アメリカからブラックバスを移入し釣りの世界で名を馳せ、弟たちと日本のゴルフ草創期を牽引。
樺山愛輔や吉田茂をはじめとする華麗なる人脈を持ちながら、ほとんど何も残さずに世を去った実業家、赤星鉄馬。
評伝に書かれることを注意深く避けたかのようにさえ見える、その謎に満ちた一生を追った本格ノンフィクション。
与那原恵
一九五八年東京都生まれ。九六年、『諸君!』掲載のルポで編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞を受賞。二〇一四年、『首里城への坂道 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』で第二回河合隼雄学芸賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。他の著書に、『物語の海、揺れる島』『もろびとこぞりて』『美麗島まで』『サウス・トゥ・サウス』『まれびとたちの沖縄』『わたぶんぶん わたしの「料理沖縄物語」』などがある。

与那原恵『赤星鉄馬 消えた富豪』(中央公論新社)令和元年11月刊行。
成歓農場は大正4年鉄馬が朝鮮に創設した農場である。朝鮮陶磁器を愛した五郎の述懐が載っている。
(略)
やきものについては、大正の終わりごろ、青山民吉[美術評論家で民芸運動の同伴者。弟が美術評論家で骨董蒐集家の青山二郎]君と同行し、京城で浅川伯教さんにお眼にかかったのが縁のはじめであった。(略)亡父の数多い道具の処理に手を焼いていた母から、私たちの骨董癖をつよく戒めてきた。
(略)(赤星五郎・中丸平一郎『朝鮮のやきもの 李朝』)
「亡父の数多い道具」とは、父弥之助が蒐集した茶道具で、大正6年入札会が開かれ、その入札金の一部が、啓明会の創設資金となった。与那原著によると、五郎の朝鮮陶磁器コレクションのほとんどは、安宅コレクション(安宅英一)に帰したという。
赤星陸治
三菱(資)参与・地所部長
明治7年1月生、熊本県八代郡の旧家下山群太の二男
同県士族赤星家の養子となり、35年家督相続。34年東京帝国大学法科大学政治科卒業後、三菱合資会社入社
長男平馬(明治39年11月生)
幻の邸宅 レーモンド建築の旧赤星邸を見学 : 吉祥寺