2020年04月04日

「オダサクはんのめでたいユーレイ」多田道太郎

 オダサク追悼漫才大会と大書した気球があかっている。音楽堂ではチャッチャッチャッの伴奏入りで漫才をやっている。と、突然、漫才師が叫ぶ。
「あツ、めでたくオダサクはんの幽霊が出やはりましたがな。きゃッ」

 難波駅近くの御堂筋の東側に当時「彼が愛した『わが町』大阪では、彼の急逝のある夜その店の娘さんがが店番をしていると、表の戸口から一人の痩せた青年の蒼白い顔が覗いた。『あっ、織田作さんやわ』と娘さんが思った瞬間、相手は持ち前のあった小さな薬屋、彼はその店のおとくいの一人だったのだが、薄笑いを浮べながら、右手を差し出して、『ヒロポンをくれ』といったというのである」。

 夢の中にしろゴシップの中にしろ織田作之助はユーレイかお化げか、そんなもんのある作家だった。ユーレイとお化けのちがいは、人に憑くのがユーレイで、に憑くのがお化けという民俗学者の説があるけど、その伝でゆくと、青山光二に出てきたのがユーレイで、ミナミの薬屋の店先に出てきたのはお化けということになる。

 織田作のユーレイにしろお化けにしろ、ち太っぴり恨みはふくんでいるものの、どことなく陽気で、滑稽でさえある。織田作之助は、小説だげでなく、ユーレイもまた何かのパロディじみている。 

 大阪弁で「なんぼの者と思うてるのや」という悪態がある。織田作之助がそう言われたら「坐蒲団だけのもんや」と言い返したかもしれない。けれど彼はノスタルジー坐蒲団のうえに尻を落着けていられる作家ではなかった。
 彼はことばのトランポリンのうえを飛んだりはねだり踊ったりの大好きな人で、厳粛大好きの戦争中に、よくまあとおどろく人もいるだろうが、ゲソシュクー途の世の中だからこそ、「一勝半七」の坐蒲団的パロディからいっそ悪態、地口、駄洒落の雲の上で、飛んだりはねだりの「猿飛佐助」のパロデ″に乗り移れだのかもしれなかった。今(一九九三年)の笑いの観客は、演者が何も芸をしない前から半分口をあげてゲラゲラの構え、これでは芸ができるはずがない−‐‐というような小林信彦の慨嘆の声をきいて、なるほどなあと思ったが、戦争中はテコでも笑わぬ勝つまではの気概、面構えの面々を前にしてオダサクの反逆の芸心がむずむず動きだすのかも。
〔「オダサクはんのめでたいユーレイ」多田道太郎より〕
posted by koinu at 22:00| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする