古い池はもはやない。池全体が月の笏杖の下で、そのたっぷりとした呼吸をとりもどし、その波のくぼみくぼみは、熱い海のあらゆる魚で、色とりどりに飾られる。
その魚たちの間に、たがいに顔を見交すことにたえられず、自分といきうつしの相手といまにも死をかけてたたかおうとする、緋色と青鴉色の《闘魚」たちがいるのが見てとれる。
奴らの剣さばきはじつに活発なもので、微光が奴らの後へのこり、透明で液状の貝殻を、もっともしなやかなものからもっともきららかで細身のものまで、あらゆる方角へはせめぐるのだ。けれども波はしずまり、風変りな闘いも終りになるというより、曙の光の中に消え失せる。
二つの流れは音もなく流れ、そして大地からは、感覚の全域をひとりじめにしようと、て本の薔薇の香がたちのぼって来る。今、辛うじてかいまみられたばかりの薔薇は、不意に、ふるえる夜の中で、聖なるエジプトのすべてを告げる。薔薇は、めまいを起こさせるほどくるくると旋回して、崇められたる鳥、鴇トキの衿飾りとなり、そこからとりだされて来るのは、人間の夢が、荒縄で自分の建て直しを実行し、葉脈の方向にひびわれた自分の白い靴底を星々の間にはりわたされた糸にそって、あらためてすべらせようとするために、必要となるかもしれないすべての蟻装用品だ。
薔薇は、再生能力に限度はないと告げ、そして主張する、いかに苛酷であり汚れにみちていようと、冬は、過渡的なものとしかけっしてみなされないと。それどころか、冬の鞭は、エネルギーをよびもどすために、鞭の先端で数千匹のエネルギーの蜜蜂を集めるために定期的に道々を打たなければならぬ、さもないと蜂どもはしまいには太陽のあまりに酔心地をさそいすぎる柘榴の実の中で、ねむりこけるだろう、と。
さて、今度は蝶が語るのだ。あいつぐ世代の発生の中に、いかに心なぐさめる神秘があるか、いかなる新しい血が止むことなく循環するか、そして、種が個体の損耗に悩まないでもよいために、いかなる淘汰が適時に行われ、何か何でもその掟を課することに成功するかを、述べようとするのだ。
その植がふるえるのを人間は見る。その麹は、どの国語においても。
「再生」という単語の最初の大文字だ。そうだ。もっとも高い思想、もっとも偉大な感情も集団的な滅亡という目にあうかもしれず、人間の心もやはり砕けるかもしれず、書物も古びるかもしれぬ。そしてすべてのものが、外見上は、死ななければならない。だが、いささかも超自然的なものではない一つの力が、この死そのものから更生の条件を作り出す。貴重なものが何一つ内的に失われることがなく、暗い変身の数々を経つつも、季節から季節へと蝶がその高揚した色彩をとりもどすように気を配るあらゆる交換を、その力はあらかじめ保証しているのだ。
とはいえ、私がおまえたちの加護を祈るのはここでなのだ。それというのも、おまえたち、この錬金術を秘密のうちにつかさどっている精たち、事物の詩的な生の支配者だちよ、おまえたちが姿を現わすことなしにはもはや何一つできないことを、私は意識しているからだ。
アンドレ・ブルトン『秘法17番』より

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