「私は生まれることなく、私は死ぬこともない。
時は生まれることなく、時はなくなる(消滅する)こともない。
時間は生まれず、時間はなくならず。
最初からそこにはなく、あると思い込んでいただけだった。
あると思っていた物質は全て幻。意識が作りだした幻だった。
時の終わりに人は何を見るのだろう?という問いに対する答えは、
時ははじめからないのだから、時の終わりはない。
時はなかったと気がつくのだ。全ての時が同時に存在している。」
(『藍の書』辻麻里子より)
『藍の書』辻麻里子
【目次】
第1章 原発事故後の世界
第2章 『青の書』
第3章 夢の架け橋
第4章 夢さき案内人
第5章 夢の領域はつながっている
第6章 石の旅(ストーン・ヘンジ〜スイスの旅 グラストンベリー篇)
第7章 石の旅・植物の旅(スイス篇)
第8章 宇宙図形
第9章 誕生日に観る夢:1987
第10章 誕生日の夢:2012(四半世紀後)
第11章 福島レポート
第12章 悠久の旅インド
第13章 2012年から2013年へステージが変わった
第14章 帰仙、再び
第15章 自由度の高い電子
第16章 観察者としての私
付録1 宇宙図書館にある「数字の森」
付録2 月別 スターゲートの香り&石
【本書より】
もともと生まれたこともなく、死ぬこともない。ただ大いなる宇宙の意識があるだけだという境地に辿り着けば、変わらないもの、永遠不滅なものがわかるだろう。普遍的なものとは何か、それを探していたけれど、最初から時はなく、最初から物質はなく、すべてが幻だったと知ることによって、その答えが理解出来るだろう。近いも遠くもない、大きいも小さいもない、賢いも愚かもない、私もあなたもない、内側も外側もない、境界が溶解して、ひとつに溶け合うかのように見えるが、もともと境界はなかったところに、自分で線を引いたのだ。この境地に達したとき、隠遁するのではなく、この世の中、この世界の中で淡々と生きる。個という肉体を持って、生きていく。それが2013年以降の地球のありかただった
この世は夢のようなもの。この世は幻のようなもの。大いなる宇宙の意識が私の正体であり、私は人間という経験をしている宇宙意識である。
「達観すること」
「超然と」と言われた。
「達観することは誰にでもできそうだが、超然としていることは難しいのだよ。達観ではなく、超然を目指しなさい」とその人は言った。
(p366-367より)