2020年05月16日

原っぱには、何もなかった。

「原っぱ」 長田 弘


 原っぱには、何もなかった。ブランコも、遊動円木もなかった。ベンチもなかった。一本の木もなかったから、木蔭もなかった。激しい雨が降ると、そこにもここにも、おおきな水溜まりができた。原っぱのへりは、いつもぼうぼうの草むらだった。


 きみがはじめてトカゲをみたのは、原っぱの草むらだ。はじめてカミキリムシをつかまえたのも。きみは原っぱで、自転車に乗ることをおぼえた。野球をおぼえた。はじめて口惜し泣きした。春に、タンポポがいっせいに空飛ぶのをみたのも、夏に、はじめてアンタレスという名の星をおぼえたのも、原っぱだ。冬の風にはじめて大凧を揚げたのも。原っぱは、いまはもうなくなってしまった。


 原っぱには、何もなかったのだ。けれども、誰のものでもなかった何もない原っぱには、ほかのどこにもないものがあった。きみの自由が。


長田弘『深呼吸の必要』より

posted by koinu at 10:00| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする