2020年07月25日

私の中の『瞬間の王』は死んだ

谷川雁「天山」


みんな嘘だ

なかばくずれた修辞の窓から

ありもしない季節が呼んだだけなのだ

認識は放浪のつぎに来た

長い祈祷のあとで

青ざめてゆく森があった

自らのかがやきに撓みながら

村は燃えようとしたが果さなかった



「或る光栄」谷川雁

おれは村を知り 道を知り

灰色の時を知った

明るくもなく 暗くもない

ふりつむ雪の宵のような光のなかで

おのれを断罪し 処刑することを知った



「東京へゆくな」谷川雁

ふるさとの悪霊どもの歯ぐきから

おれはみつけた 水仙いろした泥の都

波のようにやさしく奇怪な発音で

馬車を売ろう 杉を買おう 革命はこわい

なきはらすきこりの娘は

岩のピアノにむかい

新しい国のうたを立ちのぼらせよ

つまずき こみあげる鉄道のはて

ほしよりもしずかな草刈場で

虚無のからすを追いはらえ

あさはこわれやすいがらすだから

東京へゆくな ふるさとを創れ

おれたちのしりを冷やす苔の客間に

船乗り 百姓 旋盤工 坑夫をまねけ

かぞえきれぬ恥辱 ひとつの眼つき

それこそ羊歯でかくされたこの世の首府

駈けてゆくひずめの内側なのだ



谷川雁

詩人,評論家。本名厳。熊本県生れ。東大社会学科卒業。戦後,西日本新聞社の記者となるが,労働争議を指導し解雇。

詩集《大地の商人》(1954年)《天山》(1956年)を刊行。

1958年,森崎和江,上野英信らと福岡県中間市で《サークル村》を創刊する一方,積極的に反体制運動を展開,1950年代末の三池闘争(三池争議)に加わり,大正炭鉱を拠点に大正行動隊を組織して活動した。

1960年《定本谷川雁詩集》を刊行,詩作を断つと宣言。「私の中の『瞬間の王』は死んだ」

1962年松田政男、山口健二、川仁宏が「自立学校」を企画して、吉本隆明、埴谷雄高、黒田寛一たちと講師となった。

評論集に《原点が存在する》《工作者宣言》《戦闘への招待》など。その思想は,1960年代の反体制思想に大きな影響を与えた。1980年代には教育グループ〈十代の会〉〈ものがたり文化の会〉を主宰した。



谷川雁『汝、尾をふらざるか 詩人とは何か』(思潮社 詩の森文庫、2005年)

 

 なぜなら俳句がつきあたれなかった近代思想の核にともかくも接触したのが現代詩であり、それは異文明をみつめてふっと黙ったカナリアの内なる〈唖〉の自己表出とみなせますから。すぐれた現代詩は一種の〈手話〉だとはいえませんか。現代詩の過去になんらかの名誉があたえられるとするなら、日本語の総体が異なる核にふれたときの戦慄と沈黙の体現者であろうとしたという側面以外には考えられません。現代詩は根源的に無声であるよりほかないものです。朗読してかっこうのいい作品など、それだけで凡作の容疑をかけてしかるべきです。むろん詩であるかぎり内的な音楽は必至です。しかし無声の激しさにおいて、現代詩は俳句の地点にとどまることはできません。ここであなたは定型といわれる。するとその定型なるものは、短歌はもちろん俳句よりも深く無声であって、かつ外在する定型ということになりますか。であれば饒舌の見本市というよりほかはない現在の作品群にたいする痛棒として、その限りにおいて私はあなたの提唱に今日的意味をうけとります。(p.173)「飯島耕一――定型のはじめや声のなき葬り」より



 詩は青春の文学と関根弘が古めかしい定理をもちだしたら、それなりに賛否の波紋が起こるのだから、日本の詩の世界はやはり芭蕉がたたずんだ池くらいの広さかなあと思っています。青春の文学、あたりまえのことでしょう。ぼくなら詩は二十五才と五十才、あとはお休みという風に言ったらよいと思います。どうみても中年の文学ではありませんよ。これは、問題は青春を保持することのむつかしさではなく、ヴァレリイが言ったように、成熟することの困難さでしょう。いま詩を書いている御老人たちはいずれも酸っぱいくだもので、熟れそこなったからあわてて日光を吸いこんでいるのにまちがいありませんが、それはまあ日本の文明と平行している次第ですから、ぼくはむしろこういう議論を支える気分や傾向がいかにも青春くさいのにあまり気乗りしない拍手を送って、すやすや眠ることにします。(p.202) 谷川雁語録「ハガキ批評」より



 いったい「分からない」とはどういうことか。相手の思想に触ることができないということではないか。それなら黙っておればよいのだ。無縁なものには攻撃する必要もなければ防衛する必要もない。にもかかわらず「分からない」とわめき、つぎには「分かりたい」とにじりよってくるのは、ほうっておけば自分が危いという感覚に責められるからだ。

 つまり分からないものからさっさと立ち去ることことをせず、なおも分からないと発言する者は彼の小さな所有地が無事に保たれるのを確認したがっているのである。(p.202)谷川雁語録「分からないという非難の渦に」より

posted by koinu at 13:00| 東京 ☔| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする