監督 製作 スタンリー・キューブリック
脚本 アーサー・C・クラーク スタンリー・キューブリック
配給 MGM 1968年 上映時間 139 分
https://youtu.be/hOlrxxPoyn4
太陽と月と地球の惑星直列とともに、キリスト教よりも遥かに古くからあった神の名前を暗示させる音楽が流れる、叙事詩的な映画のファーストシーンは有名である。
300万年前の地球、やがてアフリカと呼ばれることになる大陸の草原では、人類の祖先であるヒトザルが熾烈な生存の戦いをつづけていた。種族のなかでは、巨人の部類にはいる<月を見るもの>という名のヒトザルが、これまで見たこともない不思議な岩を見つけた。それは、透きとおった物質でできた直立体(モノリス)だった。やがて、その<新しい岩>は、ヒトザルたちに何かをもたらした……
時は流れて西暦2001年、人類はすでに月面に恒久基地を築くまでになっていた。
かつてヒトザルが手にした「道具」の究極の進化形のひとつともいえる核兵器の存在が人類を脅かしている。
300万年後、天文学者であり、アメリカ宇宙飛行学会議議長でもあるフロイド博士は、宇宙ステーションを経由して、月面にあるクラビウス基地をめざしていた。月のティコ・クレーターで発見された物体――ティコ磁気異常1号(TMA・1)の謎を解明するために。そこで発見された細長い厚板上の真っ黒な物体は、300万年前から存在していた。その物体(モノリス)の発する信号は、さらなる惑星をめざしていた。
土星系に異星人あるいはその前哨基地が存在すると確信したアメリカは、ファースト・コンタクトを行うべく、調査隊の派遣を決定する。最初は<木星計画>の名のもとに、太陽系最大の惑星への初の有人往復飛行を行なうはずだった宇宙船ディスカバリー号は、突然の計画変更を告げられ、土星へと向かうことになった。デイビッド・ボーマン船長と船長代理のフランク・プール以外の三人のクルーは、人工冬眠状態のままで、木星のそばをかすめすぎる近接通過(フライバイ)を行なって土星へと向かうのである。
ディスカバリー号の旅は順調に進むかに見えたが、ファースト・コンタクトの目的を秘密にして、なおかつ彼らに対して忠実であるべしという相反する二つの命令を与えられていたHAL9000が、その矛盾によって論理構造に破綻をきたしはじめた。副長のフランク・プールは嘘の故障警報で船外活動に誘いだされ、作業ポッドの暴走により宇宙空間に放り出されて死亡。冷凍冬眠中のホワイトヘッド、カミンスキー、ハンターの三名は生命維持装置を停止されて死亡。HAL9000は、メンバー全員を抹殺することによってその矛盾を解決しようとしていた。そして、ただ一人残ったボーマンだけが事態の元凶がHAL9000であることに気づき、その思考機能を停止させることによってようやく殺戮劇に終止符を打つのだった。
ボーマンは一人土星系へと到達、そこに巨大なモノリスが浮かんでいるのを発見する。この巨大モノリスこそ、宇宙へと進出した人類を異星人の元へ招き、新たな進化の階程を踏ませるためのスター・ゲートにほかならなかった。その調査に出たボーマンは、そのままスター・ゲートを通り抜け、異星人の待つ地へとたどりつく。そこで彼が見たのは地球のものとそっくりにつくられたホテルの一室だった。この部屋は、旧人類としての最後の時を過ごすボーマンをもてなすために異星人が用意したものである。ここで休息をとったボーマンは、肉体から解放され、精神だけの存在「スター・チャイルド」へと進化し、静かに地球の行く末を見守ることになるのだった。
以上がスタンリー・キューブリックよる映画にされた、モチーフの原作でもある。
「ツラッストラはかく語りき」という、前記したファーストシーンの音楽が使用されて、意味深く映画は終幕となった。それによってニーチェの超人思想など話題となり、比喩映像によるワープシーン異景の宇宙空間の表現が多い映画の後半は様々なる解釈もされた。
骨や宇宙船とひとしい系列にある言葉は、人の道具の一部として映画では描かれた。
物を語るのは言葉ではなく、音波よりも高速である「光」による視覚描写でされた。
よって言葉による物語の手がかりは一切ない。 実に理路整然された言語的な構成による、壮大なる映像叙事詩といえるキューブリックの映画。そこでは効果音と等しく扱われた言葉ですらある、なおかつセリフによる解釈できるだろうとしては言語引力圏から離れなくては、ファースト・コンタクト映画は楽しめないだろう。
この作品のストーリィラインはシンプルなもので、「前哨」というアーサー・C・クラークの短編小説が原案になっている。人よりも高度な生命体が、月に或装置を施す。人類がそこまで訪れたら、いくつかの前哨装置のひとつとして、人が進化したという発信をするというものだ。
映画「2001年宇宙の旅」の解釈 --- レオ -
映画「2001年」の元となるアーサー・C・クラークの「前哨」という短編小説では人類が月で発見する物体はピラミッドの形をしていた。
しかし、映画では モノリス(黒石板)となっている。これはなぜか?
そもそも宗教の世界では多神教と一神教があり、多神教はポリリズムといわれ一神教はモノリズムといわれる。
よく「よろずの神」といわれるように もともと神はいたるところに存在したのだが、あまりの貧しさにヒトが特定の神と契約しひとつにまとめてしまった。
これを 最初にやったのが ユダヤ教なのである。
そして、あのモーゼが 人々を救うためにシナイ山に入り 40日間かかって
「私の事を聞けば 土と水の流れる土地へ連れていってやる。言うことを聞かなければ承知しないぞ。」
といった神との契約を書き上げたのだが、この契約を記したのが石板なのである。
モノリスを登場させ、石板の形状しているとなれば
キューブリックは 「2001年」を つくるにあたり ユダヤ教を意識したと言わざるおえないのである。
(ここでいっておくがキューブリックは ユダヤ人である。)
さて、さらに「2001年」がユダヤ教を意識していると考える根拠を示すとするならば、聖書というのは、旧約と正約をあわせ、だいたい1800年くらいかかって出来ている。
そして、その過程で「聖書会議」というものがあり、聖書を編纂するにあたり、聖書のなかに折り込むに ふさわしくないもの、うそっぽいものを 切り捨てていくのだが、そういったなかで アポクリファと呼ばれる様々な世紀末伝説というものが登場してくる。そして、その中に マホメットより以前に登場したゾロアスター教という拝火教がある。その宗教のゾロアスター歴では、9000年目に世界中で悪と神が世紀末戦争を行ない、地は聖なる火でことごとく焼きつくされ、そのあと本当の平和が訪れるという話しがあるのだが、その9000年目というのが まさしく 西暦では 2001年にあたるのである。
そこで 思い出してほしい 映画「2001年」に出てくるコンピューターの名はHAL9000である。
そして、さらに驚くべきは 映画「2001年」で 冒頭にかかる交響曲はご存知「ツァラトゥストラはかく語りき」であるが
この「ツァラトゥストラ」というのは ドイツ語で 読むと 「ゾロアスター」なのである。
つまりこの映画「2001年」は 「ゾロアスターは こう語った」と言う曲で開巻していたのだ。
(注・ 知恵の神アフラ・マズダから啓示を受けたゾロアスターは
前6世紀新しい宗教(ゾロアスター教)を始め、 後にギリシアの思想家たちや、ユダヤ、キリスト教に大きな影響を 与えたといわれる。)
(また、「美しき青きドナウ」の作曲家 ヨハンシュトラウスは 世界で一番有名なユダヤ人作曲家である。)
次に、映画「2001年」での 進化の意味であるが、
石板が「契約のもの」だとして、契約を受けたものが進化するとし、進化が道具を持つことだとすれば、そのあと一番はじめにやったことが「殺す」ことであり、なおかつ、それに「大きな喜び」を感じたとするならば、進化は 「殺意の発見およびその萌芽」ということになるであろう。
(BS「シネマ・パラダイス」1999・05/08ー森本レオはかく語りきー より)
ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』に、魂の辿る三段階として、
「ラバ」 −> 「獅子」 −> 「赤子」 というのが出てくる。
「ラバ」は責任感に燃えて働く姿を、「獅子」は自分の目的のためには多少の犠牲はいとわない姿を描いている。「赤子」は社会との関係を超越して、自然な姿で興味の対象に向かう、まさしくおもちゃを与えられた「猿」のような魂の形態である。
「2001年宇宙の旅」の真相
「人類の夜明け」の章で、モノリスに知恵を与えられた類人猿は、骨を手にして、まず手近の骨を砕き、次に獣を、そして対立するグループの首領を殺す。冒頭から、死と殺人のテーマが流れていることに注目したい。これは重要な伏線である。
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アーサー・C・クラークの考案した宇宙観と、スタンリーが創造した、世界彫像はまったく別のベクトルに突き進むようだ。
映像こそが、音速を超えて伝達し、神話を作りだすという、映画史に残る壮烈なる実験は、巧みに遂行された。
拝火教で語られる、アフラーとアフリーマンの果てしない闘いのように、善くも悪しきも、その神話は映画にも受け継がれているという、興行とは別の利益が加算され、生き続けるのです。
飛翔力の退行した言語よりも、初めにあるベきは映像の思念が描くモチーフこそ、新しい言葉を発することだと。
2001年以降の多くあるSFXは、その神話の配下に属しているといえます。何故なら、映画産業こそユダヤ資本で成り立って来た、宣伝戦略のメディアで在り続けてきた歴史でもあるからです。
</p><p><img src="https://koinu2005.up.seesaa.net/image/2001.a0.jpg" border="0" alt="2001.a0.jpg" width="600" height="246" />
まだユダヤの神々のシステムもオリンポスの神々のシステムも日本の神話体系すら登場していない世界に、中央アジアでは対立分化が徹底して進んでいた。古代だからといって穿っては観れない、神学と数学の高度な発展ぶりが伺える。現代人には理解できないほどの密度の高い示唆があったにも関わらず、のちにこれを歴史の廃物として仕舞わないと厄介となる勢力が台頭してくる。それほどピンスポットとされていたようだ。現在の物理的な価値観で例えるなら、呼吸をするテンポで核爆弾や放射物が空中を飛び交うような世界といっても過言ではない。残されたどちらの教典にも核兵器を使った戦争を想像させる記述があることは多く知られている。重要な書物は焚書として焼かれてしまい、具体性は喪失させられているから実証は意味はない。実際にはもっと恐ろしい呪術系の分子核分裂をさせるような魔術兵器かも知れないし、スペクタクルなる呪いとは無縁ではないように想像する非常事態のピークに来ていたことは伺える。いずれにせよ、霊長類としての超克が望まれた時でも在ったようだ。
ここにザラスシュトラすなわちゾロアスターが出現した。
インドの祭司たちが『リグ・ヴェーダ』を編集していったように、ゾロアスターは『ガーサー』を編集する。その後『アヴェスタ』に組み入れられ、このなかでゾロアスターは自身のことをザオタルと呼んだ。古代ギリシアの哲学者たちもゾロアスターが、超克する教えを創唱したということは知っていた。キケロはピタゴラスがゾロアスターのところに教えを乞いに行ったと書き、プリニウスも「ゾロアスターは笑いながら生まれた」「ゾロアスターは20年にわたって砂漠に住み、いつまでも腐らないチーズを食べて修行した」といったことを記した。
拝火教を国教としたササン朝ペルシアやアケメネス朝があっけなく滅びていったのに対して、ゾロアスターは永劫回帰した。その教えこそはヨーロッパが最初に知った、当時、世界文化と繁栄した産業の中心地であったアジアの魂だったからか、この後に発生した宗教とは比較ができないほどだ。実に幾星霜のタイムスケールを持つ桁外れの歳月と、人々へ及ぼした影響は多大であると想われる。
ササン朝ペルシアには、様々な文化がこの極東の島国にまで辿り着いている。
飛鳥にある拝火教の装置としての石物たちを、初めて観た時には時空を超えてしまうほどの果てしない想いが全身へよぎった。月を見る者が、けっして触れる事の出来ない「モノリス」を最初に目前にしたかのように。
</p><p>Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.
(十分に進歩した科学技術は魔法と区別が付かない)とは、SF「2001年宇宙の旅」の作者アーサー.C.クラークの言葉である。その作者 も三日前に逝ってしまった。
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