2017年06月13日

チャーリー・パットン(Charley Patton, 1891年 - 1934年)

デルタ・ブルースのギタリスト、シンガー。通称「デルタの声」。デルタ・ブルースを形作った一人であり、それを世に知らしめた第一人者。

1891年(1887年、または1894年の説あり)、ミシシッピ州ハインズ郡のエドワーズ近郊に十二人兄弟の一人として産まれる。家族は当時ジャクソンとヴィックスバーグの間にある農場で物納小作人(en)として働いていた。

1897年、家族は100マイル北のドッカリープランテーションへと移住。綿花の摘み取り等の仕事に従事した。
チャーリーは厳格な父の目を盗んではパーティーや盛り場へ出かけ、チャットマン一家(ミシシッピ・シークス)と共に演奏を繰り広げたり、その地に住んでいたギタリスト、ヘンリー・スローン(1918年、シカゴに移住)にギターを学んだりしながら、腕を上げていった。頻繁に演奏を共にしたミュージシャンとしてウィリー・ブラウン、トミー・ジョンソン、ジョー・マーティン、のちにサン・ハウスやハウリン・ウルフ、ロバート・ジョンソン、ヘンリー ”サン” シムズらがいる。


1929年6月14日、彼はインディアナ州リッチモンドに位置するゲネット・レコードのスタジオで初のレコーディングを行い、14曲を録音、その中の「ポニー・ブルース(en)」が「バンティー・ルースター・ブルース」とカップリングされてパラマウントより発売され、これは彼の代表曲の一つとなった。パラマウントではその後、グラフトンのスタジオにて二度のレコーディングが行われている。1929年冬のセッションではフィドラーのヘンリー・シムズが、30年においてはウィリー・ブラウンが四曲中二曲で参加している。


それ以降、極度の飲酒と煙草、不規則な生活、それに喉を切り裂かれかけたことも重なり、ひどい体調不良へと陥っていく中、1934年1月、彼はニューヨークにて内縁の妻バーサ・リーと共に、生涯最後となるレコーディングに臨んだ。その中には有名な「34ブルース」や「オー・デス」等が含まれている。

約一ヶ月後、彼はニューヨークから自宅のあったホリー・リッジ(en)へと帰り、それからしばらく経った4月28日、サンフラワー郡インディアノラ近くのプランテーションにて、心臓発作を起こして死去。死亡証明書によると死因は「僧帽弁障害」。死に至るまでの数日を、彼は説教を行って過ごしたという。


逸話
体格の大きい父と比べ、小柄で細身だったが、彼の声はアンプなしで500ヤード先まで届くと言われた。
放蕩である一面、そうした自分の生活に思い悩み、何度か説教師になろうと志したことがある。1930年のレコーディングにはサン・ハウスも参加したが、演奏を共にはしていない。

【Wikipedia より】
posted by koinu at 09:33| 東京 ☁| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする