山中智恵子の全歌集の下巻にある第10歌集『喝食天』(1988)。作者の年齢六十代前半、782首が収められた歌集『星醒記』『星肆』『神末』にわたって夫の挽歌を詠い、次の『喝食天』では自身からの意志的な物語の情熱が激しく噴出させている。
〈青とはなにか〉この問のため失ひし半身と思ふ空の深みに
一寸の青をもとめて行きたりし遠からずわが青に死なむを
寂寥を蜜蜂の巣にかへせとぞ巣を編むものの叫びゆきたり
見ることは問ふことなれば秋の野の一輪の花流れゆくはや
鳥問ひつめる眸のごとくありにしをジャコメッティとなづけしひとや
樹液こそにあふれ泪なすとクレーはいひきこの春の夜の夢
言葉は物より旅立ちゆくかふと秋のふかまるときの感情にして
物が意味の形をとりて歌となるひびきのごとき秋に在りたり
山中智恵子『喝食天』より
山中 智恵子(やまなか ちえこ、1925年5月4日 - 2006年3月9日)
歌人。愛知県名古屋市出身。三重県鈴鹿市に居住した。京都女子専門学校(現・京都女子大学)卒業。21歳のとき「日本歌人」に入会し、前川佐美雄 に師事。深い古典教養と幻想性を混交させた作風から「現代の巫女」とも評された。女流における前衛歌人の代表的存在である。斎宮の研究でも知られる。
1956年、第1回日本歌人賞を受賞。1978年、『青章』で第3回現代短歌女流賞を受賞。1984年、「星物語」(歌集『星醒記』に収録)で第20回短歌研究賞を受賞。1985年、『星肆』で第19回迢空賞を受賞。2005年、『玲瓏之記』で第3回前川佐美雄賞を受賞。