2020年04月06日

楽天といわれた詩人・白居易 (772〜846)

「對琴酒」白居易

西窓明且暖 晚坐卷書帷 琴匣

拂開後 酒瓶添滿時

角尊白螺盞 玉軫黃金徽 未及彈與酌 相對已依依

泠泠秋泉韻 貯在龍鳳池 油油春雲心 一杯可致之

自古有琴酒 得此味者稀 秖應康與籍 及我三心知


琴と酒の前で

西の窓は明るくて暖かい

日暮れに座り書斎の幕を巻きあげる

琴の匣を塵を払って開けて瓶に酒をなみなみ満たした時

角で出来た樽に白い螺鈿の杯

玉で出来たつまみに黄金でできたしるし

まだ琴を弾かずとも酒を酌まずとも、目の前にあるだけでも魅了される

秋の泉水の冷ややかな調べは龍池、鳳沼の穴のなかにかくまわれ、

春の雲のふんわりとした心は、この一つの杯にて呼び寄せられる

琴と酒は、古来より伝えられてきたものではあるけれど、

このような思いを感じた人は、本当に少ないと思われる

おそらく、嵆康、阮籍、そして私の三人の心が知るだけ


冬至夜懐湘霊

艶質無由見 寒衾不可親

何堪最長夜 俱作獨眠人


その艶やかにして麗しい姿はもはや見ることはできない

冷え冷えとした褥に肌を寄せるのもできない

なんと侘しく寂しいことだろうか

一年でも一番長いこの夜に

お互いに独り寝をするとは


《老境に極める》

五十年来思慮熟  五十年来の思慮熟す

忙人應未勝閑人  忙人まさに未だ閑人に勝らざるべし

林園傲逸真成貴  林園に傲逸なるは真に貴となし

衣食単疏不是貧  衣食の単疏なるはこれ貧ならず

専掌図書無過地  専ら図書をつかさどる無過の地

遍尋山水自由身  あまねく山水を尋ねる自由の身

儻年七十猶強健  もし年七十にしてなお強健ならば

尚徳閑行十五春  なお閑行すること十五春を得ん


長年の考えがまとまり、忙しくしているよりも、 閑に生きるのが至高の人生であるという漢詩。


臥風北窓下  風に臥す北窓の下

坐月南池頭  月に坐す南地のほとり

脳涼脱烏帽  脳涼しくして烏帽を脱ぎ

足熱濯清流  足熱して清流に洗う

慵発昼高枕  慵発して昼枕を高くし

興来夜浮舟  興来たりて夜舟を浮かぶ

何乃有余適  何ぞすなわち余適あらん

祇縁無過求  ただ過求無きによる


北風に喜びを感じて、南側に座って月を仰ぐ。 寝たいときに寝て、起きたいときに起きる。 過分な欲を持たなければ、楽しみはいくらでもあるだろう。


白居易 772846)

中国,中唐の詩人。太原 (山西省の人。字は楽天。号は香山居士。貞元 16 (800) 年進士に及第。翰林学士,左拾遺などを歴任,元和 10 (815) 年太子賛善大夫のとき罪を得て江州司馬に左遷され,その後地方の刺史や刑部侍郎など中央の官を経て,会昌2 (842) 年刑部尚書として辞任,のち没して尚書右僕射を贈られた。

 現存する詩は三千余首で唐代詩人中最も多く,若い頃の作には社会の矛盾をつく諷諭詩が,晩年には閑寂な境地をうたう詩が多い。玄宗と楊貴妃の愛をうたった『長恨歌』はよく知られる。韓愈とともに「韓白」,李白,杜甫を加えて「李杜韓白」と並称された。

全集『白氏文集』は日本でも平安時代以来広く愛読され,日本文学に大きな影響を与えた。

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2020年04月05日

タロットカードの星座と天体

無意識のうちにザリガニが、這い上がる世界。ふたつの塔に挟まれた月の変化とは?

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タロット占い方のページ。

http://penguintarot.seesaa.net/

《タロットカードの星座と天体》

T魔術師 双子座・処女座(水星)

U女教皇蟹座(月)

V女帝 牡牛座・天秤座(金星)

W皇帝 牡羊座(火星)

X法王 牡牛座(金星)

Y恋人たち 双子座(水星)

Z戦車蟹座(月)

[ 獅子座(太陽)

\隠者 乙女座(水星)

]運命の輪 射手座(木星)

]T正義 天秤座(金星)

]U吊し人魚座(海王星)

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]V死神蠍座(冥王星)

]W節制射手座(木星)

]X悪魔山羊座(土星)

]Y 牡羊座(火星)

]Z 水瓶座(天王星)

][魚座「海王星)

]\太陽獅子座(太陽)

]]審判蠍座(冥王星)

]]T世界 山羊座(土星)

愚者水瓶座(天王星)

《不正は正すべきか》

「LA JUSTICE」の天秤は平衡を保とうとします。正義というより「公平」。剣は、違法を罰する力。
人は生きる上で様々な想いを重ねるので、天秤は揺れます。昂まりと鎮まり、昇りと降り、喜びと苦しみ、得ることと与えること。
そして「公平」も「法」も、時代と社会その時々の価値観で揺れ動くもの。
8番のカードはただ厳しく罰する正義ではなく、慈悲も含んでいるのでしょう。
と、いうことで、ピクトスタイルのペンギンタロットでは、剣は少しだけ傾いています。天秤は、穏やかな和を願って、左右の違いはほんの少しだけ。

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タロット解説

http://zerogahou.cocolog-nifty.com/photos/22/

「さぁて、身軽に行こうかなぁ」

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「ドクター・ホフマンのサナトリウム〜カフカ第4の長編〜」BSプレミアム今夜放送

ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出「ドクター・ホフマンのサナトリウム 〜カフカ第4の長編〜」


カフカの未発表長編小説が発見された現代と、その小説の中の世界と、カフカが生きていた20世紀初頭という3つのパラレルワールドが、コミカルかつシュールに描き出されてゆく。

【出演者】

多部未華子、瀬戸康史、音尾琢真、大倉孝二、村川絵梨、犬山イヌコ、緒川たまき、渡辺いっけい、麻実れいら。

https://natalie.mu/stage/news/373147

カフカによる3つの長編小説「失踪者」「審判」「城」に続く、4作目の長編小説の遺稿が発見されたら……というアイデアから生まれ、題名の「ドクター・ホフマンのサナトリウム」は、カフカが晩年に過ごした療養所の名前から取られている。

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孤島の鬼ごっこ

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孤島の鬼  孤島の鬼  孤島の鬼

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FM 能▽観世流「蘆刈」あしかり

45日NHKFM 午前600分〜 午前655

「蘆刈」(シテと地頭)梅若 万三郎、(ワキと地謡)伊藤 嘉章、(ツレと地謡)八田 達弥、(地謡)長谷川 晴彦、(地謡)梅若 泰志、(地謡)古室 知也(4657秒)

NHK 509スタジオ〜

https://youtu.be/I9jMclzcJRA

【案内】三浦裕子

零落した夫婦が貧苦のあまりに別れて、別々の道を歩む。妻(ツレ)の方は都で大きな屋敷の乳母となり、立身出世する。三年の月日が経ち妻はお供の者を連れ、夫婦が昔住んでいた難波の浦へ夫(シテ)を訪ねて来た。夫は行方知れずになってたが、妻は暫く逗留し夫の行方を捜すことした。夫はその後暮らし向きにも変わりなく蘆売りに身をやつして、難波の浦へとやってくる。蘆を刈る貧しい身を嘆きつつ、行き合った妻の従者(ワキ)へそれとは知らず蘆を売りに行く。

難波の浦の謂れを語り、笠尽くしの芸能を見せていると、蘆を一本所望された。夫が蘆を持ち妻の前へ行った時に、二人はお互いを認める。

今の姿に恥じて身を隠す夫に、妻は一人で夫の元へ行く。二人はお互いに和歌を詠みあい、三年の月日も変わらなかった心を確かめ合う。

やがて夫は烏帽子、直垂を身につけて、和歌の徳を称え、祝言の舞を舞い、夫婦ともに連れ立って都へ帰るのだった。【幕】

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2020年04月04日

「オダサクはんのめでたいユーレイ」多田道太郎

 オダサク追悼漫才大会と大書した気球があかっている。音楽堂ではチャッチャッチャッの伴奏入りで漫才をやっている。と、突然、漫才師が叫ぶ。
「あツ、めでたくオダサクはんの幽霊が出やはりましたがな。きゃッ」

 難波駅近くの御堂筋の東側に当時「彼が愛した『わが町』大阪では、彼の急逝のある夜その店の娘さんがが店番をしていると、表の戸口から一人の痩せた青年の蒼白い顔が覗いた。『あっ、織田作さんやわ』と娘さんが思った瞬間、相手は持ち前のあった小さな薬屋、彼はその店のおとくいの一人だったのだが、薄笑いを浮べながら、右手を差し出して、『ヒロポンをくれ』といったというのである」。

 夢の中にしろゴシップの中にしろ織田作之助はユーレイかお化げか、そんなもんのある作家だった。ユーレイとお化けのちがいは、人に憑くのがユーレイで、に憑くのがお化けという民俗学者の説があるけど、その伝でゆくと、青山光二に出てきたのがユーレイで、ミナミの薬屋の店先に出てきたのはお化けということになる。

 織田作のユーレイにしろお化けにしろ、ち太っぴり恨みはふくんでいるものの、どことなく陽気で、滑稽でさえある。織田作之助は、小説だげでなく、ユーレイもまた何かのパロディじみている。 

 大阪弁で「なんぼの者と思うてるのや」という悪態がある。織田作之助がそう言われたら「坐蒲団だけのもんや」と言い返したかもしれない。けれど彼はノスタルジー坐蒲団のうえに尻を落着けていられる作家ではなかった。
 彼はことばのトランポリンのうえを飛んだりはねだり踊ったりの大好きな人で、厳粛大好きの戦争中に、よくまあとおどろく人もいるだろうが、ゲソシュクー途の世の中だからこそ、「一勝半七」の坐蒲団的パロディからいっそ悪態、地口、駄洒落の雲の上で、飛んだりはねだりの「猿飛佐助」のパロデ″に乗り移れだのかもしれなかった。今(一九九三年)の笑いの観客は、演者が何も芸をしない前から半分口をあげてゲラゲラの構え、これでは芸ができるはずがない−‐‐というような小林信彦の慨嘆の声をきいて、なるほどなあと思ったが、戦争中はテコでも笑わぬ勝つまではの気概、面構えの面々を前にしてオダサクの反逆の芸心がむずむず動きだすのかも。
〔「オダサクはんのめでたいユーレイ」多田道太郎より〕
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「言葉のダシのとりかた」

