2019年09月25日

空と風と星と詩― 尹東柱詩集

空と風と星と詩― 尹東柱詩集

   序詩

 死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを、
葉あいにおきる風にさえ
私は思い煩った。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いていかねば。

今夜も星が 風にかすれて泣いている。  (1941・11・20)


戦争末期,留学先の日本で27歳の若さで獄死した詩人,尹東柱。解放後,友人たちが遺された詩集を刊行すると,その清冽な言葉が若者たちを魅了し,韓国では知らぬ者のない「国民的詩人」となった。詩集「空と風と星と詩」とそれ以外の詩あわせて66篇を在日の詩人・金時鐘が選び,訳出.ハングルの原詩を付した。


「死ぬ日まで天をあおぎ
一点の恥じ入ることもないことを
葉あいにおきる風にすら
私は思いわずらった」

 このあまりにも有名な序詩で始まる詩集「空と風と星と詩」は,1948年,韓国で出版されるや,たちまちベストセラーとなりました.その純真な生き方,清冽な言葉が多くの人々を魅了したのです。いまや韓国では,教科書にも載せられ,誰でも知っている「国民的な詩人」「民族詩人」ですが,本人は,1945年2月,福岡の刑務所で27歳という若さで獄死し,自らの詩集を見ることさえできなかったのでした。
 そして京都の下宿先で逮捕された際,その後書きためてあった詩やノートはすべて押収され,その後どこからも見つかっていません。さらに,彼の最後に叫んだ言葉(朝鮮語)を,聞いた看守たちは意味を解しなかったといいます。

 彼の詩をひもとくときに,植民地支配をした側の私たちは,常にこうした事実を記憶しておく必要があります.
 彼は当初,そのなよやかな言葉のゆえに,抒情詩人として捉えられていました.しかし,訳者の金時鐘氏は,こう言います.
 「アジア侵略の「聖戦」完遂に故国朝鮮もが植民地の枷のなかでなだれているとき,ひとり使ってはならない言葉,母語の朝鮮語に執着し,時節にも時局にも関わりのない詩を自己への問いのように身もだえながら書きためていた学徒の詩人」であると。

「星を歌う心で/すべての絶え入るものをいとおしまねば」
「紅葉のような悲しい秋がぽとぽと落ちる」「だまって空をうかがっていようものなら、まつげに青さが沁みてしまうのだ」。「少年」の一節。
「まっ白に雪がおおっていて/電信柱がアンアンと泣き/天の神のみ言葉が聴こえてくる」。「ふたたび太初の朝」より。
「暗い部屋は 宇宙に通じており/天のどの果てからか 声のように風が吹き込んでくる」。「また別の故郷」より

「見上げれば空は気恥ずかしいぐらい青いのです」。「道」より。

「皺ひとつないこの朝を/深く吸い込む、深くまた吸い込む」「朝」より。

「ひたすら空だけを仰いで伸びていられるのはなによりの幸せというものではないか」。 
「隕石の墜ちたところ」より。
 尹東柱

「今から思えば三十年前になります。個人的な話ですが、私は夫に先立たれて不幸のどん底にいましたから、先生の明るさとか、陽性なところ、何よりその授業がたいへんおもしろかったものですから、不幸から少しずつ立ち直れたということがありまして、ほんとうにお目にかかれてよかったと思います。」(『言葉が通じてこそ、友だちになれる―韓国語を学んで』)茨木のり子


「つらい時期に、何語であれ、語学をやるというのは、脱け出すのにいい方法かもしれません。単語一つ覚えるのだって、前へ前へ進まなければできないことですし。」(同)


「詩にはいろいろあるので断定はできませんし、私だけがこのように思っていることかもしれませんが、韓国の詩は古い詩も現代詩も、目に映る描写より感じることを言葉にすることが多いです。感情というか、気持ちを表現する言葉ですね。有名な尹東柱の星空を歌った詩のように。」



茨木のり子「月の光」全文:

「ある夏の/ひなびた温泉で/湯あがりのうたたねのあなたに/皓皓(こうこう)の満月 冴えわたり/ものみな水底(みなそこ)のような静けさ/月の光を浴びて眠ってはいけない/不吉である/どこの言い伝えだったろうか/なにで読んだのだったろうか/ふいに頭をよぎったけれど/ずらすこともせず/戸をしめることも/顔を覆うこともしなかった/ただ ゆっくりと眠らせてあげたくて/あれがいけなかったのかしら/いまも/目に浮ぶ/蒼白の光を浴びて/眠っていた/あなたの鼻梁/頬/浴衣/素足」




詩「隣国語の森」(第六連から最終連):

「大辞典を枕にうたた寝をすれば/「君の入ってきかたが遅かった」と/尹東柱(ユンドンジユ)にやさしく詰(なじ)られる/ほんとに遅かった/けれどなにごとも/遅すぎたとは思わないことにしています/若い詩人 尹東柱/一九四五年二月 福岡刑務所で獄死/それがあなたたちにとっての光復節/わたくしたちにとっては降伏節の/八月十五日をさかのぼる僅か半年前であったとは/まだ学生服を着たままで/純潔だけを凍結したようなあなたの瞳が眩しい//――空を仰ぎ一点のはじらいもなきことを――//とうたい/当時敢然とハングル(注:原文

では「ハングル」はハングル表記)で詩を書いた/あなたの若さが眩しくそして痛ましい/木の切株に腰かけて/月光のように澄んだ詩篇のいくつかを/たどたどしい発音で読んでみるのだが/あなたはにこりともしない/是非もないこと/この先/どのあたりまで行けるでしょうか/行けるところまで/行き行きて倒れ伏すとも萩の原」


「写真を見ると、実に清潔な美青年であり、けっして淡い印象ではない。ありふれてもいない。/実のところ私が尹東柱の詩を読みはじめたきっかけは彼の写真であった。こんな凛々しい青年がどんな詩を書いているのだろうという興味、いわばまことに不純な動機だった。/大学生らしい知的な雰囲気、それこそ汚れ一点だに留めていない若い顔、私が子供の頃仰ぎみた大学生とはこういう人々が多かったなあという或るなつかしみの感情。印象はきわめて鮮烈である。」(「尹東柱」茨木のり子)



『星を数える夜』尹東柱

 

季節が過ぎ去る空は

秋でいっぱいです。

 

私は何の心配もなく

秋中の星々を皆数えられそうです。

 

胸中に一つ二つ刻まれる星を

もう皆数えられないのは

すぐ朝が来るからで、

明日の夜が残っているからで、

まだ私の青春が尽きていないから

です。

 

星一つに思い出と

星一つに愛と

星一つにさみしさと

星一つに憧れと

星一つに詩と

星一つにお母さん、お母さん、

 

母さま、私は星一つに美しい言の葉を

一つずつ詠(よ)んでみます。小学校のころ机を

一緒にした子らの名前と、佩、鏡、玉

これらの異国少女らの名前と、まずしい

お隣さんたちの名前と、鳩、子犬、兎、

ラバ、鹿、「フランシス・ジャム」 「ライナー・

マリア・リルケ」 これらの詩人の名前を詠んで

みます。

 

彼らはあまりにも遠くにいます。

星が遥か遠くにあるように、

 

母さま、

 

そしてあなたは遠く北間島にいます。

 

私はなぜか恋しくて

こんな沢山の星の光が降る岡の上に

私の名前を書いて、

土でおおってしまいました。

 

というのは、夜もすがら鳴く虫は

恥ずかしい名前を悲しむからです。

(一九四一、十一、五.)

しかし冬がすぎて私の星にも春がやってきたら

墓の上に蒼い芝生が生えるように

私の名前がおおわれた岡の上にも

誇らしく草が繁るでしょう。

 

posted by koinu at 14:00| 東京 ☁| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする