2020年06月29日

『赤星鉄馬 消えた富豪』 与那原 恵(中央公論新社)

武器商人として活躍した父から受け継いだ莫大な資産を惜しみなくつぎこみ、日本初の学術財団「啓明会」を設立し、柳田国男ら錚々たる学者の研究を支援。 

アメリカからブラックバスを移入し釣りの世界で名を馳せ、弟たちと日本のゴルフ草創期を牽引。 

樺山愛輔や吉田茂をはじめとする華麗なる人脈を持ちながら、ほとんど何も残さずに世を去った実業家、赤星鉄馬。 

評伝に書かれることを注意深く避けたかのようにさえ見える、その謎に満ちた一生を追った本格ノンフィクション。

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与那原恵 

一九五八年東京都生まれ。九六年、『諸君!』掲載のルポで編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞を受賞。二〇一四年、『首里城への坂道 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』で第二回河合隼雄学芸賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。他の著書に、『物語の海、揺れる島』『もろびとこぞりて』『美麗島まで』『サウス・トゥ・サウス』『まれびとたちの沖縄』『わたぶんぶん わたしの「料理沖縄物語」』などがある。

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与那原恵『赤星鉄馬 消えた富豪』(中央公論新社)令和元年11月刊行。


成歓農場は大正4年鉄馬が朝鮮に創設した農場である。朝鮮陶磁器を愛した五郎の述懐が載っている。


(略)

やきものについては、大正の終わりごろ、青山民吉[美術評論家で民芸運動の同伴者。弟が美術評論家で骨董蒐集家の青山二郎]君と同行し、京城で浅川伯教さんにお眼にかかったのが縁のはじめであった。(略)亡父の数多い道具の処理に手を焼いていた母から、私たちの骨董癖をつよく戒めてきた。

(略)(赤星五郎・中丸平一郎『朝鮮のやきもの 李朝』)


「亡父の数多い道具」とは、父弥之助が蒐集した茶道具で、大正6年入札会が開かれ、その入札金の一部が、啓明会の創設資金となった。与那原著によると、五郎の朝鮮陶磁器コレクションのほとんどは、安宅コレクション(安宅英一)に帰したという。


赤星陸治

三菱(資)参与・地所部長

明治7年1月生、熊本県八代郡の旧家下山群太の二男

同県士族赤星家の養子となり、35年家督相続。34年東京帝国大学法科大学政治科卒業後、三菱合資会社入社

長男平馬(明治39年11月生)


幻の邸宅 レーモンド建築の旧赤星邸を見学 : 吉祥寺

http://blog.livedoor.jp/go_wild/archives/52555296.html

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2020年06月27日

『他人を平気で振り回す迷惑な人たち』片田 珠美 (SB新書)


『他人を平気で振り回す迷惑な人たち』片田 珠美 (SB新書)


上司・同僚・お局・ママ友・SNS・姑・友人・親きょうだい…

周りに潜む「害になる人」の精神構造 


「自分は特別だと考え、多少のことは許されると思っている人」 

「支配欲が強く、自分の思い通りにならないと気がすまない人」 

「うわべはいいのに陰で他人を攻撃する人」 

「巧妙な言い逃れで真実を歪める人」…… 


このように周囲を「平気で振り回す人」が今、増殖している。 

振り回される側は、翻弄され、気疲れするばかりか、 こちらに非があるかのごとく思い込まされることすらある。 

今や、職場や家族、友人、ママ友、SNS等での厄介な問題と言える。 


本書では相談者による職場や家庭などの豊富な実例を取り上げ、 25万部ベストセラー『他人を攻撃せずにはいられない人』 

気鋭の精神科医が背景とともに深層心理に鋭く迫る。 


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収録内容

1 第1章 「他人を平気で振り回す人」が増殖する現代(振り回す人とそれに支配されるイネイブラー

2 相手を道具としかみなさない人 ほか)

3 第2章 誰でもちょっとだけ振り回す人になり得る(うわべがいい人が送る二重のメッセージ

4 巧妙な言い逃れで真実を歪曲する人 ほか)

5 第3章 「他人を平気で振り回す人」の精神構造(自分自身を過大評価する

6 自分は何でもできるという万能感 ほか)

7 第4章 振り回されやすい人の責任(劣等感がもたらす低い自己評価

8 困難な状況に置かれている ほか)

9 第5章 もう振り回されないための処方箋(自分を振り回す人から好かれる必要はない

10 自分一人の影響力なんてたかが知れている ほか)


「あとがき」より 

新たにアメリカの大統領に就任したドナルド・トランプ氏の言動を見ていると、他人を平気で振り回す人の典型だと痛感する。 

記者会見で、特定のメディアの記者に「あなたの会社はひどい。質問させない。あなたのところは偽のニュースだ」と叫んで質問をシャットアウトしたり、ツイッターで、メキシコに生産拠点を置く自動車メーカーへの批判を繰り返したりして、とにかく自分の思い通りにしないと気がすまないようだ。それでも、世界最強の国のトップとして絶大な権力を握っているだけに、無視するわけにはいかないのか、大手自動車メーカーの中には、メキシコへの工場の移転計画を撤回したところもある。 

こうした現状を目の当たりにすると、他人を平気で振り回す人が迷惑なのは、権力や影響力を持っているからだとつくづく思う。トランプ氏が何と言おうと、彼に権力も影響力もなければ、「うるさいおっちゃん。ちょっと静かにしたら」と心の中でつぶやきながら無視すればいいのだが、権力者であるがゆえに、その発言に耳を傾けないわけにはいかない。だからこそ、迷惑なのだ。 

程度の差はあれ、他人を平気で振り回す人が迷惑なのは、同じ理由による。知らないおっちゃんが近所の路上で何かを叫んでいても、自分と関係なければ、目を合わせないようにして通り過ぎればいい。あるいは、口うるさいおばちゃんがいても、自分に矛先が向けられない限り、挨拶だけしていればいい。だが、上司や同僚だったり、友人や恋人だったり、親や配偶者だったりして、何らかの形で関わらないわけにはいかないからこそ、悩みの種になる。 

誰かに振り回されるのを極力避けたいのか、他人との関わりをできるだけ避けようとする人が、とくに若い世代に増えているらしい。こうした流れの中で非婚化が進んでいるのかもしれないが、これは孤立と表裏一体である。そして、孤立が振り回されやすい要因の一つであることは、第4章で指摘した通りである。したがって、誰にも振り回されまいとして他人との関わりを避けることが、皮肉にも振り回される一因になり得ることを理解しなければならない。そのうえで、他人との賢い関わり方を習得すべきだ。本書がその一助になれば幸いである。 


著者について

片田 珠美

精神科医。広島県生まれ。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。人間・環境学博士(京都大学)。フランス政府給費留学生としてパリ第8大学精神分析学部でラカン派の精神分析を学ぶ。DEA(専門研究課程修了証書)取得。パリ第8大学博士課程中退。

精神科医として臨床に携わり、臨床経験にもとづいて、犯罪心理や心の病の構造を分析。社会問題にも目を向け、社会の根底に潜む構造的な問題を精神分析的視点から研究。 『他人を攻撃せずにはいられない人』(PHP新書)は話題を呼び、大ベストセラーとなる。『プライドが高くて迷惑な人』『すぐ感情的になる人』(以上、PHP新書)など著書多数。

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2020年06月25日

『美女伝』瀬戸内晴美(集英社)

『美女伝』瀬戸内晴美(集英社)


・光明皇后

・だっ妃のお百

・嬌妓のお鯉

・酒井米子

・額田王

・道綱の母

・妖女宮田文子

・モルガンお雪

・管野須賀子

・岡田嘉子

・三浦環


酒井米子は、あの松井須磨子を一時期脅かしたと言われる女優。貧乏な生活から女優を目指し、美貌と才能でどんどんと抜きん出た。

須磨子とは別の劇団で男子にちやほやされながらやっていたけれど、その才能を見込まれて抱月の芸術座に入る。

でもその美貌と才能溢れる存在が女王須磨子の逆鱗に触れてノイローゼになり、退団。そこから何故か芸者デビュー。

人気者になり、落籍されもしたけれども再び舞台に戻ってくる。そこで恋に落ちたことを、旦那に見つかり、妾生活にピリオドをうつ。その恋に落ちた男の手により、映画デビュー。妖婦専門の女優として、大人気になった。

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2020年06月24日

『ラディゲの死』三島由紀夫

美しい死の匂いは芳しい。

「あるときは角砂糖を一箱たべて寝たり、外套を着たまま寝たりして、どんな夢を見るかためしたもんだ」


ジャン・コクトー「初めから、僕には、ラディゲは借りものであって、やがて返さなければならないことがわかっていた」「一番賢明なのは、事情がそれに値する時にだけ狂人になることだ」

弱冠20歳で『肉体の悪魔』と『ドルジェル伯の舞踏会』を書いて、夭折したラディゲは三島の憧憬だった。 


『ラディゲの死』三島由紀夫

神の兵隊によって、3日間のうちにぼくは銃殺されるんだ、という自らの予言。その通りにラディゲはコクトオに見守られながら二十年の生涯を閉じた。コクトオはラディゲの庇護者。三島が少年のときから心酔しつづけてきたラディゲ。夭折の天才。その晩年と自由を描く。他13短編。(解説=野島秀勝)

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2020年06月23日

『死の商人』岡倉古志郎(岩波新書)

戦争を「糧」とし、昔は鉄砲から近年はミサイル、核兵器まで、つぎつぎに新兵器を開発しては売りさばく、世界の「死の商人」たちの生態と系譜をつづる実録物語。


目次

「死の商人」とは何か / 

「風とともに去りぬ」のバトラー船長

リンカンを怒らせたモルガン

大倉喜八郎の鉄砲商売

「死の商人」とは何か

「死の商人」に祖国はない

だが、「死の商人」は「愛国者」である

戦争の「おばけ」をつくる

II サー・バシル・ザハロフ-「ヨーロッパの謎の男」 / 

怪人物の生立ち

魚は水に放たれた!

敵と味方に潜水艦を売りこむ

「死の商人」の一騎打ち

兵器トラスト-ヴィッカースの発展

第一次大戦とヴィッカース

バルザック的人物

生きているザハロフ

III クルップ-「大砲の王者」 / 

フランダースの悲喜劇

クルップの雌伏時代

「死の商人」の片鱗

「大砲の王者」の宮廷

コルンワルツァー事件

ヒトラーのパトロン

ヒトラーの屍をこえて

IV IGファルベン-「死なない章魚」 / 

一九四八年七月二八日

IGファルベンの戦争犯罪

アニリン染料のなかから

ハーケン・クロイツとともに

「死なない章魚」の足

「解体」の茶番劇

軍国主義復活の支柱

デュポン-火薬から原水爆へ / 

デュポンは女性に依存する

フランス革命の後日譯

「火薬トラスト」

吊しあげられたデュポン

デュポンはナチスを助けたか

一年一ドルで国家に奉仕

原水爆時代

VI 日本の「死の商人」 / 

御用商人まかり通る

「海坊主」の弥太郎

欧米の「死の商人」に伍して

湧きたつ軍需ブーム

前渡金-漏れ手で粟をつかむ

「空だ、男の行くところ!

フェニックスは羽ばたく

星条旗のもとで

VII 恐竜は死滅させられるか / 

生きている恐竜

「死の商人」退治論

「死の商人」は反駁する

社会主義と「死の商人」

核・ロケット時代

世界をゆるがす軍備余廃の叫び

あとがき / 

(新日本新書)新版あり

https://www.youtube.com/watch?v=yxFzbHTAWyY

敗戦の年となる『1945年の日本の平均寿命は男性23.5歳、女性32.0歳」という話をご存知だろうか。この数字には、若干疑問符が付くかもしれないが、軍歌に「咲いた花なら/散るのは覚悟/見事散りましょ/国のため」とあるように、日本男子には「国のために命をささげる」ことが奨励された時代であった。典型的には、「神風特攻隊」で、若者の命が次々に奪われた。

この時代に大もうけしたのが、「死の商人」=軍需産業である。「ゼロ戦」の中島飛行機は、三菱重工を追いこして「航空機業界の王者になった」(本書164頁)。

敗戦の年・1945年に軍需工場が国有化されると、あとはやりたい放題。「まだ、納入されず、生産さえもされない幽霊製品に代価を支払わせるのだから驚いた話である。いわゆる『軍需補償』、つまり戦争被害にたいする損失補償は当時の金で総額500億円といわれ、そのうち200億円は、敗戦直前から直後にかけてのドサクサのおりに、支払われた」(本書166頁)とある。


変わり身が早いのも「死の商人」。戦後、三菱造船所は「アメリカの軍需工場」に変わった(本書167頁)


「死の商人」は時の権力者と結びついて、マスコミをも牛耳り、「平和のためには戦争が不可欠」と宣伝して平和を願う国民を戦争に引きずり込む。また、「死の商人」は、フェニックスのように祖国の敗戦をも乗り越えて、よみがえる。だから「死の商人」は、現在「軍需独占体の国際的結合」となって「恐るべき怪獣、怪竜」となり、「我が物顔で世界を徘徊している」(本書173頁)

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2020年06月22日

江戸川乱歩『押絵と旅する男』


 この話が私の夢か私の一時的狂気のまぼろしでなかったならば、あの押絵おしえと旅をしていた男こそ狂人であったに相違そういない。だが、夢が時として、どこかこの世界と喰違くいちがった別の世界を、チラリとのぞかせてくれるように、また狂人が、我々のまったく感じ得ぬ物事を見たり聞いたりすると同じに、これは私が、不可思議な大気のレンズ仕掛けを通して、一刹那いっせつな、この世の視野の外にある、別の世界の一隅いちぐうを、ふと隙見すきみしたのであったかも知れない。
 いつとも知れぬ、ある暖かい薄曇った日のことである。その時、私は態々わざわざ魚津へ蜃気楼しんきろうを見に出掛けた帰りみちであった。私がこの話をすると、時々、お前は魚津なんかへ行ったことはないじゃないかと、親しい友達に突っ込まれることがある。そうわれて見ると、私は何時いつの何日に魚津へ行ったのだと、ハッキリ証拠を示すことが出来ぬ。それではやっぱり夢であったのか。だが私はかつて、あのように濃厚な色彩を持った夢を見たことがない。夢の中の景色けしきは、映画と同じに、全く色彩を伴わぬものであるのに、あのおりの汽車の中の景色けは、それもあの毒々しい押絵の画面が中心になって、紫と臙脂えんじかった色彩で、まるでへびの眼の瞳孔どうこうの様に、生々しく私の記憶にやきついている。着色映画の夢というものがあるのであろうか。
 私はその時、生れて初めて蜃気楼というものを見た。はまぐりの息の中に美しい龍宮城りゅうぐうじょうの浮んでいる、あの古風な絵を想像していた私は、本物の蜃気楼を見て、膏汗あぶらあせのにじむ様な、恐怖に近い驚きに撃たれた。
 魚津の浜の松並木に豆粒の様な人間がウジャウジャと集まって、息を殺して、眼界一杯の大空と海面とを眺めていた。私はあんな静かな、唖の様にだまっている海を見たことがない。日本海は荒海と思い込んでいた私には、それもひどく意外であった。その海は、灰色で、全く小波さざなみ一つなく、無限の彼方かなたにまで打続く沼かと思われた。そして、太平洋の海の様に、水平線はなくて、海と空とは、同じ灰色に溶け合い、厚さの知れぬもやに覆いつくされた感じであった。空だとばかり思っていた、上部の靄の中を、案外にもそこが海面であって、フワフワと幽霊の様な、大きな白帆しらほが滑って行ったりした。
 蜃気楼とは、乳色ちちいろのフィルムの表面に墨汁ぼくじゅうをたらして、それが自然にジワジワとにじんで行くのを、途方とほうもなく巨大な映画にして、大空に映し出した様なものであった。
 はるかな能登のと半島の森林が、喰違くいちがった大気の変形レンズを通して、すぐ目の前の大空に、焦点のよく合わぬ顕微鏡けんびきょうの下の黒い虫みたいに、曖昧あいまいに、しかも馬鹿馬鹿しく拡大されて、見る者の頭上におしかぶさって来るのであった。それは、妙な形の黒雲と似ていたけれど、黒雲なればその所在がハッキリ分っているに反し、蜃気楼は、不思議にも、それと見る者との距離が非常に曖昧なのだ。遠くの海上に漂う大入道おおにゅうどうの様でもあり、ともすれば、眼前一尺に迫る異形いぎょうの靄かと見え、はては、見る者の角膜かくまくの表面に、ポッツリと浮んだ、一点の曇りの様にさえ感じられた。この距離の曖昧さが、蜃気楼に、想像以上の不気味な気違いめいた感じを与えるのだ。
 曖昧な形の、真黒な巨大な三角形が、塔の様に積重なって行ったり、またたく間にくずれたり、横に延びて長い汽車の様に走ったり、それが幾つかにくずれ、立並たちならひのきこずえと見えたり、じっと動かぬ様でいながら、いつとはなく、全く違った形に化けて行った。
 蜃気楼の魔力が、人間を気違いにするものであったなら、恐らく私は、少くとも帰り途の汽車の中までは、その魔力を逃れることが出来なかったのであろう。二時間のも立ち尽して、大空の妖異を眺めていた私は、その夕方魚津を立って、汽車の中に一夜を過ごすまで、全く日常と異った気持でいたことはたしかである。しかしたら、それは通り魔の様に、人間の心をかすめおかす所の、一時的狂気のたぐいででもあったであろうか。
 魚津の駅から上野への汽車に乗ったのは、夕方の六時頃であった。不思議な偶然であろうか、あの辺の汽車はいつでもそうなのか、私の乗った二等車は、教会堂の様にガランとしていて、私のほかにたった一人の先客が、向うのすみのクッションにうずくまっているばかりであった。
 汽車はさびしい海岸の、けわしいがけや砂浜の上を、単調な機械の音を響かせて、はてしもなく走っている。沼の様な海上の、靄の奥深く、黒血くろちの色の夕焼が、ボンヤリと感じられた。異様に大きく見える白帆が、その中を、夢の様に滑っていた。少しも風のない、むしむしする日であったから、所々開かれた汽車の窓から、進行につれて忍び込むそよ風も、幽霊ゆうれいの様に尻切れとんぼであった。沢山たくさんの短いトンネルと雪けの柱の列が、広漠こうばくたる灰色の空と海とを、縞目しまめに区切って通り過ぎた。
 親不知の断崖を通過する頃、車内の電燈と空の明るさとが同じに感じられた程、夕闇が迫って来た。丁度その時分向うの隅のたった一人の同乗者が、突然立上って、クッションの上に大きな黒繻子くろじゅす風呂敷ふろしきを広げ、窓に立てかけてあった、二尺に三尺程の、扁平へんぺいな荷物を、その中へ包み始めた。それが私に何とやら奇妙な感じを与えたのである。
 その扁平なものは、多分がくに相違ないのだが、それの表側の方を、何か特別の意味でもあるらしく、窓ガラスに向けて立てかけてあった。一度風呂敷に包んであったものを、態々わざわざ取出して、そんな風に外に向けて立てかけたものとしか考えられなかった。それに、彼が再び包む時にチラと見た所によると、額の表面に描かれた極彩色の絵が、妙に生々しく、何となく世のつねならず見えたことであった。
 私はあらためて、このへんてこな荷物の持主を観察した。そして、持主その人が、荷物の異様さにもまして、一段と異様であったことに驚かされた。
 彼は非常に古風な、我々の父親の若い時分の色あせた写真でしか見ることの出来ない様な、えりの狭い、肩のすぼけた、黒の背広服を着ていたが、しかしそれが、背が高くて、足の長い彼に、妙にシックリと合って、はなは意気いきにさえ見えたのである。顔は細面ほそおもてで、両眼が少しギラギラし過ぎていた外は、一体によく整っていて、スマートな感じであった。そして、綺麗きれいに分けた頭髪が、豊に黒々と光っているので、一見四十前後であったが、よく注意して見ると、顔中におびただしいしわがあって、一飛びに六十位にも見えぬことはなかった。この黒々とした頭髪と、色白の顔面を縦横にきざんだ皺との対照が、初めてそれに気附いた時、私をハッとさせた程も、非常に不気味な感じを与えた。
 彼は叮嚀ていねいに荷物を包み終ると、ひょいと私の方に顔を向けたが、丁度私の方でも熱心に相手の動作を眺めていた時であったから、二人の視線がガッチリとぶっつかってしまった。すると、彼は何か恥かしそうくちびるの隅を曲げて、かすかに笑って見せるのであった。私も思わず首を動かして挨拶あいさつを返した。
 それから、小駅を二三通過する間、私達はおたがいの隅に坐ったまま、遠くから、時々視線をまじえては、気まずく外方そっぽを向くことを、繰返していた。外は全く暗闇になっていた。窓ガラスに顔を押しつけて覗いて見ても、時たま沖の漁船の舷燈げんとうが遠く遠くポッツリと浮んでいる外には、全く何の光りもなかった。際涯はてしのない暗闇の中に、私達の細長い車室けが、たった一つの世界の様に、いつまでもいつまでも、ガタンガタンと動いて行った。そのほの暗い車室の中に、私達二人丈けを取り残して、全世界が、あらゆる生き物が、跡方あとかたもなく消えせてしまった感じであった。
 私達の二等車には、どの駅からも一人の乗客もなかったし、列車ボーイや車掌も一度も姿を見せなかった。そういう事も今になって考えて見ると、甚だ奇怪に感じられるのである。
 私は、四十歳にも六十歳にも見える、西洋の魔術師の様な風采ふうさいのその男が、段々怖くなって来た。怖さというものは、ほかにまぎれる事柄のない場合には、無限に大きく、身体からだ中一杯に拡がって行くものである。私はついには、産毛うぶげの先までも怖さが満ちて、たまらなくなって、突然立上ると、向うの隅のその男の方へツカツカと歩いて行った。その男がいとわしく、恐ろしければこそ、私はその男に近づいて行ったのであった。
 私は彼と向き合ったクッションへ、そっと腰をおろし、近寄れば一層異様に見える彼の皺だらけの白い顔を、私自身が妖怪ででもある様な、一種不可思議な、顛倒てんとうした気持で、目を細く息を殺してじっと覗き込んだものである。
 男は、私が自分の席を立った時から、ずっと目で私を迎える様にしていたが、そうして私が彼の顔を覗き込むと、待ち受けていた様に、あごかたわらの例の扁平な荷物を指し示し、何の前置きもなく、さもそれが当然の挨拶ででもある様に、
「これでございますか」
 と云った。その口調が、余り当り前であったので、私はかえって、ギョッとした程であった。
「これが御覧になりたいのでございましょう」
 私が黙っているので、彼はもう一度同じことを繰返した。
「見せて下さいますか」
 私は相手の調子に引込まれて、つい変なことを云ってしまった。私は決してその荷物を見たいために席を立ったわけではなかったのだけれど。
「喜んで御見せ致しますよ。わたくしは、さっきから考えていたのでございますよ。あなたはきっとこれを見におでなさるだろうとね」
 男は――むしろ老人と云った方がふさわしいのだが――そう云いながら、長い指で、器用に大風呂敷をほどいて、その額みたいなものを、今度は表を向けて、窓の所へ立てかけたのである。
 私は一目チラッと、その表面を見ると、思わず目をとじた。何故なぜであったか、その理由は今でも分らないのだが、何となくそうしなければならぬ感じがして、数秒の間目をふさいでいた。再び目をいた時、私の前に、嘗て見たことのない様な、奇妙なものがあった。と云って、私はその「奇妙」な点をハッキリと説明する言葉を持たぬのだが。
 額には歌舞伎かぶき芝居の御殿の背景みたいに、いくつもの部屋を打抜いて、極度の遠近法で、青畳あおだたみ格子天井こうしてんじょうが遙か向うの方まで続いている様な光景が、あいを主とした泥絵具どろえのぐで毒々しく塗りつけてあった。左手の前方には、墨黒々と不細工ぶさいくな書院風の窓が描かれ、同じ色の文机ふづくえが、そのそばに角度を無視した描き方で、据えてあった。それらの背景は、あの絵馬札えまふだの絵の独特な画風に似ていたと云えば、一番よく分るであろうか。
 その背景の中に、一尺位のたけの二人の人物が浮き出していた。浮き出していたと云うのは、その人物丈けが、押絵細工で出来ていたからである。黒天鵞絨くろびろうどの古風な洋服を着た白髪しらがの老人が、窮屈きゅうくつそうに坐っていると、(不思議なことには、その容貌が、髪の色を除くと、額の持主の老人にそのままなばかりか、着ている洋服の仕立方までそっくりであった)緋鹿ひか振袖ふりそでに、黒繻子の帯の映りのよい十七八の、水のたれる様な結綿ゆいわたの美少女が、何とも云えぬ嬌羞きょうしゅうを含んで、その老人の洋服のひざにしなだれかかっている、わば芝居の濡れ場に類する画面であった。
 洋服の老人と色娘の対照と、甚だ異様であったことは云うまでもないが、だが私が「奇妙」に感じたというのはそのことではない。
 背景の粗雑に引かえて、押絵の細工の精巧なことは驚くばかりであった。顔の部分は、白絹は凹凸おうとつを作って、細い皺まで一つ一つ現わしてあったし、娘の髪は、本当の毛髪を一本一本植えつけて、人間の髪を結う様に結ってあり、老人の頭は、これも多分本物の白髪を、丹念に植えたものに相違なかった。洋服には正しい縫い目があり、適当な場所に粟粒あわつぶ程のぼたんまでつけてあるし、娘の乳のふくらみと云い、腿のあたりのなまめいた曲線と云い、こぼれた緋縮緬ひぢりめん、チラと見える肌の色、指には貝殻かいがらの様な爪が生えていた。虫眼鏡むしめがねで覗いて見たら、毛穴や産毛まで、ちゃんとこしらえてあるのではないかと思われた程である。
 私は押絵と云えば、羽子板はごいたの役者の似顔の細工しか見たことがなかったが、そして、羽子板の細工にも、随分ずいぶん精巧なものもあるのだけれど、この押絵は、そんなものとは、まるで比較にもならぬ程、巧緻こうちを極めていたのである。恐らくその道の名人の手に成ったものであろうか。だが、それが私の所謂いわゆる「奇妙」な点ではなかった。
 額全体が余程よほど古いものらしく、背景の泥絵具は所々はげおちていたし、娘の緋鹿の子も、老人の天鵞絨も、見る影もなく色あせていたけれど、はげ落ち色あせたなりに、名状めいじょうがたき毒々しさを保ち、ギラギラと、見る者の眼底にやきつく様な生気を持っていたことも、不思議と云えば不思議であった。だが、私の「奇妙」という意味はそれでもない。
 それは、若ししいて云うならば、押絵の人物が二つとも、生きていたことである。
 文楽ぶんらくの人形芝居で、一日の演技の内に、たった一度か二度、それもほんの一瞬間、名人の使っている人形が、ふと神の息吹いぶきをかけられでもした様に、本当に生きていることがあるものだが、この押絵の人物は、その生きた瞬間の人形を、命の逃げ出すすきを与えず、咄嗟とっさの間に、そのまま板にはりつけたという感じで、永遠に生きながらえているかと見えたのである。
 私の表情に驚きの色を見て取ったからか、老人は、いとたのもしげな口調で、ほとんど叫ぶ様に、
「アア、あなたは分って下さるかも知れません」
 と云いながら、肩から下げていた、黒革くろかわのケースを、叮嚀にかぎで開いて、その中から、いとも古風な双眼鏡を取り出してそれを私の方へ差出すのであった。
「コレ、この遠眼鏡とおめがねで一度御覧下さいませ。イエ、そこからでは近すぎます。失礼ですが、もう少しあちらの方から。左様さよう丁度その辺がようございましょう」
 誠に異様な頼みではあったけれど、私は限りなき好奇心のとりことなって、老人の云うがままに、席を立って額から五六歩遠ざかった。老人は私の見易い様に、両手で額を持って、電燈にかざしてくれた。今から思うと、実に変てこな、気違いめいた光景であったに相違ないのである。
 遠眼鏡と云うのは、恐らく二三十年も以前の舶来品であろうか、私達が子供の時分、よく眼鏡屋の看板で見かけた様な、異様な形のプリズム双眼鏡であったが、それが手摺てずれの為に、黒い覆皮おおいがわがはげて、所々真鍮しんちゅう生地きじが現われているという、持主の洋服と同様に、如何いかにも古風な、物懐ものなつかしい品物であった。
 私は珍らしさに、しばらくその双眼鏡をひねくりまわしていたが、やがて、それを覗く為に、両手で眼の前に持って行った時である。突然、実に突然、老人が悲鳴に近い叫声さけびごえを立てたので、私は、あやうく眼鏡を取落す所であった。
「いけません。いけません。それはさかさですよ。さかさに覗いてはいけません。いけません」
 老人は、真青まっさおになって、目をまんまるに見開いて、しきりと手を振っていた。双眼鏡を逆に覗くことが、ぜそれ程大変なのか、私は老人の異様な挙動を理解することが出来なかった。
成程なるほど、成程、さかさでしたっけ」
 私は双眼鏡を覗くことに気を取られていたので、この老人の不審な表情を、さして気にもとめず、眼鏡を正しい方向に持ち直すと、急いでそれを目に当てて押絵の人物を覗いたのである。
 焦点が合って行くに従って、二つの円形の視野が、徐々に一つに重なり、ボンヤリとした虹の様なものが、段々ハッキリして来ると、びっくりする程大きな娘の胸から上が、それが全世界ででもある様に、私の眼界一杯に拡がった。
 あんな風な物の現われ方を、私はあとにも先にも見たことがないので、読む人に分らせるのが難儀なのだが、それに近い感じを思い出して見ると、例えば、舟の上から、海にもぐったあまの、ある瞬間の姿に似ていたとでも形容すべきであろうか。蜑の裸身はだかみが、底の方にある時は、青い水の層の複雑な動揺の為に、その身体が、まるで海草の様に、不自然にクネクネと曲り、輪廓りんかくもぼやけて、白っぽいおばけみたいに見えているが、それが、つうッと浮上って来るに従って、水の層の青さが段々薄くなり、形がハッキリして来て、ポッカリと水上に首を出すと、その瞬間、ハッと目が覚めた様に、水中の白いお化が、たちまち人間の正体を現わすのである。丁度それと同じ感じで、押絵の娘は、双眼鏡の中で、私の前に姿を現わし、実物大の、一人の生きた娘として、うごめき始めたのである。
 十九世紀の古風なプリズム双眼鏡の玉の向う側には、全く私達の思いも及ばぬ別世界があって、そこに結綿ゆいわた色娘いろむすめと、古風な洋服の白髪男とが、奇怪な生活を営んでいる。覗いては悪いものを、私は今魔法使に覗かされているのだ。といった様な形容の出来ない変てこな気持で、併し私はかれた様にその不可思議な世界に見入ってしまった。
 娘は動いていた訳ではないが、その全身の感じが、肉眼で見た時とは、ガラリと変って、生気に満ち、青白い顔がやや桃色に上気し、胸は脈打ち(実際私は心臓の鼓動こどうをさえ聞いた)肉体からは縮緬の衣裳を通して、むしむしと、若い女の生気が蒸発して居る様に思われた。
 私は一渡り、女の全身を、双眼鏡の先で、め廻してから、その娘がしなだれ掛っている、仕合しあわせな白髪男の方へ眼鏡を転じた。
 老人も、双眼鏡の世界で、生きていたことは同じであったが、見た所四十程も年の違う、若い女の肩に手を廻して、さも幸福そうな形でありながら、妙なことには、レンズ一杯の大きさに写った、彼の皺の多い顔が、その何百本の皺の底で、いぶかしく苦悶くもんの相を現わしているのである。それは、老人の顔がレンズの為に眼前一尺の近さに、異様に大きく迫っていたからでもあったであろうが、見つめていればいる程、ゾッと怖くなる様な、悲痛と恐怖との混り合った一種異様の表情であった。
 それを見ると、私はうなされた様な気分になって、双眼鏡を覗いていることが、耐え難く感じられたので、思わず、目を離して、キョロキョロとあたりを見廻した。すると、それはやっぱり淋しい夜の汽車の中であって、押絵の額も、それをささげた老人の姿も、元のままで、窓の外は真暗まっくらだし、単調な車輪のひびきも、変りなく聞えていた。悪夢からめた気持であった。
「あなた様は、不思議そうな顔をしておいでなさいますね」
 老人は額を、元の窓の所へ立てかけて、席につくと、私にもその向う側へ坐る様に、手真似をしながら、私の顔を見つめて、こんなことを云った。
「私の頭が、どうかしている様です。いやにしますね」
 私はてれ隠しみたいな挨拶をした。すると老人は、猫背ねこぜになって、顔をぐっと私の方へ近寄せ、膝の上で細長い指を合図でもする様に、ヘラヘラと動かしながら、低い低いささやき声になって、
「あれらは、生きて居りましたろう」
 と云った。そして、さも一大事を打開けるといった調子で、一層猫背になって、ギラギラした目をまん丸に見開いて、私の顔を穴のあく程見つめながら、こんなことを囁くのであった。
「あなたは、あれらの、本当の身の上話を聞きいとはおぼしめしませんかね」
 私は汽車の動揺と、車輪の響の為に、老人の低い、つぶやく様な声を、聞き間違えたのではないかと思った。
「身の上話とおっしゃいましたか」
「身の上話でございますよ」老人はやっぱり低い声で答えた。「ことに、一方の、白髪の老人の身の上話をでございますよ」
「若い時分からのですか」
 私も、その晩は、何故なぜか妙に調子はずれな物の云い方をした。
「ハイ、あれが二十五歳の時のお話でございますよ」
是非ぜひうかがいたいものですね」
 私は、普通の生きた人間の身の上話をでも催促する様に、ごく何でもないことの様に、老人をうながしたのである。すると、老人は顔の皺を、さも嬉しそうにゆがめて、「アア、あなたは、やっぱり聞いて下さいますね」と云いながら、さて、次の様な世にも不思議な物語を始めたのであった。
「それはもう、一生涯の大事件ですから、よく記憶して居りますが、明治二十八年の四月の、兄があんなに(と云って彼は押絵の老人を指さした)なりましたのが、二十七日の夕方のことでござりました。当時、私も兄も、まだ部屋住みで、住居すまい日本橋通にほんばしとおり三丁目でして、親爺おやじが呉服商を営んで居りましたがね。何でも浅草の十二階が出来て、間もなくのことでございましたよ。だもんですから、兄なんぞは、毎日の様にあの凌雲閣りょううんかくへ昇って喜んでいたものです。と申しますのが、兄は妙に異国物が好きで、新しがり屋でござんしたからね。この遠眼鏡にしろ、やっぱりそれで、兄が外国船の船長の持物だったという奴を、横浜よこはまの支那人町の、変てこな道具屋の店先で、めっけて来ましてね。当時にしちゃあ、随分高いお金を払ったと申して居りましたっけ」
 老人は「兄が」と云うたびに、まるでそこにその人が坐ってでもいる様に、押絵の老人の方に目をやったり、指さしたりした。老人は彼の記憶にある本当の兄と、その押絵の白髪の老人とを、混同して、押絵が生きて彼の話を聞いてでもいる様な、すぐそばに第三者を意識した様な話し方をした。だが、不思議なことに、私はそれを少しもおかしいとは感じなかった。私達はその瞬間、自然の法則を超越した、我々の世界とどこかで喰違っているところの、別の世界に住んでいたらしいのである。
「あなたは、十二階へ御昇りなすったことがおありですか。アア、おありなさらない。それは残念ですね。あれは一体どこの魔法使が建てましたものか、実に途方もない、変てこれんな代物でございましたよ。表面は伊太利イタリーの技師のバルトンと申すものが設計したことになっていましたがね。まあ考えて御覧なさい。その頃の浅草公園と云えば、名物が先ず蜘蛛男くもおとこ見世物みせもの、娘剣舞に、玉乗り、源水の独楽廻こままわしに、覗きからくりなどで、せいぜい変った所が、お富士さまの作り物に、メーズと云って、八陣隠れ杉の見世物位でございましたからね。そこへあなた、ニョキニョキと、まあ飛んでもない高い煉瓦造れんがづくりの塔が出来ちまったんですから、驚くじゃござんせんか。高さが四十六間と申しますから、半丁の余で、八角型の頂上が、唐人とうじんの帽子みたいに、とんがっていて、ちょっと高台へ昇りさえすれば、東京中どこからでも、その赤いお化が見られたものです。
 今も申す通り、明治二十八年の春、兄がこの遠眼鏡を手に入れて間もない頃でした。兄の身に妙なことが起って参りました。親爺なんぞ、兄め気でも違うのじゃないかって、ひどく心配して居りましたが、私もね、お察しでしょうが、馬鹿に兄思いでしてね、兄の変てこれんなそぶりが、心配で心配でたまらなかったものです。どんな風かと申しますと、兄はご飯もろくろくたべないで、家内の者とも口を利かず、うちにいる時は一間にとじこもって考え事ばかりしている。身体はせてしまい、顔は肺病やみの様に土気色つちけいろで、目ばかりギョロギョロさせている。もっと平常ふだんから顔色のいい方じゃあござんせんでしたがね。それが一倍青ざめて、沈んでいるのですから、本当に気の毒な様でした。そのくせね、そんなでいて、毎日欠かさず、まるで勤めにでも出る様に、おひるッから、日暮れ時分まで、フラフラとどっかへ出掛けるんです。どこへ行くのかって、聞いて見ても、ちっとも云いません。母親が心配して、兄のふさいでいる訳を、手を変え品を変え尋ねても、少しも打開うちあけません。そんなことが一月程も続いたのですよ。
 あんまり心配だものだから、私はある日、兄が一体どこへ出掛るのかと、ソッとあとをつけました。そうする様に、母親が私に頼むもんですからね。兄はその日も、丁度今日の様などんよりとした、いやな日でござんしたが、おひるすぎから、その頃兄の工風くふうで仕立てさせた、当時としては飛び切りハイカラな、黒天鵞絨の洋服を着ましてね、この遠眼鏡を肩から下げ、ヒョロヒョロと、日本橋通りの、馬車鉄道の方へ歩いて行くのです。私は兄に気どられぬ様に、ついて行った訳ですよ。よござんすか。しますとね、兄は上野うえの行きの馬車鉄道を待ち合わせて、ひょいとそれに乗り込んでしまったのです。当今の電車と違って、次の車に乗ってあとをつけるという訳には行きません。何しろ車台がすくのござんすからね。私は仕方がないので母親にもらったお小遣いをふんぱつして、人力車に乗りました。人力車だって、少し威勢のいい挽子ひきこなれば馬車鉄道を見失わない様に、あとをつけるなんぞ、訳なかったものでございますよ。
 兄が馬車鉄道を降りると、私も人力車を降りて、又テクテクと跡をつける。そうして、行きついた所が、なんと浅草の観音様じゃございませんか。兄は仲店なかみせから、お堂の前を素通りして、お堂裏の見世物小屋の間を、人波をかき分ける様にしてさっき申上げた十二階の前まで来ますと、石の門を這入はいって、お金を払って「凌雲閣」という額の上った入口から、塔の中へ姿を消したじゃあございませんか。まさか兄がこんな所へ、毎日毎日かよっていようとは、夢にも存じませんので、私はあきれてしまいましたよ。子供心にね、私はその時まだ二十はたちにもなってませんでしたので、兄はこの十二階の化物に魅入みいられたんじゃないかなんて、変なことを考えたものですよ。
 私は十二階へは、父親につれられて、一度昇った切りで、その後行ったことがありませんので、何だか気味が悪い様に思いましたが、兄が昇って行くものですから、仕方がないので、私も、一階位おくれて、あの薄暗い石の段々を昇って行きました。窓も大きくございませんし、煉瓦の壁が厚うござんすので、穴蔵の様に冷々と致しましてね。それに日清にっしん戦争の当時ですから、その頃は珍らしかった、戦争の油絵が、一方の壁にずっと懸け並べてあります。まるで狼みたいな、おっそろしい顔をして、吠えながら、突貫している日本兵や、剣つき鉄砲に脇腹をえぐられ、ふき出す血のりを両手で押さえて、顔や唇を紫色にしてもがいている支那兵や、ちょんぎられた辮髪べんぱつの頭が、風船玉の様に空高く飛上っている所や、何とも云えない毒々しい、血みどろの油絵が、窓からの薄暗い光線で、テラテラと光っているのでございますよ。その間を、陰気な石の段々が、蝸牛かたつむりからみたいに、上へ上へと際限もなく続いて居ります。本当に変てこれんな気持ちでしたよ。
 頂上は八角形の欄干らんかん丈けで、壁のない、見晴らしの廊下になっていましてね、そこへたどりつくと、にわかにパッと明るくなって、今までの薄暗い道中が長うござんしただけに、びっくりしてしまいます。雲が手の届きそうな低い所にあって、見渡すと、東京中の屋根がごみみたいに、ゴチャゴチャしていて、品川しながわ御台場おだいばが、盆石ぼんせきの様に見えて居ります。目まいがしそうなのを我慢して、下を覗きますと、観音様かんのんさまの御堂だってずっと低い所にありますし、小屋掛けの見世物が、おもちゃの様で、歩いている人間が、頭と足ばかりに見えるのです。
 頂上には、十人余りの見物が一かたまりになっておっかな相な顔をして、ボソボソ小声で囁きながら、品川の海の方を眺めて居りましたが、兄はと見ると、それとは離れた場所に、一人ぼっちで、遠眼鏡を目に当てて、しきりと浅草の境内けいだいを眺め廻して居りました。それをうしろから見ますと、白っぽくどんよりどんよりとした雲ばかりの中に、兄の天鵞絨の洋服姿が、クッキリと浮上って、下の方のゴチャゴチャしたものが何も見えぬものですから、兄だということは分っていましても、何だか西洋の油絵の中の人物みたいな気持がして、神々こうごうしい様で、言葉をかけるのもはばかられた程でございましたっけ。
 でも、母の云いつけを思い出しますと、そうもしていられませんので、私は兄のうしろに近づいて『兄さん何を見ていらっしゃいます』と声をかけたのでございます。兄はビクッとして、振向きましたが、気拙きまずい顔をして何も云いません。私は『兄さんの此頃このごろの御様子には、御父さんもお母さんも大変心配していらっしゃいます。毎日毎日どこへ御出掛なさるのかと不思議に思って居りましたら、兄さんはこんな所へ来ていらしったのでございますね。どうかその訳を云って下さいまし。日頃仲よしの私に丈けでも打開けて下さいまし』と、近くに人のいないのを幸いに、その塔の上で、兄をかき口説くどいたものですよ。
 仲々打開けませんでしたが、私が繰返し繰返し頼むものですから、兄も根負こんまけをしたと見えまして、とうとう一ヶ月来の胸の秘密を私に話してくれました。ところが、その兄の煩悶はんもんの原因と申すものが、これが又誠に変てこれんな事柄だったのでございますよ。兄が申しますには、一月ばかり前に、十二階へ昇りまして、この遠眼鏡で観音様の境内を眺めて居りました時、人込みの間に、チラッと、一人の娘の顔を見たのだ相でございます。その娘が、それはもう何とも云えない、この世のものとも思えない、美しい人で、日頃女には一向いっこう冷淡であった兄も、その遠眼鏡の中の娘丈けには、ゾッと寒気がした程も、すっかり心を乱されてしまったと申しますよ。
 その時兄は、一目見た丈けで、びっくりして、遠眼鏡をはずしてしまったものですから、もう一度見ようと思って、同じ見当を夢中になって探した相ですが、眼鏡の先が、どうしてもその娘の顔にぶっつかりません。遠眼鏡では近くに見えても実際は遠方のことですし、沢山の人混みの中ですから、一度見えたからと云って、二度目に探し出せるとまったものではございませんからね。
 それからと申すもの、兄はこの眼鏡の中の美しい娘が忘れられず、極々ごくごく内気なひとでしたから、古風な恋わずらいをわずらい始めたのでございます。今のお人はお笑いなさるかも知れませんが、その頃の人間は、誠におっとりしたものでして、行きずりに一目見た女を恋して、わずらいついた男なども多かった時代でございますからね。云うまでもなく、兄はそんなご飯もろくろくたべられない様な、衰えた身体を引きずって、又その娘が観音様の境内を通りかかることもあろうかと悲しい空頼そらだのみから、毎日毎日、勤めの様に、十二階に昇っては、眼鏡を覗いていた訳でございます。恋というものは、不思議なものでございますね。
 兄は私に打開けてしまうと、又熱病やみの様に眼鏡を覗き始めましたっけが、私は兄の気持にすっかり同情致しましてね、千に一つも望みのない、無駄むだな探し物ですけれど、おしなさいと止めだてする気も起らず、余りのことに涙ぐんで、兄のうしろ姿をじっと眺めていたものですよ。するとその時……ア、私はあの怪しくも美しかった光景を、忘れることが出来ません。三十年以上も昔のことですけれど、こうして眼をふさぎますと、その夢の様な色どりが、まざまざと浮んで来る程でございます。
 さっきも申しました通り、兄のうしろに立っていますと、見えるものは、空ばかりで、モヤモヤとした、むら雲の中に、兄のほっそりとした洋服姿が、絵の様に浮上って、むら雲の方で動いているのを、兄の身体が宙に漂うかと見誤みあやまるばかりでございました。がそこへ、突然、花火でも打上げた様に、白っぽい大空の中を、赤や青や紫の無数の玉が、先を争って、フワリフワリと昇って行ったのでございます。お話したのでは分りますまいが、本当に絵の様で、又何かの前兆の様で、私は何とも云えない怪しい気持になったものでした。何であろうと、急いで下を覗いて見ますと、どうかしたはずみで、風船屋が粗相そそうをして、ゴム風船を、一度に空へ飛ばしたものと分りましたが、その時分は、ゴム風船そのものが、今よりはずっと珍らしゅうござんしたから正体が分っても、私はまだ妙な気持がして居りましたものですよ。
 妙なもので、それがきっかけになったという訳でもありますまいが、丁度その時、兄は非常に興奮した様子で、青白い顔をぽっと赤らめ息をはずませて、私の方へやって参り、いきなり私の手をとって『さあ行こう。早く行かぬと間に合わぬ』と申して、グングン私を引張るのでございます。引張られて、塔の石段をかけ降りながら、訳を尋ねますと、いつかの娘さんが見つかったらしいので、青畳あおだたみを敷いた広い座敷に坐っていたから、これから行っても大丈夫元の所にいると申すのでございます。
 兄が見当をつけた場所というのは、観音堂の裏手の、大きな松の木が目印で、そこに広い座敷があったと申すのですが、さて、二人でそこへ行って、探して見ましても、松の木はちゃんとありますけれど、その近所には、家らしい家もなく、まるで狐につままれた様な鹽梅あんばいなのですよ。兄の気の迷いだとは思いましたが、しおれ返っている様子が、余り気の毒だものですから、気休めに、その辺の掛茶屋などを尋ね廻って見ましたけれども、そんな娘さんの影も形もありません。
 探している間に、兄と分れ分れになってしまいましたが、掛茶屋を一巡して、暫くたって元の松の木の下へ戻って参りますとね、そこには色々な露店に並んで、一軒の覗きからくり屋が、ピシャンピシャンとむちの音を立てて、商売をして居りましたが、見ますと、その覗きの眼鏡を、兄が中腰になって、一生懸命覗いていたじゃございませんか。『兄さん何をしていらっしゃる』と云って、肩を叩きますと、ビックリして振向きましたが、その時の兄の顔を、私は今だに忘れることが出来ませんよ。何と申せばよろしいか、夢を見ている様なとでも申しますか、顔の筋がたるんでしまって、遠い所を見ている目つきになって、私に話す声さえも、変にうつろに聞えたのでございます。そして、『お前、私達が探していた娘さんはこの中にいるよ』と申すのです。
 そう云われたものですから、私は急いでおあしを払って、覗きの眼鏡を覗いて見ますと、それは八百屋お七の覗きからくりでした。丁度吉祥寺きちしょうじの書院で、お七が吉三きちざにしなだれかかっている絵が出て居りました。忘れもしません。からくり屋の夫婦者は、しわがれ声を合せて、鞭で拍子を取りながら、『膝でつっらついて、目で知らせ』と申す文句を歌っている所でした。アア、あの『膝でつっらついて、目で知らせ』という変な節廻ふしまわしが、耳についている様でございます。
 覗き絵の人物は押絵になって居りましたが、その道の名人の作であったのでしょうね。お七の顔の生々として綺麗であったこと。私の目にさえ本当に生きている様に見えたのですから、兄があんなことを申したのも、全く無理はありません。兄が申しますには『仮令たといこの娘さんが、拵えものの押絵だと分っても、私はどうもあきらめられない。悲しいことだがあきらめられない。たった一度でいい、私もあの吉三の様な、押絵の中の男になって、この娘さんと話がして見たい』と云って、ぼんやりと、そこに突っ立ったまま、動こうともしないのでございます。考えて見ますとその覗きからくりの絵が、光線を取る為に上の方がけてあるので、それが斜めに十二階の頂上からも見えたものに違いありません。
 その時分には、もう日がくれかけて、人足ひとあしもまばらになり、覗きの前にも、二三人のおかっぱの子供が、未練らしく立去り兼ねて、うろうろしているばかりでした。昼間からどんよりと曇っていたのが、日暮には、今にも一雨来そうに、雲が下って来て、一層おさえつけられる様な、気でも狂うのじゃないかと思う様な、いやな天候になって居りました。そして、耳の底にドロドロと太鼓たいこの鳴っている様な音が聞えているのですよ。その中で、兄は、じっと遠くの方を見据えて、いつまでもいつまでも、立ちつくして居りました。その間が、たっぷり一時間はあった様に思われます。
 もうすっかり暮切くれきって、遠くの玉乗りの花瓦斯はなガスが、チロチロと美しく輝き出した時分に、兄はハッと目が醒めた様に、突然私の腕をつかんで『アア、いいことを思いついた。お前、お頼みだから、この遠眼鏡をさかさにして、大きなガラス玉の方を目に当てて、そこから私を見ておくれでないか』と、変なことを云い出しました。『何故です』って尋ねても、『まあいいから、そうしておれな』と申して聞かないのでございます。一体私は生れつき眼鏡類を、余り好みませんので、遠眼鏡にしろ、顕微鏡にしろ、遠い所の物が、目の前へ飛びついて来たり、小さな虫けらが、けだものみたいに大きくなる、お化じみた作用が薄気味悪いのですよ。で、兄の秘蔵の遠眼鏡も、余り覗いたことがなく、覗いたことが少い丈けに、余計それが魔性ましょうの器械に思われたものです。しかも、日が暮て人顔もさだかに見えぬ、うすら淋しい観音堂の裏で、遠眼鏡をさかさにして、兄を覗くなんて、気違いじみてもいますれば、薄気味悪くもありましたが、兄がたって頼むものですから、仕方なく云われた通りにして覗いたのですよ。さかさに覗くのですから、二三間向うに立っている兄の姿が、二尺位に小さくなって、小さい丈けに、ハッキリと、闇の中に浮出して見えるのです。ほかの景色は何も映らないで、小さくなった兄の洋服姿丈けが、眼鏡の真中に、チンと立っているのです。それが、多分兄があとじさりに歩いて行ったのでしょう。見る見る小さくなって、とうとう一尺位の、人形みたいな可愛らしい姿になってしまいました。そして、その姿が、ツーッと宙に浮いたかと見ると、アッと思う間に、闇の中へ溶け込んでしまったのでございます。
 私は怖くなって、(こんなことを申すと、年甲斐としがいもないと思召おぼしめしましょうが、その時は、本当にゾッと、怖さが身にしみたものですよ)いきなり眼鏡を離して、「兄さん」と呼んで、兄の見えなくなった方へ走り出しました。ですが、どうした訳か、いくら探しても探しても兄の姿が見えません。時間から申しても、遠くへ行ったはずはないのに、どこを尋ねても分りません。なんと、あなた、こうして私の兄は、それっきり、この世から姿を消してしまったのでございますよ……それ以来というもの、私は一層遠眼鏡という魔性の器械を恐れる様になりました。ことにも、このどこの国の船長とも分らぬ、異人の持物であった遠眼鏡が、特別いやでして、ほかの眼鏡は知らず、この眼鏡丈けは、どんなことがあっても、さかさに見てはならぬ。さかさに覗けば凶事が起ると、固く信じているのでございます。あなたがさっき、これをさかさにお持ちなすった時、私があわててお止め申した訳がお分りでございましょう。
 ところが、長い間探し疲れて、元の覗き屋の前へ戻って参った時でした。私はハタとある事に気がついたのです。と申すのは、兄は押絵の娘に恋こがれた余り、魔性の遠眼鏡の力を借りて、自分の身体を押絵の娘と同じ位の大きさに縮めて、ソッと押絵の世界へ忍び込んだのではあるまいかということでした。そこで、私はまだ店をかたづけないでいた覗き屋に頼みまして、吉祥寺の場を見せて貰いましたが、なんとあなた、あんじょう、兄は押絵になって、カンテラの光りの中で、吉三の代りに、嬉し相な顔をして、お七を抱きしめていたではありませんか。
 でもね、私は悲しいとは思いませんで、そうして本望ほんもうを達した、兄の仕合せが、涙の出る程嬉しかったものですよ。私はその絵をどんなに高くてもよいから、必ず私に譲ってくれと、覗き屋に固い約束をして、(妙なことに、小姓の吉三の代りに洋服姿の兄が坐っているのを、覗き屋は少しも気がつかない様子でした)家へ飛んで帰って、一伍一什いちぶしじゅうを母に告げました所、父も母も、何を云うのだ。お前は気でも違ったのじゃないかと申して、何と云っても取上げてくれません。おかしいじゃありませんか。ハハハハハハ」老人は、そこで、さもさも滑稽こっけいだと云わぬばかりに笑い出した。そして、変なことには、私もまた、老人に同感して、一緒になって、ゲラゲラと笑ったのである。
「あの人たちは、人間は押絵なんぞになるものじゃないと思い込んでいたのですよ。でも押絵になった証拠には、そののち兄の姿が、ふっつりと、この世から見えなくなってしまったじゃありませんか。それをも、あの人たちは、家出したのだなんぞと、まるで見当違いな当て推量をしているのですよ。おかしいですね。結局、私は何と云われても構わず、母にお金をねだって、とうとうその覗き絵を手に入れ、それを持って、箱根はこねから鎌倉かまくらの方へ旅をしました。それはね、兄に新婚旅行がさせてやりたかったからですよ。こうして汽車に乗って居りますと、その時のことを思い出してなりません。やっぱり、今日の様に、この絵を窓に立てかけて、兄や兄の恋人に、外の景色を見せてやったのですからね。兄はどんなにか仕合せでございましたろう。娘の方でも、兄のこれ程の真心を、どうしていやに思いましょう。二人は本当の新婚者の様に、恥かし相に顔を赤らめながら、お互の肌と肌とを触れ合って、さもむつまじく、尽きぬ睦言むつごとを語り合ったものでございますよ。
 その後、父は東京の商売をたたみ、富山とやま近くの故郷へ引込みましたので、それにつれて、私もずっとそこに住んで居りますが、あれからもう三十年の余になりますので、久々で兄にも変った東京が見せてやり度いと思いましてね、こうして兄と一緒に旅をしている訳でございますよ。
 ところが、あなた、悲しいことには、娘の方は、いくら生きているとは云え、元々人の拵えたものですから、年をとるということがありませんけれど、兄の方は、押絵になっても、それは無理やりに形を変えたまでで、根が寿命のある人間のことですから、私達と同じ様に年をとって参ります。御覧下さいまし、二十五歳の美少年であった兄が、もうあの様に白髪になって、顔には醜い皺が寄ってしまいました。兄の身にとっては、どんなにか悲しいことでございましょう。相手の娘はいつまでも若くて美しいのに、自分ばかりが汚く老込んで行くのですもの。恐ろしいことです。兄は悲しげな顔をして居ります。数年以前から、いつもあんな苦し相な顔をして居ります。それを思うと、私は兄が気の毒で仕様しようがないのでございますよ」
 老人は暗然として押絵の中の老人を見やっていたが、やがて、ふと気がついた様に、
「アア、飛んだ長話を致しました。併し、あなたは分って下さいましたでしょうね。外の人達の様に、私を気違いだとはおっしゃいませんでしょうね。アア、それで私も話甲斐はなしがいがあったと申すものですよ。どれ、兄さん達もくたびれたでしょう。それに、あなた方を前に置いて、あんな話をしましたので、さぞかし恥かしがっておいででしょう。では、今やすませて上げますよ」
 と云いながら、押絵の額を、ソッと黒い風呂敷に包むのであった。その刹那、私の気のせいであったのか、押絵の人形達の顔が、少しくずれて、一寸恥かし相に、唇の隅で、私に挨拶の微笑を送った様に見えたのである。老人はそれきり黙り込んでしまった。私も黙っていた。汽車は相も変らず、ゴトンゴトンと鈍い音を立てて、闇の中を走っていた。
 十分ばかりそうしていると、車輪の音がのろくなって、窓の外にチラチラと、二つ三つの燈火あかりが見え、汽車は、どことも知れぬ山間の小駅に停車した。駅員がたった一人、ぽっつりと、プラットフォームに立っているのが見えた。
「ではお先へ、私は一晩ここの親戚へ泊りますので」
 老人は額の包みをかかえてヒョイと立上り、そんな挨拶を残して、車の外へ出て行ったが、窓から見ていると、細長い老人の後姿うしろすがたは(それが何と押絵の老人そのままの姿であったか)簡略な柵の所で、駅員に切符を渡したかと見ると、そのまま、背後の闇の中へ溶け込む様に消えて行ったのである。





底本:「江戸川乱歩全集 第5巻 押絵と旅する男」光文社文庫、光文社
   2005(平成17)年1月20日初版1刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第三巻」平凡社
   1932(昭和7)年1月
初出:「新青年」博文館
   1929(昭和4)年6月
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2020年06月21日

『ファウスト博士』(Doktor Faustus)トーマス・マン1947年小説。

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『ファウスト博士』(Doktor Faustus)トーマス・マン1947年小説。

架空の音楽家アドリアン・レーヴァーキューン(Adrian Leverkühn)のをファウスト伝説を、元にして描いたマン晩年の長編作品。

「一友人によって語られるドイツの作曲家アドリアン・レーヴァーキューンの生涯」という副題のとおり、古典語学者ゼレヌス・ツァイトブローム(Serenus Zeitblom)が年下の友人であるレーヴァーキューンの生涯を語り記す。作者が1901年に短編の素材として着想して、1943年になって長編に書き直した。


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ドイツが大戦末期がツァイトブロームの語りに重ねて、創作に必要な霊感を得るために意図的に梅毒にかかって、悪魔に魂を売り破滅に向かうレーヴァーキューン。ニーチェとシェーンベルクをモデルにして、滅びゆくドイツを象徴する人物で、物語全体はドイツへの批判であり作者の自己批判ともなっている。


『ファウストゥス博士』の成立には、レオンハルト・フランクからの問いかけに対して、主人公には特定のモデルはないと作者が答えて、ハノー・ブッデンブロークを除いて、これほど愛したキャラクターは他にいないと述べたという。


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2020年06月17日

音韻に対する感受性、想像力、そして象徴を操作できる表現力が必要

「不確かな朝」辻井喬

組曲

 

素朴なものを信じて

美しく生きた人の話が聞きたい

いつか

用意が出来たと言いきれる人の

優しさにについてすっかり聞きたい

 

・・・・

 

闘いに勝てば

だんだん淋しくなっていく

敗ければ

淋しいことも分からぬ程に

駄目になっていく

岐れ道に

いつも立たされ

夜の空の

冷えて行く気圏に懸る

俺の自負

 

塵に埋もれて

風に吹きよせられて

それでも背のびする

俺も

一人の

人間なのだ と

落下する時

言葉は悲鳴に聞え

やってきた

この荒地

 

枯れた木の倒れる

音を聞き

梢に鳴る

寂寞の風を聞き

過去と未来の

吊橋の上の気流の烈しさに

祈ろうとする手は黒くなり

それでも

自虐だけは許していない

 

荒地の

嵐の予感にたじろぎ

俺は腕を組む

俺の手と

霧の中に

鳩だけは守って

鬼のふりまく説話を食い

俺は今

おのれの存在を確かめる

・・・・

 


「樹」辻井喬

 

枝をのばし

空にむかって聳え

樹は一つの存在になる

 

太い幹のまわりで

細い葉は踊りを繰返し

僕等の傷は

昼間 杳い毛細管をとおって

静かに昇ってゆく

 

鳥が巣を作っても

樹は無縁だ

鳥は彼等の営みを生き

風が梢に鳴っても

それは 哀感の歌ではない

 

丘の上で

樹は閑静な意志になる

夕暮の色を沈め

燃えるもの 観念は谺して

うねり

地中の根にわだかまり

誰もまだ

梢の高みから国境の落日を見たものはない

 

樹が空にフ(ささ)げるのは

地壁の形

骨ばった枝は闘いの記録

梢 それは通念の涯ての現実

濶然と透る樹網の奥に

小さな雲が流れて

神の寝室 青い空がひかえている

 

風は樹に話しかける

樹はいつも無言だ

遠い空を渉る鳥だけが

時おり そこに翼を休める


「詩が、本当に詩といえる作品になっているかどうかについては、個性がどれくらいはっきり出ているかがたいへん重要な要素…(略)…現代詩を書いている人は数え切れないくらいいますが、この詩はあいつでなければ書けない、という風な詩はそんなに多くない」


「詩人には、詩を生み出す力−おそらく、音韻あるいは音の響きに対する感受性、それから想像力、そして象徴(シンボル)を操作できる表現力が必要」『詩が生まれるとき 私の現代詩入門』辻井喬(講談社)


辻井喬

財界人,詩人,小説家。本名堤清二。東京生れ。東大経済学部卒。在学中に日本共産党に入党,左翼運動を展開したが,のち離れる。同人誌《近代説話》などに詩を発表,詩集《異邦人》(1961年)で室生犀星賞を受賞した。一方,父の急逝で西武グループの流通部門を受け継ぎ,セゾングループを育成,堤清二は財界の知的リーダーとなる。小説《いつもと同じ春》(1983年)で平林たい子賞,小説《虹の岬》(1994年)で谷崎潤一郎賞受賞。2007年芸術院会員。代表作に《風の生涯》上下(2000年,新潮社),《父の肖像》(2004年,新潮社),《辻井喬詩集》正続(1967年,1995年,思潮社),《辻井喬コレクション》全8巻(2004年完結,河出書房新社)などがある。2012年文化功労者。→西武百貨店

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2020年06月15日

「春の山」久生十蘭


 蘆田周平はサンルームのつづきの日向くさい絨氈の上に寝ころがり、去年の冬から床のうえに放りだしてあった絵葉書を拾いあげた。パリのあやかしに憑かれ、ひとりで気負ったようになっている仲間がよこした自作の絵葉書である。
 八月にレジェが死んだと思ったら、この月の六日にユトリロが死んだ。パリでは毎日のように人生の一大事に逢着している。そちらはどうだ。古沼の淀みのなかで、相も変らずクラゲ同然にフワリフワリしているのだろう、などと生意気なことが書いてある。
 ユトリロが死んだことが、はたして人生の一大事かどうか、よく考えてみないとわからないが、周平の住んでいる世界はあまりにも無事で、ちょっと気をゆるめると、つづけさまに欠伸がでてとまらなくなる。
 周平は、日本間だけでも十五室もある義姉の実家にあたる松井甲子太郎の売空家に管理人がわりに入りこみ、サンルームの脇間にこもって絵を描いているうちに、まわりの景色がいつの間にか春になっていた。
 周平の住んでいる紅ヶ谷のあたりは北と東に山があり、西南が海にむいてひらいている関係で、鎌倉のうちでもとりわけ暖かく、南さがりになった山曲やまたわの日だまりで二月のうちにすみれが咲く。三月になると、空は子供が絵に塗る青のようなすき透った青さになり、薄色の山桜の下で草がはげしい緑を萌えたたせるといったぐあいになる。周平は抽象画の勉強にうちこんでいるが、そのほうは順列や二項定理の問題とおなじで、観念内の仕事だから、自然や風景に用はない。
 周平は画室にあぐらをかいて、欠伸ばかりしているが、にわかに春めいてきた気候のせいばかりでなくて、人間の居ない清潔すぎる環境の影響も、多分に作用しているふうだ。松井の家は居宅そのものも大きいが、屋敷がまたとりとめのないほど広い。鎌倉と逗子の境になる光明寺の裏山をうしろに背負ったような地形で、天照山の峯を越え、名越なごえの切通しを上から見おろすあたりまでが庭つづきになっている。いちど尾根をつたって、地境いになるらしいほうへ降りてみたが、谷もあれば川もあり、萱やむぐらにとじられた広い草地や、陽の目も通さない雑木林がはてもなくつづいている。この家の持主は千万円という値をつけて売りに出しているが、デフレのさなかに、こんなバカべら棒な家が右から左に売れるわけはない。見ただけで気疲れがし、愛想をつかして帰ってきた。
 去年の冬、十二月もおしつまった三十日の夜、光明寺の裏山へ門松にする姫小松を盗みに行った小坪の漁師の子供が、道に迷って谷へ落ちて死んだ。子供の母親が提灯を持って、「カネやーい、カネやーい」と叫びながら、尾根や谷戸の上の道を根気よく探しまわっていた。提灯の火は夜の明けるまで見えていた。思いかえしてみると、この半年ほどの間に、自然に人事がまじりあったのは、そのときだけだった。
 浄瑠璃寺の弥勒仏そっくりの顔をした由さんという六十ばかりになる常傭の植木屋と、仲間の六さんというのが、月に三度、庭を掃除しにくる。郵便配達の三三みささん、小坪で網元といわれている吉兵衛、その息子の吉青年……その辺が画室の常連だが、そういう組合せでは、いたずらに煩わしいばかりで、精神を高めてくれるような、なんの寄与もしない。とても、人生の一大事に逢着するというようなことにはならないのである。
 由さんは若いころ小博奕こばくちに凝って、横須賀のなんとか親分の身内になり、銀せの木刀を腰に差し、テラ箱を担いで田浦衣笠の辺を走りまわったこともあったそうで、そのころの気風が残っているのだとみえ、植木ばかりいじって暮しているくせに、いうことになんとなくクセがある。それは由さんだけのことではなくて、六さんも、三三も、吉兵衛も、その息子の吉青年も、遊び好きでアクの強いことにかけては、由さんと変りはない。吉青年は、おれたちは三浦党の後裔だなどと、つまらないことをいって威張っているが、紅ヶ谷、飯島、名越、三浦道寸の城のあった小坪あたりまでの地積は北条経時の領地で、明治の中頃に乱橋村という区分になり、名主だった松井の先々代に支配されていた村方むらかた一般の子孫なので、ものの考え方や生活感情に、習俗とでもいうような共通したものがあるらしい。周平にたいする当りかたはまず尋常で、東北の山奥の部落民のように他所者扱いをしていじめるようなことはしないけれども、正体の知れない、わけのわからないようなところがあって、簡単にはあしらいかねた。
 無為と倦怠の中で風化したような、この空家に入りこんだ当座、みじめなくらい孤独だが、煩わされることのない清らかなよろこびにみちた生活に、周平は深い満足を感じていたが、おいおい春めいてくると、おだやかすぎる気候と、人生のない淡泊すぎる環境におされ、いちど見切りをつけた煩わしい生活へ、人間がひしめきあう喧騒の世界へ、しばらく立戻ってみたいと思うようなこともあった。
 そういう春の朝、周平がモーターでタンクに水をあげて遊んでいるところへ、のっそりと六さんがやってきた。
「留守だと思ったら、居たな」
「六さんか、お茶でも飲んで行けよ」
「顔を見たから安心した。また来まさ」
 翌日、早がけに由さんがやってきた。
「生きて居たかね。十日も表の通りへ顔を見せねえから、患っているんじゃねえかと思って」
 勝手のかまちに腰をおろすと、煙草に火をつけて長い煙をふきだした。
「なア、困るじゃねえかよ。こんな陽気に、家にばかり籠っていちゃ毒だア。ちっと浜へでも出てみなせえ」
「海なら、毎日見ているよ」
「釣りはどうだ。釣りをするなら舟を出すが」
「舟に弱いから、海釣りはごめんだ」
「今日は彼岸の中日だが、なにか忘れていることがあるんじゃねえのか……五ノ日は地方の休み、十一日は浜方の潮休み……彼岸のお中日は、土地じゃ大切な日になっているんだが」
 周平は絵筆を洗いながら相手になっていたが、由さんのいいまわしのなかに、なにか気むずかしい絡むような調子がある。悪意ではない、親切なのだろうが、飲み屋で知らぬ客から盃を強いられ、断るにも断りかねるときのような当惑と忌々しさを感じた。
「お祭りの寄付か。どのくらい出すのかいってくれよ。留守番だから、たいしたことはできないが」
「金をもらいに来たわけじゃ……東京の奥さまから、なにか聞いちゃ、いなかったですか」
「なにも聞いていなかったよ」
 由さんはむずかしい顔になって、
「しょうがねえな」
 と舌打ちをすると、じゃ、またそのうちにといって帰って行った。
 二時間ほどすると、小坪の吉青年がやってきた。
「先生、居るかね」
 仕事をしているところへ上がりこんできて、ふてぶてしい恰好であぐらをかくと、
「ちょっくら、見てもらいたいものがあって、持ってきた」
「吉あんちゃんか、なにを持ってきた。この辺の土出どしゅつなら、もうたくさんだ」
「そんなものじゃねえ、びっくりするなよ」
 横風なことをいいながら、鬱金うこんの布に包んだ丸味のあるものを、脇間の床の上に置いた。
 立杭焼の古いものだが、ガラス壺に合格せず、穴窯の外に捨てられたものらしく、歪んでかたちが崩れ、底に食っつきがある。こんな半端ものは、上下の両立杭や釜屋に行けば、十円もしない出来損いだが、よく見ると、彎曲してかたちの崩れた小判形が、まんざらではない。水簸せず、荒地のままで使っているから、いちめんに石ハゼが出ているのも面白い。窯の中で松の灰かなにかが落ちかかり、それが硝子化したのが、青い美しい色になって一筋流れている。表面はザラザラし、色艶が悪く、見た眼には汚いが、口造りといい、ビードロの流れといい、茶人なら飛びつくようなものである。
「これはどこから出たんだ」
「先生、たいしたもんだろうが。どこってことは、いえねえが、おれが掘出したんだ」
 見識だといいたいところだが、眼も素養もない二十三の網元の伜に、味の深いこの美しさがのみこめようわけはない。色とか線とか、美の要素について審美の鍛錬を経ない素人の、こいつはいいという認容ほどあてにならないものはない。
「ほんとうに掘出したのなら、飛んだまぐれあたりだが、どうも嘘らしいな」
「嘘ってことがあるかよ、ほんとうだ」
「騙されはしないよ、誰にもらったんだ」
 吉青年は頭を掻いて、
「騙せねえか。騙せねえなら白状するが、横須賀の叔父の家からチョロまかして来たんだ。売るとすれゃ、どれくらいに売れるだろう」
「好きなひとなら、どうかすると飛びつくだろうが、値をつけるような代物じゃないね」
「がっかりさせやがる。それァほんとうかい」
「おれにくれないか。そこにある絵なら、どれを持って行ってもいい」
「そんなにほしいか。そんなら、これから横須賀へ行こう。気にいったのをチョロまかしてやる。今日は家に居ねえはずだから、都合がいいんだ」
 行こうといいかけたが、歪んだところ、やりそくなったところが面白いので、こんなよくできた出来損いなど、いくつもあろうはずはない。
「おめえは煮えきらないから嫌いだよ。なんぼおれでも、叔父貴のいるところじゃ、仕掛けがきかねえ。善は急げだ。立ちなよ」
 由さんがしつっこく絡みついたあたりから、なにかあるなと思っていたが、吉青年の誘いかたがはげしいので、それで、はっと行きあたった。
「ちょっと伺うがね、どうして、みなでおれを外へひっぱりだしたがるんだ」
 周平がひらきなおってそういうと、吉青年は虚をつかれて、
「おれが、どうしたというんです。なにをいってるのか、ちっとも、わかんねえや」
 と、しどろもどろになった。
「おれがここにいると、ぐあいの悪いことがあるらしいな。そうじゃないのか」
「先生がここに居たからって、べつに、どうということはねえです」
「そんなら家にいる。横須賀へ行くのはやめた。六さんと由さんに、そう言っておけ。先生は、当分、家から出ないそうだって」
「こいつは弱ったね」
「おれが家にいたって、吉あんちゃんが困ることはないだろう」
「それがどうも弱るんで……ここで先生に臍を曲げられると、大事になる」
 吉青年は割膝になってかしこまると、ついでに床に両手をついて頭をさげた。
「先生、このとおりだ」
「家をあけてくれなら、あけてやってもいいが、あてなしに出るというわけにはいかないな」
「釣をするなら何隻でも舟を出します。ゆっくり行っていらっしゃい」
「甘く見るな。そんなものの言いかたがあるか。ものを頼むなら、筋を通してから頼むもんだ」
 吉青年は頭を抱えて、
「うむ……と唸ったね。これは村方の神事みたいなもんで、亡くなられた松井の旦那も東京の奥さまも、承知のうえで見ないふりをしていてくれるんです。四県五郡の親分衆が、昨夜から宿をとって場の立つのを待っているという正念場だ。たのむよ、先生」
 春秋二回、彼岸の中日に、近県の親分が集まって、松井の邸の奥の囲地で闘鶏の関東大会をやるのが、久しい以前からのシキタリになっている。もっとも、仲間だけの手合せなら、夏冬なしにやっているがと、ひとを馬鹿にしたようなことをいった。
「なんだ、うちの地内で、そんなことをやっていたのか」
 このあたりの自然の風致は、のどかすぎてとるところがないと思っていたが、退屈そうな見せかけをした庭の奥で、そんな活溌な情景がくりひろげられていたとは考えもしなかった。
「潮休みには浜方がまじるので、いつもどえれえ騒ぎをおっぱじめるんだが、ほんとうに知らなかったのかよ」
「知らなかった。それらしいものも見かけなかったが、その連中、どの道から入りこんでくるんだ」
「どの道といったって、入口は一つだ。みな門から入ってきまさ」
 そう言われれば、六さんや由さんが半纒はんてんの裾になにかを丸めこんで、庭の奥へ入って行くのを見た記憶がある。
「六さん、あの齢で若いものといっしょになって、悪さをするのか」
「先生はなにも知らねえんだね。六さんこそは関東一の軍鶏師よ。六さんの手にかかったら、反羽鶏そっぱどりも軍鶏になるというくらいのもんだ。今日の花試合に出す『明月院』ってのが、そこに伏せてあるが、見たかったら、のぞかせてやろう」
 去年の落葉が冬のままに堆高くたまった裏山の斜面をあがって行くと、柊の大木の下に、久しく閉めきったままになっているらしい暗ぼったい小屋があった。
 吉青年は扉の前に立って、中の物音を聞くようなほのかな目づかいをしていたが、周平のほうへ振返って、
「奴さん、威勢がいいや。入ってみよう」と誘いかけるようなことをいった。
 馬立のある小屋の小暗いところに、紅絹もみの袋をかぶせた二尺ばかりの高さの伏籠が置いてあって、その中でガサガサと気ぜわしく動きまわる鶏の足音が聞えた。
 周平が伏籠の前へ行くと、軍鶏はにわかに猛りたって、ゾヨゾヨと羽ずれの音をたてながら、飛びあがり飛びあがり、伏籠の天井を蹴るので、いまにも籠を破って出てきそうで不気味だった。
「うるさいやつだな。軍鶏ってのは、いつでもこんなに腹をたてているものなのか」
「闘鶏のある日にゃ、鶏冠と尾羽をつめて、赤いものをかぶせておくから、奴は心得て張り切るですよ。話には聞いていたが、『明月院』ってのは、まだ見たことがねえ。六さんにドヤされるかもしらねえが、ちょっくら、のぞいてやるべえ」
 紅絹の袋をとると、総黒の、見るからに精悍そうな軍鶏が、伸びあがるような恰好で、ひとりであばれていた。
「うわ、すごい。先生、こいつはマレモノですぜ」
 鶏冠はズタズタに裂けて磯の血色藻のようにゆらゆらし、眼は睨みつけるようで、どこといって一点、可愛げのない憎体な面がまえをしている。
 明月院は眼を光らせて周平の顔を見ていたが、なにが気にいらないのか、羽毛のない赤膚を緊張させると、怒り毛を逆立て、いまにも飛びかかろうとするように、身体をゆすりながら足踏みをはじめた。
 水に濡れたような正真の烏黒に、エメラルド色の細かいがいちめんにちらばったところなどは、どう見ても、青い色糸でタッチングしたロシア天鵞絨の感じである。斑のない羽丘には薄青いケムリがあがって、身動きするたびに、首から尾羽へ、秋の野末の稲妻のようにキラリと青い光が走る。鶏冠の色は洋紅に朱をまぜた複雑な赤で、羽毛の黒と斑の青に対照して、ゴヤが闘鶏図で造形した黒軍鶏のような深味のあるヴァリュウを見せている。
「吉あんちゃんが持ってきた立杭焼の壺みたいなやつだな。とんだ出来損いだが、見れば見るほど味が出てくる。原っぱで蹴合いするところは、どんなだろうね」
 およそ相闘うというたぐいのことは、なんであっても生存競争とおなじことで、わざわざ見てやるほどのことはないというのが、周平の意見だったが、そんなことをいっているうちに、このままひき退るわけにはいかないようになった。
「闘鶏って野蛮なものなんだろうな。ちょっと見たいような気もするが、むやみに血を出したりするのでは、やりきれたもんじゃないから」
 と気をひくと、吉青年はすぐ乗ってきて、
「急に色気をだしたね。そんなら、花試合を見たらどうです」
「花試合って、どんなことをするんだ」
「言ってみれば気力の戦争で、むごいことはしねえのです。持ち時間は軍鶏師が相対できめるが、だいたいは四十分……その間に、怖けて泣き声をあげるか、疲れてしゃがみこむか、羽交の下に首を入れるか、囲場の側に凭れて脚を投げだすか……四失のうちのどれかをやれば、負けということになるんでさ」
「その程度なら、いやな思いをしなくてもすみそうだ」
「見る気があるなら、見ておきなさい。花試合がはじまったら、そっと迎いにきますから」
 二時間ほどしてから、吉青年が迎いにきた。小屋の横手から尾根を越え、谷戸につづく細道をおりて行くと、むかし豆腐川が流れていた涸谷かれたにの磧に出た。
 磧のむこうは、茨や萱にとじられた深い雑木林で、その奥でさかんな人声があがっている。
「あの中でやっている。見つかると、いい顔はしないから、隙見する程度にしておきな、明月院の相手は、佐介という黄笹きざさの軍鶏です。もうはじまる、おれはあっちへ行くよ」
 吉青年が行ったあと、雑木林の近くまで忍んで行くと、木立の間から、花々しいほどの闘鶏場の風景が見えた。
 それがリンクになるところなのだろうか。雑木林に囲まれた草地の中央を二坪ばかり掘りさげて川砂を敷き、四つ隅に杭を打って、三尺ほどの高さに茣蓙で囲ってある。リンクのまわりにシートを敷きつめ、審判席とでもいうようなところに、抜目のなさそうな面がまえの男が十二人、親分の貫禄を見せて座布団のうえにゆったりとおさまり、巻脚絆に地下足袋をはいた世話役が二人、介添のかたちで、片立膝で控えている。張方か客人か、表通りの店で見かける商家の旦那をまぜた三十人ほどが、申しあわせたように一升瓶をひきつけ、笑ったりしゃべったりしている。
 リンクの左手のすこし離れたところに、野立の茶会のような幕を張ってあるのは、支度部屋というようなところなので、伏籠の中であばれまくる鶏の声が聞えた。
 世話役の一人がリンクのそばへ行って、
「第五回は花試合……持ち時間は四十分となっております」
 と錆のかかった渋辛声で披露すると、六さんと由さんが、ちがうひとのような甲走った顔で、伏籠を抱えて出てきた。
「片や明月院、片や佐介」
 リンクのまわりで、わっと歓声があがる。
 六さんと由さんは東西に分れ、リンクの近くに伏籠を置くと、如露で鶏に水をかけ、そろそろと伏籠から出し、羽交の下に手を入れてしずかに抱きあげた。
 世話役がストップウォッチを見ながら、ヘッと突んぬけるような奇声をあげると、六さんと由さんは同時にリンクにおりて、向きあう位置に鶏を据えた。
 いきなりあばれだすのかと思ったら、そうではなく、両足の間にひっ挾むようにして、じっと鶏をおさえつけている。
 軍鶏師の禿頭にうららかな春の陽が照り、二羽の軍鶏は、なにかしんとしたようすで、たがいに顔を見あっている。
 明月院の相手は、羽着きの薄い枯笹色の貧相な鶏で、いくどかの戦いで背中のあたりまで羽毛をむしられ、ぞっとするような赤肌をむきだしているのは悲惨だが、鶏冠を半分以上も剃り落してあるので、頭だけ見ると、鸚鵡のお化けのようで滑稽だった。明月院は凛然たる剣豪の風格だが、佐介のほうは鶏の隠居といった態で背中を丸め、このまま眠りたいとでもいうように眼をショボショボさせている。戦うなどというスタイルではない。ショオにでもなりそうな間のぬけた組合せなので、観衆はクスクスと忍び笑いをしていたが、なにかのきっかけで、いちどにどっと笑いだした。
 この試合は賭のない娯楽の一番らしく、誰も試合の成行などは問題にしていない。明月院のようなマレモノをつくりだした六さんにたいする祝儀の一番なので、佐介は絶対に負けるためにリンクにひきだされた生餌にすぎない。花試合というのは、本来、こんなものなのだろうが、もしそうだとすれば、残酷だという意味ではちょっと類のない試みであった。
 周平が伸びあがって見ると、明月院と佐介が一体になって揉みあっていた。蹴る、ひっかける、おし倒す、乗りつぶす。そのたびに、黒と茶の羽毛がまじりあって、噴水のように空に噴きあがる。
 明月院のほうが優勢だが、佐介もやられてばかりはいない。戦うほか、生きる道はないのだと理解しているように、死の淵に追いつめられた生物の窮極の姿勢で、サイドに尾羽をすりつけながら、リンクのまわりをグルグルとまわっていたが、チャンスをつかんで明月院に襲いかかると、頭をひっぱたいてあおのけにひっくりかえし、五尺ぐらいも飛びあがっておいて、背中のまんなかに隕石のように落ちかかった。明月院はサイドの近くまでコロコロところげて行ったが、そこであっけなく乗りつぶされ、砂に首を埋めて、みじめな声で鳴いた。
 観衆は期待はずれで拍子ぬけがし、二つ三つ気のぬけたような拍手を送った。
 二本目の試合で、にわかに形勢が逆転した。佐介は闘志を失って物臭くなり、リンクの隅を辿って逃げてばかりいる。明月院はリンクの遠い隅で、身体を揺りながら足踏みをし、戸惑ったようにウロウロしている佐介のほうを見込んでいたが、とっさに駆けだして行くと、嘴と眼の間へけづめを打ちこみ、背越しに一間ほどもうしろへ投げつけた。
 佐介は死に、それで勝負は終った。世話役が佐介のむくろをさげて雑木林のほうへ来、ひと振りして無雑作に周平のいる草むらへ投げこむと、すぐつぎの試合がはじまった。
 佐介はまだ生きていた。生きているしるしが、かすかに残っていた。嘴を折られ、眼玉をえぐりだされ、不幸な人間の末路といったぐあいに長く伸びていたが、そのうちに意識が戻ってきたふうで、血をためた眼窩を上にむけ、途方に暮れたようにトホンと空を見あげてから、辛い努力をかさねながら、草むらから身体を起しにかかった。
 何度か失敗して、やっとのことで立ちなおると、死の終局が近づいていることを知りつつ、最後まで本性に忠実であろうと勉めるように、攻撃のかまえで、ヨタヨタと周平のいるほうへ歩いてきた。しかし、その行動はいっこうに甲斐のないもので、ものの一尺ほど歩いたところで、尻餅をついてへたばってしまった。
 佐介の眼から、だしぬけに涙のようなものがあふれだした。へし折られて、嘴ともいえないような短い嘴のあいだから血と胆汁を吐き、あおのけにひっくりかえって、縋るものがあったら縋りつきたいというように、ギクシャクと脚を踏みのばしていたが、間もなく身体が硬直し、乾反ひぞったように突っぱってしまった。
 ここにも一大事があった。周平は心のなかでつぶやいた。
「春の山で、一羽の軍鶏が涙を流しながら死んだ」





