2020年05月31日

「東京三時間失踪術」種村季弘


(川本三郎さんとの対談「路地の博物誌」43頁)『東京迷宮考 種村季弘対談集』より



「東京三時間失踪術」から抜粋

「いまは東京を離れてしまっているが、東京に住んで勤めに出ていた頃、私は三時間失踪という忍びの術をよく使った。勤めの時間が終わると、自宅とは反対方向の電車、バスに乗る。ときにはそれを乗り継いで、何の用もない界隈でふらりと途中下車する。そこで三時間程だけ町を流す。場末らしい商店街が続き、それが途切れると横丁が四通八達して、家々の前には植木鉢の木棚があり、子どもの赤い三輪車がころがっている。魚を焼くにおいがする。磨硝子の窓ごしにテレビの明滅する輝きが映り、少女が家のなかのだれかを呼んでいる声がする。

 それだけである。たったそれだけの町の気配を横丁づたいに歩きながら確かめる。自分が恐ろしく遠いところから、場違いに見知らぬ町にまぎれ込んでしまったという感情がにわかにこみ上げてくる。

 それは根のない東京人特有の感情だ。自分のいるべき場所はここではない。かといって帰るべき具体的な故郷があるわけではない。背中がぽっかり抜けて、その空洞感がどこにもない宇宙の果てのようなところにつながっている。

 そういうヤケッ八みたいに風の吹き抜けている気分は、東京人だけが東京で味わえる感情なのではあるまいか。味もそっけもない空洞感、それでいてそのささやかな空洞感がつながっている遠い広大な空無の故郷へのノスタルジー。それが味わいたさに、夕刻の三時間だけ失踪してはそしらぬ顔で自宅へ戻っていたのである。」

『晴浴雨浴日記』(河出書房新社)収録


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「世界は動いている。世界は確実に動いてどんどん先へすすみ、自分一人だけがとりのこされている。そう思った。」

(種村季弘・同書「教養三日論者」より)

posted by koinu at 09:00| 東京 ☁| 観測 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする