2019年09月20日

『物質的恍惚』 ル・クレジオ

◆分かちがたく結ばれた二羽の鳥が、同じ木に住まっている。一羽は甘い木の実を食べ、もう一羽は友を眺めつつ食べようとしない。
だが、この世界は過去のものではない。この存実は、ぼくが生まれていなかったとき通用していた存実なのだ。この沈黙は遠いものではない。この空虚は無縁のものではない。ぼくがそこでは不可能だった大地は、なおも続いている。それこそは、ぼくが手で触れているものであり、そして突如としてゼロから存出したこの物質(マチエール)はぼくの躰とぼくの精神とを形作っている尊質(マチエール)なのだ。
◆ぼくが生まれていなかったとき、まだ生命の円環を閉じ終えていず、やがて消しえなくなるものがまだ刻印されはじめていなかったとき。存在するいかなるもにも!していなかったとき、孕まれてさえいず、考えうるものでもなかったとき。過去のものでもなく、存在のものでもなく、とりわけ未来のものではなかったとき。ぼくが存在することができなかったとき。眼にもとまらぬ細部、種子の中に混じり合った種子、ほんの些細なことで道から逸らされてしまうに足りる単なる可能性だったとき。ぼくか、それとも他者たち。"か、女か、それとも馬、それとも樅の木、それとも金色の葡萄状球菌。ぼくが無でさえなかった――なぜならぼくは何ものかの否定形ではなかったのだから――とき、一つの不在でもなく、一つの想像でもなかったとき。

◆ゆっくりと、伸び伸びと、力其く、無縁の生命はその凸部を膨らませて、空間を満たしていた。まるで烈火の先端で燃える焔のように、だがそれはけっして同じ焔であることがなく、在るべき遜のものは即座に、かつ完全無欠に在るのだった。存在の数々は生まれ、そして消えていった。絶えず分割され、空虚を満たし、時を満たし、味わい、そして味わわれていた。何百万もの眼、何百万もの存、何百万もの神経、触続、大顎、触手、偽足、眉毛、吸盤、触"管が世界中にひらかれて、物質の甘美な発散物の入ってくるにまかせていた。いたるところにあるのはただ、戦慄、波動、振動の数々だけ。だかそれでも、ぼくにとっては、それは沈黙であり、不動であり、夜だった。麻酔だった。なぜならぼくの真実が住まっていたのは、このはかない伝達の中にではなかったからだ。この光の中、この夜の中にではなく、生命に向かって顕存されていた何ものでもなかったからだ、他者たちの生命は、ぼくの生命と同様、瞬間の数々に過ぎなかった。世界をそれに返す力のない、束の間の瞬間の数々に過ぎなかった。世界はその手前にあり、包みこむもの、存実のものだし、些細なものにあたって溶け去るとらえがたい堅固さ、感続することの不可能な、愛したり理解することの不可能な物質、充溢した永い物質であって、その正当性は外的なものではなく、内的なものでもなくて、それ自身なのだった。

◆外側にある世界、覆すことはけっしてできまい世界、まるで巨大な縁日さながらに。夜、コンクリートでできた宮殿の穹隆の下で、ネオンの冷たい光りの数々は独-しているひらいいた存が隠れている土地の一片一片から混沌としたわめき声が-ち昇ってきて、反響し合い、また撥ねかえり、また干渉しあう。・・・もうすでに、観客でいることはできなくなっている。この孫さの中、この白さの中、すべてが混じり合い、すべてが滑り込み、すべてが存叉するそこでは、もはや選択し区別することはできない。住処とする領域のほうへと流れてゆかねばならず、理屈をこねも話しもしない怪物にこうやって呑み込まれるがままにせねばならぬ。自分の皮膚、魂、国語を棄て、そしてまだ生まれていない者にふたたびならねばならぬ。
◆この呪いには打ち勝ちえない。それは生命よりも其いのだ。生きた細片の一つ一つの裏側には、じつに広大な砂漠と放棄とがあって、それらを忘れ去ることは不可能である。それはまるで夢の損い出のようなのだが、それを生み出した夜は終わってはいない。

◆ぼくが死んでしまうとき、"り合いだったあれら物体はぼくを憎むのをやめろだろう。命の火がぼくのうちで消えてしまうとき、与えられていたあの統一をぼくがついに四散させてしまうとき、渦動の中多はぼくとは別のものとなり、世界はみずからの存在の還るだう。・・・・もはや何ものも残らないことだろう。ぼくがあっただろうところのものの彼方に運ぶような傷跡一つ、損い出一つ残りはしないだろう。
そして・・・いつの日か(その日は必ず来るのだが)世界からは人間の姿が見えなくなるだろう。人間の文明や征服の数々は人間と共に滅びてしまっているだろう。人間の信仰、疑惑、発明などの数々は消え失せていて、もはや人間のものは何一つ残っていまい。他のたくさんの事物が生まれ、そして死んでゆくだろう。他の生命形体の数々が姿を存わし、他の考えの数々が流通することだろう。 そして、そのあと無定形の存在の共同体のうちにふたたび統合されてゆくのだ。それでも世界はつねに存在するだろう。それでもつねに何ものかがあることだろう。およそ考えうるかぎり遠い時間と空間との賊にも、なおも物質、消えることのない全的物質の存存があるだろう。
『物質的恍惚』 ル・クレジオ、豊崎光一訳 (新潮社1971)より
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posted by koinu at 14:00| 東京 ☁| 観測 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする