2019年09月20日

無限に中ぐらいのもの

★ みずからについて無知であることはつねにありうる。だがこの無知はつつましいものではない。それが大いなる幸福をもたらすことはけっしてあるまい。みずからを逃れる人々は、たぶんけっして疑いをいだくことも絶望をいだくこともあるまい。けれども彼らはまた、あの閃光のような瞬間、人がみずからを見出し、みずからのあるがままを、明らかに、きびしく、酔い心地をもって見る瞬間を持つこともけっしてあるまい。意識的であることは絶えざる闘いである。それはまた狂気への道でもありうる。けれども人間にあって精確なもののすべてを知ることには、筆舌に尽くしえない幸福がある。どこにも終結することのないこの真実、というのも相対的なものにとどまるほかはない真実だからだが、それはきっとあらゆる幸福のうちでもいちばん要求がきびしく、いちばん苦労を強いるものなのだ。人がみずからの安全を、誇りを、眠りを犠牲にすることをそれは求めてくる。みずからの平和を犠牲にすることを求めてくるのだ。
<ル・クレジオ 『物質的恍惚』より>
posted by koinu at 09:52| 東京 ☁| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする