2020年04月12日

「コローナの松の木」J.R.ヒメーネス 

「コローナの松の木」J.R.ヒメーネス 
 どこでに立ち止まっても、わたしはねプラテーロ、そこがあのコローナの松の木の下であるような気がするのだよ。どんなところに行きついても――たとえば都会の中であろうと、あるいは愛情とか栄誉とかの問題についてであろうと! わたしは必ず白雲の浮かぶ青い大空のもとに、したたる緑をいつぱいに広げてトる、あの松の木の下に行きついたような気がする。あの松の木はわたしにとって、苦しい夢の荒海を照らす、円形の明るト灯台の役をしてくれるIちょうどモゲールの町の船乗りたちに、河口の砂洲であらしとたたかうときの導き亜となるようにね。あの松の木は、乞食たちがサンルーカルヘ行くときにたどる赤上の険しい坂道の頂上にあって、わたしの苫悩の日々には、確固不動の頂点となるのだ。

 あの松の木の思い出のもとに憩うとき、いっもわたしはどんなに心強く感じることだろう! 
 それは、わたしが成長してゆくにつれて、しだトにわたしの目に大きく映らなくなる、というようなことのなかった唯一のもの、いやますます大きく見えるようになった唯一のものだ。暴風でへし折られたあの枝が切り落とされたとき、わたしは自分の手足が一本もぎとられた感じがした。そしてまた時たま、なにかの痛みにとっぜんおそわれると、わたしにはその痛みがそのまま、あのいただきの松の木に伝わるように感じられる。

 広やかという言葉はあの松の木によく似合う―― 海にも、空にも、そしてわたしの胸にもぴったりするように。何ヤ年、何百年ものあいたいろいろさまざまの大びとが、あの松の木の陰で、雲をながめながら憩うてきた―― 海の上や、空の下に、そしてわたしのノスタルジアの中でも。とりとめもないわたしの物思トの中で、自由気ままなイメージが浮かんでは勝手に座をしめるとき、あるいはある物事が他の物事のかたわらで、漠然とした影にしか見えないとき、そんなおりには、あのコローナの松の木が、なにかしら永遠性を感じさせる画面の中に姿を現わし、思い惑うわたしの前で、ますます彭蒼と騒めき、いっそう巨人な姿に変わる。そしてわが人生の果てにたどりつく真正かつ永遠なる目的地として、あの松の本は、その安らかさの中に憩うようにとわたしを誘うのだ。
「いただきの松の木」
『プラテーロとわたし』J.R.ヒメーネス (岩波文庫)より

J.R.ヒメーネス 詩人。1881年スペインアンダルシア・モゲールに生まれる。十七歳の時に初めて詩を発表する。スペイン内乱とともに、プエルトリコ、キューバ、アメリカと各地に移り住む。1956年、ノーベル賞を授与される。1958年死去。享年七六歳

プラテーロとわたし (岩波文庫)J.R.ヒメーネス 真っ青な空と真っ白な家が目にいたいほど明るい,太陽の町モゲール.首都マドリードで健康をそこなったヒメーネス(1881−1958)は,アンダルシアの故郷の田園生活の中で,読書と瞑想と詩作に没頭した.月のように銀色の,やわらかい毛並みの驢馬プラテーロに優しく語りかけながら過ごした日々を,138編の散文詩に描き出す.
posted by koinu at 09:20| 東京 ☁| 観測 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする