温暖なアメリカ南部は綿花の栽培に適する。地域の経済は綿花中心で「綿花王国(コットンキングダム)」ともいわれた。砂糖(ルイジアナ)、米(サウスカロライナ、ジョージア)、タバコ(ケンタッキー、テネシー)も栽培される。
ミシシッピ川とヤズー川に挟まれた肥沃な土地はデルタと呼ばれて、19世紀までにプランテーションが形成された。そこで綿摘み労働を担ったのがアフリカからの黒人奴隷だった。
南北戦争(1861〜65年)で奴隷は解放されたが、黒人たちは住居や農具を農園主から与えられて畑を耕して収穫した綿花の約半分の収益を支払う小作人として働く。
「小作人は衣類や食料を買うため生活費を農園主から前借りする。それが積み重なって農園に生涯、縛り付けられた」収穫を義務付けられたことで、小作人は奴隷より厳しい環境に置かれた。生活苦楽からブルース音楽が定着していった。
ブルースの発展には街道や農園近くにある小さな酒場が関わった。歌やギターする小作人らが綿摘みの傍ら酒場で演奏。各地の酒場を巡る放浪のブルースマンも生まれるのだった。ブルースは60年代英国の少年たちを魅了して、ローリング・ストーンズなどロックバンドが結成される。奴隷制から派生した音楽が、白人音楽と融合されカルチャーが新たに進展した。
『Cotton Pickin' Blues』Tommy McClennan、Robert Petway
トミー・マックレナン(Tommy McClennan)は1908年4月8日ミシシッピー州ヤズー・シティー(Yazoo City)で生まれて、1962年シカゴにてアルコール中毒で亡くなった。
緊迫感漂う強靭な歌声で、叩きつけるような荒技ギター奏法が異彩を放った。ミシシッピーで綿摘みなど農作業しながら、街角やジューク・ジョイントで演奏して稼いでいた。シカゴでのレコーディングへ誘ったのは、南部を旅行しながら優れたミュージシャンを探していたブルーバード・レコードのレスター・メルローズ(Lester Melrose)である。
マックレナンは1939年11月からシカゴに出てブルーバードに録音をして、1942年2月までに42曲レコーディングした。
『Cotton Pickin' Blues(綿畑ブルース)』Tommy McClennan、Robert Petway
[収録曲]
Bottle It Up and Go
Catfish Blues
Cotton Patch Blues
Whiskey Head Woman
Ride 'Em On Down
Crosscut Saw Blues
Let Me Be Your Boss
Des'e My Blues
Brown Skin Girl
Bertha Lee Blues
You Can Mistreat Me Here
Classy Mae Blues
Boogie Woogie Woman
Blues Trip Me This Morning
New Shake 'Em On Down
My Little Girl
It's a Crying Pity
Travelin' Highway Man
In the Evening
Mozelle Blues
Mr. So and So Blues
I'm a Guitar King
Rockin' Chair Blues
New Highway No. 51
Roll Me, Baby