2019年07月07日

この声は私を不幸にする

あたりが静かになると妙な音が聞こえる。

 非常に調子の高い、ニイニイ蝉ぜみの声のような連続的な音が一つ、それから、油蝉の声のような断続する音と、もう一つ、チッチッと一秒に二回ぐらいずつ繰り返される鋭い音と、この三つの音が重なり合って絶え間なく聞こえる。

 頸を左右にねじ向けても同じように聞こえ、耳をふさいでも同じように聞こえる。

 これは「耳の中の声」である。

 平生は、この声に対して無感覚になっているが、どうかして、これが聞こえだすと、聞くまいと思うほど、かえって高く聞こえて来る。

 この声は、何を私に物語っているのか、考えてもそれは永久にわかりそうもない。

 しかし、この声は私を不幸にする。

 もし、幾日も続けてこの声を聞いていたら、私はおしまいには気が狂ってしまって、自分で自分の両耳をえぐり取ってしまいたくなるかもしれない。

 しあわせなことには、わずらわしい生活の日課が、この悲運から私を救い出してくれる。

 同じようなことが私の「心の中の声」についても言われるようである。


(寺田寅彦「柿の種」岩波文庫)より

posted by koinu at 09:26| 東京 ☔| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする