2020年04月01日

悲哀と嫌悪の根源について

 運命の神秘はその力強い秘義の中に我々全部を包みこんでいるので、生の悲劇的な不条理を残酷なまでに感じないためには、本当のところ何も考えない人間でなければならない。そこにこそ、我々の存在理由についての絶対的な無知にこそ、我々の悲哀と我々の嫌悪との根源はある。
 肉体的な苦患と精神的な苦患、魂と官能との悲惨、邪悪な人間の幸福、正しい者の屈辱、総てそうしたことも、我々がその理法と調和とをなるほどと納得して、そこに摂理を見るとしたならば、まだしも我慢できるものであるだろう。


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 神を信じる者はわが身の潰瘍を喜び、自分の敵の不正な仕打ちや暴力をも快いものと観じるものであり、自ら過ちや罪を犯しても希望を失うことはない。しかし信仰の一切の輝きが消えた世界においては、悪と苦痛とはその意味までも失ってしまい、もはや悍ましい悪ふざけや不吉な笑劇のようなものに見えるばかりである。
 アナトール・フランス『エピクロスの園』生の不条理より     

 好奇心が罪(宗教上の)となる瞬間が常にある。
  されば悪魔は常に学者の傍に身を置いて来た。
posted by koinu at 09:32| 東京 🌁| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする