2019年07月01日

「死んだ男」 鮎川信夫

たとえば霧や 

あらゆる階段の跫音のなかから、 

遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。 

−−これがすべての始まりである。

遠い昨日…… 

ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、 

ゆがんだ顔をもてあましたり 

手紙の封筒を裏返すようなことがあった。 

「実際は、影も、形もない?」 

−−死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった

Mよ、昨日のひややかな青空が 

剃刀の刃にいつまでも残っているね。 

だがぼくは、何時何処で 

きみを見失ったのか忘れてしまったよ。 

短かかった黄金時代−− 

活字の置き換えや神様ごっこ−− 

「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、 

「淋しさの中に落葉がふる」 

その声は人影へ、そして街へ、 

黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

埋葬の日は、言葉もなく 

立会う者もなかった、 

憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。 

空にむかって眼をあげ 

きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。 

「さよなら。太陽も海も信ずるに足りない」 

Mよ、地下に眠るMよ、 

きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 

(『鮎川信夫全詩集』1965・荒地出版社刊より)


昨日掲載した幽霊船長が若い頃に、同人誌に書いた詩である。Mという人物が昭和に読んだ時と、令和の今においては意味すること存在感が変わって受け留められるポエム作品。

posted by koinu at 09:00| 東京 ☔| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする