今年デビュー44年目にして初の単独来日公演を行うイギリスのロック・バンドThe Who (ザ・フー)。
今回のツアーでは11月13日(木)大阪城ホールを皮切りに、14日(金)横浜アリーナ、16日(日)さいたまスーパーアリーナ、17日(月)日本武道館
につづいて11月19日(水)に日本武道館でジャパン・ツアーのファイナルを飾る。
The Who - I Can't Explain(1965)
ザ・フー(The Who, 1964年 - )
イギリスのロックバンド。当初はスモール・フェイセズ(のちフェイセズに改名)と並びモッズ・カルチャーを代表するバンドと評された。そののち、1969年に発表されたアルバム『ロック・オペラ “トミー”』でロック・オペラというジャンルを確立。また1971年発表の『フーズ・ネクスト』では、当時貴重なシンセサイザーを、後のテクノにも影響を与えたミニマル・ミュージック風に導入するなど、先進的な音楽性を持つバンドに成長するに至る。ギターを叩き壊しドラムセットを破壊する暴力的なパフォーマンスとT・S・エリオットに影響を受けた文学的知性豊かな歌詞世界とのギャップが魅力のひとつでもあった。
The Who - Happy Jack
[正式メンバー]
ロジャー・ダルトリー (Roger Daltrey CBE, 1944年3月1日 - )(ボーカル)ライブでは曲によってハーモニカ、タンバリン、ギターも担当する。
ピート・タウンゼント (Pete Townshend, 1945年5月19日 - )(ギター、ボーカル、キーボード、シンセサイザー)ザ・フーのメイン・ソングライター。
ジョン・エントウィッスル (John Entwistle, 1944年10月9日 - 2002年6月27日)(ベース、ボーカル、ブラス)
キース・ムーン (Keith Moon, 1946年8月23日 - 1978年9月7日)(ドラムス)
ケニー・ジョーンズ (Kenney(またはKenny)Jones, 1948年9月16日 - )(ドラムス)キース・ムーンの死後1979年に加入し、1988年2月8日の英国レコード産業協会 (BPI) 特別功労賞受賞時の再結成ライブまで在籍した。
The Who - Substitute (1966)
1964年、当時のマネージャー、ピート・ミーデンのアイデアでバンド名をザ・ハイ・ナンバーズに改名する。同年7月、そのバンド名義でデビュー・シングル「アイム・ザ・フェイス」を発表するが不発に終わり、ミーデンは解任される。バンドはザ・フーに戻り、翌1965年1月、デッカ系列のブランズウィック・レーベルからシングル「アイ・キャント・エクスプレイン」で再デビューした。同年11月、「マイ・ジェネレイション」の全英チャート2位のヒットによって現在までの評価を決定づける。
The Who - My Generation (Marquee Club 1967)
1967年6月、モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティバルに出演。
1969年8月、ウッドストック・フェスティバル及び第2回ワイト島フェスティバルに出演。
1970年8月、第3回ワイト島フェスティバルに出演。
1978年9月7日、キース・ムーンがアルコール依存症を治療する為の薬の過剰摂取により他界。同年5月25日に英シェパートン・スタジオで行われた、ザ・フーのドキュメンタリー映画『キッズ・アー・オールライト』用の演奏がオリジナルメンバーによる最後のライブ演奏となった。
ムーンの後任に元フェイセズのケニー・ジョーンズを迎え、活動を続行。1979年に入って、キーボードを担当するサポートメンバーのジョン “ラビット” バンドリックを含んだ新生ザ・フーとしてのツアーに臨むが、同年12月3日米オハイオ州シンシナティでのコンサートで開場時に観客が入場ゲートに殺到し、将棋倒しとなって11人が死亡するという悲劇が起きてしまった。同年12月28日、カンボジア難民救済コンサートに出演。
新体制においても、1981年にシングル「ユー・ベター・ユー・ベット」とアルバム『フェイス・ダンシズ』がヒットするなどある程度の成功は収めたものの、バンドとしての勢いの衰えは否めなかった。1982年にアルバム『イッツ・ハード』をリリースし、ライブバンドとしての解散ツアーを行った後、1983年には正式に解散。
1985年7月13日のライブ・エイド及び1988年2月8日の英国レコード産業協会 (BPI) 特別功労賞受賞時のライブ演奏のために単発の再結成がなされたのち、1989年に結成25周年記念ツアーが行われた。ツアーバンドとして、1985年から1986年にかけてピート・タウンゼントのライブ時に編成されたディープ・エンドという名のバックバンドが流用される形となり、ドラムを担当したサイモン・フィリップスもその中の一人であった。また、聴力障害の影響でタウンゼントは多くの曲でアコースティックギターを弾くことになり、それを補うためにセカンド・ギタリストとしてスティーヴ・ボルトンが起用される。1990年、ロックの殿堂入り。
1996年、英ハイドパークでの英チャールズ皇太子が主催するプリンス・トラスト・コンサートにおける『四重人格』全曲ライブ演奏を契機に本格的なツアー活動を再開。ドラムにリンゴ・スターの息子であるザック・スターキー、また、ギターとボーカルでピート・タウンゼントの実弟であるサイモン・タウンゼントが加入するなどツアーバンドに変更があった。1997年までツアーは続く。
1999年10月から12月にかけてiBash '99及びニール・ヤング夫妻が主催するブリッジ・スクール・ベネフィット・コンサートへの出演を含め計7回のライブを行う。ジョン“ラビット”バンドリック、ザック・スターキーを含めた5人の基本的なバンド編成に戻り、ピート・タウンゼントもほぼ全ての曲で再びエレクトリックギターを弾くようになる。2000年に北米・全英ツアー、11月27日にはロジャー・ダルトリーが支援している青少年のがんや白血病患者の支援団体であるティーンエイジ・キャンサー・トラストのためのチャリティ・コンサートが英ロイヤル・アルバート・ホールで開催され、ポール・ウェラー、オアシスのノエル・ギャラガーやパール・ジャムのエディ・ヴェダー等と競演。
2001年2月、グラミー賞特別功労賞を受賞。10月20日、アメリカ同時多発テロ事件被害者のための支援コンサートとして米マディソン・スクエア・ガーデンで行われたザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティに出演。ジョン・エントウィッスルのザ・フーとしてのアメリカにおける最後のライブ演奏となる。
2002年2月7日と8日の両日、英ロイヤル・アルバート・ホールでのティーンエイジ・キャンサー・トラストのためのチャリティ・コンサートに出演。ジョン・エントウィッスルのザ・フーとしてのイギリスにおける最後のライブ演奏。6月27日、北米ツアー開始前日にエントウィッスルが公演予定地の米ネバダ州ラスベガスで薬物摂取に起因する心臓発作で急死。後任にピノ・パラディーノを迎え、7月1日からツアー続行。当初から予定されていたとおり、サイモン・タウンゼントもツアーに参加。
2004年6月12日、復活版ワイト島フェスティバルに出演。7月24日および25日、横浜と大阪で開催されたロック・フェスティバル、POCARI SWEAT BLUE WAVE THE ROCK ODYSSEY 2004への出演のため初来日。
2005年7月2日、英ハイドパークで行われたLIVE 8に出演。ベースのピノ・パラディーノはジェフ・ベック、ドラムのザック・スターキーはオアシスとツアーに出ていたため、代役としてデーモン・ミンチェラとスティーブ・ホワイトがそれぞれのパートを担当。
2006年6月17日、ヨーロッパとそれに続く世界ツアーの初日として1970年以来36年ぶりに英リーズ大学でライブを行う。11月、1982年の『イッツ・ハード』以来24年ぶりのスタジオ録音フルアルバムになる『エンドレス・ワイヤー』を発表。2007年6月24日、グラストンベリー・フェスティバルのヘッドライナーとして出演。
2008年11月に二度目の来日、単独の来日はこれが初となる。
THE WHO- SUMMERTIME BLUES 70s
[ライブパフォーマンス その後の影響]
ザ・フーは、ライブバンドとしての知られ、演奏は初期から大音量で行われていたと言われている。オリジナル曲の多いバンドだが、結成当時は主にモータウン、R&Bのカバー・バンドであった。リードベースと言われるジョン・エントウィッスルの高度なテクニック、全編フィルインとも言える手数の多いキース・ムーンのドラムは、他に類を見ない物であった。また、『ロック・オペラ “トミー”』などのドラマティックなロックオペラ、シンセサイザーのシークエンスフレーズと同期させた演奏など、画期的な試みも多い。
ステージ上の派手なアクションでも知られている。ロジャーはマイクを振り回し、ピートは縦横無尽に飛び跳ね、腕を振り回してコードを弾いた(=ウインドミル奏法。風車弾きともいわれるこの弾き方はローリング・ストーンズのキース・リチャーズのスタイルを参考にした)。キースも破天荒にドラムを叩きまくった。3人のアクションとは対照的に、ベースのジョンは黙々とプレイした。
ステージ終盤には、ギターやドラム、機材などをステージ上で破壊したことでも知られる。こうしたステージパフォーマンスは、のちにパンク・ロックのアーティストら(セックス・ピストルズ、パール・ジャム等)に大きな影響を与える。元祖パンクとも言われ、シングル「マイ・ジェネレイション」は当時の労働者階級の若者の心情を歌詞にしたもので、多くの若い世代の共感を呼んだ。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
四重人格 - Quadrophenia ピアノデモ
○○○ディスコグラフィ○○○
1965年 マイ・ジェネレイション - My Generation (Brunswick)
1966年 ア・クイック・ワン - A Quick One (Happy Jack) (Reaction)
1967年 ザ・フー・セル・アウト - The Who Sell Out (Polydor)
1969年 ロック・オペラ “トミー” - Tommy (Polydor)
1970年 ライブ・アット・リーズ - Live At Leeds (Polydor)
1971年 フーズ・ネクスト - Who's Next (Polydor)
1973年 四重人格 - Quadrophenia (Polydor)
1975年 トミー(映画サウンドトラック盤) - Tommy (Soundtrack) (Polydor)
1975年 ザ・フ−・バイ・ナンバ−ズ - The Who By Numbers (Polydor)
1978年 フー・アー・ユー - Who Are You (Polydor)
1979年 キッズ・アー・オールライト - The Kids Are Alright (Polydor)
1979年 さらば青春の光(サウンドトラック盤) - Quadrophenia (Soundtrack) (Polydor)
1981年 フェイス・ダンシズ - Face Dances (Polydor)
1982年 イッツ・ハード - It's Hard (Polydor)
1984年 フーズ・ラスト - Who's Last (MCA)
1990年 ジョイン・トゥゲザー - Join Together(ライブ盤) (Virgin)
1996年 ワイト島ライヴ1970 - Live at the Isle of Wight Festival 1970 (Castle)
2006年 エンドレス・ワイヤー - Endless Wire (Polydor)
ザ・フー 公式サイト http://www.thewho.com/
ユニバーサル ミュージック ザ・フー http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/who/
WHO's Generation - ザ・フー (日本語) http://www.whosgeneration.info/

