「明日」小野十三郎
古い葦は枯れ
新しい芽もわづか。
イソシギは雲のやうに河口の空に群飛し
風は洲に荒れて
春のうしほは濁つてゐる。
枯れみだれた葦の中で
はるかに重工業原をわたる風をきく。
おそらく何かがまちがつてゐるのだらう。
すでにそれは想像を絶する。
眼に映るはいたるところ風景のものすごく荒廃したさまだ。
光なく 音響なく
地平をかぎる
強烈な陰影。
鉄やニツケル
ゴム 硫酸 窒素 マグネシユウム
それらだ
(詩集『大阪』より)
小野十三郎(1903年−1996年)
詩集『大阪』は1939年に出版。多くの詩人たちが戦争に、対する痛みや象徴する言葉を表した。そんな状況のなかで反戦にも自然主義にも傾倒せず、「葦の地方」を見いだして、記憶される詩集。なかでも「明日」の最後三行が示している、安易に謳わないことが心に残る。ここに現代詩の萌芽が感じられる、モンタージュ効果あるフレーズが連発。〈短歌的叙情の否定〉は詩人一人の創造として余りに重責な、詩作の理論的な困難な舞台での実践。この感染季節にアナザーサイドの扉が、心に反応する詩でもあった。
「赤い雀」
赤い雀がいないと眼がたいくつだ
冬のみち
ぼくの頭脳から
白い絹糸のようなものが二本のびて一本は
すりすがすの空の太陽をひっかけて
もう一本は
ずっとはるかにのびてのびて
遠方のくっせつして
尖で半円を描いて
赤い雀をさがしている
〔処女詩集『半分開いたた窓』より〕