「りんご」久坂葉子
りんごをかじりながらさむいみちをあるいた。
ゆうひがまっかになってしずむ。
きょうもいちにち、
のぞみももたず、ちからもわかず、
ただ、さみしさでいっぱいになって、
なにがそんなにさみしいのかわからぬままに。
まちかどにひがついた。
あたらしいとしがもうやってくるというのに。
あすさえもおそろしい。
-さみしさはますだろう-
-くるしさにたえることができよう-
わたしのこころに、
「あすこそは」というかんじょうがわいてくれたら、
-わたしはうれしいが-
りんごのたねはくろくひかっていた。
はあとのついたしんを、
おもいっきりとおくへなげた。
久坂葉子(くさかようこ)1931〜1952 神戸市生まれ。本名川崎澄子。山手高女を経て相愛女専中退。16歳から詩を書き始め「文章倶楽部」に投稿。島尾敏雄の紹介で富士正晴の雑誌「ヴァイキング」の同人となり、詩と小説を発表。八木岡英治に認められ「作品」(1950年)に『ドミノのお告げ』を発表。19歳で第23回芥川賞の候補。その後シナリオライターとして活躍。1952年、恋愛感情のもつれから九州を放浪 2度目の自殺を計るが未遂に終わる。この年 4篇の小説を発表、未発表作品を残して六甲駅にて自殺。21歳であった。