2019年08月19日

泉鏡花「高野聖」(朗読:佐藤慶)




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2019年08月18日

『日本近代短編小説選』(岩波文庫) 紅野敏郎・紅野謙介・千葉俊二・宗像和重・山田俊治編

模索と発見の小説黎明期。違和感も陶酔も、いま触れるすべてが新しい。明治二二年から三五年に発表された、逍遙・鴎外・一葉・鏡花らの一二編を収録。

「この雨に泣いてる人は、お前さんばかしではないは」(広津柳浪「雨」)――新しい時代と心を語る、新しい言葉が模索された小説黎明期。違和感も陶酔も、いま触れるすべてが新しい。明治22―35年に発表された、逍遥・鴎外・鏡花・一葉らの12篇を収録。現代の読者のために語注を付す。(注・解説=山田俊治) 

https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b249018.html


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明治篇1収録作品リスト
「細君」……坪内逍遥
「くされたまご」……嵯峨の屋おむろ
「この子」……山田美妙
「舞姫」……森鷗外
「拈華微笑」……尾崎紅葉
「対髑髏」……幸田露伴
「こわれ指輪」……清水紫琴
「かくれんぼ」……斎藤緑雨
「わかれ道」……樋口一葉
「龍潭譚」……泉鏡花
「武蔵野」……国木田独歩
「雨」……広津柳浪

「幻の国に住む、夢の中の女だと思っていて下さい」(谷崎潤一郎「秘密」)。なにを視つめるのか、どう伝えるべきか――新時代の模索をへて、豊饒な相克が結んだ物語たち。明治38年から44年に発表された、漱石・荷風・花袋らの16篇を収録。(注・解説=宗像和重)

「裏に一本の柘榴の木があって、不安な紅い花を点した」(小川未明「薔薇と巫女」)。何を視、どう伝えるのか―日露戦後の新機運のなか、豊饒な相克が結ぶ物語。


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明治篇2 収録作品リスト

・倫敦搭/夏目漱石(明治38年)
・団栗/寺田寅彦(明治38年)
・上下/大塚楠緒子(明治39年)
・塵埃/正宗白鳥(明治40年)
・一兵卒/田山花袋(明治41年)
・二老婆/徳田秋声(明治41年)
・世間師/小栗風葉(明治41年)
・一夜/島崎藤村(明治42年)
・深川の唄/永井荷風(明治42年)
・村の西郷/中村星湖(明治42年)
・雪の日/近松秋江(明治43年)
・剃刀/志賀直哉(明治43年)
・薔薇と巫女/小川未明(明治44年)
・山の手の子/水上滝太郎(明治44年)
・秘密/谷崎潤一郎(明治44年)
・澪/寺田幹彦(明治44年)

多彩でどれも優れた作品揃い。ロンドン搭の中に英国史の亡霊を体験する「倫敦搭」。病弱な若妻の出産と死、夫が遺された幼い娘に妻の面影を見る「団栗」。
樋口一葉調の文体で、階級の違うふた組の夫婦の有様を描いた「上下」。新聞社の校正を何十年も続ける男の悲哀を描いた「塵埃」。日露戦争下に満州の大地を病身を引き歩く兵士を描いた「一兵卒」。対照的な生きかた老女を冷徹な眼で描いた「二老婆」。下関の木賃宿に逗留する流れ者たちの生態を描いた「世間師」。行方不明になった娘を捜索する経緯を描いた「一夜」。バスに乗って乗客を観察しながら往時の深川を偲ぶ「深川の唄」。「おれは西郷隆盛だぞ」と怒鳴り歩く乱暴者を描いた「村の西郷」。
雪の降る夜、夫が妻の過去の男関係を執拗に詮索する「雪の日」。顔すりの名人の床屋が、高熱の錯乱から起す悲劇「剃刀」。夢と死の関係を幻想的な文章で描いた「薔薇と巫女」。屋敷の男の子と下町の子供達の交流と初恋を描いた「山の手の子」。刺激を求めて女装して町を歩く男の物語「秘密」。北海道を巡業する若き旅役者に起る出来事「澪」。西洋文化が入ってきた舞台背景を考えると、そこに生きた人間像が浮かんでくる。

1927年〜1942年の作品が収録。
歴史的なことが続々と起きた時期。
 1923年 関東大震災
 1925年 治安維持法成立
 1928年 三一五事件(共産主義者一斉検挙)
 1931年 満州事変
 1933年 小林多喜二の死、共産党主要幹部の転向
 1936年 二二六事件
 1937年 日中戦争
 1941年 日米開戦
 1945年 終戦

関東大震災により帝都は崩壊。治安維持法の成立と共産主義者の一斉検挙、多くは獄中で転向する。要人暗殺と右翼テロと陸軍内部の覇権争い。日中戦争と日米戦争が起こる。陸軍の暴走とマスメディア扇動による大衆の高揚、上層部の脆弱な意思決定が重なり、戦争が拡大する。
関東大震災。思想弾圧・テロ・戦争・非合理に翻弄される社会。
表記は現代仮名づかい。字も適度な大きさで、文庫本にしては行間も広く、またふり仮名もしっかりついていてとても読みやすいです。また土地名や芝居用語、現代ではわかりにくい語句の注釈も充実しています。
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2019年08月17日

『日本近代短編小説選』昭和編(岩波文庫)紅野敏郎・紅野謙介・千葉俊二・宗像和重・山田俊治編

物語のことばには、時には歴史叙述を読み換える強度や磁場があります。虚構だから語れること・虚構でなければ現前化させることのできない種の真実が確かにあります。虚構はしばしば書き手のいる現実と浸潤しあい、そのあわいを危うくさせ、読み手の生きる時間に深く忍び込んでもきます。

長らく文庫本などの読みやすい形で読めなかった作品も多数収録しますが、そのなかに、初めて出会った読み手に「こんな小説があったのか!」という衝撃をあたえる一篇が、きっと潜んでいるはずです。作品ごとに、編者による作者・作品についての1ページ解題を付し、読書の手引きとしました。(編集部)


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昭和編1収録作品

平林たい子「施療室にて」(昭2「文芸戦線」)31
井伏鱒二「鯉」(昭3「三田文学」)8
佐多稲子「キャラメル工場から」(昭3「プロレタリア芸術」)21
堀辰雄「死の素描」(昭5「新潮」)11
横光利一「機械」(昭5「改造」)38
梶井基次郎「闇の絵巻」(昭5「詩・現実」)8
牧野信一「ぜーロン」(昭6「改造」)29
小林多喜二「母たち」(昭6「改造」)19
伊藤整「生物祭」(昭7「新文芸時代」)16
室生犀星「あにいもうと」(昭9「文藝春秋」)31
北条民雄「いのちの初夜」(昭11「文学界」)51
宮本百合子「築地河岸」(昭12「新女苑」)18
高見順「虚実」(昭11「改造」)33
岡本かの子「家霊」(昭14「新潮」)20
太宰治「待つ」(昭17『女性』収録)4
中島敦「文字禍」(昭17「文学界」)12
(千葉俊二による解説:16頁)


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昭和編2 収録作品

中里恒子「墓地の春」(昭21「人間」)38
石川淳「焼け跡のイエス」(昭21「新潮」)21
原民喜「夏の花」(昭22「三田文学」)26
坂口安吾「桜の森の満開の下」(昭22「肉体」)37
野間宏「顔の中の赤い月」(昭22「綜合文化」)47
梅崎春生「蜆」(昭22「文学会議」)26
尾崎一雄「虫のいろいろ」(昭23「新潮」)18
武田泰淳「もの喰う女」(昭23「玄想」)15
永井龍男「胡桃割り」(昭23「学生」)17
林芙美子「水仙」(昭24「小説新潮」)24
大岡昇平「出征」(昭25「新潮」)40
長谷川四郎「小さな礼拝堂」(昭26「近代文学」)26
安部公房「プルートーのわな」(昭27「現在」)8


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昭和編3収録作品

小島信夫「小銃」(昭27「新潮」)20
吉行淳之介「驟雨」(昭29「文学界」)36
幸田文「黒い裾」(昭29「新潮」)33
庄野潤三「結婚」(昭29「文学界」)25
中野重治「萩のもんかきや」(昭31「群像」)17
円地文子「二世の縁 拾遺」(昭32「文学界」)30
花田清輝「群猿図」(昭35「群像」)47
富士正晴「帝国軍隊に於ける学習・序」(昭36「新日本文学」)34
山川方夫「夏の葬列」(昭37「ヒッチコックマガジン」)11
島尾敏雄「出発は遂に訪れず」(昭37「群像」)55
埴谷雄高「闇の中の黒い馬」(昭38「文芸」)9
深沢七郎「無妙記」(昭44「文芸」)22
三島由紀夫「蘭陵王」(昭44「群像」)11
(紅野謙介による解説:21頁)

★末尾の数字は文庫での頁数。


日本文学全集では個別作家の好き嫌いによって、読破セレクションのようにならず断念しそうだ。今も優れている作品は上手く並べられると、面白く読むことができる。さすがに昭和生まれの自分でさえ、既読は発表年代の若い順が多いですね。

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2019年08月15日

日本近代短篇小説選 大正篇 (岩波文庫)

「親愛なる椎の若葉よ、君の光りの幾部分かを僕に恵め」(葛西善三)。どぎつく、ものうく、無作為ででまた超技巧的――小説の百花繚乱と咲き乱れた時代は、関東大震災とその後の混迷を迎える。
大正期に発表された、芥川竜之介・川端康成・菊池寛らの16篇を収録。(解説・解題=千葉俊二)
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【収録作品】
田村俊子「女作者」…p5(1913/大正2「新潮」、原題「遊女」)
上司小剣「鱧の皮」…p21(1914/大正3「ホトトギス」)
岡本綺堂「子供役者の死」…p55(1915/大正4『孤蝶馬場勝弥氏立候補後援現代文集』)
佐藤春夫「西班牙犬の家」…p73 (1917/大正6「星座」)
里見とん[「とん」は弓へんに「淳」のつくり]
「銀二郎の片腕」…p89(1917/大正6「新小説」)
広津和郎「師崎行」…p116(1918/大正7「新潮」)
有島武郎「小さき者へ」…p149(1918/大正7「新潮」) 
久米正雄「虎」…p169(1918/大正7「文章世界」) 
芥川竜之介「奉教人の死」…p187(1918/大正7「三田文学」) 
宇野浩二「屋根裏の法学士」…p207(1918/大正7「中学世界」)
岩野泡鳴「猫八」…p227(1918/大正7「大阪毎日新聞」) 
内田百けん「花火」…p269(1921/大正10「新小説」) 
菊池寛「入れ札」…p277(1921/大正10「中央公論」) 
川端康成「葬式の名人」…p299(1922/大正11「文藝春秋」) 
葛西善蔵「椎の若葉」…p313 (1924/大正13「改造」)
葉山嘉樹「淫売婦」…p327(1925/大正14「文芸戦線」)
[解説]…千葉俊二 

 大正が終わった翌年、大正文学の雄だった芥川龍之介と谷崎潤一郎とが、小説においてもっとも大切な要素は何かということをめぐって論争を繰りひろげた。
谷崎は「改造」の一一月号から連載をはじめた「饒舌録」で、小説がもっとも多量にもち得るのは「筋の面白さ」、いい換えれば「構造的美観」ということで、これを除外するのは「小説という形式が持つ特権を捨ててしまう」ことだと主張した。これに対して芥川は、同じ「改造」の四月号から「文芸的な、余りに文芸的な」を執筆しはじめ、「「話」らしい話のない小説」こそ通俗的要素の少ない、もっとも純粋な小説だといい、問題はその材料を生かすための「詩的精神」であるとした。
([解説]より)
しかし同年7月24日谷崎の誕生日に芥川が自殺したため論争は打ち切られる。
大正期を代表したふたりの作家がみすがらの実践を通して、小説の最も大事な核として「筋の面白さ」と「詩的精神」を抽出した。
短篇小説という形式は「筋の面白さ」とそれを生かす「詩的精神」が不可欠な要素として結合していく。
夏目漱石は「凡そ文学的内容の形式は{F+f}なることを要す。Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに附着する情緒を意味す」と記した。
あらゆる文学は「認識的要素(F)と情緒的要素(f)との結合」において現象するが、「筋」は小説の論理的思考に結びついた「認識的要素」に深くかかわって、それを生かすための「詩的精神」は、「情緒的要素」に関係する。
 日本近代小説の歴史は日露戦争後の自然主義文学によって到達点に達した。自然主義の文学や夏目漱石の活躍に刺戟されて、創作活動を再開した森鴎外は「小説というものは何をどんな風に書いても好いものだ」という断案を下した。
明治から大正期へかけての文学界は、自然主義と反自然主義が入り交じり、相互に刺戟し合いながら、小説形態が本来的にはらむ様々な可能性を追い求めて百花繚乱に咲き乱れた。

 田村俊子「女作者」は大正二年一月「新潮」に「遊女」という題で発表され、同年新潮社から刊行された『誓言』に収録されて改題された。
女性作家としての近代的プライドと書けない焦りからくる、気持ちの昂ぶりを女性的な感性を持ってのが、以下の「女作者」の冒頭にも描いている。

 この女作者の頭脳のなかは、今までに乏しい力をさんざ絞りだし絞りだししてきた残りの滓でいっぱいになっていて、もうどうこの袋を揉み絞っても、肉の付いた一と言も出てこなければ血の匂いのする半句も食みでてこない。暮れに押詰まってからの頼まれものを弄くりまわし持ち扱いきって、そうして毎日机の前に坐っては、原稿紙の枡のなかに麻の葉を拵えたり立枠を描いたりしていたずら書きばかりしている。
 女作者が火鉢をわきに置いてきちんと坐っている座敷は二階の四畳半である。窓の外に掻きむしるような荒っぽい風の吹きすさむ日もあるけれども、どうかすると張りのない艶のない呆やけたような日射しが払えば消えそうに搦々と、開けた障子の外から覗きこんでいるような眠っぽい日もある。そんな時の空の色は何か一と色交ざったような不透明な底の透かない光りを持ってはいるけれども、さも、冬という権威の前にすっかり赤裸になってうずくまっている森の大きな立木の不態さを微笑しているように、やんわりと静に膨らんで晴れている。そうしてこの空をじっと見詰めている女作者の顔の上にも明るい微笑の影を降りかけてくれる。女作者にはそうした時の空模様がどことなく自分の好きな大の微笑に似ているように思われるのであった。利口そうな円らの眼の睦毛に、ついぞ冷嘲の影を漂わした事のない、優しい寛潤な男の微笑みに似ているように思われてくるのであった。
 女作者は思いがけなく懐しいものについと袖を取られたような心持で、目を見張ってその微笑の口許にいっぱいに自分の心を脚ませていると、おのずと女作者の胸のなかには自分の好きな大に対するある感じがおしろい刷毛が皮膚にさわるような柔らかな刺戟でまつわってくる。その感じは丁度白絹に襲なった青磁色の小口がほんのりと流れているような、品の好いすっきりした古めかしい匂いを含んだ好いた感じなのである。そうするとこの女作者は出来るだけその感覚を浮気なおもちゃにしようとして、じっと眼を瞑ってその瞳子の底に好きな人の面影を摘んで入れて見たり、掌の上にのせて引きのばして見たり、握りしめて見たり、さもなければ今日の空のなかにそのおもかげを投げ込んで、向うに立たせて思いっきり眺めて見たりする。こんな事でなおさら原稿紙の枡のなかに文字を一つずつ埋める事が億劫になってくるのであった。
(田村俊子「女作者」より)

 現在では女性の小説家というのもあたりまえで、むしろ新人作家などでは圧倒的な多数を占めているけれど、当時にあってはまだめずらしく、世間の耳目をひく存在だった。そうした時代に主人公みずから「女作者」と名乗ることは、自分の才能を誇示しながら、世間に向かって自己の存在を際だたせることになる。だから、ことさらに「どうしても書かなければならないものが、どうしても書けない書けないという焦れた日にも、この女作者はお粧りをしている」と、自己の性である女ということを正面切って強調する。
 またこの作品は、昭和期になってよく書かれることになる、小説の書けない小説家風の形式をとっている。大正期の作品としてはその点が非常に新鮮だけれど、これは意識してのことではなく、原稿締め切りギリギリのところで、いわば捨て鉢的に筆が執られたものと思われる。が、この構えることのない、裸の姿をさらけだしたところにこの小説の異様なリアリティが醸しだされる。夫と取っ組みあいの喧嘩をしている最中にも「この女作者の頭のうちに、自分の身も肉もこの亭主の小指の先きに揉み解される瞬間のある閃めきがついと走った」と、女の身内に存する「肉というもの」を生々しくとらえているところなどは時代を越えた新しさがある。
([解説]より)

 小説とは本来、人々のあいだに言い伝えられた「街談巷語」「道聴塗説」に類するものだった。
本書収録作品のなかで最も原初的な、こうした小説の古層に属する形態をとどめるのが、「又聞の話」の受け売りだという岡本綺堂の「子供役者の死」だろう。この作品はパラメーターaの作者の体験としての値はゼロで、しかも人生の裏も表も知りっくした話巧者の老人がとっておきの面白いお話を語って聞かせるとでもいった趣があり、私小説的要素の皆無な「筋の面白さ」で読ませる小説の典型となっている。

 話巧者といえば、上司小剣の「鱧の皮」も唸らされるほど巧い作品だ。発表と同時に田山花袋など多くの評者から絶讃されたが、これも「街談巷語」の類たることは間違いない。後年、その作囚について「ああした女の手一つで、母子が心を合せて、生存競争の激しい渦巻の中に闘っている、その結果が、ずに作にも一鰐の皮」のようなヽ肉のない皮だけのものと云うような風になって表れている。
其処のところを、刳り取ったようにして書き表し度いと思った」(「『鱧の皮』を書いた用意」)と語っている。
[子供役者の死]にしてもこの「賠の皮」にしても、小説本来のという意味からすれば最も小説らしい小説である。そこに描かれた人間社会の不思議さ、人間心理の不可解さといったものを、作者はその背後から成熟した大人の目をもってやさしくジッと凝視している。
 
 私小説的要素の皆無な「街談巷語」ということでは、芥川龍之介の「奉教人の死」も同じだろう。ただこちらは非常に近代的で、尖鋭な芸術至上主義的な美意識に貫かれた作品である。「二」の部分で物語の典拠とされた「れげんだ・おうれあ」というキリシタン文献に言及するが、これは作者によって仮構されたフィクションである。その偽書を握造しか芥川の虚構は、これを実在するものと信じた内田魯庵が芥川に内覧を申し込んだという有名なエピソードがあるほどで(内田魯庵「れげんだ・おうれあ」)、天草本平家物語の文体を模したその文体ともども完璧な出来映えである。
  志賀直哉が「沓掛に---芥川君のこと」で、「主人公が死んで見たら実は女たったという事を何故最初から読者に知らせて置かなかったか」、そうした「仕舞いで背負投げを食わすやり方」に不満をもらしたことはよく知られている。
だが、「なべて人の世を、効果的に語るためにはどうしてもあらかじめ真相を明かすことはできなかったろう。
 はじめから種明かししてしまっては、その「感動」を読者に伝えることができなかったからだが、そのために彫心鎗骨の文体と極めて技巧的な構成という語りの技法を必要としたのである。文体と構成の妙ということでは「子供役者の死」も同じだが、「奉教人の死」はひとつの技法のきわみに達したということができる。
(中略) 
 里見淳「銀二郎の片腕」は「―こういう話を聞いた―」と書き出されるように、「子供役者の死」と同様に聞き書きの体裁をとっている。その意味ではこれも「街談巷語」の類だが、これはなかなか一筋縄でゆかない。というのも、誰もがこの物語世界へ容易に感情移入することができるという代物ではないからだ。変人と思われるような一風変わったところのある、過度に潔癖な、牧場に住みこむ銀二郎という牧夫が、我にもあらず寡婦の女主人を強く愛するようになったが故に、その女主人のつく嘘を許すことができない。
 女主人がとうとうと語る世俗的な嘘を聞いて、相手を殺すことでしか鎮めることができない
「己の身内に焔々と燃えあがるもの」を感じた銀二郎は、女主人を切る代わりにみずから詑で自分の片腕を切り落としてしまう。
 ここに描かれた事柄はきわめて特殊な事例である。世間にはめったにあるものではないが、決してないとも言いきれないような事例だ。ちょうど精神分析学において異常な症例が一般人の心理を照らし出すように、この主人公の異常なふるまいをとおして読者としての私たち、あるいは作者のうちに潜められた、過剰で、激越な感情の所在を確認させられる。「子供役者の死」の血糊まみれの女の姿にしろ、ドサッと落ちたこの血まみれの片腕にしろ、読者はドキッとさせられるけれど、圧倒的な印象をもって迫ってくる。常識的にはなかなか理解の困難な複雑怪奇な感情の力学を、語りの「芸」によって描くところに里見の作家的野心があったのだろう。
 
 久米正雄の「虎」と岩野泡鳴の「猫八」はいずれも芸人の悲哀をユーモラスに描いたものである。
「動物役者という異名」を取った新派の三枚目役者を描いた前者は、江戸屋猫八(初代)の視点から描かれる後者において「或文士たちの研究会」で話題とされ、いわば作中批評される。
「座談半ばに荒川君が電車で一緒になったからと云って、彼の動物の啼き声で有名な猫八君を連れて来た」とあり、これが六月一五日に開かれた六月例会だったことが分かる。
 このときの月評会には島崎藤村「新生」、徳田秋声「威嚇」、宮地嘉六「赤靴」、菊池寛「大島の出来る話」とともに
久米の「虎」も取りあげられたようだ。「創作月評会記事」では「虎」について、「矢張り菊地氏と同様、多少の浅薄さはあるが可成りに纏っていると云うことであった」とあっさり触れられているだけである。が、泡鳴は「虎」のモチーフと動物の声帯模写を生業としている猫八との類比に多大な興味をもったようで、それがこの一篇に結晶している。猫八は「虎」に描かれた主人公を「まるで自分の事をいわれているようであった」と受けとめるが、ここに文学享受の原点があるといってもいいだろう。両作品はあわせ読むことで、それぞれ共鳴し合い面白さが倍増する。

 佐藤春夫の「西班牙犬の家」、内田百間の「花火」はともに散文詩といってもいいような詩的な小説。
前者は退屈な日常を脱して、いつしか幻想空間へさ迷いだし、一時的にせよこの現実の憂鬱を忘れさせ、「夢見心地」にさせてくれるような小篇である。私小説的要素をもった最も詩に近い小説ということができよう。これに対して「花火」は私小説から最も遠く離れたところに書かれた詩的な小説である。同じ幻想的であっても「西班牙犬の家」が夢見心地に誘うのに対して、これは女の妬心をシンボリックに描いて背筋のゾッとする、読むものの心を凍りつかせるような小品である。
(中略)
 私小説という用語の生みの親たる栄誉を担う宇野浩二の「屋根裏の法学士」は、三人称の客観小説をよそおっているが、その主人公の中身はほとんど作者自身(細部はだいぶ変更され、誇張されているけれど)という私小説である。主人公は「独特の誇大妄想」をともなう「夢の世界」のなかに生きているけれど、この世に処してゆくために必要な「根気」と「勇気」と「常識」とを欠いており、何もかもつまらなく、味気なく感ずる。先の「甘き世の話」にしてもそうなのだが、宇野の作品はこうした夢と現実とに引き裂かれた主人公を描いて、決してかなえられない理想(夢)と現実とのギャップを延々と繰りひろげつづける。

 理想と現実のあいだに引き裂かれて思い悩むインテリ青年。まさに二葉亭が「浮雲」において描いたところのもので、「想」と「実」との対立軸は、明治二十年代の日本の近代文学の黎明期に没理想論争、人生相渉論争などで争点となったものだ。近代文学において最も大きい、中核的なテーマである。ややもすれば文学史の継子扱いされる私小説も、決してこの系譜から外れるものではない。私小説と称せられるほとんどの作品の根底には、自己の理想をかなえることができず、現在自分が置かれている境遇とその理想とのあいだの大きなギャップにうちひしがれて、この現実にあくせく生きざるを得ないおのれの姿を自己正当化しているといっても過言ではない。
 その典型的な作品が、広津和郎の「師崎行」である。自分の犯した過ちであるにかかわらず、はなはだわがまま勝手にその自分の置かれている困難な状況からの脱出を願う。(中略)自分の行動規範とそれによってもたらされた結果についての判断規範がまったくパラパラという意味では、たしかに「性格破産者」という評言がピッタリだ。しかし、「私」の心が絶えず「最良の解決法」を摸索しながら、「その時その時の間に合わせ」の行動しかとれないというところに、やはり「想」と「実」の相克がひそんでいるともいえる。

  葛西善蔵は広津と同人誌「奇蹟」に参加して掲載した「悪魔」には、「俺達はどん底に落込んで初めて最貴最高の生命を呼吸することが出来」、「一切を否定し一切を破壊してこそ初めて真の絶対境に到達することが出来る」という文学観を披渥している。
「一物の不純なもの」もまじらない、「真の絶対境」の探究のためには、一切の社会的規範や束縛をのがれ、何ものにも拘束されない絶対的自由を希求せざるを得ない。その探究の果てに、「椎の若葉」の冒頭−「六月半ば、梅雨晴れの午前の光りを浴びている椎の若葉の趣を、ありかたくしみじみと眺めやった」という一文にいたりついたのだろう。
 「椎の若葉」に描かれた生活は常人には理解しがたい。ここにはもう破れかぶれのメチャクチャな生活しかない。まったく「本能というものの前には、ひとたまりもないのだ」と思わせるほど、もはやどんな弁明もどんな言い訳も通じないような、作者の生活と心持ちには「不自然な醜さ」が満ちている。自然のもたらす同じ力であっても、人間の本能は醜く不自然で汚らわしいけれど、その対比において植物の生長をうながす生命力は光り輝かしく、すがすがしい力に充ちている。
「我輩の葉は最早朽ちかけているのだが、親愛なる椎の若葉よ、君の光りの幾部分かを僕に恵め」という敬虔な祈りにも似た結びの一文は、破滅型の生涯をもって購った珠玉の一片である。
(中略)
 川端康成の「葬式の名人」は震災前の作品であるが、「私には少年の頃から自分の家も家庭もない」という冒頭の一文には、自己に課せられた孤児としての宿命に真正面から向きあい、その宿命を生き抜こうとする決意がうかがわれる。いわばゼロからの出発である。祖父の死後、「ただ1人になったという寄辺なさ」を感じたというけれど、それは震災後の日本人、いや第一次世界大戦後の欧州の知識人たちによっても共有された感情だったはずである。その後、川端は文芸時評家として誰よりも震災後の新しい文学的傾向に鋭敏に反応し、誰よりも前衛的な実験小説を書きつづけてゅくことになる。

 葉山嘉樹の「淫売婦」は、「種蒔く人」のあとをうけて本格的なプロレタリア文学運動の拠点として創刊された「文芸戦線」に掲載された。執筆は震災前であったが、「セメント樽の中の手紙」とともに葉山を一気にプロレタリア文学の最前線へと押しだした作品である。しかし、それにしても「被搾取階級の一切の運命を象徴しているように見えた」という、病気に冒されて瀕死の、全裸で横たわる若い娼婦の悲惨のきわみともいうべき姿の描写は凄まじい。
「セメント樽の中の手紙」では、破砕器に巻き込まれた恋人が骨も肉も魂も粉々になり、セメントになってしまうが、葉山作品に描きだされる身体(肉体)の物質的破壊は凄惨であり、徹底的である。

 こうした肉体に加えられる暴力的な解体の力学は、戦争あるいは大災害によってもたらされるカタストロフィに似ている。震災後に葉山の文学がもてはやされた理由のひとつだったかも知れないが、震災後に解体されたのは物質的な身体ばかりではなかった。
 夢の世界の住人であった宇野浩二は発狂し、ガラス細工のように繊細な技巧をもって危ういバランスのうえにその芸術世界を築きあげた芥川竜之介は自殺し、自己の芸術の絶対境を探究しつづけた葛西善蔵は身も心もボロボロのままに病歿した。たしかにひとつの時代の終焉を実感させるけれど、「淫売婦」の悲惨のきわみにも新たな連帯への意識が芽ばえたように、震災後の混迷のさなかにも次の時代への新たな胎動は間違いなく用意されていたのである。
([解説]より)

千葉 俊二(1947年12月 - )日本近代文学の研究者。早稲田大学教育学部名誉教授。
宮城県生まれ、横浜で育つ。1972年早稲田大学第一文学部人文専攻卒業、同大学院修了。
山梨英和短期大学助教授をへて、早大教授。2018年定年となり、名誉教授。主として谷崎潤一郎を研究。
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2019年08月14日

西郷隆盛 人を魅きつける力

維新後かつての仇敵・元庄内藩士たちが、西郷どんの温かい人柄や教えに触れ、感激してまとめた43篇の遺訓集がある。

「人間というのは、苦しい経験を何度も味わってこそ、志が堅くなる。男たるものは、瓦となって長生きするよりも、玉となって砕けるべきだ。そういう時がある。私の家の家訓を知っているか? 子孫のために絶対に美田を買わない。つまり、財産は残さないというのがそれだ」

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「人材を採用するときに、あまりこの男は君子だとか、あるいはこの男は小人だとか、というモノサシを厳格にあてすぎると、かえって害を引き起こす。なぜなら、人間というのはこの世が始まって以来十人に七、八人は絶対に小人だ。したがって君子ばかり探していたのでは、小人の働き場所もなくなるし、また人材不足を嘆くことにもなる。そこで小人の実体をよく見て、必ずその長所を探し出し、適材適所の配置をすべきだ。小人もある種の才能を持っているのだから、それを生かして使うべきである。私の師であった藤田東湖先生がおっしゃった。『小人も程々の才芸があってたいへん便利な存在だ。用いなければならない。しかし、そうかといって、小人にたいへん重要なポストを与えれば、今度はその組織がひっくり返ってしまう。つまり小人には限界がある。そこを見誤ってはならない。だから、けっしてトップ層に用いてはならない』と」 

「事を行う場合には、正道を踏んで至誠を推し進め、けっして詐謀を用いてはならない。人間の多くは、仕事がうまくいかないで障害にぶち当たると、よく詐謀を用いてこの障壁を突破しようとする。しかし、一時的にはそういうことが成功しても、必ず揺り返しがくる。そして事全体が崩れてしまう。正しい道というのは非常に遠回りのように思えるけれども、先行きはやはり成功を早めるものだ」

「政治というものはもともと天の道に従って行うものだ。少しでも私情や私欲を挟んではならない。だから、自分以上に民のためになるというような賢人が出てきた場合には、すぐ自分のポストを譲るくらいの気持ちが必要だ。中国の古い言葉にも『徳が懋(さか)んになれば官も懋んになる。功が懋んになると賞が懋んになる』と書いてある」

「万民の上に位置する者は、己を謹んで、品行を正しくし、贅沢をやめて、勤倹節約に努め、職責に努力して、人民の模範にならなければならない。そして、民衆がその働きぶりを見て気の毒だなあと思うようでなくては、絶対に政令は行われない。ところがいま、草創の始めに立ちながら、自分の住んでいる家を飾り、着るものを贅沢にし、また美人を囲い、やたら財テクに励んでいる者が多い。こんなことでは維新の効果はとうてい遂げられない。結局、いまとなっては戊辰の義戦も偏えに私欲を充たすために行われたものではないか、というふうになってしまう。それは天下に対しても、また戦死者に対しても面目のないことである」

童門冬二著『西郷隆盛 人を魅きつける力』(PHP文庫)より


幕末きっての軍人で「廃藩置県」などの政治的難事業をやり遂げた稀有の政治家。そして一流の学識者でもあった西郷南洲。晩年こそ国賊として追われて、不遇の最期を遂げたが、「西郷こそ真のヒーロー」と多くの人から慕われ続けている。 

「敬天愛人」「幾たびか辛酸をへて志はじめて堅し」「入るを量りて出るを制する」などの名言も、西郷さんから直接語りかけられているような気分で『南洲翁遺訓』か読める。

「いま、いたずらに洋風を真似たり取り入れようとする風潮がしきりだが、これは考えものだ。やはり『和魂洋芸(才)』の気概を持つべきである。すなわち、日本のよさを本体に据えて、その後、ゆるやかに欧米のいいところを取り入れるべきだ。ただいたずらに欧米風に日本のすべてを変えてしまえば、肝心な日本の本体まで見失ってしまう。ついには、列強の言うがままになってしまうだろう」

「人間がその知恵を開発するということは、道がなければ駄目だ。電信をつなぎ、鉄道を敷き、蒸気仕掛けの機器を造る、こういうことは確かに人の耳をそばだて、目を奪う。しかし、なぜ電信や鉄道がなくてはならないのか、ということをきちんと説明しなければ、国民はいたずらに開発に追い回されるようになる。まして、みだりに外国の盛大を羨んで、利害得失を論じないで、家屋の構造から、玩具に至るまで、いちいち外国の真似をして、贅沢な風潮を生じ、カネを無駄遣いしていれば、日本の国力は疲弊してしまう。それだけでなく、人の心も浮薄に流れ、結局日本は身代限りをしてしまうだろう」

童門冬二著『西郷隆盛 人を魅きつける力』(PHP文庫)より

東アジアに対する基本的政策は、数百年来、中国と日本と韓国の3つの国を、絶対団結させてはならないという基本方針があった。この3カ国をそれぞれ分裂させてお互いに争わせ、殺し合いさせ、憎しみを掻き立てる、そういうふうに分断する。この方針を知っていた西郷隆盛は、「自分は韓国に行ってよく話し合って、一緒に西洋と戦おう」と行こうとした。次は北京に行って、清国の政府とも話し合いたいと公言していた。

「日本はヨーロッパと対等か、もしかするとはるかに優れた水準の文明をつくっている。しかもまったく付け込む隙のないような強力な軍隊を持っている、民族として団結している」という報告がイエズス会へされた。

西洋の悪霊に操られ、夜郎自大な「大日本帝国」という亡霊に取り憑かれた独裁政権が跋扈する今、日本上空では「破邪顕正」の“太田龍星”が、逝去から九年ぶりに燦然と輝き、鋭い眼光で睨みを利かせている。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784880863665

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2019年08月12日

『東京百年物語』 ロバート・キャンベル (岩波文庫)

明治維新から高度経済成長期までの100年間に生まれた、「東京」を舞台とする文学作品を時代順に配するアンソロジー。社会制度、文化、世相・風俗などの変遷を浮かび上がらせ、「東京」という都市の時空間を再構成する。第1分冊には、北村透谷、樋口一葉、川上眉山、泉鏡花、正岡子規、国木田独歩ほかの作品を収録した。(全3冊)

〈1〉一八六八〜一九〇九
T 江戸からトウケイへ――開化への自負ととまどい
 東京銀街小誌(抄)…………… 関 謙之

U 江戸の名残――進歩と格差のはざま
 漫 罵…………… 北村透谷
 浅ましの姿…………… 北田薄氷
 医学修業…………… 田沢稲舟
 十三夜…………… 樋口一葉
 大さかずき…………… 川上眉山
 夜行巡査…………… 泉 鏡花
 車上所見…………… 正岡子規

V 東京の黎明――大国化の陰影
 銀座の朝…………… 岡本綺堂
 琴のそら音…………… 夏目漱石
 窮 死…………… 国木田独歩
 浅草公園…………… 木下杢太郎
 監獄署の裏…………… 永井荷風

解 説 …………… ロバート キャンベル
地図
年表 一八六八〜一九〇九
〈2〉一九一〇〜一九四〇 

T 東京の虚実――世界都市への野心
 普請中 …………… 森鷗外
 人面疽 …………… 谷崎潤一郎
 両国・立秋の日・築地の渡し 並序 …………… 木下杢太郎
 東京の公園 …………… 田村俊子
 魔 術 …………… 芥川竜之介
 小僧の神様 …………… 志賀直哉

U 東京スナップ――モダニズムの夢
 招魂祭一景 …………… 川端康成
 公園小品 …………… 室生犀星
 滅びたる東京 …………… 佐藤春夫
 泥 濘 …………… 梶井基次郎
 押絵と旅する男 …………… 江戸川乱歩

V 東京の陰翳――発展と孤立
 雨の降る品川駅 …………… 中野重治
 水族館 …………… 堀 辰雄
 M百貨店 …………… 伊藤 整
 恐ろしい東京 …………… 夢野久作
 除夜の鐘・正午 …………… 中原中也
 鮨 …………… 岡本かの子

解 説(十重田裕一)
地 図
年 表 一九一〇〜一九四〇



〈3〉一九四一〜一九六七
T 東京に根ざす――出征と銃後
 東京八景(苦難の或人に贈る)……………太宰治
 鷺宮二丁目……………壺井 栄
 国民酒場……………上林 暁
 有楽町の思想……………稲垣足穂

U 東京車中――復員と占領
 灰色の月……………志賀直哉
 飢えの季節……………梅崎春生
 下 町……………林 芙美子
 おどる男……………中野重治
 ジングルベル……………安岡章太郎
 街の故郷……………森 茉莉

V 東京で生きる――遠ざかる焼け跡
 橋づくし……………三島由紀夫
 お守り……………山川方夫
 アジンコート……………内田百
 札の辻……………遠藤周作
 佃渡しで……………吉本隆明
 廃墟の眺め……………吉行淳之介

解 説……………宗像和重
 地 図
 年 表 一九四一〜一九六七
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2019年08月07日

『FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』ハンス・ロスリング (日経BP)

ファクトフルネスとは――データや事実にもとづき、世界を読み解く習慣。賢い人ほどとらわれる10の思い込みから解放されれば、癒され、世界を正しく見るスキルが身につく。 
世界を正しく見る、誰もが身につけておくべき習慣でありスキル、「ファクトフルネス」を解説しよう。 

世界で100万部の大ベストセラー! 40カ国で発行予定の話題作、待望の日本上陸

ビル・ゲイツ、バラク・オバマ元アメリカ大統領も大絶賛! 

「名作中の名作。世界を正しく見るために欠かせない一冊だ」―ビル・ゲイツ 
「思い込みではなく、事実をもとに行動すれば、人類はもっと前に進める。そんな希望を抱かせてくれる本」―バラク・オバマ元アメリカ大統領 

特にビル・ゲイツは、2018年にアメリカの大学を卒業した学生のうち、希望者全員にこの本をプレゼントしたほど。 

◆賢い人ほど、世界についてとんでもない勘違いをしている 

本書では世界の基本的な事実にまつわる13問のクイズを紹介している。たとえば、こんな質問だ。 

質問 世界の1歳児で、なんらかの予防接種を受けている子供はどのくらいいる? 
・A 20% 
・B 50% 
・C 80% 

質問 いくらかでも電気が使える人は、世界にどのくらいいる? 
・A 20% 
・B 50% 
・C 80% 

答えは本書にある。どの質問も、大半の人は正解率が3分の1以下で、ランダムに答えるチンパンジーよりも正解できない。しかも、専門家、学歴が高い人、社会的な地位がある人ほど正解率が低い。 
その理由は、10の本能が引き起こす思い込みにとらわれてしまっているからだ。 

◆教育、貧困、環境、エネルギー、医療、人口問題などをテーマに、世界の正しい見方をわかりやすく紹介 

本書では世界の本当の姿を知るために、教育、貧困、環境、エネルギー、人口など幅広い分野を取り上げている。いずれも最新の統計データを紹介しながら、世界の正しい見方を紹介している。 
これらのテーマは一見、難しくて遠い話に思えるかもしれない。でも、大丈夫。著者のハンス・ロスリング氏の説明は面白くてわかりやすいと評判だ。その証拠に、彼のTEDトークの動画は、累計3500万回も再生されている。 
また、本書では数式はひとつも出てこない。「GDP」より難しい経済用語は出てこないし、「平均」より難しい統計用語も出てこない。誰にでも、直感的に内容を理解できるように書かれている。

ハンス・ロスリング

医師、グローバルヘルスの教授、そして教育者としても著名である。世界保健機構やユニセフのアドバイザーを務め、スウェーデンで国境なき医師団を立ち上げたほか、ギャップマインダー財団を設立した。 
ハンスのTEDトークは延べ3500万回以上も再生されており、タイム誌が選ぶ世界で最も影響力の大きな100人に選ばれた。2017年に他界したが、人生最後の年は本書の執筆に捧げた。 

オーラ・ロスリングとアンナ・ロスリング・ロンランド 
オーラはハンスの息子で、アンナはその妻。ギャップマインダー財団の共同創設者。オーラはギャップマインダー財団で2005年から2007年、2010年から現在までディレクターを務めている。 
アンナとオーラが開発した「トレンダライザー」というバブルチャートのツールをグーグルが買収した後は、グーグルでオーラはパブリックデータチームのリーダー、アンナはシニア・ユーザビリティデザイナーを務めた。 
2人はともに功績を認められ、さまざまな賞を受賞している。


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2019年08月06日

『知ってはいけない 金持ち 悪の法則』大村 大次郎(悟空出版)

『知ってはいけない 金持ち 悪の法則』大村 大次郎(悟空出版)

日本には確実に金持ちだけを優遇する制度が確立している。その大半を占める大企業とその役員たち、開業医、地主などは、狡猾に富を守り、増やし続ける仕掛けを活用している。彼らは政治と結託し、サラリーマンをはじめとする庶民に税金を押し付けて暮らしているのだ。一皮むけば「アンフェアな法則」だらけの日本経済──その秘密の構造を本書はあまねく公開する。 

◎IT社長が富裕層の中心という錯覚 
◎仮想通貨で儲けようとした人々の現実 
◎地主だけが得をする不動産・金儲けスキーム 
◎相続税を逃れる「偽装農家」の実態 
◎消費税は貧乏人から搾取するためにある 
◎アンフェアに生きるのが富裕層の常識 
◎マルサは大企業に踏み込めない 
◎なぜ日本の大学授業料は世界一高いのか ほか 

大村 大次郎
大阪府出身。国税局で10年間、主に法人税担当調査官として勤務し、退職後、 経営コンサルタント、フリーライターとなる。執筆、ラジオ出演、テレビ番組の監修など幅広く活躍中。『税金を払わずに生きてゆく逃税術』(悟空出版)『あらゆる領収書は経費で落とせる』(中公新書クラレ)など著書多数。また経済史の研究家でもあり、別のペンネームで30冊を超える著作を発表している。
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2019年08月02日

荘子の臨終における姿勢

 荘子が危篤に陥った。臨終の床に集まった弟子たちは、立派な葬儀を出したいと願ったが、荘子はこれを拒んだ。

 「天地は私の棺桶で、日月星辰は宝器、万物は会葬者なのだ。この上何を付け加える必要があろう。このまま打ち捨ててもらいたい」

 だが、弟子たちは納得しない。

 「それでは、先生のお体が、鳥に喰われてしまいます」

 「地上に放置すれば、鳥に喰われもしよう。だが、地下深く埋葬したとて、いずれは虫の餌となるのだ。ことさら一方から取り上げておいて他方に与えるのは、不公平というものではないか。だからと言って、公平であろうとして作為を働かせても、真の公平は得られないし、自然に順応しようとして作為を働かせても、真の順応は得られない。

 己の賢をたのむ者は、知を働かせることによってかえって事物に支配されるが、聖知の所有者はただ無心に事物に順応するだけだ。賢知は所詮、聖知には及ばない。だが、この道理を知らぬ人々は、自己の判断を固執して作為を弄し、いつまでも束縛から解放されることがない。なんとも哀れではないか」

 

   『荘子』 (岸 陽子 訳)
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2019年08月01日

クロード・シモン『アカシア』

「ある夜 彼は一枚の白紙を前にテーブルに向かった。いまは春だった。部屋の窓はほの温かい夜の聞に向かって開いていた。庭に生えている大きなアカシアの木の枝の一本がほとんど壁に触れていて、電燈に照らしだされたいちばん近くの梢が彼にも見え、ペン先に似たかたちの葉が閣を背景にかすかにひくつき、楕円形をした小葉が電燈の明かりでどぎつい緑に色づいて、時折冠毛みたいに動き、まるでそれ自身の力にうながされているみたいで、まるで木全体が目覚め、武者ぶるいし、気合をいれるみたいで、それからすべてが鎮まり、葉群ももとの不動の姿を取りもどすのだった。」(クロード・シモン『アカシア』より)

【小説を改革するための様々な技術的工夫である以上に、世界(対象)にじかに立ち向かう態度のあらためての浄化であり、世界(対象)をあるがままに言語化以前の状態で言語化するという、本来不可能なはずの試みに敢えて挑戦するための新たな≪論理≫の模索にほかならない】

クロード・シモン 
Claude SIMON[1913-2005] 
フランスの作家。マダガスカル島タナナリーヴ生まれ。11歳で母を亡くし、パリの名門スタニスラス校の寄宿生となる。オックスフォードやケンブリッジ大学に通ったのち、絵画を学ぶ一方で、カフカ、ジョイス、フォークナー、コンラッド、プルーストを発見。1936年9月、スペイン内戦下のバルセロナに2週間ほど滞在して純粋な暴力に初めてふれる。CNT アナキスト系のメンバーと連絡を保ち、武器輸送に協力。1939年8月、第2次世界大戦の竜騎兵連隊に伍長として召集されて、ベルギーでの戦闘(撤退)に参加。捕虜となるが、1940年10月に脱走。南仏ペルピニャンの城館に身を落ち着け、絵を描き、執筆に着手。1945年に『ペテン師』を出版。
1956年にロブ=グリエと知り合いになり、『風』を刊行するように説得される。1957年『風』58年『草』60年『フランドルへの道』を刊行して、エクスプレス賞を受賞。1962年3月にレア・カラヴァスと出会い、結婚。
1967年『歴史』69年『ファルサロスの戦い』71年『導体』73年『三枚つづきの絵』75年『実物教育』81年『農耕詩』を刊行して85年にノーベル文学賞を受賞。1989年『アカシア』97年『植物園』、2001年『路面電車』を刊行。 
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2019年07月29日

『首飾り』モーパッサン

 その女というのは男好きのしそうなちょっと見奇麗な娘であった。このような娘は折々運命なにかの間違いであまりかんばしくない家庭に生まれてくるものである。無論、持参金というようなものもなく、希望など兎の毛でついた程もなかった。まして金のある上流の紳士から眼をつけられて愛せられ、求婚されるというようなことは夢にもありはしない。とかくして、彼女はある官庁の小役人の処に嫁ゆくこととなった。

 華美はでに衣飾ることなど出来ようはずがない。で彼女は仕方なく質素な服装みなりをしていた。けれど心中は常時いつも不愉快で、自分がまさに行くべき位置ところに行くことも出来ず、みすみす栄ない日々の生活を送らなければならないのかと真から身の不幸せを歎いていた。成程女は氏なくして玉の輿という、生来の美しさ、優やかさ、艶すこやかさ、それらがやがて地位なり、財産というものなのだ。それを他にしてなにがなる? それさえあれば下町の娘も高貴の令嬢もあまり変わりはない――道理もっともなことである。

 彼女は自分が充分に栄誉栄華をする資格に生まれてきたと念うと、熟々今の生涯が嫌になる、彼女は一日もそれを思い煩わぬ日とてはなかった。住居の見すぼらしさ、壁は剥げている、椅子は壊れかかっている、窓掛けは汚れくさっている、このようなことは彼女と同じ境遇にいる女のあまり気にも留めなかったことであろう。けれど彼女はもうちょっとしたことにも気をエラエラさして、我れと我が身を苦しめていた。しかし、時にはプレトン辺りの農夫の妻が骨身を惜まず真っ黒になって働いている光景ありさまなどを思い浮かべて、自分が果敢ない空想の徒なことを恥ずかしくも浅ましいことに思わないでもなかった。けれどそれもしばし、彼女はやがてまた元の夢に返った。静かな玄関の座敷、周囲には東洋で製作できた炎えたつような美しい帷張とばりがかかっている。高い青銅ブロンズで出来た燭台が置かれてある、室内は暖炉の温か味で程よくなっている、傍の肱掛け椅子には逞ましい馬丁風の男が二人睡っている。と思うと古代の絹かなにかで飾りたてられた美術室、如何程価のするか解らないような種々の珍奇の骨董品やら、書画の類が巧を尽して列べられてある、さらに居間に入れば価高い香料がプンと鼻を突いて心を酔わせる。このような処で夕暮れに親しい朋友ほうゆうや交際場裡に誰知らぬもののない若い紳士などを集めて、くさぐさの物語に時の移りゆくを忘れたら、如何ように楽しいことであろうかと彼女はたえずこのような幻の影を追うていた。


 買ってから三日も経ったかと思われる新しいテーブル掛けのかかった食卓に夫と相対さしむかいで座わる。夫はスープの皿をひきよせて、さも嬉しそうに「如何だ、この皿は今まで買った中では如何しても一番だ。ねえ、お前はどう思うね?」とたずねる。彼女はピカピカする銀製の食器、古代の人物や美しい花鳥の図の縫い取りがしてある掛け毛氈のことを夢みていた。そして、ほんのり赤味を帯びた鱒の照焼きや鶉の料理に舌鼓をうたせながら謎のような眼つきをして、自分に媚る若い男の囁きに耳を傾けていたらばなどと、例の空想をほしいままにしながら夫の言葉など上の空できき流していた。

 彼女は衣服きものも満足なのは持っていなかった。その他宝石頸えり飾りの類、およそ彼女がこの世の中に欲しいと思うような身の周囲まわりの化装品は一つとして彼女のままにはならなかった。彼女は実際それらのものを衣飾に為してこの世に生まれてきたのだと考えていたのだ。如何かして世の中の人を羨ましてやりたい。男を迷わしてやりたい。そうして、自分は何時も男につき纏われてみたいと、このようなことのみ思い続けていた。


 彼女には幼い頃から親しくしていた学校朋輩がある。しかし、その友人というのはかなりな財産家の娘なので、初めの内こそ二、三度訪ねてみたこともあったが、それは余計に自分を苦しませる種なので、それなり交わりを絶ってしまった。今ではその友の顔をみるさえはなはだしい苦痛なのである。


 ある晩のことであった。夫はいつになくイソイソとして帰ってきた。閾を跨ぐや否や彼女に一個の封筒を指し示しながら、

「そら、お前にいいものをあげよう」

彼女は荒々しく封筒を剥して、中から印刷された一枚の紙を取り出した。それは夜会の招待状なのである。

「来る一月十八日月曜夕刻より官宅において舞踏大会相催し候ついては貴殿並びに御令閨にも万障御繰り合わせの上御出席の栄を得度右および御案内候也」

 宛名は二人の名前になっている。そして麗々と官長夫妻の署名がしてある。

 喜ぶと意おもいの外、彼女はその招待状を食卓の上に投げつけた。そして、如何にも蔑すんだ様子を面にあらわして、

「貴郎あなた、そんなものを私に見せて一体如何しろとおっしゃるんですの」と唸いた。

「お前がさぞ喜ぶことだろうと思ったからさ。この頃お前も滅多に外出でたことがないし、丁度いい機会おりだと思うがね、招待状を貰うにはこれでも一通りや二通りの苦心じゃあなかったのさ。同僚の者など誰一人行きたがらぬものはないが、これを貰ったのはごく少数わずかの人なので、たかが属官風情の私などが出席できるというのは、殆ど異例といってもよい位なものさ。とにかく官界の連中が総出というのだそうだからねえ」

 彼女は焦燥そうな眼つきをして、

「貴郎は一体私に何を着せて下さるおつもりです?」

 夫は左様なことには一向気がつかなかったのだ。妻からこうたずねられたのでちょっとまごついて、

「芝居に行くときの服装なりでいいじゃないか、あれはお前に大変よく似合よ」

 こういうて妻の方を視た。みると彼女は鳴咽ている。涙が頬を伝って流れている。夫は吃りながら、

「ど、どうした、オイ、どうした?」

 彼女はせきくる涙を無理にとどめて、頬を拭いながらわざと声を落ち着けて、

「何でもありません。衣物がないばかり、それで如何して夜会なぞにまいれましょう。お仲間の方の奥さんが私より、ズートお召のよいのを持っていらっしゃる方があるでしょう、左様そういう方に進上あげたらいいでしょう――なにも……」

 夫は失忘した。が気をとりなおして、

「まあ、機嫌をなおして、私のいうことも聞いてもらわなくっては困るね。夜会に行く服装というのは一体どの位で出来るものかね、せいぜい安く積もって、え?」

 彼女はしばし思案にくれていた。自分の夫のような働きのない気の小さい人に衣物の価値を話したら、さぞ驚くことであろう。よい返事をせぬにきまっていると心では思いながら、如何にも躊躇したように答えた。

「精確しっかりとは存知ませんが、四百フランも御座いましたら、どうかなるでござんしょう」

 夫は少しく青くなった。彼は翌年の夏あたり同僚とナンテルの方面に銃猟に行くつもりで、そのためにかねて銃を買うつもりで貯えた金が四百フランばかりあるのだ。

 夫は思い切ったという調子で、

「よし、それならお前に四百フラン遣るから、好きな衣服を買ってくるがいい」

 夜会の日が近づいた。が、彼女は如何したものか沈み勝ちで、何かたえず心配しているようにみえた。服装なりもチャント、準備ととのったのである。夫は不思議にたえない。で、ある晩に彼女にたずねた。

「如何した、この二、三日おまえの様子が如何もへんだよ。また、なにか心配なことでもあるのかね?」

「衣服はこれでよいとしても、飾りになる宝石が一ツだってある訳ではないし、私いっそ、もう夜会に参ることはよしましょう」

「それなら、花でもつけてゆくさ、時節柄キットよく似合うよ。なに、十フランもあれば見事な薔薇が買えらあね」

「嫌ですよ、立派な貴婦人かたがたの前に出て、貧乏くさく見える位恥ずかしいことはありませんからね」

 彼女は中々承知しない。

 夫はなにごとか思いついたらしく、

「お前も余程馬鹿だねえ。それ、お前の親友のフオレスチャ夫人ねえ、あの人の処へ行けば飾り位如何かなりそうなものだねえ、え?」

「真実に如何したらいいでしょう。私、今までちっとも気がつかなかったわ」

 さも嬉しそうに彼女は叫んだ。

 翌日、彼女は早速親友の処をたずねて、事情を話した。

 フオレスチャ夫人は殊の外同情して、破璃戸の填っている戸棚から大きな宝石の函をとり出してロイゼルの前に開いた。

「さあ、どれでもお気に召したのを」

 彼女はまず腕環をみた。それから真珠の頸飾り、ヴェネシアの十字架、その外精巧を尽くした金銀宝石の種々の飾りを一々手にとってみた。そして、鏡の前へ立って、それを身体の彼処此処あちこちへつけて眺めまわした。これかそれかと定めかねてしばし躊躇した。

「もうこの他に御座いませんか?」と口癖のようにいいながら、

「いいえ、ないことも御座いませんが、如何いうのが全体お好きなのやら」と夫人は曖昧な返事をする。

 彼女はとうとう黒い箱の中に入っているすばらしいダイヤモンドの頸飾りを見つけだした。彼女がそれを手にした時はさすがに動気が激しくなって、手さえふるえていた。そして、頸にかけて鏡に向かった時は自分の姿につくづくと見惣みとれて、あまりの嬉しさに言葉も出なかった。何も彼も打ち忘れて、が、如何にも心苦しそうに、

「こればかりでよろしいのですが、如何でしょう」

「ええ、よろしゅう御座いますとも」と案外の返辞。彼女は嬉しまぎれに思わず友の頸にかじりついた。左様して数多度熱い接吻キッスをして、後生大事と宝を抱えながら帰った。

 夜会の日が近づいてきた。ロイゼル夫人は意外な成効を博し得た。日頃の希望が達せられたのだ。胸に満ちている喜びがあふれて打ち狂える様は、実にすべての人の注目する処となった。実際、彼女は他の貴婦人連よりも遥かに優美でもあり濃艶でもあり、また一種魅するが如き力は彼女の一挙一動に供うたのである。満場の視線は等しく彼女に集められた。名前は至る処でたずねられ、交際を求むる者がひきも切らず、当夜の主人公さえ彼女に話し掛けた位であった。

 彼女は物狂おしきまで舞り狂うた。自分の美しさにすべてを打ち忘れ、勝誇った色をあくまで面に顕わした。あらゆる称賛、あらゆる栄誉を一身に担うというて、これ程女の浅薄な心を満足させるものがまたとあろうか。

 彼女は翌朝四時頃ようやく舞踏室を出た。夫は二、三の紳士と寂しい玄関の一室に眠ねながら待っていた。その紳士の妻君達も彼女と同じように快楽に耽けっていたのである。

 夫は家から持ってきた外套を彼女の背中にかけてやった。それが夜会の服装と相対して如何にも見窄しくみえたのである。彼女は温かい毛皮の外套に身を纏つつんだ婦人に見られるのを嫌うて、それを着なかった。

 ロイゼルは妻を止めて、

「オイ、それでは風邪をひく、今馬車を呼んでくるからちょっと待っておいで」

 親切な夫の言葉には少しも耳をかさず、彼女はスタスタと階段を下りて戸外へ出た。ロイゼルは仕方なく後について、間もなく二人は一諸になって馬車を探し始めた。ようやく一台見つけたので遠くからその馬車を呼んだ。二人は寒いので震えながらセイヌを側うて下って行った。辛うじて彼らは一台の馬車に追いついた。その馬車というのは二人乗りのノクタンブランで、以前にはよく白昼でも巴里の街中を歩いたものだが、今では夜にならなければ決して見られぬものなのである。

 やがて馬車はルー・デ・マアラルまできた。二人はそこで下車おりて家路に急いだ。彼女の希望はもうまったく消え失せた。夫の方は午前の十時になるとまたコツコツと役所に出かけなければならぬのかと、つくづく単調な日々の生活を今さら思いやった。

 彼女は外套を脱ぐとすぐ鏡の前に彳立たって、美しい姿に自らを満足させようとした。鏡を見るや否や彼女はにわかに叫んだ。それも道理、彼女の頸には如何したものか今迄かけていたと思うた頸飾りが、何時の間にか失なっていたのである!

「如何した?」

 彼女は眼の色を変えて夫の方に振り向いた。

「私、あの、わ、私あの頸飾りを失なしました」

「なに!――え?――そんなことが!」

 夫は気も転倒して立あがった。

 衣物の襞、さては外套の衣兜かくし、至る処手を尽して探した。けれど見つからない。

「確かに夜会の席へ置き忘れてきたに違いない、そうだろう」

 こう夫は落胆しながらたずねた。

「ハイ、なんでも広間ホールの入口に置いたような心持ちもいたします」

「もし帰る途中で落としたとすれば、落ちた音がしなければならないはず。ヒョットしたら馬車の中じゃあないか?」

「ハイ、多分――あの馬車の番号を覚えておいでですか」

「否いいえ、お前も覚えておりはすまい?」

「ハイ」

 二人は互いに顔を見合わせてしばし呆然としていた。呆然としていたって仕方がない。ロイゼルは今しがた脱ぎ棄てた衣物をまたひっかけた。

「私は今帰ってきた道をすっかり探してこよう。あるいは見つからないものとは限るまい」

 で、彼は出かけた。彼女は夜会の服装で力なさそうに椅子によりかかった。胸の中は種々雑多な想いが乱れに乱れ、頭の中は火のようにほてっていた。

 夫は七時頃ようやく戻ってきた。彼はなんにもみつけなかったのだ。

 警察に訴える、新聞に広告をする、馬車会社に行く――このようなことが僅かな望を繋いだ。

 彼女は終日この恐ろしい災難をとやかく思い煩うて、恐ろしさにうちわなないていた。

 ロイゼルは青褪めたキョトンとした顔つきをして夜遅く帰ってきた。無論、頸飾りはめっからなかったのである。

「オイ、お前はとにかく、友人の処へ手紙をやったらどうか、頸飾りの釦金かけがねが壊れたから直しにやってあるとでも書いて、――え、その内には如何にか工夫のたつまいものでもない」

 彼女の頭は錯乱して、手紙の文句をも考えることも出来ぬ。夫がいうがままに彼女は半ば無意識にその言葉を紙に写した。

 その週の終わりには二人ともまったく絶望して仕舞った。

 彼女に五ツ年上のロイゼルは先口を開いた。

「如何にかしてあの飾りを返さなければならない」

 で、翌日飾りの入っていた箱を持って宝玉たま屋に行った。幸い宝玉屋の名が箱に記してあったので――宝玉屋は帳面を色々と繰ってみた。

「その飾りをお売り申したのは私の店ではございません、箱だけは慥かにお誂え申した覚えが御座いますが!」

 こう宝玉屋は無雑作に答えた。

 それから二人はおよそ巴里中にある、ありとあらゆる宝玉屋の店頭みせさきに行立たった。失なした飾りに類似の品を求めて歩いた。身体は綿の如く疲れきって、胸はいうべからざる苦悶を以てみたされた。

 探し廻った甲斐があって、二人はパライ・ローヤル街のある宝玉屋の店にようやくにかようたダイヤモンドの頸飾りを見つけだした。その価は四万フランであるとのことである。ようやく三万六千フランまで値切った。二人は宝玉屋に低頭平身して事情を打ちあけた。そして、三日間の猶予を乞うた。のみならずもし失なった飾りが二月の末までに見つかったなら三万四千フランで買い戻してもらうという約束までした。

 それから彼は知っている限りの人々を訪ねて、ここから千フラン、あそこから五百フラン、という具合に都合をして歩いた。それでも未だ間に合わぬので高利貸しの処にまでも出かけていった。そして、すべての債主に一々証書を入れた。もう如何することも出来ぬ、恐ろしくって将来のことを考える勇気もない。まったく彼はそのために一生を犠牲にして仕舞ったのである。くるべき暗黒の光景は漸時に彼が前に展かれた。あらゆる肉体の困苦欠乏、精神の煩悶痒苦これらは如何に彼を苦しめたのであろう。彼は約束の期日に宝玉屋に行って三万六千フランを支払って新しい頸飾りを買った。

 ロイゼル夫人はその頸飾りを携へてフオレスチャ夫人の処に返済すべくでかけた。フオレスチャ夫人は冷やかな態度を示しながら、

「もう少し早く返して頂きたかったですよ、これでもチョイチョイ入用なことがありますからね」

 夫人は函を開きもしなかった。それを彼女は内々恐れていたのである。もしそれが換え玉であるとしれたら如何しよう、如何弁解したらよいだろう? キット自分を悪人と思うに相違ない。このような思いがロイゼルの心の中を往来していたのである。

 彼女は今頃貧というものの辛さをしみじみと心に味わった。けれど今となってはいたし方がない。ともすれば沈み勝な心をとりなおして、我れと我身を奮ましながら、恐ろしい負債を是非とも消却しなければならぬと考えた。まず下婢に暇をやって、今までの住居すまいを引き払って下層な下町の物置部屋のような一室を借りることにした。

 彼女は初めて労働の苦痛を知り始めた。そして、面倒な台所仕事を不慣れな手つきでやり始めた。ほんのりと桃色をした柔らかな指先で脂ぎった茶碗や皿を洗った。汚れたリンネルのシャツ、テーブル掛け、布巾その他色々なものを洗濯して、それを一々竿にかけて干す。水はというと、勾配の急な坂の下まで汲みに行かなければならない。彼女は坂の途中で幾度となく休んでようやく水をくんでくるのである。彼女はまた長屋の連中と一緒に笊を小脇に抱えて、八百屋や果物屋や肉屋などに出かけて行く。そして、僅かばかりの銭のために色々と押し問答などして、物価の安そうな処をみつけて歩くようになった。

 月の終わりになると証書の書き換えをしたり、いい訳をしたり、それは中々の大役であった。

 夫は夜になると商売人の帳簿の写しを内職にやった。その外一頁五銭程にしか当たらぬ写字を夜の更けるまでやった。

 このような生活がざっと十年程継続した。

 十年の終わりに二人はヤット元利合わせてすっかりの負債を消却することが出来た。

 ロイゼル夫人は年をとった。見るから面やつれのした世話女房になった――骨が固くなった。手足はあれて皮が剛ばった。縺れた頭をして、胸のあたりをたばけ、真っ赤な手で洗濯の水をザブザブとあたりに跳ねかしながら、彼女は大声で長屋の連中と話をするようになった。けれど時には夫の留守などに窓側へよりかかって、自分が一生に一番美しかったあの夜の光景ありさまを思い浮かべて果敢ない追憶に耽けることもある。

 あの頸飾りさえ失なさなかったら、今頃は如何になっているだろう? ああ誰か解るものか? 世の中というものは奇妙なものだ、変遷うつりかわりの烈しいものだ! あのようなささいな物から、自分たちの運命が如何にも存在されるのだ!

 ある日曜のことであった。彼女は一週の疲労つかれを癒するためシャンゼ・リゼイの方へ散歩に出かけた。その時フト小児こどもを連れている女に逢った。それは忘れもせぬフオレスチャ夫人で、依然として若く美しく口元に微笑さえ湛えていた。

 ロイゼルはなんとなく心を動かされた。今はもうまったく負債を消却した暁である、今までのことを打ち明けても差し支えはあるまい、そうだ、こう思いながら彼女は昔の友人の傍に立った。

「御機嫌よう」とまず言葉を掛けた。

 一方の友人はこの見なれぬ粗末な服装の女にさも慣々しく言葉をかけられたので、一方ならず吃驚びっくりしてあわてながら、

「あなたは!――私一向に存知ませんが、もしや人違いでは御座いませんか」

「否、私はあのロイゼルでございますよ、お見忘れですか?」

「オヤ、あなたが――あのマシルドさん、まあ大層御様子がお変わりになったこと! 一体如何なすったのです」

「ハイ、今まで私も随分と色々な苦労をいたしましたよ。これもそれも、あのいつぞやお宅に拝措物に上がったのが原因もとなので――つまりあなたのためなので」

「私のためですって! それはまた如何して」

「あなたはあの夜会の時、私にお借下さったダイヤモンドの頸飾りを記憶おぼえていらっしゃいましょう?」

「ハイ、よく覚えております。それで?」

「実は、あれを私が失なしましたので」

「何ですって、あなたは自分で宅までお持ちになったじゃありませんか?」

「ハイ、それはよく似た代りのを差し上げたので。私共はそれを買いますのにそれはそれは大変な借財をいたしまして、ようやく十年という長い月日をかけて、ようやくそれを返済することが出来ましたので、無一物の私たちの身に取りまして、如何の位辛うどざいましたか、少しはお察しを願います」

 フオレスチャ夫人はちょっと黙した、がやがて、

「それなら、あの、あなたは代りにダイヤモンドの頸飾りを買って返して下さったのですね」

「ハイ、それなら、あなたは今までそれをお気づきなさらなかったのですか、もっとも大層よく似ておりましたから」

 で、彼女の傲り気は一種の無耶気な様子を示して微笑んだ。

 フオレスチャ夫人は真底から動かされてロイゼルの両手をしっかりと握った。

「あ、あ、お気の毒な、マシルドさん! 私のあれは人造で、せいぜい五百フラン位なものだったのですよ!」



「頸飾り」モウパンサン・辻潤訳

初出:「実験教育指針」教育指針社 1908(明治41)年9月

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2019年07月28日

超訳ゲーテの言葉

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人類永遠の宝となる優れた文学作品を数多く残した、18〜19世紀の大作家であり、哲学者であるゲーテ。本書では、そんなゲーテの珠玉の名言の中から、とくに日本人の心に響く言葉を厳選して超訳。取り上げた言葉はすべて、本書のためにドイツ語原文から新たに訳し直したものです。人間への深い愛と、世の中に対する鋭い洞察力から生み出された叡智にあふれる言葉は、今なお新しく、心が疲れ、人生に迷うことが多い現代人を力強く励ましてくれます。生きる力と知恵を授けてくれる座右の書。

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「本文より、言葉の一部を紹介」自分の感覚を信じる 朝、考えることが1日を決める 行動と結果を楽しむ 友人を騙すぐらいなら騙されるほうがまし 他人の悪口を言うことは、自分を不幸にする 懸命に生きれば、必ず何かを残せる いつでも憧れの気持ちをもとう 結婚は、人として成熟するチャンス 賢さとは思慮深さである。


第1章 自分自身に関する言葉<br/>第2章 人間に関する言葉<br/>第3章 世界に関する言葉<br/>第4章 人間関係に関する言葉<br/>第5章 心に関する言葉<br/>第6章 人生に関する言葉<br/>第7章 幸せに関する言葉<br/>第8章 仕事に関する言葉<br/>第9章 知性に関する言葉<br/>第10章 愛に関する言葉

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【本書から】

「種まきは収穫ほど難しくない何かを始めることと、何かの成果を上げることは、別の話だ。」

「人は役立つ人間しか評価しない。だからその評価を喜ぶのは自分を道具とみなすこと」


「いわゆる「名言」とは当時使われた意味がわからないため、自分勝手な意味を盛り込んで使っているだけ」


「人は自分と自分より高いレベルの人と暮らすと劣等感を感じ、低いレベルの人と暮らすと物足りなくなり、同じレベルの人と暮らすと自己嫌悪に陥る」


「大事なことは、すぐれた意志をもっているかどうか、そしてそれを成就するだけの技能と忍耐力をもっているかどうかだよ」


「占いを馬鹿にしてはいけない。占いはこの世の「眼に見えない真実」を推し量る技術」


「装飾品は、本当の自分を隠すことはできても、変えることはできない」


「人は役立つ人間しか評価しない。だから、他人の評価を喜ぶのは、自分で自分を道具扱いすること」


愚かな人間には、次の三つの型がある。一つは「高慢な男」、もう一つは「恋に狂った娘」、そして、最後の一つは「嫉妬に駆られた女」


「人間は、いつも忙しくて騒がしい人間たちの中でこそ、何かを創り出せる。その騒がしさが創造のヒントになり、きっかけになり、エネルギーになり、参考になる」


「美しい虹でも、15分も消えずに空に架かっていたら、誰も見上げ続けようとはしない。感動とは、短命なもの」


「その時々の流行や風潮に合わせるだけの生き方だと、人生はあっという間に過ぎてしまう。人生をじっくり味わいたいなら、もっと根本的な人の世の仕組みや約束事を学ぶこと」


人は結局「最高の自分になること」が唯一の目的だ。「他人とそっくりになること」や「世間の求める姿になること」などは、人生の本当の意味ではない


「本当に完成したものなら、時が経っても変わらない。全くそのままの姿で、後の世に伝わっていく」


「誰からも反論されない意見は、中身が空っぽの言葉の羅列に過ぎない」


「気高い人物は、気高い人物を引き寄せる。気高い人物は、気高い人物を尊敬するから」


 仕事に関する言葉、若者がする最大の誤解『若者は、老人の仕事を引き継ぐことを嫌う。そうしてしまうと、まるで自分が「老人の模倣者」になり下がり、心まで老人に支配されたかのように、感じてしまうからだろう。けれどそれは、若者最大の誤解に過ぎない。老人が若者に託すのは、その若者ならそれを立派に「当人の仕事」にしてくれるーと、見込んでいるからである。』[芸術と古典]


良い笑いは、人生の清涼剤である。けれど愚かな笑いは、しばしば悪質なな笑いを喜ぶ。それは「笑うべきではないことを笑う」ということだ。他人の不幸、他人の失敗、他人の弱さを笑うのだ。[親和力] 


知性に関する言葉、三つの大切なこと『高貴であれ。親切であれ。善良であれ。』[神性]


金森 誠也, 長尾 剛の「超訳 ゲーテ の言葉」より。

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2019年07月27日

「水木サンの人生は80%がゲーテです」

水木しげる『ゲゲゲのゲーテ』 (双葉新書)水木プロダクション

水木サンが最後に伝えてくれたのは、 
人生を幸せに生き抜く智慧の詰まった、 珠玉の言葉の数々でした――。 
「水木サンの人生は80%がゲーテです」と自ら語るように、 10代で出会い、死線を彷徨った戦場にも密かに携え、 暗唱できるほど繰り返し読んだ『ゲーテとの対話』。 
ドイツの文豪・ゲーテが創作、社会、仕事、そして人生について語った、 名言、格言、箴言の中から、水木サン自身が選んだ言葉93篇を収録。 
体の隅々まで沁み込んだゲーテの思想を、ユーモアを織り込みながら、 “ゲゲゲ流"にわかりやすく解きほぐす。 
さらに、インタビューや過去の執筆原稿を交えながら、 水木サンが敬愛した賢者の“人生の杖"となる言葉を贈ります。 
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水木さんは『ゲーテとの対話』を愛読して好きな言葉を三つ掲げている。
「意志の力で成功しない時は好機の到来を待つほかない」
「人は努力している間は迷うにきまったものである」
「自分自身を知るのは楽しんでいる時か悩んでいる時だけだ」

貧乏生活を経験してきた水木さんは、漫画家として成功した後も、贅沢なライフスタイルとは無縁。お腹いっぱい食べられて、寝ることができたら幸せ、という価値観を崩さなかった。
「怠け者になりなさい」「けんかはよせ 腹が減るぞ」など、独自の哲学から生まれた名言も数多い。

【水木さん語録】
他人を自分に同調させようなどと望むのは、そもそも馬鹿げた話だよ
「駄目な奴は、もちろんいつまでたっても駄目だ。小才しかない人間は、古代の偉大な精神に毎日接したところで、少しも大きくはならないだろう」

(南伸坊・書評)
編者の手柄と私が言うのはココです。ゲーテの言葉があり、そこに水木さんのコトバが並んでいる。こんな具合です。

才能があるというだけでは、十分とはいえない。利口になるには、それ以上のものが必要なのだ――ゲーテ

机に向かってるだけじゃダメなんだナ。楽しいことをやっているうちにクソがたまるようにアイデアもたまるんです。利口になるには、他人が捨ててしまったようなことやバカバカしいことにも詳しくなくちゃいかんのです――水木しげる
(水木さんは倒れる前まで本書に取り組んでいて、完成するのを楽しみにしていたという)

【関連図書】
『ゲーテとの対話』エッカーマン(岩波文庫)
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2019年07月26日

宇井無愁『きつね馬』ユーモア小説

(アルス ユーモア文學選書)昭和二十一年八月三十日發行。

表題作のほか五つの短篇『お狸さん』『太った犬』『救世主降誕』『約束』『お孃さん大賣出し』を収録、令和元年にはないユーモアのセンスが溢れている。作者名「宇井無愁」は「うい・むしゅう」と読み、「Oui、monsieur ・ウィ、ムシュー」とは人をくったペンネームである。

成瀬巳喜男監督した『旅役者』の原作者である。その『旅役者』は表題作の『きつね馬』を脚色した喜劇映画。『きつね馬』は『オール讀物』(昭和十四年五月号)に掲載され、第九回直木賞候補となる。

他の短編『お孃さん大賣出し』の主人公は「商大出身の秀才で、傳統的な船場商法を打破して、率先『科學的經營法』を斷行した、罐詰界の新人である」。


殊に當今は宣傳の世の中、宣傳費を惜しむのはつまらないことだ。(p.144)

商品の宣傳にも心理的階梯をつけた。

一.商品の存在を認識せしめる。

二.商品の効用、價値を會得せしめる。

三.その効用・價値が他品を凌駕するものである點を覺らしめる。

四.そこで一歩を進めて、この品が唯一無上であると思ひこませる。(p.145)


…というノウハウにもとづいて長女を「賣出し」、彼女のお婿さん探しに必死になっている。ときおり作者が顔を出すというのもおもしろい。


[さてこれから先は、いろんな人がいろんな形式で小説に書いてゐるやうな段取りに運び、やがてめでたしめでたしになると思つて差支へなささうだから、お目出度い話はこれで「終(をはり)」にしよう。](p.158)


『約束』「作者附記」

げに「事實は小説よりも奇なり」と謂ふべきであらう。茲(ここ)に到つてわれらごとき淺才の戲作者は、事實の前にたゞ忸怩として、つひに筆を擲(なげう)つのほかはないのである。(p.112)


