2019年07月24日

『「カッコいい」とは何か』平野啓一郎(講談社現代新書)

「カッコいい」は1960年代に生まれた。民主主義と資本主義の世界で定着し、ポジティヴな活動を促す巨大な力となる。「しびれる」ような強烈な生理的興奮。非日常的快感──自分の趣味を顧みながら、書いた。「カッコいい」を考えることは、「いかに生きるべきか」を考えることだ。あなたの理想とする「カッコいい」に置換して読んでほしい。

詳細はこちら→ https://kcx.jp/kakkoii


◎「カッコいい」という日本語の諸説

◎生理的興奮として「しびれる」

◎表面的な評価、実質的な評価

◎Cool, Hip, Atlantic Crossing!

◎三島由紀夫、ボードレールとダンディズム

◎カッコ悪い、ダサいとは何か? ほか


本書は、「カッコいい」男、「カッコいい」女になるための具体的な指南書ではない。そうではなく、「カッコいい」という概念は、そもそも何なのかを知ることを目的としている。 

「カッコいい」は、民主主義と資本主義とが組み合わされた世界で、動員と消費に巨大な力を発揮してきた。端的に言って、「カッコいい」とは何かがわからなければ、私たちは、20世紀後半の文化現象を理解することが出来ないのである。 

誰もが、「カッコいい」とはどういうことなのかを、自明なほどによく知っている。 
ところが、複数の人間で、それじゃあ何が、また誰が「カッコいい」のかと議論し出すと、容易には合意に至らず、時にはケンカにさえなってしまう。 

一体、「カッコいい」とは、何なのか? 

私は子供の頃から、いつ誰に教えられたというわけでもなく、「カッコいい」存在に憧れてきたし、その体験は、私の人格形成に多大な影響を及ぼしている。にも拘らず、このそもそもの問いに真正面から答えてくれる本には、残念ながら、これまで出会ったことがない。 

そのことが、「私とは何か?」というアイデンティティを巡る問いに、一つの大きな穴を空けている。 

更に、自分の問題として気になるというだけでなく、21世紀を迎えた私たちの社会は、この「カッコいい」という20世紀後半を支配した価値を明確に言語化できておらず、その可能性と問題が見極められていないが故に、一種の混乱と停滞に陥っているように見えるのである。 

そんなわけで、私は、一見単純で、わかりきったことのようでありながら、極めて複雑なこの概念のために、本書を執筆することにした。これは、現代という時代を生きる人間を考える上でも、不可避の仕事と思われた。なぜなら、凡そ、「カッコいい」という価値観と無関係に生きている人間は、今日、一人もいないからである。 

「カッコいい」について考えることは、即ち、いかに生きるべきかを考えることである。 
――「はじめに」より 


【目次】 
第1章 「カッコいい」という日本語 
第2章 趣味は人それぞれか? 
第3章 「しびれる」という体感 
第4章 「カッコ悪い」ことの不安 
第5章 表面的か、実質的か 
第6章 アトランティック・クロッシング! 
第7章 ダンディズム 
第8章 「キリストに倣いて」以降 
第9章 それは「男の美学」なのか? 
第10章 「カッコいい」のこれから 

「カッコいい」を考えることは、いかに生きるべきかを考えることだ!「カッコいい」は、民主主義と資本主義とが組み合わされた世界で、動員と消費に巨大な力を発揮してきた。「カッコいい」とは何かがわからなければ、20世紀後半の文化現象を理解することは出来ない。それは、人間にポジティヴな活動を促す大きな力!

平野 啓一郎 
ひらの・けいいちろう/1975年、愛知県蒲郡市生まれ。北九州市出身。小説家。京都大学法学部卒業。1999年、在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。著書に、小説『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)『ある男』(読売文学賞受賞)、エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』などがある。 

posted by koinu at 15:00| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする