2019年12月22日

死のうと思えば、いつでも死ねる

われ、薩長の明治に恭順せず──。幕府歩兵奉行・大鳥圭介は異色の幕臣だった。全身にみなぎる反骨の気概、若き日に適塾で身に着けた合理的知性、そしてフランス式軍学の圧倒的知識。

大政奉還後、右往左往する朋輩を横目に、江戸から五稜郭まで戦っていく。勝海舟や土方歳三に信頼された大鳥は、なぜ戦い続け、何を信じていたのか。


「死のうと思えば,いつでも死ねる。今度は一番降参としゃれてみてはどうか(五稜郭落城に臨んで)」


大鳥圭介 おおとり-けいすけ1833−1911 

幕末-明治時代の武士,外交官。

天保4年2月25日生まれ。江戸の江川塾で兵学をまなび,幕府歩兵奉行となる。

戊辰戦争では榎本武揚にしたがい五稜郭で降伏。のち清(中国)公使となり,明治26年朝鮮駐在公使をかねて日清戦争の発端となる外交工作をおこなった。枢密顧問官。明治44年6月15日死去。79歳。

播磨(兵庫県)出身。本姓は小林。名は純彰。著作に「幕末実戦史」など。

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大鳥圭介『南柯紀行』

目次

慶應四年四月十一日大鳥圭介江戸を脱走す/1p

圭介市川の渡船場に至り小笠原新太郎に迎へらる/3p

松戸を出發し小金澤に至る/5p

圭介諸川驛に至り里長中村嘉寧氏宅に宿す/7p

四月十六日小山驛方面に於て初めて接戰勝利を得る/8p

壬生城下街道通過の義を壬生藩に交渉す/13p

壬生藩の交渉に依り栃木驛に至る/14p

四月十九日合戰場を出で鹿沼に向ふ/15p


四月十九日合戰場を出で鹿沼に向ふ/15p

宇都宮方面に火災起り戰爭のありしことを知る/15p

宇都宮城は落城し市街大半焼失せるを見る/17p

大鳥圭介宇都宮城焼失跡へ入城し兵士を慰勞す/18p

壬生城に向ひ本道の兵幕田に至り暴風雨に遭ふ/19p

大川の隊は遂に壬生城下に入り敵死骸を殘して去る/20p

壬生城外市中城の東南並に明神山に戰ふ/22p

土方歳三傷き其他負傷者あり/22p

圭介等日光の神廟を拜し今市へ下る/27p

松平太郎來着す/28p

會津より宰相の使者來り御紋付羽織を贈らる/29p

圭介日光の山中に於て野州花を賞し詩を吟ず/31p

二十六日早曉今市を攻む/39p

圭介會津の山川大藏に面會の要あり五十里驛に至る/50p

小佐越方面に於て激戰あり身方敗らる/51p

桑折の關門に逹す/82p

圭介遂に榎本軍に投じ松島に逗留す/85p

東薺に移り開陽艦乘込の便利を計る/85p

慶應四年十月十三日開陽艦松島を發航す/86p

圭介二十二日鷲ノ木に上陸す/86p

七重村附近に於て接戰身方勝利を得/91p

箱館知府事引擧げ身方五稜郭に入る/94p

秋田藩の軍艦高雄丸を捕獲す/95p

松前城を陷落せしむ/98p

松前の新城館に於て官軍の僧三上超順能く戰ふ/100p

松前侯夫人と共に日本船に乘り津輕に向ふ/101p

蝦夷一圓平定し榎本總裁となる/104p

南部宮古灣に於て囘天艦官軍と激戰す/107p

松前に於て官軍と交戰す/110p

五稜郭及び箱館の激戰/124p

額兵隊喇叭手の奇談/124p

蟠龍艦、敵艦朝陽鑑を撃沈す/125p

高松凌雲、榎本、松平へ手書を投ず/127p

薩藩の池田次郎兵衞我軍へ降伏を勸む/127p

薩藩田島敬藏再び使者として來る/128p

津輕陣屋砲臺に於て中島三郎助父子三名戰死す/128p

榎本、松平、荒井、大鳥の四名官軍に降る/129p

細川藩士志水一學に護送せられ東京に至る/130p

軍務局糺問所に收檻せらる/130p

明治五年正月六日赦免せらる/206p

大鳥家の戸籍謄本/209p

posted by koinu at 08:51| 東京 ☀| 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする