが聞えました、「危ない、戻れ、戻れ」
 私は火口の火を消すつもりだったのでしょう。はっきりそう思ったわけではない、ただもうその砲を失ってはならないという気持で、火口から立ちのぼる薄い煙をみつめながら、けんめいに走り、もう一と足というところで、砂に足を取られて倒れました。
 そのとき砲身が破裂したのです。どこに手違いがあったか、大砲そのものが粉砕してしまったので、原因はわかりません。私は倒れると同時に、からだぜんたいを大きな板で殴られたように感じ、殆んど失神してしまいました。倒れなければ破片にやられて即死したことでしょう、幸い躯にけがはなかったが、両耳の聴力を失ってしまいました。
 自分のことを語るのはいやなものです。けれども、杉永を斬るというあやまちをおかした理由は、この二年余日にわたる私の心の状態にあったので、どうしても知っておいてもらわなければならないのです。――夏の終りになって、耳がまったくだめだということがわかりました。それまでは一時的なものだと思い、医者にかかりながら、久しぶりに静養だ、などと暢気のんきなことを云っていました。そのあいだにも、同志の会合があれば必ず出ていたのですが、話すことはできても耳がだめですから、議題はいちいち字に書いてもらわなければならない。それを読んでから自分の意見を述べるわけで、面倒でもあり時間もむだにするため、やがては、そのとき出た結論だけ読む、ということになったのです。
「そう長いことではないだろう」と私は云ったものです。「おれは暫くつんぼ桟敷にいるよ」
 もちろん、そんな暢気なことを云っているばあいではなかった。密勅があって以来、禁裡きんり付きの下房どのと、国許にあるわれら同志とのあいだで、絶えず情報の交換があり、それについての急を要する合議が繰り返されていたのです。奥羽連合の監視はますますきびしくなり、同志が集まるのにも、そのたびに場所や時刻を変えたり、三組に分れて集まり、あとで代表だけが結果を討議する、などということもありました。こういう大事なとき「つんぼ桟敷」にいなければならなかったのです。どんなにいらだたしくやりきれない気持だったか、おそらく他人には推察もつかないでしょう。それでもまだ恢復かいふくする望みのあるうちはよかった。もう暫くの辛抱だと、自分をなだめすかしていたのですが、六月下旬になって、医者から不治だと宣告されたとき、私は気が狂うかと思うほどの絶望におそわれました。
 七月いっぱい、私は家にこもったきりで、杉永が訪ねて来ても会わず、家族とも没交渉にすごしました。みれんがましいはなしですが、気持がややおちつくまでに、三十余日もかかったわけです。
「これで同志から脱落だ」と私は自分に云いました、「こうなってはなにもできない、いさぎよく脱退しよう」
 私は杉永を訪ねて、同志から脱退すると告げました。みんなの足手まといになるばかりではなく、進退緩急の機をあやまって事のやぶれを招くおそれもある。残念だがこれで身をひくと云いました。杉永もがっかりしたようすで、暫くは俯向うつむいたままでしたが、私の耳が不治だということはもう知っていたのでしょう、ひきとめるようなことは云わず、――今後も思案に窮したときはゆくから相談にのってもらいたい、と書いて示しました。
 私は父を説きふせて、家督も弟の格二郎に譲り、長く空いていた隠居所へ移りました。父母にも、弟や妹にも顔を見られたくない。食事も召使にはこんでもらって、一人きりの生活を始めたのです。躯に故障はないのですから、早朝の沐浴もくよくも欠かさず、朝と夕方の二回、くたくたになるまで組み太刀たちの稽古もしました。あとは読書と習字で、よけいなことを考える暇のないよう、晴雨にかかわらずきちんと日課を守っていたのです。――冬になってからですが、私はうしろの物音を感じとることができるのに気がつきました。物音でなくとも、人の近よるけはいでも、ふしぎなほど敏感にわかるのです。人間が生れつき備えている自己保護の本能とでもいうのでしょうか、誇張して云うと、蝶が舞いよって来るのも感じとれるくらいでした。
「うしろに勘がはたらくというのはふしぎだ」と私は自分で苦笑しました、「どこかが不具になると、それを補うように、躯の機能が変るんだな」
 躯そのものが不具者になる用意を始めた。苦笑するどころですか、私はそのときもいちど、医者から不治を宣告されたときよりも深く、激しい絶望に押しひしがれました。
 杉永は十日に一度ぐらいのわりで訪ねて来、たいてい半ときか一刻、まどろっこしい筆談をいとわず話してゆきました。われわれ同志のあいだでは、ともかく私と杉永とが中心になっていたため、彼の責任はひじょうに重くなり、同志のあいだに起こる異論を纒めるだけでも、かなり苦心しているようにみえました。こうして年があけ、去年の秋になって、私は思いがけなくあなたに会ったのです。


 紺野かず子さま。
 私はいま山を歩いて来ました。ここへ移ってから初めての外出で、おすえが心配し、ずっといっしょに付いていました。初めてこの手記を書きだしてから、かれこれもう三十日になるでしょうか、和田村にいたとき蕾のふくらみはじめた石楠花が、ここではもう咲きさかっていますし、林の中では早朝からせみがやかましく鳴き交しています。むろん耳に聞えるのではありません、林に反響するのが後頭部に感じられるのです。
「おすえ」と私は振返って訊きました、「いま蝉が鳴いているだろう」
 おすえは微笑しながら頷き、手をあげてまわりの樹立こだちをぐるっと指さしましたが、それからふと驚いたように、自分の耳を摘んで、聞えるのか、というしぐさをしました。
「いや」と私は首を振りました、「聞えるんじゃない、感じるだけだよ」
 ここでね、と云って頭のうしろを叩いたのです。おすえはいそいで顔をそむけ、前掛で眼を押えるのが見えました。
 いまこの手記を書き続けながら、いつも石楠花が付いてまわることに気づいて、かなしいほどむなしい思いにとらわれました。年々咲く花は変らないが、――という古い詩の句などが頭にうかび、上町の屋敷の裏庭で、石楠花の下に立っておられたあなたの姿と、それから六年経ったいまの状態とを比べて、人のめぐりあわせの頼みがたさ、というおもいで、ただ溜息ためいきをつくばかりです。
 私が明神の滝へかよいだしたのは、去年の夏のはじめからのことでした。母がどこかで聞いて来て、霊験があるそうだからとすすめたのです。滝に打たれるなどということは、信仰心があってこそ効果も望めるでしょうが、私にはそんな気持もないし、むしろ神仏を憎んでさえいたときですから、母の言葉もそのままききながしていました。けれども心のどこかには、やはり治りたい、という思いがひそんでいたのでしょう。四月下旬になり、青葉が強い日光にきらめくさまや、夏草が風にそよぐけしきなどを見ると、気ばらしになるだけでもいいと思い、初めて明神の滝へでかけていったのです。
 そこへは少年のころ、二度か三度いったことがあります。粟津あわづ明神の裏に立つと、谷間にかかる滝が眼の下に見え、秋になると紅葉が美しいので、城下から見物に来る者も少なくなかった。いまではそんな人もまれなようで、滝も昔よりずっと水量が減っていました。
 滝に打たれるといっても、ご存じのとおり細いものですから、釣瓶つるべの水を浴びるくらいにしか感じません。けれども、人影もないあの狭い谷間で、ひとりきままにすごす時間はたのしく、心ものびやかになるように思われるため、雨さえ降らなければ欠かさず打たれにいったものです。――このあいだにも、藩の情勢は複雑な変化を続けながら、尊王か佐幕か、いずれかに決定すべき時期が迫って来つつあり、杉永ははやり立つ同志をしずめるのに困っているようすでした。
 あなたに会ったあの日、――まえの晩に杉永が来て、藩論を纒めるには、どうしても除かなければならぬ者がいると云って、真壁綱の名をあげました。真壁は故君の側用人で、仙台の強いうしろ盾があり、老臣の中でもっとも頑固に佐幕を主張している人間です。杉永がそう決心した気持はよくわかりますが、私は反対しました。水戸藩における天狗てんぐ党の騒動のように、一人の暗殺から、家中が血で血を洗うようなことになりかねない。どうしても他に手段がないとしても、いまはまだそのときではない、と私はきびしく云いなだめました。――そんなことのあったあとで、あの日は滝に打たれながら、いつものように気分がおちつかず、杉永が思い止ってくれたかどうか、杉永が思い止っても同志の者たちはどうか、承服しない者があって無謀なまねをやりはしないか、などと繰り返し考えていました。
 滝をあがったのはいつもより早かったでしょう、着物を着、袴をはき、両刀を差すと、急に胸騒ぎがするように感じました。たぶん同じ問題を考え続けていたため、気持が不吉なことのほうへ傾いたのでしょう。自分では否定しながら、なにか事が起こったような、不安な思いにかられて、ついいそぎ足になっていました。すると、ちょうど明神の下あたりへ来たとき、うしろへなにかが襲いかかるのを感じました。人の出て来る筈はないので、それはわかっていながら、そんな気分でいたからでしょう、われ知らず刀を抜いて、抜き打ちにうしろをひっ払い、大きく三歩とんで振返りました。
 刀に軽い手ごたえがあったので、刀を構えながら振返ると、女持ちの扇が二つに切られて、ひらっと地面に落ちるところでした。人の姿はどこにもありません、気がついてがけの上を見あげると、あなたがこちらをのぞいておられたのです。
「失礼しました」と私は云いました、「いまそちらへまいります」
 刀を鞘におさめて私は扇を拾いました。それは薄く墨でぼかした地に夕顔の花が描いてあり、三分の一のところで二つに切れ、かなめでつながっているだけでした。自慢の腕が臆病のあかしをしたか、私はそう思って苦笑しました。――それからあなたのところへいって、耳が聞えないために、狼藉ろうぜきをしたことをび、自分の名を名のって切れた扇を差出したのです。あなたは笑ってかぶりを振り、扇を受取ってからなにか云いたそうに、侍女の顔をごらんになった。それで私は矢立と手帳をあなたに渡したのです。
「耳がだめになってから、いつも持って歩いているのです」と私は云いました、「よろしかったらどうぞそれへお書き下さい」
 あなたは会釈をして、扇は落した自分が悪いこと、詫びは自分のほうで云うべきであると書いて、手帳を戻されました。私はそれを読み、紺野かず子という署名を見て、初めてあなただということに気づき、思わず声をあげてしまいました。
「これはこれは、ふしぎなところでおめにかかりますね」私はうきうきするような気分になって云いました、「あなたはご存じないだろうが、私はあなたを知っているんですよ」
 するとあなたはまた手帳を取って、杉永から聞いて自分もよく知っていると書かれ、また、耳のぐあいはどうかと書かれた。私はどうして失聴したかを話し、耳は一生治らないだろうこと、家督も弟に譲ったし、これからは耳なしでも生活できるような仕事を考えている、などということを話したと覚えています。――あなたは面変おもがわりをして、たいそう美しくなっておられた。色も白く、のっぽでもなく、どちらかというとむしろ小柄なほうで、鼻筋へしわをよせる癖もなくなったようでした。
「杉永はなにを考えているんですか」と別れるまえに私は云いました、「あなたからもそうおっしゃって、早く式をあげるほうがいいですよ」
 あなたは唇に微笑をうかべたが、なにもお書きにはならず、矢立と手帳を返されたので、私は別れを告げて帰ったのです。


 滝でおめにかかったのが八月。十二月には孝明天皇が崩御され、年があけると今上きんじょう践祚せんそされた知らせがあり、二月には征長軍が解かれるなど、幕府の勢力の衰退と、王政復古の気運の増大とが、もはや避けがたい時の来たことを示すように、はっきりとかたちをあらわし始めました。
 杉永からこれらの事情を聞くたびに、私はまた自分の耳をのろいました。事を起こす時が迫っているのに、自分は脱落者として、ただ傍観していなければならない。前生にどんな罪があったのだろうか、などと思い、磯部の浜のときの、とびだしていった無分別さ、しかもそれが徒労だったことに、改めて自分をののしり、救いようのない後悔に身をさいなまれる思いをしました。
 三月下旬だったでしょうか、杉永が訪ねて来て、同志の者が七人、藩吏にとらわれた、ということを告げました。田上安之助の組で、会合はいつもどおり極秘におこなわれた。その場所がどうして探知されたかわからない、七人は城中に監禁されているらしい、ということでした。
「明らかに真壁のしごとだ」と杉永は云いました、「形勢が悪転で真壁が動きだしたに相違ない、領境には仙台の兵が詰めかけて来たし、このままではわれわれはつぶされてしまうぞ」
 こう書いて示す文字も、いつになく筆が走っていて、ことの重大さをよくあらわしているようにみえました。
「やはり真壁は除かなければならない」と彼は続けました、「あのときやっておくべきだった、こんどこそやらなければならないと思う」
 私は暫く考えていました。
「真壁のうしろには仙台の力がある」と私は念を押しました、「ほかに手段がないとしても、真壁をやったばあい仙台がどう出るか、奥羽連合が黙っているかどうか、その点のみとおしはどうなんだ」
「わからない」杉永は答えました、「しかし近いうちに討幕の勅命が出るという噂もあり、奥羽連合の結束もぐらつきだしたようだ、真壁を失ったぐらいで、仙台が直接行動に出るとは思えない」
「それは確実なことか」
「こういう情勢の中では、確実だと云えることなどは一つもないだろう、いずれにせよ、ここはまず断行することが先だと思う」
 私は立ちあがって縁側へ出ました。
 ――どうする。
 心の中で私は自分に問いかけました。母屋おもやとその隠居所のあいだにまきの生垣があり、槇の枝には白っぽい黄色な若葉が、そろって活々と伸びている。また夏が来るな、ぼんやりそう思いながら、私は心をきめ、元の席へ戻って坐りました。
「それはおれがやろう」と私は云いました、「真壁を斬るのはおれの役だ」
「いや」と私は手をあげ、なにか書こうとする杉永を制しました、「真壁をやったら名のって出なければならない、私怨しえんだと云って自首して出れば、罪はその一人に限られるし、仙台も干渉することはできないだろう、おれはこんな不具になってほかの役には立たないが、この役なら間違いなくやってみせる、これはおれの役だ」
 杉永は口笛でも吹くように、唇をまるくつぼめ、庭のほうを見たまま考えていました。癖というものは直らないものだな、私はそう思うと、緊張した気分のほぐれるのを感じました。
「考えることはない、もうきまったことだ」と私は云いました、「帰ったらみんなにそう伝えてくれ、但し真壁の動静はおれだけではつかめない、みんなで手分けをして、いい機会があったら知らせてもらおう」
「みんなにも意見はあるだろう」と杉永がいいました、「相談したうえでもういちど来る」
 杉永を送って出ながら、私は明神の滝であなたに会ったことを話しました。そのときまで、ふしぎに話す機会がなかったのです。彼はあなたから聞いて知っていたとみえ、頷きながら陰気に微笑しました。それとわかるほど、陰気な微笑だったのです。
「早く祝言をするほうがいいよ」と私は云いました、「もうあの人も二十になるんだろう、なにをぐずぐずしているんだ」
 杉永は私の顔を見て、なにか云いたそうにしましたが、思い返したようすで、そのまま帰ってゆきました。
 それから三日めの夕方です。母屋のほうの風呂へはいって戻ると、梓久也が訪ねて来ました。ちょうど妹が食事の膳立ぜんだてをしているところでしたが、私は妹を去らせ、食膳を押しやって筆談の用意をすると、梓は「まず食事を済ませて下さい」と書いてみせました。それで私は膳に向ったのですが、梓の顔色で、これは真壁の件だな、と直感しました。食事をしているあいだ、梓はしきりになにか書いてい、私が膳を片づけてから、梓と自分に茶をれて坐ると、書いたものを私に渡しました。思ったとおり真壁綱のことです。
「真壁はあなたに任せると、一同の意見がきまりました」とそれには書いてあった、「――彼は今夕六時から、西山の隈川別墅くまがわべっしょで仙台藩の者と密会します、あまりに早急であなたには不都合かもしれません、しかし密会には供をれず、一人でゆくということですから、やるとすれば絶好の機会ですが、やるやらぬはもちろんあなたしだいです」
 私は読み終ってから梓を見ました、「隈川さんは変節したのか」
 隈川兵庫ひょうごは老臣の中でも、われわれが頼みにしていいと信じていた一人なので、私にはちょっと不審に思えたのです。
「そうではありません」と梓は書きました、「西山の別墅はずっと留守で、家僕のほかに人はいません、真壁はそこをねらったのでしょう、隈川別墅ならわれわれの監視もあるまい、そういうはらではないかと思います」
「それはみんなの意見か」
「杉永さんもそう云われました」と梓は続けた、「どうなさいますか、私は見張り役で、これから西山へゆかなければなりません」
 私は頷きました、「やろう」
 では打合せをしますと云って、梓は別墅付近の図を書きました。ご承知のように、西山は城下のほぼ西南に当り、重職がたの控家や別墅のある閑静なところです。町とのあいだに田畑や林などがひろがってい、道は一と筋、見とおしもよくききます。梓はその道の一点に印をつけて待伏せるところはここがいいと思うと云いました。そこからは隈川別墅の門が見えるので、合図をするにも都合がよく、また邪魔のはいるおそれもないだろう、というのです。
「いいだろう」と私は頷きました、「それで、合図はどういうふうにする」
「私が提灯で知らせます」と梓はいいました、「これから西山へいって、真壁が慥かに来るかどうかを見さだめ、来たら帰るまで見張っています、そして彼が帰るのを慥かめたら、提灯で円を三度かきましょう」
「円を三度だな」
「人の違うときは提灯を見せません、まるく三度振ったら真壁ですから――」そして梓は書き加えました、「できたら私も助勢するつもりです」
「そんな必要はない、おれ一人で充分だ」と私は首を振りました、「それより見張りに誤りのないようにしてくれ」
 梓は筆を置いて、静かに低頭しました。


 夜の十時を過ぎていたでしょうか、私は約束の場所にいて、提灯の光りがゆっくりと三度、円を描くのを認めました。
 そこは西山から来る道が、細い流れに架けた土橋を渡り、城下のほうへと、やや北に曲っている角で、道傍には松が二三本と、灌木かんぼくの茂みがありました。私は八時ころそこへいったのですが、梓が待っていて、別墅のほうを指さしながら頷いてみせました、真壁が来ているのかと訊きますと、もういちどはっきり頷き、火のついていない提灯を三度、まるく振ってみせました。
「わかった」と私は云いました、「あとは引受けたからいってくれ」
 梓は会釈をして去りました。
 それから約一刻、農家の若者が二た組ほど通ったほかには、人のけはいもしませんでした。月はなく、星空だが雲があるので、あたりは殆んど闇です。眼が馴れてからも、乾いた道がほの白く、ぼんやりと見えるだけでした。――風が少し吹いていて、どこからか笛の音が聞えて来るようです。村ざとではおそらくもう祭の稽古を始めていることでしょう、暗い野づらの向うを見ていると、現実に笛の音が聞えて来るように思われました。
 提灯の火は隈川別墅のあたりにあらわれ、打合せたとおり三度、ゆっくりと大きく円を描きました。私は深い呼吸をし、右手を眼の前へあげて、指をひらいたりこぶしを握ってみたり、それから空を見あげました。――提灯の合図を見てから、初めて気持がおちついたようで、全身にこころよい力の充実を感じました。
「おい、せくなよ」と私はつぶやきました、「一の太刀が大事だぞ」
 下緒さげおを取って襷に掛け、汗止めをし、はかま股立ももだちをしぼりました。これらはできるだけ入念に、時間をかけてやり、それから灌木の茂みのうしろへ隠れました。――別墅との距離は五六町くらいでしょう、まもなく、道の向うに提灯が見え、小さく揺れながらこっちへ近づいて来ます。
「供がいっしょかな」
 提灯は供が持っているのではないか、と思ったのですが、姿が見えるようになると、一人だということがわかりました。私は草履をぬいで足袋はだしになり、刀を抜いて二度、三度素振りをくれ、呼吸をととのえて待ちました。――真壁は足ばやに近づいて来、土橋を渡って、すぐ前を通り過ぎました。
 二間ほどやりすごしておいて、私は道へ出、うしろからすばやくまを詰めながら叫びました。
「真壁どの御免」
 そして振向くところを首の根へ一刀、返す二の太刀で存分に胴を払いました。相手は提灯をとり落し、なにか叫びながら、片手を振り、よろめいてがくっとひざを突きました。
「藩ぜんたいのためです」と私は云いました、「どうぞお覚悟を願います」
 相手はなおなにか叫び、手を振り、そうして、その手で頭巾をぎ取りました。そのとき道の上で提灯が燃えあがり、頭巾をぬいだ相手の顔が見えました。そうです、それが杉永幹三郎だったのです。
「杉永、――」私は刀を投げだして駆け寄り、彼の肩をだき抱えました、「どうしておまえが、これはどうしたことだ、真壁綱ということだったぞ」
 杉永はなにか云っています。私が斬りつけたときも、人違いだと叫んだのでしょう、おれだ、杉永だ、と叫んだ。なにか叫ぶのを私は見たのですから。もちろん彼には私がわかったでしょう、だからこそ抜き合せることもできず、おれだ、杉永だとけんめいに叫んだに違いありません。
「梓と打合せたんだ」と私は動顛どうてんしながら云いました、「真壁が密会するということで合図まできめてあった、いったいどうしてこんなことになったんだ」
 杉永はなにか云っています。だが私には聞えません、私は彼の肩をつかみ、天を見あげながら叫びました。
「私の七生をけます、もし神仏がおわすなら、一と言だけでいい、杉永の云うことを聞かせて下さい」
 だが皮肉なことに私の刀はあやまたず、充分に深く急所に達してい、杉永はそのまま絶息しました。私は彼を抱きしめて泣き、謝罪をしました。少年時代からのたった一人の友、もっとも信じあった友を、こんなふうに自分の手で殺した。耳さえ不自由でなかったら、――この気持はあなたにもわかっていただけると思う、私はすっかりわれを失い、絶息した彼を抱いたまま泣き続けました。
 しかし長い時間ではなかった。ふと気がついて振返ると、西山のほうから提灯が五つ六つ、こちらへ向って走って来るのが見えたのです。梓久也なら一人の筈ですが、提灯の数から察するとかなりな人数らしい。ここで捕えられてはならない、そう思ったので、杉永の死躰したいに別れを云い、刀を拾い草履を捜して、泣きながらそこを逃げ去りました。
 ――どういう手違いだろう。
 闇の中を走りながら考えました。考えるまでもなく、梓久也の裏切りだということは、初めからのことを思い合せればすぐにわかる筈です。けれども逆上している私には、そんな明白なことさえ見当がつかず、ただ「家へは帰れない」ということと、「真壁を討つまで死ねない」と思うばかりでした。
 どこをどう逃げまわったかは書きませんが、和田村の治兵衛のところへおちついたときにはようやく裏切りだということに気がついていました。
 ――田上ら七人を売ったのも彼だ。
 それも疑う余地はないでしょう。私は皮を剥いだ梓久也の正体を前にして、改めて時勢の複雑さと、その複雑な渦中に生きる人間の、それぞれの心のありかたを思って嘆息するばかりでした。
 たぶんあなたは、私が梓に報復するだろうとお考えでしょう。私もいちじはそう思いました。こんな無慚むざんな裏切りはない、どれほど非情な人間にも、こういう酷薄なまねはできないだろう、杉永のためにも生かしてはおけない。そう思ったのですが、治兵衛の住居に移ってから、それは違うと考え直しました。
 ――方法こそ残酷きわまるものだが、梓も自分の利欲でやったことではない、彼は彼の立場で、もっとも効果のある手段をとっただけだ。
 私たちが私たちの信念によって行動するように、彼もまた彼の信念にしたがったまでだ。憎むとすれば梓その者ではなく、梓を動かした「佐幕」という観念だ。梓などは問題ではない、藩の大勢を王政復古にもってゆくことが第一だ。杉永にとってもそれが本望に違いない、と思ったのです。――これで私の手記は終ります、ここにはあったことのすべてを、できる限りあったまま記しました。幸いにしてお手許へ届いたとき、お読みになったあとでなお、私を杉永の仇だと思われるかどうか、めめしいようだが、それをうかがえればと願わずにはいられません。


 かれらの来たとき、おすえは煮物をしていた。油で菜をいため、干した河鯊はぜをちぎって入れ、水と少量の砂糖と醤油で味付けをしてから、なべに蓋をし、焚木たきぎのぐあいをみた。そこへ、あけてあった勝手口から、二人の侍がはいって来て、おすえを左右からはさんだ。
「騒ぐな」と侍の一人が云った、「黙っておれの云うとおりにしろ」
 おすえはその侍を見た。
「おまえには関係のないことだ」とその若侍は云った、「なにもなかったつもりで煮物を続けろ、いいか、騒ぐんじゃないぞ」
 おすえは口をあけ、なにか云おうとしたが、言葉にはならなかった。侍の一人は土間を表のほうへゆき、表の戸口からまた三人はいって来た。かれらは部屋へあがり、なにか捜しているようすだったが、一人が刀を持って土間へおりて来た。
「大丈夫ここにいる」と一人が云った、「この刀があるから慥かだ」
「まる腰ででかけたんだな」
のんびりと山歩きか」とべつの一人が云った、「風雅なことです」
 他の一人が戸口へゆき、手を振りながらなにか叫んだ。すると答える声がして、まもなく五人の若侍がはいって来、狭い土間はかれらでいっぱいになった。
「朝めしの支度をしているから、まもなく帰って来るだろう、どうする」
「刀を取りあげればこっちのものだ、ここでやるか」
「いや、大事をとるほうがいい、二人は中にいてその娘を動かすな、ほかの者は外に隠れて帰りを待とう」
「梓は用心ぶかいな」
「谷川主計には、どんなに用心してもしすぎるということはないんだ」
「梓は用心ぶかいよ」
 そんな問答をしながら、二人をおすえの側に残して、他の八人は戸外へ出ていった。残った二人は土間の隅へさがり、一人は刀を抜いて、おすえに見せた。
「騒ぐとこれだぞ」とその若侍が云った、「いつものとおりやっていろ、谷川が帰って来てもへんなそぶりをするなよ」
 そのとき戸外で叫び声がした。
「谷川だ」と一人が云った、「押えたぞ」
 そして二人はとびだしていった。
 この家の表に、三十坪ばかりの狭い空地がある。片側は低い赭土あかつちの崖、片側はやぶで、長いこと人が住んでいなかったのだろう、夏草の茂った中に、踏みつけ道が一と筋、赭土の崖のほうから空地へ通じている。谷川主計はその空地の中央で、かれらに取巻かれていた。
 ――まったく思いがけなかったらしい、主計は左の手を腰にやり、刀のないことに気づいて、かれらを見まわしながら右手をあげた。
「待て」と主計は云った、「おれはまる腰だ、そうでなくともこれだけの人数では※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)のがれることはできない、みれんなまねはしないからおれの云うことを聞いてくれ」
「そんな必要はない」と梓と呼ばれた侍が叫んだ、「理非は明白だ、やれ」
「梓久也」と主計は手を伸ばして、まっすぐに相手を指さした、「いまおまえはなにか云った、おれの耳は聞えないが、なにを云ったかは察しがつく、おれに口をきかせるな、このまま斬れと云ったろう、そうだろう梓」
「こいつにものを云わせるつもりか」と梓が叫んで刀を抜いた、「おれはやるぞ」
 主計は両手をひろげて、かれらの中の一人に呼びかけた。
「吉川十兵衛、おまえはこのままおれを斬らせていいのか、このままおれを斬って、それでなにか得るものがあるのか」
「こいつ」と梓久也が叫んだ。
「待て」と吉川十兵衛が手で制した、「もう逃がすおそれはない、聞くだけは聞こう」
「なんのために」と梓が叫んだ。
「吉川、みんなも聞いてくれ」と主計が云った、「みんなはおれが杉永を斬ったことでおれを斬ろうというのだろう、慥かに、おれは杉永を斬った、しかし、おれが杉永を斬ったということをどうして知った」
 梓久也が踏み出そうとした。吉川十兵衛が「止めろ」と叫び、二人が左右から梓を押し止めた。
「おれが杉永を斬ったことは、たった一人しか知ってはいない」と主計は続けていた、「その男がおれをわなにかけて、おれの耳の不具を利用して杉永を斬らせた、真壁綱だと手引きをして、おれにとってはかけ替えのない友を斬らせた、梓久也がその男だ」
「こんなやつの云うことを聞くつもりか」と梓久也が叫んだ、「おれたちはこんなでたらめを聞くためにここへ来たのか」
「云え、云え」と主計はまた梓をまっすぐに指さした、「おれはきさまの罠にかかった、無二の友を手にかけたおれが、きさまを憎まなかったと思うか、梓久也、おれはきさまを斬りたかった、きさまの五躰を寸断してやりたかった、――だが思い直した、きさまがおれを罠にかけたのは利欲のためではない、佐幕という信念のためにやったことだ、梓久也その者の罪ではないと思ったからだ」
 谷川主計はそこでかれらを見まわした、「これ以上くどいことは云わない、あとはみんなの判断に任せる、久也の眼とおれの眼を見比べてくれ、いま云ったおれの言葉に対して、久也がなんと云うか聞いてくれ、そしてもし彼の云うことが正しいと思ったらおれを斬るがいい、また、おれの云うことが信じられるなら刀を貸してくれ、おれはここで梓を斬る、――さあ、梓久也に云わせてくれ」
 みんなは吉川十兵衛を見た。
「梓、――」と十兵衛が云った、「なにか云うことがあるか」
 梓久也は刀を取直した。
「よし」と十兵衛がうなずいた、「谷川さんの刀を返せ」
 一人が家の中へ走ってゆき、主計の刀を持って戻った。主計は十兵衛の顔をみつめ、受取った刀を腰に差してから静かにそれを抜いた。
 ――梓久也を残して、他の九人はずっとうしろへさがり、家の戸口にはおすえおびえたような顔でこちらを見まもっていた。




底本:「山本周五郎全集第二十八巻 ちいさこべ・落葉の隣り」新潮社
1982(昭和57)年10月25日発行
初出:「別冊文藝春秋」文藝春秋新社
   1959(昭和34)年10月
posted by koinu at 08:00| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月04日

松村謙三『三代回顧録』小山書店

松村謙三没後50年 遺墨集と訪中記録 記念会館が発刊

日中国交回復に尽力した旧福光町(現南砺市)出身の政治家、松村謙三(一八八三〜一九七一年)の没後五十年を記念し、市松村記念会館は近く、砺波地域に残る松村の書をまとめた「松村謙三遺墨集」と、十回の訪中を解説した「山高水長 松村謙三と中国」を発刊する。松村の自伝を復刊した「三代回顧録復刻版」や過去に発行された松村関連の書籍二種類とあわせて、八月十日まで申し込みを受け付ける。


 遺墨集は、二〇一八年以降に調査した砺波地域の小中高校、福光地域の公民館や公共施設などに残る松村の書二百十点の写真集。松村は文相だっただけに学校には砺波、小矢部市も含め六十五点あった。A4判七十四ページ。

 「山高水長」は、早稲田大の学生時代から晩年まで、戦前五回、戦後五回の訪中について、松村の書き残した文書や新聞記事からまとめた。戦後は国交回復に向け動いたことが分かる。A4判約百七十ページ。

 回顧録復刻版は税込み三千円、ほかは各二千円、五冊一組で一万円(二百組限定)の割引価格で販売する。八月二十二日に市福光福祉会館で開く没後五十年記念フォーラムで渡す。送料は千円。(問)市福光福祉会館・松村記念会館0763(52)3022 (松村裕子)

【中日新聞】より


日本大百科全書(ニッポニカ)「松村謙三」の解説

松村謙三 まつむらけんぞう

18831971

政治家。富山県福光町(現、南砺市)出身。早稲田大学を卒業、『報知新聞』記者、富山県県会議員を経て、1928年(昭和3)の第1回普通選挙で衆議院議員に当選、以後19461951年(昭和2126)の公職追放期間を除いて、1969年に第一線を引退するまで連続当選。戦後、東久邇稔彦(ひがしくになるひこ)内閣の厚相兼文相、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣の農相に就任、第一次農地改革を推進した。追放解除後は吉田茂の官僚政治に対抗、1955年の保守合同には「野合」として反対、1959年自民党総裁選では岸信介と対決するなど、清廉な、ほねのある保守政治家であった。改進党幹事長、鳩山一郎内閣文相を歴任。1959年の訪中以来、一貫して日中友好に努力、両国のパイプ役として貴重な存在であった。

『松村謙三著『三代回顧録』(1964・東洋経済新報社)』『田川誠一著『松村謙三と中国』(1972・読売新聞社)』『木村時夫編著『松村謙三』伝記編上下、資料編(1999・桜田会)』

[参照項目] | 日中関係 | 農地改革


松村謙三『三代回顧録』小山書店

戦後の混乱期から自民党創成期にかけて厚相、文相、農相などを務め、1959年には自民党総裁選にも立候補した保守政治家・松村謙三の自伝『三代回顧録』(東洋経済新報社、1964)の復刊。 

党人派"の面目躍如


【著者】松村謙三(まつむら・けんぞう

1883(明治16)年、富山県生まれ。 

早稲田大学政治経済学科卒業後、報知新聞社入社。1917年に福光町会議員、1919年に県会議員となり、1928年に第16回衆議院議員総選挙(1回普通選挙)で当選。 

戦前は立憲民政党に所属して衆議院選挙で連続6回当選。戦後は、戦後いったん公職追放になるものの、追放解除後に改進党から自由民主党に所属して衆議院選挙で連続7回当選、合計13回の当選を果たした。 

厚生大臣、農林大臣、文部大臣を歴任。1971821日、88歳で逝去。 


【編者】武田知己(たけだ・ともき

大東文化大学法学部教授。2000年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程中途退学、博士(政治学

〔主要業績〕 

『重光葵と戦後政治』(吉川弘文館、2002)、『日本政党史』(共編、吉川弘文館、2011)など。


松村老は、いまの日本の政治家のなかで、最も保守主義者らしい保守主義者だといってよかろう。保守主義者というのは、単なる反動主義者でもなければ、偏狭的な過激主義者でもない。過去の良いものをできるだけ守りながら、変転する未来へ対処してゆくことが、保守主義者の本領だといってもよい。松村翁の80年に及ぶ人生、明治・大正・昭和の三代におよぶ政治活動が、この本では実に淡々として語られている。保守主義者というのは、こういう人間だという証明のような語り方だ。この本では妙に肩を張ったり、誇張したところなど全くない。まことにこの人の人柄と思想のにじみ出たような回顧録であり、読んでいて楽しいのだ。

藤原弘達「淡々とした側面史 松村謙三『三代回顧録』」『日本経済新聞』昭和39921日付

https://www.sakuradakai.jp/『三代回顧録』の世界(1)『三代回顧録』の刊/

posted by koinu at 08:00| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月29日

どぶろくの尻(山形県)

どぶろくの尻(山形県)

【あらすじ】

昔、山形の高松のある村に、源兵衛(げんべえ)という爺さまが婆さまと住んでいた。二人は大の酒好きだったが、この辺りの村では、お酒を作るとたっぷりと税金を取られるのだった。源兵衛の貧しい村では税金は払えないので、皆、こっそりとどぶろく(酒)を作っていた。


ある年の暮の事、源兵衛が山にでかけている間に、ひょっこりと酒横目(酒を取り締まる役人)が見回りにやって来た。酒横目が、源兵衛はどこか?と尋ねると、婆さまは村中に聞こえるように大声で叫んだ。「爺さまー、酒横目さまがござったよー」それを聞いた村人たちは、大急ぎで自分たちのどぶろくを隠し、おかげでどの家の酒もバレずにすんだ。


その夜、囲炉裏(いろり)の上に隠していたどぶろくのカメ(壺)を降ろそうと、源兵衛はハシゴに登った。そのカメはとても重く、婆さまに手伝ってもらおうと「けっつ(尻)をおさえてくんろ」と頼んだ。


はしごの下にいた婆さまが、「ほい、おさえたよ」と答えたため、源兵衛が手を放すと、カメは床に落ちガシャンと割れてしまった。婆さまは、カメの尻をおさえたのではなく、自分の尻をおさえていた。


源兵衛はがっかりしたが、村人たちが少しずつどぶろくを持ち寄ってくれたので、カメ2杯分も集まった。おかげで、源兵衛の家でも良い正月を祝う事ができた。


(講談社『まんが日本昔ばなし』決定版100より)


〈村のことわざ〉

みそ買う家は倉建たぬ

女房と味噌は古いほど良い

五割の金を借りても

味噌をつくれ

「何でも古いほど味わいが出て良いという伝えである。味噌も古くなると熟成されて味がよくなり、妻も長年連れ添うと円満さも増していく」

posted by koinu at 13:00| 東京 ☁| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月27日

山尾悠子『山の人魚と虚ろの王』国書刊行会

風変わりな若い妻を迎えた男 秋の新婚の旅は 〈夜の宮殿〉その他の街を経て、機械の山へ 舞踏と浮遊/夜の芝地を埋め尽くす不眠の観衆たち/幾つかの寝室と寝台の謎 圧倒的なるイメジャリーに満ちみちた驚異と蠱惑の〈旅〉のものがたり


山尾悠子 1955年、岡山市生まれ。同志社大学文学部国文科卒。 著書に『夢の棲む街』『仮面物語』『オットーと魔術師』『角砂糖の日』『山尾悠子作品集成』『ラピスラズリ』『歪み真珠』『夢の遠近法』『飛ぶ孔雀』ほか。

posted by koinu at 13:00| 東京 ☔| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月23日

哲学者セネカの言葉

セネカ(Lucius Annaeus Seneca

古代ローマの政治家・思想家・詩人。ストア派の哲学者として知られ、数々の悲劇や著作を残した、第5代ローマ皇帝「ネロ」の幼少期の家庭教師も務めて、治世初期にはブレーンとしても皇帝を支えた。


A gem cannot be polished without friction, nor a man perfected without trials.

宝石はこすらなければ磨かれることはない。人も同様に試練がなければ完成されないのである。


A gift consists not in what is done or given, but in the intention of the giver or doer.

才能とは行ったことや与えられたものの中にあるのではない。与えたり行おうとする人の意志のなかにあるのである。


A person's fears are lighter when the danger is at hand.

人の恐怖は危険が目前に迫ったときに軽くなる


All art is but imitation of nature.

すべての芸術は自然の模倣である

All cruelty springs from weakness.

すべての残忍性は臆病から生まれる


As is a tale, so is life: not how long it is, but how good it is, is what matters.

物語もそうであるように、人生にも同じことが言える。長さが問題なのではない。内容が問題なのだ


Fire is the test of gold; adversity, of strong men.

金は火によりて試され、勇者は逆境にて試さる


I do not distinguish by the eye, but by the mind, which is the proper judge of the man.

どちらがその人物についての正しい判断であるかは、目でなく心で見分ける


If one does not know to which port one is sailing, no wind is favorable.

もしどの港に向かって進んでいるのか分からなければ、好ましい風などない。


It is the sign of a week mind to be unable to bear wealth.

富に耐えることができないというのは弱い精神の兆候である


Luck is what happens when preparation meets opportunity.

幸運とは準備と機会があったときに起こるものである


Voyage, travel, and change of place impart vigor.

旅や転地は活力を与えてくれる


We should conduct ourselves not as if we ought to live for the body, but as if we could not live without it.

肉体のために生きるのではなく、肉体なしには生きられないように振る舞うべきである


Where the speech is corrupted, the mind is also.

言論が堕落したところでは精神も堕落している


Wherever there is a human being, there is an opportunity for kindness.

人がいるところには必ず、親切を施す機会がある


Who can hope for nothing, should despair for nothing.

希望を持たぬ者は、絶望することもない。


セネカの悲劇作品に「パエドラ」「トロイアの女たち」「狂えるヘルクレス」「フェニキアの女たち」「メデア」「オエディプス」「テュエステス」「アガメムノン」「オクタウィア(偽作)」など。

随筆・書簡に「怒りについて」「賢者の不動心について」「寛容について」「人生の短さについて」「心の平静について」「幸福な人生について」「善行について」「神慮について」などがある。

posted by koinu at 13:00| 東京 ☁| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月22日

『東西詩集』ゲーテ(岩波文庫)

『東西詩集』ゲーテ(岩波文庫)

幼い頃から東洋にあこがれを抱いていたゲーテは、老年、ペルシアの詩人ハーフィスを知り、深い愛着をもった。さらに、才気溢れるマリアンヌと出会い、作家の感情は詩となって迸しる。彼女との相聞歌を含む「ズライカの巻」は、本詩集中最もよく知られている。ここには、東洋の恋・酒・知恵と、西洋の精神とのうるわしい結合がある。


【これはもともと一枚の葉が二つに分かれたのでしょうか。それとも二枚の葉が互いに相手を見つけて 一つになったのでしょうか。このようなことを思っているうちに わたしは、この葉のほんとうの意味がわかったと思いました。あなたは、わたしの詩をきくたびにお感じなりませんか。わたしが一枚でありながら、あなたと結ばれたふたひらの葉であることを】「いちょう葉(Gingo Biloba)」より


『東西詩集』目次

詩人の巻 Moganni Nameh

逃走

祝福の抵当

囚われぬ心

護符

四つの恵み

告白

要素

創り出し 活を入れる

異象

愛らしきもの

分裂

今あるもののうちに過ぎ行きしもの

歌と形象(かたち)

放胆

粗野に 逞しく

汎生命

めでたき憧れ


ハーフィスの巻

あだ名 詩人/ハーフィス/詩人

告訴

判決

ドイツ人は感謝す

判決

窮まりなく

模作

あらわな秘密

目くばせ

ハーフィスに


愛の巻 Uschk Nameh

典型

なお一と組

読本

警告

溺れる

気づかわしい

うれしくない慰め

知足 詩人

挨拶

あきらめ 詩人

不可避

秘密

最大の秘密


観照の巻 Tefkir Nameh

五つのもの

ほかの五つ

シャー・ゼードシャーと同じ身分の人たちとへ 至上の恵み/フェルドゥズィの言う/ジェラール・エディン・ルミ言う/ズライカの言う


不興の巻 Rendsch Nameh

旅人の心の落ちつき 預言者は語る/ティームルは語る


箴言の巻 Hikmet Nameh

親友/ヴェズイ−ル


ティームルの巻 Timur Nameh

冬とティームル ズライカへ


ズライカの巻 Suleika Nameh

招き

ハーテム

ズライカ

ズライカ

ハーテム

いちょう葉(Gingo Biloba) ズライカ/ハーテム/ズライカ/ハーテム/ズライカ/ハーテム/ハーテム/少女/ハーテム/少女/ハーテム/少女

ハーテム

ズライカ

ズライカの巻 ズライカ/ハーテム/ズライカ/ハーテム/ズライカ/ズライカ

崇高の像

余響

ズライカ

再会

満月の夜

暗号文字

反照

ズライカ


酌人の巻 Saki Nameh

ズライカ/ハーテム/給仕人に/酌人に

酌人の語る 酌人/詩人/酌人

酌人

酌人 詩人/酌人/詩人/酌人/詩人/酌人/詩人/ザーキー/ハーテム

夏の夜 詩人/酌する少年/詩人/酌人(睡たげに)/ハーテム


寓喩の巻 Mathal Nameh

奇蹟の信仰


パルゼ人の巻 Parsi Nameh

古代ペルシアの信仰の異訓


天国の巻 Chuld Nameh

試味

資格ある男たち ベトゥルの戦の後,星空の下にて マーホメットは語る

選び出されし女たち

入国の許し フーリ/詩人

余韻 フーリ/詩人/詩人/フーリ/詩人/フーリ/フーリ/詩人/フーリ

恵まれた動物

より高いものと最高のもの

七人の睡眠者

おやすみ


遺稿から

愛する女

招きの使者やつがしら

やつがしらの謎の箇所を解き明かす

やつがしら謎をかけてお年玉をねだる


註記・論考(春田伊久蔵訳)

訳注

訳者解説

跋(吹田順助)


「ゲーテの詩は,彼のピラミッド型の全存在の頂点にある花束である」ロマン・ロラン

posted by koinu at 22:00| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

詩人ゲーテと水木さんの言葉

「幸福の七カ条」
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまでも自分の楽しさを追求すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 なまけ者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。
(水木しげる)

ゲーテは「誰でも自分自身が/ 一番よく知っていると思いこんでいる。/ それで多くの人が失敗をし、/ 多くの人が長いこと迷わねばならない」と言う。
虚栄心や自尊心、自愛心などによって、己を見る目を曇らされてしまい、己について勘違いして生きている皮肉な診断である。
「誰しも、自分自身の足元からはじめ、/ 自分の幸福をまず築かねばならないと思う。/ そうすれば、結局まちがいなく/ 全体の幸福も生れてくるだろう」

水木さんは幸福つかむことを積極的な考え方で、ゲーテから学んで伝えているようだ。

水木しげる [1922−2015]
漫画家。大阪に生まれ、幼少時に鳥取県境港に移り育つ。本名、武良(むら)茂。妖怪漫画の第一人者として長年にわたって活躍。代表作「ゲゲゲの鬼太郎」では日本古来の民間伝承を描き、さまざまな地方の妖怪を紹介した。戦争体験を生かした「昭和史」でも知られる。他に「のんのんばあとオレ」「悪魔くん」「河童の三平」など。平成22年(2010)文化功労者。

ゲーテ (Johann Wolfgang von Goethe) [1749-1832]
ドイツの詩人・小説家・劇作家。小説「若きウェルテルの悩み」などにより、シュトゥルム‐ウント‐ドラング(疾風怒濤)運動の代表的存在となる。シラーとの交友の中でドイツ古典主義を確立。自然科学の研究にも業績をあげた。戯曲「ファウスト」、小説「ウィルヘルム‐マイスター」、叙事詩「ヘルマンとドロテーア」、詩集「西東詩集」、自伝「詩と真実」など。
posted by koinu at 13:00| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月17日

歌集「月を食う」佐佐木定綱 角川短歌賞受賞作品

歌集「月を食う」佐佐木定綱

角川短歌賞受賞作より


残したい思いはないけど月・金に出せないゴミが溜まってゆく部屋


もし意思があるなら読まれたき人へ羽ばたいてゆけ空はただ青 

 

雨。きらう生き物である。高架下から埋まりゆく駐輪場


幾万のうすき孤独をかき集め明るき夜を眠れ東京


自らのまわりに円を描くごと死んだ魚は机を濡らす


「シャンデリア まだ使えます」張り紙をされて夜道に眠る段ボール


湖のようなベッドを抜け出せば君のもとまでさざ波が立つ


YouTubeで知らないブルース聞きながら煮込めば歌う細切れの豚


いつもより陽気な声を出すときはぼくはなんだかさみしくなる


事件性あるらし野菜販売所の野菜を赤く照らすパトカー


駆け込んで挟まれるカバンとそれを引くOLとそれを引くOL


八千キロずれればそこは難民の行列原宿竹下通り


道端に捨てられている中華鍋日ごと場所替えある日消え去る


終終と苦しみの息する犬とエレベーターで地下へ降りたり


まだ蟬が空を摑んで死んでいる駐車場の端で濡れてる


おまえは生きているうち一度でも空を見たかと問う鶏肉に


犬と我が名前を交互に間違えて笑う女を母と呼び秋


「蟹の脳みそじゃないの」と蟹みそを食む君脳を食いたいのかい?


お互いの鋭利なつま先ながめつつ横たわっている紙の力士ら


鍵穴の壊れた扉が捨ててあるもうこの世界出入りできない


ぼくの持つバケツに落ちた月を食いめだかの腹はふくらんでゆく 


佐佐木定綱 @darekautaeyo

短歌。第一歌集『月を食う』(KADOKAWA)で第64回現代歌人協会賞受賞。心の花。

https://www.kadokawa.co.jp/product/321904000684/

posted by koinu at 10:28| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月14日

貪るものがいる

77F13FB4-7A80-46B7-9401-6AC1234BCE0C.jpegEBD1287F-8964-42FD-B75F-667252E71BE1.jpeg
古くからある歌にもなって、
伝えられている。
彼等は人より多くの食料、金銭、名誉など欲しがっているのだ。
posted by koinu at 13:00| 東京 ☁| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月13日

織田作之助 (ちくま日本文学)

織田作之助 (ちくま日本文学)

代表作として収録「夫婦善哉」は、芸者あがりでしっかり者の妻・蝶子と、甲斐性なし・ろくでなしの夫・柳吉のトラブルに満ちたドタバタ生活を、大阪下町情緒たっぷりに描いた作品。話の骨格は浄瑠璃の演目となっている。


「大阪は木のない都だといはれてゐるが、しかし私の幼時の記憶は不思議に木と結びついてゐる」(『木の都』より)


競馬にのめりこみ、1の数字ばかり買うわけがある。ある夜同僚に無理矢理誘われた高級クラブで一代に出会い、一目惚れする。七転八倒の苦境。雑誌編集の関係で、作家から原稿を受け取るため、指定された競馬場へと足を運ぶ。付き合いでしかたなく買った馬券が当たってしまう。(「競馬」)


「小説を作るということは結局第二の自然という可能の世界を作ることであり、人間はここでは経験の堆積としては描かれず、経験から飛躍していく可能性として追及されなければならぬ。」(「可能性の文学」より)


【目次】

馬地獄

夫婦善哉

勧善懲悪

木の都

ニコ狆先生

猿飛佐助

アド・バルーン

競馬

世相

可能性の文学


織田作之助 1913‐1947。大阪・上汐町の仕出し屋に生まれる。旧制三高中退後、文学的彷徨をかさね、「夫婦善哉」により新進作家としてデビュー。戦争中は「青春の逆説」が発禁処分を受けた。戦後、堰を切ったように作品を発表、坂口安吾や石川淳らとともに無頼派と呼ばれ、一躍文壇の寵児になった。


【青空文庫】織田作之助

https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person40.html


【コロナ禍でも豊作!2020年の文学を振り返る | ほんのひきだし】

https://hon-hikidashi.jp/enjoy/120862/

posted by koinu at 15:00| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月11日

歌集『未来のサイズ』俵万智(角川文化振興財団)

2013年から2020年までに書かれた、418首が収められてます。詩歌文学館の短歌部門賞2021年受賞しました。

 

早起きのできない理由「面白い夢が最近多すぎるから」


人参を抜いて尻もちつく真昼 絵本のような畑に一人


トランプの絵札のように集まって我ら画面に密を楽しむ


手洗いを丁寧にする歌多し泡いっぱいの新聞歌壇


「短所」見て長所と思う「長所」見て長所と思う母というもの

 

安全じゃないことうすうすわかってた船に子どもを乗せる前から 


なにすんねんまだ咲いとるわというように小さなトゲを立てる一輪


「群(むり)か星(ぶし)」耳にやさしき八重山の音韻で聞く星の伝説


誰よりも知っているのにああ君をネットで検索する夜がある


我のため今朝色づける赤イチゴ蟻に食われる前にもぎとる


世界まだ知らぬ息子が暗記するアンデス山脈バチカン市国


シャーペンをくるくる回す子の右手「短所」の欄のいまだ埋まらず


ふいうちの「好き」を投げればストライク「ずるい」と言われることにも慣れて


ひとことで私を夏に変えるひと白のブラウスほめられている


「死ぬまでの待合室」と父が言う老人ホーム見学に行く


『失われた時を求めて』未読なり縄文杉への道未踏なり


生きながら死につつもある人間は勝ちながら負け、負けながら勝つ


レシピ通りの恋愛なんてつまらないぐつぐつ煮えるエビのアヒージョ


朝ごとの検温をして二週間前の自分を確かめている


カギカッコはずしてやれば日が暮れてあの街この街みんな夜の街


第二波の予感の中に暮らせどもサーフボードを持たぬ人類


夕焼けと青空せめぎあう時を「明う(アコー)暗う(クロー)」と呼ぶ島のひと


あの世には持っていけない金のため未来を汚す未来を殺す


自己責任、非正規雇用、生産性 寅さんだったら何て言うかな


君の死を知らせるメールそれを見る前の自分が思い出せない


誰よりも知っているのにああ君をネットで検索する夜がある



俵万智 1962年大阪府生まれ。87年第一歌集『サラダ記念日』を刊行。翌年第32回現代歌人協会賞を受賞。他にも数々の賞を受賞。2006年仙台市に移住、2011年の東日本大震災により石垣島に移住、2016年に宮崎市に移住。2003年(41歳の時)に出産。


「子を産みて仙台・石垣・宮崎と慌ただしかり我が十年」(『未来のサイズ』より)

posted by koinu at 13:00| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月10日

『石垣りん詩集』伊藤 比呂美・編集(岩波文庫)

石垣りん「くらし」

食わずには生きてゆけない。

メシを

野菜を

肉を 

空気を

光を 

水を 

親を 

きょうだいを 

師を

金もこころも

食わずには生きてこれなかった。 

ふくれた腹を抱え

口をぬぐえば

台所に散らばっている

にんじんのしっぽ

鳥の骨

父のはらわた

四十の日暮れ

私の目にはじめてあふれる獣の涙。

(『石垣りん詩集』より」


石垣りん「今日も一人のひとが」

今日も一人のひとが足場から落ちて 死んだ、あの危険な場所へ登って行ったのは ビルを建てる願いのためではなく食べるために 或いは食べさせるために 今日もひとりの人が死んだ


『石垣りん詩集』伊藤 比呂美編集(岩波文庫2015


14歳で銀行に事務見習として就職し、定年まで家族の生活を一人で支えつづけた詩人、石垣りん。家と職場、生活と仕事の描写のうちに根源的な雄々しい力を潜ませた詩を書きつづけ、戦後の女性詩をリードした詩人のすべての詩業から、手書き原稿としてのみ遺された未発表詩や単行詩集未収録作品を含む、120篇を精選。  


おやすみなさい

https://www.nhk.jp/p/oyasumi/ts/V3VLM6M3VW/

posted by koinu at 21:00| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする