笑いが武器だった時代には、人は敵を作るか憎まれるかする危険を冒さずには、うかつに笑えなかった。だが、笑いが労働エネルギーの再生産に役立つことがわかり出すと、笑わずにはいられなくなる。そこで百方手をつくして、あたりさわりのない笑いの対象を物色した。
笑ったために敵にまわす気づかいのない相手に動物があった。動物笑話がそうして生まれた。それでも足りなくて、笑うべき架空の人物をさがし求めた。そのヤリ玉にあがったのが、昔話の人物である。
そこで死や困難や苦痛や失敗や悲嘆に直面した日本人は、笑うべからざる時に笑顔をつくる/理由がわかってくる。死や困難や苦痛や失敗や悲嘆は、いずれも目にみえない「敵」である。
古代人の感覚では、悪霊や死霊の襲撃にほかならない。この「敵」に対して現代の日本人も、無/意識に「防禦の武器」を面上に用意して、本能的に抵抗の姿勢を示すのである。
『日本人の笑い』 宇井無愁(角川選書)より