2020年07月05日

『可能性の文学』織田作之助

 定跡へのアンチテエゼは現在の日本の文壇では殆んど皆無にひとしい。将棋は日本だけのものだが、文学は外国にもある。しかし日本の文学は日本の伝統的小説の定跡を最高の権威として、敢て文学の可能性を追求しようとはしない。外国の近代小説は「可能性の文学」であり、いうならば人間の可能性を描き、同時に小説形式の可能性を追求している点で、明確に日本の伝統的小説と区別されるのだ。日本の伝統的小説は可能性を含まぬという点で、狭義の定跡であるが、外国の近代小説は無限の可能性を含んでいる故、定跡化しない。「可能性の文学」はつねに端の歩が突かれるべき可能性を含んでいるのである。

(中略)

 私は年少の頃から劇作家を志し、小説には何の魅力も感じなかったから、殆んど小説を読まなかったが、二十六歳の時スタンダールを読んで、はじめて小説の魅力に憑かれた。しかし「スタンダールやバルザックの文学は結局こしらえものであり、心境小説としての日本の私小説こそ純粋小説であり、詩と共に本格小説の上位に立つものである」という定説が権威を持っている文壇の偏見は私を毒し、それに、翻訳の文章を読んだだけでは日本文による小説の書き方が判らぬから、当時絶讃を博していた身辺小説、心境小説、私小説の類を読んで、こういう小説、こういう文章、こういう態度が最高のものかというノスタルジアを強制されたことが、ますます私をジレンマに陥れたのだ。 私は人間の可能性を追究する前に、末期の眼を教わってしまったのである。私は純粋小説とは不純なるべきものだと、漠然と考えていた。当時純粋戯曲というものを考えていた私は、戯曲は純粋になればなるほど形式が単純になり、簡素になり、お能はその極致だという結論に達していたが、しかし、純粋小説とは純粋になればなるほど形式が不純になり、複雑になり、構成は何重にも織り重って遠近法は無視され、登場人物と作者の距離は、映画のカメラアングルのように動いて、眼と手は互いに裏切り、一元描写や造形美術的な秩序からますます遠ざかるものであると考えていた。小説にはいかなるオフリミットもないと考えていた。小説は芸術でなくてもいいとまで考えたのだ。しかし、日本の文学の考え方は可能性よりも、まず限界の中での深さということを尊び、権威への服従を誠実と考え、一行の嘘も眼の中にはいった煤のように思い、すべてお茶漬趣味である。そしてこの考え方がオルソドックスとしての権威を持っていることに、私はひそかにアンチテエゼを試みつつ、やはりノスタルジア的な色眼を使うというジレンマに陥っていたのである。しかし、最近私は漸くこのオルソドックスに挑戦する覚悟がついた。挑戦のための挑戦ではない。私には「可能性の文学」が果して可能か、その追究をして行きたいのである。「可能性の文学」という明確な理論が私にあるわけではない。私はただ今後書いて行くだろう小説の可能性に関しては、一行の虚構も毛嫌いする日本の伝統的小説とはっきり訣別する必要があると思うのだ。日本の伝統的小説にもいいところがあり、新しい外国の文学にもいいところがあり、二者撰一という背水の陣は不要だという考え方もあろうが、しかし、あっちから少し、こっちから少しという風に、いいところばかりそろえて、四捨五入の結果三十六相そろった模範的美人になるよりは、少々歪んでいても魅力あるという美人になりたいのだ。

(中略)

「可能性の文学」は果して可能であろうか。しかし、われわれは「可能性の文学」を日本の文学の可能としなければ、もはや近代の仲間入りは出来ないのである。小説を作るということは結局第二の自然という可能の世界を作ることであり、人間はここでは経験の堆積たいせきとしては描かれず、経験から飛躍して行く可能性として追究されなければならぬ。そして、この追究の場としての小説形式は、つねに人間の可能性に限界を与えようとする定跡である以上、自由人としての人間の可能性を描くための近代小説の形式は、つねに伝統的形式へのアンチテエゼでなければならぬのに、近代以前の日本の伝統的小説が敗戦後もなお権威をもっている文壇の保守性はついに日本文学に近代性をもたらすという今日の文学的要求への、許すべからざる反動である。現在少数の作家が肉体を描くという試みによって、この保守性に反抗しているのは、だから、けっしてマイナス的試みではない。しかし、肉体を描くということは、あくまで終極の目的ではなくて単なるデッサンに過ぎず、人間の可能性はこのデッサンが成り立ってはじめてその上に彩色されて行くのである。しかし、この色は絵画的な定着を目的とせず、音楽的な拡大性に漂うて行くものでなければならず、不安と混乱と複雑の渦中にある人間を無理に単純化するための既成のモラルやヒューマニズムの額縁は、かえって人間冒涜ぼうとくであり、この日常性の額縁をたたきこわすための虚構性や偶然性のロマネスクを、低俗なりとする一刀三拝式私小説の芸術観は、もはや文壇の片隅へ、古き偶像と共に追放さるべきものではなかろうか。そして、白紙に戻って、はじめて虚無の強さよりの「可能性の文学」の創造が可能になり、小説本来の面白さというものが近代の息吹をもって日本の文壇に生れるのではあるまいか。

(「改造」昭和二十一年十二月号)


織田作之助 1913.10.26. 大阪生まれ、1947.1.10. 東京没、小説家。第三高等学校に5年在学して退学(1936) 。『雨』 (38) で武田麟太郎に認められ,結婚 (39) 後,『夫婦善哉  (40) で作家としての地位を確立,『勧善懲悪』 (42) ほかの力作を続々発表したが,長編『青春の逆説』 (41) が反軍国主義作品として発禁処分を受けた。 1946年『六白金星』『アド・バルーン』『世相』『競馬』など敗戦直後の混乱の世相を描いた短編を発表,また私小説の伝統に決別宣言をした評論『可能性の文学』を執筆,その実験的作品と目された長編『土曜夫人』を8月より『読売新聞』に連載したが,年末に喀血して翌年死去した。一切の思想や体系への不信,旧伝統への反逆を目指し,固有の感覚や直観に裏づけられたスタンダール風のテンポの早い作風であった。

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『大唐西域記』

『大唐西域記』

唐僧玄奘が記した見聞録・地誌で646年(貞観20年)成立。全12巻。玄奘が詔を奉じて撰述して、一緒に経典翻訳事業に携わっていた長安・会昌寺の僧、弁機が編集した。


求法の旅を終えて帰国した玄奘は、持ち帰った経巻の訳業を皇帝の太宗に願い出た。許可に当たって西域の詳細な報告書を提出するよう命じられて、編纂された報告書が本書『大唐西域記』となる。


《巻第一》

古代印度の世界像(須弥山説)

贍部州の四主

諸国の異俗

胡人の習俗(タリム盆地)

阿耆尼国(焉耆)

屈支国(クチ、亀茲)

跋禄迦国(バールカー、姑墨)

窣利(スーリ、ソグディアナ) - 窣利総記(ソグド人)

笯赤建国(ヌージカンド)

赭時国(チャーチュ、石国)

㤄捍国(フェルガナ、大宛)

窣堵利瑟那国(ストリシナ)

颯秣建国(サマルカンド、康国)

弭秣賀国(マーイムルグ、米国)

劫布呾那国(カブーダン、曹国)

屈霜儞迦国(クシャーニヤ、何国)

喝捍国(カリガーンカト、東安国)

捕喝国(ブハラ、中安国)

戊地国(パイカンド、西安国)

貨利習弥伽国(クワーリズム)

羯霜那国(史国)

覩貨邏(トカラ、トハリスタン) - 覩貨邏国総記

呾蜜国(テルメズ)

赤鄂衍那国(チャガヤーナ)

忽露摩国(カルーン)

愉漫国(シュマン)

鞠和衍那国(クワーヤーナ)

鑊沙国(ワクシュ)

珂咄羅国(クッタル)

拘謎陁国(クマード)

縛伽浪国(バグラーン)

紇露悉泯健国(ルーシミンガーン)

忽懍国(クルム)

縛喝国(バルク)

鋭秣陁国(アンバール)

胡寔健国(グーズガーン)

呾剌健国(ターラカーン)

掲職国(ガチ)

梵衍那国(バーミヤーン)

迦畢試国(カーピシー)


《巻第二》

印度総説

北印度

濫波国

那掲羅曷国(ナガラハル)

健馱邏国(ガンダーラ)


《巻第三》

烏仗那国(ウッディヤーナ)

鉢露羅国

呾叉始羅国(タクシャシラー)

僧訶補羅国(シンハプラ)

烏剌尸国(ウラシャー)

迦湿弥羅国(箇失蜜、カシミール)

半笯蹉国(パルノーツァ)

遏羅闍補羅国(ラージャプラ)


《巻第四》

磔迦国(タッカ)

至那僕底国(チーナブクティ)

闍爛達羅国(ジャーランダラ)

屈露多国(クルータ)

設多図盧国(シャタドル)

中印度

波理夜呾羅国(パーリヤートラ)

秣菟羅国(マトゥラー)

薩他泥湿伐羅国(スターネーシヴァラ)

窣禄勤那国(スルグナ)

秣底補羅国(マテプラ)

婆羅呼摩補羅国(ブラフマプラ) - 蘇伐剌拏瞿呾羅国(スヴァルナゴートラ、東女国)

瞿毗霜那国(ゴヴィシャーナ)

堊醯掣呾羅国(アヒチャットラ)

毗羅刪拏国(ヴィラサーナ)

劫比他国(カピタカ)


《巻第五》

羯若鞠闍国(カーニヤクブジャ)

阿踰陀国(アユダー)

阿耶穆佉国(アヤムカ)

鉢邏耶伽国(プラヤーガ)

憍賞弥国(カウシャーンビー)

鞞索迦国(ヴィサーカー)


《巻第六》

室羅伐悉底国(シラーヴァスティー、現サヘート・マヘート遺跡群)

劫比羅伐窣堵国(カピラヴァストゥ)

藍摩国(ラーマ)

拘尸那掲羅国(クシナガラ)


《巻第七》

婆羅痆斯国(バーラーナシー)

戦主国(ガルジャパティプラ、ガルジャナパティ)

吠舎釐国(ヴァイシャーリー)

弗栗恃国(ヴリジ)

尼波羅国(ネパーラ)  


《巻第八》

摩掲陀国(マガダ)上

 

《巻第九》

摩掲陀国下


《巻第十》

伊爛拏鉢伐多国(イラーニヤパルヴァタ)

瞻波国(チャンパー)

羯朱嗢祇羅国

奔那伐弾那国(プンナヴァッダナ)

東印度

迦摩縷波国(カーマルーパ)

三摩呾吒国(サマタタ)

躭摩栗底国(タームラリプティー)

羯羅拏蘇伐剌那国(カルナスヴァルナ)

烏荼国(ウドラ)

恭御陀国(コーンゴーダ)

南印度

羯稜伽国(カリンガ)

憍薩羅国(コーサラ、コーサラ国とは別)

案達羅国(アーンドラ)

馱那羯磔迦国(ダーニヤカタカ)

珠利耶国(チョーダ)

達羅毗荼国(ドラヴィダ)

秣羅矩吒国(マライコッタ)


《巻第十一》

僧伽羅国(シンガラ)…セイロン島(羅刹国)

南印度

恭建那補羅国(コーンカナプラ)

摩訶剌侘国(マハラッタ)

跋禄羯呫婆国(バルカッチャパ)

摩臘婆国(マーラヴァ)

阿吒釐国(アターリ)

契吒国(カッタ)

伐臘毗国(ヴァラビ)

西印度

阿難陀補羅国(アーナンダプラ)

蘇剌他国(スラッタ)

瞿折羅国(グッジャラ)

鄔闍衍那国(ウッジャヤニー)

擲枳陀国

摩醯湿伐羅補羅国(マヘーシヴァラプラ)

信度国(シンドゥ)

茂羅三部盧国(今のムルターン)

鉢伐多国(パルヴァタ)

阿点婆翅羅国

狼掲羅国

(ペルシア)

波剌斯国(ペルシア)

西印度

臂多勢羅国(ピータシャイラ)

阿輿荼国(アヴァンダ)

伐剌拏国


《巻第十二》

漕矩吒国(ジャーグダ)

弗栗恃薩儻那国(ヴリジスターナ)

覩貨邏故地

安呾羅縛国(アンダラーバ)

闊悉多国(カスタ)

活国(グワル、クンドゥーズ)

瞢ノ国(ムンガーン)

阿利尼国(アリーニ)

曷邏胡国(ラーグ)

訖栗瑟摩国(クルスマ)

鉢利曷国(パリーガル)

呬摩呾羅国(ヒーマタラ)

鉢鐸創那国(バダクシャーナ、バダフシャーン)

淫薄健国(ヤンバガーン)

屈浪拏国(クラーンナ、倶蘭)

達摩悉鉄帝国(ダルマスティティ、護蜜)

(パミール高原からタリム盆地)

尸棄尼国(シキーニ、識匿)

商弥国(シャミ)

朅槃陀国(カルバンダ、蒲犁、渇槃陀)

烏鎩国(ウサー)

佉沙国(カーシャ、疏勒)

斫句迦国(チャクカ、朱居、朱倶波)

瞿薩旦那国(ゴースターナ、于闐)


【Wikipedia】より


中央アジアからインドへと、玄奘が歴訪した110か国、伝聞した28か国、更に16か国を付記。具体的に城郭・地区・国の状況など記録された。

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