2019年02月05日

「素描画家アルフレート・クービン」 

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Alfred Kubin(1877-1959). ボヘミアのリトムニェジツェ(Litoměřice)生まれ。幻想絵画家。

https://youtu.be/nGcttGwyXWw

「最近になってやっと、ぼくは、ぼくの内にあって適切な形を得ようとしているものが、精神的な中間領域――すなわち薄明の世界であることが、すこしく明瞭にわかるようになった。ぼくが創ったものは、すべて、この半陰陽の薄明領域の烙印をもっている。しかし、ぼくは、それらがどのくらい深くその根を日常生活に沈めているか、言うことはできない。明らかに動揺している特別な瞬間に、ぼくは、あたかも地下のどこかに、あらゆる生命を互いに結合させる神秘的な液体が流れるかのような、ある予感に襲われる。」

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アルフレート・クービン(Alfred Kubin)オーストリアの表現主義・幻想画家

http://ameblo.jp/ssatoloux-1987/entry-10368946953.html

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『失楽園測量地図』種村季弘

おお 季節よ 城よ

無疵なこころが何処にある?

 ――A・ラムボオ 

 画家が詩や小説を書き、文学者が絵を描くことは、必ずしも珍しくはない。それがたんなる知的スノビズムやディレッタンティズムであればさして問題はない。気晴らしの余技はいうまでもなく、大方、本来の仕事の方もつまらないにきまっているからである。しかしカフカやゴーゴリが原稿の余白に引っ掻いた(クリツツエルン)夢魔的なデッサンや、ピカソやキリコの自動記述テキストとなると、本来の仕事の補足的資料という以上の発見的照明の一光源となりはしまいか。ハンス・アルプの場合はどうか。彼は具体芸術の彫刻家だろうか。それとも二十世紀最高のナンセンス詩人だろうか。ヴィクトル・ユゴーの超現実的絵画、シュティフタ―やストリンドベルヒの特異な風景画は、ほとんどそれ自体として賞玩にたえる。ウィリアム・ブレイクは? ディーノ・ブッツァーティは? 後者は幻想小説家、形而上絵画の画家であるだけではなく、両者の交点でエロティック・コミックスを描いてさえいる。

 さてしからば、アルフレッド・クービンは一体どんな水陸両棲的動物であろうか。彼はまず挿絵画家であり、ポオ、ホフマン、ハウフ、ジャン・パウル、クライスト、ネルヴァル、フローベール、バルザック、ドストエフスキー、カフカ、トラ―クルの挿絵を描いた。同時にしかし、凄惨な自叙伝『わが生涯より』をはじめとする晩年の数編の散文作品を書いた文章家であり、生涯に唯一冊であるが謎めいた幻想小説『対極』(原題はDie andere Seite、「もう一つの側」の意)を公にした小説家でもある。両棲的双極性はクービンの生涯のいたるところに及んでいる。たとえば彼は、みずからを「芸術家であるとともに憂鬱家、見者」であると感じていた。生涯を二分すれば、前半生は二度にわたるバルカン旅行をふくむ精力的旅行家であったが、一九〇六年を境として愛妻とともにヴェルンシュタイン近郊ツヴィツクレート城に隠遁してからは、外界とのあらゆる交通を遮断して、さながら生けるがまま葬られた人のようにひたすらデッサンを描くのみの、五十余年に及ぶ絶対の隠遁生活に入った。問題はこの双面性があらゆる可能性を渉猟して行くところ可ならざるなき力の過剰の所産であるか、あるいはむしろ、本来一体であるはずのものが力の欠如もしくは弱さの相の下に二つに分裂してあらわれたかである。あきらかにクービンは後者の場合に属する。天上と地上、生と死とを巨大な幻視力によって一跨ぎにしたように、詩と絵画の境界をも巨人的に跨ぎ越したブレイクの活力は、世紀転回期に遭遇したクービンにはすでにないのである。事実、批評家たちはたえず彼の欠乏を指摘してきた。そして欠乏においてすら彼は双面的である。すなわち、絵画的には「あまりにも文学的」であり、「彼のデッサンはあまりにも未熟で、とうてい幻想を表現すべき手段(てだて)をもたない」(『ベルリーナ・ターゲブラット』紙個展評)。「彼の散文はそのデッサンと同じ精神の所産であって、同じ長所と同じ弱点をもっている。すなわち、雰囲気の未曾有の濃密さにくらべて登場人物の心理的性格造型が希薄なのだ」(ウィーラント・シュミート)

 古拙な未熟さなしには表現されない幻想が存在するのだという、プリミティヴ絵画以後自明となった認識がのっけから忌避されている点を除けば、右の表現はおおむね正しい。そうはいっても、それがただちにクービン論のポイントにもなりはしない。絵画の文学性は世紀末画家通有の特性であり、濃密な雰囲気描写と性格造型の希薄さをいうなら、ポオ以降の一連の作家たちは意図的にそれを目指してきたとも考えられて、いずれも特にクービン固有の弱点でも長所でもないからである。

 一般に、ひとりの作家を既に概括の終わった時代様式から定義して事足れりとするほど味気ない話はあるまい。時代精神の拘束を免れえた作家はないとしても、一人の作家を形成しているのは彼が属していた共同体(もしくはその不在)や一回限りの個人的体験やの宿命でもある。その意味では、ストリンドベルヒ風の告白文学『わが生涯より』は、とりわけ彼の個人体験をうかがう意味では重要な作品であろう。そこに描かれている幼年時以来の酸鼻をきわめた相次ぐ近親者の死(実母、継母、婚約者、父)は、後年、スキンシップそのものに濃厚な死臭のたちこめていたこの画家が、くり返し胎児をはらむ骸骨の女を描いた消息を如実に説明してくれる。ク−ビンにとっては、死は生を孕み、生は死を懐胎していた。無力な少年クービンを襲った圧倒的な死は、恐ろしい父性、気まぐれな専制君主、巨大な偶像の相貌を帯びていたに違いない。同時に愛する故人の死は死者追慕の情を喚起する。こうして死は父性恐怖として外界から夢魔的に彼にのしかかる強迫となり、同時に母性思慕となって内部にかすかに甘美な熟れた香を放って懐胎されるであろう。『わが生涯より』を貫通しているのは、このイローニッシュな死の想念のドラマである。

『海』1971年3月号「クビーン特集」の種村季弘「失楽園測量地図」。クビーンの『対極』(裏面)出版に壮大なカカーニエン(ハンガリー・オーストリア帝国)文学論。クビーン特集は種村先生の「主導」でこの論文載せるための特集だった。


「没落のパラダイス――アルフレッド・クービン」

「苦悩はあまりにも深かった。もしも詩人オスカー・A・H・シュミッツの妹ヘトウィッヒが出現していなければ、失意と不安のうちに確実に衰弱死するか、それとも狂気の闇に陥っていたかであろう。翌年二人は結婚し、南フランスとイタリア、パリとウィーンへの旅行がはじまる。外界とクービンの間にやや幸福な均衡が保たれた、それが唯一の数年であった。以後、一九〇六年に手に入れたヴェルンシュタイン近郊のツヴィックレート城にヘトウィッヒと隠棲してからというもの、クービンはあらゆる外界との交通を絶って、数人の芸術家との手紙のやりとりと数回のバルカン旅行を除いては、さながら生きながら自らを埋葬したもののように、描くことによって、ひたすら描くことによってしか生きなかった。」


「おそらくクービンにおけるこの世界逃避の意味をもっともよく理解していたのは、『日記』(一九一五年)に次のように書いたパウル・クレーであった。クレーはこの不安と死の夢魔的世界への孤立が、同時に無際限の現実破壊に通じている消息をさえ、正確に見抜いている。「かれは生理的に耐えられなくなって、この世を逃れた。しかし、かれの逃避は中途半端に終り、結晶したものを憧憬しながらも、現象界の泥濘に足をとられた。かれの芸術によれば、この世界とは毒そのものであり、破滅であった。だが、クービンには才能があった。破壊することにかけては、頭の先からつま先まで生気に溢れていた」(南原実訳)」

種村季弘「没落のパラダイス――アルフレッド・クービン」より

posted by koinu at 15:00| 東京 ☁| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする