写実から前衛まで多彩な短歌と鋭敏な批評を数多く発表して、戦後の短歌界をけん引した歌人・岡井隆さんが7月10日、心不全で東京都武蔵野市内の自宅で死去された。92歳。名古屋市出身。
岡井隆自選歌集『蒼穹の蜜』(沖積舎)冒頭歌。
薄明の空に青葉を吹き上ぐる栗一本(ひともと)が見えて久しき
一本の杉の怒りを見て立てば緑揉まれて生きたきものを
そよかぜとたたかふ遠きふかみどりああ枝になれ高く裂かれて
それぞれ歌における位置はちがっても、「緑揉まれて」「たたかふ遠きふかみどり」は形象としては同じだ。つまり、内部から湧く力によって大きくうねり、かつ振幅する緑がイメージされる。これを仮に「緑騒」ということにしよう。岡井隆が緑騒のイメージを好んで使ったのは、ほかならぬ〈表現者〉として内部の喩たりえたからだ。(「岡井隆ノート」佐藤通雅より)
海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ 『朝狩』
〈あゆみ寄る余地〉眼前にみえながら蒼白の馬そこに充ち来よ
肺尖にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は
真夏の死ちかき胃の腑の平にはするどき水が群れて注ぎき
短歌としての美質もそなえることは、必要な条件だった。これら両者を兼ね備えることは、はたして可能か。私のみとおしは明るくなかったが、もしこれが不可能ならもはや短歌をやる理由が、少なくとも私にはなかった。
こういう問題意識にこたえてくれた数少ない歌人が岡井であり、『朝狩』である。(「岡井隆ノート」佐藤通雅より)
合掌。