2009年07月01日

共同入浴の起源

日本人は世界に冠たる入浴文化を持つ民族だといわれています。入浴文化の一つに、みんなで一緒に入浴するという風習があります。この共同入浴の起源は、奈良時代の光明皇后による立願施浴まで遡ることができます。江戸時代には「銭湯」と呼ばれるようになり、庶民の憩いの場、情報交換の場として親しまれました。

こうした日本の入浴文化と、それを支えてきた銭湯を積極的に後世に語り伝えていくことは現代人の使命ですが、銭湯は今、時代の変化の中で一見その価値が見失われようとしています。しかし、特に人間関係が希薄になるといわれる都会においては、地域社会の交流やモラルを守る基盤として銭湯を見直す知性が復活しつつあります。

東京都公衆浴場業生活衛生同業組合



満願の湯で光明をかがやかせ
千人の垢万代に名が光り


施浴は何か立願(りゅうがん)の成就として、寺院の温室大銭湯を貸し切り、無料で入浴を勧める仏教上の功徳の一つ。これは奈良法華寺の温室で千人の施浴をおこなった奈良時代の光明皇后をたたえた古川柳である。



光明皇后(こうみょうこうごう) ウィキペディア
(大宝元年(701年) - 天平宝字4年6月7日(760年7月27日))
聖武天皇の皇后。藤原不比等と県犬養三千代(橘三千代)の娘であり、聖武天皇の母である藤原宮子は異母姉。名は安宿媛。光明子)、藤三娘ともいう。 正式な尊号は天平応真仁正皇太后。

光明皇后は仏教に篤く帰依し、東大寺、国分寺の設立を夫に進言したと伝えられる。また貧しい人に施しをするための施設「悲田院」、医療施設である「施薬院」を設置して慈善を行った。 夫の死後四十九日に遺品などを東大寺に寄進、その宝物を収めるために正倉院が創設された。さらに、興福寺、法華寺、新薬師寺など多くの寺院の創建や整備に関わった。

都大路に並木を造る際に、貧しい人が飢えないようモモとナシの木を選んで植させたと伝えられる。

光明皇后が自ら建立した法華滅罪寺の浴室で1000人の民の汚れを自ら拭うという願を立てられたが、1000人目は皮膚から膿を出す病人であり、皇后に膿を口で吸い出すよう要望した。皇后が口で吸いだされると病人は阿しゅく如来と化したという伝説がある。


(Wikipedia)



阿しゅく如来(あしゅくにょらい)
梵名のアクショービヤとは「揺るぎない」という意味で、この如来の悟りの境地が金剛(ダイヤモンド)のように堅固であることを示す。印相は、右手を手の甲を外側に向けて下げ、指先で地に触れる「触地印」(しょくちいん)を結ぶ。これは、釈迦が悟りを求めて修行中に悪魔の誘惑を受けたが、これを退けたという伝説に由来するもので、煩悩に屈しない堅固な決意を示す。

(Wikipedia)
posted by koinu at 05:37| 東京 雨| 散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする