2019年08月28日

ムッシュー・アンチピリンの宣言―ダダ宣言集 (光文社古典)

「DADAは何も意味しない」無意味のメッセージとしてのダダ運動は、この言葉を通じて熱病のように世界へと広がっていった。

1916年に第一次世界大戦を避け、チューリッヒに集まった若者たち。彼らは社会への嫌悪感、未来への不安を共有しつつ、新たな生を模索しようとした。

その一人トリスタン・ツァラはダダ運動を創始。世界中に飛び火し、今日まで人々を震撼させてきた。そのエッセンスを抜粋。

「単純さ、それは単純なのか、DADAなのか?」「おれは、自分がとても感じがいいと思うよ。(のリフレインが堪らない)」(弱い愛と苦い愛に関するダダ宣言)

《ダダは「はい」と「いいえ」が出会う一点です。もろもろの人間的な哲学のお城で厳かに出会うのではなくて、ただ単に、街角で犬やバッタと出会うように。ダダは、人生のすべてと同じくらい役に立ちません》

芸術は時代の幼年期には、祈りだった。木と石が真実だった。人間のなかに見る、月、植物、黒い闇、金属、星、魚を。宇宙の諸要素を左右対称に忍び込ませよう。変形して、形態を沸騰させよう。手は強くて、大きい。口は暗闇の力を、不可視の物質、善意、恐怖、叡智、創造、火を含んでいる。この夕べが白に齧りつくのを、僕(詩人)ほどはっきり見たひとは誰もいない。(黒人芸術に関するノート)

ダダ宣言集
ダダ評論集
ダダ詩集

「おれたちに必要なのは、力強く、まっすぐで、明確で、永遠に理解されない作品だ」

トリスタン・ツァラ

1896‐1963。ルーマニア生まれのフランスの詩人。第一次世界大戦中の1916年、スイス・チューリッヒで、言語と意味を切り離し、作家と作品を解体する反芸術運動ダダイズムを始動、現代芸術の方向を決定づける。1920年から「パリ・ダダ」の運動を主導するが、ブルトンと対立し、運動はシュルレアリスムに吸収される。その後は、芸術と社会の関わりに関心を寄せ、反ファシズム運動、反ナチ・レジスタンスに参加するが、ダダ的感性を失わずに独自の詩的言語を構築した 

塚原 史 
1949年生まれ。早稲田大学法学学術院教授。専攻はフランス現代思想と表象文化論。アヴァンギャルド(前衛)芸術から消費社会への展開に強い関心を寄せ、思考実験としての現代美術に注目する。

posted by koinu at 13:08| 東京 ☔| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする