2018年12月03日

西東三鬼『神戸』『続・神戸』全話掲載

 それは奇妙なホテルであった。

 神戸の中央、山から海ヘー直線に下りるトーアロード(その頃の外国語排斥から東亜道路と呼ばれてゐた)の中途に、芝居の建物のやうに朱色に塗られたそのホテルがあった。

 私はその後、空襲が始まるまで、そのホテルの長期滞在であったが、同宿の人々も、根が生へたやうにそのホテルに居据わつてゐた。彼、或ひは彼女等の国籍は、日本が十二人、白系ロシヤ女一人、トルコタタール夫婦一組、エヂプト男一人、台湾男一人、朝鮮女一人であった。十二人の日本人の中、男は私の他に中年の病院長が一人で、あとの十人はバーのマダムか、そこに働いてゐる女であった。彼女等は、停泊中の、ドイツの潜水艦や貨物船の乗組員、か持ち込んで来る、耀詰や黒パソを食って生きてゐた。しかし、そのホテルに下宿してゐる女達は、ホテルの自分の部屋に男を連れ込む事は絶対にしなかった。さういふ事は「だらしがない」といぱれ、仲間の軽蔑を買ふからである。

 その頃の私は商人であった。しかし、同宿の人達は、外人までが(ドイツの水兵達も)私を「センセイ」と呼んでゐた。(何故、彼等がさういふ言葉で私を呼ぶやうになったかについては、この物語の第何話かで明らかになる。)


西東三鬼『神戸』全話掲載

《俳句・昭和31年6月号》連載終了

西東 三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月15日 - 1962年(昭和37年)4月1 日)岡山県出身の俳人。

日本歯科医専卒。本名、斎藤敬直。新興俳句運動の中心となるが、京大俳句事件で検挙。戦後「天狼」「断崖」を創刊。句集「夜の桃」、随筆集「神戸」「続神戸」など。


『続神戸』西東三鬼 

 かつて私は綜合俳誌「俳句」に、「神戸」十話を連載した。
 それは昭和十七年から昭和二十一年まで、神戸で過した間の挿話である。
「神戸」に登場した人々は、内外人すべて善人ばかりで、同時に戦争中の「非常時態勢」に最も遠い人達である。
私も亦、彼等と共に、自由こそ最高の生甲斐と考えていたので、彼等の生き方に深い興味を持った。
「神戸」は意外に多くの愛読者を得た。映画化の話ももたらされた。さて、本誌編集長は、いまや「神戸」続編を強要してやまない。
しかし、「神戸十話」を書きしるした時と、現在とでは、私の住居、境遇にも大きな変化があり、加うるに老頻、ペンの泉も涸れ果てた。
再びの無頼文章が、読者の一顧を得られようとは思われないが、幸いにして「からきこの世」の一微笑ともなればと、恥多き愚談を綴るのである。
内容は前編と同じく全く虚構を避けた。さればゆめゆめ、誓子先生のごとく、眉に唾を附け給うことなかれ。

西東三鬼『続神戸』全話掲載
posted by koinu at 16:41| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする