2020年06月29日

『赤星鉄馬 消えた富豪』 与那原 恵(中央公論新社)

武器商人として活躍した父から受け継いだ莫大な資産を惜しみなくつぎこみ、日本初の学術財団「啓明会」を設立し、柳田国男ら錚々たる学者の研究を支援。 

アメリカからブラックバスを移入し釣りの世界で名を馳せ、弟たちと日本のゴルフ草創期を牽引。 

樺山愛輔や吉田茂をはじめとする華麗なる人脈を持ちながら、ほとんど何も残さずに世を去った実業家、赤星鉄馬。 

評伝に書かれることを注意深く避けたかのようにさえ見える、その謎に満ちた一生を追った本格ノンフィクション。

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与那原恵 

一九五八年東京都生まれ。九六年、『諸君!』掲載のルポで編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞を受賞。二〇一四年、『首里城への坂道 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』で第二回河合隼雄学芸賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。他の著書に、『物語の海、揺れる島』『もろびとこぞりて』『美麗島まで』『サウス・トゥ・サウス』『まれびとたちの沖縄』『わたぶんぶん わたしの「料理沖縄物語」』などがある。

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与那原恵『赤星鉄馬 消えた富豪』(中央公論新社)令和元年11月刊行。


成歓農場は大正4年鉄馬が朝鮮に創設した農場である。朝鮮陶磁器を愛した五郎の述懐が載っている。


(略)

やきものについては、大正の終わりごろ、青山民吉[美術評論家で民芸運動の同伴者。弟が美術評論家で骨董蒐集家の青山二郎]君と同行し、京城で浅川伯教さんにお眼にかかったのが縁のはじめであった。(略)亡父の数多い道具の処理に手を焼いていた母から、私たちの骨董癖をつよく戒めてきた。

(略)(赤星五郎・中丸平一郎『朝鮮のやきもの 李朝』)


「亡父の数多い道具」とは、父弥之助が蒐集した茶道具で、大正6年入札会が開かれ、その入札金の一部が、啓明会の創設資金となった。与那原著によると、五郎の朝鮮陶磁器コレクションのほとんどは、安宅コレクション(安宅英一)に帰したという。


赤星陸治

三菱(資)参与・地所部長

明治7年1月生、熊本県八代郡の旧家下山群太の二男

同県士族赤星家の養子となり、35年家督相続。34年東京帝国大学法科大学政治科卒業後、三菱合資会社入社

長男平馬(明治39年11月生)


幻の邸宅 レーモンド建築の旧赤星邸を見学 : 吉祥寺

http://blog.livedoor.jp/go_wild/archives/52555296.html

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雲のなかにワンワンがいる?

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