2020年03月21日

現代詩文庫・富岡多恵子詩集

富岡多惠子は詩人として出発し、のち小説に転じ、さらに評伝も手がけるようになった。多才。富岡多惠子の詩は若い頃から好きだった。ぶっきらぼうでおよそ感傷がない。乾いたユーモアがある。(川本三郎)



「静物」

 

きみの物語はおわった

ところできみはきょう

おやつになにを食べましたか

きみの母親はきのう云った

あたしゃもう死にたいよ

きみはきみの母親の手をとり

おもてへ出てどこともなく歩き

砂の色をした河を眺めたのである


きみはきのう云ったのだ

おっかさんはいつわたしを生んだのだ

きみの母親は云ったのだ

あたしゃ生きものは生まなかったよ



「去年の秋のいまごろ」


天気にかんしては

あたしゃどうでもよいと云った

ただしあたしは水を撒かねばならない

かな盥に水をいれて

肩にのせてみなくてはならぬ

会話ははじまるだろう

たいていの日の正午ごろ

男のともだちがきているのであった

その男のともだちは女のともだちを

つれているのであった

そのふたりは下界からきて

枕元に腕時計を忘れていって

あたしは得をしたかわりに

かの女に化粧水をかしてやる

男のともだちは

あめりかとか

ぷえるとりことかいう国からきて

おまいさんはわいせつが上手であると

あたしをよろこばせた

ので

あたしの瞳孔はすくなくとも三倍に

ひらいて

舌をひっこめたのである



いままでの詩なら詩というカタチにことばを書いていくことは、書いていく方のにんげんが詩から自分をズラセルということがしにくかった。つまり、詩の正面に坐っていたから自分も見物衆もたいしておもしろくないのであった。わたしは、自分がことばを書くとき、詩であれ何であれ、自分がどのようにズレル所に坐るかに興味をもっている。(富岡多恵子「詩への未練と愛想づかし」)


「水いらず」

あなたが紅茶をいれ

わたしがパンをやくであろう

そうしているうちに

ときたま夕方はやく

朱にそまる月の出などに気がついて

ときたまとぶらうひとなどあっても

もうそれっきりここにはきやしない

わたしたちは戸をたて錠をおろし

紅茶をいれパンをやいて

いずれ

あなたがわたしを

わたしがあなたを

庭に埋めるときがあることについて

いつものように話しあい

いつものように食物をさがしにゆくだろう

あなたかわたしが

わたしかあなたを

庭に埋める時があって

のこるひとりが紅茶をすすりながら

そのときはじめて物語を拒否するだろう

あなたの自由も

馬鹿者のする話のようなものだった


「返禮」富岡多恵子

                       

   誇ってよい哀しみがふたつある

   部屋のドアをバタンと後に押して

   家の戸口のドアを

   バタンと後に押して

   梅雨の雨で視界のきかない表通りで

   一日の始まる時

   これからどうしよう

   これから何をしよう

   どちらにも

   味方でも敵でもないわたくし

   この具象的疑問を

   誰に相談しよう

   戦争ぎらいで

   平和主義者ではないわたくし

   ただ目を見開いてゆくための努力

   その努力しか出来ない哀しみ


   誇ってよい哀しみはふたつある

   あなたと一緒にいるわたくし

   あなたがわからない

   だからあなたが在るのだとわかるわたくし

   だからわたしが在るのだとわかるわたくし

   あなたがわからない哀しみ

   あなたがあなたである哀しみ


『現代詩文庫・富岡多恵子詩集』より



かの女はくる約束をした

今日はまだこないので

今日死んだのかもしれない

――「女友達」

喋ることと喋らないことのあいだで、言葉の意味と無意味はずるがしこくいれかわる。(富岡多恵子『女友達』あとがき)


「この世の中でかなりおもしろいことは、ウソをつくこと、つまりだましあいであろう。恋は誤解だなぞというのはありふれた言い草であって、ほんとうにウソに酔っているのであり、酔っていたウソにさめて、ウソからはい出るのではなくてウソに徹するのが恋から愛への約束であるだろう」

(『厭芸術浮世草子』富岡多恵子)



富岡多恵子『その日は明るい晴れた日だった』作編曲・坂本龍一 写真・荒木経惟 1976年10月録音。 

物語のようにふるさとは遠い みんな知らないヒトばかり 知らないヒトと恋に落ち 物語のように恋は終る 物語のようにふるさとは遠い 想い出すのは死んだヒトばかり 生きてるヒトには怨みがのこる 帰りたくないふるさとへ 物語のようにふるさとは遠い みんな死んだら一人で帰る 腕にいっぱい花を抱えて帰る

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『死んだ男』『橋上の人』鮎川信夫

『死んだ男』鮎川信夫


たとえば霧や 

あらゆる階段の跫音のなかから、 

遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。 

−−これがすべての始まりである。

遠い昨日…… 

ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、 

ゆがんだ顔をもてあましたり 

手紙の封筒を裏返すようなことがあった。 

「実際は、影も、形もない?」 

−−死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった

Mよ、昨日のひややかな青空が 

剃刀の刃にいつまでも残っているね。 

だがぼくは、何時何処で 

きみを見失ったのか忘れてしまったよ。 

短かかった黄金時代−− 

活字の置き換えや神様ごっこ−− 

「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて…

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、 

「淋しさの中に落葉がふる」 

その声は人影へ、そして街へ、 

黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

埋葬の日は、言葉もなく 

立会う者もなかった、 

憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。 

空にむかって眼をあげ 

きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。 

「さよなら。太陽も海も信ずるに足りない」 

Mよ、地下に眠るMよ、 

きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

(鮎川信夫詩集より)

 

鮎川信夫(1920〜1986)

1941年ごろ自分の仕事の全体を代表するような作品を残したいと考えた。自分の過去から未来にかけての展望を得る場所として橋上の人を選んだ。時間的には過去から未来、空間的にはここからあそこ、また内地から戦地。橋上の人は、その中途に立っている状態で、そこは考える場所、立ち止まった場所。

モダニズム詩人であったが、内心の吐露、内面生活の自由な凝出が必要で、叙情詩となった。

その叙情的な中に哲学的、人生論的なものが入ってきている。初稿を友人に渡して出征したが、戦争中も戦後も加筆訂正して八章となった。

ーーー「橋上の人」について 鮎川信夫と高田三郎の対談よりーーー



『橋上の人』鮎川信夫


T

彼方の岸をのぞみながら

澄みきった空の橋上の人よ、

汗と油の溝渠のうえに、

重たい不安と倦怠と

石でかためた屋根の街の

はるか、地下を潜りぬける運河の流れ、

見よ、澱んだ「時」をかきわけ、

櫂で虚空を打ちながら、

下へ、下へと漕ぎさってゆく舳の方位を。

橋上の人よ、あなたは

秘密にみちた部屋や

親しい者のまなざしや

書籍や窓やペンをすてて、

いくつもの通路をぬけ、

いくつもの町をすぎ、

いつか遠く橋のうえにやってきた。

いま、あなたは嘔気をこらえ、

水晶 花 貝殻が、世界の空に

炸裂する真昼の花火を夢みている。


U

おお時よ、なぜ流れるのか

なぜ止まらないのか

うらぶれた安カフェーで、

酔いどれ水夫が歌っていた。

おお、これからどうしよう……

酒と女におさらばして、

さあゆこう、船着場へ――

未来と希望があるだけさ。

ああ時よ、なぜ流れるのか

なぜ止まらないのか

さんざめく裏街のどん底で、

狂える女が歌っていた。

ああ、これからどうしよう……

空の財布の身を投げに、

さあゆきましょう、船着場へ……

未来も愛もありゃしない。

おお時よ、なぜ流れるのか

なぜ止まらないのか

空気の悪いアパートの一室で、

青白いサラリーマンが歌っていた。

おお、これからどうしよう……

子供をつれて一日だけの安息に、

行ってみようか、船着場へ――

未来と信仰はちがうもの。


V

橋上の人よ

街角をまがる跫音のように

あなたはうしろをふりあえらなかった、

風にとぎれるはかない幻想が

あなたの心にうかんだ道のすべてだった。

橋上の人よ

砂浜につづく足跡のように

あなたはうしろをふりかえらなかった、

浪にくずれるむなしい幻影が

あなたの宙にうかんだ道のすべてだった。

橋上の人よ

あなたは冒険をもとめる旅人だった。

一九四〇年の秋から一九五〇年の秋まで、

あなたの跫音と、あなたの足跡は、

いたるところに行きつき、いたるところを過ぎていった。

橋上の人よ

どうしてあなたは帰ってきたのか

出発の時よりも貧しくなって、

風に吹かれ、浪にうたれる漂泊の旅から、

どうしてあなたは戻ってきたのか。

橋上の人よ

まるで通りがかりの人のように

あなたは灰色の街のなかに帰ってきた。

新しい追憶の血が、

あなたの眼となり、あなたの表情となる「現在」に。

橋上の人よ

さりげなく煙草をくわえて

あなたは破壊された風景のなかに帰ってきた。

新しい希望の血が、

あなたの足を停め、あなたに待つことを命ずる「現在」に。

橋上の人よ。 


W

誰も見ていない。

溺死人の行列が手足を藻でしばられて、

ぼんやり眼を水面にむけてとおるのを――

あなたは見た。

悪臭と汚辱のなかから

無数の小さな泡沫が噴きだしているのを……

「おまえはからっぽの個だ

おまえは薄暗い多孔質の宇宙だ

おまえは一プラス一に

マイナス二を加えた存在だ

一プラス一が生とすると

マイナス二は死でなければならぬ

おまえの多孔質の体には

生がいぱい詰まっている

おまえのからっぽの頭には

死が一ぱい詰まっている」

誰も聞いていない。

この喧騒の大都会の

背すじを走る黒い運河の呻きを――

あなたは聞いた。

氷と霜と蒸気と熱湯の地獄の苛責に

厚くまくれた歯のない唇をひらき

溺死人が声もなく天にむかって叫ぶのを……

「今日も太陽が輝いているね

電車が走っているね

煙突が煙を吐いているね

犬は犬のなかで眠っているね

やがて星がきらめきはじめるね

だけどみんな<生きよ>と言いはしなかったね」

誰も知らない。

未来の道は過去につづき

過去は涯しなく未来のなかにあることを――

あなたは知った。

あなたがあなた自身であるためには

どれだけたくさんの罪が心のなかにとざされているかを。

「あらゆる行為から

一つのものを選ぼうとするとき

最悪のものを選んでしまうことには

いつも個人的なわけがあるのだ

だから純潔を汚すことだって

洗濯したてのシャツをよごすほどにも

心を悩ますことはないのだ

教授にとっての深渕が

淫売婦には浅瀬ほどにも見えなかったりするのだ

ポケットのマッチひとつにだって

ちぎれたボタンの穴にだって

いつも個人的なわけがあるのだ」


X

ひとつの心の空洞から

ひとつの波のたわむれから

滑らかなやさしい囁きがきこえてくる

「かつて泉があった

眠りからうまれたばかりの水は

活力と滋味を湛え

野に池をつくり 地上に溢れ

渚をふちどり 虚無を涵し

乾けるもの 固く凝れるものを溶かした」

「かつて泉があった

跼みこめ くちづけよ

浄らかな水に映る理想の伴侶に

父母や妹 またあなたの至上の友たちに」

『われ』溷濁の世の光なり

夜 昼 わが涙のみ注ぎて魂の糧となり

水仙や蛇や もろもろの生ける質を潤ほした』

あなたは疑うだろうか?

眼下の大いなる混沌のむかしに

かつて清い泉があったことを……

そのようにまた沐浴もあったことを


Y

蒼ざめた橋上の人よ、

あなたの青銅の額には、濡れた藻の髪が垂れ、

霧ははげしく運河の下から氾濫してくる。

夕陽の残照のように、

あなたの褪せた追憶の頬に、かすかに血のいろが浮かび。

日没の街をゆく人影が、

ぼんやり近づいてきて、黙ってすれ違い、

同じ霧の段階に足をかけ

同じ迷宮の白い渦のなかに消えてゆく。

孤独な橋上の人よ、

どうしていままで忘れていたのか、

あなた自身が見すてられた天上の星であることを……

此処と彼処、それもちいさな距離にすぎぬことを……

あなたは愛をもたなかった、

あなたは真理を持たなかった、

あなたは持たざる一切のものを求めて、

持てる一切のものを失った。

橋上の人よ、

霧は濃く、影は淡く、

迷いはいかに深いとしても、

星のさまっている者はふりむこうとしない。

そして濡れた藻と青銅の額の上に、

夜の環が冷たくかぶさってくる、

星のきまっている者の、空にまたたく光のために。

 

Z

父よ、

悲しい父よ、

貴方がいなくなってから、

がらんとした心の部屋で、

空いた椅子がいつまでも帰らぬ人を待っています。

寒さに震えながら、

貴方に叛いたわたしは、

火のない暖炉に向いあっています。

父よ、

寂しい父よ、

わたしはひとりです。

妻も子もなく、この広い都会の片隅で、

固いパンを噛っています。

わたしは貧しい、

わたしは病んでいる、

貴方がわたしに下さったものはこれだけですか。

父よ、

大いなる父よ、

わたしはどこまでも愚かですから、

貴方の深い慈悲と智慧とを理解できません。

あてもなく街をさまよいながら、

わたしは今にも倒れそうになって、

ぼんやり空を眺めます。

貴方がいらっしゃるあたりは、

いつも天使の悪い呼吸で曇っています。

父よ、

大いなる父よ、

十一月の寒空に、わたしはオーバーもなく、

橋の上に佇みながら、

暗くなってゆく運河を見つめています。

教えて下さい、

父よ、大いなる父よ、

わたしにはまだ罪が足りないのですか、

わたしの悲惨は貴方の栄光なのですか。

 

[

橋上の人よ、

美の終りには、

方位はなかった、

花火も夢もなかった、

「時」も「追憶」もなかった、

泉もなければ、流れゆく雲もなかった、

悲惨もなければ、光栄もなかった。

橋上の人よ、

あなたの内にも、

あなたの外にも夜がきた。

生と死の影が重なり、

生ける死者たちが空中を歩きまわる夜がきた。

あなたの内にも、

あなたの外にも灯がともる。

生と死の予感におののく魂のように、

そのひとつひとつが瞬いて、

死者の侵入を防ぐのだ。

橋上の人よ、

彼方の岸に灯がついた、

幻の都会に灯がついた、

運河の上にも灯がついた、

おびただしい灯の窓が、高架線の上を走ってゆく。

おびただしい灯の窓が、高くよぞらをのぼってゆく。

そのひとつひとつが瞬いて、

あなたの内にも、あなたの外にも灯がともり、

死と生の予感におののく魂のように、

そのひとつひとつが瞬いて、

そのひとつひとつが消えかかる、

橋上の人よ。


(鮎川信夫詩集より)



鮎川信夫詩集1945-1955(荒地出版社、1955年)

橋上の人(現代日本詩集第十二巻 思潮社、1963年)

鮎川信夫全詩集 1945-1965(荒地出版社、1965年)

鮎川信夫全詩集 1945-1967(荒地出版社、1967年)

鮎川信夫詩集(思潮社、1968年)

1937-1970 鮎川信夫自撰詩集(立風書房、1971年)

新選鮎川信夫詩集(思潮社、1977年)

宿恋行(思潮社、1978年)

鮎川信夫全詩集1946-1978(思潮社、1980年)

鮎川信夫(中央公論社・現代の詩人2、1984年)

難路行(思潮社、1987年)

鮎川信夫詩集 続(思潮社、1994年)

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2020年03月20日

フランス人の間で今読まれている詩

「実は今、フランス人の間でFBTwitterなどを通して読まれている詩があります。世界中が苦しむこの時期にも咲き誇る春、巡る季節について書かれた、読み人知らずの詩。日本語に翻訳してお届けします。」辻仁成


https://www.designstoriesinc.com/panorama/lasaison/


あれは2020年の3月だった。

通りに人はいなかった。商店は閉まり、人々は家から出られなくなった。


だけど、春はそのことを知らなかった。

花は咲きはじめ、太陽が照り、鳥たちは歌い、そろそろツバメたちがやってくる頃で、空は青く、いつもより朝が早くやってくるようになっていた。


あれは2020年の3月だった。

若者はオンラインでの勉強を強いられ、家での過ごし方を工夫し、人々はショッピングも、美容院に行くこともできなかった。もうすぐ、病院に場所がなくなってしまうというのに、人々はどんどん病気にかかっていった。


だけど、春はそのことを知らなかった。

公園を散歩する季節がやってきて、草木は緑色に色づいていた。


あれは2020年の3月だった。

おじいちゃん、おばあちゃん、家族、子どもを守るため、外出は禁止されていた。集会も、食事も、家族パーティーも無くなり、恐怖は現実となって、日々は恐怖に包まれた。


だけど、春はそのことを知らなかった。

りんごやサクラの木は花を咲かせ、葉っぱは力強く育っていた。


人々は本を読み、家族と過ごし、外国語を学んだり、バルコニーで近所の人と音楽を共有しはじめた。それは、連帯やこれまで持っていなかった価値観を生むために学んだ新しい表現の方法だった。

人々は健康や苦しみ、停止してしまった世界、急落した経済の大切さに気づいた。


だけど、春はそのことを知らなかった。

花は散り、果物がなって、鳥たちは巣を作り、ツバメたちがやってきた。


そして、自由になる日が訪れた。人々はテレビでそれを知った。ウイルスは私たちに負け、人々はマスクや手袋を外し、通りに出て、歌って、泣いて、近所の人たちと歓喜し合った。


その時、夏がやってきた。

春は何も知らなかったから、ウイルスや恐怖や死とともに、春はずっとそこにい続けた。春は何も知らなかったけれど、人々に生命力というものを教えた。


全てはうまくいく。家にいよう、自分たちを守ろう、そして、人生を楽しもう。

愛し合おう。


作者不明

訳 designstoriesinc

https://www.designstoriesinc.com/panorama/lasaison/

posted by koinu at 23:00| 東京 ☔| 報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『谷川雁詩集』現代詩文庫(思潮社)

「世界をよこせ」谷川雁


まっかな腫れもののまんなかで

馬車のかたちをしたうらみはとまる

桶屋がつくる桶そのままの

おそろしい価値をよこせ 涙をよこせ


なめくじに走るひとしずくの音符も

やさしい畝もたべてしまえ

青空から煉瓦がふるとき

ほしがるものだけが岩石隊長だ


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「東京へゆくな」谷川雁


ふるさとの悪霊どもの歯ぐきから

おれはみつけた 水仙いろした泥の都

波のようにやさしく奇怪な発音で

馬車を売ろう 杉を買おう 革命はこわい


なきはらすきこりの娘は

岩のピアノにむかい

新しい国のうたを立ちのぼらせよ


つまずき こみあげる鉄道のはて

ほしよりもしずかな草刈場で

虚無のからすを追いはらえ


あさはこわれやすいがらすだから

東京へゆくな ふるさとを創れ


おれたちのしりをひやす苔の客間に

船乗り 百姓 旋盤工 坑夫をまねけ

かぞえきれぬ恥辱 ひとつの眼つき

それこそ羊歯でかくされたこの世の首府 


駈けてゆくひずめの内側なのだ

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「たうん・あにま」谷川雁


かれの否定する霊魂のごとき町の

かたつむりに負われた夜

このかがやく種子に埋まくものは何か

若い薔薇の茂る空

かの橋を渡る一つの眼に

ささやく息吹は何か

無名の草 おまえ 一本の絃が

ゆうべの牢獄を鳴らすとき

ああ すべては沙漠

それを逃がれるこころがあろうか

泉があろうか

階段という階段を降りた風は

ゆうひの遺した金を疑い

冷たい素顔を吹く

町びとのかざす桃花心木の燭台に

森のけものの骨はやかれ

地球のへりだけが緑色にかがやく夜

一滴の霊魂のごときこの町で


『谷川雁詩集』現代詩文庫(思潮社)


真夜中に蒼ざめた森の中で、居た堪れれない気分になると、「知られざる者こそ王」と囁いてみる。

詩人たることを拒絶して、朱色の手帖を一枚ずつ破っていくと、飢えた人々たちが現れてくる。

岩角で死が嗤う、海の底で。

posted by koinu at 12:34| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月19日

物語と写真について

「物語の明くる日」富岡多恵子

雨期のようにねころんで

マッチの棒をしがんでいるの

そうよ あたし

こんな日は画集でもひっぱり出して

聖者たちのうすぐらい顔に

口がだるくなるくらいの

おかしな口づけでもするのだわ  

こんな日は朝おきると

乳首をしがんでよ

聖者たちの下着はいつもまっ白だって

半分ほどの真実ね

まだよ

まつのよ

こんな時間には

たいてい納屋の中で

まっぱだかでいるのだろ

することがないんだもの

こんな時だけよ

みんなあなたまかせ

口からでまかせ

口は方便だもの

脚のしたにだれかいるとき

とてもよくねむれるものよ

(長編詩「物語の明くる日」より抜粋)


『写真の時代』富岡多恵子

〈庶民の遊び 自動焦点カメラで写してみた〉

そのキカイが、いったんだれでもいじれるものとなったうえで、玄人が存在するとなるほうが、おもしろいといえばおもしろい。こうなってくると、もし写真が芸術である時、それは常に、だれでもがすぐに写したいものが写せるカメラをもっている、という日常的写真世界にさらされていることになる。芸術が、常に芸術ではないがひょっとしたらそちらのほうが芸術かもしれない。というものにさらされることになる。----当節の写真家に、この種の恐怖、戦慄があるかどうか。

もし写真が芸術になり得たとしたら、やっと、こういうカメラの出現によって、新興芸術でなくなるのではないだろうか。

遊びは、無駄なもの、わからないものを、いじるということでもある。ジャスピンは、一方で、こういう時代の象徴である。しかも、このことが、先の写真芸術を、だれもがすなる写真にする点と重なるところが、もっとも興味深く、野次馬としてはおもしろいのである。いかに撮るか、ということと、なにを撮るかということが、正当に逆転してくる。つまり、本来なにを撮るかの果てにいかにが立ちふさがる正当性が、こういうカメラの出現で、ひょんなところからあばかれるかもしれないのである。素人には、もう、いかに撮るかはうんざりすることだった。

posted by koinu at 20:00| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『アポリネール詩集』

月と風」アポリネール

月と風(わびしからめと)

熱海懐古(昔の道をゆきかへる、)

花(凋るればこそ)

祇園鹿島屋履物店(ぽこぽこ木履《ぽつこり》。)

秋(秋の日のはてなく晴れて、)

海水浴場(太陽のヴァイタライト、)

海の二階(海にも二階がある。)

地平線(赤道直下のアフリカでも)

形見草(ひたひの皺の明すなり)

人に(花はいろ そして匂ひ)

愛(光を愛した画家モネは盲《めしひ》になつた。)

手(手。天鵞絨。闇の皮膚。)



「69」アポリネール

6と9との転倒が

怪しき数字と現れ出たのが

69であり

宿命の二匹の蛇であり

二匹の蚯蚓である

好色なそうして神秘な数

6は3と3

9は3と3と3

すなわち三位一体だ

いたるところ三位一体だらけ

さてまた三位一体は

両性論と一致する

なぜならば6は3の二倍であり

三位一体の9は3の三倍だから

されば69は両性の三位一体だ

さてまたこれらの秘術はなおなお隠密なのであるが

僕は恐ろしくなって消息子を下しかねる

ともするとそこが

人間どもをこわがらせてよろこんでいる

鼻っつぶれの死の向こう岸の

無窮であるかもしれぬから

さて今宵はなんと

退屈が外套のように僕を包むこと

陰気なダンテルの目には見えない死布のように


『アポリネール詩集』堀口大學訳より



 『秘密』アポリネール

旅愁 その一(旅は夕に身に痛し、)

旅愁 その二(うら若き身の旅すれば、)

旅愁 その三(何かジヤポンのなつかしく、)

旅愁 その四(今日黄昏のうす明《あかり》)

ふる里(生れし国にある時は)

わが身の旅路(身は唯ひとり)

さびしさ(身をふるはせて涙して)

橇の音(遠くアルプの連山の)

かなしみ(かなしみのみぞ)

posted by koinu at 13:22| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月18日

「魅は与によって生じ、求によって滅す」

他人に何かを与えれば生じて、他人に何かを求めれば消えていく。

五大本能的衝動
@生存本能、A群居衝動、B自己重要感、C性欲、D好奇心をコントロールする秘訣。

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小さな約束を守り、
いつも笑顔で人に接し、
ぐちを語らず、
他人を非難せず、
時間を守り、
失意の人を勇気づけ、
愛情をもって人を喜ばせ、
あなたへの中傷は笑って許す。
posted by koinu at 15:30| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「プリンスエドワード島」ネコ歩きNHKBSプレミアム

3月18日水曜午後0時00分〜 午後1時00分

「赤毛のアン」舞台となった島に輝く水面と鮮やかな緑、その中でのびのびと過ごすネコたち。野原ではハンティング、街ではミルクをおねだりして島の人々と仲よく暮らしている。中にはボールのようにまんまるになったネコや歴史を感じる競馬場での出会いもあった。まるでアンの世界で遊んでいるかのようなネコを撮った番組の再放送。

【出演】岩合光昭,【語り】宮崎あおい

posted by koinu at 10:35| 東京 ☀| TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月17日

珈琲豆の麻袋

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熱帯異国からやってきた、コーヒー豆の香り。
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心に花束を

人に捧げる心を!
人に捧げる心とは
人に捧げる心には
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〔貰うばかり貧しい人生〕
選んだのは自分自身である。
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2020年03月16日

無意識を解くタロット

無意識のうちにザリガニが、這い上がる世界。ふたつの塔に挟まれた月の変化とは?
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タロット占い方のページ。

http://penguintarot.seesaa.net/


《タロットカードの星座と天体》

T 魔術師 双子座・処女座(水星)

U 女教皇 蟹座 (月)

V 女帝 牡牛座・天秤座(金星)

W 皇帝  牡羊座 (火星)

X 法王  牡牛座 (金星)

Y 恋人たち 双子座(水星)

Z 戦車 蟹座 (月)

[   獅子座 (太陽)

\ 隠者  乙女座 (水星)

] 運命の輪 射手座 (木星)

]T 正義  天秤座 (金星)

]U 吊し人 魚座 (海王星)


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]V 死神 蠍座 (冥王星)

]W 節制 射手座 (木星)

]X 悪魔 山羊座 (土星)

]Y   牡羊座 (火星)

]Z   水瓶座 (天王星)

][  魚座 「海王星)

]\ 太陽 獅子座 (太陽)

]] 審判 蠍座 (冥王星)

]]T 世界 山羊座 (土星)

愚者 水瓶座 (天王星)


《不正は正すべきか》

「LA JUSTICE」の天秤は平衡を保とうとします。正義というより「公平」。剣は、違法を罰する力。
人は生きる上で様々な想いを重ねるので、天秤は揺れます。昂まりと鎮まり、昇りと降り、喜びと苦しみ、得ることと与えること。
そして「公平」も「法」も、時代と社会その時々の価値観で揺れ動くもの。
8番のカードはただ厳しく罰する正義ではなく、慈悲も含んでいるのでしょう。
と、いうことで、ピクトスタイルのペンギンタロットでは、剣は少しだけ傾いています。天秤は、穏やかな和を願って、左右の違いはほんの少しだけ。

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タロット解説

http://zerogahou.cocolog-nifty.com/photos/22/

「さぁて、身軽に行こうかなぁ」

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その庭に集まった人たちは、みんな星になんらかの影響をもっているものと想像した。 

番人や仲間の病人たちの会話には神秘的な意味をふりあてた。

私の役割は、カバラの技によって宇宙の調和を回復することと、さまざまな宗教の秘密後からを呼びおこして、ひとつの解決策をさぐることだと思われた。」

posted by koinu at 15:00| 東京 ☀| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

りんごかも しれない

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2020年03月15日

バーナード・ショーの名言

「もうかなり長く生きたので、そろそろ死のうかと思っているのだが、なかなか死ねない。ビーフステーキを食べれば、ひと思いに死ねると思うのだが、私には動物の死体を食べるような趣味はない。私は自分が永遠に生きるのではないかと思うと、空恐ろしい気分になる。」

A life spent making mistakes is not only more honorable, but more useful than a life spent doing nothing.

間違いを犯してばかりの人生は、何もしなかった人生よりも、あっぱれであるだけでなく、役に立つ 


Alcohol is the anesthesia by which we endure the operation of life.

酒は人生という手術を耐えさせてくれる麻酔薬だ


All great truths begin as blasphemies.

すべての偉大な真理は、最初は冒涜の言葉として出発する


Beware of false knowledge; it is more dangerous than ignorance.

間違った知識には注意せよ。それは無知よりも危険である


Common sense is instinct. Enough of it is genius.

常識は本能であり、それが十分にあるのが天才である


Everything happens to everybody sooner or later if there is time enough.

時間が十分にあれば、すべてのことが遅かれ早かれ誰のもとにも起こりうる


He who has never hoped can never despair.

希望を抱かぬ者は、失望することもない


If you teach a man anything, he will never learn.

もし人になにかを教えようとすれば、彼は何も学ばないだろう


It is a woman’s business to get married as soon as possible, and a man’s to keep unmarried as long as he can.

できるだけ早く結婚することは女のビジネスであり、できるだけ結婚しないでいることは男のビジネスである


Liberty means responsibilty. That is why most men dread it.

自由とは責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる


Life isn’t about finding yourself. Life is about creating yourself.

人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである


My way of joking is to tell the truth. It’s the funniest joke in the world.

私の冗談の言い方は、真実を語ることである。真実はこの世の中でいちばん面白い冗談である


People are always blaming their circumstances for what they are. I don’t believe in circumstances.

人は常に、現在の自分がこうなのは自分の置かれた環境のせいだとする。私は環境など信じない


Reading made Don Quixote a gentleman. Believing what he read made him mad.

ドンキホーテは読書によって紳士になった。そして読んだ内容を信じたために狂人となった


Silence is the most perfect expression of scorn.

沈黙は軽蔑の最も優れた表現である


The golden rule is that there are no golden rules.

黄金律はないということが黄金律である


The liar’s punishment is, not in the least that he is not believed, but that he cannot believe anyone else.

嘘つきの受ける罰は人が信じてくれないというだけのことではなく、ほかの誰をも信じられなくなる、ということである


Woman’s dearest delight is to wound Man’s self-conceit, though Man’s dearest delight is to gratify hers.

女の自惚れを満足させてやるのが男の至上の歓びであるのに反して、女の至上の歓びは男の自惚れを傷つけることである


You cannot have power for good without having power for evil too.

よいことをするための力を持っていれば邪悪なことをする力も必ず持つことになる


You see things; you say, ‘Why?’ But I dream things that never were; and I say ‘Why not?

存在するものだけを見て「なぜそうなのか」と考える人もいるが、私は存在しないものを夢見て「なぜそうでないのか」と考える

ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw/1856726-1950112)

近代演劇の確立者として知られるアイルランド出身の劇作家、社会主義者。20歳の頃から音楽評論家のゴーストライターを始め、27歳の頃に自身の小説作品を発表。36歳の頃に「やもめの家」で劇作家としてデビュー。40代頃から劇作家として世に認められるようになり、数々の名作を世に送りだした。1925年にノーベル文学賞を受賞。また、イギリスの社会主義知識人による運動団体「フェビアン協会」に所属する社会主義者でもあり、評論として「知的女性のための社会主義と資本主義の手引き(1928)」なども発表している。(ウィキペディア+Amazon.参考)

作品 主な戯曲に「ジュネーヴ/1938年」「聖女ジョウン/1923年」「メトセラへ還れ/1918年」「傷心の家/1916年」「ピグマリオン/1913年」「アンドロクリーズとライオン/1912年」「ファニーの初めての劇/1911年」「バーバラ少佐/1905年」「人と超人/1903年」「ブラスバウンド船長の改宗/1899年」「シーザーとクレオパトラ/1898年」「悪魔の弟子/1897年」「分からぬものですよ/1897年」「運命の人/1895年」「キャンディダ/1895年」「武器と人/1894年」「ウォレン夫人の職業/1893年」などがある。


posted by koinu at 09:16| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月14日

生命は自然発生せず

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夢みる結晶/死後はいかに?/

精神と物質は分離せず−

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自然は人間以前に存在していたか?/人間はリズムだ−フリーズとフロイト/『金枝篇』−民族学的アプローチ/認識の限界にいどむ。

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2020年03月13日

現代詩人としての清岡卓行さん

現代詩文庫シリーズが思潮社より刊行されていた。清岡卓行さんの詩集は比較的に巻数がわかかったので読んでる。『アカシアの大連』を記す以前は、シュールリアリズムに触発された前衛詩を描いていた。『氷った焔』という長編詩が印象的であった。


『氷った焔』清岡卓行


 1

きみの肉体の線のなかの透明な空間

世界への逆襲にかんする

最も遠い

微風とのたたかい


 2

きみはすでに落下地点で眼覚めている

きみはすでに絶望している


 3

きみの物語にはいない きみである動物の

不眠の 瞳が

きみの悔恨を知らない きみである液体の

滑走する皮膚と

そのための 幻覚の虹が

絶えず出発してしる現在の合図に

どうしてただちに滅されるのか

−−きみはそれを見ない

きみの鋭く 優しい 爪の動機であるうちに

きみの姿勢 きみの呼吸のなかから

死灰が層をなしている地球の表皮から

それらはどのようにして飛び去るのか

−−きみはきみの絶望を信じていることを知らない


 4

きみの意識がきみに確かめられるのはそれからだ

すると逆流する洪水のなかで化粧するきみがいる


 5

生活への扉 ときみが信じる時刻に

きみは見る

遮断された未来の壁に

モこに嵌め込まれたバック・ミラーに


でこぼこの飛行場のうえの

果物にとりかこまれた

昆虫の視線を怖れない

おお ふしぎに美しいきみの骸骨


 6

きみの記憶の組合せは気まぐれだ このとき

過去を あるやりかたで

記録することにしかきみの自由がないかのように


 7

倒れようとするビルディングに凭れて聴いた

地底からの音楽の

鉄条網にひっかかった

夢みる熱帯魚の

砂浜のなかに埋れて行く

水平線への投身の

力学的な矩形を弛緩させ燃えあがらせる

長く冷たい凝視の

そして いつも愛情で支払われたきみの

幼く成熟した肉体の

それらの ちぐはぐな思い出

おびただしい初演のなかのきみの仮死


 8

起点も終点もない あやしげな

地球の円周のうえを

モれでも交錯する探照灯の脚光を

ときおり浴びながら

きみのハイ・ヒールだけが斜めに歩く

きみに背負わされたものは きみの肉体

きみを隠匿する その親しい他人

きみの企む復讐の実験の

重すぎる予感


 9

きみの白い皮膚に張りめぐらされたそこびかりする銃眼

すでに氷りついた肉の焔たちの触れあう響き

弾丸も煙幕もない武装の脆計

きみだけが証人である

みじめな勝利


きみはまだきみが信じたきみだけの絶望に支えられている

きみが病患のなかに装填したものはほんとうは

もうひとつの肉体の影像

世界への愛

希望だ


10

どこから世界を覗こうと

見るとはかすかに愛することであり

病患とは美しい肉体のより肉体的な劇であり

絶望とは生活のしっぽであってあたまではない


きみの絶望が希望と手をつないで戻ってくることを

きみの記憶と地球の円周を決定的にえらぶことを

夜の眠りのまえにきみはまだ知らない

(現代詩文庫より)


岩阪恵子 1946年生れ、関西学院大学文学部卒業。1970年に師事していた清岡卓行と結婚上京。学生の時に出会った詩作との出会いがエッセイ書かれている。


◇     ◇      ◇     ◇


 ひとつの詩が私の存在の根にまで深く届いてきたのだ。詩句のいくつかが呪文のように繰り返し胸に囁かれ続けた。清岡卓行の「大学の庭で」ある。詩は現実認識において容赦ない厳しさをはらむながら、読み手を拒否するのではなく、むしろ包みこむように温かい音声で語られていた。


きみは選んだのだ

内側から ひそかに

きみ自身を


生を一方的に押しつけられたものと受けとめていた私にとって、だれもいない、私が私を選んだという認識はまったく初めてのことであったから、胸がふるえるほどの新鮮さを覚えた。そしてその選択を促したものが、自分をはるかに遡る生命の源にあるという指摘にはなにかまぶしい気さえした。


そして 生きるとは

屈することなく選びつづけること。

死ぬことをも含めて。


 という詩句には、どれだけ支えられたことだろう。むろん詩人は自殺を肯定しているのではない。死への願望は、同じ強さで生への願望でもあるのだと言っているからである。が、どれだけ私は、開放されたことだろう。

(岩阪恵子「きみは選んだのだ/きみ自身を」より)

◇     ◇      ◇     ◇


清岡卓行 1922年大連で生まれる。東大仏文卒。詩集に「氷った焔」(1959年)「日常」(1962年)「四季のスケッチ」(1966年)清岡卓行詩集(1970年)「ひとつの愛」(1970年)。評論集に「手の変幻」(1966年)「抒情の前線」(1970年)。

小説に「アカシアの大連」(1970年)「フルートとオーボエ」(1971年)「海の瞳」(1971年)など。


今回詩作を読み直して、清岡卓行さんの『四季のスケッチ』ような作風も現在では必要あるのではないかと、絵画、音楽、演劇など他のジャンルに向かって思うことだった。入手が難しい書物となっているけれど、探せば手にできる詩集もあるので再版を望みつつ紹介させていただきました。

posted by koinu at 16:41| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

清岡卓行「思惟の指」とアカシア

清岡卓行「思惟の指」

 きみに欠けているもの それは 

 荒々しい野性の力 

 時として 世界をくつがえす 

 抑えがたい粗暴な正義 

 そのことか 不意に 

 愛撫への疼きに似た やるせない 

 きみへの憧れを誘うのだ 

詩集『四季のスケッチ』清岡卓行より


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広隆寺の半跏思惟像仏像の指について、詠んだ短歌だろうか。粗暴なものから遠ざかる思惟仏像のしなやかさ。

芥川賞となった清岡卓行『アカシアの大連』は、煌びやかな満洲時代を過ごした体験から情緒性のある作風だった。詩人の作者ととっては初めての小説で、しなやかな詩の印象と共通する散文となっている。もののあわれ、みやび、はかなさ。「思惟の指」に触れて後もう一度読み直すと、更に叙情ビジョンが深まるかも知れない。


人間の肉体が

かくも浄らかがありうるのか?

ああ

きみに肉体があるとはふしぎだ

『アカシアの大連』より


清岡卓行 1922年大連生まれ。帰省先の大連で敗戦、引き揚げ。51年東大仏文科卒業。プロ野球セ・リーグ事務局で13年間試合日程編成。法政大学教授。かたわら清新な詩や小説を発表。2006年6月、逝去。著作:詩集=『円き広場』(1988年、芸術選奨文部大臣賞)など多数。小説・随筆など=『アカシヤの大連』(1970年、芥川賞)、『藝術的な握手』(1978年、読売文学賞)、『マロニエの花が言った』(1999年、野間文芸賞)など多数。

posted by koinu at 10:11| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月12日

地球という青い世界の中から飛ぶ

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星と人間は兄弟だった−宇宙の一部としての人間像/火−4大の王者は天上に燃えさかる/沈黙する芸術−鉱物と結晶の美学/有機物は片輪だった/植物−表面積の哲学(シャルダンの理論)/大宇宙と小宇宙−動物の本質/生命の螺旋−生きている〈かたち〉の謎/意識の発生−ぼくらは祖先の夢を見る

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進化の調和/両性・対性・無性−螺旋環状する性/やわらかい機械−肉体は宇宙だ/思考の右と左/神の言葉のつくり方−言語の成立/建築の宇宙学−シャルトル大聖堂の場合/色彩−その生理的世界/モナドに始まる−ピュタゴラス学派/翁童学と彼岸感覚//

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2020年03月11日

この世は誰のために

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「この世は誰のためにあるのだろうか?」
よーく考える時間はある。
どこまで考えられるかが問題だ。
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2020年03月10日

レッド・ツェペリン1971年9月23日東京武道館ライブ動画公開。

レッド・ツェペリン1971923日東京武道館でのライブ動画公開。


https://youtu.be/NSUvCr0U7eY

Immigrant Song

Heartbreaker

Since I've Been Loving You

Dazed and Confused

What is and What Should Never Be

Moby Dick

Whole Lotta Love

Boogie Mama

You Shook Me

Whole Lotta Love

Communication Breakdown


http://amass.jp/132124/

レッド・ツェッペリン公式サイトも今回投稿されたライヴ映像約21分を紹介

https://www.ledzeppelin.com/video/tokyo-9-23-71-8mm-0


キョードー東京 ロックカーニバル#7 レッド・ツェッペリン特別公演 1971.9.23

武道館 Budokan 南2

0:05 MC 糸居五郎

9:08~ my音源(my recording sound source

9:21 acoustic

13:35 みんなで手拍子を Everyone clapping ...

17:47 sorry 静止画(still image)

19:22 ロバート裏席乱入客制止

21:13 トイレットペーパー Toilet Paper


レッド・ツェッペリン 71923日日本武道館公演の未公開ライヴ映像がネットに - amass

http://amass.jp/130843/


Led Zeppelin  Stage In Tokyo 1971 

伝説の海賊盤カセットテープ

Live At Budokan,Tokyo,JAPAN 23rd September 1971

  Disc 1

   1. Introduction

   2. Immigrant Song

   3. Heartbreaker

   4. Since I've Been Loving You

   5. Black Dog

   6. Dazed And Confused

   7. Stairway To Heaven

   8. Celebration Day

   9. Bron-Y-Aur Stomp

   10. That's The Way

   TOTAL TIME (77:10)


  Disc 2

   1. Tuning/MC

   2. Going To California

   3. What Is And What Should Never Be

   4. Moby Dick

   5. Whole Lotta Love

   6. Communication Breakdown

   TOTAL TIME (73:25)

posted by koinu at 08:57| 東京 🌁| 音楽時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月09日

ロボット・ロビータイプ

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アメリカ映画に登場したロボット
posted by koinu at 11:30| 東京 ☀| 観測 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする