2020年03月27日

石垣りん詩集(ハルキ文庫)

『石垣りん詩集』を読んで、律して生きた詩人の姿が浮かんで、「容赦ないユーモア」と慈しみの心を鮮やかに感じる。 
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「夜毎」


深いネムリとは

どのくらいの深さをいうのか。

仮に

心だとか、

ネムリだとか、

たましい、といつた、

未発見の

おぼろの物質が

夜をこめて沁みとおつてゆく、

または落ちてゆく、

岩盤のスキマのような所。

砂地のような層。

それとも

空に似た器の中か、

とにかくまるみを帯びた

地球のような

雫のような

物の間をくぐりぬけて

隣りの人に語ろうにも声がとどかぬ

もどかしい場所まで

一個の物質となつて落ちてゆく。

おちてゆく

その

そこの

そこのところへ。

旅情

ふと覚めた枕もとに

秋が来ていた。

遠くから来た、という

去年からか、ときく

もつと前だ、と答える。

おととしか、ときく

いやもつと遠い、という。

では去年私のところにきた秋は何なのか

ときく。

あの秋は別の秋だ、

去年の秋はもうずつと先の方へ行つている

という。

先の方というと未来か、ときく、

いや違う、

未来とはこれからくるものを指すのだろう?

ときかれる。

返事にこまる。

では過去の方へ行つたのか、ときく。

過去へは戻れない、

そのことはお前と同じだ、という。

がきていた。

遠くからきた、という。

遠くへ行こう、という。


(石垣りん詩集『表札など』より)


現代詩は様式やカテゴリーがないことで、あらゆる日常生活や芸能にも食い込むことが出来る。

詩集は小説より薄くて、小冊子ながらぎっしりとネタが圧縮されて持ち運びにも便利だと思う。

しかし編集者ない状態から自主出版された詩集などは、関門なき自堕落内容が殆どなので、三文小説を読んだほうがマシな場合が多い。

どんなジャンルも「洗練」という境地を乗り越えて行かねばならない。

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▽和泉流狂言「宗論」「舟ふな」 3月29日日曜 NHKFM 午前6時00分〜 6時55分放送。

【ラジオで狂言】想像力が倍増

現代でいうところの「よしもと新喜劇」、人々の日常生活で沸き起こる笑いをテーマにした喜劇。

登場人物はほとんど無名の人々で、日々の出来事が題材。起承転結がはっきりして、1曲が短時間で終わり、気軽に観られる狂言の特長。


和泉流狂言「宗論」「舟ふな」

329日日曜 NHKFM 午前600分〜 655分放送。

【ご案内】高桑いづみ,【出演】野村萬,野村万蔵,能村晶人,野村万之丞

「宗論」

(シテ)野村 万蔵、(アド)野村 萬、(小アド)能村 晶人(3749秒)

「舟ふな」

(シテ)野村 万之丞、(アド)野村 万蔵(1157秒)


【あらすじ】

主人の供をして参拝に出かけた太郎冠者は、道中の渡し場で「ふなやーい」と船頭を呼ぶ。

主人が「ふね」と呼ぶように注意すると、太郎冠者は古歌を引用して「ふな」だと反論した。

主人も負けじと古歌をあげて「ふね」だとやり返すが、次々と古歌を引く太郎冠者に圧倒されてしまうのだ。

そこで主人は謡曲の『三井寺』の一節「〜ふねもこがれいづらん」と謡うが、次に続く謡が「ふな〜」だったために詰まった。

太郎冠者が「ふな人もこがれいづらん」と続けて謡ったら、主人が叱ってふなひき〜幕引きです。


【見どころ】

引用される古歌や謡曲の知識なくても、アホが主人をやり込めてしまうところに軽妙なおかしみがあって、あらゆるドラマの応用となる。

筒井康隆さんのような古典から、奇抜な発想をする民間芸能の解釈。

「現代吉本」と異なるのは魂の浄化機能が、物語起伏に邪気払いとして含まれている笑いの伝承文化。

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