作者の父親である星一(ほしはじめ)とかかわりあった、明治10人の人物を伝記とした。医療、法律、金融、産業、思想、政治など日本の近代化に貢献した人々の列伝。ムーブメントを新たに吹かせた、時代ならではの発言行動が胸を打つ。
野口英世
「もう、私は覚悟しております。私は一生の仕事をすませましたから、いつ死んでもよろしゅうございます」(P.73:野口英世の母シカの言葉)
岩下清周
「銀行は、金利のかすりを取ってもうければいいというものではない。事業を育て、産業を進歩させ、国を富ませるのが使命だ」(P.100)
「銀行家として、なすべきことだと思って融資したのだ。それなのに、こんなことをされては困る。取引は中止だ」(P.102:融資のお礼に対して)
新渡戸稲造
「才気的な自分がいやになり、なにかもっと高級なものを求めたい気になった」(P.176)
「彼は日本の代表的な自由主義者なのに、軍部に依頼されて、その宣伝にやってきた」(P.211)
伊藤博文
「きみ、韓国人は偉いよ。歴史を調べても、日本より進歩していた時期がある。この民族にして、これしきの国を自ら経営できない理由はない。」(P.163:新渡戸に対して)
「きみは、酒を飲んで道楽をしただけだよ。これはぼくもやるし、だれでもやっている。問題は、それ以外に何をするかだ。それを忘れぬことだな。」(P.310:後藤猛太郎に対する言)
後藤猛太郎
「しかも、ぼくも働くのだ。いいか、堂々と盗むぞ。文句があるか」(P.308)
大政奉還を実現させた明治の元勲、後藤象二郎の息子もまた破天荒な人生。晩年は多くの物事を支援して、星製薬の創業にも大いに力を貸した。
後藤新平
「病人や貧民になってから与える百円より、ならぬようにする一銭のほうが大切なのです」(P.397)
「後藤によき点がありとすれば、それは夫人からの影響によるもので、夫人に欠点がありとすれば、夫人が後藤から影響を受けたためである」(P.410)
「人のお世話にならぬよう。人のお世話をするように。そして、むくいを求めぬよう」(P.424)
台湾と満州を経営しアジアのインフラ的基礎を作った大政治家。
杉山茂丸
「なにごとも、ことの成功不成功にかかわらず、真相がわかった時、あいつはじつに親切なやつだと思われるようにしないと、あとの仕事がつづかない」(P.484)
『明治の人物誌』星新一(新潮文庫)
明治の人物で代表する杉山茂丸が、『百魔』という奇書にも残した言葉こそ多くの本質を表している。
「依頼心は自殺以上の罪悪である」
自分自身を有効に動かすことのない、叱咤と罵声すべきものだろう。
『百魔』杉山茂丸
http://books.salterrae.net/amizako/html2/sugiyamahyakuma.txt
星製薬株式会社創立時には、明治の元勲後藤象二郎の長男で伯爵の後藤猛太郎 ( 後に映画会社日活を設立)を取締役とした。