宇井無愁  1909−1992 昭和時代の小説家。
明治42年3月10日大阪生まれ。大阪新聞記者などをつとめる。昭和13年「ねずみ娘」でサンデー毎日大衆文芸賞。15年「きつね馬」が第1回ユーモア賞を受賞,以後ユーモア小説作家の道をあゆむ。平成4年10月19日死去。83歳。

本名は宮本鉱一郎。

著作「日本人の笑い」「落語のふるさと」「ジェット娘」「ヌードのお嬢さん」「パチンコ人生」「生きるってすばらしい (8) 語ること演ずること 」「生活の中の笑い―現代に生きる江戸小咄」などがある。

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古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉抄

日本の喜劇俳優の古川ロッパ(1903年 - 1961年)が記した日記。放送作家、滝大作の監修で1987年に晶文社発行。


世の中が中々むづかしいのは、
悧巧者が居過ぎるからなら有がたいが、
実は馬鹿が多く居過ぎるためだからやりきれない。
八月二十日ふと思ふ

昭和十五年一月

一月二十二日(月曜)

 三時半から内幸町高千穂ビルのユニヴァーサル試写室で、腹話術のチャーリー・マッカシイの映画「あきれたサーカス」、まことにつまらない。たゞ腹話術の人形がよく出来てゐることだけ感心した。近くの有喜村天ぷら屋へ堀井と行く。座へ。大入満員、補助出切り。「新婚」の第一声で、すっかり鼻声なのでクサった。徳山来る。ハネると車へ乗せ、送り、まっすぐ帰宅。今夜エノケン夫妻が見物してゐた由。(井上正夫も見物してたと。)



一月二十三日(火曜)

 十二時に日本橋の偕楽園へ、川口・上森・菊田と僕の、例会。川口・上森は一時間もおくれて来る。偕楽園の料理が、今日のはパッとしなかった。座へ出る。大満員。鼻声だが昨日より楽だ。三月東宝劇場へ出ないかと本社から言って来る。一考も二考も要するので保留する。ハネると赤坂まへ川へ。今夜は、曽我廼家五郎・エノケンと僕三人の親子会。榎本と僕、五郎氏の来る迄飲まずに待つ、十一時近く迄おあづけ。その長かったこと。都から写真班来り撮る。五郎の話、僕の話の間に酔ったエノケンは対抗上体術を見せてたが、しまひに泣き出してしまった。(後記エノケン近頃泣き上戸の由)

 エノケンは、酔った揚句に、僕は映画専門にやる、もうじきに舞台はやめる、と言って泣き出した。五郎氏がヅバリと、「脚本が無いからだろ」と言ふと、うなづいてゐた。昨夜僕の芝居を見て、「兵隊では泣いたよ」と言った後で、此うなったのだから、何だか偶然でないやうな気がして、可哀さうな姿に見えた。エノケン、中々苦しんでゐる。



一月二十四日(水曜)

 十一時起き、三時に出て、下二番町へ寄る、成之兄が拓務参与官になったので、祝に商品切手持参する。それから東宝映画本社へ。森岩雄氏を訪れ、富士屋ホテル行きをすゝめる。三月東宝進出のことは、那波支配人も積極説ではないので止してスケジュール通りに運ぶことゝする。清月で天ぷら、胸やける、油がいけないのだ。座へ出る、大満員である。長尾克大尉元気な顔で来楽、佐藤邦夫も来た。小林一三氏見物で、「兵隊」熱演、げっそりくたびれる、ハネるとまっすぐ帰宅。美川きよの「女流作家」を読み上げて、不愉快。佐藤八郎の「公園三人衆」読みつゝ寝る。

 二月の映画は、もう間に合はないが、その次作品からは、今迄のやうにアチラ任せでなく、大いにこっちも註文を出し、映画のロッパも、一俳優に甘んずることなく、プロデューサーとしても、責任を持ちたいと思ふのである。



一月二十五日(木曜)

 十二時半に女房と武蔵野館へ行き、ロナルド・コールマンの「放浪の王者」を見る、西洋阪妻剣劇。暖房が無いから寒いこと/\。出ると、中村屋へ寄りコーヒーを飲む。それからもとB・Rの紅白亭の家庭料理てのを試みに行く。不味くはないが、二円半とるのは如何だらう。座へ出る、大満員である。吉屋信子女史見物来訪。「兵隊」陸軍省へ頼み、推薦して貰ふやう、小笠原章二郎が骨を折って呉れてゐる。ハネ後、吉屋・門馬両女史に、築地金楽へ招かれ、御馳走になる。キング・オブ・キングあり、快し。どうも酔っても近頃理屈ばかり言ってゝいけない。

 エノケンの酒が泣上戸、近頃の僕は、理屈上戸になり、肩のはる思ひで飲んでゐる傾向だ。これでは、ます/\労れるばかりだ。もっと、朗かな、ノンセンスな飲みが必要だ。



一月三十一日(水曜)

 箱根へ。

 十時頃眼がさめる。昨夜はディムプルを痛飲したが、流石に一流の酒である、今朝の気分快適である。二時半に迎へ来り、家を出る。行き当りバッタリの汽車に乗るつもり。丸ビルの伊東屋で原稿用紙をしこたま買ひ込む。四時二十五分の熱海行きに乗ると、増田叔母上が熱海行きで同車、小田原迄退屈しないで済む。小田原よりハイヤで、宮ノ下富士屋ホテルへ。七時を待ちかねて食堂へ。オルドヴルからとてもうまし。白葡萄酒小壜一本とり飲む。ビフテキプディングてものがうまかった。

 箱根と来れば、先づじっくりと湯に浸るのが当然だが、ホテルと来ては、そのたのしみは、まるで無い、部屋のバスか、パノラマみたいな馬鹿気た風呂か。それに、畳の無いかなしさ、ハランバヒになれない、此の辛さ。たゞ、ひとへに食ひものゝいゝことだけに、すがりついてゐるわけ。いや全く、二ついゝことは無い/\。


 箱根富士屋ホテルにて。

 富士屋ホテル――部屋の感じよろし。食事は満点。だがさて、ホテルのバスくらい悲しいものはあるまい、シャボンを使って濁った湯へドブリと浸る気持の悪さ。西洋人に迎合して、日本特有の温泉浴場を設備しない富士屋ホテルも嘲はれてあれ。(西洋行水と書いてルビ、バス)アンマが来た。ギシ/″\、ギチン/″\、寝台は鳴り通し、圧せばヘコむスプリングのおかげで、アンマの快感はゼロ。床ユカの上へ蒲団をおろし、その上で揉ませる。アンマ曰く、「安いお方じゃありませんな、金がかゝってる。」そのうち揉まれてる鼻先へプーンとアンマの屁だ。心の中で僕、「これは辛い。」

 



昭和十五年二月


二月一日(木曜)

 箱根富士屋ホテル。

 朝食の時間を逸しては大変と、八時半に起きる。食堂へ、オレンヂ・ジュース、オートミール、スクラムブルエグ、コーヒー。美味い。部屋へ帰って、窓をあけると、もう閉め方が分らない。女中呼んで閉めて貰ふ、ホテル生活は格子なき牢獄であるといふユーモア小説が書ける。又、アンマを一時間やらせ、金魚の湯てのへ入った、バスよりましだ。内田百間の「冥途」を読んでると、コン/\カーンと食事を報せる音が響いた、オルドヴル、ポタジュ、車海老フライ、鶏とヌードル、うまい、たゞこれだけで来てゐるのだからな。二時間ほど昼寝、人魚の湯へ入り、「冥途」を読み上げ、「あさくさの子供」にかゝる。夜食八時近く。ローストビーフうまし。「あさくさの子供」とてもいゝ、大感激。

 一日中、しゃべることから脱け切れない生活をしてゐる僕である。それが今日一日中に何言喋ったらうか。のど休めだ、全く。あんまり喋らないと、ひとり言を言ひたくなる気持が分った。



二月二日(金曜)

 箱根富士屋ホテル。

 寝台に入ると、何うしても眠れない。アダリンを飲む、そして漸っと眠る。これでは保養にならん。八時すぎ起きる。入浴、食堂へ、スクラムブルエグとコンビーフハッシュ。又ベッドに入り、眠った。一時迄。すぐ又食堂へ。マカロニ・メキシカン、プローンのライスカレー。理髪店に行く。剃って、シャンプーして、ついでに前のビューティパーラーでマニキュアをしてみる。やすりでゴシ/\、湯に手を浸けたり、アマ皮をこさいで除って、一円。馬鹿々々しい。窓外は雪になった。谷川徹三の「私は思ふ」にかゝり、八時近く食堂へ、トマトクリームとプラム・プディングうまし。又、ソータン小壜を三分の二ほど飲み、ほろ酔ふ。眼に悪いと思ひつゝ、「私は思ふ」をアゲると「実業人の気持」を読み始め、一時すぎた。

 どうもホテル生活はやりきれない、くゝり枕一つを畳の上へ置いて、アゴをのせて腹ん這ふ心地は、あゝ何とよきかな。洋食はうまし。されど、オミヨツケも食ひたし。



二月三日(土曜)

 箱根。

 九時に起きた、もっと寝てゐようか、いや/\食ひたい。食堂へ、オートミールとスクラムブルエグ。又ベッドへ入り、眠った。滝村から電話、森岩雄都合悪く滝村だけ来る由。金魚の湯へ入り、読書。雪、時々降る。昼食、ポタアジュうまし、ボイル・ディナーとポークソーセージ。午後は、手紙数本と葉書数枚書いた。昼寝一二時間、これじゃあ夜寝られないわけ。四時半、滝村未だ来ず、もうホテル生活は嫌だ/″\。八時近く、滝村来る。食堂へ、ソータン小壜、一本あけ、色々食べる。うまいが、もう日本食恋し。喋り喋って、夜を更かす、一時すぎ、アダリンをのむ。滝村お先へグーグー。

 葉書の一つに曰く、ひとり居て、しゃべるすべがない、腹話術の人形を持って来ればよかった。



二月四日(日曜)

 箱根――熱海。

 九時半眼がさめる。食堂へ。味噌汁と卵で飯を食ひたいなアと思ふ。とか何とか言ひつゝコンフレークス、オムレツ、チキン等平げる。「浪曲忠臣蔵」といふ企画を話す。勘定、百二十七円何銭、チップ帳場へ二十円。腹は空らないし、もう/\洋食はイヤだが、午食二時十五分頃ホテルを去り、ハイヤ。小田原で滝村と別れ、三時半頃熱海着。海岸のつるや旅館へ。待望の畳の上へ。つるや旅館すべて安っぽいが、新しいので我慢出来さう。温泉行火の設備もあり、先づ落ちついた。久々、清の顔見る。女房・おばあさん・乳母も先着、何だか嬉しい。夕食、白い刺身と玉子やきでうんと食ひ、待望のアンマ、榎本といふのがゐて、それの荒療治、清と一緒に入浴、浪の音、すべてよろし。「都」に、浜村米蔵が「五郎とロッパの名文」と題し、僕が「東宝」正月号に書いた「楽屋用いろはかるた」に及んで賞めてゐる。浜村米蔵、よほどのファンとなったらしい。



二月五日(月曜)

 熱海。

 よく寝て、十時半迄何も知らず、すぐ入湯、朝食――サービスはスロウで昼食になってしまったが、待望の味噌汁、カマボコ、肉が一皿、うまい/\。食後、宿のコーヒーをとる、わりに美味い。あゝこれこそ保養じゃ哩。アンマ榎本来り揉む、痛いがうまい、皮膚がピリ/\するよと言へば、「そいつはすみません、皮むきアンマは下の下です」と言ふ。読書「奇・珍・怪」、中々面白し。女房と海岸に出来た竹葉で食事、川口・三益が聚楽へ来てることを、小沢陸蔵にきく。小沢の経営、しるこやぼたんでしるこを食ひ、宿へ帰ってみると、東久雄が来てた、隣の隣り、そこで話し込み、ねたのは一時半。



二月六日(火曜)

 熱海。

 九時半に起きる、入浴して食事、生卵と味噌汁がうまい。脚本のことは気になるが、まだ今日はよからう。聚楽へ来てゐる川口・三益が子供―男四ツ―を連れて遊びに来た。東久雄の浅草ピン行き話から、ドサ廻りの話などきゝ皆で大笑ひする。川口、清を見て「これあ出来がいゝ/\」。緑風閣へ皆で出かける、ビール飲みながら天ぷらをウンと食ふ。美味くないが空腹なのでよろし。こっちは清を抱き、川口は男の子を抱き、二人とも平凡極まるパパの姿だった。川口が帰って、さて、床へ腹ん這って煙草、いゝ心持、あゝ休まるわいと思ふ。又清と遊ぶ、何と子供はよく親を遊ばせて呉れるものかな。

 何を好んで、富士屋ホテルなどで、不自由を忍んで何日間か居たものであらうか、成程食ひものは美味かった、が、あとは何一ついゝことは無かった、「人間食ふがためのみに生くるものにあらず」である。



二月十九日(月曜)

 今日も八時起き、東発へ行く。三国周三、沢村貞子、渡辺篤とからむ、古岡の家のセット、昼食になる、ポークチャップを食ふ。午後は、子役とからむこと二三あって、セット代り。その間、牛島通貴が、福岡の神保栄と一緒に来た、五月に九州へ来て呉れといふ話、平野に任せることゝし、夜又会ふことにして帰って貰ふ。藤田房子の父親来る、藤田が軍慰問がてらの旅をする件、許可する。赤帽の溜りのセット、九時近く迄。でも、仕事は早い、もう僕の出るとこの半分位も進んだやうな気がする。終ると銀座の新世界てふカフェーへ。平野を連れて行って、牛島・神保に紹介する。スペ・ロヤルってウイスキを持って来て呉れた。



二月二十五日(日曜)

 これだから映画は嫌ひだ、といふ日が撮影中に一日か二日は、あるものだ。今日がそれだった。九時すぎに砧へ着いたが、メイコちゃんが来てゐない、準備もまだらしい。そろ/\支度にかゝると、曇って来て、ポツ/\と雨。で、オープンはやめて、東発のセットへ入ることゝなった、その移動で手間どる。東発の部屋で、スチーム無くとても寒い中、無為に待ち、待ち、待つ。結局、七時頃から一時間半ばかりでアガリ。九時から十時間待たされてこれだけ。馬鹿々々しくて話にならん。東発は風呂も無し、クサリつゝ顔を落し、服部良一と銀座へ出て、ルパンからハイデルベルヒへ廻り、コロムビア入りの具体的な話をする。



二月二十七日(火曜)

「ロッパの駄々ッ子父ちゃん」撮影終了。

 今日で僕の出るとこはオールチョンの筈、いゝ塩梅にピーカンの好晴だ。オープンの古岡の庭の三カット、食堂で、うどんのカレー南蛮てのを食べる、熱くてうまい。入江プロの部屋へ行き、コーヒーと風月の菓子を馳走になる。永年の映画生活、此の連中はちゃーんとスタヂオの中で楽しめるやうに色々用意してゐる。四時すぎ砧はアガリ。俳優部の星野を誘って渋谷迄出て、北京亭といふ支那料理屋を教はり、夕食する。すぐ又引返して東発へ。七時半セット入り、森林をさまよふ。雨の中、コードを身体につけて提灯の電気入りを持たされビク/″\ものである、感電しさうで恐い。大難行苦行と相成り、十一時近く迄かゝって、帰宅、旅の支度とゝのへて寝る。

 とてもアガるまいと思ってた映画だったが案外や、アガっちまった。してみると、じっくり組むものは別として、此ういふ気軽なものは、十五日あれば大丈夫アガると定った。



三月一日(金曜)

 北野劇場初日。

 十時にきちんと眼がさめる、食事、まことにアッサリしてゝいゝが、もう果ない気がする、早すぎるが。興亜奉公日で、コーヒーも休み、宿の紅茶を飲む。那波氏宛、大阪の打ち日を二十五日迄として貰ひたき旨書き送る。十二時から検閲あり、座へ出る。ヴァライエティー式のものに限り、検閲官出張し、一と通り本式にやらせて検閲するのだ、馬鹿にしてる。歌や踊はいゝが、腹話術なんか馬鹿々々しくて出来やしない。今日は三時開演、序の「春風吹いて」はこゝの封切、二の「新婚」は、よく笑ふ。「兵隊」大阪でも大丈夫と定った、又新に涙を流して演った。幕切の手は東京より盛大。入り大満員。ハネが何と八時。早いから有がたいが一日のことゝて手は無し、竹川へ行き、あひ鴨のすきで食事して、雀を始めた。これが徹宵です。

 道頓堀の近くの文具屋で、カーターを二本買った。大分万年筆は、いゝのが揃ったが、此の日記をつけてゐるウォターマンは、実に得がたいもの、随分永年使ってゐるが、まだよく書ける、お代りが手に入らないと思ふと、ます/\大切だ。


三月二十日(水曜)

 今日も亦貸切マチネーで、せいが無い。座へ出る。貸切ショップガイドの客、又々皆クサる。瀬良営業係長来り、千秋楽に又貸切マチネーをたのまれる、特賞を出すことを約束させて、承認する。くたびれることだわい。昼の終りに、地下のスエヒロでビフカツとライスカレー食って、阪急百貨店へ。女房の土産ハンドバックを買ふ。特選売場で又オーストリア物のタイ一本。今日から「駄々ッ子父ちゃん」梅田映画で封切なので入ってみる、よく入ってゐた。夜の部、大満員。今夜はもう飲むのも面倒、フロントクラブへ行き、食事して、十二時に宿へ帰り、すぐねる。



三月二十四日(日曜)

 荷造りをしようと思ってるのでキチンと起きる。昨日神戸で買った靴の中へ、土産物をつめ込む。昨夜、サムボア他でマッチを何百個と貰って来た、これは受けるであらう。座へ出る。昼、大満員。李香蘭が見物してる。千恵蔵が「兵隊」を見たいと来る。昼終り、四月の宣伝写真撮影があり、「ロッパと将軍」の二役を、数枚撮る。親爺の方支那将軍の姿、如何にもグロで嫌だった。夜も大満員、「大統領!」「ロッパ」等のかけ声あり、それが間のびしてるのでクサる。ハネて、今夜は特別出演連の小笠原・稲葉と、悦ちゃんのお父さんをよぶ、新町吉田屋。あひ鴨のすきは、うまかったが、芸妓ひどいウンスヰばかりなのでクサリ、一時前帰る。


三月二十六日(火曜)

 大阪――神戸――帰京。

 清が太い声で大人みたいなので弱ったと思ってたら夢、でよかった。大阪を去る朝、九時半起き、阪急で神戸へ。アルプス・グリルといふのへ行く、安くてうまい定食。トア・ロードへ出て、清の玩具と小さなベレエを買ひ、元町のサノヘで又ネクタイを一つ買っちまった。時間があるので阪急会館で「駄々ッ子父ちゃん」を一と通り見た、受けてはゐるが、入りは大したことはなかった。五時半に、海岸通りのオリエンタル・ホテルへ。オリエンタルクラブの家庭会の余興である。漫談と腹話術と二度出て、間に久米等のダンス。ひどい客、子供ばかりでビー/″\言はれ、大クサリ。終って九時五分、三ノ宮発の一・二等特急で帰京の途につく。吉岡社長、隣の寝台。 


 

四月一日(月曜)

 有楽座初日。

 初日、興亜奉公日の三時開き。座へ着くと、満員で客止め。序の「春風百貨店」は三十分でアガり、次「東京温泉」何せ長い、二時間以上かゝった。プロムプターが不馴れなので、随分穴も明いた。菊田が荒れ出して、どなるやら高杉を一つ喰はすやら。でも、これはよく受けた。「芝浜」は、相手の三益のセリフが、まるで入ってゐないので、やりにくゝ、幕切れに緞帳が下りないで暗転といふ醜態を演じたり、山野が脱線して、馬鹿なこと言ったりしたが、これも先ず受けてはゐる。こゝ迄はよかったが、稽古不足の欠点を完全にバクロしたのは「ロッパと将軍」だ、エラー続出で、すっかりしょげてしまった。十時に終らせるため、ラストのヴァラは抜き。明日二時に稽古のやり直しといふことに定めて帰宅。

 エイプリルフールなんてものが、まるでピンと来ない時世になった。そんなことしても可笑しくもない、中々此ういふ時世の喜劇は、むづかしい。



四月十三日(土曜)

 覆面して、股間にはふんどしを二つ、一つ股に一つ宛締めて、薬をつけて寝る。一時に寝て、十時迄。鏡を見るとがっかりする、まだよくならない。気持が悪いが、ヒゲ剃もやめる。皮がつっぱって痛いので食事も美味くない。左の眼蓋にトビゝして、これが痛むので気が重い。病気てものをしたことのない僕、とても参ってしまふ。四時すぎ、すしなど食って、出かける。入りは、今夜は土曜のことゝて大満員なり。人に顔見られるのが嫌だ、顔を撫でゝザラ/″\する触感は、ゾッとする。芝居が何うしても身が入らない。「東京温泉」のみ、いくらかよし。ハネると今夜もまっすぐ帰宅、元気なし、又、女房に薬を塗って貰ひ、覆面して寝る。



四月二十九日(月曜)

 有楽座千秋楽。

 九時頃眼がさめる、入浴、顔はすっかりいゝ。十二時家を出て座へ。小笠原兄弟・悦ちゃん・稲葉に林寛・斉藤紫香等今日は色々な人の来る日。エノケンに脚本書いてやる話をしたのが、実現しさうになって来た、此の休み中に書いてやらうか。屋井が、喜多村緑郎筆の「ロッパと兵隊を見てうまいと思ひながらあるく冬の夜の街」といふのを表装させて呉れて持参。夜の「東京温泉」終ると、照明室から「ロッパと将軍」を見物、渡辺篤の大熱演面白し。ハネて、服部哲雄、ジョン・ヘイグ一本持参、九段へ行く。

四月興行技芸賞

○屋井賞

杉山彪(四の兵卒)

○H賞

原秀子(二の小女)

吉岡勇(四の番兵)

○ロッパ賞

高杉妙子(二の春子) 技芸進境著し

竹村千左子(二の仕出し) 此ウイフ役ヲ生カシタコトハ賞メラレテイゝ

藤リエ子(二の夕刊売) 毎度変ラヌ努力ヲ



四月三十日(火曜)

 熱海へ。

 十一時に出ると、順天堂へ。眼科へ寄る、「ホースヰ蒸気を」と言ふので何かと思ったら眼へ吸入をかけるのだった。皮膚科へ寄り、いろ/\薬を貰って、こゝで京極と会ひ、東拓ビルのコロムビア本社へ、入社の話を定める、五月八日に正式調印することにした。それからプレイガイドへ行って、七日の切符三枚買ふ。風月堂迄戻り、食事して、四時四十分の豊橋行で熱海へ向った。二等は空いてたが三等の客があふれ込んでクサった。田中栄三著「映画俳優読本」読みつゝ。七時頃熱海着。つるやへ。女房・清・荒井と、橘弘一路夫妻が先着。いゝ塩梅に別館三階のいゝ室あり。夜食牛鍋。それから二夫婦で一荘、珍しく大三元を荘家でやる。




五月六日(月曜)

 十時に家を出て、海上ビルの東和商事へ、「フロウ氏の犯罪」といふフランス物を座員のために試写して貰ふ。まあ見てゝ倦きさせない。終って、東京会館でポタアジュと二皿食って、一時に稽古場へ入る、帝劇三階。「蛇姫様」を立つ。義太夫の人も来て、劇中劇野崎村、こいつ中々の難物、団福郎が師匠役で、一々立って演って貰ふ。五時半頃出て、明治座へかけつけたら、何とお目当の湯島が終るところだ、クサった。今回は「婦系図」の通しだが、中幕に「団欒」なんてヘンなのをやるので大走りらしいのだ。その中幕の間は、楽屋へ、喜多村氏のとこと、梅島のとこへ行ってた。同行の橘夫妻を送って帰宅。



七月二十八日(日曜)

 十一時に出かけ、四谷の綱島眼鏡屋へ寄る、京極の紹介でクルックスA2といふ前掛の眼鏡を注文。中泉眼科へ寄り十二時すぎ座へ出る。今日はマチネー、ところが惨タンたる光景、入り六分強位で、空席沢山、がっかりする。昼終り、古賀氏に誘はれ、京橋近くの花家てふうちへ、白米を食はせるといふので行ったが、時間がなく、ろくに食へず、座へ帰る、夜も七分弱位の入り、クサる。滝村より電報で、渡辺篤を借りること断念す、藤原釜足はロケ延引して駄目とのこと、京都は、すっかり藤原で宣伝してゐるので、これ又クサリ。ハネて、古賀政男と赤坂へ。西条氏の詩未着。



九月十四日(土曜)

 朝食して、神保町へ。東京堂書店で山田伸吉と待ち合せ、文房堂へ寄り、水彩絵具を一式揃へて呉れと註文しといて、二人で上野の二科展を見に行く。中々面白いのもあるが、ひどいのもある。阿部金剛、藤田嗣治のはよかった。此ういふものを見るのも何年振りだらう。車を浅草へ飛ばし、浅草楽天地を一寸のぞき、浩養軒で夕食三皿ばかり食べて、四時に文房堂へ引返し、水彩用具一式三十七円ばかりで買って丸の内へ。今日も渡辺休演。土曜のことゝて補助の出る満員だが、どうも客が力が無い、しめってる。時世のためであらう、気の毒だ。「歌へば」日ベンをサトウが代るので気分めちゃ/\だ。ハネてまっすぐ帰宅、夜食。絵具箱を拡げて喜ぶ。


十月二十三日(水曜)

(ノートをたよりに逆に日記の整理をして来たが〔十一月二日〕記憶がぼけてゐるのと、ノートも、わけの分らぬことが書いてあったりして、頼りない。明二十四日の頁に、上森が来て呉れ、そして即日帰京したやうに書いたが、実は二十三日に、大阪の林正之助と来り、一日泊りて翌日帰ったものらしい。以下、二十三日のノートのみそのまゝうつして置く。)

 ノート一、

 此うしてゐると不思議なことは、腹が立たぬことだ、兎に角のんびりしてることだ。

 ノート二、

 いけません、まだうまいものは一切いかんです、と夢声が言ってるやうだ。

 ノート三、

 ふと「おしゃく」の時「見えた/\よ松原ごしに」と、軍人が小原節を踊るところで、眼の上へたゞ手をかざしたが、これは望遠鏡で見る形をすればよかったのにな。

 午前九時七度九分。千葉吉造氏来る、新聞見ない方がいゝと言った。上森が大阪の林と来た。夜、京極高鋭現はる。自分の手相が、ガラリと変ってるのに驚く。


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 十一月五日

上森子鉄 橘弘一路

 六日

加藤成之 京極鋭五 加藤常子 友田純一郎 菊田一夫 屋井宏之 坪内士行 森岩雄 山田伸吉 増田七郎 近藤光之 上沼健衛 中村メイコ 長谷川一夫



十一月七日(木曜)

 何となく疲れてゐる。昨日手紙を書き過ぎたのと外出が応へたか。何とヤワな身体となったものだ。嘉納健治氏令嬢見舞、先生より見舞金百円。手紙七通書く。九日退院だ、九日の中座の新派の切符、十日の文楽と買はせる。入浴。「夢ありし日」を読み上げ「レベッカ」にかゝる、翻訳物は「少女シリア」でこりたが、これは少し面白さうだ。ビクターの青砥道雄、高橋兄貴来る。夕食は久しぶりで飯が出た、鯛のさしみとしたし等、飯を丼に一杯食った。夜、加藤弘三夫妻、近藤泰来る。泰は銀行づとめの愚痴をこぼして十時頃迄居た。さて寝よう。今日の回診、京大の真下先生といふ人の診察だった。夜、目方計ると、十九貫一寸に復活してゐた。

 発信控

沢田由己 水の江滝子 阿部玉枝 山根寿子 寺木定芳 月野宮子 斎藤豊吉


十一月八日(金曜)

 午前中は「レベッカ」を読み、又手紙を数通書いた。昼頃平野が来た、昨日京都の今井さんの払ひをして来て貰った、二百七十円ばかり、それから此の病院の先生方に百円宛二人礼をする、その他中々ものいりである。此の患ひで二千円ばかり飛ぶ。命拾ひをしたのなら安いものだ。一時半にタクシーをよび、礼廻りに平野と。松竹本社の千葉吉造氏のとこ、これが朝鮮出張中、吉本の林正之助氏へ行くと上京中、ガスビルの永田氏のとこへ行ったら留守、三ヶ所ともフラれた。病院へ戻ると入浴、「レベッカ」上巻読了、「少女シリア」よりよほど面白かった。夕食、パン、空腹にまづいものなし。夜、女房使ひに出る、手紙数通書く。小穴隆一の「鯨のお詣り」読み出す、新大阪の近藤が一寸酔って来り、ごちさうを置いて帰った。さあ明日は退院なり。

 僕の入院した時の顔色、目の具合が看護婦連の目から、「やれお気の毒な、もうあの人も駄目だな」と見えたさうだ。大てい此の予感は当るのださうで、意外に早く治ったので皆驚いてゐるのださうだ。

 発信控

小国英雄 滝村和男 三益愛子 川村秀治 伊藤松雄 正岡容 太田一平 山野一郎 上山雅輔 中野実 渡辺篤 サトウロクロー 大庭六郎 石村宇三郎


十一月二十七日(水曜)

「都」の日色・写真の寺岡二人も起き出でゝ、一緒に朝食。食後、「都」の写真、清を抱いてるとこ、絵を描いてるとこなど撮す。明日熱海俵別荘へ引越の筈だが、そっちから電話で温泉が節電のため時間制となったとのことで、大がっかり。女房と清は寺岡写真君と海岸へ下りて盛に撮して貰ふ。十二時すぎ、日色・寺岡とでワニ園へ行き撮影し、町の方へ、箱根グリルの二階で、お定食、三時近く両名帰京、一人で熱海宝塚劇場へ「燃ゆる大空」二時間近く見てると眼が疲れたので出る。電話で打合せ、熱海ホテルで母上・女房・清と落合ひ、寒々としたホールで六時迄待ち、食事。貧弱なメニューだが、デザートの甘いスフレがとても美味かった。食後すぐ帰宿。清、大いに歩く。今日より大分寒いので蠅が全くゐない。久しぶりで湯滝に当る。

 母上が清の守をして下さる、ふと口づさまれる歌が面白かった。


おけらの虫は

うじゃこい虫で

雨さへふれば

もぢゃ/″\/″\

といふのである。



十二月二十四日(火曜)

 十一時に東映本社。白井鉄造と李香蘭に逢ふ。森氏に京極のこと話す。平野迎へに来り、ニットー紅茶へ寄って話さうとするが満員、ホテ・グリが又満員、此ういふところの満員さ加減、未曽有である。世間の景気、よっぽどいゝのか。一時稽古場へ。五時半に、清水荘平が迎への車をよこすといふので、待つ。葭町の百尺へ。清水盛に吹くので中々話がむづかしい。料理は量が不足だし、うまくない。昨夜の志保原がよっぽどよかった。芸妓も料理屋も馬鹿な急しさで、てんで落ち着かない。十時頃か、切り上げて帰宅。稽古場へ南部僑一郎・鈴木桂介来る、お歳暮やる。


https://www.aozora.gr.jp/cards/001558/files/52688_54755.html


「古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉新装版」

晶文社。1934年1月1日から死の直前の1960年12月25日までの記述が収載。内容は自身の日常生活、美食の記録、映画や演劇、読書の感想、時勢に対する批判など多くの事柄を細かく記して、昭和戦前期から戦後にかけての時代風俗を知る貴重な記録。

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2019年07月24日

『「カッコいい」とは何か』平野啓一郎(講談社現代新書)

「カッコいい」は1960年代に生まれた。民主主義と資本主義の世界で定着し、ポジティヴな活動を促す巨大な力となる。「しびれる」ような強烈な生理的興奮。非日常的快感──自分の趣味を顧みながら、書いた。「カッコいい」を考えることは、「いかに生きるべきか」を考えることだ。あなたの理想とする「カッコいい」に置換して読んでほしい。

詳細はこちら→ https://kcx.jp/kakkoii


◎「カッコいい」という日本語の諸説

◎生理的興奮として「しびれる」

◎表面的な評価、実質的な評価

◎Cool, Hip, Atlantic Crossing!

◎三島由紀夫、ボードレールとダンディズム

◎カッコ悪い、ダサいとは何か? ほか


本書は、「カッコいい」男、「カッコいい」女になるための具体的な指南書ではない。そうではなく、「カッコいい」という概念は、そもそも何なのかを知ることを目的としている。 

「カッコいい」は、民主主義と資本主義とが組み合わされた世界で、動員と消費に巨大な力を発揮してきた。端的に言って、「カッコいい」とは何かがわからなければ、私たちは、20世紀後半の文化現象を理解することが出来ないのである。 

誰もが、「カッコいい」とはどういうことなのかを、自明なほどによく知っている。 
ところが、複数の人間で、それじゃあ何が、また誰が「カッコいい」のかと議論し出すと、容易には合意に至らず、時にはケンカにさえなってしまう。 

一体、「カッコいい」とは、何なのか? 

私は子供の頃から、いつ誰に教えられたというわけでもなく、「カッコいい」存在に憧れてきたし、その体験は、私の人格形成に多大な影響を及ぼしている。にも拘らず、このそもそもの問いに真正面から答えてくれる本には、残念ながら、これまで出会ったことがない。 

そのことが、「私とは何か?」というアイデンティティを巡る問いに、一つの大きな穴を空けている。 

更に、自分の問題として気になるというだけでなく、21世紀を迎えた私たちの社会は、この「カッコいい」という20世紀後半を支配した価値を明確に言語化できておらず、その可能性と問題が見極められていないが故に、一種の混乱と停滞に陥っているように見えるのである。 

そんなわけで、私は、一見単純で、わかりきったことのようでありながら、極めて複雑なこの概念のために、本書を執筆することにした。これは、現代という時代を生きる人間を考える上でも、不可避の仕事と思われた。なぜなら、凡そ、「カッコいい」という価値観と無関係に生きている人間は、今日、一人もいないからである。 

「カッコいい」について考えることは、即ち、いかに生きるべきかを考えることである。 
――「はじめに」より 


【目次】 
第1章 「カッコいい」という日本語 
第2章 趣味は人それぞれか? 
第3章 「しびれる」という体感 
第4章 「カッコ悪い」ことの不安 
第5章 表面的か、実質的か 
第6章 アトランティック・クロッシング! 
第7章 ダンディズム 
第8章 「キリストに倣いて」以降 
第9章 それは「男の美学」なのか? 
第10章 「カッコいい」のこれから 

「カッコいい」を考えることは、いかに生きるべきかを考えることだ!「カッコいい」は、民主主義と資本主義とが組み合わされた世界で、動員と消費に巨大な力を発揮してきた。「カッコいい」とは何かがわからなければ、20世紀後半の文化現象を理解することは出来ない。それは、人間にポジティヴな活動を促す大きな力!

平野 啓一郎 
ひらの・けいいちろう/1975年、愛知県蒲郡市生まれ。北九州市出身。小説家。京都大学法学部卒業。1999年、在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。著書に、小説『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)『ある男』(読売文学賞受賞)、エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』などがある。 

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井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室 (新潮文庫)

本書は平成8年11月に岩手県一関市で開催された井上ひさし氏の「作文教室」の記録である。
「わたしも書く時間が残り少なくなってきました。あと十年も書ければと考えたり、できたら、十三年、あと十四年は、と考えたりしますが、十五年は持たないと思っています。」
この偉大な作家に触発されて紡がれた珠玉の「作文」が並んでいる。朱筆を介した作家と受講者との交感は、圧巻。至福の交流。作家が素晴らしい教育者でもあったことが熱を伴って伝わってくる。

一時間目・・・作文の基礎基本
二時間目・・・日本語の急所をざっくりと講義
三時間目・・・良い書き手、良い読み手への架け橋
四時間目・・・代表生徒二十六人の四百字作文を発表と添削

・作文の秘訣は自分にしか書けないことを、分かりやすく書くこと。
・文章を曖昧にするのが「〜か」
・題名を付けることで1/3以上終わっている。いい題名とは情報が豊かである。
・なるべく短くする。
・いきなり核心にはいることが大切。
・日本語は主語を削ると良くなる。
・日本語には関係代名詞がないので、文をちょっと複雑にすると短期記憶に入らない。
・外国語では丁寧さを表すのに人称を変える。
・先触れの副詞を使うと効果的(さぞ、かならずしも、けっして、ちっとも)
・長期記憶の中からとんでもない物が、ひゅっと出てくる。
・わたしたちは民族として長期記憶が少ない。
・全体のテーマからそう外れずに脱線する。
・子供には観察文とか報告文を書かせる。感想文では駄目。
・人に伝えるには言葉が必要。

何かと目立つ、リアルな脱線。
学生時代に先生が担当科目とは違う話題を引っ張り出して、それが妙に面白くて記憶に残ってる、そんな経験が何方にもあると思います。
「わたしたちは民族としての長期記憶が少ないんです。貧しいんです。」という。
アメリカと比べると、日本では身体の部位についての名詞と成句が曖昧、言語と国民性の相関。

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井上ひさし 
1934(昭和9)年、山形県生れ。上智大学文学部卒業。浅草フランス座で文芸部進行係を務めた後に放送作家としてスタートする。以後『道元の冒険』(岸田戯曲賞、芸術選奨新人賞)、『手鎖心中』(直木賞)、『吉里吉里人』(読売文学賞、日本SF大賞)、『東京セブンローズ』など戯曲、小説、エッセイ等に幅広く活躍している。’84年に劇団「こまつ座」を結成し、座付き作者として自作の上演活動を行っている。
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2019年07月19日

「腹のへった話」 梅崎春生


 申すまでもなく、食物をうまく食うには、腹をすかして食うのが一番である。満腹時には何を食べてもうまくない。
 今私の記憶のなかで、あんなにうまい弁当を食ったことがない、という弁当の話を書こうと思う。弁当と言っても、重箱入りの上等弁当でなく、ごくお粗末な田舎駅の汽車弁当である。
 中学校二年の夏休み、私は台湾に遊びに行った。花蓮かれん港に私の伯父がいて、私を招いてくれたのである。うまい汽車弁当とは、その帰路の話だ。
 花蓮港というのは東海岸にあり、東海岸は切り立った断崖になっている関係上、その頃まだ道路が通じてなく、蘇澳そおうから船便による他はなかった。その船も二、三百屯トン級の小さな汽船で、花蓮港に碇泊ていはくしてハシケで上陸するのである。
 で、八月末のある日の夕方、私はハシケで花蓮港岸を離れ、汽船に乗り込んだ。この汽船がひどく揺れることは、往路においてわかったから、夕飯は抜きにした。私は今でも船には弱い。
 そして案の定、船は大揺れに揺れ、私は吐くものがないから胃液などを吐き、翌朝蘇澳に着いた。船酔いというものは、陸地に上がったとたんにけろりとなおるという説もあるが、実際はそうでもない。上陸しても、まだ陸地がゆらゆら揺れているような感じで、三十分や一時間は気分の悪いものである。だから少し時間はあったが、何も食べないで、汽車に乗り込んだ。そのことが私のその日の大空腹の原因となったのである。
 蘇澳から台北まで、その頃、やはり十二時間近くかかったのではないかと思う。ローカル線だから、車も小さいし、速度も遅い。第一に困ったのは、弁当を売っているような駅がほとんどないのだ。
 汽車に乗り込んで一時間も経った頃から、私はだんだん空腹に悩まされ始めてきた。それはそうだろう。前の日の昼飯(それも船酔いをおもんぱかって少量)を食っただけで、あとは何も食べていないし、それに中学二年というと食い盛りの頃だ。その上汽車の振動という腹へらしに絶好の条件がそなわっている。おなかがすかないわけがない。蘇澳で弁当を買って乗ればよかったと、気がついてももう遅い。
 昼頃になって、私は眼がくらくらし始めた。停車するたびに、車窓から首を出すのだが、弁当売りの姿はどこにも見当らぬ。もう何を見ても、それが食い物に見えて、食いつきたくなってきた。海岸沿いを通る時、沖に亀山島という亀にそっくりの形の島があって、私はその島に対しても食慾を感じた。あの首をちょんとちょん切って、甲羅をはぎ、中の肉を食べたらうまかろうという具合にだ。
 艱難かんなんの数時間が過ぎ、やっと汽車弁当にありついたのは、午後の四時頃で、何と言う駅だったかもう忘れた。どんなおかずだったかも覚えていない。べらぼうにうまかったということだけ(いや、うまいという程度を通り越していた)が残っているだけだ。一箇の汽車弁当を、私はまたたく間に、ぺらぺらと平らげてしまったと思う。
 そんなに腹がへっていたなら、二箇三箇と買って食えばいいだろうと、あるいは人は思うだろう。そこはそれ中学二年という年頃は、たいへん自意識の多い年頃で、あいつは大食いだと周囲から思われるのが辛さに、一箇で我慢したのである。一箇だったからこそ、なおのことうまく感じられたのだろう。あの頃のような旺盛な食慾を、私はいま一度でいいから持ちたいと思うが、もうそれはムリであろう。
(うめざき はるお、三二・四)

初出:「あまカラ 4月号 第六十八号」甘辛社
   1957(昭和32)年4月5日発行
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2019年07月18日

H・L・ボルヘス他,『ラテン アメリカ怪談集』鼓直ほか訳 (河出文庫)

『伝奇集』や『幻獣辞典』で有名な二十世紀ラテンアメリカ文学の巨匠ボルヘスをはじめ、コルタサル、パスなど、錚々たる作家たちが贈る恐ろしい十五の短篇小説集。ラテンアメリカ特有の「幻想小説」を底流に、怪奇、魔術、宗教、伝承、驚異などの強烈なテーマがそれぞれ色濃く滲むユニークな作品集。
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【収録作品】

「火の雨」ルゴネス(アルゼンチン)

「彼方で」キローガ(ウルグアイ)

「円環の廃墟」ボルヘス(アルゼンチン)

「リダ・サルの鏡」アストゥリアス(グアテマラ)

「ポルフィリア・ベルナルの日記」オカンポ(アルゼンチン)

「吸血鬼」ライネス(アルゼンチン)

「魔法の書」アンデルソン=インベル(アルゼンチン)

「断頭遊戯」レサマ=リマ(キューバ)

 「奪われた屋敷」コルタサル(アルゼンチン)

「波と暮らして」パス(メキシコ)

「大空の陰謀」ビオイ=カサレス(アルゼンチン)

「ミスター・テイラー」モンテローソ(グアテマラ)

「騎兵大佐」ムレーナ(アルゼンチン)

「トラクトカツィネ」フエンテス(メキシコ)

「ジャカランダ」リベイロ(ペルー)


あとがき  作家たちの冥府対談(鼓直)



「彼方で」付き合いを許されなかった恋人たちが心中を図って、幽霊になってデートを重ねた。彼方で幽霊二人を待ち受けるのは一体何なのだろうか?

「リダ・サルの鏡」咒で好きな人と結婚できる噂が実しやかに流れる街。そこで青年一人を巡って起きた事件が展開される。アストゥリアスは『大統領閣下』を長らく積んだままで、さっさと読もうと決心した。

「ベルナルの日記」ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』にインスパイアされた短編。似通っている導入から、背筋も凍るような展開が待っている。家庭教師と娘が衝突する、天使のように見える娘の綴る日記は恐怖を呼ぶ。

「吸血鬼」映画を撮影に古い城を訪れたスタックを待ち構えていたのは、まるでドラキュラ映画から抜け出してきたような老男爵。愉快なパロディ映画『ポランスキーの吸血鬼』を彷彿させる。

「魔法の書」夏休みに古本屋でとても不思議な書物を見つける。読めない文字で書かれた本は、最初から休まず読む時のみ解読可能になる。「読む」作業にとりかかるのに、食料を買い込んで頭痛に備えてアスピリンと目薬と眠気覚しを購入する。ひたすら読むのに熱中するのだった。

「波と暮らして」波が人間の男に恋をして、家に付いてきてしまう。この波の美しいカーブは人間の娘のように描かれる。蜜月から狂うような場面へ、突然に訪れる別れ。魅惑的なマジックリアリズム作品。

「ジャカランダ」妻を亡くしてしまった大学教授が陥る永遠のぐるぐるループ。何度読んでも様々な解釈を与えられる。

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2019年07月11日

『日本人の笑い』 宇井無愁

 笑いが武器だった時代には、人は敵を作るか憎まれるかする危険を冒さずには、うかつに笑えなかった。だが、笑いが労働エネルギーの再生産に役立つことがわかり出すと、笑わずにはいられなくなる。そこで百方手をつくして、あたりさわりのない笑いの対象を物色した。

 笑ったために敵にまわす気づかいのない相手に動物があった。動物笑話がそうして生まれた。それでも足りなくて、笑うべき架空の人物をさがし求めた。そのヤリ玉にあがったのが、昔話の人物である。


そこで死や困難や苦痛や失敗や悲嘆に直面した日本人は、笑うべからざる時に笑顔をつくる/理由がわかってくる。死や困難や苦痛や失敗や悲嘆は、いずれも目にみえない「敵」である。

古代人の感覚では、悪霊や死霊の襲撃にほかならない。この「敵」に対して現代の日本人も、無/意識に「防禦の武器」を面上に用意して、本能的に抵抗の姿勢を示すのである。

『日本人の笑い』 宇井無愁(角川選書)より

posted by koinu at 09:42| 東京 ☁| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする