2022年12月24日

「愉快な教室」佐藤春夫

愉快な教室

佐藤春夫



(1)


 ラフカディオハーン――帰化して日本の名を小泉八雲と名告った文豪の意見によると、人間の草木や小動物に対する愛情の有無というものは先天的な天性によるもので、後天的に教育によっては与えることのできないものであるということであるが、幸なことにわたくしは、この天性を父母から極めてゆたかに受け継いで来ている。母は草木の好きな人であったし、父は小動物を愛する人であった。わたくしはこの天性を世にも有難いものに思い、これあるがためにわたくしは人生を他の人々よりどれだけ楽しく生きているか知れないといつも感じている。

 わたくしは二三年前、人から橙色の美しくて啼きのいいローラカナリヤを贈られて愛育していたのに、この間、死なせてしまい、このごろ窓の外に春の陽ざしのうららかなのを見ると、カナリヤが生きていたら、もうそろそろ啼きはじめるころなのにとその声の聞かれないのがさびしく、時にはテレビーの電話の音などをそら耳にカナリヤの歌に聞くことなどさえある。

 わたくしばかりでなく、わたくしの一族の者は誰も彼もみなこの好もしい天性をそなえている。先ず息子の松吉は数年前、酔っぱらって夜更けに帰る途中、春の雪解のなかで泥んこになっていた小猫をかわいそうなと拾い取って外套のポケットへ入れて来たことがあった。

「まだ眼もあいていないこんなものはつれて来ても育つものか。もう死にかかっている」

 というのに、牛乳などを与えていたが、それさえ飲めないで、果して一二日のうちに死んでしまった。

 それでもなおこりないで、その次には前のよりはいくらか大きいのを連れて来て、今度のは無事に育ってチビというやすっぽい名にもかかわらず、すばらしく大きく、堂々たる虎猫になり、今はデカチビと呼ばれて、現にわたくしの家のなかにのさばり返っている。別にしつけたわけでもなかったが、カナリヤの籠は一度もねらったことはなかった。なかなかかしこい奴でドアや大きな引戸なども上手に開けて出入する。

 チビがはじめて家に来たころ、これをうらやましがっていた、わたくしの甥の長女のM子は、どこからかまっ白な狐のようにスマートな小猫をつれて来てミミーと名づけて愛育しはじめた。M子の家はわたくしの家からほんの百二三十歩という、ごく近いところにあるから、デカチビはミミーと友だちになって、ここもわが家同様に心得て毎日のように遊びに行っている。

 毎日ミミーのところへ出かけるのはデカチビばかりではなく、わたくしの家内も同じことである。うちの婆さんはM子の祖母に当るので孫たちのところへ行くのである。

 うちのばあさんはうちのデカチビが、いつもご馳走をどっさり食べているのに孫のところのミミーがあまり粗食でかわいそうだと、時々デカチビのご馳走の一部分を持って行ってやるので、ミミーはうちのばあさんの足音をおぼえて遠くから耳を傾けて待ち受けていると孫たちの話すのを聞いて、ばあさんはそれがうれしくて毎日ミミーにご馳走を運んで行くようになった。

 わたくしの一族というのはこんな人間の集りなのである。


(2)


 甥の家には十八になる高校三年のM子を頭にその次のNが男で中学二年、末がまた女でU子というのが小学校の四年、ばあさんがかわいがるはずで子供好きのわたくしにはみなそれぞれにおもしろくかわいいが、特におもしろいのはU子である。

 この子は取り上げるとすぐ手をしゃぶったと産婆をおどろかせただけあって一風変った子供で、学校へ入って字をおぼえると早速に、

「まいにちおこめをあげますからここへきてください、すずめさん」

 と雀に手紙を書いて庭の隅の石の上に置いてあったのを兄のNに見つけられたという話もある。作文が好きで書くことが早くわたくしの見るところ文才もあるように思われる。去年の夏は一家で北海道へ旅行した紀行文を夏休みの宿題に書いていたが、或る遊園地でアイヌが狐の子を飼っていたのを兄のNが抱いてM子のカメラにおさまったのを見て、今度は自分の番だとU子が狐の子を兄の手から受け取ろうとすると兄にはおとなしく抱かれていた狐の子がU子にはかみつきそうにした。「それを見たお兄ちゃんは、

『U子はいつも心がけが悪く意地わるなのを狐も知っているから狐もおとなしく抱かれないのだ』

 といいました。ほんとうにしつれいしちゃうわ」という一句で文を結んでいるのであった。この文に対して、先生が、景色などももう少しよく見てくわしく書けばもっとよかったでしょうと評したというのがU子には大不平で、この日は霧の深いわるいお天気で景色はよく見えなかったと書いてあるのに、見えない景色を書けなんて無理でしょうと、もっともな抗議を母親に訴えたという。

 U子にはたいていの大人はみなやり込められて、ばあさんなどは毎度、

「またこんな行儀の悪い下駄のぬぎ方をしているのはおばあちゃんでしょう」

 と叱りたしなめられる。もし誰かがこの子を何かからかいでもすれば、大人でもきっと口利いしっぺ返しを覚悟しなければならないという鋭い頭の子で、去年の小春日和に、U子が、

「お父ちゃん、どこかへ散歩にでもつれて行ってよ」

「どこかへって、どこへ行きたいの」

「どこへでもさ、動物園へでも、公園へでもさ。日曜のいいお天気じゃないの」

「日曜のいいお天気でも、U子といっしょではね」

「じゃ、お母さんといっしょに行けばいいでしょ!」

 とU子はすぐにやり返した。U子は父の日ごろの愛妻ぶりを見ていたのである。

 この間も皇太子妃が新宮さまをお産み遊ばしたラジオで、皇子のご身長何センチご体重しかじかと宮内庁の発表を聞いていた若い女中が、「何センチと言えば、ここぐらいね」と胸の上あたりを指しながら「そんな大きなのがおなかのなかに入っていたら、ここまでも来て苦しいわね」

 とM子に話しかけているのを聞いたU子はやにわに、

「何言ってるのよ! ばかな、赤ん坊というものは、こうしてまるくなっておなかのなかにいるのよ」

 と身をこごめ腕をせばめて十も年上の人々に見せたと言う。そんな事を誰からも聞きおぼえる年ではなし、自分で考えたのであろうと感心したことである。

 それでいてこの子は数の観念はほとんど無いのか、計算だけはす早く正確にできるのに応用問題となるとまるで駄目なのである。時計の見方を教えるのにもずいぶん苦心したらしい。こんな頭では競争試験のある小学校へ入れるかどうかと心配して、試験から帰つて来たのをつかまえて、

「どうした。試験はできた?」

……」U子は黙って首を振り「ぜんぜん」とすまして答えたが、それでも入学していたのは、後に先生から聞くと運動神経のすばらしいところが買われたもののようである。当人も体操が一番好きだと言うとおり、器械体操の懸垂でも縄飛びででもU子は男女を問わず同級生中での第一人者だと言われている。わたくしはこのおもしろい子の行末を見ることを楽しみにしているが、U子もわたくしを父よりも母よりも好きだとなついている。この間もわたくしに甘えながら言うには、

「わたし早く大きくなってお姉ちゃんの学校へ行きたいの」

「今に行けるよ」

「今にではなく、すぐ」

「どうして?」

「だって、お姉ちゃんの学校では教室でみんなが、犬をたくさん飼っているのですって。とても楽しそうなの」

「ふうん、それは楽しそうだね。たくさんの犬をどうして飼うのだろう?」

「みんなでおべんとうの残りを犬にやるから野良犬が集って来るのですって。お姉ちゃんによく聞いてごらん。おじちゃんにならお姉ちゃんもよくお話するでしょう。わたし作文に書きたいと思ってお姉ちゃんに聞くけど、よく教えてくれないのだもの」

「ではお姉ちゃんに、おじちゃんがいつでもよいからちょっと来てほしいと呼んでいたと言っておいておくれ」


(3)


 こういうわけで、わたくしはU子の姉M子を呼んで、U子のうらやましがる「愉快な教室」の話を聞くことになった。

 M子の学校というのは東京の山の手にある有名な私立大学に附属している女子高等学校であるが、M子の父がそこで大学部の教授をしているためにM子もそこに通学するようになったのである。

 犬はM子が学校に入った時から三匹いた。はじめ小使が飼っていたのが、いつの間にかM子のクラスの犬になってしまって、はじめは小使がつけたチビという名であったが、そんなありふれたケチな名はいやだというが、新らしい名をつけ変えることもできないのでチビをチョビと呼び変えたのはよいがチョビと呼べば三匹ともぞろぞろと来るのでどれがチョビとも知れないで三匹共通の名になっている。チョビがつれて来るのか自然と集るのか知れないが、教室にはいつもチョビの外にも三四匹住んでいて、この間は七匹になって、あまりうるさいというので小使が先生に言いつかったものらしく、もとからいた三匹のほかのは、みな野良犬として犬取りに渡してしまったらしいが、いつの間にか前と同じぐらいの数が集って来て、今もやはり七匹ぐらいは教室に住んでいる。

 こんなことになったのは、クラスにE子というとても犬の好きな子がひとりいたためである。E子はとても愉快な子で、逗子から通学していて、家は製薬会社の社長とかいうことであるが、E子は言うところでは、

「『うちの薬は利かないらしいわ。でも病気になるとうちではすぐお医者を呼んで、お医者の薬ばかり飲んで、うちの薬はちっとも飲まないのですもの』

 ですって。学科はとても優秀なのよ」犬が好きで、うちでもドロシーという名の犬を飼っているという話であった。ドロシーとはいい名ねとみんなが言うと、

「いい名でしょう」とE子は得意で「わたしがつけたのよ。――わたしのあとをよちよちとつけて来て、どろんこの脚ですたすたと家のなかへ這入り込むと、玄関でいきなりおしっこをして、それっきりどう追ってみても出て行かないし、かわいい小犬だし、宿無しでしょう、無理に追い出すのもかわいそうだから飼ってやることにして、わたしが名をドロシーとつけてやったのよ。一年半ほどいたが、この間ジステンパーで死んだから。今度は兄さんや弟にもお金を出してもらって、野良犬ではなく、少しはましな犬を買ったけれど名前はやっぱりドロシーなの」

 このように犬好きのE子を犬の方でも大好きと見えて、はじめ小使の飼っていたチビも一眼E子を見るとすぐにE子につきまとうのを、E子ははじめおべんとうの残りを分けてやっていたが、後にはおべんとうの残りのほかに魚や魚の骨などを古新聞やハトロン紙などにくるんで本包のなかへ入れて来てやったり、学校の食堂で牛乳を買って、自分のおべんとう箱のふたに入れて飲ましたりしている。

「E子およしよ、おべんとう箱の蓋で牛乳をやったりするのはきたないわよ。犬の病気でもうつったらどうする?」

「うちの薬でも、犬の病気ぐらいには利くと思って毎日持って来てやっているから、チョビは病気になんかならないわよ」

 E子が犬に薬までやっていたことは、この時までは誰も知らなかった。

 友だちがみんなで、「きたない、きたない」と言ってもE子は一向に取り合わないのも道理で、三匹のチョビはE子が校門に現われるのを待ち受けていて我がちにE子のところへ駆け寄り、E子の胸に泥足をかけてE子の顔や脣までペロペロとなめまわすのをE子は平気で犬のするにまかしているのである。

 三匹のチョビは女子の学校だけにみな女犬ばかりなのであるが、そのうちの一匹が子を産んだ時は、E子のスカートをくわえて子供を産み落したところへE子を連れて行ってみせた。E子はそれをそっと抱き上げて来て、自分の机のひき出しに入れて飼っていた。もし小使に見つかったら捨てられるから、こうして隠して置くと大切にしていたが、すこし大きくなった時、校庭の芝生に連れ出して、親子二匹の犬と遊んでいるところを見かけた近所の子供がその小犬をほしがったので、E子は苦労して育てた小犬をその子にくれてやることにした。

「昼間はいいけれど、夜になると誰もいない教室でひとりぽっちではかわいそうだものね」

 というのがE子の小犬を近所にくれてやった理由であった。そうしてE子はその小犬が今に大きくなって学校へ遊びに来て、また自分たちの教室の犬になるものと思っていたのである。それが大きくなっても学校へ遊びに来ないのがE子の不平なので、友だちはE子を慰めて、

「学校へ遊びに来ないのは、飼われている家で大切にかわいがられている証拠なのだわ、学校へ集るのはみな、宿なしの野良犬ばかりなのだものね」

「そうね。それならそれでいいけれど」

 E子はそう言ってやっと納得して、それでもまだ安心がならないのか、小犬をやった近所の子供の家をはっきり聞いて置かなかったのを残念がっている。E子はその子の家へ行って大きく育って大切にかわいがって飼われているのを見なければ安心できないのであろう。

 友だちはみなE子の犬気違いを笑っていたが、そのうちにだんだんE子の感化を受け、E子の真似をしておべんとうの残りを犬にわけてやるようになったのである。こうして近所の野良犬たちは、ここの教室が食料の豊富なことを知って来るようになったのである。三匹のチョビたちはいつもE子の座席の近くに陣取って動かず、もう決して小使部屋へ行かなくなった。こうして三匹のチョビは、いつのころからかE子の教室の犬となってわがもの顔にそこに住み、E子が進級して教室が変るとE子といっしょに犬たちも進級するのである。


(4)


 先生たちも犬の三匹ぐらい教室の片隅にいることは問題にしないが、それでも素性の知れないのが六七匹にもなるとさすがに邪魔になると見えて小使に命じて処理させると、小使はもとからいるチョビたちはそのままにして、ほかの野良犬を犬取りに渡して犬の数を少くするが、すぐそのあとから別の野良犬が以前と同じぐらいの数だけ集って来るのである。

 なかには犬の嫌いな先生もいて、犬を追い出そうとするが、犬どもはどうしても教室から立ち退かない。そういう場合にはE子が席を立って教室を出ると、犬は三匹のチョビをはじめみんなE子のあとについてゾロゾロと出てしまう。E子だけが急いで席にもどってドアを閉め切る。犬は是非なく校庭のどこかにこの時間を過しているらしい。そうして次の時間にはまた隙を見つけて生徒たちといっしょに教室に来ている。

 はじめは教室の床に臥ていたのが、そのうちに欠席している生徒の席の上に乗っかって座ったりしはじめた。先生も生徒も犬の学生を見ておもしろがっている。というのは、犬は案外おとなしくわき見もしないで先生の講義に聞き入っているからである。

「この間などは」とM子が言う。「イタ先生の……

「イタ先生と言うのは何だ? 板谷先生とか板垣先生とか……

「ちがうわよ、社会の先生で、まるっこい顔がイタチに似ているとだれかが言い出して、イタチというアダ名だけれど、イタチでは悪いから、イタ先生と言うのよ」

「ふうむ、イタチの講義を犬が聴いている図はおもしろいね」

「その時間は、みんながわき見をしたり、ガヤガヤとおしゃべりをしてやかましかったので、

『僕の講義を聴いているのは犬ばかりではないか』

とイタ先生に叱られてしまったの」

 犬は教室で邪魔になるどころか、これでは模範生みたいなものである。

 一たい犬や狼の類は猫などの孤立して生きる動物とは違って群居する種族で、それぞれの群にはそれぞれの指導者がいて、これに従って行動する習性があると言われているが、家畜になってからは、人間を指導者にしているわけで、この教室にあってはE子が一群の犬たちの指導者に仰がれているばかりか、犬の取扱い方でも生徒一同の指導者になっているというわけのようである。


(5)


 E子というのはM子の話によると、風貌も美しく人柄も上品でかわいらしいし、学問もよくできるというのだが、よほど変った性格と見えた。

 或る朝、ぷりぷりしながら登校したと思ったら、

「わたしこんなに犬が好きでかわいがっているのに、犬の方ではそれがわからないと見えて、どこかの犬がきのういきなり、わたしに飛びかかって来てわたしのお尻にかぶりついたのよ、いいえ狂犬ではないというから大丈夫だけど。狂犬でもないだけに、わたし口惜しくて口惜しくて、これ見てちょうだい」

 と言うかと思うといきなり、とめるひまもなくスカートをまくり上げてお尻を出して見せる。なるほど犬の歯型が少しばかり傷になって白いお尻に赤く残っている。

「もうわかったわ。早くお尻をしまっておしまい、女の子がそんなにお尻なんか出して見せるものではないわよ」

 といつまでもお尻をつき出している当のE子より、みんなの方が顔を赤らめて顔を見合せながら口々にE子をたしなめるが、E子はまだ、

「口惜しくって口惜しくって」

 をくり返している。そこでM子が弟のNのことを思い出した。

「犬ってよくそんなことがあるらしいのね。うちの弟も犬が大好きなのに、二度もお尻をかじられたことがあるの。それでもまだこりないで知らない犬とふざけるの。ちょうどE子のと同じぐらいの傷になっていたわ。やはり狂犬病の犬でも何でもなかったの。なんかふざけている拍子に昂奮してついうっかりかじってしまうのではないの? 本当に噛む気ではなくってさ。やっぱり親しみを現わしたつもりではないのかしら」

 E子はM子のこの言葉でいくらかきげんをなおした様子で、急いでスカートをおろしながら、てれくさそうに笑っていた。

 この間もM子の愛猫ミミーが、めったに家から出たこともないのに、どうしたかげんであったか、三日も家をあけたまま姿を見せないので、みんなが大騒ぎをし、M子もE子にその心配を打ち明けたが、その後二日経ってミミーは帰って来たので、そのことを話すと、

「そう、よかったわね、そうしてどこへ行っていたと言った?」

 とE子はまるで人間も犬や猫も同じように考えているようなことを言ったのは、M子にはおかしくて仕方がなかったという。


(6)


 みんなで犬を飼っているせいというのでもあるまいが、このクラスはみんな気がそろって全級、非常に仲がよく、できるだけ長くみんなでいっしょにいたいという希望がみんな口に出さないうちに心のなかにはある様子であるが、三年の二学期になったころ、学校を卒業したら、みんな揃ってX百貨店のニューヨーク支店に集団就職しようと言い出した者があって、一時は全級五十人の大半がそのブームに巻き込まれていたものであった。

 それというのもクラスのF子というのは某百貨店の重役の娘で、その子の兄が今は東京本店の呉服部の主任をしているが、そのうちに今度新設したニューヨークの支店長になるはずで、その時にはF子はニューヨークの店員になって行くから、その時はみんなもいっしょに連れて行くと言ったとH子が言い出したのが、このブームの起りなのであった。

 しかしH子の話ではあまりあてにはならないというのでE子が直接F子に聞くと、F子は当惑したような顔をしただけで、あまりはっきりした返事をしない。そこでE子は、

「じゃあ、やっぱりH子がでたらめを言ったのね?」

「いいえ」とF子はおっとりとかぶりを振って「H子もわたしもでたらめや嘘を言ったのではないの。ニューヨークへ来られるようにしてあげるから、よく英語の勉強をしなさいって、ひとりではつまらないと言うとみんなで来てもいいと言ったのよ。でもお兄さんがニューヨークの支店長になったらという前提があるので、お兄さんがきっとニューヨークの支店長になるとはきまっているわけではないもの。夢のような話だわ。お兄さんはわたしに英語の勉強をするようにとそんなことを言ったのかも知れないわ。わたしもH子にはそんな話もあるから勉強しましょうと言ったの」

 が、はじまりだとわかった。

「ナーンダ」

 と全級は失望したが、これではじめてH子もF子も誰も嘘を言ったのではなかったという真相が明らかになった。F子の兄さんだって決してでたらめを言ったのではあるまい。ただその人の抱いている夢を妹に語ったのが、その妹の夢となり、夢は大きく波紋を描いてこの女子高校の全級にひろがり被っていただけのことであった。

 まことにはなやかにしかしあっけない夢であった。しかしこの夢にも、また夢の効用がまるでなかったわけではない。この学年間に全級生徒の英語の学力が急に進み、平均して五六点以上も成績が上っている理由については、先生にもまるで見当がつかなかった。


(7)


 チョビたちは校庭の主だから、風のあたらない日だまりをよく知っていて、いち早く草の萌え出すところへ来て集る。

 E子をはじめクラスの仲間も放課後はここに来て若草を藉き、犬を中心に大きな円陣を二重にも三重にもつくって早春の日を浴びて遊ぶのであった。

 愉快な教室の生徒たちも、もう三学年も学年末に近づこうとしているのである。

 しかしF子の兄さんがニューヨークの支店長になったという話はまだ聞かない。

「チョビさんたちはいいね。うらやましいよ。いっしょにお講義は聞いても、試験を受けないで卒業できるのだから」

 と言ったのは、もし落第すれば退学させて料理屋をしている叔母さんの店へ女中奉公に出すと言われているというB子であった。するとE子は、

「卒業すれば、チョビたちともお別れだ。今のうちによくかわいがって置いてやろう」

 と言いながら、カラのべんとう箱をかかえて食堂の方へすっとんで行く。三匹のチョビたちはいっさんにあとを追う。それを見送りながら、

「また牛乳を買って飲ませようというのだよ」

「おべんとう箱のふたで犬に牛乳を飲ますことは、とうとうやめなかったわね」

 などと言っているところへ、掃除当番でここにいなかったH子がここへ駆け寄りながら、ぐるりと見わたして、

「ニュース、ニュース、大ニュースよ。E子いない? わたし今朝電車の窓から見たわ、E子が、ボーイフレンドといっしょに田町の駅からにこにこ出て来るところを見かけたわ。昨日もよ」


昨日も今日も君と来る

田町の駅は楽しいね

春浅くしてわか草も


 と歌い出したクラスの若い即興詩人はあとがうまくつづかないのか尻切れとんぼでやめてしまった。

 犬を先頭にしてE子が帰って来た。

 M子はE子が芝中に通学している弟とふたりで逗子から通学しているとかねて聞き知っていたので、

「E子、ボーイフレンドと田町の駅から出て来るところを、昨日も今日も見かけたと問題になっているわよ」

「そう」とE子は立ったままでM子を見おろし「昨日もおとついも今日も明日もよ。お気の毒さま、あれはここの中学に入れないで芝中に行っている愚弟なのよ」

「でも愚弟さんとは見えないわ。背たけだってずっと大きいし、第一顔立ちが違っていたもの」

「あたりまえよ。男の子だもの、あれでもフットボールの選手だもの。ボーイフレンドなら、もっとらしい気の利いたのを択びますよ」

 とE子は早口で一息に言ってのけると、みんなを一わたり見渡し、口調を改めて言いはじめた――

「そんなことを言う人は誰だか知らないけれど、きっとボーイフレンドをほしい人なのでしょう。羨しがらないで正直におっしゃい。ボーイフレンドがほしいのなら、逗子へいらっしゃい。不良でわたしを追っかけまわすのが二人いるから、いつでも紹介してあげるわ。ボーイフレンドなどあたしに用はない。野良犬の方がずっといいわ」

 とE子はいかにもE子らしいことを言う。周囲から拍手が起った。M子もボーイフレンドよりはE子の方が好もしいような気がして拍手した。拍手のなかから誰やらが、

「ほんとうにボーイフレンドがあるくらいなら、E子も犬とキスしたり、お尻をつき出したりなどはしなくなるわね」

 と言ったそのとたん拍手は笑声に変った。そのはなやかな笑い声の合唱に合わせるかのように、三匹のチョビが一度に吠え立てはじめた。まことににぎやかなことであった。B子だけがただひとり浮かぬ顔をして草を見つめている。

 午後三時すぎの早春の日ざしが、さんさんと犬と少女との一団のうちに明るく降りそそいでいる。

 折から職員室の方から出てラケットを振り振り、コートの方へは行かないで、草上の一団を目ざして近づいて来るらしい人がある。これを遠眼に見た一同は、

「イタチが来るよ」

「イタチが来るよ」

 と囁き交している。

 イタ先生が来て、

「だいぶんにぎやかで楽しそうだね」

 と言いかけたころには、先生の見たものは蜃気楼か何かでもあったかのように、一団はもうどこへやら、雲か霞のように散らばってしまっていた。別に逃げかくれしたわけではなく、もうそろそろ退散の時刻になっていたので、自然とちりぢりに引き揚げて行ったのである。

 先生は不満げにコートのある方へ足を向けて行った。

 校庭を出た生徒たちは三三五五、なかには帰りがけに、いつもきまった坂の上あたりで行き逢う焼芋屋に出会ってE子はドロシーのおみやげを、M子は帰宅後のお茶受を仕入れているのもいる[#「のもいる」はママ]。

 校庭はひっそりとして、西に傾いた日ざしのなかで、犬はあちらこちらと少女たちのにおいをかぎ求めて教室にも行ってみるが、人影一つなく、最後にあきらめて、犬は犬同士で半ばは枯れ半ばは萌えた草の上でじゃれころがっているばかりであった。やがて、落日はこの台地の下に赤く沈んだ。




底本:「定本 佐藤春夫全集 第35巻」臨川書店2001(平成13)年49日初版発行

底本の親本:「マドモアゼル 第一巻第五号」小学館1960(昭和35)年51日発行

初出:「マドモアゼル 第一巻第五号」小学館1960(昭和35)年51日発行

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2022年12月10日

『詩集夏花』伊東静雄

『詩集夏花』伊東静雄


【目次】

砂の花

夢からさめて

蜻蛉

夕の海

いかなれば

決心

朝顔

八月の石にすがりて

水中花

自然に、充分自然に

夜の葦

燈台の光を見つつ

野分に寄す

若死

沫雪

笑む稚児よ……

早春

孔雀の悲しみ

夏の嘆き

疾駆



おほかたの親しき友は、「時」と「さだめ」の酒さかつくり搾り出だしし一いちの酒。見よその彼等酌み交す円居まどゐの杯つきのひとめぐり、将たふためぐり、さても音なくつぎつぎに憩ひにすべりおもむきぬ。


友ら去りにしこの部屋に、今夏花の新よそほひや、楽しみてさざめく我等、われらとて地つちの臥所ふしどの下びにしづみ

おのが身を臥所とすらめ、誰がために。

森亮氏訳「ルバイヤツト」より



 燕


門の外との ひかりまぶしき 高きところに 在りて 一羽

燕ぞ鳴く

単調にして するどく 翳りなく

あゝ いまこの国に 到り着きし 最初の燕ぞ 鳴く

汝 遠くモルツカの ニユウギニヤの なほ遥かなる

彼方の空より 来りしもの

翼さだまらず 小足ふるひ

汝がしき鳴くを 仰ぎきけば

あはれ あはれ いく夜凌げる 夜よの闇と

羽はねうちたたきし 繁き海波を 物語らず

わが門の ひかりまぶしき 高きところに 在りて

そはただ 単調に するどく 翳りなく

あゝ いまこの国に 到り着きし 最初の燕ぞ 鳴く



 砂の花 富士正晴に


松脂は つよくにほつて

砂のご門 砂のお家

いちんち 坊やは砂場にゐる


黄色い つはの花 挿して

それが お砂の花ばたけ

… … … … … … … … … … … … …


地から二尺と よう飛ばぬ

季節おくれの もんもん蝶

よろめき縋る 砂の花


坊やはねらふ もんもん蝶

… … … … … … … … … … … … …

その一撃に


花にうつ俯す 蝶のいろ

あゝ おもしろ

花にしづまる 造りもの


「死んでる? 生きてる?」

… … … … … … … … … … … … …


松脂は つよくにほつて

いちんち 坊やは砂場にゐる



 夢からさめて


この夜更に、わたしの眠をさましたものは何の気配か。

硝子窓の向ふに、あゝ今夜も耳原御陵の丘の斜面で

火が燃えてゐる。そして それを見てゐるわたしの胸が

何故とも知らずひどく動悸うつのを感ずる。何故なぜとも知らず?

さうだ、わたしは今夢をみてゐたのだ、故里の吾古家のことを。

ひと住まぬ大き家の戸をあけ放ち、前栽に面した座敷に坐り

独りでわたしは酒をのんでゐたのだ。夕陽は深く廂に射込んで、

それは現の日でみたどの夕影よりも美しかつた、何の表情もないその冷たさ、透明さ。

そして庭には白い木の花が、夕陽の中に咲いてゐた

わが幼時の思ひ出の取縋る術すべもないほどに端然と……

あゝこのわたしの夢を覚したのは、さうだ、あの怪しく獣めく

御陵の夜鳥の叫びではなかつたのだ。それは夢の中でさへ

わたしがうたつてゐた一つの歌の悲しみだ。


かしこに母は坐したまふ

紺碧の空の下した

春のキラめく雪渓に

枯枝を張りし一本の

木こ高き梢

あゝその上にぞ

わが母の坐し給ふ見ゆ



 蜻蛉


無邪気なる道づれなりし犬の姿

何処に消えしと気付ける時

われは荒野の尻しりに立てり。


其の野のうへに

時明してさ迷ひあるき

日の光の求むるは何の花ぞ。


この問ひに誰か答へむ。弓弦断たたれし空よ見よ。

陽差のなかに立ち来つつ

振舞ひ著るし蜻蛉あきつのむれ。


今ははや悲しきほどに典雅なる

荒野をわれは横ぎりぬ。



 夕の海


徐しづかで確実な夕闇と、絶え間なく揺れ動く

白い波頭とが、灰色の海面から迫つて来る。

燈台の頂いたゞきには、気付かれず緑の光が点される。


それは長い時間がかゝる。目あてのない、

無益な予感に似たその光が

闇によつて次第に輝かされてゆくまでには――。


が、やがて、あまりに規則正しく回転し、倦うむことなく

明滅する燈台の緑の光に、どんなに退屈して

海は一晩中横はらねばならないだらう。



 いかなれば


いかなれば今歳ことしの盛夏のかがやきのうちにありて、

なほきみが魂にこぞの夏の日のひかりのみあざやかなる。


夏をうたはんとては殊更に晩夏の朝かげとゆふべの木末をえらぶかの蜩の哀音を、

いかなればかくもきみが歌はひびかする。


いかなれば葉広き夏の蔓草のはなを愛して曾てそをきみの蒔かざる。

曾て飾らざる水中花と養はざる金魚をきみの愛するはいかに。



 決心 「白の侵入」の著者、中村武三郎氏に


重々しい鉄輪の車を解放されて、

ゆふぐれの中庭に、疲れた一匹の馬がたゝずむ。

そして、轅は凝つとその先端を地に著けてゐる。


けれど真の休息きうそくは、その要のないものの上にだけ降りる。

そしてあの哀れな馬の

見るがよい、ふかく何かに囚とらはれてゐる姿を。


空腹で敏感になつたあいつの鼻面が

むなしく秣槽をけの上で、いつまでも左右に揺れる。

あゝ慥に、何かがかれに拒せてゐるのだ。


それは、疲れといふものだらうか?

わたしの魂よ、躊躇はずに答へるがよい、お前の決心。



 朝顔 辻野久憲氏に


去年の夏、その頃住んでゐた、市中の一日中陽差の落ちて来ないわが家やの庭に、一茎ひとくきの朝顔が生ひ出でたが、その花は、夕の来るまで凋むことを知らず咲きつづけて、私を悲しませた。その時の歌、


そこと知られぬ吹上げの

終夜せはしき声ありて

この明け方に見出でしは

つひに覚めゐしわが夢の

朝顔の花咲けるさま


さあれみ空に真昼過ぎ

人の耳には消えにしを

かのふきあげの魅惑はしに

己わが時逝きて朝顔の

なほ頼みゐる花のゆめ



 八月の石にすがりて


八月の石にすがりて

さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。

わが運命さだめを知りしのち、

たれかよくこの烈しき

夏の陽光のなかに生きむ。


運命? さなり、

あゝわれら自から孤寂なる発光体なり!

白き外部世界なり。


見よや、太陽はかしこに

わづかにおのれがためにこそ

深く、美しき木蔭をつくれ。

われも亦、


雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて

青みし狼の目を、

しばし夢みむ。



 水中花


水中花と言つて夏の夜店に子供達のために売る品がある。木のうすい/\削片を細く圧搾してつくつたものだ。そのまゝでは何の変哲もないのだが、一度水中に投ずればそれは赤青紫、色うつくしいさまざまの花の姿にひらいて、哀れに華やいでコツプの水のなかなどに凝としづまつてゐる。都会そだちの人のなかには瓦斯燈に照しだされたあの人工の花の印象をわすれずにゐるひともあるだらう。


今歳ことし水無月みのなどかくは美しき。

軒端のきばを見れば息吹のごとく

萌いでにける釣しのぶ。

忍べき昔はなくて

何なにをか吾の嘆きてあらむ。

六月ろくぐわつの夜よと昼のあはひに

万象のこれは自から光る明るさの時刻。

遂ひ逢はざりし人の面影

一茎の葵ひの花の前に立て。

堪へがたければわれ空に投げうつ水中花。

金魚の影もそこに閃きつ。

すべてのものは吾にむかひて

死ねといふ、

わが水無月のなどかくはうつくしき。



 自然に、充分自然に


草むらに子供はもがく小鳥を見つけた。

子供はのがしはしなかつた。

けれども何か瀕死に傷いた小鳥の方でも

はげしくその手の指に噛みついた。


子供はハツトその愛撫を裏切られて

小鳥を力まかせに投げつけた。

小鳥は奇妙につよく空くうを蹴り

翻り 自然にかたへの枝をえらんだ。


自然に? 左様 充分自然に!

――やがて子供は見たのであつた、

礫こいしのやうにそれが地上に落ちるのを。

そこに小鳥はらく/\と仰けにね転んだ。



 夜の葦


いちばん早い星が 空にかがやき出す刹那は どんなふうだらう

それを 誰れが どこで 見てゐたのだらう


とほい湿地のはうから 闇のなかをとほつて 葦の葉ずれの音がきこえてくる

そして いまわたしが仰見るのは揺れさだまつた星の宿りだ


最初の星がかがやき出す刹那を 見守つてゐたひとは

いつのまにか地を覆うた 六月の夜の闇の余りの深さに 驚いて

あたりを透かし 見まはしたことだらう


そして あの真暗な湿地の葦は その時 きつとその人の耳へと

とほく鳴りはじめたのだ



 燈台の光を見つつ


くらい海の上に 燈台の緑のひかりの

何といふやさしさ

明滅しつつ 廻転しつつ

おれの夜を

ひと夜 彷徨ふ


さうしておまへは

おれの夜に

いろんな いろんな 意味をあたへる

嘆きや ねがひや の

いひ知れぬ――


あゝ 嘆きや ねがひや 何といふやさしさ

なにもないのに

おれの夜を

ひと夜

燈台の緑のひかりが 彷徨ふ



 野分に寄す


野分のわきの夜半よはこそ愉しけれ。そは懐しく寂しきゆふぐれの

つかれごころに早く寝入りしひとの眠りを、

空しく明くるみづ色の朝につづかせぬため

木々の歓声とすべての窓の性急なる叩のつくもてよび覚ます。


真に独りなるひとは自然の大いなる聯関のうちに

恒つねに覚めゐむ事を希ねがふ。窓を透すかし眸ひとみは大海の彼方を待望まねど、

わが屋やを揺するこの疾風ぞ雲ふき散りし星空の下もと、

まつ暗き海の面に怒れる浪を上げて来し。


柳は狂ひし女をんなのごとく逆しまにわが毛髪まうはつを振りみだし、

摘まざるままに腐りたる葡萄の実はわが眠り目覚むるまへに

ことごとく地に叩きつけられけむ。

篠懸すゞかけの葉は翼撃たれし鳥に似て次々に黒く縺れて浚はれゆく。


いま如何ならんかの暗き庭隅にはすみの菊や薔薇や。されどわれ

汝らを憐まんとはせじ。

物もの皆みなの凋落の季節をえらびて咲き出でし

あはれ汝らが矜高かる心には暴風もなどか今さらに悲しからむ。


こころ賑かな。ふとうち見たる室内しつないの

燈ともしびにひかる鏡の面にいきいきとわが双さうの眼燃ゆ。

野分のわきよさらば駆けゆけ。目とむれば草くさ紅葉すとひとは言へど、

野はいま一色に物悲しくも蒼褪ざめし彼方かなたぞ。



 若死 N君に


大川おの面にするどい皺がよつてゐる。

昨夜の氷は解けはじめた。

アロイヂオといふ名と終油とを授かつて、

かれは天国へ行つたのださうだ。


大川はは張つてゐた氷が解けはじめた。

鉄橋のうへを汽車が通る。

さつきの郵便でかれの形見がとゞいた、

寝転んでおれは舞踏といふことを考へてゐた時。


しん底冷え切つた朱色の小匣の、

真珠の花の螺鈿らでん。

若死をするほどの者は、

自分のことだけしか考へないのだ。


おれはこの小匣を何処に蔵つたものか。

気疎といアロイヂオになつてしまつて……

鉄橋の方を見てゐると、

のろのろとまた汽車がやつて来た。



 沫雪 立原道造氏に


冬は過ぎぬ 冬は過ぎぬ。匂ひやかなる沫雪あわゆきの

今朝けさわが庭にふりつみぬ。籬枯生まがきかれふはた菜園のうへに

そは早き春の花はなよりもあたたかし。


さなり やがてまた野いばらは野に咲き満みたむ。

さまざまなる木草の花は咲きつがむ ああ その

まつたきひかりの日にわが往きてうたはむは何処の野べ。


…… いな いな …… 耳傾けよ。

はや庭をめぐりて競きそひおつる樹々のしづくの

雪解のせはしき歌はいま汝なれをぞうたふ。


 笑む稚児よ……


笑ゑむ稚児よわが膝に縋がれ

水脈ををつたつて潮うしほは奔り去れ

わたしがねがふのは日の出ではない

自若として鶏鳴をきく心だ

わたしは岩の間を逍遙よひ

彼らが千の日の白昼を招くのを見た

また夕べ獣は水の畔に忍ぶだらう

道は遙に村から村へ通じ

平然とわたしはその上を往ゆく



 早春


野は褐色と淡い紫、

田圃の上の空気はかすかに微温い。

何処から春の鳥は戻る?

つよい目と

単純な魂と いつわたしに来くる?


未まだ小川は唄ひ出さぬ、

が 流れはときどきチカチカ光る。

それは魚鱗?

なんだかわたしは浮ぶ気がする、

けれど、さて何を享ける?



 孔雀の悲しみ 動物園にて


蝶はわが睡眠の周囲を舞ふ

くるはしく旋回の輪はちぢまり音もなく

はや清涼剤をわれはねがはず

深く約せしこと有れば

かくて衣光りわれは睡りつつ歩む

散らばれる反射をくぐり……

玻璃なる空はみづから堪へずして

聴け! われを呼ぶ



 夏の嘆き


われは叢くさむらに投げぬ、熱き身とたゆき手足を。

されど草いきれは

わが体温よりも自足し、

わが脈搏は小川の歌を乱しぬ。


夕暮よさあれ中なかつ空に

はや風のすずしき流れをなしてありしかば、

鵲かさゝぎの飛翔の道は

ゆるやかにその方角をさだめられたり。


あゝ今朝わが師は

かの山上に葡萄を食しつつのたまひしか、

われ縦令たとひ王者にえらばるるとも

格別不思議に思はざるべし、と。



 疾駆


われ見てありぬ

四月の晨あした

とある農家の

厩口うまやぐちより

曳出さるる

三歳駒を


馬のにほひは

咽喉をくすぐり

愛撫求むる

繁き足蹈

くうを打つ尾の

みだれ美し


若者は早

鞍置かぬ背に

それよ玉揺

わが目の前を

脾腹光りて

つと駆去りぬ


遠嘶なゝきの

ふた声みこゑ

まだ伸びきらぬ

穂麦の末に

われ見送りぬ

四月の晨



「詩集 わがひとに与ふる哀歌」日本図書

(詩集夏花」子文書房 1940(昭和15)年315日発行


「凡例」

「漢字は原則として新字体に改めた。ただし、一部に見られる正字と略字(俗字)が併用されている漢字は正字(旧字体)を生かしたものもある。」

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2022年12月04日

◎追悼・宮谷一彦「激情の魂」●アックスVol.149

20221031日発行

定価(本体1000+)

表紙/宮谷一彦

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◎追悼・宮谷一彦「激情の魂」

・追悼コメント/赤田祐一、浅川満寛、飯田耕一郎、竹熊健太郎、ダーティ・松本、戸田利吉郎、並木智子、根本敬、早見純、松本品子、村上知彦、森田敏也、湯浅学、吉田保

・マンガ/「あにおとうと」宮谷一彦

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「望みがあるならパワーだぜ!」 三本義治

隔月蛭子劇画プロダクション社内報80「呼ばれたら?あぁ、俺は大丈夫」 蛭子能収(社長)、根本敬、マスク・ベビー

BLUE BELL KNOLL」 清水沙

「ぶどう園物語」11 ツージーQ

「ソファ幽霊」 高橋つね

「スローシナリオ」3 モリノダイチ

「月刊どうすれば」5 堀道広

「クラチの最後のノート」 具伊井戸夫

「アサガオと大透翅」 佐藤義昭

Finnegans Fake(フィネガンズ フェイク)44 山崎春美

「孤島第7話 回想」 工藤正樹

「うみのきさき」 よるのなおこ

「哀愁劇場」143 東陽片岡

「メシアの海」61 菅野修

「恐怖のコマ枠の襲撃」 駕籠真太郎

「山のアナタ」 松田光市

「黒山羊の陰謀」 まどの一哉

「求道くん」32 ツギノツギオ

Creep 8 」 神村篤

Kappa focus131 Mista Gonzo & Gangrock For Kappa Sh_t Productions


「新・日本の殺人者」149 蜂巣敦

「マンガ三面鏡」63 藤本由香里

「いずみ荘20760 吉泉知彦

「ふんどしのはらわた」143 杉作J太郎

「ル・デルニエ・クリの人びと」56 アート倉持

「どどいつ文庫の、やっぱりどどでもよかつた。。」53 どどいつ文庫

「塗れない ぬりえを 塗るんだぜ」51 あきやまみみこ

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 「俺たちの季節」などで知られる漫画家の宮谷一彦(みやや・かずひこ、本名・淵上一〈ふちがみ・はじめ〉)さんが6月28日に死去した。76歳だった。

 1967年、雑誌「COM」でデビュー。密度の濃い絵と先鋭的な作風で少年誌や劇画誌で活躍した。代表作は「俺たちの季節」「ライク ア ローリング ストーン」「性蝕記」など。

 関係者によると、6月28日、千葉県内の自宅で倒れているところを発見されたという。

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2022年12月02日

「アックス」美学校の特集号

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現代思潮社主宰の頃は「美術手帖」でも現代芸術の先端の試練の場として特集された。神田神保町を歩けば、『月刊漫画ガロ』編集部のあった青林堂が数分であった。それだけに人間の裾野が広がっていたのが美学校の特色だと思う。美学校が培ってきたのは多くの分野にあったことはカリキュラムを一望すれば分かる。


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「千円札裁判懇談会」の関係者たちが美学校発足の関わっているくらいは、編集者として押さえて頂きたかった。現代思潮社の川仁宏が千円札裁判事務局長になり、瀧口修造、中原佑介、針生一郎、高松次郎、中西夏之、石子順造、大島辰雄、羽永光利、今泉省彦さんらが支援された。

当時高校生だった自分が関心あった「ハイレッド・センター」による山手線事件、シェルタープラン、首都圏清掃整理促進運動などをやった本人たちがいる空間とは夢のような日々であった。


「美学校」初代事務局長にして、「千円札裁判」関係者の今泉省彦さんによる、現代芸術の激励時代のとても貴重な記録です。

〈絵描き共の変てこりんなあれこれの前説12-16

https://www.asahi-net.or.jp/~ee1s-ari/imaizumi3.html

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2022年11月19日

『金環日蝕』阿部暁子(東京創元社)

輪郭は強烈な輝きを放っているのに、彼の中心は闇に沈み、謎めいたまま――

ひったくりの犯人を突きとめた。

事件はそれで終わらなかった。

私たちは、ある男が歩んだ道を

辿り直すことになる。

〈犯罪と私たち〉を真摯に描く、実力派作家、渾身の新境地。


知人の老女がひったくりに遭う瞬間を目にした大学生の春風は、その場に居合わせた高校生の錬とともに咄嗟に犯人を追ったが、間一髪で取り逃がす。犯人の落とし物に心当たりがあった春風は、ひとりで犯人捜しをしようとするが、錬に押し切られて二日間だけの探偵コンビを組むことに。かくして大学で犯人の正体を突き止め、ここですべては終わるはずだったが――。

《本の雑誌》が選ぶ2020年度文庫ベスト101位『パラ・スター』の著者が贈る、〈犯罪と私たち〉を描いた壮大なミステリ。


阿部 暁子 あべ あきこ

岩手県出身。『陸の魚』で雑誌Cobalt短編小説新人賞に入選。『いつまでも』で2008年度ロマン大賞受賞。集英社オレンジ文庫に『鎌倉香房メモリーズ』シリーズ(全5冊)、『どこよりも遠い場所にいる君へ』コバルト文庫に『屋上ボーイズ』、ノベライズ『ストロボ・エッジ』『アオハライド』シリーズがある。

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2022年11月06日

『アックス』「解放と発見の場!美学校が示す表現の楽しみ」

 美学校OB&講師の南伸坊さん、久住昌之さん、根本敬さん、堀道広さんの四名による座談会や歴代卒業生のコメント、そして卒業生のロビン・ヴァイヒャートさん、まどの一哉さん、松田光一さん、堀道広さんの漫画が掲載されています。

 

アックス Vol.148

表紙/根本敬・写真/井上則人

 

◎特集:「解放と発見の場 美学校が示す表現の楽しみ」

 

OB座談会/南伸坊、久住昌之、根本敬、堀道広

 

・コメント/アヤ井アキコ、和泉晴紀、井上則人、皆藤将、河内遙、久住卓也、末井昭、平口広美、松田光市、まどの一哉、夜野ムクロジ

 

・マンガ/ロビン・ヴァイヒャート

 

「市場の片隅で」 まどの一哉

「アンダープラネット」 仲能健児

「スローシナリオ」モリノダイチ

「孤島第6話 絶望」 工藤正樹

「セミナー」 松田光市

「青光ユロージヴィ」 清水沙

「空間における連続性の唯一の形態」 駕籠真太郎

「お弁当」 鈴木ミロ

Re: 飯田舞

「求道くん」31 ツギノツギオ

「つまみ食い」 ESDRO

10万円がやってきた日」 具伊井戸夫

Finnegans Fake(フィネガンズ フェイク)」43 山崎春美

「活動と命」 安部慎一

隔月蛭子劇画プロダクション社内報79「家庭内北朝鮮偉大なるオナラ同志に万歳!」  蛭子能収(社長)、根本敬、マスク・ベビー

「さびたとびら」 三本義治

「メシアの海」60  菅野修

「めだかのこ」7  若草ヒヨス

「月刊どうすれば」堀道広

「いずみ荘20758 吉泉知彦

「哀愁劇場」142  東陽片岡

「現代人の情事情〜止まらない性欲」  岡田衛

「ぶどう園物語」10  ツージーQ

Kappa focus130 Mista Gonzo & Gangrock For Kappa Sh_t Production

「ル・デルニエ・クリの人びと」55 アート倉持

「ふんどしのはらわた」142 杉作J太郎

「いずみ荘20759 吉泉知彦

「新・日本の殺人者」148 蜂巣敦

「マンガ三面鏡」62  呉智英

「あさりとはまぐり」57  湯浅学

「どどいつ文庫の、やっぱりどどでもよかつた。。」52  どどいつ文庫

「塗れない ぬりえを 塗るんだぜ」50  あきやまみみこ

 

http://www.seirinkogeisha.com

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2022年11月04日

『卵の形』寺田寅彦

卵の形


寺田寅彦



 卵形といえば一方が少し尖った長円い形にきまったようなものであるが稀には円形の卵もある、亀、梟などがその例である。また鵜つぶりの卵などはほとんど両端の丸みが同じで楕円形をしている。しかし一般にはほとんどいわゆる卵形で一方が尖っている。特に著しいのは千鳥や海鴨などのである。

 こんな風に卵が色々の形をしているのは何故だろうと物好きな学者は研究したものである。先ず自然淘汰の結果として説明するものが多い。例えば海雀の卵は多く絶壁の岩の上に産まれるので円錐形に尖ったのの外は岩から転げ落ちてしまうと考えられている。また片方の尖っている方が親鳥の腹の下へ沢山詰め込むのに都合がよいからだという説もある。

 ところが近頃この事について斬新な力学的の方面から説明を試みた人がある。一体卵が産み出さるる前にどんな道筋を経て来るかというに、始め卵黄だけが輸卵管へ出て来ると、そこで白味が来て取り巻く、これに膜が出来てその上に殻が分泌され管から押し出されるうちに固まってしまう。かくのごとく卵が出来上がるまでには管の内側から始終に圧迫を受けている。管壁の摩擦に打勝って卵を押し出すために卵の後方の環状筋を断えず収縮して卵殻を圧しつける。それだから輸卵管の割に卵が大き過ぎるほど圧迫が烈しいので卵の後方が小さく尖って来る。とこういう考えで力学的の数式をもって卵の形を現わし、種々の場合を詳論している。

 こんな議論が実用上どういう価値があるかは分りにくいが、ただ生物界の現象を説明するに力学を応用するようになった率先者の一人としてここに御紹介するその学者の名はダルシー・ウェントウォース・トムソンという。この論文は去る四月ロンドンの動物学会で述べたものである。

(明治四十一年八月二十六日『東京朝日新聞』)

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2022年10月28日

「天使と子供」ランボオ

「天使と子供」ランボオ

ながくは待たれ、すみやかに、忘れ去られる新年の子供等喜ぶ元日の日も、茲に終りを告げてゐた!

熟睡の床に埋もれて、子供は眠る

羽毛しつらへし揺籠に

音の出るそのお舐子は置き去られ、

子供はそれを幸福な夢の裡にて思ひ出す

その母の年玉貰つたあとからは、天国の小父さん達からまた貰ふ。

笑ましげの脣そと開けて、唇を半ば動かし

神様を呼ぶ心持。枕許には天使立ち、

子供の上に身をかしげ、無辜な心の呟きに耳を傾け、

ほがらかなそれの額の喜びや

その魂の喜びや。南の風のまだ触れぬ

此の花を褒め讃へたのだ。


此の子は私にそつくりだ、

空へ一緒に行かないか! その天上の王国に

おまへが夢に見たといふその宮殿はあるのだよ、

おまへはほんとに立派だね! 地球住ひは沢山だ!

地球では、真の勝利はないのだし、まことの幸を崇めない。

花の薫りもなほにがく、騒がしい人の心は

哀れなる喜びをしか知りはせぬ。

曇りなき怡びはなく、

不慥かな笑ひのうちに涙は光る。

おまへの純な額とて、浮世の風には萎むだらう、

憂き苦しみは蒼い眼を、涙で以て濡らすだらう、

おまへの顔の薔薇色は、死の影が来て逐ふだらう。

いやいやおまへを伴れだつて、私は空の国へ行かう、

すればおまへのその声は天の御国の住民の佳い音楽にまさるだらう。

おまへは浮世の人々とその騒擾を避けるがよい。

おまへを此の世に繋ぐ糸、今こそ神は断ち給ふ。

ただただおまへの母さんが、喪の悲しみをしないやう!

その揺籃を見るやうにおまへの柩も見るやうに!

流る涙を打払ひ、葬儀の時にもほがらかに

手に一杯の百合の花、捧げてくれればよいと思ふ

げに汚れなき人の子の、最期の日こそは飾らるべきだ!


いちはやく天使は翼を薔薇色の、子供の脣に近づけて、

ためらひもせず空色の翼に載せて

魂を、摘まれた子供の魂を、至上の国へと運び去る

ゆるやかなその羽搏きよ……揺籃に、残れるははや五体のみ、なほ美しさ漂へど

息づくけはひさらになく、生命絶えたる亡骸

なきがらよ。

そは死せり!……さはれ接唇脣の上へ

に、今も薫れり、

笑ひこそ今はやみたれ、母の名はなほ脣の辺

に波立てる、

臨終の時にもお年玉、思ひ出したりしてゐたのだ。

なごやかな眠りにその眼は閉ぢられて

なんといはうか死の誉れ?

いと清冽な輝きが、額のまはりにまつはつた。

地上の子とは思はれぬ、天上の子とおもはれた。

如何なる涙をその上に母はそそいだことだらう!

親しい我が子の奥津城に、流す涙ははてもない!

さはれ夜闌けて眠る時、

薔薇色の、天の御国の閾から

小さな天使は顕れて、母さんと、しづかに呼んで喜んだ!……

母も亦微笑みかへせば……小天使、やがて空へと辷り出で、

雪の翼で舞ひながら、母のそばまでやつて来て

その脣に、天使の脣をつけました……


千八百六十九年九月一日

ランボオ・アルチュル

シャルルヴィルにて、1854年1020日生

[中原中也 訳]


初出:「アルチユル・ランボオ・詩集 学校時代の詩」三笠書房1933(昭和8)年1210日初版発行

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2022年10月15日

『どんぐりと山猫』 宮沢賢治

どんぐりと山猫


宮沢賢治




 おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。


かねた一郎さま 九月十九日

あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。

あした、めんどなさいばんしますから、おいで

んなさい。とびどぐもたないでくなさい。

               山ねこ 拝


 こんなのです。字はまるでへたで、墨すみもがさがさして指につくくらいでした。けれども一郎はうれしくてうれしくてたまりませんでした。はがきをそっと学校のかばんにしまって、うちじゅうとんだりはねたりしました。

 ね床どこにもぐってからも、山猫のにゃあとした顔や、そのめんどうだという裁判のけしきなどを考えて、おそくまでねむりませんでした。

 けれども、一郎が眼をさましたときは、もうすっかり明るくなっていました。おもてにでてみると、まわりの山は、みんなたったいまできたばかりのようにうるうるもりあがって、まっ青なそらのしたにならんでいました。一郎はいそいでごはんをたべて、ひとり谷川に沿ったこみちを、かみの方へのぼって行きました。

 すきとおった風がざあっと吹ふくと、栗の木はばらばらと実をおとしました。一郎は栗の木をみあげて、

「栗の木、栗の木、やまねこがここを通らなかったかい。」とききました。栗の木はちょっとしずかになって、

「やまねこなら、けさはやく、馬車でひがしの方へ飛んで行きましたよ。」と答えました。

「東ならぼくのいく方だねえ、おかしいな、とにかくもっといってみよう。栗の木ありがとう。」

 栗の木はだまってまた実をばらばらとおとしました。

 一郎がすこし行きますと、そこはもう笛ふきの滝でした。笛ふきの滝というのは、まっ白な岩の崖のなかほどに、小さな穴があいていて、そこから水が笛のように鳴って飛び出し、すぐ滝になって、ごうごう谷におちているのをいうのでした。

 一郎は滝に向いて叫さけびました。

「おいおい、笛ふき、やまねこがここを通らなかったかい。」

 滝がぴーぴー答えました。

「やまねこは、さっき、馬車で西の方へ飛んで行きましたよ。」

「おかしいな、西ならぼくのうちの方だ。けれども、まあも少し行ってみよう。ふえふき、ありがとう。」

 滝はまたもとのように笛を吹きつづけました。

 一郎がまたすこし行きますと、一本のぶなの木のしたに、たくさんの白いきのこが、どってこどってこどってこと、変な楽隊をやっていました。

 一郎はからだをかがめて、

「おい、きのこ、やまねこが、ここを通らなかったかい。」

とききました。するときのこは

「やまねこなら、けさはやく、馬車で南の方へ飛んで行きましたよ。」とこたえました。一郎は首をひねりました。

「みなみならあっちの山のなかだ。おかしいな。まあもすこし行ってみよう。きのこ、ありがとう。」

 きのこはみんないそがしそうに、どってこどってこと、あのへんな楽隊をつづけました。

 一郎はまたすこし行きました。すると一本のくるみの木の梢を、栗鼠りすがぴょんととんでいました。一郎はすぐ手まねぎしてそれをとめて、

「おい、りす、やまねこがここを通らなかったかい。」とたずねました。するとりすは、木の上から、額に手をかざして、一郎を見ながらこたえました。

「やまねこなら、けさまだくらいうちに馬車でみなみの方へ飛んで行きましたよ。」

「みなみへ行ったなんて、二ふたとこでそんなことを言うのはおかしいなあ。けれどもまあもすこし行ってみよう。りす、ありがとう。」りすはもう居ませんでした。ただくるみのいちばん上の枝えだがゆれ、となりのぶなの葉がちらっとひかっただけでした。

 一郎がすこし行きましたら、谷川にそったみちは、もう細くなって消えてしまいました。そして谷川の南の、まっ黒な榧の木の森の方へ、あたらしいちいさなみちがついていました。一郎はそのみちをのぼって行きました。榧の枝はまっくろに重なりあって、青ぞらは一きれも見えず、みちは大へん急な坂になりました。一郎が顔をまっかにして、汗あせをぽとぽとおとしながら、その坂をのぼりますと、にわかにぱっと明るくなって、眼がちくっとしました。そこはうつくしい黄金の草地で、草は風にざわざわ鳴り、まわりは立派なオリーブいろのかやの木のもりでかこまれてありました。

 その草地のまん中に、せいの低いおかしな形の男が、膝を曲げて手に革鞭をもって、だまってこっちをみていたのです。

 一郎はだんだんそばへ行って、びっくりして立ちどまってしまいました。その男は、片眼で、見えない方の眼は、白くびくびくうごき、上着のような半纒のようなへんなものを着て、だいいち足が、ひどくまがって山羊やぎのよう、ことにそのあしさきときたら、ごはんをもるへらのかたちだったのです。一郎は気味が悪かったのですが、なるべく落ちついてたずねました。

「あなたは山猫をしりませんか。」

 するとその男は、横眼で一郎の顔を見て、口をまげてにやっとわらって言いました。

「山ねこさまはいますぐに、ここに戻もどってお出でやるよ。おまえは一郎さんだな。」

 一郎はぎょっとして、一あしうしろにさがって、

「え、ぼく一郎です。けれども、どうしてそれを知ってますか。」と言いました。するとその奇体きたいな男はいよいよにやにやしてしまいました。

「そんだら、はがき見だべ。」

「見ました。それで来たんです。」

「あのぶんしょうは、ずいぶん下手だべ。」と男は下をむいてかなしそうに言いました。一郎はきのどくになって、

「さあ、なかなか、ぶんしょうがうまいようでしたよ。」

と言いますと、男はよろこんで、息をはあはあして、耳のあたりまでまっ赤になり、きもののえりをひろげて、風をからだに入れながら、

「あの字もなかなかうまいか。」とききました。一郎は、おもわず笑いだしながら、へんじしました。

「うまいですね。五年生だってあのくらいには書けないでしょう。」

 すると男は、急にまたいやな顔をしました。

「五年生っていうのは、尋常五年生だべ。」その声が、あんまり力なくあわれに聞えましたので、一郎はあわてて言いました。

「いいえ、大学校の五年生ですよ。」

 すると、男はまたよろこんで、まるで、顔じゅう口のようにして、にたにたにたにた笑って叫びました。

「あのはがきはわしが書いたのだよ。」

 一郎はおかしいのをこらえて、

「ぜんたいあなたはなにですか。」とたずねますと、男は急にまじめになって、

「わしは山ねこさまの馬車別当べっとうだよ。」と言いました。

 そのとき、風がどうと吹いてきて、草はいちめん波だち、別当は、急にていねいなおじぎをしました。

 一郎はおかしいとおもって、ふりかえって見ますと、そこに山猫が、黄いろな陣羽織のようなものを着て、緑いろの眼をまん円にして立っていました。やっぱり山猫の耳は、立って尖とがっているなと、一郎がおもいましたら、山ねこはぴょこっとおじぎをしました。一郎もていねいに挨拶しました。

「いや、こんにちは、きのうははがきをありがとう。」

 山猫はひげをぴんとひっぱって、腹をつき出して言いました。

「こんにちは、よくいらっしゃいました。じつはおとといから、めんどうなあらそいがおこって、ちょっと裁判にこまりましたので、あなたのお考えを、うかがいたいとおもいましたのです。まあ、ゆっくり、おやすみください。じき、どんぐりどもがまいりましょう。どうもまい年とし、この裁判でくるしみます。」山ねこは、ふところから、巻煙草の箱はこを出して、じぶんが一本くわえ、

「いかがですか。」と一郎に出しました。一郎はびっくりして、

「いいえ。」と言いましたら、山ねこはおおようにわらって、

「ふふん、まだお若いから、」と言いながら、マッチをしゅっと擦すって、わざと顔をしかめて、青いけむりをふうと吐きました。山ねこの馬車別当は、気を付けの姿勢で、しゃんと立っていましたが、いかにも、たばこのほしいのをむりにこらえているらしく、なみだをぼろぼろこぼしました。

 そのとき、一郎は、足もとでパチパチ塩のはぜるような、音をききました。びっくりして屈かがんで見ますと、草のなかに、あっちにもこっちにも、黄金の円いものが、ぴかぴかひかっているのでした。よくみると、みんなそれは赤いずぼんをはいたどんぐりで、もうその数ときたら、三百でも利かないようでした。わあわあわあわあ、みんななにか云いっているのです。

「あ、来たな。蟻のようにやってくる。おい、さあ、早くベルを鳴らせ。今日はそこが日当りがいいから、そこのとこの草を刈かれ。」やまねこは巻たばこを投げすてて、大いそぎで馬車別当にいいつけました。馬車別当もたいへんあわてて、腰から大きな鎌をとりだして、ざっくざっくと、やまねこの前のとこの草を刈りました。そこへ四方の草のなかから、どんぐりどもが、ぎらぎらひかって、飛び出して、わあわあわあわあ言いました。

 馬車別当が、こんどは鈴をがらんがらんがらんがらんと振ふりました。音はかやの森に、がらんがらんがらんがらんとひびき、黄金きんのどんぐりどもは、すこししずかになりました。見ると山ねこは、もういつか、黒い長い繻子の服を着て、勿体らしく、どんぐりどもの前にすわっていました。まるで奈良のだいぶつさまにさんけいするみんなの絵のようだと一郎はおもいました。別当がこんどは、革鞭を二三べん、ひゅうぱちっ、ひゅう、ぱちっと鳴らしました。

 空が青くすみわたり、どんぐりはぴかぴかしてじつにきれいでした。

「裁判ももう今日で三日目だぞ、いい加減になかなおりをしたらどうだ。」山ねこが、すこし心配そうに、それでもむりに威張って言いますと、どんぐりどもは口々に叫びました。

「いえいえ、だめです、なんといったって頭のとがってるのがいちばんえらいんです。そしてわたしがいちばんとがっています。」

「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです。いちばんまるいのはわたしです。」

「大きなことだよ。大きなのがいちばんえらいんだよ。わたしがいちばん大きいからわたしがえらいんだよ。」

「そうでないよ。わたしのほうがよほど大きいと、きのうも判事さんがおっしゃったじゃないか。」

「だめだい、そんなこと。せいの高いのだよ。せいの高いことなんだよ。」

「押しっこのえらいひとだよ。押しっこをしてきめるんだよ。」もうみんな、がやがやがやがや言って、なにがなんだか、まるで蜂の巣すをつっついたようで、わけがわからなくなりました。そこでやまねこが叫びました。

「やかましい。ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ。」

 別当がむちをひゅうぱちっとならしましたのでどんぐりどもは、やっとしずまりました。やまねこは、ぴんとひげをひねって言いました。

「裁判ももうきょうで三日目だぞ。いい加減に仲なおりしたらどうだ。」

 すると、もうどんぐりどもが、くちぐちに云いました。

「いえいえ、だめです。なんといったって、頭のとがっているのがいちばんえらいのです。」

「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです。」

「そうでないよ。大きなことだよ。」がやがやがやがや、もうなにがなんだかわからなくなりました。山猫が叫びました。

「だまれ、やかましい。ここをなんと心得る。しずまれしずまれ。」

 別当が、むちをひゅうぱちっと鳴らしました。山猫がひげをぴんとひねって言いました。

「裁判ももうきょうで三日目だぞ。いい加減になかなおりをしたらどうだ。」

「いえ、いえ、だめです。あたまのとがったものが……。」がやがやがやがや。

 山ねこが叫びました。

「やかましい。ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ。」

 別当が、むちをひゅうぱちっと鳴らし、どんぐりはみんなしずまりました。山猫が一郎にそっと申しました。

「このとおりです。どうしたらいいでしょう。」

 一郎はわらってこたえました。

「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」

 山猫やまねこはなるほどというふうにうなずいて、それからいかにも気取って、繻子のきものの胸えりを開いて、黄いろの陣羽織をちょっと出してどんぐりどもに申しわたしました。

「よろしい。しずかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」

 どんぐりは、しいんとしてしまいました。それはそれはしいんとして、堅かたまってしまいました。

 そこで山猫は、黒い繻子の服をぬいで、額の汗をぬぐいながら、一郎の手をとりました。別当も大よろこびで、五六ぺん、鞭をひゅうぱちっ、ひゅうぱちっ、ひゅうひゅうぱちっと鳴らしました。やまねこが言いました。

「どうもありがとうございました。これほどのひどい裁判を、まるで一分半でかたづけてくださいました。どうかこれからわたしの裁判所の、名誉判事になってください。これからも、葉書が行ったら、どうか来てくださいませんか。そのたびにお礼はいたします。」

「承知しました。お礼なんかいりませんよ。」

「いいえ、お礼はどうかとってください。わたしのじんかくにかかわりますから。そしてこれからは、葉書にかねた一郎どのと書いて、こちらを裁判所としますが、ようございますか。」

 一郎が「ええ、かまいません。」と申しますと、やまねこはまだなにか言いたそうに、しばらくひげをひねって、眼をぱちぱちさせていましたが、とうとう決心したらしく言い出しました。

「それから、はがきの文句ですが、これからは、用事これありに付き、明日出頭すべしと書いてどうでしょう。」

 一郎はわらって言いました。

「さあ、なんだか変ですね。そいつだけはやめた方がいいでしょう。」

 山猫は、どうも言いようがまずかった、いかにも残念だというふうに、しばらくひげをひねったまま、下を向いていましたが、やっとあきらめて言いました。

「それでは、文句はいままでのとおりにしましょう。そこで今日のお礼ですが、あなたは黄金きんのどんぐり一升しょうと、塩鮭のあたまと、どっちをおすきですか。」

「黄金のどんぐりがすきです。」

 山猫は、鮭の頭でなくて、まあよかったというように、口早に馬車別当に云いました。

「どんぐりを一升早くもってこい。一升にたりなかったら、めっきのどんぐりもまぜてこい。はやく。」

 別当は、さっきのどんぐりをますに入れて、はかって叫さけびました。

「ちょうど一升あります。」

 山ねこの陣羽織が風にばたばた鳴りました。そこで山ねこは、大きく延びあがって、めをつぶって、半分あくびをしながら言いました。

「よし、はやく馬車のしたくをしろ。」白い大きなきのこでこしらえた馬車が、ひっぱりだされました。そしてなんだかねずみいろの、おかしな形の馬がついています。

「さあ、おうちへお送りいたしましょう。」山猫が言いました。二人は馬車にのり別当は、どんぐりのますを馬車のなかに入れました。

 ひゅう、ぱちっ。

 馬車は草地をはなれました。木や藪がけむりのようにぐらぐらゆれました。一郎は黄金のどんぐりを見、やまねこはとぼけたかおつきで、遠くをみていました。

 馬車が進むにしたがって、どんぐりはだんだん光がうすくなって、まもなく馬車がとまったときは、あたりまえの茶いろのどんぐりに変っていました。そして、山ねこの黄いろな陣羽織も、別当も、きのこの馬車も、一度に見えなくなって、一郎はじぶんのうちの前に、どんぐりを入れたますを持って立っていました。

 それからあと、山ねこ拝というはがきは、もうきませんでした。やっぱり、出頭すべしと書いてもいいと言えばよかったと、一郎はときどき思うのです。



【初出「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」盛岡市杜陵出版部・東京光原社

1924(大正13)年121日】


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2022年09月30日

俵万智の第6歌集『未来のサイズ』

俵万智「未来のサイズ」より


トランプの絵札のように集まって我ら画面に密を楽しむ


PAC3そこに見ながら新空港ダンスを踊る島民われは


釣る泳ぐ登る飛びこむ  がじゅまるの木陰の子らの動詞豊かに


制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている


クッキーのように焼かれている心みんな「いいね」に型抜きされて


動詞から名詞になれば嘘くさし癒しとか気づきとか学びとか


ティラノサウルスの子どもみたいなゴーヤーがご近所さんの畑から来る


右は雨、左は晴れの水平線、片降(ぶい)という語が島にある


シルエット海辺に浮かび原発は出航しない豪華客船



俵万智の第6歌集『未来のサイズ』(2020.9)著者による「あとがき」より


 短歌は、日々の心の揺れから生まれる。どんなに小さくても「あっ」と心が揺れたとき、立ちどまって味わいなおす。その時間は、とても豊かだ。歌を詠むとは、日常を丁寧に生きることなのだと感じる。

 2020年、突然日常が失われた。コロナ禍のなかで、これまでの当たり前が、次々と当たり前ではなくなっていった。今までにない非日常の暮らし。けれどそれさえも、続けばまた日常になってゆく。そこから歌が生まれる。

 2013年から2020年まで。足かけ8年の第6歌集となる。418首を選んで構成した。

 この間の個人史で一番大きかったのは、住まいを移したことだ。まる5年を暮らした石垣島から、縁あって宮崎へ。息子が中学生になるタイミングだった。

子どもたちの「未来のサイズ」が、大きくたっぷりしたものであることを、祈らずにはいられない。

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2022年09月25日

「コップ」まどみちお

「コップ」まどみちお


コップの中に 水がある

そして 外には 世界中が


コップは世界中に包まれていて

自分は 水を包んでいる

自分の はだで じかに


けれども よく見ると

コップのはだは ふちをとおって

内側と外側が一まいにつづいている


コップは思っているのではないだろうか

自分を包む世界中を

自分もまた包んでいるのだと

その一まいの はだで

水ごと すっぽりと


コップが ここに坐って

えいえんに坐っているかのように

こんなに静かなのは


まどみちお詩集『いのちのうた』(角川春樹事務所)より

この詩集は素晴らしい内容で、おすすめです。この詩集シリーズは、どれも編集がよろしい出来となっております。



まどみちお 19091116日、山口県徳山町(現・周南市)に生まれる。本名は石田道雄。9歳からは家族とともに台湾で暮らした。24歳のときにまど・みちおのペンネームで投稿した詩で北原白秋にみとめられる。終戦後日本へ帰り、神奈川県川崎市に居を構えた。「ぞうさん」「やぎさん ゆうびん」「一ねんせいに なったら」「ふしぎなポケット」などの童謡で国民的な人気を得ただけでなく、数多くの詩を書き、1994年に国際アンデルセン賞作家賞を受賞。『まど・みちお全詩集』(理論社)ほか多くの詩集があり、長年にわたる発言をまとめた『どんな小さなものでも みつめていると 宇宙につながっている―詩人まど・みちお 100歳の言葉―』(新潮社)、画集に『まど・みちお画集 とおいところ』(新潮社)がある。

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2022年09月11日

『デューク』文 江國香織 絵 山本容子

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クリスマスソングが流れる街で起きた奇跡。 愛する犬・デュークが死んでしまった。悲しくて涙が止まらない私の目の前に現れた少年。 晴れた冬の1日を彼と過ごした私が受け取ったメッセージは......

(講談社刊行)

文庫サイズの小型絵本です。

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犬のイラストがラフな鉛筆画になって、プレゼントに格好の可愛い絵本となっております。教科書にも全文掲載された短編小説です。


◆デュークとの出会いと別れ

「国語I」(2001年実施)

短編集として出版されている江國香織「つめたいよるに」収録の「デューク」が出題された。愛犬が死んでしまった翌日に起きた不思議な出会いと別れをテーマに、受験中に涙をこらえられなかった受験生が続出した。

 一部には集中力をそぐような出題はいかがなものか、という意見もあったようだが、現在の受験生には「デューク」のような「身近な話題」を期待する人も多い。

2016年度大学入試センター)


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2022年09月01日

「教える技術」の鍛え方: 人も自分も成長できる (ちくま文庫)

ダメ教師だった著者が、「カリスマ講師」として知られるようになったのはなぜか

自らの経験から見出した「教える技術」凝縮の一冊。

20代で初めて塾で教えた時、50人いた学生がみるみる減って5人ほどになってしまったそんな痛い体験から、どうしたら授業をおもしろくできるか、日々工夫を重ね40代で「カリスマ講師」として、全国に知られるようになった。著者自らの経験から見出した「教える技術」を凝縮した一冊。これさえ読めば、いつ教える立場に立たされてもすぐに実践できる。


目次≫
はじめに  強制から自立を促す、教えるテクニック
1部  少数の人に対する効果的な教え方とは
 第1章  少数の人を教えるときの心がまえ
 第2章  教える人間は、相手になめられてはならない
 第3章  相手のモティベーションを持続させるには
 第4章  相手のタイプに応じた説明の仕方をすること
 第5章  おもしろい説明の仕方にはコツがある
 第6章  わかりやすい説明をするには、どうしたらいいのか
 第7章  相手の学ぶ気持ちを高める


2部  多数の人を教える場合、気をつけること
 第1章  大勢のを相手にする時の心構え
 第2章  クラスをコントロールするにはどうしたらいいのか
 第3章  教えるタイプを決める
 第4章  具体的な講義の進め方
あとがき

樋口裕一 1951年大分県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、立教大学大学院博士課程満期退学。仏文学、アフリカ文学の翻訳家として活動するかたわら、小学生から社会人までを対象にした小論文指導に携わり、独自の指導法を確立。通信添削による作文、小論文専門塾「白藍塾」主宰。現在、多摩大学教授・京都産業大学客員教授。


〈先生6つのタイプ〉

キャラクターとしてイメージすると掴みやすい

1.最も受けが良いのは元気タイプ

 大声で挨拶をしたり、明るく話をするタイプ。予備校で働いていてる人気講師のほとんどがこのタイプだった。このタイプは若くなければできないので、40歳を越したら別のタイプを選ぶほうがよい。

2.金八先生の人情家タイプ

 面倒見がよく、情に厚く、親身に真面目に生徒に向き合うタイプ。元気さより人間関係に向かうため、鬱陶しく感じる人もいるが、全体的には子どもに信頼されるため人気が高い。このタイプに年齢制限はない。

3.ひたすら誠実で真面目な丁寧型

 上手に教えるのでも元気でもないが、誠実で真面目で丁寧に教えるタイプ。華々しさはないが、長時間付き合ううちに、信頼を得られて、誠実に仕事をするので間違いなく子どもは力を伸ばす実力派。このタイプは誰にでもなれるが、資質を持っている人でないと続けることは難しい。

4.ベテランにふさわしいどっしりタイプ

 落ち着いて、あわてず騒がず、じっくりと物事を処理するタイプ。フットワークが重くなりがちで、子どもと一緒に行動することは少なくなっていく。落ち着いている分、信頼されやすく、教え方も要点を抑えている。このタイプはベテラン向きで、穏やかで優しい先生を目指すと良い。

5.おもしろい考え方のインテリタイプ

 元気や明るさより、知的で興味を引く話ができる。筆者はこのタイプを意識的に演じてきた。面白い考え方や鋭い意見は、人生の先輩に出会った気分になる。内向的で人前で話をするのが苦手なタイプでもできるが、ある程度の学識は必要。

6.気軽に相談に乗れる友だちタイプ

 頼りになる先輩として子どもに接するタイプ。学識の面では、ベテランに負けるかもしれないが、心情が近いことから、等身大で指導できるという強みがある。ただし10歳以上年上になると、このタイプは成り立たなくなる、寿命は短いかもしれない。


〈ターゲットを定める〉

「全員に好かれることは不可能」と同じように、1つの授業で全員を満足させるのは難しい。授業が多くの人にとって簡単すぎるとだれてしまうし、難しすぎると多くが授業についていけなくなる可能性がある。だからこそ授業でターゲットを定める必要がある。


多くの人を満足させる3つのポイント

@レベルを知るために最初にテストをする

A理解度を相手の顔で判断する

関心がなさそうにしている様子を見れているか。その観察がきっかけで、授業を修正して

レベルを上げたり下げたりと調整、適切なターゲットへ届いていく。

B効果的な雑談6選

1.子どもの知らない話

2.子どもにはない体験

3.子どもたちとは全く異なる意見の話

4.深い人生観

5.笑わせる

授業の中に5回は笑いがほしい、解りやすい笑い話は失敗談を面白おかしく伝える。

6.得意ネタを作っておく

退屈そう眠そうな様子を示した時、ストックが幾つかあれば、本来の話と結び付けられて授業の勢いがつく。

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2022年08月24日

『脳のなかの天使』V.S.ラマチャンドラン(角川書店)

『脳のなかの天使』V.S.ラマチャンドラン(角川書店)

丸に尻尾を描いただけで豚のお尻に見えてしまうのは脳が必要な情報を瞬時に補って認識しているから。進化の過程で脳細胞が発達させてきた人間らしさとは何かの謎に迫る一気読み必至のエンタメ科学ノンフィクション。


バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできる。しかし、星に手をのばすことができるのは人間だけ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ―それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探求する。なぜ人間だけユニークな進化を遂げているのか?神経学者が解明する脳と心の謎。


V.S.ラマチャンドラン

カリフォルニア大学サンディエゴ校の脳認知センター教授及び所長。ソーク研究所兼任教授。2011年タイム誌が選ぶ世界に最も影響を与えた100人に選ばれた神経科学者。 カリフォルニア大学サンディエゴ校の脳認知センター教授及び所長。ソーク研究所兼任教授。

十代の時に書いた論文が「ネイチャー」に掲載された神経科学者。視覚や幻肢研究で知られ、アメリカのみならず日本でもその研究内容は新聞・テレビなどで報道され大きな話題を呼んでいる。



美には脳に由来する九つの普遍的法則がある

1.グループ化

2.ピークシフト

3.コントラスト

4.単離

5.いないいないばあ、もしくは知覚の問題解決

6.偶然の一致を嫌う

7.秩序性

8.対称性

9.メタファー


ヒトはなぜ、「美しい」と感じるのだろうか? 美術はなぜあるのだろう?  

美的センスとは、脳の中でどのようにして生み出されるのか。


【人間たる所以】「共感覚」文明(創造)脳と、「共感/ミラーニューロン」従属(模倣・拡散)脳


「共感覚」

その重要な脳神経症の一つが、文字が色づいたり、音が色づいたりする症状を持つ、共感覚である。詩人・小説家・芸術家に、一般人の8倍も多いと言われる。ワイマールの宮廷楽長フランツ・リストは、オーケストラ楽員へ「もう少し青く」「ここは紫に」「そこはバラ色ではなく」と指示し驚かせた。巨匠は楽音に色が見えたらしい。作家や詩人が、「ジュリエットは太陽だ」などのメタファー表現を得意とする理由は、彼らが共感覚者だからだ。更に、言語・視覚・聴覚などの知覚分野だけでなく、数学、科学、工学、建築などの分野でも、本来神経情報を絶縁するべき各脳機能モジュール間に「クロス活性化」と呼ばれる神経伝達漏洩が起こり、それが引き金となり、発明や発見の快感「アハ!」を誘発する。奇妙に知覚や思考を混じり合わせ、文明を創造することができる、僅かな特殊能力者が、人間集団の中に紛れている。


「共感/ミラーニューロン」

二つめは、すべての人間が持つ「共感」という能力である。先人の共感覚者によって発見された知恵を、飛躍的短期間に模倣し伝播させるという、文明進化を成し遂げてきた重要な実質的能力である。例えば、グループの一人が火の使用または特定の道具の使い方をある日偶然に発見した場合、それっきりになるのではなく、急速に水平方向の人々へと、あるいは垂直方向に後の世代へと広めた。何百万年もかけて進化するDNA遺伝情報ゲノムとは異なり、 僅か5分や10分程度で、他人が発見した生命維持に有利な情報を、模倣し伝承することができた。言わば文明情報を新たなゲノムとする進化形態が、脳増大のある過程で突然(ラマルク的)に出現したらしい。その人間脳の大躍進は、おそらく7~6万年前だろう。洞窟の壁画、衣服、住居の建造、などの発見や発明、続いて、それらを、社会的学習、模倣、技能の習得、言語という音の連続により文化的伝達(遺伝)を始めた。

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2022年08月22日

『タイタンの妖女』カート・ヴォネガット(ハヤカワ文庫 SF)

時空を超えたあらゆる時と場所に波動現象として存在する、ウィンストン・ナイルズ・ラムファードは、神のような力を使って、さまざまな計画を実行し、人類を導いていた。

その計画で操られる最大の受難者が、全米一の大富豪マラカイ・コンスタントだった。富も記憶も奪われ、地球から火星、水星へと太陽系を流浪させられるコンスタントの行く末と、人類の究極の運命とは

巨匠がシニカルかつユーモラスに描いた感動作を訳も新たにした新装版。(解説 爆笑問題・太田 )


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『タイタンの妖女』カート・ヴォネガット(ハヤカワ文庫 SF)

【あらすじ】22世紀のカリフォルニア州ハリウッド生まれ、富豪マラカイ・コンスタントはで大変な幸運の持ち主である。彼はそれを父親の財産を殖やすのに使ったが、他には大したことはしていなかった。

地球から火星へ旅して記憶を消されて、火星軍の一兵士として地球との惑星間戦争の準備にあたる。だが出陣の際に水星へ向かってしまい、3年間を過ごした後に地球へ戻って、神の不興の印として晒し者になり、最後には土星の衛星タイタンで彼の幸運に責任を持つウィンストン・ナイルス・ラムフォードと遭遇した。


ニューイングランドの裕福な家系にあるラムフォードは、宇宙船を個人建造するほどの宇宙探検家となる。地球と火星の間を旅している時に、飼い犬のカザックともに載せた宇宙船は「時間等曲率漏斗」(クロノ・シンクラスティック・インファンディブラム)として知られる現象に飛び込んだ。そしてラムフォードとカザックは量子力学で、波が有する確率と同様な「波動現象」になった。

太陽からベテルギウスに至る螺旋に沿って彼等は存在して、地球のような惑星がその螺旋を横切ると、一時的にその惑星で実体化するのだった。

漏斗に入った時に過去と未来を知るようになったラムフォードは、小説を通じて未来を予言する。そして嘘を言ってない限り、その予言は必ず真実となるのであった。


このような状態に置かれて、火星人による侵略後の地球を団結させるために「徹底的に無関心な神の教会」を創立する。様々な惑星で実体化して、火星人の侵略を煽動する。拡散したイメージではなく、実体のある人間として存在する唯一の場所タイタンで、故障した宇宙船を修理するために小さな金属部品を求めているトラルファマドール星からの探検者と友人になる。

探検者のサロは、実は何千年も前にトラルファマドール星から遠く離れた銀河へのメッセージを届けるために作られたロボットだった。その宇宙船は「そうなろうとする万有意志」 (Universal Will to Become, UWTB) で推進するという。

宇宙船の小さな部品が壊れて、太陽系タイタンで足止めされている。サロはトラルファマドール星に助けを求めて、地球人類の文明が交換部品を製造できるように、人類の歴史を操作した。ストーンヘンジや万里の長城やクレムリンはすべて、トラルファマドール星人の幾何学的な言語で、彼らの進捗状況をサロに知らせるためのメッセージだった。


交換部品はひとつの角が丸められ、2つ小穴があけられた小さな金属片だと分かる。それを届けるために人間の歴史が操作されてしまったトラルファマドール星のメッセージは、点がひとつ。トラルファマドール語で「よろしく」の意味であった。


コンスタントとその息子のクロノによって、サロの元へ金属は届けられる。そのとき太陽黒点がラムフォードの螺旋を乱して、彼とその飼い犬カザックは別々に広大な宇宙のどこかへと送られてしまった。その直前にラムフォードとサロでの口論は、ラムフォードが消えたため未解決になり、取り乱したサロは自分を分解して、コンスタントとクロノはタイタンに取り残される。クロノはタイタンの鳥と一緒に生活することを選ぶ。32年後にクロノの母は亡くなり、コンスタントはサロをどうにか再び組み立てる。


コンスタントを地球のインディアナ州インディアナポリスにサロは還して、コンスタントはそこで死を迎えるのだった。


タイタンの泥炭をサロが彫刻した像にタイトルは由来する。その像は3人の美しい女性の姿をして、ラムフォードの水泳プールに沈められた。タバコの宣伝のデザインに使い、あからさまな商業主義から、恐ろしいほどの美しさを汚そうとした。


The Sirens of Titan1959年出版されたカート・ヴォネガットのSF小説。自由意志、全能、人類の歴史全体の目的など問題を扱っている。1973年に星雲賞長編部門を授賞。


【翻訳】

『タイタンの妖女』浅倉久志訳 (ハヤカワ文庫SF 2009年刊行、表紙イラストは和田誠、解説は太田光。爆笑問題の所属事務所「タイタン」はヴォネガットを太田光が尊敬して、代表作より名づけられた。

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2022年08月13日

レフ・トルストイ『復活』(岩波文庫)

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軍隊生活のあいまに伯母さんの家によった青年貴族ネフリュードフは小間使いのカチューシャに惹かれる。それはそれは美しい少女であった。 

翌朝100ルーブル渡して立ち去った。


数年後、ネフリュードフは陪審員として裁判に列席。売春婦の殺人事件。被告がひきたてられる。「カチューシャ・マースローワ」あの人だ。ネフリュードフの子を身ごもって伯母の家を追放され、零落の身に。無罪なのだが手続きのミスで流罪に。


ネフリュードフはカチューシャの助命嘆願に奔走。結婚して助けようと思いつめる。


獄中でシモンソンという政治犯がカチューシャに恋をする。シモンソンはシベリア送りで4年の刑が確定している。カチューシャを救おうとする有力者ネフリュードフの存在を知っており、シモンソンはカチューシャとの結婚についてネフリュードフと相談。

 カチューシャが気に掛かり、裁判や刑務所の実情を知っていくうちに、刑務官の腐敗を目の当たりにするに至った。ついには土地を農民へ与え、自身は流刑地に赴く……

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【本文より】

もとをただせば、人びとが悪人でありながら悪をただそうとするという不可能なことをやろうとしているために生まれているのであった。悪人が悪人を矯正しようとして、それを機械的な手段で達成できるものと考えたのである。しかし、その結果として生まれたものは、生活に困っている人びとや欲に目のない人びとが、自分自身もとことん堕落すると同時に、自分で苦しめている人びとをもたえず堕落させているという現実であった。


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【感想】本書の挿絵を描いた画家と作者とのやり取りが、興味を惹かれてしまった。

力を込めて書いてる入魂の作品に、信頼してる美術家の視覚メディアを入れて、自信作として出販したいトルストイの想いが伝わるエピソードだった。原稿の三分の一だと見せられて、画家はトルストイが身を削り物語を書いてると確信した。

やがて連載された作品は長編小説の容貌となり、後半はどんどん作者の想いが膨らんで、前半ほどに推敲されたソリッド感は失って展開される。トルストイのなかでも読みやすい作品といわれる『復活』の難関は、後半の独白に近い断罪について感動して受け止めてられるかに関わっている。

途轍もない新和力がある世界的な作家が書いた、後期の代表する傑作であるので、ロシアが戦火になっている今も読む価値は多様に思います。

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2022年08月05日

今月のロッキングオンはストーンズ特集

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ポスターが付録です。
60年代は反体制の象徴だったストーンズ。
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2022年08月04日

千葉 雅也『現代思想入門』 (講談社現代新書)

人生を変える哲学が、ここにある――。

現代思想の真髄をかつてない仕方で書き尽くした、「入門書」の決定版。
* * *
デリダ、ドゥルーズ、フーコー、ラカン、メイヤスー……
複雑な世界の現実を高解像度で捉え、人生をハックする、「現代思想」のパースペクティブ

物事を二項対立で捉えない
人生のリアリティはグレーゾーンに宿る
秩序の強化を警戒し、逸脱する人間の多様性を泳がせておく
権力は「下」からやってくる
搾取されている自分の力を、より自律的に用いる方法を考える
自分の成り立ちを偶然性へと開き、状況を必然的なものと捉えない
人間は過剰なエネルギーの解放と有限化の二重のドラマを生きている
無限の反省から抜け出し、個別の問題に有限に取り組む
大きな謎に悩むよりも、人生の世俗的な深さを生きる

「現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する。それが今、人生の多様性を守るために必要だと思うのです。」 ――「はじめに 今なぜ現代思想か」より
* * *
[本書の内容]
はじめに 今なぜ現代思想か
第一章 デリダーー概念の脱構築
第二章 ドゥルーズーー存在の脱構築 
第三章 フーコーーー社会の脱構築
ここまでのまとめ
第四章 現代思想の源流ーーニーチェ、フロイト、マルクス
第五章 精神分析と現代思想ーーラカン、ルジャンドル
第六章 現代思想のつくり方
第七章 ポスト・ポスト構造主義
付録 現代思想の読み方
おわりに 秩序と逸脱


千葉 雅也
一九七八年、栃木県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は哲学・表象文化論。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。著書に『動きすぎてはいけない』(河出文庫、第四回紀伊國屋じんぶん大賞、第五回表象文化論学会賞)、『ツイッター哲学』(河出文庫)、『勉強の哲学』(文春文庫)、『思弁的実在論と現代について』(青土社)、『意味がない無意味』(河出書房新社)、『デッドライン』(新潮社、第四一回野間文芸新人賞)、『ライティングの哲学』(共著、星海社新書)、『オーバーヒート』(新潮社、「オーバーヒート」第一六五回芥川賞候補、「マジックミラー」第四五回川端康成文学賞)など。


https://realsound.jp/book/2022/06/post-1049661.html

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2022年08月03日

老舎の世界

『駱駝祥子―らくだのシアンツ』 (岩波文庫)


筋骨たくましい人力車夫、祥子青年は来る日も来る日も北平(北京)中をひた走りに走る。そう、彼には「理想」があったのだ、何としても自前の車を手に入れたいという。こうして3年、刻苦勉励はみごとに報われた。けれども―。きっすいの北京っ子老舎が、その愛してやまぬ裏町の住人たちの悲喜哀歓を心をこめて描いた代表作。


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長篇小説『張さんの哲学』は、北京の庶民たちの生活を興味深く描写し、張さんという高利貸しを主人公として、若者達の恋愛問題を絡めて展開する。ストーリー自体に面白みがあるのみならず、辛辣な風刺や軽快な筆致によって希代の名作となっている。文学の専門家は無論のこと、一般読者も新たな食べ物を試すつもりで、この新鮮な作品をご覧あれ。


老舎 ろうしゃ

Lao She

[生]光緒25(1899).2.3. 北京

[没]1966.8.24. 北京

中国の小説家,劇作家。本名,舒慶春。字,舎予。ロンドン大学に留学中に創作の筆をとりはじめ,『張さんの哲学』 (1926) を『小説月報』に発表して好評を博し,続けて『趙子曰 (チャオズユエ(1927) ,『二馬』 (1929) ,帰国後は『離婚』 (1933) ,『牛天賜伝』 (1934) などの長編を書き,1936年には代表作『駱駝祥子 (ロートシャンズ』を発表,その間,短編の作も多い。抗日戦争中は宣伝活動に従事しつつ執筆を続け,194551年に占領下の北京を描いた長編『四世同堂』を発表。 1946年渡米,1949年解放直後の北京に帰り,戯曲『方珍珠』『竜鬚溝 (ロンシュイコウ』を書いた。

人民芸術家の称号を受け,中国作家協会副主席の要職について社会的,文化的活動を続けたが,文化大革命できびしく批判されて迫害を受け,太平湖で死体となって発見された。死の真相は明らかでない。四人組失脚後,名誉回復された。

【ブリタニカ百科事典】

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2022年08月02日

『中国哲学史―諸子百家から朱子学、現代の新儒家まで』中島隆博〈中公新書〉2022

まえがき

はじめに

第一章  中国哲学史の起源

第二章  孔子

第三章  正しさとは何か

第四章  孟子、荀子、荘子

第五章  礼とは何か

第六章  老子、韓非子、淮南子

第七章  董仲舒、王充

第八章  王弼、郭象

第九章  仏教との対決

第十章  詩経から文心雕竜へ

第十一章 韓愈

第十二章 朱熹と朱子学

第十三章 陽明学

第十四章 キリスト教との対決

第十五章 西洋は中国をどう見たのか 1

第十六章 戴 

第十七章 西洋近代との対決

第十八章 胡適と近代中国哲学の成立

第十九章 現代新儒家の挑戦

第二十章 西洋は中国をどう見たのか 2

第二十一章 普遍論争


フランスの現代思想家フランソワ・ジュリアンの名著『道徳を基礎付ける 孟子vsカント、ルソー、ニーチェ』(講談社学術文庫)の翻訳者でもある著者による中国思想の通史である。

中国哲学とは「中国における哲学」でも「中国的な哲学」でもない。「中国(語)の経験を通じて、批判的に普遍に開かれていく哲学的な実践」である。著者は既存の常識にも疑念のメスを入れて再考しつつ、中国人がインドの仏教や西洋のキリスト教、近現代の西洋など外の世界といかに対決してきたかを丹念に読み解く。


https://mainichi.jp/articles/20220423/ddm/015/070/007000c


中島隆博

1964年,高知県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。博士(学術)。東京大学東洋文化研究所教授。著書に『残響の中国哲学』,『共生のプラクシス』,『悪の哲学』,『危機の時代の哲学』,『中国哲学史』などがある。

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