2019年08月02日

荘子の臨終における姿勢

 荘子が危篤に陥った。臨終の床に集まった弟子たちは、立派な葬儀を出したいと願ったが、荘子はこれを拒んだ。

 「天地は私の棺桶で、日月星辰は宝器、万物は会葬者なのだ。この上何を付け加える必要があろう。このまま打ち捨ててもらいたい」

 だが、弟子たちは納得しない。

 「それでは、先生のお体が、鳥に喰われてしまいます」

 「地上に放置すれば、鳥に喰われもしよう。だが、地下深く埋葬したとて、いずれは虫の餌となるのだ。ことさら一方から取り上げておいて他方に与えるのは、不公平というものではないか。だからと言って、公平であろうとして作為を働かせても、真の公平は得られないし、自然に順応しようとして作為を働かせても、真の順応は得られない。

 己の賢をたのむ者は、知を働かせることによってかえって事物に支配されるが、聖知の所有者はただ無心に事物に順応するだけだ。賢知は所詮、聖知には及ばない。だが、この道理を知らぬ人々は、自己の判断を固執して作為を弄し、いつまでも束縛から解放されることがない。なんとも哀れではないか」

 

   『荘子』 (岸 陽子 訳)
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posted by koinu at 15:00| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする