2019年07月26日

古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉抄

日本の喜劇俳優の古川ロッパ(1903年 - 1961年)が記した日記。放送作家、滝大作の監修で1987年に晶文社発行。


世の中が中々むづかしいのは、
悧巧者が居過ぎるからなら有がたいが、
実は馬鹿が多く居過ぎるためだからやりきれない。
八月二十日ふと思ふ

昭和十五年一月

一月二十二日(月曜)

 三時半から内幸町高千穂ビルのユニヴァーサル試写室で、腹話術のチャーリー・マッカシイの映画「あきれたサーカス」、まことにつまらない。たゞ腹話術の人形がよく出来てゐることだけ感心した。近くの有喜村天ぷら屋へ堀井と行く。座へ。大入満員、補助出切り。「新婚」の第一声で、すっかり鼻声なのでクサった。徳山来る。ハネると車へ乗せ、送り、まっすぐ帰宅。今夜エノケン夫妻が見物してゐた由。(井上正夫も見物してたと。)



一月二十三日(火曜)

 十二時に日本橋の偕楽園へ、川口・上森・菊田と僕の、例会。川口・上森は一時間もおくれて来る。偕楽園の料理が、今日のはパッとしなかった。座へ出る。大満員。鼻声だが昨日より楽だ。三月東宝劇場へ出ないかと本社から言って来る。一考も二考も要するので保留する。ハネると赤坂まへ川へ。今夜は、曽我廼家五郎・エノケンと僕三人の親子会。榎本と僕、五郎氏の来る迄飲まずに待つ、十一時近く迄おあづけ。その長かったこと。都から写真班来り撮る。五郎の話、僕の話の間に酔ったエノケンは対抗上体術を見せてたが、しまひに泣き出してしまった。(後記エノケン近頃泣き上戸の由)

 エノケンは、酔った揚句に、僕は映画専門にやる、もうじきに舞台はやめる、と言って泣き出した。五郎氏がヅバリと、「脚本が無いからだろ」と言ふと、うなづいてゐた。昨夜僕の芝居を見て、「兵隊では泣いたよ」と言った後で、此うなったのだから、何だか偶然でないやうな気がして、可哀さうな姿に見えた。エノケン、中々苦しんでゐる。



一月二十四日(水曜)

 十一時起き、三時に出て、下二番町へ寄る、成之兄が拓務参与官になったので、祝に商品切手持参する。それから東宝映画本社へ。森岩雄氏を訪れ、富士屋ホテル行きをすゝめる。三月東宝進出のことは、那波支配人も積極説ではないので止してスケジュール通りに運ぶことゝする。清月で天ぷら、胸やける、油がいけないのだ。座へ出る、大満員である。長尾克大尉元気な顔で来楽、佐藤邦夫も来た。小林一三氏見物で、「兵隊」熱演、げっそりくたびれる、ハネるとまっすぐ帰宅。美川きよの「女流作家」を読み上げて、不愉快。佐藤八郎の「公園三人衆」読みつゝ寝る。

 二月の映画は、もう間に合はないが、その次作品からは、今迄のやうにアチラ任せでなく、大いにこっちも註文を出し、映画のロッパも、一俳優に甘んずることなく、プロデューサーとしても、責任を持ちたいと思ふのである。



一月二十五日(木曜)

 十二時半に女房と武蔵野館へ行き、ロナルド・コールマンの「放浪の王者」を見る、西洋阪妻剣劇。暖房が無いから寒いこと/\。出ると、中村屋へ寄りコーヒーを飲む。それからもとB・Rの紅白亭の家庭料理てのを試みに行く。不味くはないが、二円半とるのは如何だらう。座へ出る、大満員である。吉屋信子女史見物来訪。「兵隊」陸軍省へ頼み、推薦して貰ふやう、小笠原章二郎が骨を折って呉れてゐる。ハネ後、吉屋・門馬両女史に、築地金楽へ招かれ、御馳走になる。キング・オブ・キングあり、快し。どうも酔っても近頃理屈ばかり言ってゝいけない。

 エノケンの酒が泣上戸、近頃の僕は、理屈上戸になり、肩のはる思ひで飲んでゐる傾向だ。これでは、ます/\労れるばかりだ。もっと、朗かな、ノンセンスな飲みが必要だ。



一月三十一日(水曜)

 箱根へ。

 十時頃眼がさめる。昨夜はディムプルを痛飲したが、流石に一流の酒である、今朝の気分快適である。二時半に迎へ来り、家を出る。行き当りバッタリの汽車に乗るつもり。丸ビルの伊東屋で原稿用紙をしこたま買ひ込む。四時二十五分の熱海行きに乗ると、増田叔母上が熱海行きで同車、小田原迄退屈しないで済む。小田原よりハイヤで、宮ノ下富士屋ホテルへ。七時を待ちかねて食堂へ。オルドヴルからとてもうまし。白葡萄酒小壜一本とり飲む。ビフテキプディングてものがうまかった。

 箱根と来れば、先づじっくりと湯に浸るのが当然だが、ホテルと来ては、そのたのしみは、まるで無い、部屋のバスか、パノラマみたいな馬鹿気た風呂か。それに、畳の無いかなしさ、ハランバヒになれない、此の辛さ。たゞ、ひとへに食ひものゝいゝことだけに、すがりついてゐるわけ。いや全く、二ついゝことは無い/\。


 箱根富士屋ホテルにて。

 富士屋ホテル――部屋の感じよろし。食事は満点。だがさて、ホテルのバスくらい悲しいものはあるまい、シャボンを使って濁った湯へドブリと浸る気持の悪さ。西洋人に迎合して、日本特有の温泉浴場を設備しない富士屋ホテルも嘲はれてあれ。(西洋行水と書いてルビ、バス)アンマが来た。ギシ/″\、ギチン/″\、寝台は鳴り通し、圧せばヘコむスプリングのおかげで、アンマの快感はゼロ。床ユカの上へ蒲団をおろし、その上で揉ませる。アンマ曰く、「安いお方じゃありませんな、金がかゝってる。」そのうち揉まれてる鼻先へプーンとアンマの屁だ。心の中で僕、「これは辛い。」

 



昭和十五年二月


二月一日(木曜)

 箱根富士屋ホテル。

 朝食の時間を逸しては大変と、八時半に起きる。食堂へ、オレンヂ・ジュース、オートミール、スクラムブルエグ、コーヒー。美味い。部屋へ帰って、窓をあけると、もう閉め方が分らない。女中呼んで閉めて貰ふ、ホテル生活は格子なき牢獄であるといふユーモア小説が書ける。又、アンマを一時間やらせ、金魚の湯てのへ入った、バスよりましだ。内田百間の「冥途」を読んでると、コン/\カーンと食事を報せる音が響いた、オルドヴル、ポタジュ、車海老フライ、鶏とヌードル、うまい、たゞこれだけで来てゐるのだからな。二時間ほど昼寝、人魚の湯へ入り、「冥途」を読み上げ、「あさくさの子供」にかゝる。夜食八時近く。ローストビーフうまし。「あさくさの子供」とてもいゝ、大感激。

 一日中、しゃべることから脱け切れない生活をしてゐる僕である。それが今日一日中に何言喋ったらうか。のど休めだ、全く。あんまり喋らないと、ひとり言を言ひたくなる気持が分った。



二月二日(金曜)

 箱根富士屋ホテル。

 寝台に入ると、何うしても眠れない。アダリンを飲む、そして漸っと眠る。これでは保養にならん。八時すぎ起きる。入浴、食堂へ、スクラムブルエグとコンビーフハッシュ。又ベッドに入り、眠った。一時迄。すぐ又食堂へ。マカロニ・メキシカン、プローンのライスカレー。理髪店に行く。剃って、シャンプーして、ついでに前のビューティパーラーでマニキュアをしてみる。やすりでゴシ/\、湯に手を浸けたり、アマ皮をこさいで除って、一円。馬鹿々々しい。窓外は雪になった。谷川徹三の「私は思ふ」にかゝり、八時近く食堂へ、トマトクリームとプラム・プディングうまし。又、ソータン小壜を三分の二ほど飲み、ほろ酔ふ。眼に悪いと思ひつゝ、「私は思ふ」をアゲると「実業人の気持」を読み始め、一時すぎた。

 どうもホテル生活はやりきれない、くゝり枕一つを畳の上へ置いて、アゴをのせて腹ん這ふ心地は、あゝ何とよきかな。洋食はうまし。されど、オミヨツケも食ひたし。



二月三日(土曜)

 箱根。

 九時に起きた、もっと寝てゐようか、いや/\食ひたい。食堂へ、オートミールとスクラムブルエグ。又ベッドへ入り、眠った。滝村から電話、森岩雄都合悪く滝村だけ来る由。金魚の湯へ入り、読書。雪、時々降る。昼食、ポタアジュうまし、ボイル・ディナーとポークソーセージ。午後は、手紙数本と葉書数枚書いた。昼寝一二時間、これじゃあ夜寝られないわけ。四時半、滝村未だ来ず、もうホテル生活は嫌だ/″\。八時近く、滝村来る。食堂へ、ソータン小壜、一本あけ、色々食べる。うまいが、もう日本食恋し。喋り喋って、夜を更かす、一時すぎ、アダリンをのむ。滝村お先へグーグー。

 葉書の一つに曰く、ひとり居て、しゃべるすべがない、腹話術の人形を持って来ればよかった。



二月四日(日曜)

 箱根――熱海。

 九時半眼がさめる。食堂へ。味噌汁と卵で飯を食ひたいなアと思ふ。とか何とか言ひつゝコンフレークス、オムレツ、チキン等平げる。「浪曲忠臣蔵」といふ企画を話す。勘定、百二十七円何銭、チップ帳場へ二十円。腹は空らないし、もう/\洋食はイヤだが、午食二時十五分頃ホテルを去り、ハイヤ。小田原で滝村と別れ、三時半頃熱海着。海岸のつるや旅館へ。待望の畳の上へ。つるや旅館すべて安っぽいが、新しいので我慢出来さう。温泉行火の設備もあり、先づ落ちついた。久々、清の顔見る。女房・おばあさん・乳母も先着、何だか嬉しい。夕食、白い刺身と玉子やきでうんと食ひ、待望のアンマ、榎本といふのがゐて、それの荒療治、清と一緒に入浴、浪の音、すべてよろし。「都」に、浜村米蔵が「五郎とロッパの名文」と題し、僕が「東宝」正月号に書いた「楽屋用いろはかるた」に及んで賞めてゐる。浜村米蔵、よほどのファンとなったらしい。



二月五日(月曜)

 熱海。

 よく寝て、十時半迄何も知らず、すぐ入湯、朝食――サービスはスロウで昼食になってしまったが、待望の味噌汁、カマボコ、肉が一皿、うまい/\。食後、宿のコーヒーをとる、わりに美味い。あゝこれこそ保養じゃ哩。アンマ榎本来り揉む、痛いがうまい、皮膚がピリ/\するよと言へば、「そいつはすみません、皮むきアンマは下の下です」と言ふ。読書「奇・珍・怪」、中々面白し。女房と海岸に出来た竹葉で食事、川口・三益が聚楽へ来てることを、小沢陸蔵にきく。小沢の経営、しるこやぼたんでしるこを食ひ、宿へ帰ってみると、東久雄が来てた、隣の隣り、そこで話し込み、ねたのは一時半。



二月六日(火曜)

 熱海。

 九時半に起きる、入浴して食事、生卵と味噌汁がうまい。脚本のことは気になるが、まだ今日はよからう。聚楽へ来てゐる川口・三益が子供―男四ツ―を連れて遊びに来た。東久雄の浅草ピン行き話から、ドサ廻りの話などきゝ皆で大笑ひする。川口、清を見て「これあ出来がいゝ/\」。緑風閣へ皆で出かける、ビール飲みながら天ぷらをウンと食ふ。美味くないが空腹なのでよろし。こっちは清を抱き、川口は男の子を抱き、二人とも平凡極まるパパの姿だった。川口が帰って、さて、床へ腹ん這って煙草、いゝ心持、あゝ休まるわいと思ふ。又清と遊ぶ、何と子供はよく親を遊ばせて呉れるものかな。

 何を好んで、富士屋ホテルなどで、不自由を忍んで何日間か居たものであらうか、成程食ひものは美味かった、が、あとは何一ついゝことは無かった、「人間食ふがためのみに生くるものにあらず」である。



二月十九日(月曜)

 今日も八時起き、東発へ行く。三国周三、沢村貞子、渡辺篤とからむ、古岡の家のセット、昼食になる、ポークチャップを食ふ。午後は、子役とからむこと二三あって、セット代り。その間、牛島通貴が、福岡の神保栄と一緒に来た、五月に九州へ来て呉れといふ話、平野に任せることゝし、夜又会ふことにして帰って貰ふ。藤田房子の父親来る、藤田が軍慰問がてらの旅をする件、許可する。赤帽の溜りのセット、九時近く迄。でも、仕事は早い、もう僕の出るとこの半分位も進んだやうな気がする。終ると銀座の新世界てふカフェーへ。平野を連れて行って、牛島・神保に紹介する。スペ・ロヤルってウイスキを持って来て呉れた。



二月二十五日(日曜)

 これだから映画は嫌ひだ、といふ日が撮影中に一日か二日は、あるものだ。今日がそれだった。九時すぎに砧へ着いたが、メイコちゃんが来てゐない、準備もまだらしい。そろ/\支度にかゝると、曇って来て、ポツ/\と雨。で、オープンはやめて、東発のセットへ入ることゝなった、その移動で手間どる。東発の部屋で、スチーム無くとても寒い中、無為に待ち、待ち、待つ。結局、七時頃から一時間半ばかりでアガリ。九時から十時間待たされてこれだけ。馬鹿々々しくて話にならん。東発は風呂も無し、クサリつゝ顔を落し、服部良一と銀座へ出て、ルパンからハイデルベルヒへ廻り、コロムビア入りの具体的な話をする。



二月二十七日(火曜)

「ロッパの駄々ッ子父ちゃん」撮影終了。

 今日で僕の出るとこはオールチョンの筈、いゝ塩梅にピーカンの好晴だ。オープンの古岡の庭の三カット、食堂で、うどんのカレー南蛮てのを食べる、熱くてうまい。入江プロの部屋へ行き、コーヒーと風月の菓子を馳走になる。永年の映画生活、此の連中はちゃーんとスタヂオの中で楽しめるやうに色々用意してゐる。四時すぎ砧はアガリ。俳優部の星野を誘って渋谷迄出て、北京亭といふ支那料理屋を教はり、夕食する。すぐ又引返して東発へ。七時半セット入り、森林をさまよふ。雨の中、コードを身体につけて提灯の電気入りを持たされビク/″\ものである、感電しさうで恐い。大難行苦行と相成り、十一時近く迄かゝって、帰宅、旅の支度とゝのへて寝る。

 とてもアガるまいと思ってた映画だったが案外や、アガっちまった。してみると、じっくり組むものは別として、此ういふ気軽なものは、十五日あれば大丈夫アガると定った。



三月一日(金曜)

 北野劇場初日。

 十時にきちんと眼がさめる、食事、まことにアッサリしてゝいゝが、もう果ない気がする、早すぎるが。興亜奉公日で、コーヒーも休み、宿の紅茶を飲む。那波氏宛、大阪の打ち日を二十五日迄として貰ひたき旨書き送る。十二時から検閲あり、座へ出る。ヴァライエティー式のものに限り、検閲官出張し、一と通り本式にやらせて検閲するのだ、馬鹿にしてる。歌や踊はいゝが、腹話術なんか馬鹿々々しくて出来やしない。今日は三時開演、序の「春風吹いて」はこゝの封切、二の「新婚」は、よく笑ふ。「兵隊」大阪でも大丈夫と定った、又新に涙を流して演った。幕切の手は東京より盛大。入り大満員。ハネが何と八時。早いから有がたいが一日のことゝて手は無し、竹川へ行き、あひ鴨のすきで食事して、雀を始めた。これが徹宵です。

 道頓堀の近くの文具屋で、カーターを二本買った。大分万年筆は、いゝのが揃ったが、此の日記をつけてゐるウォターマンは、実に得がたいもの、随分永年使ってゐるが、まだよく書ける、お代りが手に入らないと思ふと、ます/\大切だ。


三月二十日(水曜)

 今日も亦貸切マチネーで、せいが無い。座へ出る。貸切ショップガイドの客、又々皆クサる。瀬良営業係長来り、千秋楽に又貸切マチネーをたのまれる、特賞を出すことを約束させて、承認する。くたびれることだわい。昼の終りに、地下のスエヒロでビフカツとライスカレー食って、阪急百貨店へ。女房の土産ハンドバックを買ふ。特選売場で又オーストリア物のタイ一本。今日から「駄々ッ子父ちゃん」梅田映画で封切なので入ってみる、よく入ってゐた。夜の部、大満員。今夜はもう飲むのも面倒、フロントクラブへ行き、食事して、十二時に宿へ帰り、すぐねる。



三月二十四日(日曜)

 荷造りをしようと思ってるのでキチンと起きる。昨日神戸で買った靴の中へ、土産物をつめ込む。昨夜、サムボア他でマッチを何百個と貰って来た、これは受けるであらう。座へ出る。昼、大満員。李香蘭が見物してる。千恵蔵が「兵隊」を見たいと来る。昼終り、四月の宣伝写真撮影があり、「ロッパと将軍」の二役を、数枚撮る。親爺の方支那将軍の姿、如何にもグロで嫌だった。夜も大満員、「大統領!」「ロッパ」等のかけ声あり、それが間のびしてるのでクサる。ハネて、今夜は特別出演連の小笠原・稲葉と、悦ちゃんのお父さんをよぶ、新町吉田屋。あひ鴨のすきは、うまかったが、芸妓ひどいウンスヰばかりなのでクサリ、一時前帰る。


三月二十六日(火曜)

 大阪――神戸――帰京。

 清が太い声で大人みたいなので弱ったと思ってたら夢、でよかった。大阪を去る朝、九時半起き、阪急で神戸へ。アルプス・グリルといふのへ行く、安くてうまい定食。トア・ロードへ出て、清の玩具と小さなベレエを買ひ、元町のサノヘで又ネクタイを一つ買っちまった。時間があるので阪急会館で「駄々ッ子父ちゃん」を一と通り見た、受けてはゐるが、入りは大したことはなかった。五時半に、海岸通りのオリエンタル・ホテルへ。オリエンタルクラブの家庭会の余興である。漫談と腹話術と二度出て、間に久米等のダンス。ひどい客、子供ばかりでビー/″\言はれ、大クサリ。終って九時五分、三ノ宮発の一・二等特急で帰京の途につく。吉岡社長、隣の寝台。 


 

四月一日(月曜)

 有楽座初日。

 初日、興亜奉公日の三時開き。座へ着くと、満員で客止め。序の「春風百貨店」は三十分でアガり、次「東京温泉」何せ長い、二時間以上かゝった。プロムプターが不馴れなので、随分穴も明いた。菊田が荒れ出して、どなるやら高杉を一つ喰はすやら。でも、これはよく受けた。「芝浜」は、相手の三益のセリフが、まるで入ってゐないので、やりにくゝ、幕切れに緞帳が下りないで暗転といふ醜態を演じたり、山野が脱線して、馬鹿なこと言ったりしたが、これも先ず受けてはゐる。こゝ迄はよかったが、稽古不足の欠点を完全にバクロしたのは「ロッパと将軍」だ、エラー続出で、すっかりしょげてしまった。十時に終らせるため、ラストのヴァラは抜き。明日二時に稽古のやり直しといふことに定めて帰宅。

 エイプリルフールなんてものが、まるでピンと来ない時世になった。そんなことしても可笑しくもない、中々此ういふ時世の喜劇は、むづかしい。



四月十三日(土曜)

 覆面して、股間にはふんどしを二つ、一つ股に一つ宛締めて、薬をつけて寝る。一時に寝て、十時迄。鏡を見るとがっかりする、まだよくならない。気持が悪いが、ヒゲ剃もやめる。皮がつっぱって痛いので食事も美味くない。左の眼蓋にトビゝして、これが痛むので気が重い。病気てものをしたことのない僕、とても参ってしまふ。四時すぎ、すしなど食って、出かける。入りは、今夜は土曜のことゝて大満員なり。人に顔見られるのが嫌だ、顔を撫でゝザラ/″\する触感は、ゾッとする。芝居が何うしても身が入らない。「東京温泉」のみ、いくらかよし。ハネると今夜もまっすぐ帰宅、元気なし、又、女房に薬を塗って貰ひ、覆面して寝る。



四月二十九日(月曜)

 有楽座千秋楽。

 九時頃眼がさめる、入浴、顔はすっかりいゝ。十二時家を出て座へ。小笠原兄弟・悦ちゃん・稲葉に林寛・斉藤紫香等今日は色々な人の来る日。エノケンに脚本書いてやる話をしたのが、実現しさうになって来た、此の休み中に書いてやらうか。屋井が、喜多村緑郎筆の「ロッパと兵隊を見てうまいと思ひながらあるく冬の夜の街」といふのを表装させて呉れて持参。夜の「東京温泉」終ると、照明室から「ロッパと将軍」を見物、渡辺篤の大熱演面白し。ハネて、服部哲雄、ジョン・ヘイグ一本持参、九段へ行く。

四月興行技芸賞

○屋井賞

杉山彪(四の兵卒)

○H賞

原秀子(二の小女)

吉岡勇(四の番兵)

○ロッパ賞

高杉妙子(二の春子) 技芸進境著し

竹村千左子(二の仕出し) 此ウイフ役ヲ生カシタコトハ賞メラレテイゝ

藤リエ子(二の夕刊売) 毎度変ラヌ努力ヲ



四月三十日(火曜)

 熱海へ。

 十一時に出ると、順天堂へ。眼科へ寄る、「ホースヰ蒸気を」と言ふので何かと思ったら眼へ吸入をかけるのだった。皮膚科へ寄り、いろ/\薬を貰って、こゝで京極と会ひ、東拓ビルのコロムビア本社へ、入社の話を定める、五月八日に正式調印することにした。それからプレイガイドへ行って、七日の切符三枚買ふ。風月堂迄戻り、食事して、四時四十分の豊橋行で熱海へ向った。二等は空いてたが三等の客があふれ込んでクサった。田中栄三著「映画俳優読本」読みつゝ。七時頃熱海着。つるやへ。女房・清・荒井と、橘弘一路夫妻が先着。いゝ塩梅に別館三階のいゝ室あり。夜食牛鍋。それから二夫婦で一荘、珍しく大三元を荘家でやる。




五月六日(月曜)

 十時に家を出て、海上ビルの東和商事へ、「フロウ氏の犯罪」といふフランス物を座員のために試写して貰ふ。まあ見てゝ倦きさせない。終って、東京会館でポタアジュと二皿食って、一時に稽古場へ入る、帝劇三階。「蛇姫様」を立つ。義太夫の人も来て、劇中劇野崎村、こいつ中々の難物、団福郎が師匠役で、一々立って演って貰ふ。五時半頃出て、明治座へかけつけたら、何とお目当の湯島が終るところだ、クサった。今回は「婦系図」の通しだが、中幕に「団欒」なんてヘンなのをやるので大走りらしいのだ。その中幕の間は、楽屋へ、喜多村氏のとこと、梅島のとこへ行ってた。同行の橘夫妻を送って帰宅。



七月二十八日(日曜)

 十一時に出かけ、四谷の綱島眼鏡屋へ寄る、京極の紹介でクルックスA2といふ前掛の眼鏡を注文。中泉眼科へ寄り十二時すぎ座へ出る。今日はマチネー、ところが惨タンたる光景、入り六分強位で、空席沢山、がっかりする。昼終り、古賀氏に誘はれ、京橋近くの花家てふうちへ、白米を食はせるといふので行ったが、時間がなく、ろくに食へず、座へ帰る、夜も七分弱位の入り、クサる。滝村より電報で、渡辺篤を借りること断念す、藤原釜足はロケ延引して駄目とのこと、京都は、すっかり藤原で宣伝してゐるので、これ又クサリ。ハネて、古賀政男と赤坂へ。西条氏の詩未着。



九月十四日(土曜)

 朝食して、神保町へ。東京堂書店で山田伸吉と待ち合せ、文房堂へ寄り、水彩絵具を一式揃へて呉れと註文しといて、二人で上野の二科展を見に行く。中々面白いのもあるが、ひどいのもある。阿部金剛、藤田嗣治のはよかった。此ういふものを見るのも何年振りだらう。車を浅草へ飛ばし、浅草楽天地を一寸のぞき、浩養軒で夕食三皿ばかり食べて、四時に文房堂へ引返し、水彩用具一式三十七円ばかりで買って丸の内へ。今日も渡辺休演。土曜のことゝて補助の出る満員だが、どうも客が力が無い、しめってる。時世のためであらう、気の毒だ。「歌へば」日ベンをサトウが代るので気分めちゃ/\だ。ハネてまっすぐ帰宅、夜食。絵具箱を拡げて喜ぶ。


十月二十三日(水曜)

(ノートをたよりに逆に日記の整理をして来たが〔十一月二日〕記憶がぼけてゐるのと、ノートも、わけの分らぬことが書いてあったりして、頼りない。明二十四日の頁に、上森が来て呉れ、そして即日帰京したやうに書いたが、実は二十三日に、大阪の林正之助と来り、一日泊りて翌日帰ったものらしい。以下、二十三日のノートのみそのまゝうつして置く。)

 ノート一、

 此うしてゐると不思議なことは、腹が立たぬことだ、兎に角のんびりしてることだ。

 ノート二、

 いけません、まだうまいものは一切いかんです、と夢声が言ってるやうだ。

 ノート三、

 ふと「おしゃく」の時「見えた/\よ松原ごしに」と、軍人が小原節を踊るところで、眼の上へたゞ手をかざしたが、これは望遠鏡で見る形をすればよかったのにな。

 午前九時七度九分。千葉吉造氏来る、新聞見ない方がいゝと言った。上森が大阪の林と来た。夜、京極高鋭現はる。自分の手相が、ガラリと変ってるのに驚く。


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 十一月五日

上森子鉄 橘弘一路

 六日

加藤成之 京極鋭五 加藤常子 友田純一郎 菊田一夫 屋井宏之 坪内士行 森岩雄 山田伸吉 増田七郎 近藤光之 上沼健衛 中村メイコ 長谷川一夫



十一月七日(木曜)

 何となく疲れてゐる。昨日手紙を書き過ぎたのと外出が応へたか。何とヤワな身体となったものだ。嘉納健治氏令嬢見舞、先生より見舞金百円。手紙七通書く。九日退院だ、九日の中座の新派の切符、十日の文楽と買はせる。入浴。「夢ありし日」を読み上げ「レベッカ」にかゝる、翻訳物は「少女シリア」でこりたが、これは少し面白さうだ。ビクターの青砥道雄、高橋兄貴来る。夕食は久しぶりで飯が出た、鯛のさしみとしたし等、飯を丼に一杯食った。夜、加藤弘三夫妻、近藤泰来る。泰は銀行づとめの愚痴をこぼして十時頃迄居た。さて寝よう。今日の回診、京大の真下先生といふ人の診察だった。夜、目方計ると、十九貫一寸に復活してゐた。

 発信控

沢田由己 水の江滝子 阿部玉枝 山根寿子 寺木定芳 月野宮子 斎藤豊吉


十一月八日(金曜)

 午前中は「レベッカ」を読み、又手紙を数通書いた。昼頃平野が来た、昨日京都の今井さんの払ひをして来て貰った、二百七十円ばかり、それから此の病院の先生方に百円宛二人礼をする、その他中々ものいりである。此の患ひで二千円ばかり飛ぶ。命拾ひをしたのなら安いものだ。一時半にタクシーをよび、礼廻りに平野と。松竹本社の千葉吉造氏のとこ、これが朝鮮出張中、吉本の林正之助氏へ行くと上京中、ガスビルの永田氏のとこへ行ったら留守、三ヶ所ともフラれた。病院へ戻ると入浴、「レベッカ」上巻読了、「少女シリア」よりよほど面白かった。夕食、パン、空腹にまづいものなし。夜、女房使ひに出る、手紙数通書く。小穴隆一の「鯨のお詣り」読み出す、新大阪の近藤が一寸酔って来り、ごちさうを置いて帰った。さあ明日は退院なり。

 僕の入院した時の顔色、目の具合が看護婦連の目から、「やれお気の毒な、もうあの人も駄目だな」と見えたさうだ。大てい此の予感は当るのださうで、意外に早く治ったので皆驚いてゐるのださうだ。

 発信控

小国英雄 滝村和男 三益愛子 川村秀治 伊藤松雄 正岡容 太田一平 山野一郎 上山雅輔 中野実 渡辺篤 サトウロクロー 大庭六郎 石村宇三郎


十一月二十七日(水曜)

「都」の日色・写真の寺岡二人も起き出でゝ、一緒に朝食。食後、「都」の写真、清を抱いてるとこ、絵を描いてるとこなど撮す。明日熱海俵別荘へ引越の筈だが、そっちから電話で温泉が節電のため時間制となったとのことで、大がっかり。女房と清は寺岡写真君と海岸へ下りて盛に撮して貰ふ。十二時すぎ、日色・寺岡とでワニ園へ行き撮影し、町の方へ、箱根グリルの二階で、お定食、三時近く両名帰京、一人で熱海宝塚劇場へ「燃ゆる大空」二時間近く見てると眼が疲れたので出る。電話で打合せ、熱海ホテルで母上・女房・清と落合ひ、寒々としたホールで六時迄待ち、食事。貧弱なメニューだが、デザートの甘いスフレがとても美味かった。食後すぐ帰宿。清、大いに歩く。今日より大分寒いので蠅が全くゐない。久しぶりで湯滝に当る。

 母上が清の守をして下さる、ふと口づさまれる歌が面白かった。


おけらの虫は

うじゃこい虫で

雨さへふれば

もぢゃ/″\/″\

といふのである。



十二月二十四日(火曜)

 十一時に東映本社。白井鉄造と李香蘭に逢ふ。森氏に京極のこと話す。平野迎へに来り、ニットー紅茶へ寄って話さうとするが満員、ホテ・グリが又満員、此ういふところの満員さ加減、未曽有である。世間の景気、よっぽどいゝのか。一時稽古場へ。五時半に、清水荘平が迎への車をよこすといふので、待つ。葭町の百尺へ。清水盛に吹くので中々話がむづかしい。料理は量が不足だし、うまくない。昨夜の志保原がよっぽどよかった。芸妓も料理屋も馬鹿な急しさで、てんで落ち着かない。十時頃か、切り上げて帰宅。稽古場へ南部僑一郎・鈴木桂介来る、お歳暮やる。


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「古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉新装版」

晶文社。1934年1月1日から死の直前の1960年12月25日までの記述が収載。内容は自身の日常生活、美食の記録、映画や演劇、読書の感想、時勢に対する批判など多くの事柄を細かく記して、昭和戦前期から戦後にかけての時代風俗を知る貴重な記録。

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