「言葉のダシのとりかた」長田 弘       


かつおぶしじゃない。

まず言葉をえらぶ。

太くてよく乾いた言葉をえらぶ。 


はじめに言葉の表面の

カビをたわしでさっぱりと落とす。


血合いの黒い部分から、

言葉を正しく削ってゆく。

言葉が透きとおってくるまで削る。


つぎに意味をえらぶ。

厚みのある意味をえらぶ。


鍋に水を入れて強火にかけて、

意味をゆっくりと沈める。

意味を浮きあがらせないようにして

沸騰寸前サッと掬いとる。


それから削った言葉を入れる。

言葉が鍋のなかで踊りだし、 

言葉のアクがぶくぶく浮いてきたら

掬ってすくって捨てる。


鍋が言葉もろともワッと沸きあがってきたら

火を止めて、あとは

黙って言葉を漉しとるのだ。 


言葉の澄んだ奥行きだけがのこるだろう。

それが言葉の一番ダシだ。

言葉の本当の味だ。


だが、まちがえてはいけない。

他人の言葉はダシにはつかえない。

いつでも自分の言葉をつかわねばならない。


おさだひろし

19392015 昭和後期-平成時代の詩人,評論家。

昭和141110日生まれ。早大在学中同人誌「鳥」を創刊,「地球」「現代詩」などにくわわる。昭和40年やわらかくなじみやすい表現によって,けんめいに明日への希望をつむぐ詩集「われら新鮮な旅人」,詩論集「抒情の変革」を発表。57年「私の二十世紀書店」で毎日出版文化賞,詩集「心の中にもっている問題」で平成2年富田砕花賞,3年路傍の石文学賞。21年「幸いなるかな本を読む人」で詩歌文学館賞。22年詩集「世界はうつくしいと」で三好達治賞。26年「奇跡―ミラクル―」で毎日芸術賞。ほかに「死者の贈り物」「深呼吸の必要」,評論「探究としての詩」,エッセイ「本を愛しなさい」など。平成2753日死去。75歳。福島県出身。

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松本たかし短歌

チチポポと鼓打たうよ花月夜

春月の病めるが如く黄なるかな

海中に都ありとぞ鯖火燃ゆ

夢に舞ふ能美しや冬籠

水仙や古鏡のごとく花をかゝぐ

雪だるま星のおしやべりぺちやくちやと

(松本たかし短歌より)


定型歌はリズムがあり、結晶のように圧縮されて、視覚要素へも響く。

反対に自由形式での詩作は、雑文のような吐き溜まりになりがちとなる可能性はある。

短い歌の機能は速いスピード感の視覚表現に似て、反射神経が次のように求めらる。


夏めくや庭を貫く滑川

大島と久に逢ひ見て梅雨晴れぬ

咲きのぼり梅雨晴るる日の花葵

遠雷や波間波間の大凹み

幟の尾垂れたる見えて夕庇

荒れ荒れし人も神輿も息みをり

二つづつ放り出しけり早苗束

早苗束放る響きの谷間かな

早苗束膝に当ててはくくりけり

蚊遣火や夕焼冷むる淡路島

渦巻の残りすくなき蚊遣香

日蔽舟扇使ひの人見ゆる

氷食ふ二階の欄にまたがりて

蛍籠飛ぶ火落つる火にぎやかに

桐の花散りひろごれり寺静

百日紅こぼれて庫裡へ石畳

えごの花かかりて蜘蛛の糸見えず

雨音につつまれ歩く若葉かな

下闇に遊べる蝶の久しさよ

左右より芍薬伏しぬ雨の径

一面の著莪にさざめく洩日かな

紫陽花の大きな毬の皆褪せし

睡蓮の葉に掌をかけて亀しばし

ほのぼのと泡かと咲けり烏瓜

青蔦の這うて暗しや軒の裏

萍に松の緑を摘み捨てし

(松本たかし短歌より)

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佐藤鬼房の俳句

【佐藤鬼房の俳句】

いつまでも在る病人の寒卵

ながあめの祖國の異國下痢はやる

ねむれぬ夜端々ひかる梅の枝

ぼろぼろの雲の夕燒基地海岸

みちのくは底知れぬ国大熊生く

やませ来るいたちのやうにしなやかに

七五三妊婦もつとも美しき

下北の首のあたりの炎暑かな

切株があり愚直の斧があり

友ら護岸の岩組む午前スターリン死す

吾在りて泛ぶ薄氷聲なき野

地吹雪や王国はわが胸の中に

夏も末の島波薄き雜誌手に

夏季鬪爭ぱつちり黒い瞳の少女

奢りながき夕燒透いて不作の田

子雀に朝燒さめて光さす

孤兒たちに清潔な夜の鰯雲

寒夜の川逆流れ滿ち夫婦の刻

寒夜子へ歸る溝川も光もつ

寒明けの山肌を剥ぎ岩きざむ

平和は一つあげし男の子に麥穂だつ

平和遠し春の蟆子をば咳きてはく

怒りの詩沼は氷りて厚さ増す

春蘭に木もれ陽斯かる愛もあり

朝の日ざし栗毛の仔犬凍れる樹

根雪掘る二十代經し妻の背よ

油じむ肘のつよさも氷雨中

港灣にくそまり雪をつのらしむ

滾る銀河よ眞實獄へ想ひ馳す

父の方へかけくる童女花了ふ樹

生きて食ふ一粒の飯美しき

立ち尿る農婦が育て麥青し

綾取の橋が崩れる雪催

縄とびの寒暮傷みし馬車通る

肩で押す貨車に冬曉朱の一圓

藍いろの火がきつとある桜の夜

誰か死に工場地帶萌えきざす

赤沼に嫁ぎて梨を売りゐたり

逆立つ世棕梠は花つけ赤兒睡る

陰になる麦尊けれ青山河

露けさの千里を走りたく思ふ

年へ愛なき冬木日曇る

麥のたしかな大地子の背丈

鳥帰る無辺の光追ひながら

黙々生きて曉の深雪に顔を捺す


佐藤鬼房 (さとう-おにふさ)

19192002 昭和-平成時代の俳人。

大正8320日生まれ。「句と評論」に投句。戦後は西東三鬼に師事して社会性俳句で注目される。

「天狼」同人をへて昭和60年宮城県塩竈市で「小熊座」を創刊主宰。平成2年「半跏坐(はんかざ)」で詩歌文学館賞,5年「瀬頭」で蛇笏(だこつ)賞。

平成14119日死去。82歳。岩手県出身。本名は喜太郎。

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2020年04月03日

『寺山修司青春歌集』角川文庫

一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき――恋人、故郷、太陽、桃、蝶、そして祖国、刑務所。含羞にみちた若者の世界をみずみずしい情感にあふれた言葉でうたい続け、詩の世界にひとつの大きな礎を築いた寺山修司。

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この書名に違和感あるほど、老成された内容に驚異する。例えば、


「歌ひとつ覚えるたびに星ひとつ熟れて灯れるわが空をもつ」


寺山修司の刊行した、歌集が発表順に収録。第一歌集『空には本』から『血と麦』『テーブルの上の荒野』『田園に死す』、さらには「初期歌篇」と続く重厚な書物だが、文庫本としてスマートな冊子。まず寺山修司は「私」が登場しない客観視点として、三人称で短歌を書くという離れ技から初めている。


だれも見ては黙って過ぎきさむき田に抜きのこされし杭一本を


めつむりていても濁流はやかりき食えざる詩すらまとまらざれば


にんじんの種子庭に蒔くそれのみの牧師のしあわせ見てしまいたる


枯れながら向日葵立てり声のなき凱歌を遠き日がかえらしむ


群衆のなかに昨日を失いし青年が夜の蟻を見ており


「私」のない歌は第一歌集『空には本』から、寺山修司のカメラ向こう側にある語句たちである。三人称で語られる物語の登場人物に近い。歌のなかに「私」が現れてても同じなのである。


銃声をききたくてきし寒林のその一本に尿まりて帰る


朝の渚より拾いきし流木を削りておりぬ愛に渇けば


胸の上這わしむ蟹のざわざわに目をつむりおり愛に渇けば


わが野性たとえば木椅子きしませて牧師の一句たやすく奪う


夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず


小説では一人称と三人称どちらが優れている描写なのか。私小説のような詩作は誰しもが手を染めるダサイ要素がある。しかし定型俳句や短歌の世界で、人称を自在に操ると「われ」の存在から現実味が乖離されて「われ」の言葉が美しく翔ぶ。


雲の幅に暮れ行く土地よ誰のためわれに不毛の詩は生るるや


目つむりて春の雪崩をききいしがやがてふたたび墓掘りはじむ


一本の骨をかくしにゆく犬のうしろよりわれ枯草をゆく


わが影を出てゆくパンの蠅一匹すぐに冬木の影にかこまる


これらは第一歌集『空には本』短歌で人称が自在に変転される技法を十代で身に付けていた。「あとがき」の文章も掲載されている。


「新しいものがありすぎる以上、捨てられた瓦石がありすぎる以上、僕もまた「今少しばかりのこっているものを」粗末にすることができなかった。のびすぎた僕の身長がシャツのなかへかくれたがるように、若さが僕に様式という枷を必要とした。

 定型詩はこうして僕のなかのドアをノックしたのである。縄目なしには自由の恩恵はわかりがたいように、定型という枷が僕の言語に自由をもたらした」(「僕のノオト」『空には本』より)


帆やランプなどが生かしむやわらかき日ざしのなかの夏美との朝


青空のどこの港へ着くとなく声は夏美を呼ぶ歌となる


どのように窓ひらくともわが内に空を失くせし夏美が眠る


空を呼ぶ夏美のこだまわが胸を過ぎゆくときの生を記憶す


わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川ぎしとして


わが埋めし種子一粒も眠りいん遠き内部にけむる夕焼


水草の息づくなかにわが捨てし言葉は少年が見出ださむ


わが内に獣の眠り落ちしあとも太陽はあり頭蓋をぬけて


とにかく収録歌数が多すぎて、圧縮された作品がぎっしり記された歌集五冊分を紐解くのは心的には充満した本。「種子」という言葉が多くあり、発芽して数年後には樹に育っていくイメージは歌集にも拡っている。


地下水道をいま通りゆく暗き水のなかにまぎれて叫ぶ種子あり


砂糖きびの殻焼くことも欲望のなかに数えんさびしき朝は


ドラム罐に顎のせて見るわが町の地平はいつも塵芥吹くぞ


電線はみなわが胸をつらぬきて冬田へゆけり祈りのあとを


寝台の上にやさしき沈黙と眠いレモンを置く夜ながし


愛されているうなじ見せ薔薇を剪るこの安らぎをふいに蔑む


地下鉄の入口ふかく入りゆきし蝶よ薄暮のわれ脱けゆきて


思い出すたびに大きくなる船のごとき論理をもつ村の書記


もうこれは現代詩のやってる不定型の表現を、短歌の領域でパンチを繰り出している。構想された長篇小説のエッセンスを読んでいる印象となる。

十代で同人誌活動にピリオドをうち、寺山修司は二十代から本格的に詩作、演劇、映画へと進んでいくのだった。


アスピリンの空箱裏に書きためて人生処方詩集と謂ふか


地下鉄の真上の肉屋の秤にて何時もかすかに揺れてゐるなり


撞球台の球のふれあふ荒野までわれを追ひつめし 裸電球


地平線縫ひ閉ぢむため針箱に姉がかくしておきし絹針


生命線ひそかに変へむためにわが抽出しにある 一本の釘


売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき


見るために両瞼をふかく裂かむとす剃刀の刃に地平をうつし


かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭


映画プロットのようにも読める定型俳句。ただならない予感がする歌の数々である。東北から上京した少年が、才能を展開していく様子は、インターネットで彼の履歴を検索しただけでも解る。詩作品は初期俳句を水割りして、飲みやすくされたとも読める。


春の野にしまひ忘れて来し椅子は鬼となるまでわがためのもの


地球儀の陽のあたらざる裏がはにわれ在り一人青ざめながら


とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を


知恵のみがもたらせる詩を書きためて暖かきかな林檎の空箱


倖せをわかつごとくに握りいし南京豆を少女にあたう


わが夏をあこがれのみが駈け去れり麦藁帽子被りて眠る


失いし言葉がみんな生きるとき夕焼けており種子も破片も


駈けてきてふいにとまればわれをこえてゆく風たちの時を呼ぶこえ


「今日までの私は大変「反生活的」であったと思う。そしてそれはそれでよかったと思う。だが今日からの私は「反人生的」であろうと思っているのである」(「私のノオト」『血と麦』より)


「地球儀を見ながら私は「偉大な思想などにはならなくともいいから、偉大な質問になりたい」と思っていたのである」(「跋」『田園に死す』より)


『テーブルの上の荒野』『田園に死す』にある「新・病草紙」や「新・餓鬼草紙」は最高傑作の極みにあると賞賛されている。歌集を購入した理由はそのことを確認したかったからだった。


新しき仏壇買ひ行きしまま行方不明のおとうとと鳥


生命線ひそかに変へむためにわが抽出しにある 一本の釘 


地平線揺るる視野なり子守唄うたへる母の背にありし日以後


かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭


漫才の声を必死につかまむと荒野農家のテレビアンテナ


炉の灰にこぼれおちたる花札を箸でひろひて恩讐家族


死の日より逆さに時をきざみつつつひに今には至らぬ時計


空罐を蹴りはこびつつきみのゐる刑務所の前通りすぎたり

(寺山修司『田園に死す』より)


今日も閉ぢてある木の窓よマラソンの最後尾にて角まがるとき


もの言へば囀りとなる会計の男よ羞づかしき翼出せ

(寺山修司『テーブルの上の荒野』より)


「まことに今宵は書斎の里のざこ寝とて定型七五 花鳥風月 雅辞古語雑俳用語、漢字ひらがな、形容詩詞にかぎらず新旧かなづかひのわかちもなく みだりがはしくうちふして 一夜は何事も許すとかや。いざ、是より、と朧なる暗闇に、さくら紙もちてもぐりこめば、筆はりんりんと勃起をなし、その穂先したたるばかり。言葉之介、一首まとめむと花鳥風月をまさぐれば、まだいはけなき姿にて逃げまはるもあり。そのなかをやはらかく こきあげられて絶句せるは、老いたる句読点ならむか」(「初期歌集」より)


「新・病草紙」は、ぞっとする奇怪な散文詩ごときをユーモラスな文体で、連綿と演劇のように描かれている。


「ちかごろ男ありけり、風病によりて、さはるものにみな、毛生ゆるなれば、おのれを恥ぢて何ごとにも、あたらず、さはらず。ただ、おのがアパートにこもりて、妻と酒とにのみかかはりあひて暮しゐたり」


「花食ひたし、という老人の会あり。槐、棕櫚、牡丹、浦島草、茨、昼顔などもちよりて思案にくれてゐたり。一の老、鍋に煮て食はむと言へども鍋なし。さればと地球儀を二つに割りて鍋がはりに水をたたえて花を煮たれど、花の色褪めて美食のたのしびうすし。また二の老、焼き花にせむと火の上に串刺しの花をならべて調理するも、花燃えてすぐにかたちなし。されば三の老、蒸し花、煎り花料理をこころみしが、これも趣きなし。花は芍薬、罌粟、紫蘭、金魚草などみな鮮度よければ、なまのまま食はむと四の老言ひて盛りつけたれど、老、口ひらくことせまく、花を頬ばり、咀嚼すること難し」


「無才なるおにあり、名づくる名なし、かたちみにくく大いなる耳と剝きだしの目をもちたり。このおに、ひとの詩あまた食らひて、くちのなか歯くそ、のんどにつまるものみな言葉、言葉、言葉―ひとの詩句の咀嚼かなはぬものばかりなり」

(「新・病草紙」より)


中井英夫による「解説」

「いったい、十六年という歳月は、長いのか短いのか、どちらだろう。むろん作者にとっても、それはどうともいえないはずだが、変貌という点ではめざましく、出現の当時が十八歳、早稲田の教育学部の学生だったのが、現在は劇団天井桟敷の主宰者で前衛演劇の中心人物となり、その成果を世界の各国に問うているのを見ても肯けよう。一方、千年の歴史を持つ短歌の中においてみると、その年月は、あたかも掌から海へ届くまでの、雫の一たらしほどにもはかない時間といえる。だがこの雫は、決してただの水滴ではなく、もっとも香り高い美酒であり香油でもあって、その一滴がしたたり落ちるが早いか、海はたちまち薔薇いろにけぶり立ち、波は酩酊し、きらめき砕けながら「いと深きものの姿」を現前させたのだった」(中井英夫「解説」より)


寺山修司を語る―物語性の中のメタファー

http://www.1101.com/yoshimoto_voice/


『田園に死す』の長歌「修羅、わが愛」 にも困りました。そこには、こう書いてほしいということが全部書いてある。

https://1000ya.isis.ne.jp/0413.html

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繁殖と色彩を観る!

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観るのだ、観るのだ、観るのだ!
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2020年04月02日

『勉強の哲学 来たるべきバカのために』増補版 (文春文庫) 千葉 雅也

「勉強」が気になっているすべての人へ! 勉強ができるようになるためには、変身が必要だ。勉強とは、かつての自分を失うことである。深い勉強とは、恐るべき変身に身を投じることであり、それは恐るべき快楽に身を浸すことである。


そして何か新しい生き方を求めるときが、勉強に取り組む最高のチャンスとなる。日本の思想界をリードする気鋭の哲学者が、独学で勉強するための方法論を追究した本格的勉強論!

文庫本書き下ろしの「補章」が加わった完全版。解説・佐藤優


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千葉雅也@masayachiba

哲学、創作。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。『動きすぎてはいけない:ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(紀伊國屋じんぶん大賞2013、第5回表象文化論学会賞)、『勉強の哲学』、『意味がない無意味』、『アメリカ紀行』、 『デッドライン』(第41回野間文芸新人賞、第162回芥川賞候補)など。千葉雅也さん初小説「デッドライン」インタビュー 自由の都への憧憬こめた東京小説|好書好日

https://book.asahi.com/article/13033656

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2020年04月01日

正木ひろし「若き日の断想」より

 塵積れば山となる、と云ふ風に考へると一銭十銭が値切って見たくなるが、又人間は貧乏してもめったに餓死することはないと云ふ風に考へるとケチケチする気にはなれなくなる。
     ○
 私はまだ自分で失望する程の力作を書かない。
     ○
 自分は天才でないが故に世の中の天才を顧みて躊躇する暇がない。
     ○
 哲学は小なる迷信を大なる迷信に置き換へるものである。
     ○
 小人は往々如何なる程度迄他人を無視し得るかに依って自己の力を計らうとする。
     ○
 人は単なる模倣により実に大胆な事をする。
     ○
 汝の自由意志の中に汝の宿命を発見せよ。
     ○
 肉体上の刺激が夢の世界では現識の世界と全く関係の無い意味を持ってゐる。
     ○
 自己を其儀表現せむとする衝動に身を任かす喋舌家の「正直さ」は愛すべきだが、一度深い自己に醒めるならばいくら表現しようとしても喋舌とはならない。
     ○
 心の中の生きてゐる自然(所謂「非我」)に触れる時、自分はどうしても神の存在を信ぜざるを得なかった。
     ○
 物、事、のリミットを知るならば、その物、事から超越する。
     ○
 善悪の標準から超越したと称する人、往々好悪愛憎の世界に入る。
     ○
 善悪の観念は意志の世界に於ける当為(ought)から起る。故に自己の有限の意志を尽くして無限の意志に帰入した者には善悪はない。
     ○
 相手を憎むのは相手が何等かの意味でその人に権威を持ってゐるからだ。その内心を動かすだけの力を持ってゐるからだ。(「憎む」と云ふ意味を普通に解して) 
正木ひろし「若き日の断想」より

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ペンギンたち

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パソコン画面から現れた!
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悲哀と嫌悪の根源について

 運命の神秘はその力強い秘義の中に我々全部を包みこんでいるので、生の悲劇的な不条理を残酷なまでに感じないためには、本当のところ何も考えない人間でなければならない。そこにこそ、我々の存在理由についての絶対的な無知にこそ、我々の悲哀と我々の嫌悪との根源はある。
 肉体的な苦患と精神的な苦患、魂と官能との悲惨、邪悪な人間の幸福、正しい者の屈辱、総てそうしたことも、我々がその理法と調和とをなるほどと納得して、そこに摂理を見るとしたならば、まだしも我慢できるものであるだろう。


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 神を信じる者はわが身の潰瘍を喜び、自分の敵の不正な仕打ちや暴力をも快いものと観じるものであり、自ら過ちや罪を犯しても希望を失うことはない。しかし信仰の一切の輝きが消えた世界においては、悪と苦痛とはその意味までも失ってしまい、もはや悍ましい悪ふざけや不吉な笑劇のようなものに見えるばかりである。
 アナトール・フランス『エピクロスの園』生の不条理より     

 好奇心が罪(宗教上の)となる瞬間が常にある。
  されば悪魔は常に学者の傍に身を置いて来た。
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