底本:「久生十蘭全集 ※(ローマ数字2、1-13-22)」三一書房
   1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行
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2020年06月13日

『ポンペイ夜話』ゴーチエ

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紀元79年8月24日ヴェスヴィオ山の噴火で、ポンペイは一瞬で死の都となった。

ナポリ近郊へ遺構見学に、フランス人の学生たちが旅行にやってくる。その3人のうちオクタヴィヤンは博物館なものに強く興味を引かれた。溶岩に包まれて、乳房の輪郭などが艶めかしく浮き出た女性の押し型。この女性はどんな人だろうと想像すると胸が高鳴る。

その日の夜に、突然不思議な感覚に襲われて、壊滅する以前のポンペイへ跳ぶのだった。あの押し型の女性はアッリア・マルチェッラという。時の皇帝ティトゥス帝から解放された、奴隷ディオメデスの娘だった。理解できないまま不思議に身を委ねるオクタヴィヤンと彼女は、一夜をともにしようとする。時を超えた愛撫と交接。

「信仰は神をつくり、愛は女をつくり、誰からも愛されなくなったとき、はじめて人はほんとうに死ぬのです」

力強い祈りは、千年以上の距離をなくす。

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ピエール・ジュール・テオフィル・ ゴーチエ(Pierre Jules Théophile Gautier,1811830 - 18721023日)フランスの詩人・小説家・劇作家。文芸批評、絵画評論、旅行記も残した。

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2020年06月09日

詩が生まれるとき

「詩が、本当に詩といえる作品になっているかどうかについては、個性がどれくらいはっきり出ているかがたいへん重要な要素現代詩を書いている人は数え切れないくらいいますが、この詩はあいつでなければ書けない、という風な詩はそんなに多くない」


「詩人には、詩を生み出す力おそらく、音韻あるいは音の響きに対する感受性、それから想像力、そして象徴(シンボル)を操作できる表現力が必要」


『詩が生まれるとき 私の現代詩入門』辻井喬(講談社)

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2020年06月03日

『飛ぶ教室』創作特集2020

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童話,短編,翻訳,そして詩と短歌のスペシャル企画。

もし「今」をタイムカプセルに入れるとしたら,これらのものが入ってくるのかもしれない。


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『なんだろう なんだろう』刊行記念! がっこう,たのしい,うそ,友だちなど,誰しもが出会う12のテーマと「考えること」について,作者・ヨシタケシンスケさんがたっぷり語っている。

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2020年06月01日

カント『純粋理性批判』講談社コミックス

漫画:近藤たかし 著:佐藤文香


「恋とはなんだ?」「人間とはなんだ?」「わかるとはどういうことなんだ?」

哲学徒のぶち当たる壁に光を与え続ける永遠の名著「純粋理性批判」をまんが化。原著は認識論にコペルニクス的転回をもたらし、現在でも大きな影響を与え続けている。難解なことでも有名なこの書をアンドロイドと人間の恋を通して学べる格好の入門書にしました。認識論とは? そして恋とは何か? がちょっぴり分かる本です。

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【目次】

プロローグ

第一章 感性と悟性

第二章 モノ自体と現象ーコペルニクス的転回ー

第三章 理性

エピローグ

(講談社)20200512日刊行


「傾向性」(功利主義流儀の、快楽と苦痛)に従う倫理学は、「倫理的行為主体の意志の他律」によるものである以上、(カント倫理学の枠内では)倫理学の名に値しない。

カント倫理学で肝心要なのは、「倫理的行為主体による善意と自由意志に基づいた、自律的な道徳法則の自己立法」である。有限な倫理的行為主体の人間には、「行為の格律」と「普遍的な道徳法則」の「完全な一致」が不可能である以上、カント倫理学の体系を満たす為に、所謂、「実践理性の三つの要請、意志の自由、霊魂の不死、神の存在」がなされる。 
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2020年05月30日

『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』大塚英志(星海社新書)

二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』大塚英志(星海社新書)


【内容紹介】 

時は一九七八年。東京は新橋にひっそりと佇む、今はなきビルの「二階」に、その編集部はあった。そこに住み着くようにして働き始めたのは、まだ行くあてすら定かではなかった若者たち。のちに「おたく」文化の担い手として歴史に名を残すことになる彼らが集ったその「二階」は、胡散臭くもじつに「奇妙で幸福な場所」だった―。


一九八〇年にアルバイトとして「二階」で編集者の道を歩み始め、八〇年代を通して巻き起こった、今日に至る「おたく」文化の萌芽とメディア産業の地殻変動の歴史を目撃してきた大塚英志がよみがえらせる、''あの,,時代の記憶。これはサブカル文化史料にして、極上の青春譚である。


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【目次】

第1章 そもそも「徳間書店の二階」とはどういう場所だったのか

第2章 『アサヒ芸能』とサブカルチャーの時代

第3章 徳間康快と戦時下のアヴァンギャルド

第4章 歴史書編集者・校條満の「歴史」的な仕事

第5章 劇画誌編集としての鈴木敏夫

第6章 そうだ、西崎義展に一度だけ会ったのだった

第7章 『宇宙戦艦ヤマト』と「歴史的」でなかったぼくたち

第8章 『アニメージュ』は「三人の女子高生」から始まった

第9章 最初の〈おたく〉たちと「リスト」と「上映会」の日々

第10章 「ファンたち」の血脈

第11章 「アニメ誌編集の作法」を創った人たちがいた

第12章 「橋本名人」が二階の住人だった頃

第13章 「ガンプラ」はいかにして生まれたか

第14章 そもそもぼくはいかにして「二階」にたどりついたか

第15章 尾形英夫、アニメーターにまんがを描かせる

第16章 浪花愛と「アニパロ」の誕生の頃

第17章 シャアのシャワーシーン、そして『アニメージュ』と『ガンダム』の蜜月

第18章 安彦良和はアイドルである。しかし…

第19章 『アニメージュ』、宮崎駿に「転向」する

第20章 池田憲章はアニメーションを語ることばをつくらなくてはいけないと考える

第21章 「ロリコンブーム」と宮崎駿の白娘萌え

第22章 『ヤマト』の「終わり」と金田チルドレンの出現

第23章 テレビアニメを見て育った人がテレビアニメをつくる

第24章 押井『ルパン』と教養化するアニメーション

第25章 二階の「正社員」たちは「マスコミ志願」だった

第26章 「暴走アニメーター」とは何者だったのか

第27章 庵野秀明には「住む家」はなかったが「居場所」があった

第28章 データ原口のデータベースな生き方

第29章 そしてみんな角川に行った…わけではなかった


本書は2012年2月号から2014年6月号にかけて『熱風』(スタジオジブリ)に発表された同名連載を、加筆修正のうえ新書化したものです。


大塚英志   まんが原作者・批評家 

1958年東京都生まれ。筑波大学卒。80年代を徳間書店、白夜書房、角川書店で編集者として活動。詳細は『「おたく」の精神史』、本書『二階の住人とその時代』を参照。まんが原作者としての近作に『クウデタア2』『恋する民俗学者』(ともにhttp://comic-walker.com/)、「コミックウォーカー」内に自腹で自主制作サイト「大塚英志漫画」を主宰。批評家としては、文学・民俗学・政治についての著作多数。

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「あの旗を撃て!『アニメージュ』血風録」尾形英夫(発行/オークラ出版)

スタジオジブリ全面協力。『アニメージュ』を創刊、宮崎アニメをプロデュースしたアニメブームの仕掛け人が書き下ろす半生紀。


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アニメ情報専門誌「アニメージュ」の初代編集長・尾形英夫が、前史である「テレビランド」時代から、「アニメージュ」創刊する。

初期編集メンバーにはアニメーション制作に詳しい人がなく、「アサヒ芸能」などの外部から人員たちという異例な事態。それだけに他アニメ誌面とは違う、異色な取り組みとなる。そして虫プロ商事「COM」編集長くに関わった石井文男と校條満はマンガ編集経験があって、学生たち若い編集者たちを鍛えながら月刊誌として運営することになる。

マンガ「ナウシカ」連載からジブリ作品が生まれて、誌面の方針が変わってゆく。徳間書店のアニメ映画が言及され、『風の谷のナウシカ』『アリオン』『天空の城ラピュタ』、そして『となりのトトロ』。あとは『魔女の宅急便』とか『平成狸合戦ぽんぽこ』などに関わった舞台裏が語られる資料性の高い内容。


「アニメージュ」にかかわった宮崎駿、高畑勲、鈴木敏夫、富野由悠季、安彦良和、池田憲章、ササキバラ=ゴウ、古林英明らがコメントを寄せている。表紙は宮崎駿。


尾形英夫 昭和8年2月20日生。宮城県気仙沼市出身。明治大学卒。昭和36年徳間書店(アサヒ芸能出版株式会社)入社。『アサヒ芸能』編集部、『月刊テレビランド』編集長を経て、『月刊アニメージュ』を創刊、初代編集長を務める。「風の谷のナウシカ」などスタジオジブリ作品を企画プロデュース、スタジオジブリ設立にも尽力する。平成6年、徳間書店常務取締役として同社退社。現・株式会社TMF代表取締役。

posted by koinu at 13:08| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月28日

「美について」サマセット・モーム

 人は美という言葉で、審美感を満足させる額神的ないし物質的なもの「大抵は物質的なものだが」を意味していると思う。だか、これでは、水が意味するのは濡れたもの、と言うに等しい。〔中略〕私が気付いた奇妙なことは、美の評価には永続性がないという点だった。どこの美術館へ行っでも、ある時代の最高の目利きが美しいと判断したのに、現代の我々には無価値と思える作品で一杯である。私の生涯の間でも、少し以前まで最高とみなされていた絵画や詩から、美が日の出の太陽の前の白霜のように蒸発するのを見た。〔中略〕得られる結論はただ一つ、美は各時代の要求に関わるものであり。我々が美しいと思うものを調べて、絶対的な美の本質を探すのは無駄だということである。美が人生に意味を与える価値の一つであるにしても、それは常に変化しているものであり、それゆえ分析できない。〔中略〕


人間の肉体および精神構造の中には、ある音、あるリズム、ある色彩を特に魅力的だと思ってしまう要素があるのかもしれない。我々が美しいと思うものの要素には生理学的な根拠かあるのかもしれない。我々はまた、かつて愛したとか、時間の経過で感傷的な気分を誘うとか、そういう人、物、場所を思い出させるものを美しいと思う。見覚えがあるので美しいと思うときがある。その一方、珍しさに驚いて美しいと思うものもある。これらを総合してみると、類似あるいは対照による連想が美の情緒に大いに関係しているようだ。〔中略〕物の美はよく知るとともにさらに美しいと思うようになる、というだけではない。後の時代の人々が、あるものに喜びを見出していると、その美が次第に増してくるということである。

〔中略〕

絵画を見、交響曲を聴き、エロティックな興奮を覚えたり、長く忘れていた情景を思い出して涙したり、あるいは、連想によって神秘的な歓喜を昧わったりするのは〔中略〕これらの現象も、作品の均整と構造に対する冷静な満足と同じく美的情緒の大事な部分なのである。

   

 人の偉大な芸術作品に対する反応は正確に言うとどういうものであろうか。〔中略〕それは知的ではあるが、官能の喜びもある高揚感、力強い感覚と人間の束縛からの解放を伴う幸福感を与える興奮である。同時に、人間への共感に富むやさしさを自分の内部に感じる。心は休まり、穏やかな気分なのだが、どこか精神的に超然としている。事実、ある絵画や彫刻を眺め、ある音楽を聴いていると、時どき非常に強烈な感情を覚えたので、それは神秘家が神との結合を述べるときと同じ言葉でしか表現できなかった。

〔中略〕ジェレミー・ベンサムは、どんな種類の幸福も同じであり、楽しみの程度が同じなら子供の鋲遊びも詩もどちらも優劣はない、と言ったが、彼は愚か者だったのだろうか。この問題についての神秘家の答えは明白である。神秘家匝く、歓喜は、もし性格を強め、人間に正しい行為をなさしめるのでなければ、無価値である。歓喜の価値は人がいかなる仕事をするかによるのだ。


 これまで私は美的感受性のすぐれた人と付き合う機会が多くあった。といっても創作者のことを言っているわけではない。私か考えるに、芸術の作り手と受け取り手とではかなり大きな違いがある。創作者は、内なる自己を表現したくて堪らぬという衝動に突mき動かされて作品を作るのである。作ったものに美があっても、それは偶然だ。美が特別の目的であることはめったにない。彼らの目的は重荷となっているものを魂から解放することであり、その手段として、生来の才能次第で、ペン、絵の具、粘土などを使う。

私か言うのは、美を眺め鑑賞するのが人生の主たる仕事である人のことである。この連中には、尊敬すべき点ははとんどない。虚栄心が強く、自己満足の輩である。人生の実務的な仕事には不向きであり、経済的な理由から地味な仕事を黙々としている人を馬鹿にする。自分はたくさんの本を読み、たくさんの絵画を観たからというので、他の人より偉いと思っているのだ。現実から逃避するために芸術を楯にし、人間の生活に必要な活動を否定するために平凡なものには何であれ愚かしい軽蔑の目を向ける。麻薬常用者並みというか、いやもっと悪い。麻薬常用者なら、お山の大将になって仲間の人間を低く見たりはしないから。芸術の価値は、神秘主義者の考える価値と似て、どんな効果があるかにかかっている。単に楽しみを与えるというのであれば、どれほど精神的な楽しみであっても、あまり価値はない。せいぜいIダースの廿町とIパイントのモンラシェ酒くらいの価値しかない。もし美が癒し効果を持つなら、それはそれで結構。世の中は回避できない悪ばかりだから、人が一休み出来る避難所みたいなものがあれば有難い。ただし、悪から逃れるのではなく、休んでから力を盛り返して悪と対決しなくてはならない。というのは、芸術が人生における大きな価値の一つであるのなら、人間に謙虚、寛容、英知、雅量を教えるべきなのだ。芸術の価値は美でなく正しい行為である。


サマセット・モーム『サミング・アップ』行方昭夫 訳(岩波文庫)76章「美」より


https://youtu.be/uQy2MNfQpFA


W. Somerset Maugham was born in Paris in 1874. He trained as a doctor in London where he started writing his first novels. In 1926 he bought a house in Cap Ferrat, France, which was to become a meeting place for a number of writers, artists and politicians. He died in 1965.

posted by koinu at 07:13| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月25日

「エミリーの薔薇」フォークナー


古い屋敷の中でエミリー・グリアソンは30歳を過ぎた頃から亡くなるまで過ごした。約40年間に人付き合いもなく、時代に取り残された彼女が亡くなった時、町に住む人々は、謎に包まれた彼女の半生を改めて好奇心を抱く。

《彼女の家の内部は、すくなくとも過去十年間、庭師兼料理人の老僕をのぞけば、だれ一人見たものがいなかったのだ。》(p. 68)

エミリーの過去を断片的に遡る。税金も払わずに、郵便物の受け取りも拒否して、一人で世間の流れを拒絶して生き続けた心の闇が、少しずつ明るみに出てくる。

亡くなる10年前に、彼女の家の一室が埃だらけで掃除が行き届いていない、また屋敷から放たれる「異臭」に周囲の住民たちが堪りかねて苦情を申し入れたという過去が続く

悲劇の結晶となる異臭の正体とは何だったのか。その秘密はばらばらに散っていた時間が再び現在に戻って明かされる。

事態を水面下で解決すべく、町の男たちが夜中に屋敷敷地内に入って、消臭のための石灰をまいた。

《いままで暗かった窓の一つが明るくなり、灯りを背にしたミス・エミリーのすわった姿が窓枠にくっきりとうかびあがり、彼女のそり身の胴体は偶像のそれのごとく不動にかまえていた》(p. 74)

彼女が肖像画に描かれた大昔の人物のように映ったのか、この時点で彼女はまだ30代半ばくらいで、幽霊ではないのに背筋がぞくっとなる。

『フォークナー短編集』 龍口直太郎 訳 (新潮文庫)

posted by koinu at 19:35| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ザリガニの鳴くところ』Where The Crawdads Sing ディーリア・オーエンズ(早川書房)

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この少女を、生きてください。 

全米500万部突破、2019年アメリカでいちばん売れた本 


泣いたのは、森で一人ぼっちの彼女が、自分と重なったからだ。──同じ女性というだけで。島本理生氏(小説家

ずっと震えながら、耐えながら、祈るように呼んでいた。小橋めぐみ氏(俳優

素晴らしい小説だ。北上次郎氏(書評家、早川書房公式note流行出し版「勝手に文庫解説2」より

http://www.webdoku.jp/column/radio/2020/0314212254.html


ノースカロライナ州の湿地で男の死体が発見された。人々は「湿地の少女」に疑いの目を向ける。 

6歳で家族に見捨てられたときから、カイアはたったひとりで生きなければならなかった。読み書きを教えてくれた少年テイトに恋心を抱くが、彼は大学進学のため彼女を置いて去ってゆく。 

以来、村の人々に「湿地の少女」と呼ばれ蔑まれながらも、彼女は生き物が自然のままに生きる「ザリガニの鳴くところ」へと思いをはせて静かに暮らしていた。 

しかしあるとき、村の裕福な青年チェイスが彼女に近づく…… 

みずみずしい自然に抱かれた少女の人生が不審死事件と交錯するとき、物語は予想を超える結末へ──。


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ディーリア・オーエンズ

ジョージア州出身の動物学者、小説家。ジョージア大学で動物学の学士号を、カリフォルニア大学デイヴィス校で動物行動学の博士号を取得。ボツワナのカラハリ砂漠でフィールドワークを行ない、その経験を記したノンフィクション『カラハリ―アフリカ最後の野生に暮らす』(マーク・オーエンズとの共著、1984)(早川書房刊)が世界的ベストセラーとなる。同書は優れたネイチャーライティングに贈られるジョン・バロウズ賞を受賞している。また、研究論文はネイチャー誌など多くの学術雑誌に掲載されている。現在はアイダホ州に住み、グリズリーやオオカミの保護、湿地の保全活動を行なっている。69歳で執筆した初めての小説である 


友廣純 立教大学大学院文学研究科博士課程中退、英米文学翻訳家。

posted by koinu at 09:33| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月23日

低音は宇宙の形に似て

「天は羽撃き

 海嘯、沿岸にうねり輝き

 美しい

 処女(おとめ)は

 壮大に

 腿をはり

 古代歌謡をうたう

 その

 ひじょうな低音は宇宙の形に似て軽やかに木をとびこえるのだ」


                             (吉増剛造「恋の山」)

posted by koinu at 14:00| 東京 ☁| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月22日

『雲』 山村暮鳥

山村暮鳥


  序

 人生の大きな峠を、また一つ自分はうしろにした。十年一昔だといふ。すると自分の生れたことはもうむかしの、むかしの、むかしの、そのまた昔の事である。まだ、すべてが昨日今日のやうにばかりおもはれてゐるのに、いつのまにそんなにすぎさつてしまつたのか。一生とは、こんな短いものだらうか。これでよいのか。だが、それだからいのちは貴いのであらう。
 そこに永遠を思慕するものの寂しさがある。

 ふりかへつてみると、自分もたくさんの詩をかいてきた。よくかうして書きつづけてきたものだ。
 その詩が、よし、どんなものであらうと、この一すぢにつながる境涯をおもへば、まことに、まことに、それはいたづらごとではない。

 むかしより、ふでをもてあそぶ人多くは、花に耽りて實をそこなひ、實をこのみて風流をわする。
 これは芭蕉が感想の一つであるが、ほんとうにそのとほりだ。
 また言ふ。――花を愛すべし。實なほ喰ひつべし。
 なんといふ童心めいた慾張りの、だがまた、これほど深い實在自然の聲があらうか。
 自分にも此の頃になつて、やうやく、さうしたことが沁々と思ひあはされるやうになつた。齡の效かもしれない。

 藝術のない生活はたへられない。生活のない藝術もたへられない。藝術か生活か。徹底は、そのどつちかを撰ばせずにはおかない。而も自分にとつては二つながら、どちらも棄てることができない。
 これまでの自分には、そこに大きな惱みがあつた。
 それならなんぢのいまはと問はれたら、どうしよう、かの道元の谿聲山色はあまりにも幽遠である。
 かうしてそれを喰べるにあたつて、大地の中からころげでた馬鈴薯をただ合掌禮拜するだけの自分である。

 詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる。

 だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない。

 詩をつくるより田を作れといふ。よい箴言である。けれど、それだけのことである。

 善い詩人は詩をかざらず。
 まことの農夫は田に溺れず。

 これは田と詩ではない。詩と田ではない。田の詩ではない。詩の田ではない。詩が田ではない。田が詩ではない。田も詩ではない。詩も田ではない。
 なんといはう。實に、田の田である。詩の詩である。

 ――藝術は表現であるといはれる。それはそれでいい。だが、ほんとうの藝術はそれだけではない。そこには、表現されたもの以外に何かがなくてはならない。これが大切な一事である。何か。すなはち宗教において愛や眞實の行爲に相對するところの信念で、それが何であるかは、信念の本質におけるとおなじく、はつきりとはいへない。それをある目的とか寓意とかに解されてはたいへんである。それのみが藝術をして眞に藝術たらしめるものである。
 藝術における氣禀の有無は、ひとへにそこにある。作品が全然或る敍述、表現にをはつてゐるかゐないかは徹頭徹尾、その何かの上に關はる。
 その妖怪を逃がすな。
 それは、だが長い藝術道の體驗においてでなくては捕へられないものらしい。

 何よりもよい生活のことである。寂しくともくるしくともそのよい生活を生かすためには、お互ひ、精進々々の事。
茨城縣イソハマにて
山村暮鳥

  春の河

たつぷりと
春の河は
ながれてゐるのか
ゐないのか
ういてゐる
藁くづのうごくので
それとしられる

  おなじく

春の、田舍の
大きな河をみるよろこび
そのよろこびを
ゆつたりと雲のやうに
ほがらかに
飽かずながして
それをまたよろこんでみてゐる

  おなじく

たつぷりと
春は
小さな川々まで
あふれてゐる
あふれてゐる

  蝶々

ふかい
ふかい
なんともいへず
此處はどこだらう
あ、蝶々

  おなじく

青空たかく
たかく
どこまでも、どこまでも
舞ひあがつていつた蝶々
あの二つの蝶々
あれつきり
もうかへつては來なかつたか

  野良道

こちらむけ
娘達
野良道はいいなあ
花かんざしもいいなあ
麥の穗がでそろつた
ひよいと
ふりむかれたら
まぶしいだらう
でつかい蕗つ葉をかぶつて
なんともいへずいいなあ

  おなじく

野良道で
農婦と農婦とゆきあつて
たちばなししてゐる
どつちもまけずに凸凹な顏をし
でつかい荷物を
ひとりのは南京袋
もひとりののはあかんぼ
そのうへ
天氣がすばらしくいいので
二人ともこのうへもなく幸福さうだ
げらげらわらつたりしてゐる

  おなじく

そこらに
みそさざいのやうな
口笛をふくものが
かくれてゐるよ
なあんだ
あんな遠くの桑畑に
なんだか、ちらり
見えたりかくれたりしてゐるんだ

  おなじく

ぽつかりと童子は
ほんとに花でもさいたやうだ
ねむてえだづら
雲雀ひばりが四方八方で
十六十七
十六十七
といつてさへづつてゐる
野良道である
なにゆつてるだあ
としよりもにつこりとして
たんぽぽなんか
こつそりとみてゐる

  雲

丘の上で
としよりと
こどもと
うつとりと雲を
ながめてゐる

  おなじく

おうい雲よ
いういうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平いはきたひらの方までゆくんか

  ある時

雲もまた自分のやうだ
自分のやうに
すつかり途方にくれてゐるのだ
あまりにあまりにひろすぎる
はてのない蒼空なので
おう老子よ
こんなときだ
にこにことして
ひよつこりとでてきませんか

  こども

山には躑躅が
さいてゐるから
おつこちるなら
そこだらうと
子どもがいつてる
かみなり
かみなり
躑躅がいいぢやないか

  おなじく

おや、こどもの聲がする
家のこどもの泣聲だよ
ほんとに
あんまり長閑のどかなので
どこかとほいとほい
お伽噺の國からでもつたはつてくるやうにきこえる
いい聲だよ、ほんとに

  おなじく

ぼさぼさの
生籬の上である
牡丹でもさいてゐるのかと
おもつたら
まあ、こどもが
わらつてゐたんだよう

  おなじく

千草ちぐさの嘘つきさん
とうちやんの
おくちから
蝶々が
飛んでつた、なんて

  おなじく

とろとろと瞳々めめ
とろけかかつたその瞳々
ねむたかろ
子どもよ
さあ林檎だ、林檎だ
まつ赤な奴だぞ

  おなじく

まづしさのなかで
生ひそだつもの
すくすくと
ほんとに筍のやうだ
子どもらばかり

  おなじく

こどもよ、こどもよ
燒けたら宙に放りあげろ
たうもろこしは
風で味よくしてたべろ
風で味つけ
よく噛んでたべろ

  おなじく

まんまろく
まんまろく
どうやら西瓜ほどの大きさである
だが子どもは※(「口+云」、第3水準1-14-87)つた
お月さんは
美味うまさうでもねえなあ

  おなじく

こどもはいふ
たくさん頭顱あたま
叩かれたから
それで
大人おとなは悧巧になつたんだね

  おなじく

篠竹一本つつたてて
こどもが
家のまはりを
駈けまはつてゐる
ゆふやけだ
ゆふやけだ

  おなじく

こどもが
なき、なき
かへつてきたよ
どうしたのかときいたら
風めに
ころばされたんだつて
おう、よしよし
こんどとうちやんがとつつかまへて
ひどい目にあはせてやるから

  馬

たつぷりと
水をたたへた
田んぼだ
しろかき馬がたのくろで
げんげの花をたべてゐる

  おなじく

馬が水にたつてゐる
馬が水をながめてゐる
馬の顏がうつつてゐる

  おなじく

だあれもゐない
馬が
水の匂ひを
かいでゐる

  ゆふがた

馬よ
そんなおほきななりをして
こどものやうに
からだまで
洗つてもらつてゐるんか
あ、螢だ

  朝顏

瞬間とは
かうもたふといものであらうか
一りんの朝顏よ
二日頃の月がでてゐる

  おなじく

芭蕉はともかくも
火をこしらへて
茶をいれた
それからおもひだしたやうに
かたはらのお櫃を覗いてみて
さびしくほほゑみ
その茶をざぶりぶつかけて
さらさらと
冷飯を食べた
朝顏よ
さうだつたらう
かれには、妻も子もなかつた

  おなじく

まんづ、まんづ
この餓鬼奴がきめはどうしたもんだべ
脊中で
おつかねえやうだよ
朝顏の花喰ひたがつてるだあよ

  驟雨

沼の上を
驟雨がとほる
そのずつとたかいところでは
雲雀が一つさへづつてゐる
ぐツつら
ぐツつら
馬鈴薯じやがたらいもが煮えたつた

  おなじく

驟雨は
ぐつしよりとぬらした
馬もうまかたも
おんなじやうに

  病牀の詩

朝である
一つ一つの水玉が
葉末葉末にひかつてゐる
こころをこめて

ああ、勿體なし
そのひとつびとつよ

  おなじく

よくよくみると
そのの中には
黄金きんの小さな阿彌陀樣が
ちらちらうつつてゐるやうだ
玲子よ
千草よ
とうちやんと呼んでくれるか
自分は耻ぢる

  おなじく

ああ、もつたいなし
もつたいなし
けさもまた粥をいただき
朝顏の花をながめる
妻よ
生きながらへねばならぬことを
自分ははつきりとおもふ

  おなじく

ああ、もつたいなし
もつたいなし
森閑として
こぼれる松の葉
くもの巣にひつかかつた
その一つ二つよ

  おなじく

ああ、もつたいなし
かうして生きてゐることの
松風よ
まひるの月よ

  おなじく

ああ、もつたいなし
もつたいなし
蟋蟀きりぎりす
おまへまで
ねむらないで
この夜ふけを
わたしのために啼いてゐてくれるのか

  おなじく

ああ、もつたいなし
もつたいなし
かうして
寢ながらにして
月をみるとは

  おなじく

ああ、もつたいなし
もつたいなし
妻よ
びんばふだからこそ
こんないい月もみられる

  月

ほつかりと
月がでた
丘の上をのつそりのつそり
だれだらう、あるいてゐるぞ

  おなじく

あしもとも
あたまのうへも
遠い
遠い
月の夜ふけな

  おなじく

一ところ明るいのは
ぼたんであらう
さうだ
ぼたんだ
星の月夜の
夜ふけだつたな

  おなじく

靄深いから
とほいやうな
ちかいやうな
月明りだ
なんの木の花だらう

  おなじく

竹林の
ふかい夜霧だ
遠い野茨のにほひもする
どこかに
あるからだらう
月がよ

  おなじく

月の光にほけたのか
蝉が一つ
まあ、まあ
この松の梢は
花盛りのやうだ

  おなじく

こしまき一つで
だきかかへられて
ごろんと
でつかい西瓜はうれしかろ
その手もとが
ことさらに
月で明るいやう

  おなじく

月の夜をしよんぼりと
影のはうが
どうみても
ほんものである

  おなじく

漁師三人
三體佛
海にむかつてたつてゐる
なにか
はなしてゐるやうだが
あんまりほのかな月なので
ききとれない

  おなじく

くれがたの庭掃除
それがすむのをまつてゐたのか
すぐうしろに
月は音もなく
のつそりとでてゐた

  西瓜の詩

農家のまひるは
ひつそりと
西瓜のるすばんだ
でつかい奴がごろんと一つ
座敷のまんなかにころがつてゐる
おい、泥棒がへえるぞ
わたしが西瓜だつたら
どうして噴出さずにゐられたらう

  おなじく

座敷のまんなかに
西瓜が一つ
畑のつもりで
ころがつてる

びんばふだと※(「口+云」、第3水準1-14-87)ふか

  おなじく

かうして一しよに
裸體まるはだかでごろごろ
ねころがつたりしてゐると
おまへもまた
家族のひとりだ
西瓜よ
なんとか言つたらよかんべ

  おなじく

どうも不思議で
たまらない
叩かれると
西瓜め
ぽこぽこといふ

  おなじく

みんな
あつまれ
あつまれ
西瓜をまんなかにして
そのまはりに

さあ、合掌しろ

  おなじく

みんな
あつまれ
あつまれ
そしてぐるりと
輪を
いま
眞二つになる西瓜だ

  飴賣爺

あめうり爺さん
ちんから
ちんから
草鞋脚絆で
何といふせはしさうな

  おなじく

朝はやくから
ちんから
ちんから
あめうり爺さん
まさか飴を賣るのに
生まれてきたのでもあるまいが
なぜか、さうばかり
おもはれてならない

  おなじく

あめうり爺さん
あんたはわたしが
七つ八つのそのころも
やつぱり
さうしたとしよりで
かねを叩いて
飴を賣つてた

  おなじく

じいつと鉦を聽きながら
あめうり爺さんの
脊中にとまつて
ああ、一塊ひとかたまりの蠅は
どこまでついてゆくんだらう

  二たび病牀にて

わたしが病んで
ねてゐると
木の葉がひらり
一まい舞ひこんできた
しばらくみなかつた
森の
椎の葉だつた

  おなじく

わたしが病んで
ねてゐると
蜻蛉とんぼがきてはのぞいてみた
のぞいてみた
朝に夕に
ときどきは晝日中も
きてはのぞいてみていつた

  おなじく

蠅もたくさん
いつものやうにゐるにはゐたが
かうしてやんでねてゐると
一ぴき
一ぴき
馴染のふかい友達である

  椎の葉

自分は森に
この一枚の木の葉を
ひろひにきたのではなかつた
おう、椎の葉である

  ある時

どこだらう
ひきででもあるかな
そら、ぐうぐう
ぐうぐう
ぐうぐう
ほんとにどこだらう
いくら春さきだつて
こんなまつくらな晩ではないか
遠く近く
なあ、なあ、土の聲だのに

  ほそぼそと

ほそぼそと
松の梢にかかるもの
煮炊にたきのけむりよ
あさゆふの
かすみである

  こんな老木になつても

こんな老木になつても
春だけはわすれないんだ
御覽よ
まあ、紅梅だよ

  梅

ほのかな
深い宵闇である
どこかに
どこかに
梅の木がある
どうだい
星がこぼれるやうだ
白梅だらうの
どこに
さいてゐるんだらう

  おなじく

おい、そつと
そつと
しづかに
梅の匂ひだ

  おなじく

大竹藪の眞晝は
ひつそりとしてゐる
この梅の
小枝を一つ
もらつてゆきますよ

  山逕にて

善い季節になつたので
※(「くさかんむり/刺」、第3水準1-90-91)ばらなどまでがもう
みち一ぱいに匍ひだしてゐた
けふ、山みちで
自分はそのばらに
からみつかれて
脛をしたたかひつかかれた

  ある時

まあ、まあ
どこまで深い靄だらう
そこにもここにも
木が人のやうにたつてゐる
あたまのてつぺんでは
艪の音がしてゐる
ぎいい、ぎいい
さうかとおもつてきいてゐると
雲雀ひばりが一つさへづつてゐる
これでいいのか
春だとはいへ
ああ、すこし幸福すぎて
寂しいやうな氣がする

  ある時

麥の畝々までが
もくもく
もくもく
匍ひだしさうにみえる
さあ
どうしよう

  ある時

うす濁つたけむりではあるが
一すぢほそぼそとあがつてゐる
たかくたかく
とほくの
とほくの
山かげから
青天あをぞらをめがけて
けむりにも心があるのか
けふは、まあ
なんといふ靜穩おだやかな日だらう

  櫻

さくらだといふ
春だといふ
一寸、お待ち
どこかに
泣いてる人もあらうに

  おなじく

馬鹿にならねば
ほんとに春にはあへないさうだ
笛よ、太鼓よ
さくらをよそに
だれだらう
月なんか見てゐる

  お爺さん

滿開の桃の小枝を
とろりとした目で眺めながら
うれしさうにもつてとほつた
あのお爺さん
にこにこするたんびに
花のはうでもうれしいのか
ひらひらとその花瓣はなびらをちらした
あのお爺さん
どこかでみたやうな

  ある時

あらしだ
あらしだ
花よ、みんな蝶々にでもなつて
舞ひたつてしまはないか

  ある時

自分はきいた
朝霧の中で
森のからすの
たがひのすがたがみつからないで
よびかはしてゐたのを

  ある時

朝靄の中で
ゆきあつたのは
しつとりぬれた野菜車さ
大きな脊なかの
めざめたばかりの
あかんぼさ
けふは、なんだか
いいことのありさうな氣がする

  ある時

松ばやしのうへは
とつても深い青空で
一ところ
大きな牡丹の花のやうなところがある
こどもらの聲がきこえる
あのなかに
うちのこどももゐるんだな

  朝

なんといふ麗かな朝だらうよ
娘達の一かたまりがみちばたで
たちばなししてゐる
うれしさうにわらつてゐる
そこだけが
馬鹿に明るい
だれもかれもそこをとほるのが
まぶしさうにみえる

  藤の花

ながながと藤の花が
深い空からぶらさがつてゐる
あんまり腹がへつてゐるので
わらふこともできないで
それを下から見あげてゐる
ゆらりとしてみろ
ほんとに
食べたいやうな花だが
食べられるものでないから
寂しいんだ

  ある時

ばらばらと
雨が三粒

……けふは何日だつけなあ

  ある時

木蓮の花が
ぽたりとおちた
まあ
なんといふ
明るい大きな音だつたらう
さやうなら
さやうなら

  ある時

ほのぼのと
どこまで明るい海だらう
それでも溺れようとはせず
ちりり
ちりりり
ちどりはちどりで
まつぴるまを
鬼ごつこなんかしてゐる

  野糞先生

かうもりが一本
地べたにつき刺されて
たつてゐる

だあれもゐない
どこかで
雲雀ひばりが鳴いてゐる

ほんとにだれもゐないのか
首を廻してみると
ゐた、ゐた
いいところをみつけたもんだな
すぐ土手下の
あの新緑の
こんもりした灌木のかげだよ

ぐるりと尻をまくつて
しやがんで
こつちをみてゐる

  手

しつかりと
にぎつてゐた手を
ひらいてみた

ひらいてみたが
なんにも
なかつた

しつかりと
にぎらせたのも
さびしさである

それをまた
ひらかせたのも
さびしさである

  ほうほう鳥

やつぱりほんとうの
ほうほう鳥であつたよ
ほう ほう
ほう ほう
こどもらのくちまねでもなかつた
山のおくの
山の聲であつたよ
   *
ほう ほう
ほう ほう
山奧のほそみちで
自分もないてる
ほうほう鳥もないてる
   *
自分もそこにもゐて
ふと鳴いてるとおもはれたよ
ほう ほう
ほう ほう
   *
ほう ほう
ほう ほう
ほんとうのほうほう鳥より
自分のはうが
どうやら
うまく鳴いてゐる

あんまりうまく鳴かれるので
ほんとうのほうほう鳥は
ひつそりと
だまつてしまつた

  まつぼつくり

山のおみやげ
まつぼつくり
ぼつくり
ころころ
ころげだせ
晝餉ひるだよう
鐵瓶の下さたきつけろ

  讀經

くさつぱらで
野良犬に
自分は法華經をよんできかせた
蜻蛉とんぼもぢつときいてゐた
だが犬めは
つまらないのか、感じたのか
尻尾もふつてはみせないで
そしてふらりと
どこへともなくいつてしまつた

  蚊柱

蚊柱よ
蚊柱よ
おまへたちもそこで
その夕闇のなかで
讀經でもしてゐるのか
みんないつしよに
まあ、なんといふ莊嚴な

  ある時

また※(「虫+車」、第3水準1-91-55)ひぐらしのなく頃となつた
かな かな
かな かな
どこかに
いい國があるんだ

  ある時

松の葉がこぼれてゐる
どこやらに
一すぢの
風の川がある

  ある時

くもの巣
松の落葉が
いい氣持さうに
ひつかかつてゐる
あ、びつくりした
晝、日中

  ある時

たうもろこしの花が
つまらなさうにさいてゐる
あはははは
だれだ
わらつたりするのは
まつぴるまの
砂つぽ畠だ

  ある時

宗教などといふものは
もとよりないのだ
ひよろりと
天をさした一本の紫苑よ

  ある時

うつとりと
野糞をたれながら
みるともなしに
ながめる青空の深いこと
なんにもおもはず
粟畑のおくにしやがんでごらん
まつぴるまだが
五日頃の月がでてゐる
ぴぴぴ ぴぴ
ぴぴぴぴ
ぴぴぴぴ
どこかに鶉がゐるな

  ある時

こどもたちを
叱りつけてでもゐるのだらう
竹藪の上が
あさつぱらから
明るくなつたり
暗くなつたりしてゐる
ほんとに冬の雀らである

  ある時

まづしさを
よろこべ
よろこべ
冬のひなたの寒菊よ
ひとりぼつちの暮鳥よ、蠅よ

  ある時

その聲でしみじみ
螽斯こほろぎ螽斯こほろぎ
わたしは讀んでもらひたいんだ
おまえ達もねむれないのか
わたしは
わたしは
あの好きな※(「田+比」、第3水準1-86-44)尼母經びにもきやうがよ

  ある時

まよなか
尿せうべんに立つておもつたこと
まあ、いつみても
星の綺麗な
子どもらに
一掴みほしいの

  ふるさと

淙々として
あまの川がながれてゐる
すつかり秋だ
とほく
とほく
豆粒のやうなふるさとだのう

  いつとしもなく

いつとしもなく
めつきりと
うれしいこともなくなり
かなしいこともなくなつた
それにしても野菊よ
眞實に生きようとすることは
かうも寂しいものだらう

  ある時

沼の眞菰の
冬枯れである
むぐつちよ
ものをたづねよう
ほい
どこいつたな

  りんご

兩手をどんなに
大きく大きく
ひろげても
かかへきれないこの氣持
林檎が一つ
日あたりにころがつてゐる

  赤い林檎

林檎をしみじみみてゐると
だんだん自分も林檎になる

  おなじく

ほら、ころがつた
赤い林檎がころがつた
な!
嘘嘘嘘
その嘘がいいぢやないか

  おなじく

おや、おや
ほんとにころげでた
地震だ
地震だ
赤い林檎が逃げだした
りんごだつて
地震はきらひなんだよう、きつと

  おなじく

林檎はどこにおかれても
うれしさうにまつ赤で
ころころと
ころがされても
怒りもせず
うれしさに
いよいよ
まつ赤に光りだす
それがさびしい

  おなじく

娘達よ
さあ、にらめつこをしてごらん
このまつ赤な林檎と

  おなじく

くちつけ
くちつけ
林檎をおそれろ
林檎にほれろ

  おなじく

こどもよ
こどもよ
赤い林檎をたべたら
美味いしかつたと
いつてやりな

  おなじく

どうしたらこれが憎めるか
このまつ赤な林檎が……

  おなじく

林檎はびくともしやしない
そのままくさつてしまへばとて

  おなじく

ふみつぶされたら
ふみつぶされたところで
光つてゐる林檎さ

  おなじく

こどもはいふ
赤い林檎のゆめをみたと
いいゆめをみたもんだな
ほんとにいい
いつまでも
わすれないがいいよ
大人おとなになつてしまへば
もう二どと
そんないい夢は見られないんだ

  おなじく

りんごあげよう
轉がせ
子どもよ
おまへころころ
林檎もころころ

  おなじく

さびしい林檎と
遊んでおやり

おう、おう、よい子

  おなじく

林檎といつしよに
ねんねしたからだよ
それで
わたしの頬つぺも
すこし赤くなつたの
きつと、さうだよ

  店頭にて

おう、おう、おう
ならんだ
ならんだ
日に燒けた
聖フランシス樣のお顏が
ずらりとならんだ
綺麗に列んだ

  おなじく

錢で賣買されるには
あんまりにうつくしすぎる
店のおかみさん
こんなまつ赤な林檎だ
見も知らない人なんかに
賣つてやりたくなくはありませんか

  おなじく

いいお天氣ですなあ
とまた
しばらくでしたなあ
おや、どこだらう
たしかにいまのは
※(「木+孛」、第3水準1-85-67)まるめろの聲だつたが……





底本:「日本現代文學全集54 千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集」講談社 
1966(昭和41)年8月19日発行

posted by koinu at 21:00| 東京 ☁| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする