突然、人間たちは眼覚め、夢が真実であり、その恐ろしい物語が何を意味しているのかに気がつく。瞼を開くと何かの中にいることを知る。一瞬たりとも外部に出ることはない。誰もがそれを解ろうと欲して、懸命になっていたが無駄だった。なぜなら彼らは夢を見ていたのだから。映されるモニターの内部にいたのだから、しかもそのことに誰もが気ずくことなく。
遊びのためにつくられた些細なこと、意識、選択、死、不条理、ユーモアを信じていた。そして大切なことと真実は隠されていた。それは微睡みの向こう側にあって、どうすればそれらを知ることができよう。遮るカーテンから解放されたまえ。突き抜けて物の向こう側を、今こそ視ることができる時が。
他人の力である記号、あらゆる従順な細胞にとっての記号、盲人たちの記号、同じことをして、同じことをいっている、同じような虫螻たちにとっての記号。一瞬立ち止まって、周囲を眺める人にとって、突如、世界は暗闇になる。しばらくの間、一定の空間の中で、彼は終りなき建築しか視ていない。
さて広場、地下室、路地、計算機には多くの暴力、美、情熱が存在している。コンクリートやガラスの内部から生まれた、理解できぬ法則、世界の親方たちが予知しなかった法則、運動がある。自由の力は無敵で恐ろしい。それゆえに、解放されたまえ。あなたのその視線で、視線の親方である奴らを殺してしまえ。(『巨人たち』 ル・クレジオ (新潮社1973)より)
作家は様々な変貌をする。
『調書』『発熱』『愛する大地(テラ・アマーダ)』『大洪水』『物質的恍惚』『逃亡の書』『巨人たち』といったル・クレジオの著作には、過剰なほどの変貌彷徨が急速度で描かれる。現在の品行方正な格調高い、透明純粋な文体よりも、ロートレアモンを彷彿させる鋭い眼差にあったクレジオへ関心いだく読者も多いだろう。
J.M.G.Le Clezio《Tresor》[in]Petra, le dit des pierre, textes reunis par Philippe Cardinal, Actes Sud
http://susuzuki.dip.jp/jica/report1/ptra1.htm
今日は古代史のほんの始まりにすぎない。地上にはいくつもの大いなる動きがある。誕生の大いなる動きが、痙攣が、矛盾がいくつもある。生命は絶えずその全ての壁から外に出ようと努めており、大気のほうへととその道を掘り進んでいる。
永遠なビルの数々。永遠な道路の数々。永遠な空港の数々。千世紀のあいだ燃える焔。白い空には嵐の響きをたてる大きな鳥たちが速くよぎる。実にたくさんの形がある。美は地上に均衡を保っており、その透明なハーケンの数々を打ち立てている。
いかつい山々は歩く人達の足元にその深淵をうがとうと望んでいる。道路は絶えまなく轢かれ押し潰されることを欲している。海は気管を突破ることを求めている。そして宇宙空間のなかには星々に空虚の螺子をしめつけ物質の点滅を窒息させようという恐るべき意思がある。
ネオンの稲妻が娘の顔の周りできらめく。やがて彼女の皮膚の穴を穿つ、やさしい目鼻立ちをした顔を灼く。動物のものであるその長い髪を縮まらせるのだ。
きつい光線が電球から絶えず迸る。ガラス球の中では白熱したフィラメントが輝いている。そいつは戦争の眼差し、情け容赦もない目であって、部屋のもろもろの表面を眩く光らせ、映像を不透明な看板の上に定着する。
『戦争』J.M.G.ル・クレジオ(1970年)より
『愛する大地』ル・クレジオ (1968)目次
たまたま地上に ぼくは生まれた
生ける人間として ぼくは大きくなった
デッサンの中に閉じこもって
日々が過ぎた 夜々が過ぎた
ぼくはああした遊びをみなやってみた
愛された 幸せだった
ぼくはこうした言葉をみな話してみた
身ぶりを入れ わけのわからぬ語を口にして
それとも無遠慮な質問をして
地獄にそっくりな地帯で
ぼくは大地に生み殖やした
沈黙にうち克つために
真実のすべてを言いつくすために
ぼくは涯てしない意識のうちに生きた
ぼくは逃げた そしてぼくは老いた
ぼくは死んで 埋葬された
Jean Marie Gustave Le Clezio
1940.4.13- 1940年,地中海岸のニース生まれ.父方はブルターニュからインド洋モーリシャス島に移住した家系で,19世紀 初めに同島が英領となったとき英国籍に.母も同様の家系だが,パリ出身.両親はいとこ同士で,父親が医学を 学んでいたロンドンで出会った.ニースで生まれたのは偶然だが,戦時下の幼時,米独双方によるこの町の破壊 に強い印象をうけて育つ.ニース大学およびイギリスのブリストル大学で学ぶ.
1963年,『調書』で作家としてデビュー.『発熱』(65年),『洪水』(66年),『物質的恍惚』(67年)など の初期作品群を次々に発表し,ヌーヴォー・ロマン全盛期の首都からは距離を置いた独自の作家的地位を築く. ロートレアモン,アルトーやミショーへの関心からわかるとおり,当初は言語実験的色彩が濃厚だったが,文体 はやがて簡素・平明に.むきだしの土地,陽光,砂漠,水,動植物がおりなす物質的世界に対する異様なまでに 鋭敏な感受性に加えて,アメリカ先住民世界への深い共感を際立った特徴としている.
70年から74年にかけてパナマの密林に住むエンベラ族と暮らす.この経験から生まれた傑作エッセー『悪魔祓い』 (71年)につづいて,70年代後半からはメキシコへの傾倒を深め,ミチョアカン大学や,プエブロ・インディア ンの土地であるアメリカのニューメキシコ大学で客員教授を務めつつ,ヨーロッパによる先住アメリカ文明に対 する侵略と強奪という,人類史上もっとも大規模で残虐な破壊の歴史を考察.「チラム・バラムの書」『ミチョ アカン報告』のフランス語訳(76年,84年)を試みる一方,『メキシコの夢』(88年)に結実するエッセーを書き継いだ.
Jean Marie Gustave Le Clezio
【J.M.G.Le Clezio】WEB
http://www.diplomatie.gouv.fr/label_france/FRANCE/LETTRES/clezio/page.html
http://www.foiredulivre.com/2003/FDL_infos_presse_visuels_ambiance.htm
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