2021年08月17日

阪田寛夫『土の器』より「伊藤君のマーマ」

詩人の阪田寛夫さんの芥川龍之介賞の授賞作品『土の器』という小説。


この犬はそばに来ただけで息が臭い。一寸様子が違うので名前を呼んだら、横向きに両脚を突き出した。目がすわって伸ばしたきりの脚が曲がらない。誰もかまう者がいないので、てんかんを起したらしかった。

私の「祈り」はそれで終ってしまったが、その日犬を見ながら短い童話を書いているうちに雨が降り出して気持が落ち着き、嬉しいことがあるから早く病院へ行きたいという気分になった。その時書いた童話のあらましを箇条書きにしておく。

題は「伊藤君のマーマ」である。


小学校のクラスで両親のことをパパ・ママと呼んでいたのは伊藤君と私だけだった。

伊藤君はマーマと呼ぶ。私はママ。伊藤君は素直だから誰の前でもマーマ! 私は友達の前ではママと呼べぬ。

そのくせ支那事変(一九三七)の始まる少し前、松田文部大臣から「日本の国柄にふさわしくないからパパ・ママという呼称をやめるよう」通達が出ると、私は大いに困る。「ママ」はただの呼びかけの言葉ではなく、そばかすのある、背の高くない、いつも着物の裾を蹴とばすように歩く、おそろしくて、時々やさしい、世界に一人しかいない「そのひと」だから。

伊藤君は、「うちはマーマだ。マーマはママとちがうから構わないんだ」と言う。そして死ぬまでマーマと呼び通した。中学一年の時腎臓病で危篤となり、「マーマ、僕を東の方に向けて」と頼んで、天皇陛下万歳を三唱して亡くなった。

私の方は相変らず家の中だけでこっそりママと呼んでいたが、そのうち何となく呼べなくなってしまった。その代わりに「お母さん」の呼称を使ったわけでもなく、母を呼ぶということを一切しなくなった。

文部大臣のせいにもできないし、それはいったい何故だろう? 「ママ」と呼ばれなくなったママは、どんな気持ちだったろう?

(阪田寛夫『土の器』より)


[肩の骨を折りながらも礼拝のオルガンを弾き通した八十歳の母を支えていたのは何か。その魂のありかをたどる芥川賞受賞作と、心温かに家族を描く四つの作品。](庄野潤三)

posted by koinu at 10:59| 東京 🌁| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする