2021年01月18日

肉体と精神の快不快は同一尺度に依らぬ

 わたしは古い酒を愛するように、古い快楽説を愛するものである。我我の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。唯ただ我我の好悪である。或は我我の快不快である。そうとしかわたしには考えられない。

 ではなぜ我我は極寒の天にも、将まさに溺れんとする幼児を見る時、進んで水に入るのであるか? 救うことを快とするからである。では水に入る不快を避け、幼児を救う快を取るのは何の尺度に依ったのであろう? より大きい快を選んだのである。しかし肉体的快不快と精神的快不快とは同一の尺度に依らぬ筈はずである。いや、この二つの快不快は全然相容いれぬものではない。寧しろ鹹水と淡水とのように、一つに融とけ合あっているものである。現に精神的教養を受けない京阪辺の紳士諸君はすっぽんの汁を啜った後、鰻を菜に飯を食うさえ、無上の快に数えているではないか? 且かつ又水や寒気などにも肉体的享楽の存することは寒中水泳の示すところである。なおこの間の消息を疑うものはマソヒズムの場合を考えるが好い。あの呪ろうべきマソヒズムはこう云う肉体的快不快の外見上の倒錯に常習的傾向の加わったものである。わたしの信ずるところによれば、或は柱頭の苦行を喜び、或は火裏の殉教を愛したキリスト教の聖人たちは大抵マソヒズムに罹っていたらしい。

 我我の行為を決するものは昔のギリシア人の云った通り、好悪の外にないのである。我我は人生の泉から、最大の味を汲くみ取とらねばならぬ。『パリサイの徒の如く、悲しき面をなすこと勿なかれ。』耶蘇やそさえ既にそう云ったではないか。賢人とは畢竟荊蕀の路にも、薔薇の花を咲かせるもののことである。


「好悪」芥川龍之介より

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歌謡スクランブル 歌の時代劇(2) ▽中村美律子

1月19日火曜 NHKFM 午後0時30分〜 午後2時00分
歌の時代劇(2) ▽中村美律子

放送楽曲
「旅鴉」五木ひろし(3分12秒)<徳間ジャパン TKCI-70201>

「木枯紋次郎」大川栄策、(ナレーション)芥川隆行(3分51秒)<コロムビア COCP30702>

「子連れ狼」橋幸夫、若草児童合唱団(4分51秒)<コロムビア COCP35647-8>

「箱根八里の半次郎」氷川きよし(4分48秒)<コロムビア CODA1812>

「あれが沓掛時次郎」福田こうへい(4分26秒)<キング KICM30982>

「命しらずの渡り鳥〜次郎長風雲編〜」小林幸子(5分24秒)<コロムビア COCP31643>

「大利根月夜」田端義夫(3分30秒)<テイチク TECE25036>

「刃傷松の廊下」真山一郎(3分36秒)<キング KICX2156>

「弁天小僧」三浦洸一(2分44秒)<ビクター VICL23097>

「お島千太郎」美空ひばり、(セリフ)林与一(5分08秒)<コロムビア COCA70004-6>

「長編歌謡浪曲 元禄名槍譜俵星玄蕃」三波春夫(8分33秒)<テイチク TECE3158-60>


 ▽中村美律子の特集
「河内おとこ節」(4分18秒)<東芝EMI TOCT24844>

「大阪情話〜うちと一緒になれへんか〜」(4分48秒)<東芝EMI TOCT24844>

「瞼の母」(4分59秒)<東芝EMI TOCT24844>

「島田のブンブン」(4分05秒)<東芝EMI TOCT24212>

「壺坂情話」(5分52秒)<東芝EMI TOCT24212>

「鬼の背中」(4分33秒)<キング KICX5209>

「酒場ひとり」(4分44秒)<東芝EMI TOCT24212>


【歌謡スクランブル】より
なかなかドラマチックな内容です。
昭和に製作された時代劇の音楽を聴き直すチャンスですね。
posted by koinu at 13:00| 東京 ☁| 音楽時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする