デュ・モーリア『レベッカ』
「ゆうべ、またマンダレーに行った夢を見た」という導入から、濃厚な英国の館に誘う長編小説である。
映画「レベッカ」とはまた別の味わいがある原作は、時間かけてじっくり読める内容です。
主人公「わたし」はヴァン・ホッパー夫人の付添人としてモンテカルロに滞在中、イギリス人マキシム・デ・ウィンターに見初められて、数日後に結婚する。かの有名なマンダレーの領主であり、前妻レベッカを一年前にヨット事故で亡くしたばかりの彼だった。ミセス・デ・ウィンターとしてマンダレーに入った「わたし」は以来、女主人であったレベッカの亡霊に苦しめられる。美しく頭が切れ、社交的で何においても如才なく輝いていたレベッカの在りし日を周囲が懐かしがり、比較される。
そしてレベッカの話題を必要以上に避けるマキシムは、まだレベッカを愛していると思い知らされた「わたし」は、やがて居場所を失い追いつめられてゆく……。
新訳と旧訳を読み比べると、それぞれにダフネ・デュ・モーリア著『レベッカ』の世界を浮かび上がらせます。
「あなたはぼくのいうことを信じていませんね。ご心配なさらずに、こちらへきておかけください。おいやなら、おたがいにお話ししなくてもいいんですから」
「お友達のかたはどうなさいました?」
(大久保康雄訳、上巻p.44)
「本気にしていないね。ま、どうでもいいから、こっちのテーブルにいらっしゃい。お互いに気が向かなければ話をする必要もないんだし」
「お友だちはどうしたの?」
(茅野美ど里訳、上巻p.45)
「もうひとりとちがう」ベンは言った。
「もうひとり?誰のこと?」
ベンは首をふり、またこちらを窺うような目つきをして、指を鼻のわきに押し付けた。
「背が高くて、頭が黒いの。ヘビみたいな女。ここにいるの、みたよ。夜になるとくるんだ。おいら、みたんだ」
ベンはじっとわたしを窺って言葉を切った。わたしは黙っていた。
「一度のぞいてみたんだ。そしたらかみつかれた。ほんとだよ。『あんたはわたしを知らない。ここにいるのも見なかった。二度と見るんじゃない。今度窓からのぞいたら、施設に入れてやる』って。『施設ではいじめられる。いやでしょ』って。
なんもいいませんって、敬礼したの、こんなふうに」
(茅野訳、上巻p.315〜316)
「あんたは、もうひとりのようじゃねえ」と、彼は言った。
「それは、だれのこと?」と、わたしは言った。「もうひとりのひとって、だれのことなの?」
彼は首を振った。その目が、またずるそうに光った。彼は指を鼻に当てた。「背が高くて、色の黒いひとでね」と、彼は言った。「まるでへびみたいな感じのひとでしたよ。わしは、ここで、この目で、そのひとをみたんだ。夜になってから、やってきたのを、わしは見たんだ」彼は、じっとわたしのほうをながめながら口をつぐんだ。わたしは、何も言わなかった。
「わしは、一度、そのひとを見ただよ」と、彼は言った。「すると、そのひとは、わしのほうを向いて、こう言っただよ。『おまえは、あたしが誰だが知らないだろうね?いままで一度も、ここであたしに会ったことはないし、おそらく、これからさきも会うことはあるまい。もしおまえが、ここで窓からのぞいているところをつかまえたら、あたしは、おまえを病院へ入れてしまうよ。おまえだって、そうされるのはいやだろう。病院に入ると、ひどい目にあわされるんだよ』そこでわしは、『わしは、なんにも言わねえだよ、奥さま』と言ったんだ。そして、こんなふうにして帽子に手をやったんだ」
(大久保訳、上巻p.317〜318)
