2021年10月19日

この花を手にして冥府へ降る

「赤いけしの花も行く先々の野を飾っていた。大地母神の娘ペルセポネは、『デメテール讃歌』によれば水仙を摘んでいるところを冥界の王にさらわれ、暗い地下で暮らすようになったのだが、別伝によれば、誘拐されたとき摘んでいたのはけしの花であった。たしかにこの花は見ると摘みたくなる花で、私もつい手をのばして二、三輪摘んで胸のポケットにさした。しかし神話学者によればペルセポネがけしの花を手にしたのは決して偶然ではない。第一にけしは催眠性の植物であり、第二に死後の復活を約束する真紅の花であるから、植物の精霊たる少女神は毎年の眠りにつくためにこの花を手にして冥府へ降(くだ)るのである、と。」

(多田智満子「花のペロポンネソス」より)

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欲望を耕すのをやめれば

装置をはずした舞台にまだ

二つ三つ星がころがっているからといって

睫毛の塵を星雲とこころえることもあるまい

みずからの美貌にみとれた神に

むかしの台詞を思い出させるなどは

どんな賢い人にもできなかったことだ

欲望を耕すのをやめれば

髪の毛はひとりでにしずかに枯れてくる

神は捨てもしないし拾いもしない

これという今がないので

時間はみみずに似てくる

あやしげな足場の上で

人は未完の背景を描くのに疲れた

(多田智満子「疲れ」)

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