『死の商人の館 ―シーメンス事件考―』小山牧子著(のじぎく文庫)
神戸住吉川の上流に風見鶏の館を造った、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデの設計による立派な洋館ヘルマン邸があった。現在は跡形も無くなってしまったヘルマン邸は、『死の商人の館』冒頭に廃墟として回想される。
<神戸市の東端を流れる住吉川の流域、ことに上流のあたりは、明治のおわりから大正にかけて、関西の高級住宅地としてひらけた所である。広々とした邸宅の庭からは、松の古木が海に向かって枝をさしのべ、木立と土塀にふちどられた通りには、ピアノの旋律がゆったりとただよっていたりする。>
阪神間モダニズムの始まりは、神戸に近い住吉周辺。明治33年頃、朝日新聞創業者・村山龍平は、御影町郡家に数千坪の土地を取得して、つづいて久原鉱業の久原房之助が住吉川の東岸に1 万坪をこえる土地に回遊式庭園をもつ邸宅を建設する。
<阪神電車の魚崎駅を降り、東側にある川沿いの道を三十分ほど北へ歩くと、道は急なのぼりになる。そこは、すでに六甲山脈の山膚の一部で、あたり一面うっそうと樹木に覆われれているところだ。ヘルマン屋敷はその川ぞいの道を少し東へ、丘のように盛り上がった雑木林の中に建っている。>