2019年04月19日

M.デ・セルバンテスの短編小説を読む

セルバンテス短篇集 (岩波文庫)

長編小説『ドン・キホーテ』の作者(1547‐1616)が短篇作家であるのを如実にあかす傑作集。

『やきもちやきのエストレマドゥーラ人』『愚かな物好きの話』『ガラスの学士』『麗しき皿洗い娘』の四編訳出。


『やきもちやきのエストレマドゥーラ人』金持ちの老人と結婚した十代の美女が、召使と豪奢な邸宅で暮らしていた。遮断された家をつくり、妻が人目に触れぬよう閉じ篭って生活してるのを、街の若い遊び人が目を付ける。若い音楽家がそこに忍び込もうと、門番である召使に音楽を教えたりして、機嫌をとって妻をはじめ一家全体を巻き込む。

『愚かな物好きの話』親友に頼んで美しき妻の貞淑を試そうとする。固い絆で結ばれている筈の片方が、妻の貞操を確かめたくて、友人に自分の妻に言い寄ってくれと頼む。友人は最初は適当にお茶を濁すが、次第に真剣になってしまった。「愚かな」と形容詞が題名のとおり、作者は妻をためす男を馬鹿にして、喜劇でもあり悲劇でもある。

『ガラスの学士』女から盛られた媚薬の副作用で、自分の体はガラスでできていると思いこむ主人公。「彼のこのおかしな幻覚から救い出してやろうと、多くの者が、相手の叫び声や懇願などものともせず、彼にとびかかって抱きしめ、ほらよく見るがいい、べつに壊れはしないじゃないかと説得してみたが、そうした努力も結局はすべて水泡に帰した。抱きつかれた学士は、けたたましい金切り声をあげながら地面に身を投げ出すと、そのまま失神してしまい、ほとんど四時間もしなければ正気に戻らなかったし、おまけに正気に戻れば、またぞろ、頼むから近寄らないでくれという例の嘆願を繰り返したからである。そして彼は、近寄らずに遠くからであれば、なんなりと好きなことを質問してもらいたい、自分はガラスの人間であって肉体をそなえた人間ではないから、どんな質問に対しても、より思慮深い返答を与えられるはずだ、なんとなれば、ガラスというのは繊細にして緻密な物質ゆえ、それに包まれた精神が、重苦しくも俗臭紛々たる肉体に包まれたそれより機敏に、しかも的確にはたらくのは明らかなのだから、などと口走った。
 すると、彼の言うことが本当かどうか試してみようとする者も現われて、多くの難問をやつぎはやに吹っかけたが、彼はいささかもとどこおることなく、明快な答えを並べて、驚くべき才知のひらめきを見せつけるのであった。」
学才はあるのに狂乱した学士の問答がナンセンスである。学校の成績は良いのだが、社会的には狂気クレージー丸出しの生き方をする、アタマの頭痛がイタイ男もいるという逸話。

『麗しき皿洗いの娘』放浪生活に憧れて家出する良家の若者。ある街で宿屋で仕える有名な美女に惹かれて、皿洗いの住む込みをする。物語が終わりでは、麗しい娘の正体、生い立ちそして若者との関係が明らかに。古典的な神話や民話などにあるモチーフを現代風にアレンジして、組み合わせて独自のものに昇華させているのはブルースとロックの関係に限りなく近い。

セルバンテス短篇集/ミゲル・デ・セルバンテス(岩波文庫)

https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b270591.html

これらの阿呆らしいキャラクターたちは、長編小説『ドン・キホーテ』の数々のエピソードへつながっているようにも読める。中世にあった物語とするのではなくて、人間本質の普遍的要素と捉えても興味深い。そして誰もが多分に近親者たちにも思い当たる事象から、カルカチュアして現実世界を味わえる春の読書となるだろう。

「頭よ頭、泣くんじゃないの

気をしっかり持って、明るくするのよ

その二つの支えがあってこそ

忍耐にも効き目があるのだから!


希望がなくなるわけじゃないのよ

頭痛がひどくなって

もっと苦しくなったとしても

悲しみのあまりに

何ごとも考えすぎはいけないわ

空想なんてもってのほかよ」 

《頭よ頭、泣くんじゃないの》(プレショーザの頭痛の金言)スペイン歌曲集_世俗歌曲集より


『模範小説集』 M.デ・セルバンテス 著 牛島 信明 訳(国書刊行会)

「ジプシー娘」「犬の会話」「偽装結婚」「リンコネーテとコルタディーリョ」「やきもちやきのエストレマドゥーラ人」「ガラスの学士」「麗しき皿洗い娘」「血の呼び声」の8篇を画期的な新訳収録。


posted by koinu at 10:31| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする