2009年07月05日

「死と再生」の象徴が遠退く

ウロボロス(ouroboros, uroboros)
古代の象徴の1つで、己の尾を噛んで環となったヘビもしくは竜を図案化したもの。今日の無限大の記号「∞」のモデルとなった。

語源は、「尾を飲み込む(蛇)」の意の「古代ギリシア語: (δρακων)ουροβóρος」(〈ドラコーン・〉ウーロボロス)。その後は、同じく「尾を飲み込む蛇」の意の「ギリシア語: ουροβόρος όφις」(ウロヴォロス・オフィス)と表現する。

ヘビは、脱皮して大きく成長するさまや、長期の飢餓状態にも耐える強い生命力などから、「死と再生」「不老不死」などの象徴とされる。そのヘビがみずからの尾を食べることで、始まりも終わりも無い完全なものとしての象徴的意味が備わった。



古代後期のアレクサンドリアなどヘレニズム文化圏では、世界創造が全であり一であるといった思想や、完全性、世界の霊などを表した。
錬金術では、相反するもの(陰陽など)の統一を象徴するものとして用いられた。
カール・グスタフ・ユングは、人間精神(プシケ)の元型を象徴するものとした。
他にも、循環性(悪循環・永劫回帰)、永続性(永遠・円運動・死と再生・破壊と創造)、始原性(宇宙の根源)、無限性(不老不死)、完全性(全知全能)など、意味するものは広く、多くの文化・宗教において用いられてきた。

ウロボロス様のイメージは、アステカ、古代中国、ネイティブ・アメリカンなどの文化にも見受けられる。
中国では、新石器時代の北方紅山(ホンシャン)文明(紀元前4700年 - 紀元前2900年)の遺構から、青色蛇紋石で作られた「猪竜(ズーロン)」または「玉猪竜(ユーズーロン)」と呼ばれる人工遺物が発掘されている。これは、ブタのような頭とヘビの胴体を持ち、みずからの尾をくわえた姿をしている。しかし、これはウロボロスの原形というよりも、竜の原形であると考えられる。
今日見られるウロボロスの起源となる、みずからの尾をくわえたヘビ(または竜)の図の原形は、紀元前1600年頃の古代エジプト文明にまでさかのぼる。エジプト神話で、太陽神ラー(レー)の夜の航海を守護する神、メヘンがこれに当たり、ラーの航海を妨害するアペプからラーを守るため、ウロボロス様にラーを取り囲んでいる。これがフェニキアを経て古代ギリシアに伝わり、哲学者らによって「ウロボロス」の名を与えられた。


北欧神話では、ミッドガルドを取り巻き、みずからの尾をくわえて眠る「ヨルムンガンド」が登場する。
キリスト教や一部のグノーシス主義では、ウロボロスは物質世界の限界を象徴するものとされた。これは、環状の姿は内側と外側とを生み出し、そこに境界があるととらえたため。また、みずからの身を糧とすることが、世俗的であるとされた。ハンガリーやルーマニアのユニテリアン教会では、教会堂の棟飾りにウロボロスが用いられている。
ヒンドゥー教では、世界は4頭のゾウに支えられており、そのゾウは巨大なリクガメに支えられ、さらにそのリクガメを、みずからの尾をくわえた竜が取り巻いているとされている。
トルテカ文明・アステカ文明では、ケツァルコアトルがみずからの尾を噛んでいる姿で描かれているものがある。
(Wikipedia)



Earth - Ouroboros is Broken
ウロボロスのシステムが壊されてしまうと、永遠を見つめる存在は何を想うのか?たとえば竜神さんらは「ヒステリックになられている」という噂も日本では語られる。龍神は日本伝承では、水の神や海の神という。中国における竜への信仰が日本土着の蛇神信仰と習合したともいわれる。雨乞いをしていたら瑞雲と稲妻とともに龍神が現れて雨をもたらせたという伝説もあり、わが国では祭神として祭祀している神社も多くある。

龍神伝説のHP http://astro.ysc.go.jp/izumo/ryujin.html

万物を育み慈しみの心で想う、生命の源となっている存在を祭るのは自然なこと。物質世界を推し進める存在には、減速させられる邪魔な障害であった。古代から神聖化されてきた「蛇」を邪悪なシンボルとして断ち切ろうとした。悪魔のイメージを埋め込んでしまうのだ。かくして「死と再生」「不老不死」の象徴は、不吉なものとされていったのだ。神性なものを観て、人々は恐怖する連鎖を惹き起こす。恐れ凍てついた魂こそが、加速する悪魔のエネルギー源となる。

ドラゴンを倒すヒーローが新しい神話としてすり替えられた。
ギリシア神話に登場する多頭蛇体のヒュドラー(Hydra)は水蛇を意味するが、レルネーに住むヘーラクレースに退治された。テューポーンとエキドナの子で、ヘーラーがヘーラクレースと戦わせるために育てたと。9つの首を持ち一本の首を切り落としても、すぐにそこから新しい二本の首が生えてくる。ヤマタノオロチを思わせる死と再生の水神。映画「ゴジラ」シリーズに登場する有名な三つ首竜のキャラクター・キングギドラは、ヒュドラーにインスパイアされたという。

八岐大蛇というのは古代日本にとってかつては強大な外敵であった朝鮮王の暗喩。彼に人質を差し出して臣下の礼を取っていたという事実を隠し、如何に悪い魔物であったかを誇張するかのようにして、自らの正当性を保とうとした大和民族の工夫といえる。娘を食い殺す理由としては、臣下の礼を取った古代日本が独立したことに対する返答がこなかったため見せしめとして殺したと朝鮮半島の古記「壇君正記」に記されている。

当時先端の技術であった製鉄、その結晶である鉄剣を「アマテラスに献上した」のは、出雲と大和の関係を推し量る上で深いエピソードである。オロチの腹が血でただれているのは、砂鉄で川が濁った様子を表しているとする説がある。踏鞴吹きには大量の木炭を必要とするため、川の上流の木が伐採しつくされた結果洪水が起きたことを象徴している。


奈良時代に芦ノ湖がまだ万字池と呼ばれていた頃、池には九頭の毒竜がすみついて生贄を求めていた。村人はその怒りを静めるために白矢が立った家の娘を生贄として捧げた。この毒竜は万巻上人によって調伏され、湖底にある岩に鎖でつないだという。この伝承が九頭竜大明神が祭られた。「白羽の矢が立つ」とは生贄として捧げた言葉である。
改心後に竜神へと変化を見た万巻上人は九頭竜神社を設けて祭った。以後人身御供ではなく赤飯が芦ノ湖に沈められる風習へと変わった。

戸隠の九頭竜は戸隠神社にある「九頭龍社」で祭られている。両面性をもって岩戸の中に封じられた竜とされる。山伏たちが九頭竜権現の名で、雨乞いしたことから水神としての信仰も篤いという竜である。

仏教での九頭竜とはヴァースキでシェーシと同一視される。シェーシャとはインド神話に登場するナーガラージャで、カシュヤパ仙とカドゥルーの間に生まれた1000のナーガの1人で須弥山を守る千の頭をもつ巨大な蛇。



かくして自然のシステムが人の心から遠退き、物質世界が支配することとなった。永遠を司る水の化身もついに、Earth is Brokenへとなる警告のため、荒ぶれた姿を現わしてしまうという構図となる。そこで宗教へしがみつく業の深い者たちが集うから、厄介な問題の解決の糸口を混乱させてしまう。
posted by koinu at 07:10| 東京 曇り| 自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする